福島・いわき市
福島 ・ いわき市
優れた
株式会社タクトフル
創業時よりこだわり続けた製造派遣
経営理念
積み重ねが人を育てる、優れた人材サービス「TACTFUL」
代表者メッセージ
東北地方・北関東の人材派遣マーケットは、リーマン・ショック以降は大幅に縮小し、東日本大震災や少子高齢化の影響もあり、あらゆる業界で人材不足が深刻化している状況です。
弊社では、派遣先企業様のニーズに対応できる、優れた人材サービスの提供こそが社会課題解決の一歩につながると考え、国の基幹産業でもある製造業への人材派遣を主軸としています。
製造派遣を通じた永続経営への強い思いは、プレハブ1棟と軽自動車1台からスタートした創業当時から、一貫して変わっていません。
今後も、社名の「TACTFUL」のように、仕事が巧みで気配りのできる人材と、優れたサービスの提供により、福島県・茨城県を中心とした東北地方の人材派遣マーケットを支え続けます。
企業様の力となれますよう、より一層努めてまいります。
代表取締役 斎藤 典久
私たちのこだわり
数々の危機を乗り越えた製造派遣会社
株式会社タクトフルは、2006年に福島県いわき市で創業し2007年に法人化した、工場派遣を主とする人材派遣会社です。
プレハブの小さな事務所と軽自動車1台からスタートし、翌2008年にはリーマン・ショック、2011年は東日本大震災と原発事故、2019年にはコロナ禍という大きな危機を乗り越え、事業を拡大し続けることができました。新型コロナ禍を経た2023年には、コロナ前の2倍以上にまで売り上げを伸ばすことができています。
度重なる危機に直面しながらも事業を成長できているのは、私たちが真摯に仕事に向かい合うことで積み重ねてきた、お客様からの信頼があったからだと実感しています。今後も人材派遣を通じて、いわき市を中心に東北地方及び北関東の地域経済に貢献していきます。
営業職で頭角をあらわし、20代前半に営業所長に
当時の人材派遣業界は、1996年からの段階的な規制緩和によって適用対象の業務が拡大され、不況下の労働力を補う施策として注目されるようになっていました。初めて入社した大手派遣会社も、業界活況の追い風を受けてすでに全国に拠点が設けられ、社員も数万人いる状態でした。
入社から2年間は現場研修として液晶画面の工場に配属され、3交代制の工場勤務に従事しました。派遣スタッフがどのような環境で働いているのか、自分の身で実際に学ぶことができたのは、大変ではあったものの良い経験になったと思っています。
2年後には、会社側から営業への転属について声がかかり、挑戦してみたところ、性に合っていたのかどんどん成績が上がり、1年も経たないうちに営業所の所長を任されるまでになりました。
やがて会社は転換期に差しかかり、転職したり独立したりする先輩社員が増えてきました。そんなある日、グループ内の別会社で営業所長を務めていた先輩が独立するタイミングで「一緒に来ないか、お前だったら絶対上にいける」と声をかけられました。私も新しい挑戦に魅力を感じ、先輩の誘いを受けることにしました。
経営者となり制度や業務インフラ整備の大切さを実感
そして、前職の先輩が新たに立ち上げた会社の営業本部長となってからは、東北から北関東にかけての営業所立ち上げに携わり、岩手、山形、宮城、福島、茨城、埼玉を経て、仙台市や福島県の浜通り地域を中心に、営業活動に従事しました。
この2社目の仕事も非常にやりがいがあって充実していましたが、当時私はまだ若く生意気で、社長との意見の衝突をきっかけに会社を退職してしまいました。
勢い任せの退職だったため具体的な計画があったわけではなく、個人事業主として雑務に携わり、生活費を得ていました。
しかし、体制の整った会社組織ではなかったことからトラブルが頻発し、制度や業務インフラを整えて、社員が働きやすい会社組織を作らなければならないと改めて強く思いました。そこで前職・前々職の経験を活かし、法人化したのが、現在の株式会社タクトフルでした。
リーマンショックの危機を無借金経営と顧客の信頼が救う
2007年5月にタクトフルを設立してからの滑り出しは順調で、8月の盆明けには軌道に乗せることができました。しかし、設立の翌年にはリーマンショックが起こり、製造派遣が中心であった弊社は不況のあおりをまともに受け、売上が激減してしまいました。厳しい局面ではありましたが、会社の設立当初から無借金を貫いていたことや、会社員時代の蓄えがあったことが幸いし、倒産はどうにかまぬがれました。
さらに、前職でお世話になったお客様や、会社設立後に社長兼営業として訪問した私を覚えていてくださった派遣先の方が、助け舟のようなタイミングで仕事をくださり、リーマンショック後に減った売り上げは、その年の秋には以前以上まで取り戻すことができました。
そのおかげで、リーマンショックの翌2009年の盆明けには再び軌道に乗り、最盛期の1.5倍ほどの売上にまで伸びていきました。
震災の生活不安が翌年の人口減少と退職増のひきがねに
そしてリーマンショック2年後の2011年には、東日本大震災と原発事故が起こりました。地震のあった3月は、派遣先の都合もあって一時休業せざるを得ず、売上も6割減となりましたが、4月には以前の9割ほどまで回復し、その後は1.2倍~3倍で推移していきました。
震災直後は退職も入職もなく、派遣スタッフも真面目に働き、経営はむしろ安定していました。
ところが、年度が変わった途端に退職を申し出る方が激増しました。振り返ると、震災年は余震も多く、不安の中で社会や行政の動向をうかがっていた方々が、見切りをつけ一気に動き始めたのだと思います。派遣スタッフの一部は、より単価の高い原発関連の仕事に流れ、売り上げも震災翌年は減少しました。震災翌年は、社内だけでなく地域や県内の人口も大幅に減少し、困難を経て絆が深まった家族や地域がある一方で、震災の生活不安がきっかけとなって関係性にひびが入り、離婚したり県外に出て行ってしまったりした方も多くいました。
さらに、地域住民と入れ替わるようにして、他県から働きに来る原発関連の作業員の方が多くなり、震災翌年は一時混乱を極めました。
時短営業や休業中の飲食サービス人材の受け皿になったコロナ禍
震災翌年からの混乱はしばらく続きましたが、製造派遣の需要は多くあったので、経営としては順調でした。2020年の新型コロナウイルス感染拡大のときには、震災時と同様の経過をたどり、コロナ直後は真面目に働いていた派遣スタッフが、翌年になって多く退職し、入れ替わりました。
経営としては、国全体の経済活動が停滞していたので、弊社の経営も低迷するかと思われましたが、外出自粛で停滞していた分の仕事が派遣先から一気に寄せられたことで、かえって業務が立て込み、コロナ以前と比較して2倍以上の売り上げとなりました。
震災時と違っていたのは、時短勤務になったり休業や閉店を余儀なくされたりしていた飲食店やサービス業の方が多く働きに来ていた部分で、外出自粛要請が解除され通常営業ができるようになってからは、徐々にもとの職へと戻っていきました。
地元に本社拠点のある安心感が関係者の信頼を築く
弊社は、約20年にわたり福島県いわき市に拠点を構え、いわき市内外100社以上のお客様と取引をおこなっています。この地域において許可の下りている人材派遣会社は何百とありますが、他社の事務所や拠点は、郡山や水戸、仙台などの遠方にあり、私が見る限り、いわき市に拠点があり実際に稼働しているのは数えるほどしかないように思われます。すぐに駆け付けられる地元に、本社や拠点があること自体が安心感につながり、派遣先などからは好意的な声をいただいています。
また、長年働いてくれている派遣スタッフが複数人います。仕事や派遣先は派遣先の都合により変わってしまうことはありますが、それでも長年働くスタッフの存在は、派遣先企業や弊社への信頼の証しであり、誇りだと思っています。
「当たり前」の積み重ねが丁寧な仕事に
「巧みな」「優れた」「気配りのある」という意味をもつタクトフルの社名は、お客様への宣誓や目指すべきあり方として掲げました。人材派遣業という業種は、派遣先のルールや理念に沿う必要があり、自社のカラーを出しにくい部分があります。そのため会社としての理念は掲げていませんが、代わりに、社名が示すような配慮ある優れたサービスを派遣スタッフに提供してもらえように、人としての基本的な礼儀を徹底してもらっています。
弊社では、日頃から派遣スタッフに挨拶を欠かさず、先方の話を聞き、丁寧に仕事に取り組むよう伝えています。1つ1つはどれも当たり前のことですが、こういった小さな積み重ねが、やがて大きな信頼につながります。この「当たり前のことを当たり前に取り組む」ことはおろそかになりがちですが、ほかの業種と比べて派遣先や仕事内容が変わることの多い派遣スタッフにとっては、いち早く業務に慣れるためのとても大切な習慣です。
自らの行動ひとつひとつを意識し仕事に臨める態度と適応力が、弊社の社員や派遣スタッフの強みでもあると思っています。
また、派遣業界には適正な原価率があり、会社としても、社会保険に加入してもらい、有給休暇も消化してもらうという人を雇用するうえで「当たり前」の環境を整備することが、長く働き続けてもらうのには大事だと思っています。
派遣スタッフのキャリアアップをサポートする専用サイト
2015年の改正労働者派遣法の施行以降は、派遣スタッフを対象とした「キャリア形成支援制度」が設けられ、派遣スタッフは入社1年から3年目まで、現時点では最低8時間の教育訓練の受講が義務付けられています。
弊社では、派遣スタッフのスキルアップのサポートとして、企業内教育サービスを専門とする外部の会社と契約し、派遣スタッフ向けの専用サイトを作成して、学んだ時間に応じて教育訓練費が支給されるようにしています。
派遣社員のままスキルアップを図りたい人も、正社員を目指したい人も、PC・スマホ・タブレットで場所を選ばずサイトにアクセスし、自由に学んでキャリアアップを実現することができる仕組みです。製造業・事務・接客などそれぞれ講座が分かれているので、専門的に学ぶことができ、未経験でも意欲があればスキルを身に付けて働ける環境を実現しています。
スタッフ一人一人のライフスタイルを尊重しながら、親身になって相談に乗り、社会人としての成長をサポートしていくことが私たちの使命であり、弊社に関わるすべての人が笑顔で充実した日々を過ごせるような会社を今後も目指していきます。
意欲ある方が集いスキルアップを目指せる仕組みづくり
いわきでは、求人雑誌の数が他県より少ないため、ポスティングや折り込み広告での求人掲載が一般的です。弊社では以前は折り込み広告を使っていましたが、現在は時代に合わせて自社サイトやネットを中心に掲載しています。
掲載する場合は、どこで何名募集と求職者に訴えかけるよりも、やりがいある仕事の紹介やスキルアップへのサポートなど、求職者の方のために会社ができることを明示し、求職者の方が成長をイメージできるようにすることで、意欲ある方が自然と集まるようにしています。
スタッフが成長しスキルアップできれば、当人の昇給にもつながり、派遣先との関係性も良くなって、スタッフからも派遣先からも「何かあったらタクトフルに相談しよう」と思っていただけるようになります。目の前の人や仕事の不足をただ調整するよりも、求職者の方や地域から頼られる存在になるのが、この地域で派遣業を長く続けてきた会社としての使命だと考えています。
また、採用時には、実際の業務に適応できるかの簡単な手先のテストなどもしていますが、何よりも重視しているのは人柄と「当たり前」のことができるかです。
製品を作る現場では、指示通りに作業ができることが最低限のラインであり、人の話が聞けなければ、不良品ができてしまい派遣先に迷惑をかけることになってしまいます。派遣先のルールを守り、至らない行動を反省し改善する「当たり前」のことができる人は、どの派遣先に行っても長く働き続けられるはずです。
人件費への価格転嫁が業界課題
私がこの業界に入ったばかりのころは、若年層のスタッフの派遣が大半で、一定の年齢を過ぎるとなかなか派遣先が見つかりませんでした。しかし今では深刻な人手不足により、シニア世代でも現場に出ている人がたくさんいます。かつては高年齢ととらえられがちだったミドル層の人材は、現場によっては「若いね」といわれるまでに環境が変化し、働くスタッフの年齢層はぐっと広がりました。意欲あるシニアには働きやすい環境になったと感じています。
ただ、長年にわたり派遣業に携わってきた私としては、人件費への価格転嫁のペースが追い付いていない面があり、中には息切れしてしまう同業も出てくるのではないかと懸念しています。不景気のときは、どの会社も保守的になりがちですが、内部留保よりも会社や事業を支える人件費に出資してこそ地域経済が回るはずです。
急速に物価高が進む社会情勢の中ではなおのこと、利益を人に還元すべきだと思っています。
派遣業と広大な福島の地域の特性把握が展開のカギになる
弊社では、経営理念はあえて策定していません。創業から20年ほど経ったとはいえ、私たちはまだ「発展途上の中小企業」であり、今なお「創業期」にあると考えているからです。この考えは社員にも日頃から伝えています。
今後の会社の成長を考える上では、いずれは福島県内の地域特性をよく知る同業の会社や異業種との協力が必要だと考えています。その理由は、福島県は全国3位の広大な面積があり、浜通り、中通り、会津(西地域)と呼ばれる3つの地域では、それぞれ気候や地域性、人の気質まで違うため、出店の際には見極めが不可欠になるからです。浜通りの会社が、多角化のため中通りに出店したらうまくいかなかったなどの話はよく耳にしており、福島県内であっても別地域に拠点を構える場合は、その地域の特性をつかむことが大切だと思っています。
また、人材派遣業は、製造業やサービス業などの業種に加えて、事務、接客、オペレーターなどさまざまな職種に細分化され、対応できる業界や職種の範囲は、同業であっても会社ごとに異なります。弊社としても、一時期は製造の延長上にある技術系派遣に領域を拡大しようと試みたこともありましたが、福島県は現業系やブルーカラーの人材が多く、地域特性に合わないと判断し、断念した経験があります。
そのため、現在の製造派遣という業種を踏まえて、できる限り知見のある地域企業との協力関係を築いていきたい考えです。
現在は今後の見通しがつきにくく、多角化や他地域展開についてはなかなか踏み切れずにいますが、あらゆる可能性に備え柔軟に対応できるような体制を作り上げたいと思っています。
子どものころからの夢だった車関連の事業もスタート
2023年には、私の子どもの頃からの夢であった車関連の仕事として、中古自動車や自動車パーツの買取販売、金属摩耗修復オイル「進化剤」の代理店販売もスタートしました。オークションで車を購入して整備し、自社用にカスタムしたデモカーも複数台保有しています。私自身も基本的な整備はできますが、車に関しては凝りすぎてしまう性分なので、なるべく一般向けを意識しながら取り組んでいます。
地域への恩返しのため地元の青年部に参加
私は、創業当初からしばらくの間は自社の経営だけに注力し、商工会や青年部のような地域の経済団体とは距離を置いていました。青年部のメンバーは、多くが企業の2代目、3代目で、私は創業者として自社を成長させてきたという自負があり、考え方や価値観の違いを埋めるのは難しいだろうという思いがありました。
しかし、ある程度会社が軌道に乗った時期に周囲を見回したときに、20年近く会社を営みながら、地域に対して全く貢献していないことに気付きました。自社の利益だけ考え、周囲と連携が取れていないままでは、地域社会から孤立しビジネスとしても行き詰ってしまいかねません。
そこで、考えを改めて地元の青年部への入会を決めました。ところが、コロナ禍のただ中だったので、最初の2年間は活動らしい活動がなく、3年目もいまひとつ活動できていないと感じていましたが、4年目に突然「会長にお願いできませんか?」と打診を受けました。青年部に所属できる期間はあと数年だったので、地域団体の活動支援の一つとして受けることにしました。
不慣れながら青年会長に就任してみると、これまで関わりがなかった経営者たちとの交流の機会が増え、自分にはない視点を知ることができたので、とても有意義でした。
統合後のプロセスを見据えた互いに有益なM&Aを希望
M&Aまでは至ったことがありませんが、地域の企業から「会社を買わないか」という相談は過去に何度かあります。しかし、念のため決算書を見せてもらうと経営に行き詰っているケースが多く、引き継いで統合するまでの期間を耐えられないだろうという案件ばかりでした。
M&Aは、経営や社員の引継ぎだけでは終わらず、統合後のプロセスに膨大な時間とお金がかかります。引き渡す企業にすべて任せきりにするのではなく、苦楽をともにした自社社員の新たな門出のために、譲渡側にも改善に努めてほしいと思っています。
最近では、M&Aに向けた銀行との関係性強化として、あえて銀行から融資を受け、全額返還することで信用を得るという準備もしました。お互いにとって有益なM&Aになりそうな案件があれば、弊社が主体となり牽引する形で、連携によりシナジーを生み出せるように取り組みたい考えです。会社の発展に向けて、今後もあらゆる手段を模索していきます。
数々の危機を乗り越えた製造派遣会社
株式会社タクトフルは、2006年に福島県いわき市で創業し2007年に法人化した、工場派遣を主とする人材派遣会社です。
プレハブの小さな事務所と軽自動車1台からスタートし、翌2008年にはリーマン・ショック、2011年は東日本大震災と原発事故、2019年にはコロナ禍という大きな危機を乗り越え、事業を拡大し続けることができました。新型コロナ禍を経た2023年には、コロナ前の2倍以上にまで売り上げを伸ばすことができています。
度重なる危機に直面しながらも事業を成長できているのは、私たちが真摯に仕事に向かい合うことで積み重ねてきた、お客様からの信頼があったからだと実感しています。今後も人材派遣を通じて、いわき市を中心に東北地方及び北関東の地域経済に貢献していきます。
営業職で頭角をあらわし、20代前半に営業所長に
当時の人材派遣業界は、1996年からの段階的な規制緩和によって適用対象の業務が拡大され、不況下の労働力を補う施策として注目されるようになっていました。初めて入社した大手派遣会社も、業界活況の追い風を受けてすでに全国に拠点が設けられ、社員も数万人いる状態でした。
入社から2年間は現場研修として液晶画面の工場に配属され、3交代制の工場勤務に従事しました。派遣スタッフがどのような環境で働いているのか、自分の身で実際に学ぶことができたのは、大変ではあったものの良い経験になったと思っています。
2年後には、会社側から営業への転属について声がかかり、挑戦してみたところ、性に合っていたのかどんどん成績が上がり、1年も経たないうちに営業所の所長を任されるまでになりました。
やがて会社は転換期に差しかかり、転職したり独立したりする先輩社員が増えてきました。そんなある日、グループ内の別会社で営業所長を務めていた先輩が独立するタイミングで「一緒に来ないか、お前だったら絶対上にいける」と声をかけられました。私も新しい挑戦に魅力を感じ、先輩の誘いを受けることにしました。
経営者となり制度や業務インフラ整備の大切さを実感
そして、前職の先輩が新たに立ち上げた会社の営業本部長となってからは、東北から北関東にかけての営業所立ち上げに携わり、岩手、山形、宮城、福島、茨城、埼玉を経て、仙台市や福島県の浜通り地域を中心に、営業活動に従事しました。
この2社目の仕事も非常にやりがいがあって充実していましたが、当時私はまだ若く生意気で、社長との意見の衝突をきっかけに会社を退職してしまいました。
勢い任せの退職だったため具体的な計画があったわけではなく、個人事業主として雑務に携わり、生活費を得ていました。
しかし、体制の整った会社組織ではなかったことからトラブルが頻発し、制度や業務インフラを整えて、社員が働きやすい会社組織を作らなければならないと改めて強く思いました。そこで前職・前々職の経験を活かし、法人化したのが、現在の株式会社タクトフルでした。
リーマンショックの危機を無借金経営と顧客の信頼が救う
2007年5月にタクトフルを設立してからの滑り出しは順調で、8月の盆明けには軌道に乗せることができました。しかし、設立の翌年にはリーマンショックが起こり、製造派遣が中心であった弊社は不況のあおりをまともに受け、売上が激減してしまいました。厳しい局面ではありましたが、会社の設立当初から無借金を貫いていたことや、会社員時代の蓄えがあったことが幸いし、倒産はどうにかまぬがれました。
さらに、前職でお世話になったお客様や、会社設立後に社長兼営業として訪問した私を覚えていてくださった派遣先の方が、助け舟のようなタイミングで仕事をくださり、リーマンショック後に減った売り上げは、その年の秋には以前以上まで取り戻すことができました。
そのおかげで、リーマンショックの翌2009年の盆明けには再び軌道に乗り、最盛期の1.5倍ほどの売上にまで伸びていきました。
震災の生活不安が翌年の人口減少と退職増のひきがねに
そしてリーマンショック2年後の2011年には、東日本大震災と原発事故が起こりました。地震のあった3月は、派遣先の都合もあって一時休業せざるを得ず、売上も6割減となりましたが、4月には以前の9割ほどまで回復し、その後は1.2倍~3倍で推移していきました。
震災直後は退職も入職もなく、派遣スタッフも真面目に働き、経営はむしろ安定していました。
ところが、年度が変わった途端に退職を申し出る方が激増しました。振り返ると、震災年は余震も多く、不安の中で社会や行政の動向をうかがっていた方々が、見切りをつけ一気に動き始めたのだと思います。派遣スタッフの一部は、より単価の高い原発関連の仕事に流れ、売り上げも震災翌年は減少しました。震災翌年は、社内だけでなく地域や県内の人口も大幅に減少し、困難を経て絆が深まった家族や地域がある一方で、震災の生活不安がきっかけとなって関係性にひびが入り、離婚したり県外に出て行ってしまったりした方も多くいました。
さらに、地域住民と入れ替わるようにして、他県から働きに来る原発関連の作業員の方が多くなり、震災翌年は一時混乱を極めました。
時短営業や休業中の飲食サービス人材の受け皿になったコロナ禍
震災翌年からの混乱はしばらく続きましたが、製造派遣の需要は多くあったので、経営としては順調でした。2020年の新型コロナウイルス感染拡大のときには、震災時と同様の経過をたどり、コロナ直後は真面目に働いていた派遣スタッフが、翌年になって多く退職し、入れ替わりました。
経営としては、国全体の経済活動が停滞していたので、弊社の経営も低迷するかと思われましたが、外出自粛で停滞していた分の仕事が派遣先から一気に寄せられたことで、かえって業務が立て込み、コロナ以前と比較して2倍以上の売り上げとなりました。
震災時と違っていたのは、時短勤務になったり休業や閉店を余儀なくされたりしていた飲食店やサービス業の方が多く働きに来ていた部分で、外出自粛要請が解除され通常営業ができるようになってからは、徐々にもとの職へと戻っていきました。
地元に本社拠点のある安心感が関係者の信頼を築く
弊社は、約20年にわたり福島県いわき市に拠点を構え、いわき市内外100社以上のお客様と取引をおこなっています。この地域において許可の下りている人材派遣会社は何百とありますが、他社の事務所や拠点は、郡山や水戸、仙台などの遠方にあり、私が見る限り、いわき市に拠点があり実際に稼働しているのは数えるほどしかないように思われます。すぐに駆け付けられる地元に、本社や拠点があること自体が安心感につながり、派遣先などからは好意的な声をいただいています。
また、長年働いてくれている派遣スタッフが複数人います。仕事や派遣先は派遣先の都合により変わってしまうことはありますが、それでも長年働くスタッフの存在は、派遣先企業や弊社への信頼の証しであり、誇りだと思っています。
「当たり前」の積み重ねが丁寧な仕事に
「巧みな」「優れた」「気配りのある」という意味をもつタクトフルの社名は、お客様への宣誓や目指すべきあり方として掲げました。人材派遣業という業種は、派遣先のルールや理念に沿う必要があり、自社のカラーを出しにくい部分があります。そのため会社としての理念は掲げていませんが、代わりに、社名が示すような配慮ある優れたサービスを派遣スタッフに提供してもらえように、人としての基本的な礼儀を徹底してもらっています。
弊社では、日頃から派遣スタッフに挨拶を欠かさず、先方の話を聞き、丁寧に仕事に取り組むよう伝えています。1つ1つはどれも当たり前のことですが、こういった小さな積み重ねが、やがて大きな信頼につながります。この「当たり前のことを当たり前に取り組む」ことはおろそかになりがちですが、ほかの業種と比べて派遣先や仕事内容が変わることの多い派遣スタッフにとっては、いち早く業務に慣れるためのとても大切な習慣です。
自らの行動ひとつひとつを意識し仕事に臨める態度と適応力が、弊社の社員や派遣スタッフの強みでもあると思っています。
また、派遣業界には適正な原価率があり、会社としても、社会保険に加入してもらい、有給休暇も消化してもらうという人を雇用するうえで「当たり前」の環境を整備することが、長く働き続けてもらうのには大事だと思っています。
派遣スタッフのキャリアアップをサポートする専用サイト
2015年の改正労働者派遣法の施行以降は、派遣スタッフを対象とした「キャリア形成支援制度」が設けられ、派遣スタッフは入社1年から3年目まで、現時点では最低8時間の教育訓練の受講が義務付けられています。
弊社では、派遣スタッフのスキルアップのサポートとして、企業内教育サービスを専門とする外部の会社と契約し、派遣スタッフ向けの専用サイトを作成して、学んだ時間に応じて教育訓練費が支給されるようにしています。
派遣社員のままスキルアップを図りたい人も、正社員を目指したい人も、PC・スマホ・タブレットで場所を選ばずサイトにアクセスし、自由に学んでキャリアアップを実現することができる仕組みです。製造業・事務・接客などそれぞれ講座が分かれているので、専門的に学ぶことができ、未経験でも意欲があればスキルを身に付けて働ける環境を実現しています。
スタッフ一人一人のライフスタイルを尊重しながら、親身になって相談に乗り、社会人としての成長をサポートしていくことが私たちの使命であり、弊社に関わるすべての人が笑顔で充実した日々を過ごせるような会社を今後も目指していきます。
意欲ある方が集いスキルアップを目指せる仕組みづくり
いわきでは、求人雑誌の数が他県より少ないため、ポスティングや折り込み広告での求人掲載が一般的です。弊社では以前は折り込み広告を使っていましたが、現在は時代に合わせて自社サイトやネットを中心に掲載しています。
掲載する場合は、どこで何名募集と求職者に訴えかけるよりも、やりがいある仕事の紹介やスキルアップへのサポートなど、求職者の方のために会社ができることを明示し、求職者の方が成長をイメージできるようにすることで、意欲ある方が自然と集まるようにしています。
スタッフが成長しスキルアップできれば、当人の昇給にもつながり、派遣先との関係性も良くなって、スタッフからも派遣先からも「何かあったらタクトフルに相談しよう」と思っていただけるようになります。目の前の人や仕事の不足をただ調整するよりも、求職者の方や地域から頼られる存在になるのが、この地域で派遣業を長く続けてきた会社としての使命だと考えています。
また、採用時には、実際の業務に適応できるかの簡単な手先のテストなどもしていますが、何よりも重視しているのは人柄と「当たり前」のことができるかです。
製品を作る現場では、指示通りに作業ができることが最低限のラインであり、人の話が聞けなければ、不良品ができてしまい派遣先に迷惑をかけることになってしまいます。派遣先のルールを守り、至らない行動を反省し改善する「当たり前」のことができる人は、どの派遣先に行っても長く働き続けられるはずです。
人件費への価格転嫁が業界課題
私がこの業界に入ったばかりのころは、若年層のスタッフの派遣が大半で、一定の年齢を過ぎるとなかなか派遣先が見つかりませんでした。しかし今では深刻な人手不足により、シニア世代でも現場に出ている人がたくさんいます。かつては高年齢ととらえられがちだったミドル層の人材は、現場によっては「若いね」といわれるまでに環境が変化し、働くスタッフの年齢層はぐっと広がりました。意欲あるシニアには働きやすい環境になったと感じています。
ただ、長年にわたり派遣業に携わってきた私としては、人件費への価格転嫁のペースが追い付いていない面があり、中には息切れしてしまう同業も出てくるのではないかと懸念しています。不景気のときは、どの会社も保守的になりがちですが、内部留保よりも会社や事業を支える人件費に出資してこそ地域経済が回るはずです。
急速に物価高が進む社会情勢の中ではなおのこと、利益を人に還元すべきだと思っています。
派遣業と広大な福島の地域の特性把握が展開のカギになる
弊社では、経営理念はあえて策定していません。創業から20年ほど経ったとはいえ、私たちはまだ「発展途上の中小企業」であり、今なお「創業期」にあると考えているからです。この考えは社員にも日頃から伝えています。
今後の会社の成長を考える上では、いずれは福島県内の地域特性をよく知る同業の会社や異業種との協力が必要だと考えています。その理由は、福島県は全国3位の広大な面積があり、浜通り、中通り、会津(西地域)と呼ばれる3つの地域では、それぞれ気候や地域性、人の気質まで違うため、出店の際には見極めが不可欠になるからです。浜通りの会社が、多角化のため中通りに出店したらうまくいかなかったなどの話はよく耳にしており、福島県内であっても別地域に拠点を構える場合は、その地域の特性をつかむことが大切だと思っています。
また、人材派遣業は、製造業やサービス業などの業種に加えて、事務、接客、オペレーターなどさまざまな職種に細分化され、対応できる業界や職種の範囲は、同業であっても会社ごとに異なります。弊社としても、一時期は製造の延長上にある技術系派遣に領域を拡大しようと試みたこともありましたが、福島県は現業系やブルーカラーの人材が多く、地域特性に合わないと判断し、断念した経験があります。
そのため、現在の製造派遣という業種を踏まえて、できる限り知見のある地域企業との協力関係を築いていきたい考えです。
現在は今後の見通しがつきにくく、多角化や他地域展開についてはなかなか踏み切れずにいますが、あらゆる可能性に備え柔軟に対応できるような体制を作り上げたいと思っています。
子どものころからの夢だった車関連の事業もスタート
2023年には、私の子どもの頃からの夢であった車関連の仕事として、中古自動車や自動車パーツの買取販売、金属摩耗修復オイル「進化剤」の代理店販売もスタートしました。オークションで車を購入して整備し、自社用にカスタムしたデモカーも複数台保有しています。私自身も基本的な整備はできますが、車に関しては凝りすぎてしまう性分なので、なるべく一般向けを意識しながら取り組んでいます。
地域への恩返しのため地元の青年部に参加
私は、創業当初からしばらくの間は自社の経営だけに注力し、商工会や青年部のような地域の経済団体とは距離を置いていました。青年部のメンバーは、多くが企業の2代目、3代目で、私は創業者として自社を成長させてきたという自負があり、考え方や価値観の違いを埋めるのは難しいだろうという思いがありました。
しかし、ある程度会社が軌道に乗った時期に周囲を見回したときに、20年近く会社を営みながら、地域に対して全く貢献していないことに気付きました。自社の利益だけ考え、周囲と連携が取れていないままでは、地域社会から孤立しビジネスとしても行き詰ってしまいかねません。
そこで、考えを改めて地元の青年部への入会を決めました。ところが、コロナ禍のただ中だったので、最初の2年間は活動らしい活動がなく、3年目もいまひとつ活動できていないと感じていましたが、4年目に突然「会長にお願いできませんか?」と打診を受けました。青年部に所属できる期間はあと数年だったので、地域団体の活動支援の一つとして受けることにしました。
不慣れながら青年会長に就任してみると、これまで関わりがなかった経営者たちとの交流の機会が増え、自分にはない視点を知ることができたので、とても有意義でした。
統合後のプロセスを見据えた互いに有益なM&Aを希望
M&Aまでは至ったことがありませんが、地域の企業から「会社を買わないか」という相談は過去に何度かあります。しかし、念のため決算書を見せてもらうと経営に行き詰っているケースが多く、引き継いで統合するまでの期間を耐えられないだろうという案件ばかりでした。
M&Aは、経営や社員の引継ぎだけでは終わらず、統合後のプロセスに膨大な時間とお金がかかります。引き渡す企業にすべて任せきりにするのではなく、苦楽をともにした自社社員の新たな門出のために、譲渡側にも改善に努めてほしいと思っています。
最近では、M&Aに向けた銀行との関係性強化として、あえて銀行から融資を受け、全額返還することで信用を得るという準備もしました。お互いにとって有益なM&Aになりそうな案件があれば、弊社が主体となり牽引する形で、連携によりシナジーを生み出せるように取り組みたい考えです。会社の発展に向けて、今後もあらゆる手段を模索していきます。
会社概要
| 社名 | 株式会社タクトフル |
| 創立年 | 2007年 |
| 代表者名 | 代表取締役 斎藤 典久 |
| 資本金 | 1,000万円 |
| URL |
https://tactful.co.jp/
|
| 本社住所 |
〒970-1152 |
| 事業内容 | 【人材サービス部門】 人材派遣事業(派07-300339) 有料職業紹介事業(07-ユ-300185) 業務請負事業 コンサルティング事業 【自動車関連部門(CARplus)】 中古自動車の買取・販売事業 自動車パーツの買取・販売事業 古物営業(第25121A011054号) |
会社沿革
| 2007年 | 株式会社タクトフル 設立 |
| 2012年 | 福島県いわき市好間町に新社屋完成 |
| 2017年 | 労働者派遣事業許可を更新 有料職業紹介事業許可取得 |
| 2023年 | 古物営業許可取得 自動車関連部門(CARplus)を本格始動 |
| 2025年 | 代表取締役 斎藤 典久が 好間町商工会 理事 福島県商工会青年部連合会 第29期 副会長 いわき地区商工会青年部連絡協議会 会長 好間町商工会青年部 部長 に就任 |
株式会社タクトフルの経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
宮城県
福島県
茨城県
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公開日:2026/05/11
※本記事の内容および所属名称は2026年5月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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