愛知・豊川市
愛知 ・ 豊川市
三河産のこだわり素材と職人の技術を味わえる豆腐店
有限会社辻豆腐店
職人のひたむきな情熱から生まれた豆腐の「本物の味」と「可能性」
経営理念
辻豆腐店の大事にしていること
辻豆腐店では、美味しさと安全を一番に考え、余計なものは一切入れず、
素材の味を究極まで引き出すことを大事にしています
国産大豆をたっぷり
契約栽培の地元豊川市を中心とした三河産の「フクユタカ」。
「フクユタカ」は良質のタンパク質を多く含み、豆腐のこくと滑らかな食感を出してくれます。安心・安全な国産大豆をたっぷり使ったおいしい豆腐です。
ゆっくり・濃厚 だからおいしい
豆乳を冷ましてから、にがりを入れ蒸し上げます。ゆっくりだから大豆の甘みがたっぷり引き出された豆腐ができあがります。
濃度は大豆の旨みが伝わる、約15度になるように搾っています。
これ以上濃いと毎日食べるには重く、これ以上薄いと旨みが伝わりづらいと考えています。
天然のにがりだからおいしい
伊豆大島産海精にがりと瀬戸内産藻塩にがり。
天然のにがりは他の凝固剤と比べて凝固が早く、凝固のムラを出さずに滑らかにお豆腐を作るのは技術的にも難しいのですが、最もおいしく美しい豆腐が作れます。
圧搾一番搾りの菜種油だけ
(非遺伝子組み換え)
辻豆腐が油揚げや厚揚げに使っている油はプロも認めた菜種油。菜種(遺伝子組み換えでないもの)を昔ながらの圧搾製法でじわっと搾った独特の風味があるこの油はカラッと揚がる油切れの良さ、香ばしい風味、美しいキツネ色の揚がりが特徴です。油の抽出に使用される食油抽出溶剤(ノルマルヘキサン等)は、一切使用しておりません。
無添加だからおいしい
大豆をすりつぶした生呉(なまご)を加熱する時に出る泡。食感と日持ちが悪くなるのでよく「消泡剤」が使われます。辻豆腐は職人の技術で消泡剤を一切使わずにつくる素材が生きた豆腐です。
また、蒸気で呉を煮るのですが、ボイラーの缶体が錆びないよう「清缶剤」を使用することが一般的です。
当社では、清缶剤不使用のボイラーを使用し、純粋な蒸気でお豆腐を作っています。
先代から受け継いだ心と技
おいしい素材を職人の技術で生かし、ていねいにつくる豆腐。そのままでも、火を通しても、おいしくコクのあるしっかりした豆腐は素材の美味しさと経験と技術が積み重なってつくられます。
代表者メッセージ
豆腐の「本物のおいしさ」を求め続けて75年
弊社は、戦後間もない1948年に愛知県豊川市塔ノ木町での豆腐ラッパを使った引き売りから始まりました。
近年は機械化が進み、少人数で何万丁もの豆腐を製造できる時代になりましたが、弊社では「おいしい」を一番に考えた豆腐づくりを続けています。
消泡剤・清缶剤といった添加物を使わず、手間と時間をかけるからこそ作り上げることができる豆腐は、どれも弊社の看板商品です。そのまま食べても、おいしく、コクのある豆腐の味わいは創業当時から今も変わることなく受け継いでいます。
4代目候補である私は、幼少期から「将来は豆腐屋を継ぎたい」と思い、その思いは変わることなく今に至ります。そう思う背景には、おいしい豆腐を残したい気持ちと会社を支えてきてくれた従業員約40人の生活の糧を失わせるわけにいかないという思いがあります。
「余計なものは使わない」「本格的なおいしさ」「パッケージデザイン」の3つの強みを活かして、この厳しい時代の中で生き抜き、新たな未来を切り拓いていければと考えています。
取締役 辻稜一朗
私たちのこだわり
戦後間もなく焼け野原となった故郷で豆腐店を創業
弊社は、戦後間もない1948年に曾祖父である初代が創業し、2023年で75年目になる豆腐店です。
初代は騎兵隊として満州に出征し、敗戦後の引き揚げに伴い、愛知県名古屋市へ。その後、豊川市の隣町、豊橋市船町にて過ごしました。大規模な空襲により焼野原となった当時の豊川周辺で、曾祖父は生計を立てていくため、豆腐店の開業を目指し、電車で岡崎市へ通い豆腐製造の基本を学びました。その後、豊川市塔ノ木町に土地を見つけ、1948年に辻豆腐店を開業しました。
戦後、豆腐店を開業する個人は多く、豊川市内には豆腐店が何十軒もありました。戦前の豆腐作りは、海水から精製した「にがり」を凝固剤として使っていましたが、戦時中になると「にがり」の入手が困難になり、その代用として豆腐づくりに硫酸カルシウムが用いられるようになりました。硫酸カルシウムによる豆腐づくりは、「にがり」を使った製法と比べると原料の大豆が少量で済み、製法も簡単なことから、戦後の物資が無い中で利益を得るための商売として始める方が多かったと聞いています。
初代が開業した当時は、自転車に乗ってラッパを吹きながら近所を回って売っていたそうです。次第に豆腐が売れるようになってくると、引き売りのお手伝いさんを3人ほど雇って、少しずつ製造量を増やしていきました。曾祖母も店を支え、娘である祖母も桶いっぱいに豆腐を詰めて近所の八百屋などへ配達に行かされるなどの手伝いをしていたそうです。私も小さい頃に自転車の荷台に乗せてもらったことや、工場でパートの方が油揚げやがんもを袋詰めしていた光景を覚えています。当時から家族経営ならではの和やかな雰囲気を持つ会社でした。
薄利多売から脱却して最高の味を追求する高付加価値路線へシフト
その後、工場は3回の移転をして法人化はその間に行われました。2代目の祖父は、父が27歳の頃に亡くなり、急遽、祖母が家業を引き継ぎました。祖母はそれまで配達や包装などの手伝いをしてきましたが、豆腐づくりは携わって来なかったこともあり、3代目候補として入社した父が、豆腐製造などメインとなる業務を任されるようになっていきました。
そのため父は30代前半で3代目社長に就任しました。その当時は豊川市内だけでも30軒ほどの豆腐店があり、地域の中で安売り合戦となり、値崩れが起きていました。3代目は、売上を上げるために必死で製造数を増やして、方々に配達していたそうです。時を同じくして、市内にスーパーマーケットが続々とオープンして、より多くの人に買ってもらうためにスーパーに納品するようになりました。
今まで以上に製造数を増やす必要があったため、1998年には売上の倍の借入をして、機械化を進めたものの、思うように利益を上げることができず、苦しい状況が続きました。
そうした中で、安売りスーパーからの撤退を決めたことが大きな転機となりました。3代目は、それまでの薄利多売となってしまっていた状況から脱却し、高級スーパーに受け入れられるようなこだわりの一品を作ろうと試作を始めました。その時に生まれたのが、現在でも弊社の売上ナンバーワン商品である「お揚げさん」という最高品質の油揚げです。ふっくら肉厚で、あっさりとした味わいが特徴で、原料には三河産の大豆100%で作った通常より高濃度の豆乳を使用しています。この商品を高級路線のスーパー、渥美フーズさんに置いてもらえるようになり、店内でのプロモーションなども応援して頂きながら、地元での認知が広がっていきました。次第にこだわりの食材を扱う有名飲食店からもお声がけ頂くようになり、徐々に配荷も増えていきました。その積み重ねで売上は1億円程度から、4倍の4億円へと成長していきました。「お揚げさん」のヒットでお客様の支持を得られるようになり、商品ラインナップ全体を徐々に高価格帯へとシフトし、今に繋がっています。
「おいしい豆腐と会社を残したい」3代目の反対を押し切り入社
現在、取締役であり4代目候補の私は、幼少期から「将来は豆腐屋を継ぎたい」と思っていました。3代目である父からは「自分の好きなことをやりなさい」と言われ続けてきましたが、私の「継ぎたい」という思いが揺らぐことはありませんでした。
高校卒業後は、まず東京の大学に進学して見聞を広めながら会社のためになる勉強をしたいと思い、懸命に勉強をして立教大学の経済学部に進みました。
就職先には株式会社創味食品を選びました。不景気の厳しい環境下で豆腐屋を継ぎ、事業を安定させていくためにも、売上が上がり続けていて、育成に熱心な食品関連の会社で経験を積みたいと考えたからです。入社後は東京支店に配属され、営業として6年間、業務用調味料の提案をしていました。創味食品は値引きをほぼ行わず、人と味で勝負しており、高価格帯であるにも関わらず売上が伸び続けている会社です。仕事を通じて地道に成長し続ける心構えとノウハウを学ばせてもらう貴重な6年間となりました。
社会人としての経験を積み、自分の中で承継への決意が固まった頃、入社の意志を改めて3代目に伝えました。「本当に厳しいからやめておけ」とにべもない返事でしたが、結局、勤めていた会社を辞めることで押し切り、2020年1月に弊社に入社しました。決断の背景には、おいしい豆腐を残したい気持ちと会社を支えてきてくれた従業員40人の生活の糧を失わせるわけにいかないという思いがあったからです。入社3年目を迎えた2023年現在は、社員との信頼関係を深めながら、経営の引継ぎを進めているところです。
アットホームな社内で生まれるユニークなアイデア
弊社の社員の平均年齢は50代後半と高めで、最も若い社員は25歳くらいです。2代目の祖父の代から30年以上働いているベテランも2人います。私は子供の頃からかわいがってもらってきましたが、現在は「共に働く仲間」として、そして「後継者」としても受け入れてもらっています。
豆腐の製造は技術的な工程が多いため、先輩と後輩が一対一で向き合い丁寧に教える時間を作ることで、コミュニケーションを取りながら技術を習得できるような環境になっています。
社員食堂で出している汁物には弊社の豆腐を使っており、自分たちの仕事の成果物である豆腐を日々味わえるということで好評です。
社内の雰囲気はとてもアットホームで、何気ない会話の中から生まれたアイデアや商品もあります。絹豆腐の「Silk Da Monde(シルクダモンデ)」という商品名は、ベテラン社員が話す「だもんで」という三河弁からとっています。素材からネーミングまで三河らしさを盛り込んだオリジナリティあふれる商品ということで、メディアにも取り上げられ、多くの反響がありました。このように社員によって作られる弊社の商品は、全て自信を持って提供できる看板商品であり、企画次第で大きく飛躍できる可能性を持っていると思っています。
「昨日よりおいしく」を追求し続ける情熱と職人の技
弊社の強みは、添加物を一切使っていないこと、職人の技によって生み出される本格的なおいしさ、商品のパッケージデザインの3つだと思っています。
弊社の商品を購入する方は、食に通じた方が多いのですが、職人たちが厳選した素材の味わいを最大限まで引き出す技術を持っていることから、味に対してご満足いただけています。
ちなみに社内でもっとも強い情熱とこだわりを持ち続けているのが3代目です。3代目いわく「昨日よりもおいしく」という思いで、日々の豆腐製造に向き合ってきたそうです。工場長を兼務する3代目が、自ら大豆を炊いて加工し、社員がそれを補助するというのが弊社のスタイルです。3代目のひたむきな熱意と、職人の技がかみ合っているからこそ、最高の味を引き出せているのだと思います。
デザインを通じた弊社のブランディングという面では、叔父である専務が十数年前に辻豆腐店のロゴを作ったことから本格的に取り組み始めました。専務は新製品などの企画を考えるのが好きで、2015年には豆腐の素材を豆乳プリンやドーナツなどに加工し販売している「クロスロード」というお店をオープンさせています。クロスロードは、辻豆腐店の直売店として、豆腐や手作りのお菓子のほか、専務が仕入れたこだわりの商品も並んでいて、豆腐の持つ可能性を見出すきっかけにもなりました。現在は開業から約8年経ち、事業ライフサイクルでいうところの「衰退期」に差し掛かり、さらにコロナ禍もあって売上がやや落ち込んでいるため、立て直しを図っているところです。
時代の声に応えた惣菜やレトルト製品開発に注力
近年は大豆などの原材料費が高騰して事業の継続が難しくなり、後継者がいないことから会社を畳む同業者が増え、豊川市内の豆腐店も数軒になってしまいました。今後は購買者の母数が減り、ますます厳しくなっていき、高級路線の豆腐をただ増産するだけでは売上は伸びないと考えています。弊社商品の取扱店にヒアリングした際にも「すぐに食べられるものしか売れなくなってきた」という声が多く、共働き世帯や定年後も働く人が増えてきたことで調理時間を短縮したいというニーズが増えているのだと思います。
こうした声を受け、豆腐ハンバーグやおからの煮物などの惣菜を販売開始したところ、少しずつ売上が伸びるようになり始めました。さらに豆腐事業に付加価値をつけていくために、自社での商品開発の他、他社との協業も始めています。現在は京都の惣菜メーカーと協業して、日持ちのする惣菜商品を開発しているところです。ゆくゆくは10~15品ほど売れ筋の惣菜やレトルトの商品を作っていき、新たな惣菜ブランドを立ち上げたいと考えています。
理念を作り会社に新たな一歩を刻む
時代と共に弊社の在り方や客先も変わり、豆腐の味も時代に合わせて少しずつ変わり続けてきました。この厳しい時代の中で生き抜き、会社全体の力を合わせ、一つの目標に向かっていくためには、外的環境の変化にも対応できる柔軟さと、核となる理念が必要となっていきます。現時点では理念として引き継がれてきたものや掲げているものが無いため、2023年以降に一つの軸となる理念を作りたいと考えています。
また働き手に若い世代を迎えることで、ベテランの技術に新たな風を入れたい考えです。弊社の未来を一緒に考え、築いてくれる20代、30代の方を募集しています。
海外では健康ブームにより日本食や豆腐が注目されており、ゆくゆくは海外展開もできればと考えています。また、M&Aについては、豆腐作りに近く、シナジーを生み出せそうな異業種からのご相談をお待ちしております。
個人的な夢としては、豊川には観光地のようなところがあまり無いので、地域の素材や弊社の豆腐を使った食べ物を味わえたり、物を買ったり、体験ができるような、人の集まる場所を作りたいと密かに思っています。
戦後間もなく焼け野原となった故郷で豆腐店を創業
弊社は、戦後間もない1948年に曾祖父である初代が創業し、2023年で75年目になる豆腐店です。
初代は騎兵隊として満州に出征し、敗戦後の引き揚げに伴い、愛知県名古屋市へ。その後、豊川市の隣町、豊橋市船町にて過ごしました。大規模な空襲により焼野原となった当時の豊川周辺で、曾祖父は生計を立てていくため、豆腐店の開業を目指し、電車で岡崎市へ通い豆腐製造の基本を学びました。その後、豊川市塔ノ木町に土地を見つけ、1948年に辻豆腐店を開業しました。
戦後、豆腐店を開業する個人は多く、豊川市内には豆腐店が何十軒もありました。戦前の豆腐作りは、海水から精製した「にがり」を凝固剤として使っていましたが、戦時中になると「にがり」の入手が困難になり、その代用として豆腐づくりに硫酸カルシウムが用いられるようになりました。硫酸カルシウムによる豆腐づくりは、「にがり」を使った製法と比べると原料の大豆が少量で済み、製法も簡単なことから、戦後の物資が無い中で利益を得るための商売として始める方が多かったと聞いています。
初代が開業した当時は、自転車に乗ってラッパを吹きながら近所を回って売っていたそうです。次第に豆腐が売れるようになってくると、引き売りのお手伝いさんを3人ほど雇って、少しずつ製造量を増やしていきました。曾祖母も店を支え、娘である祖母も桶いっぱいに豆腐を詰めて近所の八百屋などへ配達に行かされるなどの手伝いをしていたそうです。私も小さい頃に自転車の荷台に乗せてもらったことや、工場でパートの方が油揚げやがんもを袋詰めしていた光景を覚えています。当時から家族経営ならではの和やかな雰囲気を持つ会社でした。
薄利多売から脱却して最高の味を追求する高付加価値路線へシフト
その後、工場は3回の移転をして法人化はその間に行われました。2代目の祖父は、父が27歳の頃に亡くなり、急遽、祖母が家業を引き継ぎました。祖母はそれまで配達や包装などの手伝いをしてきましたが、豆腐づくりは携わって来なかったこともあり、3代目候補として入社した父が、豆腐製造などメインとなる業務を任されるようになっていきました。
そのため父は30代前半で3代目社長に就任しました。その当時は豊川市内だけでも30軒ほどの豆腐店があり、地域の中で安売り合戦となり、値崩れが起きていました。3代目は、売上を上げるために必死で製造数を増やして、方々に配達していたそうです。時を同じくして、市内にスーパーマーケットが続々とオープンして、より多くの人に買ってもらうためにスーパーに納品するようになりました。
今まで以上に製造数を増やす必要があったため、1998年には売上の倍の借入をして、機械化を進めたものの、思うように利益を上げることができず、苦しい状況が続きました。
そうした中で、安売りスーパーからの撤退を決めたことが大きな転機となりました。3代目は、それまでの薄利多売となってしまっていた状況から脱却し、高級スーパーに受け入れられるようなこだわりの一品を作ろうと試作を始めました。その時に生まれたのが、現在でも弊社の売上ナンバーワン商品である「お揚げさん」という最高品質の油揚げです。ふっくら肉厚で、あっさりとした味わいが特徴で、原料には三河産の大豆100%で作った通常より高濃度の豆乳を使用しています。この商品を高級路線のスーパー、渥美フーズさんに置いてもらえるようになり、店内でのプロモーションなども応援して頂きながら、地元での認知が広がっていきました。次第にこだわりの食材を扱う有名飲食店からもお声がけ頂くようになり、徐々に配荷も増えていきました。その積み重ねで売上は1億円程度から、4倍の4億円へと成長していきました。「お揚げさん」のヒットでお客様の支持を得られるようになり、商品ラインナップ全体を徐々に高価格帯へとシフトし、今に繋がっています。
「おいしい豆腐と会社を残したい」3代目の反対を押し切り入社
現在、取締役であり4代目候補の私は、幼少期から「将来は豆腐屋を継ぎたい」と思っていました。3代目である父からは「自分の好きなことをやりなさい」と言われ続けてきましたが、私の「継ぎたい」という思いが揺らぐことはありませんでした。
高校卒業後は、まず東京の大学に進学して見聞を広めながら会社のためになる勉強をしたいと思い、懸命に勉強をして立教大学の経済学部に進みました。
就職先には株式会社創味食品を選びました。不景気の厳しい環境下で豆腐屋を継ぎ、事業を安定させていくためにも、売上が上がり続けていて、育成に熱心な食品関連の会社で経験を積みたいと考えたからです。入社後は東京支店に配属され、営業として6年間、業務用調味料の提案をしていました。創味食品は値引きをほぼ行わず、人と味で勝負しており、高価格帯であるにも関わらず売上が伸び続けている会社です。仕事を通じて地道に成長し続ける心構えとノウハウを学ばせてもらう貴重な6年間となりました。
社会人としての経験を積み、自分の中で承継への決意が固まった頃、入社の意志を改めて3代目に伝えました。「本当に厳しいからやめておけ」とにべもない返事でしたが、結局、勤めていた会社を辞めることで押し切り、2020年1月に弊社に入社しました。決断の背景には、おいしい豆腐を残したい気持ちと会社を支えてきてくれた従業員40人の生活の糧を失わせるわけにいかないという思いがあったからです。入社3年目を迎えた2023年現在は、社員との信頼関係を深めながら、経営の引継ぎを進めているところです。
アットホームな社内で生まれるユニークなアイデア
弊社の社員の平均年齢は50代後半と高めで、最も若い社員は25歳くらいです。2代目の祖父の代から30年以上働いているベテランも2人います。私は子供の頃からかわいがってもらってきましたが、現在は「共に働く仲間」として、そして「後継者」としても受け入れてもらっています。
豆腐の製造は技術的な工程が多いため、先輩と後輩が一対一で向き合い丁寧に教える時間を作ることで、コミュニケーションを取りながら技術を習得できるような環境になっています。
社員食堂で出している汁物には弊社の豆腐を使っており、自分たちの仕事の成果物である豆腐を日々味わえるということで好評です。
社内の雰囲気はとてもアットホームで、何気ない会話の中から生まれたアイデアや商品もあります。絹豆腐の「Silk Da Monde(シルクダモンデ)」という商品名は、ベテラン社員が話す「だもんで」という三河弁からとっています。素材からネーミングまで三河らしさを盛り込んだオリジナリティあふれる商品ということで、メディアにも取り上げられ、多くの反響がありました。このように社員によって作られる弊社の商品は、全て自信を持って提供できる看板商品であり、企画次第で大きく飛躍できる可能性を持っていると思っています。
「昨日よりおいしく」を追求し続ける情熱と職人の技
弊社の強みは、添加物を一切使っていないこと、職人の技によって生み出される本格的なおいしさ、商品のパッケージデザインの3つだと思っています。
弊社の商品を購入する方は、食に通じた方が多いのですが、職人たちが厳選した素材の味わいを最大限まで引き出す技術を持っていることから、味に対してご満足いただけています。
ちなみに社内でもっとも強い情熱とこだわりを持ち続けているのが3代目です。3代目いわく「昨日よりもおいしく」という思いで、日々の豆腐製造に向き合ってきたそうです。工場長を兼務する3代目が、自ら大豆を炊いて加工し、社員がそれを補助するというのが弊社のスタイルです。3代目のひたむきな熱意と、職人の技がかみ合っているからこそ、最高の味を引き出せているのだと思います。
デザインを通じた弊社のブランディングという面では、叔父である専務が十数年前に辻豆腐店のロゴを作ったことから本格的に取り組み始めました。専務は新製品などの企画を考えるのが好きで、2015年には豆腐の素材を豆乳プリンやドーナツなどに加工し販売している「クロスロード」というお店をオープンさせています。クロスロードは、辻豆腐店の直売店として、豆腐や手作りのお菓子のほか、専務が仕入れたこだわりの商品も並んでいて、豆腐の持つ可能性を見出すきっかけにもなりました。現在は開業から約8年経ち、事業ライフサイクルでいうところの「衰退期」に差し掛かり、さらにコロナ禍もあって売上がやや落ち込んでいるため、立て直しを図っているところです。
時代の声に応えた惣菜やレトルト製品開発に注力
近年は大豆などの原材料費が高騰して事業の継続が難しくなり、後継者がいないことから会社を畳む同業者が増え、豊川市内の豆腐店も数軒になってしまいました。今後は購買者の母数が減り、ますます厳しくなっていき、高級路線の豆腐をただ増産するだけでは売上は伸びないと考えています。弊社商品の取扱店にヒアリングした際にも「すぐに食べられるものしか売れなくなってきた」という声が多く、共働き世帯や定年後も働く人が増えてきたことで調理時間を短縮したいというニーズが増えているのだと思います。
こうした声を受け、豆腐ハンバーグやおからの煮物などの惣菜を販売開始したところ、少しずつ売上が伸びるようになり始めました。さらに豆腐事業に付加価値をつけていくために、自社での商品開発の他、他社との協業も始めています。現在は京都の惣菜メーカーと協業して、日持ちのする惣菜商品を開発しているところです。ゆくゆくは10~15品ほど売れ筋の惣菜やレトルトの商品を作っていき、新たな惣菜ブランドを立ち上げたいと考えています。
理念を作り会社に新たな一歩を刻む
時代と共に弊社の在り方や客先も変わり、豆腐の味も時代に合わせて少しずつ変わり続けてきました。この厳しい時代の中で生き抜き、会社全体の力を合わせ、一つの目標に向かっていくためには、外的環境の変化にも対応できる柔軟さと、核となる理念が必要となっていきます。現時点では理念として引き継がれてきたものや掲げているものが無いため、2023年以降に一つの軸となる理念を作りたいと考えています。
また働き手に若い世代を迎えることで、ベテランの技術に新たな風を入れたい考えです。弊社の未来を一緒に考え、築いてくれる20代、30代の方を募集しています。
海外では健康ブームにより日本食や豆腐が注目されており、ゆくゆくは海外展開もできればと考えています。また、M&Aについては、豆腐作りに近く、シナジーを生み出せそうな異業種からのご相談をお待ちしております。
個人的な夢としては、豊川には観光地のようなところがあまり無いので、地域の素材や弊社の豆腐を使った食べ物を味わえたり、物を買ったり、体験ができるような、人の集まる場所を作りたいと密かに思っています。
ツグナラ専門家による紹介
担当専門家:税理士法人SHIP/株式会社SHIP 税理士法人SHIP/株式会社SHIPの詳細
創業から75年以上地元密着で経営する、こだわり豆腐・油揚げの製造、販売を行っている企業様です。余計なものは加えず、素材の味を究極まで引き出すことで最高品質の商品をつくりあげています。代々職人の技を継承しながらも、時代に合わせたマーケティングを行い永続経営をされる企業様です。
会社概要
社名 | 有限会社辻豆腐店 |
創立年 | 1987年 |
代表者名 | 代表取締役 辻 佳範 |
資本金 | 800万円 |
URL |
https://www.tsuji-tofu.co.jp/
|
本社住所 |
〒442-0005 |
事業内容 | 豆腐・豆腐加工の販売 |
会社沿革
1948年 | 11月3日愛知県豊川市塔ノ木にて初代辻釜三夫・古登が創業 ラッパを使った引き売りを始める |
1958年 | 豊川市牛久保町に工場移転 |
1973年 | 豊川市美和通に工場移転 2代目辻英一・喜子が引き継ぐ 町の小売店が減り、スーパーマーケットの台頭、卸を始める |
1987年 | 8月1日会社設立 |
1996年 | 3代目辻佳範が社長に就任 |
1997年 | 豊川市本野ケ原に工場移転 |
2011年 | 豆腐とデザートのお店クロスロードオープン |
2021年 | 通販サイトオープン |
有限会社辻豆腐店の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
愛知県
「昨日よりおいしく」を追求し続ける豆腐店で職人の技を磨きませんか
公開日:2023/03/23 (2023/07/06修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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