地域で一番の食品企業になるため誠心誠意に対応します

日東産業株式会社

安心でおいしい製品を作り、全社員とその家族の安定した生活を実現

経営理念

経営理念

安心でおいしい製品づくりに努め、全社員とその家族の安定した生活を実現し、お客様・取引先・仕入れ先そして地域社会から、常に愛され・信頼される企業を目指します。

経営目標

地域で一番の食品企業になる

経営基本方針

・私たちは、社員一人一人の個性と能力を尊重し、真の幸せと生きがいのある企業を目指します。

・私たちは、社会のルールを遵守し、地域社会に貢献します。

・私たちは、全員が誠心誠意業務に取り組み、永年企業を目指します。

社長メッセージ

家業に従事するまでに至った経緯

私は三代目になります。直系ではなく婿に入って社長になりました。私は、地元は埼玉県秩父出身で、皆さんもご存じかと思いますがとても田舎の山で近くに川も流れており自然豊かで風光明媚な場所で育ちました。田舎あるあるかもしれませんが、家に鍵をかける習慣もなく、財布を落とせば9割の確率で手元に戻ってくるような人情味のある町でした。

大学は都内へ進学しました。たまたま下宿先の同じ宇都宮市民の慶応の大学生がいて、くせのある栃木弁訛りに親しみを持ちました。大学生活は勉強よりも都内への解放感もあり、就職の内定が決まっている中で卒業に必要な単位がギリギリで、天井に残りの単位数「36単位」と書いて貼って必死に勉強し卒業しました。新卒先は味の素株式会社で東京支店の営業に配属されました。

妻も味の素株式会社で本社のマーケティングサポートに勤務していました。本社で妻がお茶を出したのが初対面だったと思います。栃木出身と聞いたときにあの慶応ボーイの栃木訛りを思い出しました。

業務では、新商品の販売(マヨネーズ、マーガリン、ドレッシング5種類くらい、冷凍食品等)に携わり、現場の実績や顧客の声を収集し、本社のマーケティングに伝えるような仕事でした。

11年ほど転勤なく東京支社に勤め、35歳の時に退職しました。味の素株式会社はチャレンジするのにすごくいい環境でした。妻が長女で家業があることは分かっていましたが、ファミリービジネスに迎え入れてもらえるのかと様々な葛藤がある中で、長男が生まれた時に決意をして日東産業に入ることを決断しました。長男(現専務)が生まれて直ぐに35歳で栃木県足利市に来ましたがきっかけは息子の誕生でした。

先代から事業の引き継ぎ

先代は商品開発者で研究しているのが好きな方でした。当時、栃木県の品評会では必ず選ばれたほど味を追及していました。

そのため中濃、とんかつソースの味は先代のものを継承しています。シンプルに伝統を壊さぬことが一番でこれ以上のものを見出すよりこの味で勝負することが私の使命と感じていました。ウスターソースは時代の移り変わりとともに製法を変えていきました。

手作りの良さもありましたが、機械化して売上を上げる必要もあり、方向転換し焼き肉のたれやドレッシングなどソース以外も販売しました。

今までの製法を変えて量をつくり販売先を増やしたく、先代に何度か営業戦略で相談ではなく説得をし続けていたところ軋轢が生まれていきました。先代は手でかき混ぜるなど昔ながらのやり方にこだわっていました。最終的には先代にも納得してもらいながら、量の生産にもシフトする道を選びました。

以前は自宅の裏に工場があったことで気分転換の暇もない生活でした。その後、近くの繊維工場を買取り少し小ぎれいな場所に移りましたが、そこは食品工場跡地ではなかったので、設備も環境も使っているうちに不備を感じていました。そこで、2008年に今の工場に移り現在に至っています。前の工場は今も倉庫として使っていますが、新たに倉庫増築してもまだ足りないことは嬉しい悲鳴でもあります。

社員数は、以前の工場では社員5人とパート4~5人でしたが、今は社員26人になりました。

生産設備の増強もあり、売上も約8倍に増えました。まだ目標とは乖離がありますが稼働ふくめ意思決定通りに進んでいます。現在、会社を先代から引き継いで40年以上経過しました。

私たちのこだわり

新商品を発売するまでの道のり

以前の工場にいた時は前職の味の素株式会社のつてで色々な商談がありましたがお断りしていました。つてを使うことは簡単ですが、生産量や衛生面が担保できなかったためです。

今もOEMで多くの企業様の製品を受託していますが、リスクマネジメントを大事にして製品づくりをしています。2008年に完成した今の工場に来るまでは、新商品開発も少し滞っていました。今の工場に移ってからは新しい商品をいくつも起案し発売まで至っています。

従業員との関係性

女性社員で一番の古参の方は今年で勤続30年になりました。その方なしには、ここまででこれただろうかと思うことがよくあります。相当に厳しい人でした。その中でも挨拶は重要です。

その社員を(当時パートタイム)採用した際、未経験ということで機械の操作に不安を感じていましたが、実際に採用してみたら向上心の塊みたいな女性で機械にも強い良い人材に巡り合うこともできました。

工場勤務では社員の満足度も図りずらい点もありますが将来的には「あそこ待遇いいよね」と言われるようになりたいと思っています。これが今の夢の一つでもあります。

5年後10年後どうなっていたいですか

5年後はまだ現役でいたいです。工場が機械化されていきますが動かすのは人です。人を大切にして育てなければいけないと思っています。

社員にはよく、「自分の給料は自分で稼いでね」と言っています。

売上を上げて、生産性をよくし、対価を得て、社員に還元する。この仕組みは先に構築したいです。しかし、ここ(現工場)で生産量を3倍にするというのはキャパ的に難しいかもしれません。

弊社はまだ人材に厚みがありません。息子の専務が片腕となってくれていて私にとっては強力な助っ人です。4番バッターが自分の後ろにいてくれるような安心感があります。

商品に足利の地域の野菜を使っているが、それは地域への恩返し

足利市では「素通り禁止足利」などの取り組みをしています。それらを受けて、私も恩返しがしたいと思いました。

ブランド野菜「あしかが美人」の取引はJA(農協)が窓口となってやり取りしています。あしかが美人のドレッシング4種類は、地元の方々にも応援いただいています。足利市内限定の販売ですが、一店舗で月100本以上売れる店も何店も出ています。JAブランドのあしかが美人はよく浸透しているなと思います。弊社は「土のついた野菜を工場には持ち込めない」という衛生管理上のルール規定があり、管理は徹底しています。専務が衛生管理、原価計算など細分化して管理をしています。

会社を辞めて足利に来たのは人生最大の決断でした。だからこそ足利に貢献できればと考えています。

日東産業株式会社_私たちのこだわり_画像

新商品を発売するまでの道のり

以前の工場にいた時は前職の味の素株式会社のつてで色々な商談がありましたがお断りしていました。つてを使うことは簡単ですが、生産量や衛生面が担保できなかったためです。

今もOEMで多くの企業様の製品を受託していますが、リスクマネジメントを大事にして製品づくりをしています。2008年に完成した今の工場に来るまでは、新商品開発も少し滞っていました。今の工場に移ってからは新しい商品をいくつも起案し発売まで至っています。

従業員との関係性

女性社員で一番の古参の方は今年で勤続30年になりました。その方なしには、ここまででこれただろうかと思うことがよくあります。相当に厳しい人でした。その中でも挨拶は重要です。

その社員を(当時パートタイム)採用した際、未経験ということで機械の操作に不安を感じていましたが、実際に採用してみたら向上心の塊みたいな女性で機械にも強い良い人材に巡り合うこともできました。

工場勤務では社員の満足度も図りずらい点もありますが将来的には「あそこ待遇いいよね」と言われるようになりたいと思っています。これが今の夢の一つでもあります。

5年後10年後どうなっていたいですか

5年後はまだ現役でいたいです。工場が機械化されていきますが動かすのは人です。人を大切にして育てなければいけないと思っています。

社員にはよく、「自分の給料は自分で稼いでね」と言っています。

売上を上げて、生産性をよくし、対価を得て、社員に還元する。この仕組みは先に構築したいです。しかし、ここ(現工場)で生産量を3倍にするというのはキャパ的に難しいかもしれません。

弊社はまだ人材に厚みがありません。息子の専務が片腕となってくれていて私にとっては強力な助っ人です。4番バッターが自分の後ろにいてくれるような安心感があります。

商品に足利の地域の野菜を使っているが、それは地域への恩返し

足利市では「素通り禁止足利」などの取り組みをしています。それらを受けて、私も恩返しがしたいと思いました。

ブランド野菜「あしかが美人」の取引はJA(農協)が窓口となってやり取りしています。あしかが美人のドレッシング4種類は、地元の方々にも応援いただいています。足利市内限定の販売ですが、一店舗で月100本以上売れる店も何店も出ています。JAブランドのあしかが美人はよく浸透しているなと思います。弊社は「土のついた野菜を工場には持ち込めない」という衛生管理上のルール規定があり、管理は徹底しています。専務が衛生管理、原価計算など細分化して管理をしています。

会社を辞めて足利に来たのは人生最大の決断でした。だからこそ足利に貢献できればと考えています。

サービスの特徴 | 歴史ある北陽千鳥ソース

-サービスの特徴-

歴史ある北陽千鳥ソース

北陽千鳥ソース”の誕生と相田みつを氏

北陽千鳥ソースのロゴマークである千鳥の文様とロゴタイプの組合わせは、創業初期から大切に受け継がれ、ソースと共に多くの人々から愛されてきました。 この特徴的なデザインは、創業者の旧友であり、のちに高名な詩人となる足利出身の詩人相田みつを氏が、若かりし頃に制作したものです。北陽千鳥ソースと共に歴史を歩んできた私たちにとって大切な財産です。

歴史のまち足利で誕生した北陽千鳥ソース

1946年、日東産業は今市で個人商店として立ち上がりました。当時は幅広い商品を扱っており、創業者は食の洋食化にも積極的でした。商品の一つとしてスパイスを取り扱っていたことをきっかけに、ソースの製造が始まったのです。そのうち今市、足利を2拠点として夫婦で事業を展開していき、親から子へ引き継ぐタイミングで足利が中心となっていきました。

甘味料の規制により大きく変化したソース業界

1968年頃、ソース業界に大きな転換期が訪れます。多くのソースメーカーが使用していた複数の甘味料が相次いで使用禁止となったのです。これを機に、ソース業界全体が品質の高さを競う時代に突入しました。こうした時代の中でも、私たちは柔軟に変化し、より品質の高いソースを目指して製造技術を磨いてきました。

新工場設立、新たなステージへ

衛生管理のより一層の強化と物流環境の向上のため足利インター・ビジネスパーク内に新工場を設立しました。充実した製造環境のもと安心・安全な製品の製造に努めています。親子三代に受け継がれてきた想いを大切に、これからもお客様、取引先、仕入れ先そして地域社会から愛され、信頼される企業を目指していきます。

日東産業株式会社_サービスの特徴_画像

北陽千鳥ソース”の誕生と相田みつを氏

北陽千鳥ソースのロゴマークである千鳥の文様とロゴタイプの組合わせは、創業初期から大切に受け継がれ、ソースと共に多くの人々から愛されてきました。 この特徴的なデザインは、創業者の旧友であり、のちに高名な詩人となる足利出身の詩人相田みつを氏が、若かりし頃に制作したものです。北陽千鳥ソースと共に歴史を歩んできた私たちにとって大切な財産です。

歴史のまち足利で誕生した北陽千鳥ソース

1946年、日東産業は今市で個人商店として立ち上がりました。当時は幅広い商品を扱っており、創業者は食の洋食化にも積極的でした。商品の一つとしてスパイスを取り扱っていたことをきっかけに、ソースの製造が始まったのです。そのうち今市、足利を2拠点として夫婦で事業を展開していき、親から子へ引き継ぐタイミングで足利が中心となっていきました。

甘味料の規制により大きく変化したソース業界

1968年頃、ソース業界に大きな転換期が訪れます。多くのソースメーカーが使用していた複数の甘味料が相次いで使用禁止となったのです。これを機に、ソース業界全体が品質の高さを競う時代に突入しました。こうした時代の中でも、私たちは柔軟に変化し、より品質の高いソースを目指して製造技術を磨いてきました。

新工場設立、新たなステージへ

衛生管理のより一層の強化と物流環境の向上のため足利インター・ビジネスパーク内に新工場を設立しました。充実した製造環境のもと安心・安全な製品の製造に努めています。親子三代に受け継がれてきた想いを大切に、これからもお客様、取引先、仕入れ先そして地域社会から愛され、信頼される企業を目指していきます。

ツグナラコンサルタント

ツグナラコンサルタントによる紹介

ツグナラコンサルタント

ソース製造業として創業してから、たれ・ドレッシングに分野を広げ、これまでの概念を覆す商品開発で業績を伸ばしています。地元企業との連携や地元農産品の活用も積極的に行っており、地域活性化への貢献度も高い会社です。

インタビュアーのコメント

世界中の料理において基本要素のひとつでもあるソースを取り扱う中で、競争と変化の大きい市場で企業を継続するために必要な生産の拡大と創業から変わらぬ伝統の味を継承する深みを感じられました。

会社概要

社名 日東産業株式会社
創立年 1946年
代表者名 代表取締役 北隅 隆幸
資本金 1000万円
従業員数 26名
事業エリア 栃木県(足利市)
本社住所 326-0003
栃木県足利市名草下町1-2-1足利インター・ビジネスパーク内
事業内容 ソース・たれ・ドレッシングの開発・製造・販売
URL
https://nitto-chidori.co.jp/

会社沿革

1946年 会社設立

公開日:2021/07/13 (2021/07/19修正)

※本記事の内容および所属名称は2021年6月15日取材当時のものです。現在の情報とは異なる場合があります。