岐阜・高山市
岐阜 ・ 高山市
融雪設備・
株式会社しげん
豪雪地で育まれた知恵と「ものづくりの心」で築かれるあたたかな信頼
経営理念
努力・追求・誠実
- お客様に満足して頂けることが、私たちにとって最大の
喜びであることを忘れず努力します - アンテナを高く張り、お客様や社会から
必要とされているものを探し追及する努力を継続します - すべてのステークホルダーに対して誠実であり、
尊重と信頼関係を継続するよう努力します - 「いきいき」「わくわく」があふれる人生を送るために、
向上心を持ったチャレンジャーであり続けるよう努力します
代表者メッセージ
弊社は、1979年に初代が創業して以来、融雪設備や太陽光発電設備の設計・施工、床暖房設備の設計・施工など、飛騨地方に留まらず全国各地で多様な電気設備工事に携わっています。
特に融雪設備の設計・施工においては、これまで積み重ねてきた実績とノウハウから、他の追随を許さないほどの技術力を持っていると自負しております。豪雪地帯の高山で45年間にわたり培ってきた技と知恵に加えて、創業当初から脈々と受け継がれてきたものづくりの心を生かした工事、また他社ではあまり手がけない細やかなメンテナンスを通して、「雪国特有の課題を解決する企業」として信頼をいただいております。
弊社はこれからも、お客様や地域、社会が抱える降雪時期の課題解決をミッションのひとつに掲げ、でしか対応できない融雪電気工事やメンテナンスを通して広く貢献していきたいと考えております。
お客様に満足して頂けることが、私たちにとって最大の喜びであることを忘れず、卓越した技術とノウハウで常に社会やお客様に必要とされ、喜ばれる会社となれることが目標です。
そのためには、社員一同常に向上心を持ち、時代のニーズを先取りしながら、皆様に「しげんに任せれば安心」と思っていただけるよう、今後とも努力し続けて参ります。
代表取締役社長 島ノ上 宏之
私たちのこだわり
省エネの動向を見据え、断熱工事の専門会社を設立
弊社は1979年に有限会社しげんとして創業し、今年で45年目という大きな節目を迎えることができました。
創業者は私の父である現会長です。父の実家は農家で、周りに経営者はおらず、将来の選択肢は農家か勤め人しかなかったと聞いています。父はサラリーマンとして電子系の企業を転々と渡り歩いていましたが、働くうちに経営者になりたいという思いが強くなっていったそうです。
父には、誰も挑戦したことのない物事にチャレンジしてみたいという考えもあり、当時はまだ珍しかった「省エネ」に注目し、「しげん」という社名のもとで、断熱工事を主業としてスタートしました。創業年には、オイルショックの混乱を受けた国が「エネルギーの使用の合理化等に関する法律(省エネ法)」を制定しており、国や時勢に合わせた省エネ事業に取り組んでいけば、会社としても安定しお客様にも喜んでいただけると思ったのかもしれません。
創業時は、父と父の連れ合いの2人で新規開拓を進めていきました。父が事業として行っていたセルロースファイバー断熱工法は、点検口などから天井や壁などに新築・既築問わず吹き込みできる工法で施工することができます。しかも、不燃性と遮音性も高いため、高性能な製品でした。しかし、昔の日本は断熱に対する意識が低かったため大ヒットとはいかず、創業から最初の10年間の経営は厳しいものがあったと聞いています。
外部環境に対応できるよう複数の事業の柱で安定化を図る
ただ、当初から断熱工事だけでなく、当時地元にあった大手家電製造工場の下請けとしてテレビのチューナー部分の製造などを請け負うようになります。また、その延長で製造ライン設備で使用される治具の設計・製作、製造ラインの移設、設備の販売なども行うようになりました。そして、1980年代には、のちの主力となる電気融雪設備、電気床暖房の設計・施工もスタートしました。
そして1990年代に入ると、雪深い高山地域のニーズの高まりを受けて、教育・文化、医療・福祉、商業、ホテル・宿泊、オフィス・工場・倉庫などの施設から、道路・歩道・公園・鉄道・電力の各施設まで、公共・民間問わず融雪工事・床暖房工事が増えていきます。
その一方で、電子関係の下請けの仕事は、海外への委託が進み、海外企業にコストで対抗できなくなったことから、数年間は赤字が続いていました。大手との取引をやめることは、地域の他のステークホルダーとの取引に響くかもしれず、勇気がいることでしたが、自社を守るために電子製造業からの撤退を決意しました。断熱工事業も2000年代前半に撤退することになりましたが、融雪・床暖房設備・太陽光発電設備などの設計・施工や、省エネ設備、製造ライン設備の販売・メンテナンス・移設工事などに力を入れています。
父は、安定経営を目指し、複数の事業の柱を持つことでリスク分散を図る方針で経営を続けてきました。たとえ1つの柱が倒れても、他の柱で会社を支えられるようにするためです。しかし、事業を切り捨てるだけでは、企業としての信頼を損なうことになりかねません。弊社を信頼して依頼してくださるお客様からの信頼に応えるため、事業は変化してもアフターサービスには対応できるよう、社内にノウハウを蓄積させています。自社だけではなく、お客様のフォローを忘れないスタンスは、創業時から変わりません。
16年の修業期間を経て家業を継ぐ
父がサラリーマンだったころは、私は学生で、父の転職とともに3回転校しました。中学2年生の夏休み前に父が会社経営をスタートし、これまでの借家住まいだったところから、初めて自宅を構えて定住できるようになったので新生活へ期待感を抱いていました。中学生のころには、父が取引先から請け負った内職の仕事を手伝ったこともありました。
中学校の進路選択の時期には、父から「大学に行かせる余裕はないので、卒業後すぐ就職できる高校を選んでほしい」と言われ、もともと電気が好きだったことから電子科に進むことにしました。
高校を卒業後は、父の勧めで付き合いのある電子部品メーカーに就職しました。高山に本社がある会社の東京営業所です。先輩に恵まれ、昔は働き方改革がなかったので休日出勤も多く、寝袋で会社に寝泊りするようなこともありました。東京での修行期間の目安は5年でしたが、5年経つ頃には仕事が面白くなり、辞められなくなってしまいました。結果として16年も勤めることになりましたが、この経験が今の自分を支えていると思います。
家業へ戻ることを決めたのは、「長男だから会社を継がなければ」という思いが年々強くなっていったからです。
そして、33歳の時に家業に入り、まずは社内の業務を一通り経験しました。前職で取り組んでいた業務とは全くの畑違いでしたが、16年の経験をどう活かせるのかを常に考え続けました。自分の知識を役立てて新しい風を吹かせていきたいという思いは、今でもずっと持ち続けています。
その後、取締役常務を経て2017年に2代目の社長に就任しました。会長は、現在は85歳ですが、元気で仕事にも前向きなこともあり、私は社長就任後も現場で仕事をすることが多いです。
現場は、ただ作業をするだけの場ではなく、お客様と接点をもち弊社の仕事を実際に見てもえる営業の一環だと思っています。一つとして同じ現場はないので、常に現場から学び、お客様のために何ができるかを考えていくことが、組織運営の原点だと思っています。
社内実験やデータ分析で製品を徹底的に理解し信頼を得る
弊社の強みは、「技術力」だと思っています。大手メーカーとの取引により蓄えたノウハウを吸収し、また一部は自社で進化させます。そして、自社で取り扱う製品は、特性まで徹底的に理解して日々の現場対応によりブラッシュアップし続けています。これは、融雪・床暖房設備だけでなく、製造ライン設備など多業種に携わってきた弊社ならでは、そして弊社らしい良いところだと思っています。
例えば、融雪ヒーターの場合、温度分布や電流変化の測定など、普通の設計・施工業者ではやらないようなことをよくします。これは、「自分たちが使用する製品だから、より深く理解しよう」という姿勢からきているもので、カタログや仕様書など一般的に公開されている資料どおりの製品なのか、記載以外に注意しなければならない特性や特徴があるのかなどを確かめます。実験に基づく知識と設置環境や動作などの現場データをとり続けることで、問題が発生した場合でもメーカーに頼りきりにならず、自社で迅速に対応できることが多いです。また、1つの技術はその業種だけではなく、その他多くの業種に必ず役立つと常々思っています。
製品についても、より詳細な仕様をメーカーから入手することにより、施工やアフターサービスに活かしています。自社にノウハウがあれば、メーカーとのやりとりでお客様をお待たせせずに済み、製品を深く理解することでより効率的な施工が可能となります。若い従業員にも「ただ仕事をするのではなく、注意力を持って仕事をしなさい」と指導、現場経験や知見の蓄積により、マニュアル化できない応用力の部分を磨いてもらっています。
お客様からも丁寧な仕事ぶりを高く評価していただいており、施工時も施工後もトラブルやクレームはほとんどありません。ただ、雪という自然が相手であるため、想定外の雪の積もり方をする場合があって、うまく融雪できない場合でも、考えて考えて解決することで顧客満足に繋げています。
また、お客様からご依頼をいただいた設備がオーバースペックであった場合や、指定された設置場所では製品が性能を発揮しきれないと判断した場合は、より最適な製品やプランを提案するようにしています。一方で、製品を取りつける必要がない場合は、施工をお断りすることもあります。商売をする上では、売上だけを目的とするのではなく、嘘をつかない「お客様目線」が大切であり、誠実な経営をしてきたからこそ、弊社はこれまで経営することができたのだろうと思っています。
エネルギーコスト増と温暖化の逆境を新たな柱で打開したい
現在は、toBの仕事が多くなっていますが、toCの仕事も年間40、50件まで伸ばしたいと考えています。toCの案件は、製品の使い勝手や率直な意見などをお客様から直接聞くことができます。お客様の声は、社員のやりがいやノウハウの蓄積につながります。私自身もお客様とふれあえるtoCの仕事が好きなので、toBと同じくらいの熱量でtoCにも取り組んでいきたいと考えています。
今後の融雪設備業については、温暖化や電気料高騰への対応として、できるだけ電気を使わずに融雪機能を維持できる方法を模索したいと考えています。ヒーターは多くの電気を消費するため、雪を溶かしたい箇所だけ融雪できるように、センサーを増やし電力の使用量を減らす施工方法を検討しています。しかし、センサーを増やすとイニシャルコストがかかるので、機能とコストのバランスが非常に難しい点が課題です。
また、電気代の高騰に加えて、温暖化が進み、雪が降らなくなれば、融雪設備の需要はますます減っていきます。現在は、メイン事業である融雪設備業が今後厳しくなった時のための県外展開と、新たな基軸となる事業を模索しているところです。現在の事業とDXやAIなどの融合により、新たな主力事業の芽を育てられたらと思っています。
経営理念の定着と新HPの発信が社員の意欲を喚起
現在の社員は8名です。会社経営としては、手づくりの面白さを理解しあえる社員を育てていくことこそが、会社の今後の存続や発展に直結すると考えています。理念に「アンテナを高く張り、お客様や社会から必要とされているものを探し追及する努力を継続します」と定めているように、世の中のニーズをつかみ、新しい柱を構築することが今後の人と事業の発展の鍵だと捉えています。
また、私が社長に就任するまでは、弊社に企業理念はありませんでした。今後の中長期的な経営を考える上では、基軸となる考えや言葉が必要となるため、外部のサポートを得て私が理念を考え定めました。また、HPリニューアルにも力を入れ、従業員インタビューや社員の声なども盛り込むことで、顔と仕事の見えるページになりました。
若手を見ていると、新HPで自分の意気込みを発信したことで、より一層仕事に打ち込むようになり、理念があることで進むべき方向性が定まったように感じます。
M&Aを通じて小さな会社の人と技術の承継を後世に
今後の弊社の方向性としては、現主力事業のさらなる拡充と展開、そして新規事業の参入ができたらと考えています。
弊社では、創業まもない頃より製造ライン設備に携わってきました。以前は社内に製造ライン設備に使用される治具などを設計するスペシャリストがいましたが、現在はそのベテランが退職したことにより、当社の特長の一部が弱くなっていますが、販売代理店として韓国から製造ライン設備を輸入し、国内で製品を販売し、その一部は販売先がメキシコ、スペイン、中国、フィリピンなどの関連工場に輸出展開しています。販売だけでなくプラスαを目指し、さらに成長させていけたらと思っています。
そして地域への思いとしては、理念に共感できる会社様の事業承継ができたらと考えています。弊社のような小さな会社は、少子高齢化と市場規模の縮小にともない減少し続けています。地方なかで中小企業が生き残っていくには、M&Aを通じて会社同士が一体となり、力を蓄えていく必要があると考えています。弊社では、まだ事業承継の経験はありませんが、後継者不在でそのまま廃業してしまう会社様があるならば、働く人を守り、ノウハウを後世に残していくために引き継ぎたいと思っています。
仕入れ先や外注先、同業の電気工事会社にも、後継者がいない会社は多くあります。互いの理念に共感し合えるM&Aであれば、WIN WINの承継ができるはずです。承継にあたり重視したいことは、雑な仕事をせず、弊社の経営理念に賛同できる会社様であることです。財務の健全性は統合後にも改善できますが、人柄は天性のものであり、経営や取引先との付き合い方にもあらわれます。事業承継をする上では、お客様や社員を大切にしている会社様を引き継ぎたいと考えています。
省エネの動向を見据え、断熱工事の専門会社を設立
弊社は1979年に有限会社しげんとして創業し、今年で45年目という大きな節目を迎えることができました。
創業者は私の父である現会長です。父の実家は農家で、周りに経営者はおらず、将来の選択肢は農家か勤め人しかなかったと聞いています。父はサラリーマンとして電子系の企業を転々と渡り歩いていましたが、働くうちに経営者になりたいという思いが強くなっていったそうです。
父には、誰も挑戦したことのない物事にチャレンジしてみたいという考えもあり、当時はまだ珍しかった「省エネ」に注目し、「しげん」という社名のもとで、断熱工事を主業としてスタートしました。創業年には、オイルショックの混乱を受けた国が「エネルギーの使用の合理化等に関する法律(省エネ法)」を制定しており、国や時勢に合わせた省エネ事業に取り組んでいけば、会社としても安定しお客様にも喜んでいただけると思ったのかもしれません。
創業時は、父と父の連れ合いの2人で新規開拓を進めていきました。父が事業として行っていたセルロースファイバー断熱工法は、点検口などから天井や壁などに新築・既築問わず吹き込みできる工法で施工することができます。しかも、不燃性と遮音性も高いため、高性能な製品でした。しかし、昔の日本は断熱に対する意識が低かったため大ヒットとはいかず、創業から最初の10年間の経営は厳しいものがあったと聞いています。
外部環境に対応できるよう複数の事業の柱で安定化を図る
ただ、当初から断熱工事だけでなく、当時地元にあった大手家電製造工場の下請けとしてテレビのチューナー部分の製造などを請け負うようになります。また、その延長で製造ライン設備で使用される治具の設計・製作、製造ラインの移設、設備の販売なども行うようになりました。そして、1980年代には、のちの主力となる電気融雪設備、電気床暖房の設計・施工もスタートしました。
そして1990年代に入ると、雪深い高山地域のニーズの高まりを受けて、教育・文化、医療・福祉、商業、ホテル・宿泊、オフィス・工場・倉庫などの施設から、道路・歩道・公園・鉄道・電力の各施設まで、公共・民間問わず融雪工事・床暖房工事が増えていきます。
その一方で、電子関係の下請けの仕事は、海外への委託が進み、海外企業にコストで対抗できなくなったことから、数年間は赤字が続いていました。大手との取引をやめることは、地域の他のステークホルダーとの取引に響くかもしれず、勇気がいることでしたが、自社を守るために電子製造業からの撤退を決意しました。断熱工事業も2000年代前半に撤退することになりましたが、融雪・床暖房設備・太陽光発電設備などの設計・施工や、省エネ設備、製造ライン設備の販売・メンテナンス・移設工事などに力を入れています。
父は、安定経営を目指し、複数の事業の柱を持つことでリスク分散を図る方針で経営を続けてきました。たとえ1つの柱が倒れても、他の柱で会社を支えられるようにするためです。しかし、事業を切り捨てるだけでは、企業としての信頼を損なうことになりかねません。弊社を信頼して依頼してくださるお客様からの信頼に応えるため、事業は変化してもアフターサービスには対応できるよう、社内にノウハウを蓄積させています。自社だけではなく、お客様のフォローを忘れないスタンスは、創業時から変わりません。
16年の修業期間を経て家業を継ぐ
父がサラリーマンだったころは、私は学生で、父の転職とともに3回転校しました。中学2年生の夏休み前に父が会社経営をスタートし、これまでの借家住まいだったところから、初めて自宅を構えて定住できるようになったので新生活へ期待感を抱いていました。中学生のころには、父が取引先から請け負った内職の仕事を手伝ったこともありました。
中学校の進路選択の時期には、父から「大学に行かせる余裕はないので、卒業後すぐ就職できる高校を選んでほしい」と言われ、もともと電気が好きだったことから電子科に進むことにしました。
高校を卒業後は、父の勧めで付き合いのある電子部品メーカーに就職しました。高山に本社がある会社の東京営業所です。先輩に恵まれ、昔は働き方改革がなかったので休日出勤も多く、寝袋で会社に寝泊りするようなこともありました。東京での修行期間の目安は5年でしたが、5年経つ頃には仕事が面白くなり、辞められなくなってしまいました。結果として16年も勤めることになりましたが、この経験が今の自分を支えていると思います。
家業へ戻ることを決めたのは、「長男だから会社を継がなければ」という思いが年々強くなっていったからです。
そして、33歳の時に家業に入り、まずは社内の業務を一通り経験しました。前職で取り組んでいた業務とは全くの畑違いでしたが、16年の経験をどう活かせるのかを常に考え続けました。自分の知識を役立てて新しい風を吹かせていきたいという思いは、今でもずっと持ち続けています。
その後、取締役常務を経て2017年に2代目の社長に就任しました。会長は、現在は85歳ですが、元気で仕事にも前向きなこともあり、私は社長就任後も現場で仕事をすることが多いです。
現場は、ただ作業をするだけの場ではなく、お客様と接点をもち弊社の仕事を実際に見てもえる営業の一環だと思っています。一つとして同じ現場はないので、常に現場から学び、お客様のために何ができるかを考えていくことが、組織運営の原点だと思っています。
社内実験やデータ分析で製品を徹底的に理解し信頼を得る
弊社の強みは、「技術力」だと思っています。大手メーカーとの取引により蓄えたノウハウを吸収し、また一部は自社で進化させます。そして、自社で取り扱う製品は、特性まで徹底的に理解して日々の現場対応によりブラッシュアップし続けています。これは、融雪・床暖房設備だけでなく、製造ライン設備など多業種に携わってきた弊社ならでは、そして弊社らしい良いところだと思っています。
例えば、融雪ヒーターの場合、温度分布や電流変化の測定など、普通の設計・施工業者ではやらないようなことをよくします。これは、「自分たちが使用する製品だから、より深く理解しよう」という姿勢からきているもので、カタログや仕様書など一般的に公開されている資料どおりの製品なのか、記載以外に注意しなければならない特性や特徴があるのかなどを確かめます。実験に基づく知識と設置環境や動作などの現場データをとり続けることで、問題が発生した場合でもメーカーに頼りきりにならず、自社で迅速に対応できることが多いです。また、1つの技術はその業種だけではなく、その他多くの業種に必ず役立つと常々思っています。
製品についても、より詳細な仕様をメーカーから入手することにより、施工やアフターサービスに活かしています。自社にノウハウがあれば、メーカーとのやりとりでお客様をお待たせせずに済み、製品を深く理解することでより効率的な施工が可能となります。若い従業員にも「ただ仕事をするのではなく、注意力を持って仕事をしなさい」と指導、現場経験や知見の蓄積により、マニュアル化できない応用力の部分を磨いてもらっています。
お客様からも丁寧な仕事ぶりを高く評価していただいており、施工時も施工後もトラブルやクレームはほとんどありません。ただ、雪という自然が相手であるため、想定外の雪の積もり方をする場合があって、うまく融雪できない場合でも、考えて考えて解決することで顧客満足に繋げています。
また、お客様からご依頼をいただいた設備がオーバースペックであった場合や、指定された設置場所では製品が性能を発揮しきれないと判断した場合は、より最適な製品やプランを提案するようにしています。一方で、製品を取りつける必要がない場合は、施工をお断りすることもあります。商売をする上では、売上だけを目的とするのではなく、嘘をつかない「お客様目線」が大切であり、誠実な経営をしてきたからこそ、弊社はこれまで経営することができたのだろうと思っています。
エネルギーコスト増と温暖化の逆境を新たな柱で打開したい
現在は、toBの仕事が多くなっていますが、toCの仕事も年間40、50件まで伸ばしたいと考えています。toCの案件は、製品の使い勝手や率直な意見などをお客様から直接聞くことができます。お客様の声は、社員のやりがいやノウハウの蓄積につながります。私自身もお客様とふれあえるtoCの仕事が好きなので、toBと同じくらいの熱量でtoCにも取り組んでいきたいと考えています。
今後の融雪設備業については、温暖化や電気料高騰への対応として、できるだけ電気を使わずに融雪機能を維持できる方法を模索したいと考えています。ヒーターは多くの電気を消費するため、雪を溶かしたい箇所だけ融雪できるように、センサーを増やし電力の使用量を減らす施工方法を検討しています。しかし、センサーを増やすとイニシャルコストがかかるので、機能とコストのバランスが非常に難しい点が課題です。
また、電気代の高騰に加えて、温暖化が進み、雪が降らなくなれば、融雪設備の需要はますます減っていきます。現在は、メイン事業である融雪設備業が今後厳しくなった時のための県外展開と、新たな基軸となる事業を模索しているところです。現在の事業とDXやAIなどの融合により、新たな主力事業の芽を育てられたらと思っています。
経営理念の定着と新HPの発信が社員の意欲を喚起
現在の社員は8名です。会社経営としては、手づくりの面白さを理解しあえる社員を育てていくことこそが、会社の今後の存続や発展に直結すると考えています。理念に「アンテナを高く張り、お客様や社会から必要とされているものを探し追及する努力を継続します」と定めているように、世の中のニーズをつかみ、新しい柱を構築することが今後の人と事業の発展の鍵だと捉えています。
また、私が社長に就任するまでは、弊社に企業理念はありませんでした。今後の中長期的な経営を考える上では、基軸となる考えや言葉が必要となるため、外部のサポートを得て私が理念を考え定めました。また、HPリニューアルにも力を入れ、従業員インタビューや社員の声なども盛り込むことで、顔と仕事の見えるページになりました。
若手を見ていると、新HPで自分の意気込みを発信したことで、より一層仕事に打ち込むようになり、理念があることで進むべき方向性が定まったように感じます。
M&Aを通じて小さな会社の人と技術の承継を後世に
今後の弊社の方向性としては、現主力事業のさらなる拡充と展開、そして新規事業の参入ができたらと考えています。
弊社では、創業まもない頃より製造ライン設備に携わってきました。以前は社内に製造ライン設備に使用される治具などを設計するスペシャリストがいましたが、現在はそのベテランが退職したことにより、当社の特長の一部が弱くなっていますが、販売代理店として韓国から製造ライン設備を輸入し、国内で製品を販売し、その一部は販売先がメキシコ、スペイン、中国、フィリピンなどの関連工場に輸出展開しています。販売だけでなくプラスαを目指し、さらに成長させていけたらと思っています。
そして地域への思いとしては、理念に共感できる会社様の事業承継ができたらと考えています。弊社のような小さな会社は、少子高齢化と市場規模の縮小にともない減少し続けています。地方なかで中小企業が生き残っていくには、M&Aを通じて会社同士が一体となり、力を蓄えていく必要があると考えています。弊社では、まだ事業承継の経験はありませんが、後継者不在でそのまま廃業してしまう会社様があるならば、働く人を守り、ノウハウを後世に残していくために引き継ぎたいと思っています。
仕入れ先や外注先、同業の電気工事会社にも、後継者がいない会社は多くあります。互いの理念に共感し合えるM&Aであれば、WIN WINの承継ができるはずです。承継にあたり重視したいことは、雑な仕事をせず、弊社の経営理念に賛同できる会社様であることです。財務の健全性は統合後にも改善できますが、人柄は天性のものであり、経営や取引先との付き合い方にもあらわれます。事業承継をする上では、お客様や社員を大切にしている会社様を引き継ぎたいと考えています。
会社概要
社名 | 株式会社しげん |
創立年 | 1979年 |
代表者名 | 代表取締役社長 島ノ上 宏之 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
http://www.shigen-co.com/index.html
|
本社住所 |
〒506-0055 |
事業内容 | 融雪設備の設計・施工 省力化、省エネ機器の設計・製作・販売 電気床暖房設備の設計・施工 省力化機器の設計・製作 AOI・SPI・搬送システムの販売・メンテナンス 太陽光発電設備の設計・施工 はんだ付け設備、工具、器具の販売・メンテナンス 制御盤の設計・製作 |
会社沿革
1979年 | 有限会社しげん設立(資本金200万円) セルローズファイバーによる断熱、防音、結露防止の設計施工を開始 電気床暖房プラヒートの施工を開始 |
1980年 | 半田付け周辺消耗工器具の販売開始 |
1981年 | 基板組立を目的とする松ノ木工場設立 治工具、自動化設備の設計・製作・販売を開始 |
1982年 | 電気床暖房設備の設計・施工を開始 電気融雪設備の設計・施工を開始 |
1984年 | 基板組立を目的とする岡本工場設立 |
1985年 | 液温管理装置の開発・販売を開始 |
1989年 | 資本金を600万円に増資する |
1991年 | 資本金を1,000万円に増資する |
1995年 | 一般建設業許可を取得する(電気、熱絶縁) 岐阜県知事許可 16967号 |
2002年 | ラッセル販売(株)中部北陸支店を併設する蓄熱電気暖房器の販売を開始 基板組立業務の終止 |
2003年 | 融雪パネルヒーターの販売を開始 はんだ付周辺設備・機器のメンテナンス業務を開始 |
2006年 | 有限会社より株式会社へ組織変更 |
2007年 | 住宅電化促進協会のオール電化推進店として認定される太陽光発電設備の設計・施工を開始 |
2008年 | パンドウィット社におけるネットワークの認定施工業者となる |
2017年 | 一般建設業許可を追加取得する(管) 組織変更により、代表取締役会長に島ノ上 静夫、代表取締役社長に島ノ上 宏之が就任 |
2018年 | AOI(外観検査装置)の販売を開始 |
2020年 | 一般建設業許可を追加取得する(電気通信) |
株式会社しげんの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2024/09/12
※本記事の内容および所属名称は2024年9月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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