栃木・真岡市
栃木 ・ 真岡市
局所排気、
田崎設備株式会社
現場思いの最適化と徹底した対応力がエンジニアの未来を切り拓く
経営理念
風を読み、みちをつくる
代表者メッセージ
弊社は、1975年に先代が冷凍冷蔵設備業として創業して以来、地元をはじめとした多くの食品小売業や飲食店のお客様から、長きにわたりご愛顧をいただいてまいりました。
現在は、ご縁によって成長の機会をいただき、冷凍凍冷蔵設備、業務用空調設備、局所排気装置の3つの柱にて、工場や製造現場の環境づくりをサポートしております。
局所排気装置においては、労働基準監督署や消防署からご指導をいただきながら、有機溶剤や粉じんが発生する製造環境下でも安全に働けるよう、設備まわりのご提案をおこなっております。労基署への事前届出は専門知識が必要となる部分も多くあるため、弊社では申請サポートも請け負っております。
業務用空調設備においては、既製品では対応しきれない特殊な製造環境にも対応する、完全オーダーメイドの一貫施工によりコストダウンをお約束いたします。設備更新にあたっては、温湿度制御や粉じん対策だけでなく、生産環境に応じた給排気のバランス改善や、製品のグレードアップにともなうクリーンルーム化も不可欠であり、弊社では設備の構造をよく理解し優れた技術をもつエンジニアが対応いたします。
どれだけ技術が進化しても、現場の生産環境に合った改善方法を見出し、的確に対応できるのは人間です。
今後とも、労力を惜しまず社員教育に時間をかけ、現場対応力とともに人間力を大切にしてまいります。
代表取締役 田崎利也
私たちのこだわり
冷凍冷蔵機専門の設備業者として波乱のスタートを切る
田崎設備株式会社の歩みは、1975年11月に先代の田崎健行が創業した、有限会社田崎設備から始まりました。
創業以前、先代は福島県の設備会社にて長い間専務を務めていましたが、その会社は構造的な課題を抱えていたため経営を改善できず、先代は体調を崩したのをきっかけに故郷の宇都宮に戻ることになりました。そして療養生活ののちに故郷での独立を決意し、冷凍冷蔵機のノウハウを活かして、資金も人脈もないゼロの状態から事業をスタートしました。
事務所は自宅の目の前にあり、電話も共用だったので、先代の創業時に11歳だった私は、家庭と会社がほぼ一続きの環境下で学生時代を過ごしました。創業から3年ほどの間は、経営が安定せず焦りや不安で周りに当たる父と、負けん気の強い母が資金繰りをめぐって取っ組み合いの喧嘩をすることもあったので、子ども心に「大変そうだから、家業とは違う仕事に就こう」と思っていたのを覚えています。
卓越した営業センスと提案で一気に売上を伸ばした先代
創業から3年ほどは仕事のない日が多くありましたが、創業から4年ほど経った頃には、街なかにある魚屋や肉屋などの小売店からの受注が徐々に増えていきました。
先代は、冷凍冷蔵機やショーケースの設置だけでなく、店に合わせた改装の提案などの、今でいうコンサルティング型の営業によって売上を伸ばしていきました。大手製パン会社から「シェアナンバーワンの他社に負けない売り場にしたい」との依頼を受けたときには、冷蔵冷凍機や店内改装だけでなく外装にも着手し、お客様の売上向上に努めました。その甲斐あって、お客様の大手製パン会社がほかのお客様を紹介してくれるようになり、創業5年目には売上が2億円を超えるまでに成長していきました。
先代には、「あの仕事はやめた方がいい、この仕事はとことん攻めよう」と勘が働く部分があり、商機があると確信したお客様には、相手がたとえ他社と契約をしていようとも、朝から玄関前まで土下座をしに行って取引先を変えるメリットを訴え、根負けしたお客様に契約し直してもらうという、今では考えられないような営業の仕方もしていました。
今振り返ると、創業から3年ほどの間仕事がなかったのも、先代がリスクの高い仕事と低単価ながら安心して請け負えるものを選り分けていたのかもしれません。先代は、戦時中に結核で片方の肺を失い、無理がきかない体質でしたが、その分ほかの感覚が研ぎ澄まされていたのだろうと思います。
反面教師にしていた先代の人生を家業として引き継いだ決意
私の高校受験のあたりには、家業は軌道に乗り始めていましたが、当時の私は先代の仕事について理解しようとはせず、むしろ先代の生き方を反面教師にしようとしていました。私は三人兄弟の長男だったので、「工業高校に行け、大学なんか必要ない」との先代の話を聞かず、母の「後は継がず大学に行きなさい」の言葉を受けて、日本大学の法学部に進学しました。大学に入ってからは、商社マンになりたいと思うようになりましたが、先代から「サラリーマンになるために高い金を出して大学に入ったのか」と問われ、売り言葉に買い言葉で「自分の力で商売をするつもりだ」と言い切り、商社マンから公認会計士へと目標を変えて、アルバイトをしながら専門学校に通い始めました。
そして日商簿記1級を取得し、あと3教科で税理士資格が得られるところまでいった大学3年生のときに先代が倒れ、そこでようやく先代が切り拓き発展させてきた事業の道のりと重みを知ることとなりました。
先代は一命をとりとめましたが、家業と自分の進路、どちらを選ぶべきか思い悩んでいたところ、お世話になっていた公認会計士で大学の先生から「君自身のプライドを立てるよりも、父親の積み上げてきたものや歩みをもっと見つめ直した方がいい。君にしかできないことがあるはずだ」とのアドバイスをもらいました。そして真剣に悩んだ末、家業は息子である私にしか継ぐことができないと思い至り、大学4年のときに後継者として家業に入ることを決意しました。
知識経験ゼロ、苦手分野の現場で経験を積んだ修行時代
ただ、家業については何も知らない状態だったので、大学卒業後には地元の電気の制御盤を組む会社で2年間の修行を積むことにしました。修行候補先は、電気系と設備系の2社があり、一番苦手な分野に挑戦すれば大概のことは耐えられるようになるだろうとの考えから、電気関連の会社を選びました。しかし、いかんせん苦手な分野なので仕事がなかなか覚えられず、大変苦労しました。
ただ、まったく知識のない中で現場を見た分、勉強になった面も多くあります。修行先の会社は、仕事がない中で無理をして案件を獲得しており、場数を踏めないまま急に仕事が入るので失敗が多く、そのフォローのために何人もの作業員が出向せねばならず大変非効率でした。また、他社が断るような仕事は、4日間寝ずに取り組まなければ終わらないなどの負担が大きいものばかりで、現場で働く人や経営の安定のためには、案件の選別と仕事量の安定化が必要だという実感を得ました。現場で作業をしながら経営の視点で物事を見るようになるうちに、先代の優れた営業感覚、経営センスを改めて感じられるようになっていきました。
大手コンビニの台頭と商店の衰退が招いた経営危機
修行を経て私が家業に入社したのは、1987年の25歳のときでした。私は、“売れる店づくり”というコンサルティングの視点で経営を続けてきた先代の考え方に面白さを感じ、独学でマーケティングの勉強をはじめました。そして入社から2年ほど後には、バブル景気がピークを迎え、街なかの商店は大手コンビニエンスストアの台頭により徐々に衰退していきました。
先代は、倒れたときの後遺症から外に出なくなっていたので、私が営業に出るようになりましたが、お客様が撤退していく状況下では懸命に営業に回っても収益の安定化は見込めず、経営危機に陥りました。新領域を開拓する必要があると強く思うようになり、病床の先代に私なりの考えを伝えたところ「とらわれるな」と、本質を見極めるよう背中を押され、新たな柱となる領域を模索しはじめました。
目先の利益にとらわれない経営判断の大切さを痛感
新事業を模索する中で、35歳のときに先代が逝去し、私が社長に就任することとなりました。建築部門を専門としている私の三番目の弟の取引先を経由して、街なかの商店から食品工場へとアプローチ先を変えましたが、ルートの確立されている製造工場に関係性のない業者が入る余地はなく、社長となり3年が経っても経営は苦しいままでした。
そのような中で、茨城県にある老舗の酒屋が店を直すという情報を得ました。気にかかる点は多くありましたが、数千万円を超えるこの案件でどうにか経営を立て直したいという焦りが判断を鈍らせ、無理を押して引き受けてしまいました。
ところが悪い予感は当たり、あと少しで店が完成するというところで、振り出してもらった手形の一部が不渡りとなってしまいました。手形を割り引いて支払いに充てていた弊社も資金繰りが一気に悪化し、家族に金を借りてどうにか店を完成させてオープンまでこぎつけることはできましたが、お客様は銀行の取引停止で店の棚には商品が入らず、商品がないので客も入らず、半年後には閉店、一家離散となってしまいました。競売による土地の処分で2500万円は戻りましたが、100万円ほどが回収できず、目先の利益にとらわれ経営判断を誤れば、自社に非がなくとも後々大きな痛手を被ることを身をもって学びました。
1件の問合せに向き合う姿勢が事業の可能性を広げる
手痛い失敗を経験しましたが、建築と設備を担う弟の会社が、商社から依頼を受けるようになり、工場の建設設備を任されるようになっていったことで、弊社の取引先も少しずつ変化していきました。
弊社のお客様が大きく変わりだしたのは、同地域の企業と取引をしている商社からの問合せからでした。「労基署から局所排気装置を設置するようお客様に指導が入ったので、田崎さんのところでサポートしてあげてほしい」と頼み込まれ「大事な取引先だから頼む」と念を押されましたが、局所排気装置はこれまで取り扱った経験がなく、どのような機構の装置なのかもまったくわかりませんでした。
何とかしなければと思い、まずは指導をおこなった労基署に聞きに行ったところ、労働安全法の基準を満たす装置を準備し、数値などを書いて提出すれば認められると説明されました。設備の理解のためにはより深く具体的に理解する必要があり、さらに調べを進めると、局所排気装置の有無は、その空間で働く方の健康に直接関わることから、企業側の管理責任にも紐づいていることがわかり、設備を導入する企業だけでなく、われわれ施工業者側も、作業員の方の労働環境をつくり上げる責任の重さを理解して取り組まねばならないと強く感じました。
トライアル・アンド・エラーの実績が法基準の根底を覆す
そして、局所排気装置の調整に取りかかりましたが、排気が思うようにいかず、失敗を重ねました。排気のために送風機を強化すれば、騒音が出て振動対策が必要になり、お客様が納得されてもデータが基準値を下回れば見直しをせざるを得ませんでした。排気の基準値を満たすことができても、ドアの隙間や排水口から浄化されていない空気が入ってきてしまうため、給気口にも手を加えなければならないなど、次から次へと課題が出てきました。
排気と給気のバランスを整えるために給気口の設備や施工について調べたところ、空気の取入れに関する設備の設置施工は、消防の許可が必要になることがわかりました。弊社が局所排気装置の取付を依頼されたのは、車の塗料を製造している工場で、アルコールやガソリン、有機溶剤のトルエンなどの危険物を使用しています。静電気が起こるだけでも爆発の危険性があり、一般的な電気設備を入れることができないため、局所的な設備のみならず空間を満たす空気にも配慮せねばならず、素材や機器の選定に大変苦労しました。
また、その工場では高級外国車用の塗料を製造しており、出来がいいと倍の高値で買ってもらえますが、品質が悪いとすべて返品されてしまうので、人への安全性だけでなく、製造に最適な空間づくりをすることもミッションとして加わりました。車の塗料は非常に繊細で、温度や湿度によって品質が大きく変わり、春、梅雨、夏、冬と季節ごとに配合量をすべて変えているそうです。弊社の設置する設備が、製品の品質や売上にも響いてしまうというプレッシャーも重くのしかかりました。
温度湿度を安定的に保ちながら法基準を満たす製造環境を整えるために、気が遠くなるほどのトライアル&エラーを繰り返しましたが、現場ではどうやっても基準値と実数値が見合わないケースがあり、全国的な傾向を調べてデータを突き合わせたり、時には消防署に異議を申し立てたりすることもしました。法律には現場環境に基づく具体的な数値などの詳細は書かれておらず、各署も前例がないのを嫌がるためなかなか許可が下りませんでしたが、弊社が実践と実績をもって証明し覆すことで、塗料工場からの依頼を無事クリアすることができました。
作業員の労働環境と命を守る局所排気装置の事業化
1件目の塗料工場は無事施工が完了したのを機に、特殊空調の事業化へと踏み切りましたが、ノウハウが定着するまでには5年ほどの月日と多額の費用がかかりました。難しい仕事の割に利益が出ないので、途中で何度もやめようと思いましたが、独自技術として実績を蓄積できれば弊社の最大の強みになると思い、どうにか踏みとどまりました。現在は、大変な過程を乗り越え、施工先のお客様からご愛顧いただくだけでなく、お客様を通じて全国の企業様からお問合せをいただくようになっています。
現在の設備施工としては「冷凍空調」「局所排気」「防爆エアコン」を3本柱としており、特に引火・爆発の危険がある「危険物施設」での空調施工は、極めて高度な独自技術を必要とする領域です。施主からの直接発注をメインとすることで、価格競争に巻き込まれない適正価格での受注を実現しています。
また、法や基準に準拠するだけでは1億円ものコストを投入しなければならないところを、製造環境に合わせて設備を調整し一貫対応できる弊社であれば、6000万円ほどで済ませられるのも大きな強みです。
特殊環境への対策が必要なメーカーからの需要を実感
これだけ難しい領域であれば競合もいないだろうとHPに事例を掲載したところ、全国から依頼が寄せられるようになりました。現在は、食品関連業のほか、AGCや富士フイルム、旭化成、信越化学などの大手メーカーや工業系商社から仕事が舞い込むようになってきています。大企業であれば、取引先やグループ会社、出入りしている業者に声をかければ済むですが、わざわざ弊社に問い合わせてくる会社があるほどなので、水面下には何倍もの需要があると見込んでいます。
全国の大手工場も指名するセールスエンジニアの存在
現在、私自身は、栃木県冷凍空調工業会の理事長を務めています。全国の同業が集まる機会がありますが、局所排気装置や空調に特化した業者はとても珍しいらしく、同業からも興味を持たれます。真似をしようとする業者もいますが、弊社と同じレベルの一貫施工ができる業者は全国でもまだないようです。
競合がいない分、弊社に仕事が集中するので、現在は弊社社員が全国の各現場を回り、対応してくれています。単なる施工に留まらず、排気と給気のバランスを最適化するトータルコーディネートが可能なのは、提案から設計、申請、施工、保守までを完結できる、セールスエンジニアが育ってくれているからです。空調施工業者は数あれど、労働安全衛生法や消防法などの法令への深い知識と、危険物施設の防爆施工の実績を併せ持つエンジニアは大変貴重です。
一方で、人的リソースが限られていることや、ニッチな領域なのでシナジーを生み出せるような協業先が見つからないのが目下の課題であり、弊社の技術を必要としているお客様にアプローチできるようにしていきたい考えです。
人、製品、製造環境に合わせた設備導入の交渉と工夫
HPの事例を見て問合せたというお客様の中には、他県の消防署からご相談も複数ありました。事例の防爆空調機について「我々も相談を受けたが、前例がないので許可を出していいのかわからない。消防署がゴーサインを出せた理由を知りたい」という質問だったので、オーバースペックになっている箇所や改善点を説明しましたが、その後も、西日本の各消防署から同様の問合せが寄せられました。
法基準への準拠はもちろん大事ですが、事業継続と作業者の働きやすい環境づくりの両立のためには、今ある設備環境をどのように改善すれば適切な運用ができるかという、柔軟な視点や工夫も必要です。設置導入側のお客様は、各署から「こうしなさい」と指示されると真に受けてしまいますが、オーバースペックになってしまっている部分は、コスト面や機能面からも交渉して調整すべきです。
弊社では、各署との交渉に自信のないお客様の事前協議に付き添い、最適なスペックの設備を施工できるよう交渉しています。弊社がサポートについた時点で、お客様にも各署にも安心していただけるまでになっており、現在は社員に事前協議の権限を委譲しているので、よりスムーズな対応ができるようになっています。
新社屋がエース級技術者の育成とESG経営のシンボルに
自社課題の解決と、現場対応力の向上のためには、エース級の専門スタッフの育成が鍵になると感じています。そのため、2027年に完成予定の新社屋には、開発中の小型防爆エアコンの内製化を行う工場ととともに、実機を用いた実践型のトレーニング施設を設ける予定です。VR施工シミュレーターやスマートグラスによる遠隔指導などのDXも活用し、未経験者でも短期間でプロへ育てる環境づくりを目指します。最新の省エネ設備を備えながら、災害時には地域の避難施設として開放する構想をもあり、ESG経営の体現により、持続可能な地域社会の実現に貢献したい考えです。現場の作業進行としては、難しい案件の場合は2、3カ所の現場を同時に進めてもらっていますが、人財の育成により5、6カ所できる体制にしていくのが目標です。
業界の技術者不足は深刻であり、待遇さえ改善できれば技術者も残ってくれるだろうと思います。弊社で働き、独立した方の後継者を引き受けて育てているのも、技術者育成の一環です。5年間で一人前に育てて親元に返す約束ですが、ほかの社員と同様の待遇で働いてもらっています。
まずは弊社に来てくれた技術者を一人前に育てていくことに集中し、その延長として業界の人財不足を解消できたらと考えています。需要に応えてサービスを提供していけるように、今できることを着実にこなしていきたいと思っています。
ニッチ領域の特性を活かし社員の意欲を後押しする環境づくり
優秀な技術者の育成のため、国家資格取得にかかる費用は全額会社負担とし、合格後には永続的な資格手当を支給しています。
営業職を設けず、それぞれの技術者に営業を任せているのも、主体性や意欲を後押しする工夫の一つです。弊社の場合は、提供できるサービスが明確でニーズもあるため、営業の経験やテクニックがなくとも仕事が決まります。未経験でも成功体験を3度重ねれば自信につながるので、4件目からは社員が自主的に行動してくれます。
採用としては、栃木県内だけでなく他県からも優秀な人財を獲得できるように、大学の理工学部や技術系の研修学校などにも声をかけています。設備の取付だけでなく、構造や性能を熟知してメンテナンスもできるようなレベルの高い技術者を業界全体で育てていくために、技能五輪の主催者側にも年齢制限を撤廃するよう働きかけているところです。
時代の風を読み、自らの手で「みち」を創り出す
「風を読み、みちをつくる」の経営理念には、幾多の荒波を乗り越え歩み続けてきた、先代へのリスペクトと未来への思いを込めています。時代の変化という「風」に流されるのではなく、その風がどこへ向かうのかを読み解き、市場が求める「みち」を自ら切り拓けるように、社員も私自身も歩みを進めていきたいと思っています。
この理念を定めたのはコロナ禍の最中で、理念のようにこれまでとは違うことをしてみようと思い立ち、工業系に強い全国の商社30社を調べて、栃木県に営業所を置く会社3社に私が自ら電話をしてみることにしました。見ず知らずの社長からかかってきた突然の電話に役職者が対応するわけがなく「弊社との取引は絶対にメリットになります。HPを見て面白いと思ったら明日電話ください」と受付の方に伝言を残してもらったところ、3社のうち2社から返事があり、そこから取引が始まった会社もありました。
現在は、アプローチをせずとも全国から依頼が寄せられるようになりましたが、理念として思いを掲げておくことで、行き詰まったときに立ち返る指針としたいと思っています。
小型防爆エアコンの全国展開と「100億宣言」を目指す
弊社は中小企業庁の「100億宣言」に参画し、2034年度に売上高100億円を目指す起爆剤として、自社開発の「小型防爆エアコン」の量産を2027年から本格スタートする予定です。酷暑が続く近年は、各事業所での熱中症対策が義務化されましたが、危険物を扱う工場では、防爆機能の施された専用エアコンを設置せねばならず、ほかの業種よりもコストがかさみます。現場で実績を蓄積させた弊社の製品であれば、工場の規模や環境に合わせたスペックの設備を一貫施工できます。コスト面から導入を諦めていた全国の小規模化学工場に、安全と快適の提供していきたい考えです。
ニッチな領域から可能性を広げられる協業先を検討
日本の基幹産業はものづくりであり、時代によって半導体などのように突出する製品や業種はあっても、国が急に方針転換をしたりメーカーが無くなったりすることはなく、弊社の事業としては安定的なポジションにつくことができたと考えています。
国内では、安全衛生の厳格化によって防爆技術や局所排気技術が求められるようになっていますが、弊社には国内だけでなく海外からも「日本のように安全性の高い設備を工場に設置してほしい」という声も届くようになりました。
M&Aに関しても、後継者のいない同業から声がかかることがあります。局所排気装置や防爆空調というニッチな領域から可能性を広げて持続可能な経営につなげられるような、強い基盤をもつ先と連携していけたらと思っています。
冷凍冷蔵機専門の設備業者として波乱のスタートを切る
田崎設備株式会社の歩みは、1975年11月に先代の田崎健行が創業した、有限会社田崎設備から始まりました。
創業以前、先代は福島県の設備会社にて長い間専務を務めていましたが、その会社は構造的な課題を抱えていたため経営を改善できず、先代は体調を崩したのをきっかけに故郷の宇都宮に戻ることになりました。そして療養生活ののちに故郷での独立を決意し、冷凍冷蔵機のノウハウを活かして、資金も人脈もないゼロの状態から事業をスタートしました。
事務所は自宅の目の前にあり、電話も共用だったので、先代の創業時に11歳だった私は、家庭と会社がほぼ一続きの環境下で学生時代を過ごしました。創業から3年ほどの間は、経営が安定せず焦りや不安で周りに当たる父と、負けん気の強い母が資金繰りをめぐって取っ組み合いの喧嘩をすることもあったので、子ども心に「大変そうだから、家業とは違う仕事に就こう」と思っていたのを覚えています。
卓越した営業センスと提案で一気に売上を伸ばした先代
創業から3年ほどは仕事のない日が多くありましたが、創業から4年ほど経った頃には、街なかにある魚屋や肉屋などの小売店からの受注が徐々に増えていきました。
先代は、冷凍冷蔵機やショーケースの設置だけでなく、店に合わせた改装の提案などの、今でいうコンサルティング型の営業によって売上を伸ばしていきました。大手製パン会社から「シェアナンバーワンの他社に負けない売り場にしたい」との依頼を受けたときには、冷蔵冷凍機や店内改装だけでなく外装にも着手し、お客様の売上向上に努めました。その甲斐あって、お客様の大手製パン会社がほかのお客様を紹介してくれるようになり、創業5年目には売上が2億円を超えるまでに成長していきました。
先代には、「あの仕事はやめた方がいい、この仕事はとことん攻めよう」と勘が働く部分があり、商機があると確信したお客様には、相手がたとえ他社と契約をしていようとも、朝から玄関前まで土下座をしに行って取引先を変えるメリットを訴え、根負けしたお客様に契約し直してもらうという、今では考えられないような営業の仕方もしていました。
今振り返ると、創業から3年ほどの間仕事がなかったのも、先代がリスクの高い仕事と低単価ながら安心して請け負えるものを選り分けていたのかもしれません。先代は、戦時中に結核で片方の肺を失い、無理がきかない体質でしたが、その分ほかの感覚が研ぎ澄まされていたのだろうと思います。
反面教師にしていた先代の人生を家業として引き継いだ決意
私の高校受験のあたりには、家業は軌道に乗り始めていましたが、当時の私は先代の仕事について理解しようとはせず、むしろ先代の生き方を反面教師にしようとしていました。私は三人兄弟の長男だったので、「工業高校に行け、大学なんか必要ない」との先代の話を聞かず、母の「後は継がず大学に行きなさい」の言葉を受けて、日本大学の法学部に進学しました。大学に入ってからは、商社マンになりたいと思うようになりましたが、先代から「サラリーマンになるために高い金を出して大学に入ったのか」と問われ、売り言葉に買い言葉で「自分の力で商売をするつもりだ」と言い切り、商社マンから公認会計士へと目標を変えて、アルバイトをしながら専門学校に通い始めました。
そして日商簿記1級を取得し、あと3教科で税理士資格が得られるところまでいった大学3年生のときに先代が倒れ、そこでようやく先代が切り拓き発展させてきた事業の道のりと重みを知ることとなりました。
先代は一命をとりとめましたが、家業と自分の進路、どちらを選ぶべきか思い悩んでいたところ、お世話になっていた公認会計士で大学の先生から「君自身のプライドを立てるよりも、父親の積み上げてきたものや歩みをもっと見つめ直した方がいい。君にしかできないことがあるはずだ」とのアドバイスをもらいました。そして真剣に悩んだ末、家業は息子である私にしか継ぐことができないと思い至り、大学4年のときに後継者として家業に入ることを決意しました。
知識経験ゼロ、苦手分野の現場で経験を積んだ修行時代
ただ、家業については何も知らない状態だったので、大学卒業後には地元の電気の制御盤を組む会社で2年間の修行を積むことにしました。修行候補先は、電気系と設備系の2社があり、一番苦手な分野に挑戦すれば大概のことは耐えられるようになるだろうとの考えから、電気関連の会社を選びました。しかし、いかんせん苦手な分野なので仕事がなかなか覚えられず、大変苦労しました。
ただ、まったく知識のない中で現場を見た分、勉強になった面も多くあります。修行先の会社は、仕事がない中で無理をして案件を獲得しており、場数を踏めないまま急に仕事が入るので失敗が多く、そのフォローのために何人もの作業員が出向せねばならず大変非効率でした。また、他社が断るような仕事は、4日間寝ずに取り組まなければ終わらないなどの負担が大きいものばかりで、現場で働く人や経営の安定のためには、案件の選別と仕事量の安定化が必要だという実感を得ました。現場で作業をしながら経営の視点で物事を見るようになるうちに、先代の優れた営業感覚、経営センスを改めて感じられるようになっていきました。
大手コンビニの台頭と商店の衰退が招いた経営危機
修行を経て私が家業に入社したのは、1987年の25歳のときでした。私は、“売れる店づくり”というコンサルティングの視点で経営を続けてきた先代の考え方に面白さを感じ、独学でマーケティングの勉強をはじめました。そして入社から2年ほど後には、バブル景気がピークを迎え、街なかの商店は大手コンビニエンスストアの台頭により徐々に衰退していきました。
先代は、倒れたときの後遺症から外に出なくなっていたので、私が営業に出るようになりましたが、お客様が撤退していく状況下では懸命に営業に回っても収益の安定化は見込めず、経営危機に陥りました。新領域を開拓する必要があると強く思うようになり、病床の先代に私なりの考えを伝えたところ「とらわれるな」と、本質を見極めるよう背中を押され、新たな柱となる領域を模索しはじめました。
目先の利益にとらわれない経営判断の大切さを痛感
新事業を模索する中で、35歳のときに先代が逝去し、私が社長に就任することとなりました。建築部門を専門としている私の三番目の弟の取引先を経由して、街なかの商店から食品工場へとアプローチ先を変えましたが、ルートの確立されている製造工場に関係性のない業者が入る余地はなく、社長となり3年が経っても経営は苦しいままでした。
そのような中で、茨城県にある老舗の酒屋が店を直すという情報を得ました。気にかかる点は多くありましたが、数千万円を超えるこの案件でどうにか経営を立て直したいという焦りが判断を鈍らせ、無理を押して引き受けてしまいました。
ところが悪い予感は当たり、あと少しで店が完成するというところで、振り出してもらった手形の一部が不渡りとなってしまいました。手形を割り引いて支払いに充てていた弊社も資金繰りが一気に悪化し、家族に金を借りてどうにか店を完成させてオープンまでこぎつけることはできましたが、お客様は銀行の取引停止で店の棚には商品が入らず、商品がないので客も入らず、半年後には閉店、一家離散となってしまいました。競売による土地の処分で2500万円は戻りましたが、100万円ほどが回収できず、目先の利益にとらわれ経営判断を誤れば、自社に非がなくとも後々大きな痛手を被ることを身をもって学びました。
1件の問合せに向き合う姿勢が事業の可能性を広げる
手痛い失敗を経験しましたが、建築と設備を担う弟の会社が、商社から依頼を受けるようになり、工場の建設設備を任されるようになっていったことで、弊社の取引先も少しずつ変化していきました。
弊社のお客様が大きく変わりだしたのは、同地域の企業と取引をしている商社からの問合せからでした。「労基署から局所排気装置を設置するようお客様に指導が入ったので、田崎さんのところでサポートしてあげてほしい」と頼み込まれ「大事な取引先だから頼む」と念を押されましたが、局所排気装置はこれまで取り扱った経験がなく、どのような機構の装置なのかもまったくわかりませんでした。
何とかしなければと思い、まずは指導をおこなった労基署に聞きに行ったところ、労働安全法の基準を満たす装置を準備し、数値などを書いて提出すれば認められると説明されました。設備の理解のためにはより深く具体的に理解する必要があり、さらに調べを進めると、局所排気装置の有無は、その空間で働く方の健康に直接関わることから、企業側の管理責任にも紐づいていることがわかり、設備を導入する企業だけでなく、われわれ施工業者側も、作業員の方の労働環境をつくり上げる責任の重さを理解して取り組まねばならないと強く感じました。
トライアル・アンド・エラーの実績が法基準の根底を覆す
そして、局所排気装置の調整に取りかかりましたが、排気が思うようにいかず、失敗を重ねました。排気のために送風機を強化すれば、騒音が出て振動対策が必要になり、お客様が納得されてもデータが基準値を下回れば見直しをせざるを得ませんでした。排気の基準値を満たすことができても、ドアの隙間や排水口から浄化されていない空気が入ってきてしまうため、給気口にも手を加えなければならないなど、次から次へと課題が出てきました。
排気と給気のバランスを整えるために給気口の設備や施工について調べたところ、空気の取入れに関する設備の設置施工は、消防の許可が必要になることがわかりました。弊社が局所排気装置の取付を依頼されたのは、車の塗料を製造している工場で、アルコールやガソリン、有機溶剤のトルエンなどの危険物を使用しています。静電気が起こるだけでも爆発の危険性があり、一般的な電気設備を入れることができないため、局所的な設備のみならず空間を満たす空気にも配慮せねばならず、素材や機器の選定に大変苦労しました。
また、その工場では高級外国車用の塗料を製造しており、出来がいいと倍の高値で買ってもらえますが、品質が悪いとすべて返品されてしまうので、人への安全性だけでなく、製造に最適な空間づくりをすることもミッションとして加わりました。車の塗料は非常に繊細で、温度や湿度によって品質が大きく変わり、春、梅雨、夏、冬と季節ごとに配合量をすべて変えているそうです。弊社の設置する設備が、製品の品質や売上にも響いてしまうというプレッシャーも重くのしかかりました。
温度湿度を安定的に保ちながら法基準を満たす製造環境を整えるために、気が遠くなるほどのトライアル&エラーを繰り返しましたが、現場ではどうやっても基準値と実数値が見合わないケースがあり、全国的な傾向を調べてデータを突き合わせたり、時には消防署に異議を申し立てたりすることもしました。法律には現場環境に基づく具体的な数値などの詳細は書かれておらず、各署も前例がないのを嫌がるためなかなか許可が下りませんでしたが、弊社が実践と実績をもって証明し覆すことで、塗料工場からの依頼を無事クリアすることができました。
作業員の労働環境と命を守る局所排気装置の事業化
1件目の塗料工場は無事施工が完了したのを機に、特殊空調の事業化へと踏み切りましたが、ノウハウが定着するまでには5年ほどの月日と多額の費用がかかりました。難しい仕事の割に利益が出ないので、途中で何度もやめようと思いましたが、独自技術として実績を蓄積できれば弊社の最大の強みになると思い、どうにか踏みとどまりました。現在は、大変な過程を乗り越え、施工先のお客様からご愛顧いただくだけでなく、お客様を通じて全国の企業様からお問合せをいただくようになっています。
現在の設備施工としては「冷凍空調」「局所排気」「防爆エアコン」を3本柱としており、特に引火・爆発の危険がある「危険物施設」での空調施工は、極めて高度な独自技術を必要とする領域です。施主からの直接発注をメインとすることで、価格競争に巻き込まれない適正価格での受注を実現しています。
また、法や基準に準拠するだけでは1億円ものコストを投入しなければならないところを、製造環境に合わせて設備を調整し一貫対応できる弊社であれば、6000万円ほどで済ませられるのも大きな強みです。
特殊環境への対策が必要なメーカーからの需要を実感
これだけ難しい領域であれば競合もいないだろうとHPに事例を掲載したところ、全国から依頼が寄せられるようになりました。現在は、食品関連業のほか、AGCや富士フイルム、旭化成、信越化学などの大手メーカーや工業系商社から仕事が舞い込むようになってきています。大企業であれば、取引先やグループ会社、出入りしている業者に声をかければ済むですが、わざわざ弊社に問い合わせてくる会社があるほどなので、水面下には何倍もの需要があると見込んでいます。
全国の大手工場も指名するセールスエンジニアの存在
現在、私自身は、栃木県冷凍空調工業会の理事長を務めています。全国の同業が集まる機会がありますが、局所排気装置や空調に特化した業者はとても珍しいらしく、同業からも興味を持たれます。真似をしようとする業者もいますが、弊社と同じレベルの一貫施工ができる業者は全国でもまだないようです。
競合がいない分、弊社に仕事が集中するので、現在は弊社社員が全国の各現場を回り、対応してくれています。単なる施工に留まらず、排気と給気のバランスを最適化するトータルコーディネートが可能なのは、提案から設計、申請、施工、保守までを完結できる、セールスエンジニアが育ってくれているからです。空調施工業者は数あれど、労働安全衛生法や消防法などの法令への深い知識と、危険物施設の防爆施工の実績を併せ持つエンジニアは大変貴重です。
一方で、人的リソースが限られていることや、ニッチな領域なのでシナジーを生み出せるような協業先が見つからないのが目下の課題であり、弊社の技術を必要としているお客様にアプローチできるようにしていきたい考えです。
人、製品、製造環境に合わせた設備導入の交渉と工夫
HPの事例を見て問合せたというお客様の中には、他県の消防署からご相談も複数ありました。事例の防爆空調機について「我々も相談を受けたが、前例がないので許可を出していいのかわからない。消防署がゴーサインを出せた理由を知りたい」という質問だったので、オーバースペックになっている箇所や改善点を説明しましたが、その後も、西日本の各消防署から同様の問合せが寄せられました。
法基準への準拠はもちろん大事ですが、事業継続と作業者の働きやすい環境づくりの両立のためには、今ある設備環境をどのように改善すれば適切な運用ができるかという、柔軟な視点や工夫も必要です。設置導入側のお客様は、各署から「こうしなさい」と指示されると真に受けてしまいますが、オーバースペックになってしまっている部分は、コスト面や機能面からも交渉して調整すべきです。
弊社では、各署との交渉に自信のないお客様の事前協議に付き添い、最適なスペックの設備を施工できるよう交渉しています。弊社がサポートについた時点で、お客様にも各署にも安心していただけるまでになっており、現在は社員に事前協議の権限を委譲しているので、よりスムーズな対応ができるようになっています。
新社屋がエース級技術者の育成とESG経営のシンボルに
自社課題の解決と、現場対応力の向上のためには、エース級の専門スタッフの育成が鍵になると感じています。そのため、2027年に完成予定の新社屋には、開発中の小型防爆エアコンの内製化を行う工場ととともに、実機を用いた実践型のトレーニング施設を設ける予定です。VR施工シミュレーターやスマートグラスによる遠隔指導などのDXも活用し、未経験者でも短期間でプロへ育てる環境づくりを目指します。最新の省エネ設備を備えながら、災害時には地域の避難施設として開放する構想をもあり、ESG経営の体現により、持続可能な地域社会の実現に貢献したい考えです。現場の作業進行としては、難しい案件の場合は2、3カ所の現場を同時に進めてもらっていますが、人財の育成により5、6カ所できる体制にしていくのが目標です。
業界の技術者不足は深刻であり、待遇さえ改善できれば技術者も残ってくれるだろうと思います。弊社で働き、独立した方の後継者を引き受けて育てているのも、技術者育成の一環です。5年間で一人前に育てて親元に返す約束ですが、ほかの社員と同様の待遇で働いてもらっています。
まずは弊社に来てくれた技術者を一人前に育てていくことに集中し、その延長として業界の人財不足を解消できたらと考えています。需要に応えてサービスを提供していけるように、今できることを着実にこなしていきたいと思っています。
ニッチ領域の特性を活かし社員の意欲を後押しする環境づくり
優秀な技術者の育成のため、国家資格取得にかかる費用は全額会社負担とし、合格後には永続的な資格手当を支給しています。
営業職を設けず、それぞれの技術者に営業を任せているのも、主体性や意欲を後押しする工夫の一つです。弊社の場合は、提供できるサービスが明確でニーズもあるため、営業の経験やテクニックがなくとも仕事が決まります。未経験でも成功体験を3度重ねれば自信につながるので、4件目からは社員が自主的に行動してくれます。
採用としては、栃木県内だけでなく他県からも優秀な人財を獲得できるように、大学の理工学部や技術系の研修学校などにも声をかけています。設備の取付だけでなく、構造や性能を熟知してメンテナンスもできるようなレベルの高い技術者を業界全体で育てていくために、技能五輪の主催者側にも年齢制限を撤廃するよう働きかけているところです。
時代の風を読み、自らの手で「みち」を創り出す
「風を読み、みちをつくる」の経営理念には、幾多の荒波を乗り越え歩み続けてきた、先代へのリスペクトと未来への思いを込めています。時代の変化という「風」に流されるのではなく、その風がどこへ向かうのかを読み解き、市場が求める「みち」を自ら切り拓けるように、社員も私自身も歩みを進めていきたいと思っています。
この理念を定めたのはコロナ禍の最中で、理念のようにこれまでとは違うことをしてみようと思い立ち、工業系に強い全国の商社30社を調べて、栃木県に営業所を置く会社3社に私が自ら電話をしてみることにしました。見ず知らずの社長からかかってきた突然の電話に役職者が対応するわけがなく「弊社との取引は絶対にメリットになります。HPを見て面白いと思ったら明日電話ください」と受付の方に伝言を残してもらったところ、3社のうち2社から返事があり、そこから取引が始まった会社もありました。
現在は、アプローチをせずとも全国から依頼が寄せられるようになりましたが、理念として思いを掲げておくことで、行き詰まったときに立ち返る指針としたいと思っています。
小型防爆エアコンの全国展開と「100億宣言」を目指す
弊社は中小企業庁の「100億宣言」に参画し、2034年度に売上高100億円を目指す起爆剤として、自社開発の「小型防爆エアコン」の量産を2027年から本格スタートする予定です。酷暑が続く近年は、各事業所での熱中症対策が義務化されましたが、危険物を扱う工場では、防爆機能の施された専用エアコンを設置せねばならず、ほかの業種よりもコストがかさみます。現場で実績を蓄積させた弊社の製品であれば、工場の規模や環境に合わせたスペックの設備を一貫施工できます。コスト面から導入を諦めていた全国の小規模化学工場に、安全と快適の提供していきたい考えです。
ニッチな領域から可能性を広げられる協業先を検討
日本の基幹産業はものづくりであり、時代によって半導体などのように突出する製品や業種はあっても、国が急に方針転換をしたりメーカーが無くなったりすることはなく、弊社の事業としては安定的なポジションにつくことができたと考えています。
国内では、安全衛生の厳格化によって防爆技術や局所排気技術が求められるようになっていますが、弊社には国内だけでなく海外からも「日本のように安全性の高い設備を工場に設置してほしい」という声も届くようになりました。
M&Aに関しても、後継者のいない同業から声がかかることがあります。局所排気装置や防爆空調というニッチな領域から可能性を広げて持続可能な経営につなげられるような、強い基盤をもつ先と連携していけたらと思っています。
会社概要
| 社名 | 田崎設備株式会社 |
| 創立年 | 1975年 |
| 代表者名 | 代表取締役 田崎 利也 |
| 資本金 | 2,000万円 |
| URL |
https://tasaki-s.co.jp/
|
| 本社住所 |
〒321-4364 |
| 事業内容 | ■冷凍冷蔵設備の設計施工・アフターサービス ■局所排気装置の設計施工・点検 ■業務用エアコン・ダクト工事 ■恒温恒湿空調・クリーンルームの設計施工 |
| 関連会社 |
会社沿革
| 1975年 | 有限会社田崎設備として創業 |
| 1996年 | 一般建設業許可 栃木県知事許可を取得(管工事・建築工事) |
| 1999年 | 創業者田崎健行の死去に伴い、代表取締役に田崎利也就任 |
| 2000年 | 資本金1000万円に増資、田崎設備株式会社に組織変更 |
| 2016年 | 本社移転 |
| 2019年 | 建設業許可 電気工事 |
| 2022年 | 資本金2000万円に増資 特定建設業許可 栃木県知事許可を取得(管工事) 一般建設業許可 栃木県知事許可を取得(建築工事業・電気工事業・熱絶縁工事業) |
公開日:2026/07/27
※本記事の内容および所属名称は2026年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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