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引継ぎ実績あり
「物流」を通して
株式会社 八下田陸運
総合物流システムを構築し
常にお客様の立場に立った輸送のエキスパート
常に
経営理念
「物流」を通して社会に貢献しお客様に・地域に愛される企業へ
弊社は、1964年(昭和39年)に創業以来、一般貨物自動車運送事業を皮切りに鉄道貨物取扱事業・貨物運送取扱事業の免許を取得、物流の急激な変革に対応するため保管・荷役・輸送及び情報などを網羅した総合物流システムを構築して常にお客様の立場に立ち、より利便性の高いサービスを提供するため各事業を遂行してまいりました。
21世紀の総合物流の担い手として、またお客様に愛される輸送のエキスパートとして今後とも地域社会と企業の発展に貢献してまいります。
品質方針
当社は、絶えず業務の改善により品質の向上に努め、あらゆる物流サービスを提供して、顧客の満足を高め、地域社会から信頼される企業を目指します。
八下田陸運の強み:『人』
「人」を大事にした経営
経営する中でも『人』を一番に考えています。
道具はお金をかければいくらでも手に入りますが、人はそうはいかない。
弊社にはドライバーも事務所内のスタッフも素晴らしい人材が集まっている。
例えば、鉄骨を運ぶことでも、他社に負けない技術があります。
そんな社員の皆さんが、グループ会社も含めてそれぞれに繋がり、協力し合って仕事を進めることができているのが、弊社の強みです。
お預かりした荷物を私が一人ですべて運ぶことはもちろん出来ません。会社組織というチームで分担した仕事を任せる以上は、信用して仕事を任せています。信用しないとその社員は何のために仕事をしているのかわからなくなってしまいますし、信用することで積極的な意見も出てきます。
代表者メッセージ
弊社は昭和39年に創業し、一般貨物自動車運送事業の免許を取得して、昭和46年に法人化しました。その後、貨物自動車運送取扱業・一般建設業許可を取得、物流業界の急激な変革に対応するため、流通加工業を開設し、保管・梱包・荷役・輸送および情報などを網羅した総合物流システムを構築して、常にお客様の立場に立った事業を展開して参りました。
「give and take(ギブ アンド テイク)」をモットーにお客様と弊社が共に発展し、より親密で長いお取引をさせて戴く姿勢でお客様と接して参りました。
お客様に愛される輸送のエキスパートとして、今後も企業発展に精進するとともに地域社会の発展に貢献して参る所存です。何卒、ご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
株式会社 八下田陸運 代表取締役 八下田 勝
会社を承継するにあたって
私は、3代目の社長になります。
2代目に親族外承継に至ったのは、創業社長が58歳の時に大病を患ったからです。私は当時入社1年目でもあり、仕事の内容も経営についても分からない状態で事業承継の準備が全くできていなかったこともあり2代目にお願いしました。
会社を引き継ぐことは家督だからではなく、経営・代表権・社員の雇用ふくめ私が明確な意思表示で事が大きく動くことの重大性は強く認識しました。常務を務めたのちに41歳の時に社長に就任しましたが、2代目も引き続き代表取締役会長に就き、約3年ほど事業の引継ぎのために伴走してくれ事業承継は無事に完了しました。
会社トップとして認められるまでの苦悩
会社トップとなった時、責任の重さや意思決定の重要性など計り知れないプレッシャーを感じました。伴走時期は2代目が社長として処理していた仕事すべてに聞く耳を立て、会社全体の動きを把握するようにしました。常務を任されている時が如何に楽であったか、社長というポジションを格段に意識するようになりました。新米社長の時には朝礼で2代目から社員を目の前に叱責されたり自信も覚悟もない点など経営者として足りない部分は強く感じました。
自身が事業承継者と感じ始めたころは
私が会社を継ごうと決心したタイミングは無かった記憶があります。理由は、物心がつく頃に事業は拡大し、小学生の時は両親だけでなく会社の人からも後継者と見られている部分もあり自身で意識をするというよりかは、やらなければいけないだろうな、という感覚でした。創業者が社長を2代目に継いだ時も少し安心した自分がおり、常務に昇格した時に次の順番で実感しましたが自分自身がどのように社長を引き継ぐのかは、時の流れに任せていた部分はありました。事業承継の難しさを感じた経験から、私の息子には意識をさせないように好きなことをやりなさいと親がレールを引かないようにはしています。継がされるのではなく、継ぐ意欲に本人が芽生えないといけないと思ったからです。ただ嬉しい部分では、最近息子からも跡継ぎを口に出すようになってきて、承継の準備もまた少しずつ考えていかなければならないと思うようになりました。
そこで私の入社時からの業務を振り返ると、入社1年目は業務課に所属して事務処理をおこない、2年目からは営業と配車係を約5年間経験し、企画室に移り総務関連の業務をおこないその時に安全管理室を立ち上げました。その後に業務部長から常務となり、業務部長の時には1年くらいはトラック運転手として輸送も経験しました。入社した時から家業でもあり与えられたことは全てを学ぼうと思っていたので言われるがままではありましたが色んな業務を経験することに抵抗はありませんでした。承継者には同じ道が良いのか初代が病気で伴走が困難であったことも考えると、私が目を掛ける方法もあるのかとも考えています。
これからの貨物運送業界について
餅は餅屋という考えで、今ある知識と経験の範囲の中で事業領域を考えるのは自然であり、無理に他業種の経営資源引継ぎやM&Aを積極的に行おうとは考えていません。業界は無くなることはありませんが、コンプライアンスが非常に厳しくなって運転手も日々緊張感の中で業務をおこなっています。一方、インターネット通販の利用がコロナ禍で拡大し、物量も増えてトラックの台数が減ることは考えにくい部分もありますが、ラストワンマイルのお客様に届ける部分はドローンが配達したりと簡略化される部分など業界変革や再編は十分に考えられます。今は会社を大きくするよりも、経済環境が不透明な時代にあって、まずは安定した経営状態にするために業務の見直しや効率化、内部環境の整理など、次世代後継者を意識しつつ健全な事業環境を構築することに力を入れたいと思っています。
私たちのこだわり
社長になって心掛けていること「one for all all for one」
社長になる前からですが、初代も2代目も意思決定は早く自身の判断が強調されていました。私は幹部や従事している社員を尊重する形で、私一人では決めないようにしています。会議の在り方、決議の取り方はディスカッションし賛否意見を出し合います。毎週水曜日に開催する役員会で議題を出して参加者で議論をするようにしています。
もちろん、社長の意見も覆されます。ディスカッションされることで最終意思決定も納得感が出てきており、これからも浸透させていきたいと思っています。トップダウンの進め方も重要ですが、組織を尊重し信頼できる幹部や社員個々に自主性をもって取り組んでもらうことに意識しています。
運輸事業をする中で重視していること
創業時、トラックでプロパンガスやアセチレンガスなどを地元事業者からの外注で配達をしたことが始まりです。今でも懇意にしてもらっている村田発條株式会社とは創業時からの付き合いで配達の請負いをさせてもらっていました。当時は自家用車でもある白ナンバーで配達していましたが、1971年(昭和46年)に社団法人栃木県トラック協会に加盟し法人格を立ち上げました。紙、土木資材、金属、鉄骨輸送も地域の人脈で事業も拡大していきました。
倉庫については流通加工業もおこなう中で、私が社長になった時に倉庫をもつようになりました。グループ会社のテクノヤゲタは鉄鋼事業ですが、会社近くの歩道橋も手掛けています。事業を続けていく中で、創業から企業ブランドをしっかりと伝承してきたから県内に八下田のイメージが浸透している点では無理な拡大よりも八下田に任せてよかったと言われる仕事を今後もおこなっていきたいと思います。
企業ブランドを守っていくために
服装や礼儀一つからお客様に一定のサービスを続けることでブランド価値は継続できると思っています。運送業をしていると事故を起さないよう心掛けますが、勤務中は常に八下田の社員であるという自覚がなければいけないと思っています。埼玉県内の事業所を担当していた時に、幹線道路などに走行速度など危険を感じる部分もあったのでトラック車両全部に60㎞規制を導入しました。運輸業なので早く届けたい、時間を無駄にしたくないという社員クレームもありましたが、交通網が整備され走りやすくなった道路でも規制スピードの導入は最終的に皆で認識を深め今でも実行しています。
そのおかげでスピード違反もゼロになり、殆どがチャーター便というほぼ決まった経路で配達をするトラックが多いため、走り慣れた道であったり、決まった時間を意識しすぎたりと気の緩みが起きないよう常に心掛けています。緑色の車体を見れば県内では八下田陸運と分かるため、交通ルールを守ること安全運転をすること事故に巻き込まれた時でも迅速に救命ふくめ対応をすることは社員教育の中で一番気をつけているところです。
社長になって心掛けていること「one for all all for one」
社長になる前からですが、初代も2代目も意思決定は早く自身の判断が強調されていました。私は幹部や従事している社員を尊重する形で、私一人では決めないようにしています。会議の在り方、決議の取り方はディスカッションし賛否意見を出し合います。毎週水曜日に開催する役員会で議題を出して参加者で議論をするようにしています。
もちろん、社長の意見も覆されます。ディスカッションされることで最終意思決定も納得感が出てきており、これからも浸透させていきたいと思っています。トップダウンの進め方も重要ですが、組織を尊重し信頼できる幹部や社員個々に自主性をもって取り組んでもらうことに意識しています。
運輸事業をする中で重視していること
創業時、トラックでプロパンガスやアセチレンガスなどを地元事業者からの外注で配達をしたことが始まりです。今でも懇意にしてもらっている村田発條株式会社とは創業時からの付き合いで配達の請負いをさせてもらっていました。当時は自家用車でもある白ナンバーで配達していましたが、1971年(昭和46年)に社団法人栃木県トラック協会に加盟し法人格を立ち上げました。紙、土木資材、金属、鉄骨輸送も地域の人脈で事業も拡大していきました。
倉庫については流通加工業もおこなう中で、私が社長になった時に倉庫をもつようになりました。グループ会社のテクノヤゲタは鉄鋼事業ですが、会社近くの歩道橋も手掛けています。事業を続けていく中で、創業から企業ブランドをしっかりと伝承してきたから県内に八下田のイメージが浸透している点では無理な拡大よりも八下田に任せてよかったと言われる仕事を今後もおこなっていきたいと思います。
企業ブランドを守っていくために
服装や礼儀一つからお客様に一定のサービスを続けることでブランド価値は継続できると思っています。運送業をしていると事故を起さないよう心掛けますが、勤務中は常に八下田の社員であるという自覚がなければいけないと思っています。埼玉県内の事業所を担当していた時に、幹線道路などに走行速度など危険を感じる部分もあったのでトラック車両全部に60㎞規制を導入しました。運輸業なので早く届けたい、時間を無駄にしたくないという社員クレームもありましたが、交通網が整備され走りやすくなった道路でも規制スピードの導入は最終的に皆で認識を深め今でも実行しています。
そのおかげでスピード違反もゼロになり、殆どがチャーター便というほぼ決まった経路で配達をするトラックが多いため、走り慣れた道であったり、決まった時間を意識しすぎたりと気の緩みが起きないよう常に心掛けています。緑色の車体を見れば県内では八下田陸運と分かるため、交通ルールを守ること安全運転をすること事故に巻き込まれた時でも迅速に救命ふくめ対応をすることは社員教育の中で一番気をつけているところです。
ツグナラ専門家による紹介
担当専門家:株式会社サクシード 株式会社サクシードの詳細
八下田陸運様は2020年12月に取引先であった企業の事業引継ぎを実行されている、まさに地域経営資源引継ぎの事例となるべき企業です。会社の重要な意思決定を一人では決めないという社長のこだわりが、当社の素晴らしい雰囲気を形作っているように感じます。
会社概要
社名 | 株式会社 八下田陸運 |
創立年 | 1964年 |
代表者名 | 代表取締役 八下田 勝 |
資本金 | 2,000万円 |
URL |
http://yageta.co.jp/
|
本社住所 |
〒321-0114 028-654-0891 |
事業内容 | 輸送・物流サービス・倉庫 |
株式会社 八下田陸運の縁結び・成功事例
株式会社 八下田陸運の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
栃木県
埼玉県
流通加工業、商品・材料の保管・梱包・荷役・輸送等の事業にて人材募集
公開日:2021/07/09 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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