食の販売を通して、健康や豊かさ、楽しみや利便性を提供し、地域貢献を目指します

針谷乳業株式会社

針谷乳業は創業100余年、豊富な実績と安心・安全な製品をお届け

経営理念

針谷乳業株式会社では、以下の3つの理念をもとに「食と健康」に関わる事業を通じて企業価値の継続的な向上を図ってまいります。

1. 安心、安全な製品をお届けする

製品・サービスの品質を最優先し、どの部門も安心・安全のための努力を怠らず、より良い商品づくりに励みます。

​2. 地域の食文化づくりに貢献する

食を販売するのみでなく、健康や豊かさ、楽しみや利便性を提供し、地域に貢献する存在を目指します。

3. お客様と従業員の満足を追求する

お客様の満足をいただくために労力を惜しみません。また、従業員が働きやすい職場環境をつくります。

社長メッセージ

平素は格別のご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。
創業100余年、針谷乳業は豊富な実績をもとに、多様化するニーズに応え、新しい発想で新製品の開発に取り組んでまいりました。
弊社は多くの製品を製造しておりませんが「安心と信頼」という基本理念をもとに、自然の恵みを大切にして、心をこめて限定された高品質の製品をより安く、消費者の皆様にお届けするよう、努力を続けてまいります。
今後ともますますのご支援、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

明治時代の創業期からの系譜

現社長が4代目になりますが、創業から114年の歴史があります。当初は酪農組合が解散になったことで独立し、初代亀吉が3頭の乳牛を借用し牛乳の販売を始めました。当初は今のような牛乳、乳製品等の製造販売ではなく、用品店のようなところで饅頭や果物とかを販売する傍ら牛乳も販売していました。ただ牛乳は売れ残り自分たちで消費するくらいだったようです。乳牛が14頭になった大正時代には移動販売もしていました。1936年(昭和11年)に牛乳処理工場を建設し、1952年(昭和27年)より学校給食用に牛乳を取り扱ってもらいました。3代目の時に、ビン牛乳が当たり前の時代に先端的な設備である三角牛乳用の包装機械を導入し、県外にまで販路を増やしました。瓶だと回収しなくてはならなかったのですが、紙パックの機械を入れた事で回収しないで済み、取り入れるのが早く1971年(昭和46年)には500ml、1,000mlの紙パック入り牛乳も始めスーパーへも順調に販路を増やしました。工場として増改築したところは、元々は牛舎であり現社長が幼少期の時には15頭ほどの牛がいたとのことです。
1973年(昭和48年)にデザート充填機を導入して、プリン・ヨーグルトの製造を開始しました。当時はスーパー等の引き合いは多く、県外からも注文はありました。

創業の精神

初代の亀吉が言っていたのは「お客さん持ちでいい」と、そのような言葉が口癖の方でした。貧乏な人にでも、饅頭を売って代金は後でいいと、奉仕の精神があったのかと思います。宇都宮大学付属小学校の先生たちに饅頭を売って次の日になったら忘れている。一族はみんな宇都宮大学付属小学校で亀吉さんの孫だったらみんな入学させてあげるよと言われるほどに愛されてました。地域あっての商売なので地域への奉仕の心が亀吉にはあったのかと思います。逆に亀吉の息子の嫁はお金に厳しく、警察学校の生徒からも代金を回収するのは忘れませんでした。60~70代の方と話しをすると奥さんは絶対に支払い金額を忘れないと言われていました。

初代は小作人でもありましたが、3代目の頃は事業も軌道に乗り始めていたこともあり、現社長は昔と比べると甘やかされて育てられたと思います。どのように育てられるかで考え方も異なりますし、いい面と悪い面が出てきます。創業の精神としては奉仕の心は今もなお継承されているところかと思います。

地域への貢献と数々の受賞履歴

1963年(昭和38年)に日本食品衛生協会長賞受賞をいただいていますが、かなりきれいな工場だったこと、クラリファイヤーという牛乳に混ざっているゴミを取り除く機械を入れた事を評価してもらい、国立病院(現:栃木医療センター)に牛乳を納めさせていただきました。当時は設備投資に積極的でもありました。
元々は低温殺菌でおこなっていましたが、1968年(昭和43年)にウルトラプロセスとなり130度の高温殺菌の設備を導入しました。それにより、低温殺菌、高温殺菌が可能になりました。1984年(昭和59年)に栃木県食品衛生協会の創立35周年記念・優良施設知事賞受賞もいただき食品衛生面では取り扱い品目に合わせて安全安心の環境整備にも努めました。三角牛乳の機械導入は北関東で1~2番の早さであり、導入前の年間売上の約半分にあたる設備投資でもありました。会社として一世一代の投資でした。

私たちのこだわり

針谷乳業のさまざまな商品開発・誕生秘話

コーヒー牛乳は戦後すぐに製造を開始しており、当時は自分でドリップして手詰めをしていたそうです。コーヒー自体がそんなになかった時代でもあり、全国で販売している情報から始めたそうです。当時貴重だったコーヒー豆は、電車で東京まで買いに行っていたそうです。当時から続くパッケージデザインは、デザイン会社の拘りもあり、コーヒー牛乳というよりホットコーヒーのようなパッケージデザインで今でもデザインは変わっていません。この商品は、戦後から受け継がれているものでもあり製造を続けて価値あるものにしていきたいと思います。デザートに関しても、今までにたくさんの種類がありました。今でもホームページに掲載されておりますが、異色なところでウーロン茶は最近まで製造販売をしていました。

お客様の声は重要視しております。電話だけでなく、直売所も運営しておりますので、「牛乳はコクがあっておいしいです」「他の牛乳が飲めなくなりました」と直接に言ってもらえることが一番嬉しい瞬間です。弊社にとって開発はお客様との深い関係あってのものでもあり、これからも力を入れていきたいと思っています。
現社長も商品開発で苦労しており、プリンは何十回と試作をしました。商品開発には根気をよくやらなければいけないこともあり、若ければ色々できるのかもしれないと思う部分もあるので息子にはもっとチャレンジできる時間とモチベーションを持たせたいと思っています。

生クリームを使った商品としてバターも何度も試作を重ねましたが、バターチャン(バター製造機械)が古く、製品化はできませんでした。ただ、非常に味は美味しくできていたのでこの辺のチャレンジを繰り返すことは本当に重要なことです。

低脂肪乳の生産過程できる生クリームも重要な商品になっています。当初生クリームをケーキ屋さんに売り込みにいきました、が生クリームの固さがケーキには合わなかったことや職人の拘りもあり、当社の商品採用まで至りませんでした。一方、クッキーや焼き菓子と相性もいいことがわかりました。宇都宮短大付属の調理科で当社の牛乳、生クリームを扱ってくれたことで新たに取引も始まりました。卒業生で後に宇都宮市内にケーキ屋さんで独立した方が、商品を使い続けてくれたと言われた時には本当に嬉しかったです。

当時、元々生クリームを製造していなかったため、よつ葉乳業から生クリームを仕入れて弊社タンクに入れて再殺菌し、パック詰めして出荷していました。自社でケーキ用の生クリームが作れるようになり出荷を始めました。しかし、クリスマスの時期になると大量のケーキの注文が入り当社の生クリームが採用されていた店では、生クリームが足りなくなったため何度も納めに行ってました。需要と供給になりますが、大量生産できる設備がないと大型の取引は取るのは難しいことも学びました。

様々な製品開発の中で当社の理念でもある「安心、安全な製品をお届けする」に合わずに撤退したモノもあります。ワンパクトリオというポリジュースを販売していたのですが、牛乳が価格競争に巻き込まれて下降していた時に先代がポリジュースを開発し専用の機械まで買って販売していました。当初は卸売業で好評に推移していましたが、機械が中古だったこともありクレームも徐々に増えていきました。それと、高校生のアルバイトを20名くらい雇って袋詰めの作業をおこなうほどでもあり、それと合わせワンパクトリオは合成保存料着色料をつかっていたこともあり、ブランドイメージが良くない点と従業員の負担も考えて最終的に生産を止めました。

社長の学生時代と企業の存続について

現社長は、大学を卒業して所属していたゼミの海外研修でシンガポール、マレーシア、タイへ行きました。当時は日本も高度経済成長期でもありアジア諸国とは少し格差は感じました。バスで移動していて、優秀なタイの学生と交流し意見交換して大いに刺激を受けたことを今でも覚えています。就職活動も気休め程度に少しだけやってみました。当時受けた人気の高い企業は今では経営状況が悪くなったり、倒産や閉鎖していたり当時を考えると時代の変化をここまでは予測できませんでした。

最終的には一般企業へ就職はせずに、家業の後を継ぐことを進言し10ヶ月ほど中小企業大学校に通い、その後は半年くらい営業をしていましたが向いていなかったことが直ぐにわかりました。中小企業大学校の同年代が4人いて、一番上で8つ上がいました。当時はまったく勉強せずに遊び回っており、今となってはそれがいい思い出ではありますが、その時の仲間は今でも繋がっています。みな違う業種の企業を継いだ後継経営者でもありました。今はその家業があった人たちも半分ぐらいしか企業は存続していないです。大きくなりすぎて他に渡したり、業績によって廃業したなど、時代の変化とともに経営も事業も変えながらここまでやって来たのかと思います。当時から比べれば売上は、3倍以上になっています。ここまで来られたのはやっぱり勤勉であり、研究熱心な社員のおかげでもあります。従業員が針谷乳業を支えてくれており、会社が厳しかった時も必死になって結果を出し続けてくれました。

取引先との信頼関係

会社の基盤は群馬県の生協です。移動販売用の商品として11アイテムもの商品を製造していました。生協は当時それだけ好調なこともあり、一時期には売上シェアの45%近くになりました。今も牛乳や乳製品等で継続して取引をいただき50年以上のお付き合いになっております。

従業員への想い

最近3ヵ条を作りました。社内への浸透はまだ不十分な部分はあります。社員全員には信用が重要であることは強く言っています。クレームがあれば何が原因かを探り、設備が必要であれば導入を検討し対策を図り、お客様の満足を得られるためにも改善を地道に重ねながら信用を得てきました。安心安全が最も大切だと考えており、地域で100年以上やってこれたことも、地域へ少しずつ恩返ししながら、地域の魅力もアピールしていきたいと思っています。
従業員は県内では小山市から通勤する人もいますが、宇都宮市内の採用が結果的には多いと思います。地場に根付いた企業という部分で、福利厚生で一日2本までは社内の飲料を自由に飲んでいいようにしています。

設備投資について

現在、新規設備投資を検討しています。新しい設備を導入すると従業員のモチベーションになります。コミュニケーションが生まれることが大きいです。先代がよく口にしていたのは人生3回は大きなチャンスが訪れるから、判断を間違えないように日頃から研鑽しておくように言われていました。社長が小学校4年の時に三角牛乳の機械をいれた時、年間売上6,000万円しかないのに日本政策金融公庫から3,000万円の借り入れをして導入しました。スーパーが伸びているときで、パックの牛乳の販売ができたのもこの投資があったからでもあり、このチャンスをどのように獲得できるかが重要です。

牛乳の需要について

私たちは毎日牛乳を飲んでいますが、だいぶ量は減ってきています。コーヒーに混ぜて飲んだりすることも増えています。市場が競争が激しく一日5,000個売れた時期もありましたが、今は色々な売り場やチャネルも増えたことで、独占的に売れる市場が減ってきています。自動販売機で昔は売れていましたが、今はこちらもかなり厳しくなりました。コンビニエンスストアでもレモン牛乳など取引がありましたが全部なくなってしまいました。県内のスーパーや道の駅などでもっと販路を増やしていかなければと思っています。
それと、東京の企業から引き合いも多いです。閉店して商品を買えなくなってしまったお客様から、「おいしいんで、他で買えるとこないですか」と年間数十件ほどですが連絡があります。栃木県内の方はおいしい牛乳飲んでいますが、都内や首都圏では、土や草、水など生乳の味が変わってしまうため私たちの牛乳がおいしく感じているのかもしれません。同じ生乳を使っていても設備だけで味は変わってくる点もあります。

今後の展開

商品開発は重要です。これからは少子高齢化で人口も減っていき、子供たちが減るため、学校給食の消費量は間違いなく減っていきます。そうすると供給量よりも、どれだけ効率よく収益を確保して提供ができるのかが重要になります。社員の雇用もまた、長時間労働にならないように考えなければなりませんし働き方改革は今後も変化していくと思うので対応に迫られます。今は牛乳が主力製品でもありますが、今後に商品開発をして新規で参入した場合は価格競争や売場の問題など収益になるまで辛抱も必要になります。そのため飲み物にこだわらないという選択肢もでてきます。関連商品で収益を作ることも考えなければなりません。

針谷乳業株式会社_私たちのこだわり_画像

針谷乳業のさまざまな商品開発・誕生秘話

コーヒー牛乳は戦後すぐに製造を開始しており、当時は自分でドリップして手詰めをしていたそうです。コーヒー自体がそんなになかった時代でもあり、全国で販売している情報から始めたそうです。当時貴重だったコーヒー豆は、電車で東京まで買いに行っていたそうです。当時から続くパッケージデザインは、デザイン会社の拘りもあり、コーヒー牛乳というよりホットコーヒーのようなパッケージデザインで今でもデザインは変わっていません。この商品は、戦後から受け継がれているものでもあり製造を続けて価値あるものにしていきたいと思います。デザートに関しても、今までにたくさんの種類がありました。今でもホームページに掲載されておりますが、異色なところでウーロン茶は最近まで製造販売をしていました。

お客様の声は重要視しております。電話だけでなく、直売所も運営しておりますので、「牛乳はコクがあっておいしいです」「他の牛乳が飲めなくなりました」と直接に言ってもらえることが一番嬉しい瞬間です。弊社にとって開発はお客様との深い関係あってのものでもあり、これからも力を入れていきたいと思っています。
現社長も商品開発で苦労しており、プリンは何十回と試作をしました。商品開発には根気をよくやらなければいけないこともあり、若ければ色々できるのかもしれないと思う部分もあるので息子にはもっとチャレンジできる時間とモチベーションを持たせたいと思っています。

生クリームを使った商品としてバターも何度も試作を重ねましたが、バターチャン(バター製造機械)が古く、製品化はできませんでした。ただ、非常に味は美味しくできていたのでこの辺のチャレンジを繰り返すことは本当に重要なことです。

低脂肪乳の生産過程できる生クリームも重要な商品になっています。当初生クリームをケーキ屋さんに売り込みにいきました、が生クリームの固さがケーキには合わなかったことや職人の拘りもあり、当社の商品採用まで至りませんでした。一方、クッキーや焼き菓子と相性もいいことがわかりました。宇都宮短大付属の調理科で当社の牛乳、生クリームを扱ってくれたことで新たに取引も始まりました。卒業生で後に宇都宮市内にケーキ屋さんで独立した方が、商品を使い続けてくれたと言われた時には本当に嬉しかったです。

当時、元々生クリームを製造していなかったため、よつ葉乳業から生クリームを仕入れて弊社タンクに入れて再殺菌し、パック詰めして出荷していました。自社でケーキ用の生クリームが作れるようになり出荷を始めました。しかし、クリスマスの時期になると大量のケーキの注文が入り当社の生クリームが採用されていた店では、生クリームが足りなくなったため何度も納めに行ってました。需要と供給になりますが、大量生産できる設備がないと大型の取引は取るのは難しいことも学びました。

様々な製品開発の中で当社の理念でもある「安心、安全な製品をお届けする」に合わずに撤退したモノもあります。ワンパクトリオというポリジュースを販売していたのですが、牛乳が価格競争に巻き込まれて下降していた時に先代がポリジュースを開発し専用の機械まで買って販売していました。当初は卸売業で好評に推移していましたが、機械が中古だったこともありクレームも徐々に増えていきました。それと、高校生のアルバイトを20名くらい雇って袋詰めの作業をおこなうほどでもあり、それと合わせワンパクトリオは合成保存料着色料をつかっていたこともあり、ブランドイメージが良くない点と従業員の負担も考えて最終的に生産を止めました。

社長の学生時代と企業の存続について

現社長は、大学を卒業して所属していたゼミの海外研修でシンガポール、マレーシア、タイへ行きました。当時は日本も高度経済成長期でもありアジア諸国とは少し格差は感じました。バスで移動していて、優秀なタイの学生と交流し意見交換して大いに刺激を受けたことを今でも覚えています。就職活動も気休め程度に少しだけやってみました。当時受けた人気の高い企業は今では経営状況が悪くなったり、倒産や閉鎖していたり当時を考えると時代の変化をここまでは予測できませんでした。

最終的には一般企業へ就職はせずに、家業の後を継ぐことを進言し10ヶ月ほど中小企業大学校に通い、その後は半年くらい営業をしていましたが向いていなかったことが直ぐにわかりました。中小企業大学校の同年代が4人いて、一番上で8つ上がいました。当時はまったく勉強せずに遊び回っており、今となってはそれがいい思い出ではありますが、その時の仲間は今でも繋がっています。みな違う業種の企業を継いだ後継経営者でもありました。今はその家業があった人たちも半分ぐらいしか企業は存続していないです。大きくなりすぎて他に渡したり、業績によって廃業したなど、時代の変化とともに経営も事業も変えながらここまでやって来たのかと思います。当時から比べれば売上は、3倍以上になっています。ここまで来られたのはやっぱり勤勉であり、研究熱心な社員のおかげでもあります。従業員が針谷乳業を支えてくれており、会社が厳しかった時も必死になって結果を出し続けてくれました。

取引先との信頼関係

会社の基盤は群馬県の生協です。移動販売用の商品として11アイテムもの商品を製造していました。生協は当時それだけ好調なこともあり、一時期には売上シェアの45%近くになりました。今も牛乳や乳製品等で継続して取引をいただき50年以上のお付き合いになっております。

従業員への想い

最近3ヵ条を作りました。社内への浸透はまだ不十分な部分はあります。社員全員には信用が重要であることは強く言っています。クレームがあれば何が原因かを探り、設備が必要であれば導入を検討し対策を図り、お客様の満足を得られるためにも改善を地道に重ねながら信用を得てきました。安心安全が最も大切だと考えており、地域で100年以上やってこれたことも、地域へ少しずつ恩返ししながら、地域の魅力もアピールしていきたいと思っています。
従業員は県内では小山市から通勤する人もいますが、宇都宮市内の採用が結果的には多いと思います。地場に根付いた企業という部分で、福利厚生で一日2本までは社内の飲料を自由に飲んでいいようにしています。

設備投資について

現在、新規設備投資を検討しています。新しい設備を導入すると従業員のモチベーションになります。コミュニケーションが生まれることが大きいです。先代がよく口にしていたのは人生3回は大きなチャンスが訪れるから、判断を間違えないように日頃から研鑽しておくように言われていました。社長が小学校4年の時に三角牛乳の機械をいれた時、年間売上6,000万円しかないのに日本政策金融公庫から3,000万円の借り入れをして導入しました。スーパーが伸びているときで、パックの牛乳の販売ができたのもこの投資があったからでもあり、このチャンスをどのように獲得できるかが重要です。

牛乳の需要について

私たちは毎日牛乳を飲んでいますが、だいぶ量は減ってきています。コーヒーに混ぜて飲んだりすることも増えています。市場が競争が激しく一日5,000個売れた時期もありましたが、今は色々な売り場やチャネルも増えたことで、独占的に売れる市場が減ってきています。自動販売機で昔は売れていましたが、今はこちらもかなり厳しくなりました。コンビニエンスストアでもレモン牛乳など取引がありましたが全部なくなってしまいました。県内のスーパーや道の駅などでもっと販路を増やしていかなければと思っています。
それと、東京の企業から引き合いも多いです。閉店して商品を買えなくなってしまったお客様から、「おいしいんで、他で買えるとこないですか」と年間数十件ほどですが連絡があります。栃木県内の方はおいしい牛乳飲んでいますが、都内や首都圏では、土や草、水など生乳の味が変わってしまうため私たちの牛乳がおいしく感じているのかもしれません。同じ生乳を使っていても設備だけで味は変わってくる点もあります。

今後の展開

商品開発は重要です。これからは少子高齢化で人口も減っていき、子供たちが減るため、学校給食の消費量は間違いなく減っていきます。そうすると供給量よりも、どれだけ効率よく収益を確保して提供ができるのかが重要になります。社員の雇用もまた、長時間労働にならないように考えなければなりませんし働き方改革は今後も変化していくと思うので対応に迫られます。今は牛乳が主力製品でもありますが、今後に商品開発をして新規で参入した場合は価格競争や売場の問題など収益になるまで辛抱も必要になります。そのため飲み物にこだわらないという選択肢もでてきます。関連商品で収益を作ることも考えなければなりません。

ツグナラコンサルタント

ツグナラコンサルタントによる紹介

ツグナラコンサルタント

学校給食や国立病院などに商品を提供し、地域の食文化を支えている針谷乳業様は味と品質にこだわりを持っています。おいしいレモンをはじめとしたご当地商品の開発も積極的に進めており、今後更なる発展が楽しみです。

インタビュアーのコメント

創業100年以上の歴史の中で一貫した乳牛事業で栃木県内の食卓に欠かせないものとして貴重なお話を聞かせていただきました。商品開発は難しいものでもありますので次世代経営者で新たな針谷ブランドが誕生することを期待しております。

会社概要

社名 針谷乳業株式会社
創立年 1907年
代表者名 代表取締役 針谷 享
従業員数 60名
事業エリア 栃木県(宇都宮市)
本社住所 320-0062
栃木県宇都宮市東宝木町11番1号
事業内容 牛乳、乳製品等の製造販売
URL
https://www.harigai-milk.co.jp/

会社沿革

1907年 創業 針谷亀吉が宇都宮戸祭町で3頭の乳牛を借用し牛乳の販売を始める
1922年 2代目社長針谷正二が「新生舎」のブランドで販売
「蒸気殺菌・新生舎牛乳」と書かれたオリジナルの荷車を作って何台も投入した。
1936年 宇都宮市戸祭町(旧)に牛乳処理工場を建設
1944年 戦争が激化し、宇都宮市全体の企業合同となる
1945年 宇都宮市東宝木町(現在地)に牧場地を移転する
1948年 牛乳処理工場建設
1950年 厚生省により、低温牛乳の発売
1952年 学校給食牛乳の開始
1959年 牛乳処理工場の増築、及び機械設備の増設
1960年 優良施設として栃木県食品衛生協会長賞受賞
1963年 日本食品衛生協会長賞受賞
1968年 牛乳の殺菌、ウルトラプロセスとなり、工場の増築及び機械の新設を計る
1969年 3代目代表の針谷正が当時ビン牛乳が当たり前の時代に、三角牛乳の包装機械を導入し、県外にまで販路を拡張
1971年 1000ml、500mlの紙パック入り牛乳の販売
1972年 株式会社 法人組織に改組
1973年 デザート充填機購入。プリン、ヨーグルト等のデザート類の発売
1977年 工場の新築及び最新機械の設備・公害防止設備を完備
1984年 栃木県食品衛生協会、創立35周年記念・優良施設知事賞受賞
1985年 倉庫の新築、工場の増設。創業80周年記念式典
1989年 低温殺菌牛乳の発売
1990年 デザート充填機増設および自動化
1995年 1000ml紙パック新型機、200ml紙パック新型機導入
1996年 牛乳殺菌機増設、殺菌処理能力6,000L/h
2009年 セミアセプィックタンク増設
2012年 資本金を2,000万円に増資
2016年 新型デザート充填機を導入
2019年 変電所、冷蔵庫、ヨーグルト醗酵室の増設

公開日:2021/07/16 (2021/07/20修正)

※本記事の内容および所属名称は2021年7月取材当時のものです。現在の情報とは異なる場合があります。