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多工種対応で
田村建材株式会社
過去も未来も「社員と共に」、人を育て、地域を守り抜く
経営理念
一流の熱心で人と街へのお役立ち。快適環境づくりのコアエンタープライズ社
代表者メッセージ
福島から世界へ、そして100年先へ。
いま、建設業界は深刻な職人不足に直面しています。私たちはこの課題を、地域と共に解決したいと考え、廃校を活用した「職人育成塾」を設立しました。地元の若者が技術を学び、夢を描ける場所をつくること。それが、この地に根を下ろした企業の責任だと考えているからです。
また、私たちは福島の市場を守るため、あえて海を越え、アメリカでの不動産開発等、海外事業にも挑んでいます。世界で得た知見と利益を地元に還元し、価格競争に巻き込まれることなく、社員の雇用と豊かな生活を守り抜く。これこそが、令和の時代の「三方よし」の形です。
創業100年を超えてなお、「福島に田村建材があってよかった」と必要とされる企業であるために。私たちはこれからも伝統を重んじ、変化を恐れず、一歩ずつ着実に歩みを進めてまいります。
代表取締役 田村哲朗
私たちのこだわり
宮大工をルーツに持つ設立60年以上の建築会社
弊社は、1963年に私の父がいわき市で設立した会社です。前身は祖父が個人事業として営んでいた「田村屋根店」で、さらにそのルーツをたどると1887年の高祖父の代にまでさかのぼり、私でちょうど5代目になります。
我が家は代々、職人の家系でした。高祖父は屋根専門の宮大工として、新潟から福島にかけて寺社仏閣の修理等をしていました。こうした日々の中でいわき市の温暖な気候を気に入り、妻子を呼び寄せていわき市に腰を据えました。そこから、板葺き屋根の職人として事業を開始したと聞いています。
やがて高祖父から曾祖父、祖父へと代替わりしていく中で、屋根の需要が「杮葺き(こけらぶき)」と呼ばれる木製屋根から瓦屋根へと変わると祖父も瓦職人として腕を振るうようになりました。また祖父の時代は常磐炭鉱が隆盛で、「炭鉱住宅」と呼ばれる長屋の屋根にアスファルトルーフィングを施工する仕事も多数請け負っていました。
祖父が他の職人と違ったのは、「職人」でありながら「商人」としての視点も大切にしていたことです。当時はお客様が用意した材料で職人が作業をする「手間請け」として働くのが主流でした。しかし祖父はルーフィング材も自分で用意し、いわゆる「材工一式」で仕事を請け負っていました。「商売を大きくするためには職人ではなくあきんど(商人)にならなければならない」という強い信念があったからです。やがて父が家業を継いだとき、この「材工で受ける職人になる」という考えも受け継ぎました。だからこそ法人化の際に社名を「田村屋根店」から「田村建材」に変えたそうです。
現在では屋根工事のみならず、内装や外装工事を含む16工種の専門工事を請け負う建築会社へと成長しました。専門工事業の分野では福島県内で完成工事高No.1シェアをいただけるまでになっています。もちろん材工一式で請け負う体制は設立時から変わりません。県内では弊社のみが取り扱っている建材や工法もあります。
また、これからの時代を見据えて海外へと事業の場を広げています。今後は地元での地位をより強固にするとともに、海外でもさらなる成果を達成していきたいと思っています。
両親と伯父たちが育て上げた会社を継ぐ
父が「田村屋根店」を「田村建材株式会社」として法人化した翌年に私は生まれました。自宅が会社という環境で生まれ育った私は、朝に車の掃除を手伝うなど、子供のころから会社と関わる生活をしていました。
私から見た父はパワフルで面倒見がよく、「親分肌」という表現がぴったりの経営者でした。大学生の頃、友人たちを連れて帰省すると父は、その友人たちも車掃除を手伝わせました。今でも彼らとは親しくしているのですが、会うたびに「親父さん面白かったよな」と言われます。
一方、母は若手社員に向かって「貯金しなさい」というのが口癖でした。そして、幼い私には「私たちがご飯を食べられるのはお兄ちゃんたちのおかげだから感謝しなさい」と言い聞かせ、特に挨拶はしっかりするようにと常にいわれていました。
父は親友と2人で弊社を立ち上げました。その親友の妹が私の母です。
そして母の他の兄弟も会社を手伝ってくれました。私にとって会社は、両親と伯父たちが仲良く力を合わせて大きくしていった会社です。子供のころから愛着がありましたし、家業を継ぐのは自然なことだと感じていました。
当初は大学を卒業後、取引先である総合商社で5年ほど修行をさせていただく予定でした。しかし、大学4年生の時に父が原因不明の高熱で倒れてしまいました。幸いその後25年間元気に過ごせたのですが、当時は先が見えない状況でした。伯父たちとも相談し、「修行中に万一のことがあったら元も子もない」と、修行予定先にはお詫びを入れて修行を断念し、大学を卒業と同時に会社に入社しました。そして十数年後の2000年に代表取締役に就任しました。
多工種への対応力と高付加価値な建材の提供という材工両面の優位性
当初は「田村屋根店」として屋根工事からスタートしました。しかし、現在屋根だけにとどまらず、建設業にある27種類の専門工事のうち、16種類の工事が可能という対応力が弊社の大きな強みです。
元請け企業の中には「この工種に関しては特定の協力会社に任せている」という会社もあります。例えば弊社が屋根工事のみを専門としており、営業先が屋根工事については特定の協力会社に任せていた場合、弊社が入り込む余地がありません。
しかし弊社は多工種に対応しているため、「では防水工事ならどうですか」といった提案が可能です。そして信頼を積み重ねれば次は他の工種も任せてもらえる可能性が高まりますし、お客様にとっても信頼できる相手に多くを任せられる安心感が得られ、かつ発注の手間も省けるといったメリットがあります。この多工種対応力と信頼の積み重ねによって、弊社は「専門工事業での県内完成工事高No.1シェア」を達成しています。
また県内では弊社だけしか取り扱いのない、高付加価値な建材や工法を提供することが可能です。メーカーが新たな商材を開発し、最初はどの会社に任せようかという判断基準は、まずは技術面や実績面で信頼できる会社が選択肢になります。弊社は長年、大手ゼネコンや地場有力ゼネコンとのお取引をはじめ、多くの現場で実績を積み重ねてきました。 その経験と技術が評価され、メーカーから「田村建材なら安心して任せられる」と信頼できる会社としての地位を確立しています。
社員と共に、家族と共に
弊社の経営の根幹には、父と伯父が設立したときに掲げた3つの社訓があります。それは「仕事を通して社会に貢献しよう」「親孝行をしよう」「蓄積をしよう」という言葉です。「仕事を通して社会に貢献しよう」は、企業として正しく利益を出して納税を通じて地域社会に還元するという、企業の社会的責任についてまっすぐに考えた言葉だと思います。そして、「親孝行をしよう」と「蓄積をしよう」は、「社員と共に歩み、互いに支え合う組織でありたい」という強い想いがあります。
父は常々、「会社だけが良くてもダメ、従業員だけが良くてもダメ」と言っていました。どちらか一方ではなく両方とも良くなることを心掛けないと結局はどちらも良くなりません。会社だけが利益を得れば社員が不幸になります。かといって社員の幸せだけにこだわり過ぎて、会社が潰れてしまっては本末転倒です。
「共に良くなる」という考え方は、採用の場にも表れています。たとえば新入社員を採用する際、内々定後の最終面接にご家族も同席してもらい、一緒に弊社の経営方針について聞いてもらいます。新卒社員は入社後に必ず何らかの「壁」に直面します。その壁を乗り越えるために、会社だけでなく、ご家族の支えも欠かせないと考えているからです。
また、入社する方には「どれほど辛くとも3年は勤めてください」と伝えています。3年働けば社会人としては一人前になれます。その後は本当にやりたかった仕事に移っても構いません。一度きりの人生で、数ある企業から弊社を選んでくれたのだから、仮にここを離れることになったとしても、どこにでも通用する「一人前の力」をつけてあげたいと思っています。
また社員旅行にもご家族を招待します。これは弊社の事業は社員だけではなく、社員のご家族の支えがあってこそ初めて成り立っているからです。「親孝行をしよう」という父の言葉には、 とても深い意味があります。親子とは、人間にとって一番最初の人間関係です。つまり「親孝行」とは、すべての人間関係の原点であります。ここを大切にすることは「家族を大切にする」だけでなく「人間関係を大事にする」ことに通じるといえます。原点である家族を大事にする心があれば、それは必ず、周りの人々を大事にする心にも繋がっていくと思います。
「蓄積をしよう」という言葉ついては、母は若手社員に対し、親心から「しっかり貯金しなさい」と声をかけていました。対して父は、若者がただ我慢して貯金をする辛さもよく理解していました。「目的のない努力は続かない。夢がなければ頑張れないだろう」と考えたのでしょうね。 そこで父は「目的のない貯金は大変だろう、家を建てられるぐらい貯金した人には土地をプレゼントする」と宣言しました。実際に当時開発が進んでいた団地の1区画を会社で買い上げ、希望者にプレゼントしたことがありました。登記費用も会社が持ちました。このときに土地をプレゼントした社員のお子さんが、今では弊社で働いています。父が社員の「夢」を支え、社員がそれに応える。そんな風に世代を越えて縁が続いていくことこそが、私たちが何より大切にしている「蓄積」の形なのかもしれません。
社員の子供を対象とした特別奨学金制度
現在、弊社では「給付型奨学金制度」を設けています。これは社員のお子さんが大学や専門学校に進学した際、卒業まで一人につき月額5万円を手当として支給するものです。
きっかけは、ある一人の社員との会話でした。
私は年2回、全社員と面談を行っているのですが、とある営業所でその社員が「息子を東京の専門学校に通わせたこの2年間、本当に大変でした」と私に打ち明けたのです。 その言葉に、胸を突かれました。私たちのいる地方では、学びたい分野によってはどうしても実家を出て進学しなければならない方がほとんどです。
しかし、経済的な理由で子供が夢をあきらめるようなことがあっては、あまりに悲しく、 「社員の家族を守るのが会社の務めだ」と考え、社員とそのご家族のためにこの制度をスタートさせました。この取り組みは、他の経営者の方々からも「それは素晴らしいお金の使い方だ」と評価をいただき、同じような取り組みを始めた会社も出てきました。 社員のご家族にまで貢献できているという実感が、私自身の支えにもなっています。この制度を続けていくことが、経営者としての私の責任であり、誇りでもあります。
独立できるほどの人財が「それでもここで働きたい」と思える会社に
社員にはいつも「独立できるほどの実力を備えた『人財』になろう」といっています。弊社の仕事はルーティンワークではなく、現場によって求められることが変わる仕事です。営業も現場管理も両方担当できるようになれば将来の可能性は広がりますし、そのためのキャリアパスを作成して提示しています。入社当初は「頼りないな、大丈夫かな」と思っていた若手が、経験を積み、今では立派な幹部として弊社を支えてくれています。そうやって育ち、どこへでも通用する優秀な人財が、「それでもこの会社でみんなと一緒に働きたい」と思ってもらえるような会社にしていくのが私の仕事だと思っています。
職人育成塾ふくしま・いわき校の設立
少子高齢化が進む日本において、建設業界の「職人不足」は待ったなしの課題となっています。さらに地方の中小企業が直面している人手不足は、都会の大企業よりも深刻なものになっています。弊社は福島県いわき市に拠点を構える会社として、長年地域経済発展のために何かできないかと思案してきました。これからの地域の未来を守り、次世代へバトンを繋ぐための取り組みとして、志を同じくする地元企業3社と共に「職人育成塾ふくしま・いわき校」を設立しました。
これは地元の廃校を活用し、若者が短期間で職人の技術を学び、資格取得、そして就職支援までサポートするという取り組みです。特徴は、短期間で実践的な技術と資格が身に付くカリキュラムになっており、職種体験や面談を通じて自分に合った仕事に出会える仕組みです。このような取り組みは東北地方では他に土木系で1校あるだけという新たな挑戦ですが、単なる技術習得の場にとどまらず、若者が安心して働ける未来を作り、地元の建設業界の未来に繋がる大切な事業だと思っています。
地元いわき市での仕事と海外事業を両立させていく
事業の成長には、M&Aも選択肢の1つだと考えています。ただ、むやみに事業領域を拡大しようとは考えていません。同じ理念を掲げる企業様とは、ぜひ手を取り合い、一丸となって取り組んでいきたいと考えております。価値観が一致してこそ、お客様に最高の価値を提供し、共に大きな成果を生み出せると確信しているからです。
業種としては、基本的には弊社と同じ専門工事業を考えています。エリア的には地元の福島県を中心に、北関東エリアあたりまで視野に入れています。
ありがたいことに、県内の専門工事業者として完成工事高トップシェアを頂いています。今後も維持したいと思っていますが、福島に限らず地方経済共通の課題として、市場規模が縮小していき売上は減少してきます。しかし、シェアを維持するために価格競争に突入するのは避けるべきです。価格競争をすると利益が減り、最終的には社員やその家族を守れなくなってしまいます。それだけは絶対に避けなければなりません。地元で適正な価格と品質を維持し、社員の雇用をも守るために、海外の市場に視野を広げています。
海外事業にも積極的に取り組み、地域経済へ貢献していきたいと思っています。
設立100年経っても福島で必要とされる企業であり続けるために
現在、弊社はロサンゼルスとハワイを拠点に、現地の不動産開発会社とタッグを組み、大きなプロジェクトを動かしています。 その役割の一つが「日本とアメリカの架け橋」です。日本国内の上場ディベロッパー数社をはじめとする投資家の皆様と、アメリカの優良な開発案件をお繋ぎし、事業資金の調達を支援する窓口としての役割を果たしています。
特にハワイでは現地の深刻な住居不足を解消するため、公的な支援を受けた「安価で良質な賃貸住宅」をつくるプロジェクトにも参加し、現地社会への貢献も大切にしています。
これらの事業で様々なノウハウを蓄積するとともに、現地の取引先や国内の大手ゼネコンとも新たにご縁を結ぶことができました。
世界で掴んだ成果とノウハウを福島へ還流させ、社員とその家族の生活をより豊かにし、これまで以上に地域社会に貢献し、地域と共に100年続く企業になることが、弊社の願いです。
宮大工をルーツに持つ設立60年以上の建築会社
弊社は、1963年に私の父がいわき市で設立した会社です。前身は祖父が個人事業として営んでいた「田村屋根店」で、さらにそのルーツをたどると1887年の高祖父の代にまでさかのぼり、私でちょうど5代目になります。
我が家は代々、職人の家系でした。高祖父は屋根専門の宮大工として、新潟から福島にかけて寺社仏閣の修理等をしていました。こうした日々の中でいわき市の温暖な気候を気に入り、妻子を呼び寄せていわき市に腰を据えました。そこから、板葺き屋根の職人として事業を開始したと聞いています。
やがて高祖父から曾祖父、祖父へと代替わりしていく中で、屋根の需要が「杮葺き(こけらぶき)」と呼ばれる木製屋根から瓦屋根へと変わると祖父も瓦職人として腕を振るうようになりました。また祖父の時代は常磐炭鉱が隆盛で、「炭鉱住宅」と呼ばれる長屋の屋根にアスファルトルーフィングを施工する仕事も多数請け負っていました。
祖父が他の職人と違ったのは、「職人」でありながら「商人」としての視点も大切にしていたことです。当時はお客様が用意した材料で職人が作業をする「手間請け」として働くのが主流でした。しかし祖父はルーフィング材も自分で用意し、いわゆる「材工一式」で仕事を請け負っていました。「商売を大きくするためには職人ではなくあきんど(商人)にならなければならない」という強い信念があったからです。やがて父が家業を継いだとき、この「材工で受ける職人になる」という考えも受け継ぎました。だからこそ法人化の際に社名を「田村屋根店」から「田村建材」に変えたそうです。
現在では屋根工事のみならず、内装や外装工事を含む16工種の専門工事を請け負う建築会社へと成長しました。専門工事業の分野では福島県内で完成工事高No.1シェアをいただけるまでになっています。もちろん材工一式で請け負う体制は設立時から変わりません。県内では弊社のみが取り扱っている建材や工法もあります。
また、これからの時代を見据えて海外へと事業の場を広げています。今後は地元での地位をより強固にするとともに、海外でもさらなる成果を達成していきたいと思っています。
両親と伯父たちが育て上げた会社を継ぐ
父が「田村屋根店」を「田村建材株式会社」として法人化した翌年に私は生まれました。自宅が会社という環境で生まれ育った私は、朝に車の掃除を手伝うなど、子供のころから会社と関わる生活をしていました。
私から見た父はパワフルで面倒見がよく、「親分肌」という表現がぴったりの経営者でした。大学生の頃、友人たちを連れて帰省すると父は、その友人たちも車掃除を手伝わせました。今でも彼らとは親しくしているのですが、会うたびに「親父さん面白かったよな」と言われます。
一方、母は若手社員に向かって「貯金しなさい」というのが口癖でした。そして、幼い私には「私たちがご飯を食べられるのはお兄ちゃんたちのおかげだから感謝しなさい」と言い聞かせ、特に挨拶はしっかりするようにと常にいわれていました。
父は親友と2人で弊社を立ち上げました。その親友の妹が私の母です。
そして母の他の兄弟も会社を手伝ってくれました。私にとって会社は、両親と伯父たちが仲良く力を合わせて大きくしていった会社です。子供のころから愛着がありましたし、家業を継ぐのは自然なことだと感じていました。
当初は大学を卒業後、取引先である総合商社で5年ほど修行をさせていただく予定でした。しかし、大学4年生の時に父が原因不明の高熱で倒れてしまいました。幸いその後25年間元気に過ごせたのですが、当時は先が見えない状況でした。伯父たちとも相談し、「修行中に万一のことがあったら元も子もない」と、修行予定先にはお詫びを入れて修行を断念し、大学を卒業と同時に会社に入社しました。そして十数年後の2000年に代表取締役に就任しました。
多工種への対応力と高付加価値な建材の提供という材工両面の優位性
当初は「田村屋根店」として屋根工事からスタートしました。しかし、現在屋根だけにとどまらず、建設業にある27種類の専門工事のうち、16種類の工事が可能という対応力が弊社の大きな強みです。
元請け企業の中には「この工種に関しては特定の協力会社に任せている」という会社もあります。例えば弊社が屋根工事のみを専門としており、営業先が屋根工事については特定の協力会社に任せていた場合、弊社が入り込む余地がありません。
しかし弊社は多工種に対応しているため、「では防水工事ならどうですか」といった提案が可能です。そして信頼を積み重ねれば次は他の工種も任せてもらえる可能性が高まりますし、お客様にとっても信頼できる相手に多くを任せられる安心感が得られ、かつ発注の手間も省けるといったメリットがあります。この多工種対応力と信頼の積み重ねによって、弊社は「専門工事業での県内完成工事高No.1シェア」を達成しています。
また県内では弊社だけしか取り扱いのない、高付加価値な建材や工法を提供することが可能です。メーカーが新たな商材を開発し、最初はどの会社に任せようかという判断基準は、まずは技術面や実績面で信頼できる会社が選択肢になります。弊社は長年、大手ゼネコンや地場有力ゼネコンとのお取引をはじめ、多くの現場で実績を積み重ねてきました。 その経験と技術が評価され、メーカーから「田村建材なら安心して任せられる」と信頼できる会社としての地位を確立しています。
社員と共に、家族と共に
弊社の経営の根幹には、父と伯父が設立したときに掲げた3つの社訓があります。それは「仕事を通して社会に貢献しよう」「親孝行をしよう」「蓄積をしよう」という言葉です。「仕事を通して社会に貢献しよう」は、企業として正しく利益を出して納税を通じて地域社会に還元するという、企業の社会的責任についてまっすぐに考えた言葉だと思います。そして、「親孝行をしよう」と「蓄積をしよう」は、「社員と共に歩み、互いに支え合う組織でありたい」という強い想いがあります。
父は常々、「会社だけが良くてもダメ、従業員だけが良くてもダメ」と言っていました。どちらか一方ではなく両方とも良くなることを心掛けないと結局はどちらも良くなりません。会社だけが利益を得れば社員が不幸になります。かといって社員の幸せだけにこだわり過ぎて、会社が潰れてしまっては本末転倒です。
「共に良くなる」という考え方は、採用の場にも表れています。たとえば新入社員を採用する際、内々定後の最終面接にご家族も同席してもらい、一緒に弊社の経営方針について聞いてもらいます。新卒社員は入社後に必ず何らかの「壁」に直面します。その壁を乗り越えるために、会社だけでなく、ご家族の支えも欠かせないと考えているからです。
また、入社する方には「どれほど辛くとも3年は勤めてください」と伝えています。3年働けば社会人としては一人前になれます。その後は本当にやりたかった仕事に移っても構いません。一度きりの人生で、数ある企業から弊社を選んでくれたのだから、仮にここを離れることになったとしても、どこにでも通用する「一人前の力」をつけてあげたいと思っています。
また社員旅行にもご家族を招待します。これは弊社の事業は社員だけではなく、社員のご家族の支えがあってこそ初めて成り立っているからです。「親孝行をしよう」という父の言葉には、 とても深い意味があります。親子とは、人間にとって一番最初の人間関係です。つまり「親孝行」とは、すべての人間関係の原点であります。ここを大切にすることは「家族を大切にする」だけでなく「人間関係を大事にする」ことに通じるといえます。原点である家族を大事にする心があれば、それは必ず、周りの人々を大事にする心にも繋がっていくと思います。
「蓄積をしよう」という言葉ついては、母は若手社員に対し、親心から「しっかり貯金しなさい」と声をかけていました。対して父は、若者がただ我慢して貯金をする辛さもよく理解していました。「目的のない努力は続かない。夢がなければ頑張れないだろう」と考えたのでしょうね。 そこで父は「目的のない貯金は大変だろう、家を建てられるぐらい貯金した人には土地をプレゼントする」と宣言しました。実際に当時開発が進んでいた団地の1区画を会社で買い上げ、希望者にプレゼントしたことがありました。登記費用も会社が持ちました。このときに土地をプレゼントした社員のお子さんが、今では弊社で働いています。父が社員の「夢」を支え、社員がそれに応える。そんな風に世代を越えて縁が続いていくことこそが、私たちが何より大切にしている「蓄積」の形なのかもしれません。
社員の子供を対象とした特別奨学金制度
現在、弊社では「給付型奨学金制度」を設けています。これは社員のお子さんが大学や専門学校に進学した際、卒業まで一人につき月額5万円を手当として支給するものです。
きっかけは、ある一人の社員との会話でした。
私は年2回、全社員と面談を行っているのですが、とある営業所でその社員が「息子を東京の専門学校に通わせたこの2年間、本当に大変でした」と私に打ち明けたのです。 その言葉に、胸を突かれました。私たちのいる地方では、学びたい分野によってはどうしても実家を出て進学しなければならない方がほとんどです。
しかし、経済的な理由で子供が夢をあきらめるようなことがあっては、あまりに悲しく、 「社員の家族を守るのが会社の務めだ」と考え、社員とそのご家族のためにこの制度をスタートさせました。この取り組みは、他の経営者の方々からも「それは素晴らしいお金の使い方だ」と評価をいただき、同じような取り組みを始めた会社も出てきました。 社員のご家族にまで貢献できているという実感が、私自身の支えにもなっています。この制度を続けていくことが、経営者としての私の責任であり、誇りでもあります。
独立できるほどの人財が「それでもここで働きたい」と思える会社に
社員にはいつも「独立できるほどの実力を備えた『人財』になろう」といっています。弊社の仕事はルーティンワークではなく、現場によって求められることが変わる仕事です。営業も現場管理も両方担当できるようになれば将来の可能性は広がりますし、そのためのキャリアパスを作成して提示しています。入社当初は「頼りないな、大丈夫かな」と思っていた若手が、経験を積み、今では立派な幹部として弊社を支えてくれています。そうやって育ち、どこへでも通用する優秀な人財が、「それでもこの会社でみんなと一緒に働きたい」と思ってもらえるような会社にしていくのが私の仕事だと思っています。
職人育成塾ふくしま・いわき校の設立
少子高齢化が進む日本において、建設業界の「職人不足」は待ったなしの課題となっています。さらに地方の中小企業が直面している人手不足は、都会の大企業よりも深刻なものになっています。弊社は福島県いわき市に拠点を構える会社として、長年地域経済発展のために何かできないかと思案してきました。これからの地域の未来を守り、次世代へバトンを繋ぐための取り組みとして、志を同じくする地元企業3社と共に「職人育成塾ふくしま・いわき校」を設立しました。
これは地元の廃校を活用し、若者が短期間で職人の技術を学び、資格取得、そして就職支援までサポートするという取り組みです。特徴は、短期間で実践的な技術と資格が身に付くカリキュラムになっており、職種体験や面談を通じて自分に合った仕事に出会える仕組みです。このような取り組みは東北地方では他に土木系で1校あるだけという新たな挑戦ですが、単なる技術習得の場にとどまらず、若者が安心して働ける未来を作り、地元の建設業界の未来に繋がる大切な事業だと思っています。
地元いわき市での仕事と海外事業を両立させていく
事業の成長には、M&Aも選択肢の1つだと考えています。ただ、むやみに事業領域を拡大しようとは考えていません。同じ理念を掲げる企業様とは、ぜひ手を取り合い、一丸となって取り組んでいきたいと考えております。価値観が一致してこそ、お客様に最高の価値を提供し、共に大きな成果を生み出せると確信しているからです。
業種としては、基本的には弊社と同じ専門工事業を考えています。エリア的には地元の福島県を中心に、北関東エリアあたりまで視野に入れています。
ありがたいことに、県内の専門工事業者として完成工事高トップシェアを頂いています。今後も維持したいと思っていますが、福島に限らず地方経済共通の課題として、市場規模が縮小していき売上は減少してきます。しかし、シェアを維持するために価格競争に突入するのは避けるべきです。価格競争をすると利益が減り、最終的には社員やその家族を守れなくなってしまいます。それだけは絶対に避けなければなりません。地元で適正な価格と品質を維持し、社員の雇用をも守るために、海外の市場に視野を広げています。
海外事業にも積極的に取り組み、地域経済へ貢献していきたいと思っています。
設立100年経っても福島で必要とされる企業であり続けるために
現在、弊社はロサンゼルスとハワイを拠点に、現地の不動産開発会社とタッグを組み、大きなプロジェクトを動かしています。 その役割の一つが「日本とアメリカの架け橋」です。日本国内の上場ディベロッパー数社をはじめとする投資家の皆様と、アメリカの優良な開発案件をお繋ぎし、事業資金の調達を支援する窓口としての役割を果たしています。
特にハワイでは現地の深刻な住居不足を解消するため、公的な支援を受けた「安価で良質な賃貸住宅」をつくるプロジェクトにも参加し、現地社会への貢献も大切にしています。
これらの事業で様々なノウハウを蓄積するとともに、現地の取引先や国内の大手ゼネコンとも新たにご縁を結ぶことができました。
世界で掴んだ成果とノウハウを福島へ還流させ、社員とその家族の生活をより豊かにし、これまで以上に地域社会に貢献し、地域と共に100年続く企業になることが、弊社の願いです。
会社概要
| 社名 | 田村建材株式会社 |
| 創立年 | 1963年 |
| 代表者名 | 代表取締役 田村 哲朗 |
| 資本金 | 4,500万円 |
| URL |
https://www.tamurakenzai.co.jp/
|
| 本社住所 |
〒973-8403 |
| 事業内容 | 建築工事の施工及び建設・土木資材の販売 |
| 事業エリア |
郡山支店 〒963-0547 |
|
福島営業所 〒960-0102 |
|
|
白河営業所 〒961-0041 |
|
|
東京営業所 〒169-0074 |
|
|
米国営業所 〒91101 |
|
| 関連会社 |
|
会社沿革
| 1963年 | 田村建材株式会社を設立 資本金150万円 初代代表取締役 田村保則 |
| 1967年 | 資本金を300万円に増資 |
| 1968年 | 資本金を600万円に増資 |
| 1971年 | 郡山営業所を開設 |
| 1972年 | 資本金を1,000万円に増資 |
| 1974年 | 資本金を2,000万円に増資 |
| 1977年 | 白河営業所を開設 福島営業所を開設 資本金を3,000万円に増資 |
| 1988年 | 東京営業所を開設 |
| 1991年 | 資本金を4,500万円に増資 |
| 2000年 | 田村保則が代表取締役会長 就任 田村哲朗が代表取締役 就任 本社事務所を一部改装 |
| 2009年 | 東京営業所を渋谷区千駄ヶ谷から新宿区北新宿エトワールビル 北新宿 4階に移転 |
| 2013年 | 設立50周年を迎える |
田村建材株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
福島県
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
理念と雇用を守る未来への約束
公開日:2026/01/19
※本記事の内容および所属名称は2026年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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