![有限会社エムジーフーズ](https://tgnr.jp/wp-content/uploads/2022/12/RIMG0051-3-1600x1066.jpeg?v=1669980138)
京都・京都市下京区
京都 ・ 京都市
兵庫 ・ 神戸市
引継ぎ実績あり
お客様には「癒し」を、従業員には「成長」を与える飲食企業
有限会社エムジーフーズ
京都飲食業界の駆け込み寺。エムジーフーズに「人」が集まる理由
経営理念
今日の食事を、少し豊かに、精一杯お手伝いします。
私たちは、プロとしてせっかくの外食の機会に少しでも「食」を通じて、
一皿の料理に心躍り
一杯の酒に心癒され
ひとときの接客に心潤う
世のお母様方に恥じない
そんな「おもてなし」ができるよう心を尽くしていきたいと思います。
代表者メッセージ
![有限会社エムジーフーズ代表](https://tgnr.jp/wp-content/uploads/2022/12/mgfoods_01.jpg?v=1669979433)
数ある業種の中で、「食」に関わる仕事はとても大切であり、エキサイティングです。
生活の基礎と言われる衣食住の中でも、とりわけ重要なのは「食」です。
スーツは毎日着替えなくても、住む家も毎日変えなくても生きてはいけますが、
食事は毎日意識して、正しく食べなければ命に関わります。
飲食業に従事する弊社は、その意味と使命をしっかりと芯に据え、
誇りを持って社会に貢献していかなければなりません。
街には数え切れないほどの飲食店があり、多くの料理人やサービスマンが働いています。
素晴らしい活躍をされている尊敬できる方々は数多くいらっしゃいます。
そんな中でも、最も尊敬すべきなのは世のお母様方だと私は考えます。
世のお母様方は、お年を召された世代から食べ盛りのお子様まで、
仕事や塾、部活などで帰宅時間がバラバラの中、
限られた時間と限られた食費で、栄養を考えて毎日メニューを変えつつ、
1年365日朝晩、「食」を通じて支え続けているからです。
何よりも我々、飲食店のスタッフは、どんなに常連様であっても、
1年365日の毎日をおもてなしをすることはできません。
それならば、お客様のせっかくの外食の機会くらいは、
料理、お酒、接客に心を尽くしておもてなしをしていくことが、
プロとしての役目だと考えています。
有限会社エムジーフーズ
代表取締役社長
橋本昌和
![有限会社エムジーフーズ代表](https://tgnr.jp/wp-content/uploads/2022/12/mgfoods_01.jpg?v=1669979433)
私たちのこだわり
「飲んで、食べて、5,000円を超えない」がコンセプトの飲食店
弊社は、現在10ブランド合計13店舗を運営する飲食事業を行っています。洋食、居酒屋、ダイニングバー、イタリアン、和食、そば・うどんなど幅広く展開しておりますが、共通するコンセプトは、「飲んで、食べて、5,000円を超えない」です。
私は、すべての料理人にとっての師匠は「世のお母様方」だと思っています。お母様方は1年365日1日3食、常連さん、つまり、家族に毎日料理を作ってくれています。飲食店の料理人は、お客様がオーダーした料理を提供すればいいだけですが、お母様方は毎日自らメニューを考えなくてはいけません。さらに限られた時間と予算の中で、家族の健康のために栄養面も気を配っているわけですから、プロの料理人以上のことを当たり前にしていることになります。
世のお母様方を師匠と考えるからこそ、弊社が運営する店では、客単価は「飲んで、食べて、5,000円を超えさせない」という基準を設けています。高級な料理は高級なお店に任せて、弊社はあくまで「今日の食事を少し豊かに、精一杯お手伝いします」という思いのもと、普段使いができて、お父様方のお小遣いの範囲内で気軽に来られるお店でありたいと思っております。
お客様に「すみません」を言わせない接客が目標
そうした雰囲気のお店作りをしていくために、弊社の店舗で働くスタッフには、お客様に「すみません」と声をかけられる前に行動するように心がけてもらっています。代金を払って食事をしに来てくださるお客様に、「すみません」と言わせるのはおかしな話です。飲み物が空になれば、スタッフが先に気付いてメニューを聞きにいき、お食事が終わるタイミングだと気づいたら、シメの一品を提案するなど、お客様が発信するシグナルを見逃さずに行動し、お客様から「すみません」ではなく「ありがとう」と言ってもらいたいからです。実際にお客様から「ありがとう」の言葉がもらえれば、これほどうれしいことはありません。
紆余曲折の中でたどり着いた飲食店経営
私は高校を卒業後、大学進学や就職を選ばず、アルバイトを軸にした生活を約2年間していました。ある時、アルバイト先の上司から心配されて、大学受験をし、運よく1校に合格したため入学します。ただ、同級生はみんな私よりも2つ年下で、さらにアルバイトとはいえ、社会人経験を経てから大学に入った私は、周囲が子どもっぽく見えてしまい、価値観が合う友人を作ることができませんでした。そんな矢先、勤めていた飲食店のアルバイト先からバーテンダーとして新店舗を任せてくれるというお話をもらい、大学を辞めて再びアルバイト中心の生活に戻りました。せっかく入った大学での学生生活は実質2カ月程度でした。
当時していたアルバイトの業種は基本的に飲食業でしたが、25歳くらいの頃には外資系の会社で心理学のトレーナーとしてセミナー運営の仕事をしていたこともありました。たまたまセミナーを受けた時にスタッフの方から声をかけられ、興味を持って話を聞いていたところ、あれよあれよという間に入社が決まり、バブル崩壊でその会社が日本から撤退するまで約3年間働きました。
その後、弊社の源流となる「有限会社モスト」を設立するのですが、実は独立願望があって立ち上げわけではありません。その少し前、私はとある会社の通信事業部で責任者として奔走していました。150人くらい在籍する会社で、運送業、飲食業、土木・建築業、それからセミナー、通信業と幅広く扱っていましたが突然倒産してしまいました。社長をはじめ、当時の役員の方々はみんなどこかにいなくなってしまい、残った役員は私だけでした。放り出すこともできず、それから半年ほどは残務処理で多忙を極めました。今振り返ると、私が若くして役員に登用されたのは、経営陣から残務処理役として選ばれたのが理由かもしれません。
そんな大変な状態ではありましたが、当時の取引先であった電気機器メーカーから、グループ会社への転職の誘いを受けました。ただ、倒産してしまった所属会社の後始末は全うしたいと思っていたのでお断りしたものの、私が前職で培った通信機器販売のノウハウを活かして、業務委託で携帯電話ショップの運営をしてほしいと再度誘われます。残務処理も終わったこともあり、「そこまで言ってもらえるなら」と引き受けることを決めて設立したのが「有限会社モスト」でした。
通信機器販売が始まった事業が飲食業に転換
有限会社モストとして、通信機器販売の事業をスタートさせたものの、当時の携帯電話販売のシステムは売り上げが立ちにくいものでした。さらに大手キャリアが続々と店舗を開いたり、大型家電量販店に携帯ショップのブースが設けられたりと、個人が業務委託で携帯電話を売っていくにはかなり厳しい状況になっていきます。
同時並行で進めていた別事業で収益を確保しつつ会社を続けている中、2000年頃に知人の紹介で「うどん店をやってほしい」という話を受け、再び業務委託として請け負うことになります。このうどん店が、現在も御所店や京都駅前店として営業している「麺どころ晃庵」です。
20代前半の頃から飲食業界で下積みをしてきた私にとって、飲食業はビジネスの土台を築いた業界と言えます。この頃から通信機器の販売から撤退し、飲食業に特化する方向で再スタートを切ることを決め、有限会社モストを分社して「有限会社エムジーフーズ」を立ち上げます。ここから新店舗の開店も増えて、会社の規模もどんどん大きくなっていきました。
実はこの拡大も、単なる結果であり、成長を目的として積極的に行ったわけではありません。不動産業者から紹介を受けた物件を会社の社員みんなで見学し、良いと思ったらそこで店舗を開くというのを繰り返すなかで、自然と店舗が増えていきました。具体的なビジョンを持たず、常に出たとこ勝負できましたので、正直、苦戦した店舗もありました。
ただ、常に頭にあったのは、会社を倒産させないという思いです。前職で倒産後の残務処理をしたので、倒産に伴う精神面、実務面での大変さを嫌というほど味わったというのが理由です。また、自分が雇われる側の時にいろいろと嫌な思いや辛い思いをたくさんしてきたので、弊社の社員には最大限そういう思いをさせまいと考えています。
飲食業界の「負の当たり前」をあえて打破する
私がキャリアを積んできた京都の飲食業界は、働く人にとっては酷な環境であることが少なくありません。拘束時間の長さや、福利厚生の不十分さもありますが、「新人には修行をさせる」というスタンスのお店では、入社したばかりの時期はかなり厳しく指導することも珍しくありません。そうした背景もあり、京都の飲食店では2、3年で退職する人が大多数です。そんな離職率の高い業界ということもあり、結果として多くの経営者は、上場しているような大手でもない限り、退職金の準備をすることはありませんし、会社の負担が大きい社会保険に入らないこともあります。弊社では、社会保険の完備はもちろん、退職金の積立もしっかりと行っています。弊社でずっと一緒に長く働いてきてくれた社員たちもいるので、安心して働き続けていけるようなサポートはできるかぎり実施したいと思っているからです。
会社として「独立支援」を積極的に行う理由
そして会社の方針として力を入れているのが「独立支援」です。弊社が運営しているような、いわゆる町場の飲食店、とりわけ居酒屋のような店舗の場合は、2、3年働くことで仕入れから、仕込み、営業と店舗運営に必要なノウハウをひと通り自分のものにできます。そうなると「いつかは自分で店をやりたい」と夢を抱き働いている方は、飲食業なので少なくありません。ただ、現場のノウハウ的な部分での経験は積めても、実際、経営者になるためにはまた違ったノウハウが必要になります。
ですので希望する社員がいれば、弊社で働く中で飲食店経営のノウハウをどんどん学んでもらいながら、事業計画書の書き方や資金計画と金融機関との融資交渉のやり方、内装工事費などの適正価格、日々の経理事務や決算処理のやり方、運転資金やキャッシュフローの適正化など、経営者になった時に必要な知識を積極的に伝えています。
また、弊社では新規出店を行う際に、社員一人一人が店舗運営に関する企画書を出し、プレゼン会議によって企画が採用された社員が、サポートを得ながらも、立ち上げから開店準備、開店、店舗運営まで全てを担当してもらい、独立を疑似的に経験できるような取り組みを行っています。まさに自分で独立する際に必要な業務を社に居ながら学び経験できます。本人が望めば店舗の減価償却が完了した後、分社して、その営業権の譲渡を行っています。つまり、会社の資金でやりたい店にトライでき、愛着のある店をそのまま自分のものにすることが可能です。
なぜこういう取り組みをしているかといえば、現在飲食店の新規開業に関して融資審査の壁は高く、相当の自己資金が準備できないと運転資金が回らず廃業に追い込まれるからです。飲食店の5年生存率は10%と言われています。自己資金ゼロで自分の店が持てれば、その分、独立後に生き残る可能性を少しでも高められると思っています。実際、弊社から独立や分社化していった元社員が誰ひとりお店を潰していないことは、誇れる部分であり、うれしい部分です。
M&Aへの意欲
目的は「拡大」ではなくお客様と飲食業界への恩返し
同じ飲食業や、飲食に関する流通業での相談であれば、いつでもお話をうかがいます。その時は、飲食店業務をする会社において最も重要な役割を担う「店舗スタッフ」の皆さんの意見をしっかり聞きながらお話を進めていきたいです。
ただ、私は弊社を大きくすることが目的の事業引継ぎを進んで行う予定はありません。経営に悩まれている経営者の方がいれば、必ずしも吸収合併という手段だけでなく、業績回復や引継ぎのご相談に乗りたいと思います。もし吸収合併という形で一度は弊社に加わっても、希望があれば分社して、再び独立してもらうことは大歓迎です。
実は今までにも、京都でお店を開きたいという方から相談を受けた実績が多数あります。開きたいお店のコンセプトから、事業計画書の書き方、銀行から融資を受けるためのサポート、実際に提供するメニューや店舗の設計、集客のテクニックに至るまで、飲食店経営に関わるあらゆる面で相談に乗ってきました。社員からはよく怒られますが、それらの相談を受ける場合、報酬はもらっていません。ある意味で飲食店経営で悩んでいる京都の経営者の駆け込み寺のような存在になっています。
若い頃の私は、たくさんの先輩方からアドバイスを受けて成長してきました。そのため、今度は私から、知識や経験を後輩たちに教えていく番だと思っています。かつて自分が業界の先輩たちから受けた恩を次の世代に繋げていくことで、お客様の気持ちに寄り添える飲食店が増えていく、それがお客様と飲食業界への恩返しだと思っています。
「飲んで、食べて、5,000円を超えない」がコンセプトの飲食店
弊社は、現在10ブランド合計13店舗を運営する飲食事業を行っています。洋食、居酒屋、ダイニングバー、イタリアン、和食、そば・うどんなど幅広く展開しておりますが、共通するコンセプトは、「飲んで、食べて、5,000円を超えない」です。
私は、すべての料理人にとっての師匠は「世のお母様方」だと思っています。お母様方は1年365日1日3食、常連さん、つまり、家族に毎日料理を作ってくれています。飲食店の料理人は、お客様がオーダーした料理を提供すればいいだけですが、お母様方は毎日自らメニューを考えなくてはいけません。さらに限られた時間と予算の中で、家族の健康のために栄養面も気を配っているわけですから、プロの料理人以上のことを当たり前にしていることになります。
世のお母様方を師匠と考えるからこそ、弊社が運営する店では、客単価は「飲んで、食べて、5,000円を超えさせない」という基準を設けています。高級な料理は高級なお店に任せて、弊社はあくまで「今日の食事を少し豊かに、精一杯お手伝いします」という思いのもと、普段使いができて、お父様方のお小遣いの範囲内で気軽に来られるお店でありたいと思っております。
お客様に「すみません」を言わせない接客が目標
そうした雰囲気のお店作りをしていくために、弊社の店舗で働くスタッフには、お客様に「すみません」と声をかけられる前に行動するように心がけてもらっています。代金を払って食事をしに来てくださるお客様に、「すみません」と言わせるのはおかしな話です。飲み物が空になれば、スタッフが先に気付いてメニューを聞きにいき、お食事が終わるタイミングだと気づいたら、シメの一品を提案するなど、お客様が発信するシグナルを見逃さずに行動し、お客様から「すみません」ではなく「ありがとう」と言ってもらいたいからです。実際にお客様から「ありがとう」の言葉がもらえれば、これほどうれしいことはありません。
紆余曲折の中でたどり着いた飲食店経営
私は高校を卒業後、大学進学や就職を選ばず、アルバイトを軸にした生活を約2年間していました。ある時、アルバイト先の上司から心配されて、大学受験をし、運よく1校に合格したため入学します。ただ、同級生はみんな私よりも2つ年下で、さらにアルバイトとはいえ、社会人経験を経てから大学に入った私は、周囲が子どもっぽく見えてしまい、価値観が合う友人を作ることができませんでした。そんな矢先、勤めていた飲食店のアルバイト先からバーテンダーとして新店舗を任せてくれるというお話をもらい、大学を辞めて再びアルバイト中心の生活に戻りました。せっかく入った大学での学生生活は実質2カ月程度でした。
当時していたアルバイトの業種は基本的に飲食業でしたが、25歳くらいの頃には外資系の会社で心理学のトレーナーとしてセミナー運営の仕事をしていたこともありました。たまたまセミナーを受けた時にスタッフの方から声をかけられ、興味を持って話を聞いていたところ、あれよあれよという間に入社が決まり、バブル崩壊でその会社が日本から撤退するまで約3年間働きました。
その後、弊社の源流となる「有限会社モスト」を設立するのですが、実は独立願望があって立ち上げわけではありません。その少し前、私はとある会社の通信事業部で責任者として奔走していました。150人くらい在籍する会社で、運送業、飲食業、土木・建築業、それからセミナー、通信業と幅広く扱っていましたが突然倒産してしまいました。社長をはじめ、当時の役員の方々はみんなどこかにいなくなってしまい、残った役員は私だけでした。放り出すこともできず、それから半年ほどは残務処理で多忙を極めました。今振り返ると、私が若くして役員に登用されたのは、経営陣から残務処理役として選ばれたのが理由かもしれません。
そんな大変な状態ではありましたが、当時の取引先であった電気機器メーカーから、グループ会社への転職の誘いを受けました。ただ、倒産してしまった所属会社の後始末は全うしたいと思っていたのでお断りしたものの、私が前職で培った通信機器販売のノウハウを活かして、業務委託で携帯電話ショップの運営をしてほしいと再度誘われます。残務処理も終わったこともあり、「そこまで言ってもらえるなら」と引き受けることを決めて設立したのが「有限会社モスト」でした。
通信機器販売が始まった事業が飲食業に転換
有限会社モストとして、通信機器販売の事業をスタートさせたものの、当時の携帯電話販売のシステムは売り上げが立ちにくいものでした。さらに大手キャリアが続々と店舗を開いたり、大型家電量販店に携帯ショップのブースが設けられたりと、個人が業務委託で携帯電話を売っていくにはかなり厳しい状況になっていきます。
同時並行で進めていた別事業で収益を確保しつつ会社を続けている中、2000年頃に知人の紹介で「うどん店をやってほしい」という話を受け、再び業務委託として請け負うことになります。このうどん店が、現在も御所店や京都駅前店として営業している「麺どころ晃庵」です。
20代前半の頃から飲食業界で下積みをしてきた私にとって、飲食業はビジネスの土台を築いた業界と言えます。この頃から通信機器の販売から撤退し、飲食業に特化する方向で再スタートを切ることを決め、有限会社モストを分社して「有限会社エムジーフーズ」を立ち上げます。ここから新店舗の開店も増えて、会社の規模もどんどん大きくなっていきました。
実はこの拡大も、単なる結果であり、成長を目的として積極的に行ったわけではありません。不動産業者から紹介を受けた物件を会社の社員みんなで見学し、良いと思ったらそこで店舗を開くというのを繰り返すなかで、自然と店舗が増えていきました。具体的なビジョンを持たず、常に出たとこ勝負できましたので、正直、苦戦した店舗もありました。
ただ、常に頭にあったのは、会社を倒産させないという思いです。前職で倒産後の残務処理をしたので、倒産に伴う精神面、実務面での大変さを嫌というほど味わったというのが理由です。また、自分が雇われる側の時にいろいろと嫌な思いや辛い思いをたくさんしてきたので、弊社の社員には最大限そういう思いをさせまいと考えています。
飲食業界の「負の当たり前」をあえて打破する
私がキャリアを積んできた京都の飲食業界は、働く人にとっては酷な環境であることが少なくありません。拘束時間の長さや、福利厚生の不十分さもありますが、「新人には修行をさせる」というスタンスのお店では、入社したばかりの時期はかなり厳しく指導することも珍しくありません。そうした背景もあり、京都の飲食店では2、3年で退職する人が大多数です。そんな離職率の高い業界ということもあり、結果として多くの経営者は、上場しているような大手でもない限り、退職金の準備をすることはありませんし、会社の負担が大きい社会保険に入らないこともあります。弊社では、社会保険の完備はもちろん、退職金の積立もしっかりと行っています。弊社でずっと一緒に長く働いてきてくれた社員たちもいるので、安心して働き続けていけるようなサポートはできるかぎり実施したいと思っているからです。
会社として「独立支援」を積極的に行う理由
そして会社の方針として力を入れているのが「独立支援」です。弊社が運営しているような、いわゆる町場の飲食店、とりわけ居酒屋のような店舗の場合は、2、3年働くことで仕入れから、仕込み、営業と店舗運営に必要なノウハウをひと通り自分のものにできます。そうなると「いつかは自分で店をやりたい」と夢を抱き働いている方は、飲食業なので少なくありません。ただ、現場のノウハウ的な部分での経験は積めても、実際、経営者になるためにはまた違ったノウハウが必要になります。
ですので希望する社員がいれば、弊社で働く中で飲食店経営のノウハウをどんどん学んでもらいながら、事業計画書の書き方や資金計画と金融機関との融資交渉のやり方、内装工事費などの適正価格、日々の経理事務や決算処理のやり方、運転資金やキャッシュフローの適正化など、経営者になった時に必要な知識を積極的に伝えています。
また、弊社では新規出店を行う際に、社員一人一人が店舗運営に関する企画書を出し、プレゼン会議によって企画が採用された社員が、サポートを得ながらも、立ち上げから開店準備、開店、店舗運営まで全てを担当してもらい、独立を疑似的に経験できるような取り組みを行っています。まさに自分で独立する際に必要な業務を社に居ながら学び経験できます。本人が望めば店舗の減価償却が完了した後、分社して、その営業権の譲渡を行っています。つまり、会社の資金でやりたい店にトライでき、愛着のある店をそのまま自分のものにすることが可能です。
なぜこういう取り組みをしているかといえば、現在飲食店の新規開業に関して融資審査の壁は高く、相当の自己資金が準備できないと運転資金が回らず廃業に追い込まれるからです。飲食店の5年生存率は10%と言われています。自己資金ゼロで自分の店が持てれば、その分、独立後に生き残る可能性を少しでも高められると思っています。実際、弊社から独立や分社化していった元社員が誰ひとりお店を潰していないことは、誇れる部分であり、うれしい部分です。
M&Aへの意欲
目的は「拡大」ではなくお客様と飲食業界への恩返し
同じ飲食業や、飲食に関する流通業での相談であれば、いつでもお話をうかがいます。その時は、飲食店業務をする会社において最も重要な役割を担う「店舗スタッフ」の皆さんの意見をしっかり聞きながらお話を進めていきたいです。
ただ、私は弊社を大きくすることが目的の事業引継ぎを進んで行う予定はありません。経営に悩まれている経営者の方がいれば、必ずしも吸収合併という手段だけでなく、業績回復や引継ぎのご相談に乗りたいと思います。もし吸収合併という形で一度は弊社に加わっても、希望があれば分社して、再び独立してもらうことは大歓迎です。
実は今までにも、京都でお店を開きたいという方から相談を受けた実績が多数あります。開きたいお店のコンセプトから、事業計画書の書き方、銀行から融資を受けるためのサポート、実際に提供するメニューや店舗の設計、集客のテクニックに至るまで、飲食店経営に関わるあらゆる面で相談に乗ってきました。社員からはよく怒られますが、それらの相談を受ける場合、報酬はもらっていません。ある意味で飲食店経営で悩んでいる京都の経営者の駆け込み寺のような存在になっています。
若い頃の私は、たくさんの先輩方からアドバイスを受けて成長してきました。そのため、今度は私から、知識や経験を後輩たちに教えていく番だと思っています。かつて自分が業界の先輩たちから受けた恩を次の世代に繋げていくことで、お客様の気持ちに寄り添える飲食店が増えていく、それがお客様と飲食業界への恩返しだと思っています。
ツグナラ専門家による紹介
担当専門家:税理士法人トレイス 税理士法人トレイスの詳細
![ツグナラ専門家](https://tgnr.jp/wp-content/uploads/2022/12/bnr_trayes.png)
幅広いジャンルの飲食事業を展開し「飲んで、食べて、5,000円を超えない」という共通コンセプトで食事の提供をされている企業様です。スタッフはお客様に対し迅速な対応を心掛けお客様の満足を最優先に考えています。将来的に社員の独立を支援すべく経営者に必要な知識やノウハウの伝承を行っています。飲食業界全体の活性化に貢献されています。
会社概要
社名 | 有限会社エムジーフーズ |
創立年 | 1998年 |
代表者名 | 代表取締役社長 橋本 昌和 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
http://mgfoods.co.jp/
|
本社住所 |
〒600-8216 |
事業内容 | 飲食店業(洋食・西洋料理、居酒屋・ダイニングバー、イタリアン、和食、そば・うどん) |
事業エリア |
MonFavoris(ワイン、シャンパン、アンティークグラス) 〒600-8231 |
麺どころ晃庵(御所店) 〒602-8005 |
|
麺どころ晃庵(京都駅前店) 〒600-8234 |
|
京野菜・銘酒・肴 いっ献 〒600-8441 |
|
酒盃いち膳 〒600-8232 |
|
ワイン厨房CHEERS 〒600-8091 元悪王子町55-2-1 山一セントラルビルB1 |
|
伊酒場伊晃庵 〒600-8233 京都観光協会ビル1・2F |
|
おでんと串かつ 戸張屋 〒600-8233 塩小路西洞院北西角 1・2F |
|
TOBARIYA BAR 〒600-8233 |
|
c teatro 〒604-8117 |
|
KYOTO 1er BAKERY MARKET 〒604-8155 |
|
KYOTO 1er BAKERY with cuisine 〒600-8411 |
|
KOBE 1er Bakery Market 〒650-0021 |
会社沿革
1998年(平成10年)6月15日年 | 有限会社モストを設立 |
1998年(平成10年)6月年 | 携帯電話shop [メディアステーションMOST] をオープン |
1999年(平成11年) 6月年 | [麺どころ 晃庵] 御所店 をオープン |
2000年(平成12年)4月年 | 有限会社モストより飲食部門を分社 |
2000年(平成12年)4月28日 年 | 有限会社エムジーフーズ設立 |
2000年(平成12年)10月年 | [麺どころ 晃庵] 京都駅前店 をオープン |
2000年(平成12年)11月年 | [麺どころ 晃庵] 北山店 をオープン |
有限会社エムジーフーズの経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
京都府
独立支援も可能です。「食」に関わる仕事で社会に貢献しませんか
公開日:2022/12/05 (2023/07/07修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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