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引継ぎ実績あり
一流の人と
旭光通信システム株式会社
独自の有線通信技術で交通インフラを支える「技術の旭光」マインド
経営理念
独自の技術と優れた人材が育つ環境の中で、人も企業も一流を指向し、豊かな社会の創造に貢献する。
経営方針
一、顧客優先の思想に徹し、社会へ貢献する。
一、創業以来の独自技術により、優れた商品を提案する。
一、社員が自由に実力を発揮できる企業環境を実現する。
一、企業は人材にあり。優れた人格形成につとめる。
一、適正利潤を確保し、社員の生活向上と企業発展の基盤をつくる。
代表者メッセージ
1946年の創業以来、旭光通信システムは、独自の有線通信技術を柱に全国の鉄道会社へ向け、通信・放送システムを提案してまいりました。その後は「鉄道通信」事業に続き、サイン表示器や屋外筐体(信号器具箱)などの「鉄道信号」事業、高速道路の非常電話機やインターホンなどの「道路通信」事業に参入してきました。
現在はそれら3つの事業を柱に、より良い製品を迅速に提供するため、開発から製造まで一貫した生産体制を社内に構築し、事業展開しております。
ネットワーク化が進む情報化社会の中で、これまで培ってきた実績とノウハウを活かし、どんな時代もお客様に愛される製品を提供できる企業であり続けたいと考えております。
代表取締役 酒井元晴
私たちのこだわり
鉄道路線の安全に技術で貢献した先々代、時代の転換期に引き継いだ先代
創業者であり先々代の祖父は、創業以前の戦後まもなく、東京都中央区銀座でアメリカ進駐軍の電気機器の修理などをして生計を立てていました。1946年に目黒区洗足で旭光電気工業株式会社を創設して、電気機器の開発や修理を軸とした事業を始めました。世の中の役に立つものを作る会社にしたいと考えながらも、販路が無く、技術を磨いても提供先がなかったため、張り合いのない日々が続いていたと聞いています。
戦後の高度経済成長により、世の中が活気づき始め、人の移動や貨物の輸送量が急増しました。その対応に追われていた国鉄では安全対策にまで手が回らなくなっており、鉄道や航路(鉄道連絡船)では大きな事故が立て続けに起きていました。そのような時代背景の中で、事故の復旧時に弊社製品である電話機を使ってもらえるようになり、そこから弊社の鉄道通信・放送システムが用いられるようになり、少しずつ事業が拡大していきました。
1987年には、先代である父が事業を引き継ぐとともに、社名を旭光通信システム株式会社に変更しました。国鉄が分割民営化されたことで取引が継続されるかも分からず、さらにバブル崩壊で不景気に突入するなど会社を取り巻く環境が大きく変化しました。先代は社員をまとめ牽引していかねばならず、多くの苦労を背負いながらも、先々代の想いとともに会社を引継ぐ覚悟を決めました。そこで先代は、経営者や会社としての存在意義や使命を理念にまとめ、現在の弊社に繋がる基礎を作り上げました。理念には、ものづくりのプロ集団として社会に貢献し、人財と技術を大切にしていこうという先代の意気込みと決意が表れています。変革期にこの理念を定めた先代の想いもよく分かり、とてもいい内容なので、私が引き継いでからも変えていません。
八戸工場の現場で実績を積む
私が物心ついた時には、先代が事業を承継し川崎本社で働いていたことから、親族内で事業を引き継ぐ流れができていました。私は長男であり、兄弟には私しか男性がいなかったため、後継者として期待され、「いつかは」家業を継ぐことになると思っていました。ただ、若い頃は反抗心もあったため、すぐに弊社には入社せず、最初は別会社でソフトウェアの開発に携わっていました。
その後、青森県八戸市に工場を新設し、川崎本社の工場機能を移管しました。そのタイミングで「しがらみのない新天地で、経験を活かしながら手伝わないか」と先代から声を掛けられました。それまでは家業に関わることを避けてきたものの、「どうせ戻るなら早い方がいい」と考えるようになり、28歳の時に入社し、竣工したばかりの八戸の工場で働くことになりました。
八戸工場には、私を含めて川崎本社から7人の社員が割り振られ、少人数でスタートしました。当初は私のマネジメント不足により技術や品質への追求が至らず、本社の社員に教わりながら行動方針を定め、日々の取り組みの中で目標に向かって実践していく体制づくりを進めていきました。
前職のソフトウェア開発で得た経験も活かし、生産現場で使うソフトを作り運用したところ、手作業だった工程が自動化され、スピード感を持って作業できるようになったことは成果の一つです。
また工場の受注業務に追われながらも、八戸の立地を活かして北海道や東北エリアへの営業活動を行い、地道に新規開拓を進めていきました。
そのうち川崎本社から八戸への工場機能や設備の移管が完了し、工場増築とともに社員の採用も進んでいったことで、工場新設から6年後には社員7人から30人へと拡大していました。
経営者としての素養を高める
八戸工場に配属され約1年後の30歳頃に「本社に戻って社長をするか」と社長就任の意志を問われました。ただ、人を率いて経営をしていく能力も経験もなかったので本社では受け入れてもらえないだろうと思い、ずっと断り続けていました。それから5年弱、八戸工場でのマネジメントや営業活動をする中で自社製品の特性について理解が深まったことから、覚悟を決め、34歳の頃に川崎本社に戻る決断をしました。
本社では営業本部に配属され、日本全国を回る営業を始めました。代理店に頼らず、自ら足を運び提案する営業スタイルに変更し、手つかずだった西日本や九州エリアを開拓しました。他にも八戸工場での営業活動でベースを作った北海道や東北エリアにも出向いて自社製品の良さをお客様に直接伝えていきました。
並行して、管理職の素養を身に付けるために、経営者塾やセミナーにも通い、経営の基礎的な考え方を学び、日々の業務で実践、応用するということを続けました。そのうち手応えを感じられるようになり、本社に戻ってから2年目で常務、3年目で専務へと昇進し、先代の希望もあり2011年に社長に就任しました。
鉄道、高速道路の「当たり前」の安全を陰で支える
現在の弊社では、先々代の時代から続いてきた鉄道通信事業に加え、鉄道信号事業、高速道路の通信事業の3本を大きな柱にしています。弊社独自の有線通信による長距離伝送技術に、お客様のニーズに見合うシステムをかけ合わせ実装することで、付加価値の高い製品を提供しています。わかりやすい製品としては、高速道路の非常電話やETC、インターホンがあり、弊社製品が多くの市場シェアを占めています。
日本では、生活を時間で管理する文化が根付いているため、緻密な鉄道運行が必須であり、それを支えるシステムには完璧な精密さ・正確さが求められます。他国では時間の使い方や考え方が異なり到着の遅延情報などはさほど必要ありません。弊社の製品は、時間に厳しい日本だからこそ必要とされ、発達したと言えます。そういった日本の生活やビジネスの「時間」「安全」の根幹を支える重要なビジネスだと自負しています。
弊社のお客様は、鉄道会社、空港、自衛隊、高速道路会社、スキー場、大規模工場など、広大な土地や施設の中で特殊な設備を必要とする先です。国内での競合は3社ほどであり、かなり狭い市場ですが、外部環境が厳しい中でも事業の維持発展できているのは、新しい技術を取り入れながらお客様から頼まれる仕事一つひとつに応えてきた積み重ねてきた長年の成果だと思います。他社が受注を得るために苦労する中で、実績が認められて、仕事をいただけているのは、大変ありがたく、恵まれた環境だと実感しています。
有線は、無線や衛星通信などの発達した現在の通信環境の中では枯れた技術です。一方で鉄道や高速道路など多くの人の安全に関わる設備では、実績が重んじられる傾向にあり、有線通信には一定のニーズが根強くあります。技術的には目新しさがなくても、弊社は先々代、先代の時代からお客様の信頼を裏切らない製品を何十年も提供し続けてきたことは立派な強みだと認識しています。
携帯電話の普及をはじめ無線通信が発達した現在は、有線通信のみでの発展や市場性は見出しにくくなっていますが、例えば有線の延長線上に無線アダプタを付ければ機能性が向上します。情報システムは転換期に差し掛かっているため、同業者もソフトウェアでの強化やスマホとの連動など、独自性を追求しながら競い合い、時に協業しながら取り組んでいるところです。
マネジメントチーム結成により会社や社員の役割を見直す
現在の社員数は、川崎本社3割、八戸工場7割の比率になっています。土地柄もあってか、川崎本社は明るく活動的な社員が多く、八戸工場は実直で真面目な社員が多い印象です。今後は組織化を進めていくことから、全社員には失敗を恐れず自発的に行動する人へと成長してもらいたいと思っています。
弊社の現在の売り上げは9億から14憶円の間を上下している状態です。組織づくりに注力し、安定的に10億円の壁を突破していくためには、社員が自ら考え行動できるようになってほしいと常々考えています。ここ2、3年は、自発的に行動してもらえるようにあまり口を出さないようにしたりして少し改善されました。
最近は、理念をより浸透させるためにマネジメントチームを結成し、月1回から2回は理念について考える時間を設けています。弊社の存続目的や目指す先、日頃の行動指針などを理解してもらえるようにすることが目的です。理念に補足する言葉を添えて共有し、自分たちが所属する部門は理念のどの位置にあたるかをシートに書き出して各人の考えを伝え合っています。社員間のコミュニケーションを図りながら理念と各人の意識・行動のギャップを埋め、ベクトルを合わせられるように注力しているところです。
マネジメントチームを教育しながら方針をまとめていくことで、組織強化が達成され、中長期計画はそれほど時間を要さずに達成できるだろうと思っています。
会社機能を維持継続させるためには、10年後の事業計画や受注金額目標などの数字的な指標も大事ではありますが、それでだけでは足りません。会社という枠内の利益だけではなく、お客様や各々の家族、社会と繋がり、多くの人の生活を支える大事な役割を果たしているという誇りが原動力になると思っています。各人が身に付けた技術や経験は、製品を通じて世に伝わっていることを前向きなマインドで受けとめ、力を尽くしてほしいと思っています。
弊社の製品は、事故や災害などの有事には欠かせない役割を担っていることから、製品の不具合は許されません。社員一人ひとりの仕事には、お客様からの期待と信頼、そして責任の一端が少しずつ乗っています。誠意をもって懸命に作り上げた製品を通じて、信頼を得られているからこそ、取引が続いていることを理解し、そして使命感と誇りを持って欲しいと思っています。理念教育だけではなく、経営者である私の考えもオープンにすることで、社員の理解を深めていきたい考えです。
「技術の旭光」への成長を推し進める
他社との差別化としては、道路と鉄道信号の2分野への事業拡大と、有線に無線を融合させた独自の通信システムがあります。公共交通にこの新たなシステムを提案していくことで、自社の可能性を広げていきたいと考えています。
弊社にはものづくりが好きな社員が多く、以前から板金技術を活かした一般消費者向けの製品づくりを構想していた社員がいて、コロナ禍で仕事が減った時に、グリル調理もできる野外用の焚火台を作りました。そのうち、自社ブランドを作りたいという話が若手社員の間で盛り上がり「SOLLOW(ソロー)」というブランド名で八戸市のふるさと納税の返礼品として登録するほか、楽天ショップなどでも販売を開始しました。工場見学でも自社製品として案内しているので、見学の帰りに購入していってくれる方もいます。BtoBで他社や社会のためにだけではなく、社員が自ら企画しものづくりを通じてお客様の笑顔を傍で見られるBtoCの取り組みは、社員のやりがいにもなっています。
自社の可能性を広げ、選ばれる地域・企業へ
製造業では、大手業者を筆頭に生産拠点の国内回帰が進んでいます。その流れの中で川崎市が選ばれる地域になるためには、今ある会社が力を合わせていくべきだと思っています。
本社のある川崎市では、事業の担い手となる後継者がいないことで廃業してしまう製造業者が少なくありません。製造業全体では3,000社を切り、4人以下の小規模会社は1,000社ほどとなっており、この中にいい技術を持ったまま廃業してしまう会社が埋もれているかもしれません。中でも川崎市麻生区黒川エリアや相模原エリアは、小さな地域ならではの密度や質の高いネットワークができ上がっていそうなので興味があります。県内にもまだまだ知らない会社は多くあるので、技術者を守りながら自社の可能性が広がることを期待しています。
工場のある八戸市では「八戸で一番働きやすい会社」をスローガンに掲げ、発信し続けることで、人が集まり活気づくような取り組みをしていけたらと思っています。
川崎、八戸の両地域で共通することは、ものづくり以外でも地域に還元をしていきたいということです。社員とともに考え、実践し、独自技術を持つ他社を引き受けて協業しながら、貢献できる企業へと成長してていきたいと考えています。
またお客様との関係性をより深め信頼を得ていくためには、異常やトラブルがあった時にすぐに駆け付け対応できる拠点が必要となります。
好循環の継続を図り100年企業を目指す
弊社は事業を継続し77年を迎え、100年企業を目指しています。事業が継続できているのは社員とその家族、ステークホルダーや地域のおかげです。今後も川崎や八戸で事業を続けていくためには、働く皆さんが技術力を高めながら働く幸せを実感し、お客様に満足いただける製品やサービスを提供して必要とされる会社であり続けることが大切だと思っています。理念を浸透させて、この好循環を継続させていくことで、100年企業となっていきたいと思っています。
鉄道路線の安全に技術で貢献した先々代、時代の転換期に引き継いだ先代
創業者であり先々代の祖父は、創業以前の戦後まもなく、東京都中央区銀座でアメリカ進駐軍の電気機器の修理などをして生計を立てていました。1946年に目黒区洗足で旭光電気工業株式会社を創設して、電気機器の開発や修理を軸とした事業を始めました。世の中の役に立つものを作る会社にしたいと考えながらも、販路が無く、技術を磨いても提供先がなかったため、張り合いのない日々が続いていたと聞いています。
戦後の高度経済成長により、世の中が活気づき始め、人の移動や貨物の輸送量が急増しました。その対応に追われていた国鉄では安全対策にまで手が回らなくなっており、鉄道や航路(鉄道連絡船)では大きな事故が立て続けに起きていました。そのような時代背景の中で、事故の復旧時に弊社製品である電話機を使ってもらえるようになり、そこから弊社の鉄道通信・放送システムが用いられるようになり、少しずつ事業が拡大していきました。
1987年には、先代である父が事業を引き継ぐとともに、社名を旭光通信システム株式会社に変更しました。国鉄が分割民営化されたことで取引が継続されるかも分からず、さらにバブル崩壊で不景気に突入するなど会社を取り巻く環境が大きく変化しました。先代は社員をまとめ牽引していかねばならず、多くの苦労を背負いながらも、先々代の想いとともに会社を引継ぐ覚悟を決めました。そこで先代は、経営者や会社としての存在意義や使命を理念にまとめ、現在の弊社に繋がる基礎を作り上げました。理念には、ものづくりのプロ集団として社会に貢献し、人財と技術を大切にしていこうという先代の意気込みと決意が表れています。変革期にこの理念を定めた先代の想いもよく分かり、とてもいい内容なので、私が引き継いでからも変えていません。
八戸工場の現場で実績を積む
私が物心ついた時には、先代が事業を承継し川崎本社で働いていたことから、親族内で事業を引き継ぐ流れができていました。私は長男であり、兄弟には私しか男性がいなかったため、後継者として期待され、「いつかは」家業を継ぐことになると思っていました。ただ、若い頃は反抗心もあったため、すぐに弊社には入社せず、最初は別会社でソフトウェアの開発に携わっていました。
その後、青森県八戸市に工場を新設し、川崎本社の工場機能を移管しました。そのタイミングで「しがらみのない新天地で、経験を活かしながら手伝わないか」と先代から声を掛けられました。それまでは家業に関わることを避けてきたものの、「どうせ戻るなら早い方がいい」と考えるようになり、28歳の時に入社し、竣工したばかりの八戸の工場で働くことになりました。
八戸工場には、私を含めて川崎本社から7人の社員が割り振られ、少人数でスタートしました。当初は私のマネジメント不足により技術や品質への追求が至らず、本社の社員に教わりながら行動方針を定め、日々の取り組みの中で目標に向かって実践していく体制づくりを進めていきました。
前職のソフトウェア開発で得た経験も活かし、生産現場で使うソフトを作り運用したところ、手作業だった工程が自動化され、スピード感を持って作業できるようになったことは成果の一つです。
また工場の受注業務に追われながらも、八戸の立地を活かして北海道や東北エリアへの営業活動を行い、地道に新規開拓を進めていきました。
そのうち川崎本社から八戸への工場機能や設備の移管が完了し、工場増築とともに社員の採用も進んでいったことで、工場新設から6年後には社員7人から30人へと拡大していました。
経営者としての素養を高める
八戸工場に配属され約1年後の30歳頃に「本社に戻って社長をするか」と社長就任の意志を問われました。ただ、人を率いて経営をしていく能力も経験もなかったので本社では受け入れてもらえないだろうと思い、ずっと断り続けていました。それから5年弱、八戸工場でのマネジメントや営業活動をする中で自社製品の特性について理解が深まったことから、覚悟を決め、34歳の頃に川崎本社に戻る決断をしました。
本社では営業本部に配属され、日本全国を回る営業を始めました。代理店に頼らず、自ら足を運び提案する営業スタイルに変更し、手つかずだった西日本や九州エリアを開拓しました。他にも八戸工場での営業活動でベースを作った北海道や東北エリアにも出向いて自社製品の良さをお客様に直接伝えていきました。
並行して、管理職の素養を身に付けるために、経営者塾やセミナーにも通い、経営の基礎的な考え方を学び、日々の業務で実践、応用するということを続けました。そのうち手応えを感じられるようになり、本社に戻ってから2年目で常務、3年目で専務へと昇進し、先代の希望もあり2011年に社長に就任しました。
鉄道、高速道路の「当たり前」の安全を陰で支える
現在の弊社では、先々代の時代から続いてきた鉄道通信事業に加え、鉄道信号事業、高速道路の通信事業の3本を大きな柱にしています。弊社独自の有線通信による長距離伝送技術に、お客様のニーズに見合うシステムをかけ合わせ実装することで、付加価値の高い製品を提供しています。わかりやすい製品としては、高速道路の非常電話やETC、インターホンがあり、弊社製品が多くの市場シェアを占めています。
日本では、生活を時間で管理する文化が根付いているため、緻密な鉄道運行が必須であり、それを支えるシステムには完璧な精密さ・正確さが求められます。他国では時間の使い方や考え方が異なり到着の遅延情報などはさほど必要ありません。弊社の製品は、時間に厳しい日本だからこそ必要とされ、発達したと言えます。そういった日本の生活やビジネスの「時間」「安全」の根幹を支える重要なビジネスだと自負しています。
弊社のお客様は、鉄道会社、空港、自衛隊、高速道路会社、スキー場、大規模工場など、広大な土地や施設の中で特殊な設備を必要とする先です。国内での競合は3社ほどであり、かなり狭い市場ですが、外部環境が厳しい中でも事業の維持発展できているのは、新しい技術を取り入れながらお客様から頼まれる仕事一つひとつに応えてきた積み重ねてきた長年の成果だと思います。他社が受注を得るために苦労する中で、実績が認められて、仕事をいただけているのは、大変ありがたく、恵まれた環境だと実感しています。
有線は、無線や衛星通信などの発達した現在の通信環境の中では枯れた技術です。一方で鉄道や高速道路など多くの人の安全に関わる設備では、実績が重んじられる傾向にあり、有線通信には一定のニーズが根強くあります。技術的には目新しさがなくても、弊社は先々代、先代の時代からお客様の信頼を裏切らない製品を何十年も提供し続けてきたことは立派な強みだと認識しています。
携帯電話の普及をはじめ無線通信が発達した現在は、有線通信のみでの発展や市場性は見出しにくくなっていますが、例えば有線の延長線上に無線アダプタを付ければ機能性が向上します。情報システムは転換期に差し掛かっているため、同業者もソフトウェアでの強化やスマホとの連動など、独自性を追求しながら競い合い、時に協業しながら取り組んでいるところです。
マネジメントチーム結成により会社や社員の役割を見直す
現在の社員数は、川崎本社3割、八戸工場7割の比率になっています。土地柄もあってか、川崎本社は明るく活動的な社員が多く、八戸工場は実直で真面目な社員が多い印象です。今後は組織化を進めていくことから、全社員には失敗を恐れず自発的に行動する人へと成長してもらいたいと思っています。
弊社の現在の売り上げは9億から14憶円の間を上下している状態です。組織づくりに注力し、安定的に10億円の壁を突破していくためには、社員が自ら考え行動できるようになってほしいと常々考えています。ここ2、3年は、自発的に行動してもらえるようにあまり口を出さないようにしたりして少し改善されました。
最近は、理念をより浸透させるためにマネジメントチームを結成し、月1回から2回は理念について考える時間を設けています。弊社の存続目的や目指す先、日頃の行動指針などを理解してもらえるようにすることが目的です。理念に補足する言葉を添えて共有し、自分たちが所属する部門は理念のどの位置にあたるかをシートに書き出して各人の考えを伝え合っています。社員間のコミュニケーションを図りながら理念と各人の意識・行動のギャップを埋め、ベクトルを合わせられるように注力しているところです。
マネジメントチームを教育しながら方針をまとめていくことで、組織強化が達成され、中長期計画はそれほど時間を要さずに達成できるだろうと思っています。
会社機能を維持継続させるためには、10年後の事業計画や受注金額目標などの数字的な指標も大事ではありますが、それでだけでは足りません。会社という枠内の利益だけではなく、お客様や各々の家族、社会と繋がり、多くの人の生活を支える大事な役割を果たしているという誇りが原動力になると思っています。各人が身に付けた技術や経験は、製品を通じて世に伝わっていることを前向きなマインドで受けとめ、力を尽くしてほしいと思っています。
弊社の製品は、事故や災害などの有事には欠かせない役割を担っていることから、製品の不具合は許されません。社員一人ひとりの仕事には、お客様からの期待と信頼、そして責任の一端が少しずつ乗っています。誠意をもって懸命に作り上げた製品を通じて、信頼を得られているからこそ、取引が続いていることを理解し、そして使命感と誇りを持って欲しいと思っています。理念教育だけではなく、経営者である私の考えもオープンにすることで、社員の理解を深めていきたい考えです。
「技術の旭光」への成長を推し進める
他社との差別化としては、道路と鉄道信号の2分野への事業拡大と、有線に無線を融合させた独自の通信システムがあります。公共交通にこの新たなシステムを提案していくことで、自社の可能性を広げていきたいと考えています。
弊社にはものづくりが好きな社員が多く、以前から板金技術を活かした一般消費者向けの製品づくりを構想していた社員がいて、コロナ禍で仕事が減った時に、グリル調理もできる野外用の焚火台を作りました。そのうち、自社ブランドを作りたいという話が若手社員の間で盛り上がり「SOLLOW(ソロー)」というブランド名で八戸市のふるさと納税の返礼品として登録するほか、楽天ショップなどでも販売を開始しました。工場見学でも自社製品として案内しているので、見学の帰りに購入していってくれる方もいます。BtoBで他社や社会のためにだけではなく、社員が自ら企画しものづくりを通じてお客様の笑顔を傍で見られるBtoCの取り組みは、社員のやりがいにもなっています。
自社の可能性を広げ、選ばれる地域・企業へ
製造業では、大手業者を筆頭に生産拠点の国内回帰が進んでいます。その流れの中で川崎市が選ばれる地域になるためには、今ある会社が力を合わせていくべきだと思っています。
本社のある川崎市では、事業の担い手となる後継者がいないことで廃業してしまう製造業者が少なくありません。製造業全体では3,000社を切り、4人以下の小規模会社は1,000社ほどとなっており、この中にいい技術を持ったまま廃業してしまう会社が埋もれているかもしれません。中でも川崎市麻生区黒川エリアや相模原エリアは、小さな地域ならではの密度や質の高いネットワークができ上がっていそうなので興味があります。県内にもまだまだ知らない会社は多くあるので、技術者を守りながら自社の可能性が広がることを期待しています。
工場のある八戸市では「八戸で一番働きやすい会社」をスローガンに掲げ、発信し続けることで、人が集まり活気づくような取り組みをしていけたらと思っています。
川崎、八戸の両地域で共通することは、ものづくり以外でも地域に還元をしていきたいということです。社員とともに考え、実践し、独自技術を持つ他社を引き受けて協業しながら、貢献できる企業へと成長してていきたいと考えています。
またお客様との関係性をより深め信頼を得ていくためには、異常やトラブルがあった時にすぐに駆け付け対応できる拠点が必要となります。
好循環の継続を図り100年企業を目指す
弊社は事業を継続し77年を迎え、100年企業を目指しています。事業が継続できているのは社員とその家族、ステークホルダーや地域のおかげです。今後も川崎や八戸で事業を続けていくためには、働く皆さんが技術力を高めながら働く幸せを実感し、お客様に満足いただける製品やサービスを提供して必要とされる会社であり続けることが大切だと思っています。理念を浸透させて、この好循環を継続させていくことで、100年企業となっていきたいと思っています。
会社概要
社名 | 旭光通信システム株式会社 |
創立年 | 1946年 |
代表者名 | 代表取締役社長 酒井 元晴 |
資本金 | 2,518万円 |
URL |
https://kyokko-tsushin.co.jp/
|
本社住所 |
〒213-0011 |
事業内容 | 各種情報通信装置、機器のシステム開発・設計・製造並びに工事 |
事業エリア |
北海道営業所 〒060-0005 |
八戸事業所 〒039-2245 |
|
東北営業所 〒039-2245 |
|
八戸事業所(第二工場) 〒039-2245 |
|
大阪営業所 〒532-0003 |
|
関連会社 |
会社沿革
1946年 | 酒井栄、東京都目黒区洗足に旭光電気工業株式会社を設立 |
1965年 | 川崎工場(神奈川県川崎市)を開設 |
1967年 | 音声呼出電話機の特許を取得 |
1975年 | 本社を神奈川県川崎市高津区坂戸へ移転、工場を拡張 神奈川県優良工場指定 |
1980年 | 電気通信工事業許可 国土交通大臣(般-1)第21388号 取得 |
1987年 | 酒井不二雄、代表取締役に就任 社名を旭光通信システム株式会社に変更 |
1991年 | 事業拡大のためソフトウエア事業に進出 |
1994年 | 工場を神奈川県川崎市高津区から青森県八戸市に移転。八戸事業所を開設。 |
2001年 | ISO9001(品質)認証取得 |
2002年 | 八戸事業所(青森県八戸市)に板金工場を増設 |
2006年 | ISO14001(環境)認証取得 |
2008年 | 電気工事業許可 国土交通大臣(特-1)第21388号 取得 |
2009年 | 八戸事業所(青森県八戸市)の隣接地に東北営業所・プロダクト設計棟を開設 |
2011年 | 酒井元晴、代表取締役に就任 |
2013年 | 事業拡大に伴い、八戸事業所(青森県八戸市)にアネックス棟を増設 |
2015年 | 札幌市に北海道営業所を開設 |
2016年 | 本社を神奈川県川崎市高津区坂戸から高津区久本に移転 |
2020年 | エコアクション21認証取得 |
2021年 | かわさきSDGsゴールドパートナー認証取得 |
2022年 | 八戸事業所 第二工場を開設 |
旭光通信システム株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
青森県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
豊かな社会を共に創造していく明るい人材を募集
公開日:2023/02/27
※本記事の内容および所属名称は2023年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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