栃木・佐野市
栃木 ・ 佐野市
引継ぎ実績あり
日本の文化「おもてなし」を
株式会社サンテック
製造工程の付加価値から商品自体の付加価値へ
経営理念
一、天や人に対して、いつも感謝の心を持つ
一、紙おしぼりを通して、心のこもったおもてなしとあたたかい笑顔を提供する
一、紙おしぼりを通して、仲間の為、社会の為に貢献する
代表者メッセージ
当社は栃木県佐野市の山のふもとにある紙おしぼり会社です。万葉集にも歌われた佐野の自然は、どこか懐かしい日本の原風景が残っています。春の桜や、秋の紅葉など、工場のすぐ裏の山々も天然の羽衣をまとって、見る者を楽しませてくれます。そんな自然と共に歩み、創業25年を迎えました。私達は多品種で、少ない本数からお客様のご希望に沿ったオリジナル紙おしぼりを作り、また、環境にも配慮した製品を作るなど、他社とは違い当社だからこそできることを心がけています。当社の紙おしぼりを通して従業員が幸せになり、幸せな従業員が力を合わせて作った紙おしぼりを通してお客様を幸せにする。これを当社の役目として、従業員が一つとなって進んでまいりたいと思います。
創業経緯と入社するまでの流れ
私の叔父は茨城県水戸市で布おしぼりのレンタル会社に務めていました。ある時、叔父たちのライバル関係にあったグループの人たちが栃木県佐野市に紙おしぼりの事業を創設したことで、叔父と同業の仲間たちが対抗する形で、同じ栃木県佐野市で1995年2月に紙おしぼりの事業を中核とする株式会社サンテックを立ち上げたというのが創業経緯になります。当初は10数社の共同出資により設立されましたが、経営や事業方針との相違もあり6年間で3回も社長が変わる多難な船出となりました。叔父が3代目の社長に就任した時には、水戸市の会社に勤務しながら社長業をこなしていたそうで過酷な日々だったようです。叔父は、月数回しか栃木県佐野市にある当社へ足を運べず、結果として社員のエンゲージメントも低くなり組織やガバナンスが効かない状態でもあり会社経営としてはよくありませんでした。
私はその頃は都内で板前修行をしていたのですが、母の病気もあり職を辞めていたところに叔父らの紹介と縁あって2001年9月に当社へ入社しました。入社後は、叔父の水戸市にあった会社で社会人としてのイロハや業界について半年ほど学びました。私自身は社長に憧れがあったわけではありませんが、叔父からの「マネジメントをやらないか」という事業承継の言葉を受けて2007年より社長となりました。
社長就任前に知らされる仲間からの叱責
社長に就任する前、都内の経営幹部が学ぶ経営セミナーに1年間ほど参加させていただきました。ただ参加した仲間から「あなたの会社のビジョンが見えない」、「愛情を感じない」と痛烈な言葉を言われました。言われて当然だったというか、見透かされたという思いでもありました。なぜなら、その頃の私は胸を張って自社の事業に対して向き合っているとは言えませんでした。叔父からの言葉で事業を承継しただけというのが経営者セミナーで浮き彫りになった感じです。その仲間たちから叱責された際には、反発する気持ちも多少ありましたが、自身と向き合えば向き合うほどに自社の事業でもある紙おしぼりの商品に対する思いが全く足りていなかったのだと気づかされました。そのため社長へ就任した時に、経営理念に「紙おしぼりを通して」というフレーズを入れ、紙おしぼり業界に携わるものとしての覚悟になります。
ブランディングの再構築と高付加価値化ビジネスへ転換
私が社長に就任したころ、事業規模に合わない大量生産をおこない商品も低価格で取引をしていました。布おしぼりよりも紙おしぼりの地位は低かったこともあり、市場獲得のため日々価格競争に陥っていました。当時は布おしぼりを扱う事業が取引先の9割を占めていました。気づけば3名いた社員も残り1名となり、繁忙期には私と2人で12時間ずつ交代勤務で製造をおこなっていました。稼働状況からも、このままでは会社は潰れてしまうだけでなく社員の健康すら守れないと思っていました。その状況下で、まず取り組んだのが「紙おしぼりの地位は低い」に対する価値を変えることです。この考えが正解かどうかは分からなかったのですが、正直なところ実行に移し生き抜く手段としてやるしかない状況でした。安さが魅力の紙おしぼりから、材料を国産の高級厚手の紙おしぼりに切り替え、さらに使い終わった後にゴミとなる紙おしぼりに3か月で土に還る自然や環境と調和するエコロジカルさを追及していくことでより付加価値の高い製品を開発することができました。ただ、今ほど環境意識は高くない世の中で、自社商品をアピールしていくことは厳しかったです。10トン車で原反(材料)を仕入れたものの消化するまで1年かかりました。
取引先である飲食店の布おしぼり事業者からの反応は、どうせ捨てるものだからといい反応はもらえませんでした。価値提供は商品力だけではなく人間力も必要だと思い知らされました。
私たちのこだわり
お客様の声から環境問題へと取り組んだ看板商品の誕生
私は2018年から日本イスラエル親善協会の理事をしております。日本在住のユダヤ人と桜を見る会に参加した時、プライベートで参加された外務省の職員の方から「吉野社長の開発した紙おしぼりはおしぼりもパッケージも土に還るんですね。G20(主要国首脳会議に参加する7か国および新興国11か国の計20か国)大阪サミットで使えるのではないか」とご連絡いただきました。実はその時、パッケージ部分は土に還らない仕様でもあり勘違いさせてしまったなと思い早急に対応策を考えました。さらにその1週間後に、オーストラリアで企業経営する日本人社長から「オーストラリアは今、環境問題に厳しい。吉野さんは紙おしぼりもパッケージも土に還る製品を開発されたようで何かヒントをくれないか」と相談を受けました。同時期に2件とも想定外の質問をいただいてしまったと思うと同時に、これは何かの縁ではないかと感じました。そこからは土に還るパッケージ開発に必死に取り組んでいきました。全国にある企業へ片っ端から問い合わせをおこない、なんとか土に還るセロハン(パルプ)を原料にしたパッケージを開発することができ、外務省でプレゼンをおこない採用となりました。環境へ配慮した取り組みとして、当社の生分解性紙おしぼり「ECOSHIBO(エコシボ)」が会場で使われました。
大阪サミット終了後に、各企業の環境への意識が高まり今まで取引のあった布おしぼり事業者以外でも顧客が増えていきました。元々は、日本より環境への意識が高いヨーロッパの海外企業からの問い合わせはありましたが、より良い商品として提供するため改良に改良を4回重ねたものが完成したECOSHIBO(エコシボ)になります。
当社にとってこの機会を獲得できたことが、その後を左右する大きな転機となりました。
経営理念の唱和が従業員コミュニケーションに
経営理念については、毎朝唱和すべきと言ってくれた社員がいました。その社員は繁忙期には私と交代しながら12時間おしぼりを製造し、当社のビジネスについて路頭に迷っていた頃から全てを知る人物です。経営者セミナーへ参加した後に作り直した経営理念は、従来はなかった「紙おしぼりを通じて」という部分は社員全員の心に響いた内容です。従業員が増えた現在でも、理念を唱和することはルーティンになっており原理原則の現われとして浸透しています。
また、当社ではあえて日報をシステム入力ではなく手書きで記票させています。お客様からの声や業務での気づき改善点、育成者であれば後輩の成長過程を日々書いてもらっています。私や上司からの手書きでのコメントは従業員にとってアナログさが刺激となっているようです。
経営資源を引継いだWEB制作事業はトップの理解により実現
WEB制作事業部は2019年に誕生しました。WEB制作会社をやっていたミューデザイン株式会社を事業譲受したことが部署の立ち上がりになります。ミューデザイン株式会社の社長(現在当社専務 宮地)と出会ったのが2006年頃になります。その頃から付加価値の高い当社の紙おしぼりの販路拡大にデジタルの強化が必要と感じており、ECサイトの立ち上げを目標に知り合いからの紹介でミューデザイン株式会社へ業務の依頼をおこないました。小ロットでオリジナル商品の製造をしていた当社にとってECサイトの販路拡大は、お客様のニーズに直接呼びかけることができます。当社の紙おしぼり事業とデジタルの融合はなくてはならない資源となっています。そして栃木県佐野市で経営者同士でもあり意気投合して、よく呑みながらいつか一緒に仕事ができればいいなぁという話はしていました。お互い会社経営に対する考え方と宮地社長の人柄を十分に理解していたことで円満な経営資源引受けになったと思います。私自身に何かあったときに会社という箱だけではなく、そこにある行動指針や思想(イズム)を継いでくれると思っていました。
コロナ禍で出来ることと未来のあるべき姿を想像
数値目標は年商10億円を目指しています。何よりも組織全体をより成長させるには人が必要です。私自身が従業員やその家族、お客様へ永続的に関心を持ち続けることです。従業員と接する時にかける言葉や受け答えもふくめ、その一瞬のことですが丁寧に接していくことから心掛けています。また、私たちはまさに今まで新型コロナウィルスの感染拡大という未曽有の2年を過ごしています。一つの事に捉われることなく柔軟に生き抜いていくことが大切であると学びました。紙おしぼりだけに縛られることなく、常にお客様が必要とされるものを模索し、追求し、提供し続けられる会社にしなければと実感しています。栃木県内に紙おしぼりの事業会社は当社のみとなっています。この新型コロナウィルスの感染拡大の中で、その必要性が浮き彫りになったデジタルとの融合も当社は先駆けて取り組めていると自負できます。だからこそ今まで以上に人や地域との繋がりを大切にしたいと考えています。
お客様の声から環境問題へと取り組んだ看板商品の誕生
私は2018年から日本イスラエル親善協会の理事をしております。日本在住のユダヤ人と桜を見る会に参加した時、プライベートで参加された外務省の職員の方から「吉野社長の開発した紙おしぼりはおしぼりもパッケージも土に還るんですね。G20(主要国首脳会議に参加する7か国および新興国11か国の計20か国)大阪サミットで使えるのではないか」とご連絡いただきました。実はその時、パッケージ部分は土に還らない仕様でもあり勘違いさせてしまったなと思い早急に対応策を考えました。さらにその1週間後に、オーストラリアで企業経営する日本人社長から「オーストラリアは今、環境問題に厳しい。吉野さんは紙おしぼりもパッケージも土に還る製品を開発されたようで何かヒントをくれないか」と相談を受けました。同時期に2件とも想定外の質問をいただいてしまったと思うと同時に、これは何かの縁ではないかと感じました。そこからは土に還るパッケージ開発に必死に取り組んでいきました。全国にある企業へ片っ端から問い合わせをおこない、なんとか土に還るセロハン(パルプ)を原料にしたパッケージを開発することができ、外務省でプレゼンをおこない採用となりました。環境へ配慮した取り組みとして、当社の生分解性紙おしぼり「ECOSHIBO(エコシボ)」が会場で使われました。
大阪サミット終了後に、各企業の環境への意識が高まり今まで取引のあった布おしぼり事業者以外でも顧客が増えていきました。元々は、日本より環境への意識が高いヨーロッパの海外企業からの問い合わせはありましたが、より良い商品として提供するため改良に改良を4回重ねたものが完成したECOSHIBO(エコシボ)になります。
当社にとってこの機会を獲得できたことが、その後を左右する大きな転機となりました。
経営理念の唱和が従業員コミュニケーションに
経営理念については、毎朝唱和すべきと言ってくれた社員がいました。その社員は繁忙期には私と交代しながら12時間おしぼりを製造し、当社のビジネスについて路頭に迷っていた頃から全てを知る人物です。経営者セミナーへ参加した後に作り直した経営理念は、従来はなかった「紙おしぼりを通じて」という部分は社員全員の心に響いた内容です。従業員が増えた現在でも、理念を唱和することはルーティンになっており原理原則の現われとして浸透しています。
また、当社ではあえて日報をシステム入力ではなく手書きで記票させています。お客様からの声や業務での気づき改善点、育成者であれば後輩の成長過程を日々書いてもらっています。私や上司からの手書きでのコメントは従業員にとってアナログさが刺激となっているようです。
経営資源を引継いだWEB制作事業はトップの理解により実現
WEB制作事業部は2019年に誕生しました。WEB制作会社をやっていたミューデザイン株式会社を事業譲受したことが部署の立ち上がりになります。ミューデザイン株式会社の社長(現在当社専務 宮地)と出会ったのが2006年頃になります。その頃から付加価値の高い当社の紙おしぼりの販路拡大にデジタルの強化が必要と感じており、ECサイトの立ち上げを目標に知り合いからの紹介でミューデザイン株式会社へ業務の依頼をおこないました。小ロットでオリジナル商品の製造をしていた当社にとってECサイトの販路拡大は、お客様のニーズに直接呼びかけることができます。当社の紙おしぼり事業とデジタルの融合はなくてはならない資源となっています。そして栃木県佐野市で経営者同士でもあり意気投合して、よく呑みながらいつか一緒に仕事ができればいいなぁという話はしていました。お互い会社経営に対する考え方と宮地社長の人柄を十分に理解していたことで円満な経営資源引受けになったと思います。私自身に何かあったときに会社という箱だけではなく、そこにある行動指針や思想(イズム)を継いでくれると思っていました。
コロナ禍で出来ることと未来のあるべき姿を想像
数値目標は年商10億円を目指しています。何よりも組織全体をより成長させるには人が必要です。私自身が従業員やその家族、お客様へ永続的に関心を持ち続けることです。従業員と接する時にかける言葉や受け答えもふくめ、その一瞬のことですが丁寧に接していくことから心掛けています。また、私たちはまさに今まで新型コロナウィルスの感染拡大という未曽有の2年を過ごしています。一つの事に捉われることなく柔軟に生き抜いていくことが大切であると学びました。紙おしぼりだけに縛られることなく、常にお客様が必要とされるものを模索し、追求し、提供し続けられる会社にしなければと実感しています。栃木県内に紙おしぼりの事業会社は当社のみとなっています。この新型コロナウィルスの感染拡大の中で、その必要性が浮き彫りになったデジタルとの融合も当社は先駆けて取り組めていると自負できます。だからこそ今まで以上に人や地域との繋がりを大切にしたいと考えています。
ツグナラ専門家による紹介
担当専門家:株式会社サクシード 株式会社サクシードの詳細
高級紙おしぼりでレイヤーの高い販路を開拓し、低価格路線からの脱却と社員が幸せになる経営を実現しています。紙おしぼりは「使い捨て」でありながら、自然に還る資材を活用するなど環境に対する取り組みにも真摯に向き合う社会貢献度の高い会社です。
会社概要
社名 | 株式会社サンテック |
創立年 | 1995年 |
代表者名 | 代表取締役 吉野 志門 |
URL |
https://www.osiborijp.com/
|
本社住所 |
〒327-0305 |
事業内容 | 紙おしぼりを中心とした製造・販売 小ロット名入紙おしぼり 用途別介護用ウェットシート 美容業界用ウェットシート 医療機関用ウェットシート 販促、イベント用ウェットシート 製品開発、製造、販売サポート デザイン・ホームページ制作 ホームページの企画、開発、制作、保守管理、コンサルティング |
株式会社サンテックの縁結び・成功事例
公開日:2021/10/08 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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