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航空・医療分野も
株式会社後藤製作所
技術と人、歴史と思想を引き受け、次の世代へ確実につなぐ
経営理念
「社会に信用される誠実な企業を目指す」
「お客様の立場に立って、価値のある製品を提供する」
「独自の先進技術と巧みな技を持つオンリーワン企業を目指す」
代表者メッセージ
私たちは、生産現場が抱える課題の解決に貢献することを第一に、ものづくりに向き合ってきました。
後藤製作所が創業以来大切にしてきたのは、「加工屋」「技術屋」として技術を磨き続ける姿勢です。
既存のお客様には、これまで以上の価値をお届けすること。新しい分野のお客様には、確かな対応力で応えていくこと。その積み重ねこそが、私たちの仕事だと考えています。
品質・納期・価格のすべてに誠実に向き合い、信頼されるものづくりを続けていく。その姿勢を変えることなく、これからも現場に根ざした技術を積み上げていきます。
代表取締役 引地 寿和
私たちのこだわり
ものづくりの現場で歩んできた二社
私が代表を務める後藤製作所は、創業者である後藤安平が1961年に仙台市にある自宅の庭先に建てた小屋で、旋盤機を用いた金属加工を個人事業として始めました。その後、ソニー株式会社の協力工場になるなど取引が拡大し、1969年に法人化を果たしました。その後、息子の後藤公夫が「父が興した事業を成長させることが親孝行である」という想いを胸に、会社を牽引しました。「小回りの利く技術屋集団」というスローガンを掲げ、徹底した技術の研鑽と信用の積み重ねにより、一般的な加工業者では対応が困難な「ミクロン単位の精度」を実現しました。
創業以来、60年以上にわたり航空機分野や医療分野など、極めて高い信頼性が求められる部品加工や、生産設備や試作部品の製作、単品から量産まで、求められる仕様に一つひとつ向き合いながら、ものづくりを続けてきました。
大手メーカーを含む多くの事業所からの信頼を得てきた背景には、「技術屋集団」として磨き上げてきた技と、目の前の要望に応え続けてきた現場の積み重ねがあります。
一方、1979年に岩沼市で私の父が創業した引地精工は、板金プレス加工を営む町工場でした。取引先の工場では、多くの作業員が並んで手作業で組み立てを行っていましたが、現場からは「省人化・自動化」への強い要望を耳にしていたことや、金属部品の樹脂化の軽量化が進み、自動化へのニーズが高まる時代へ変化していくと確信し、創業から約5年後にはそれまで主力だったプレス機をすべて廃棄するという大胆な決断を行いました。代わりにフライス盤やマシニングセンタなどの切削加工機械を導入し、まずは機械部品の加工から再スタートを切りました。 その後、設計や開発の人財を採用して体制を強化し、部品加工だけでなく、ソフト設計から装置の組立までを一貫して行うFA機械・生産設備メーカーへと進化しました。
現在は、家電、自動車、食品、医療など多岐にわたる分野に向けた、カスタマイズされた生産設備を供給しています。
そして2022年、それぞれが培ってきた強みを活かし合うために、後藤製作所は引地精工グループの一員となりました。設計から組立まで一貫して生産設備を手がけ、「総合力」のある引地精工と、部品加工の分野で高度な技術を蓄積してきた「専門力」のある後藤製作所の連携によって、グループ全体としてのものづくりの幅と深さを、確実に広げ、より高みを目指していきます。
父の背中を原点に、次の一手を進める
私は引地精工の創業者の次男として生まれました。幼い頃から、父が仕事に向き合う姿を身近で見て育ちました。引地精工がまだ岩沼市の自宅を拠点にしていた頃、父が仕事をする姿や鉄を削る音、油の匂いなどは日常の風景としてありました。自然と「いつか自分も、家業に関わることになるのだろう」という思いは持っていたように思います。「流れがそうであれば、やるしかない、それが一つでも親孝行になるのではないか」と、自分なりに受け入れていたのかもしれません。一方で、次男という立場もあり「戻らなくてもいいのではないか」という気持ちもありました。
引地精工に入社したのは2000年頃です。岩沼市に工場を増設するタイミングで、父から「戻ってこないか」という一言がきっかけでした。
私は入社以来、技術営業として現場に携わってきました。
当社はFA設備メーカーとして、当初は家電メーカー様を中心に事業を展開しておりましたが、成長とともに電子部品、航空機関連、自動車関連メーカー様など、さまざまな分野へとお取引先が広がっていきました。事業が拡大するにつれ、現場から求められる加工内容も高度化していきました。複雑形状の部品加工や、高精度かつ短納期といったご依頼も増え、私自身、お客様の期待の高さを強く感じるようになりました。
当社でもこれまで部品の穴あけや切削加工は行ってきましたが、加工量や難易度、納期条件によっては対応が難しく、お断りせざるを得ないこともありました。せっかくお声がけいただきながらお応えできない、その悔しさが「何とか社内で対応できる体制をつくれないか」と考えるきっかけになりました。お客様の期待に応え続けるためには、「生産体制」「製造力」「技術力」を一段と強化し、ものづくりの内製化を進めることが不可欠だと確信しました。そして、その模索を続ける中で出会ったのが、後藤製作所だったのです。
後藤製作所は、技術レベルの高さはもちろんのこと、前社長の「技術屋」としての考え方や人柄、真摯に仕事に向き合う社員の皆様の雰囲気や工場全体に流れる温かい空気感など、率直に「非常に良い会社だ」と感銘を受けました。引地精工から車で30分ほどという距離感も含め、「一緒になることで、ものづくりの力をさらに引き上げ、今まで断らざるを得なかった仕事も引き受けられるようになる」と確信し、タッグを組むことになりました。
歴史を引き受け、両社をつなぐ橋渡し役に
私は、引地精工で代表取締役専務を務めながら、後藤製作所の社長を引き継ぐことになりました。統合に向けた交渉期間の約半年間は、初めての経験で正直に言えば簡単なものではありませんでした。トップがいきなり変わることで不安が生じないよう、社員には「経営体制は変わっても、これまで積み重ねてきた仕事そのものは変わらない」ということを、丁寧に伝え続けてきました。
実際、後藤製作所には長年現場を支えてきたしっかりとした管理職がそろっており、高い技術と自立した組織があったので、日々の業務は見事なまでに現場で回っていました。私自身が現場に細かく口を出す場面は、ほとんどありませんでした。
私は、自分の役割を「引地精工と後藤製作所の橋渡し役」だと定めてきました。 無理にすべてを一体化させるのではなく、仕事のやり取りを重ねながら、少しずつ互いの理解を深めていき、その結果、大きな隔たりや支障を感じることなく、自然な形で連携が進んでいると感じています。
会社を引き継いだ以上、私には責任があります。 しかし、それは単に会社の規模を大きくすることではありません。「中身の濃い仕事」ができる会社にすることです。これまで懸命に会社を支え、技術を守ってきた社員を大切にし、誰一人辞めることなく、「次の世代へつないでいく」、社長に就いて5年目になりますが、創業から60年以上続く歴史を思うと、その重みと責任を改めて感じます。前社長とは、今でも年に4、5回はお会いし、近況を報告しています。 前社長は、私のことをまるで息子のように想ってくださり、温かく見守ってくれています。
技術で差をつける高付加価値のものづくり
後藤製作所は、「高い技術を売る会社」です。私たちが目指す姿は、同じような加工会社と横並びになるのではなく、「後藤でしかできない」「ここに任せたい」と言われる仕事を、確実に積み重ねていくことです。だからこそ、人数を増やすことよりも、少人数でも一人ひとりの技術密度が高い、プロフェッショナルな集団であり続けることを大切にしています。
私たちが得意としてきたのは、一般的な部品加工よりも、超精密で難易度の高い部品加工です。航空機分野や医療分野など、わずかな誤差も許されない部品では、加工精度だけでなく、素材の特性理解や工程管理、現場での微調整が欠かせません。設備が整っていれば誰でもできる仕事ではなく、長年の経験の中で培われた判断や感覚が、品質を左右します。そうした現場の積み重ねが、後藤製作所の技術の土台になっています。
こうした仕事は、外注に頼ることが難しいケースも少なくありません。引地精工グループの一員となったことで、加工を内製として担える範囲が広がり、これまで対応しきれなかった案件にも向き合えるようになりました。結果として、対応力や生産の安定性は確実に高まっています。
また、以前は取引先の状況、リーマン・ショックやコロナといった外的要因の影響を受けやすい面がありました。一方で、引地精工は多様な業種と取引があるため、仕事が薄い時期でも引地精工の案件でものづくりを続けることができます。引地精工が手がけるFA装置で使用する部品は精度要求が比較的緩やかなものが中心ですが、後藤製作所は航空機分野など、より精密で難易度の高い部品加工を得意としています。現在はそれぞれの強みを活かしたものづくりを進めています。
人財育成の起点となる「考え方の共有」
現在、後藤製作所の社員数は22名です。中心となるのは30・40代で、20代の若手社員も現場の一員として活躍しています。全体朝礼や日々のミーティングを通じて、顔を合わせ、言葉を交わし、困ったときにはすぐに声を掛け合います。そんな「顔が見える」距離感でいることが風通しの良さに繋がっています。
私は、技術やノウハウを引き継ぐことだけを「育成」とは考えていません。大切にしているのは、ものづくりに向き合う姿勢や判断の軸、その「考え方」を日々共有し続けることです。社長交代の際も、できる限り一人ひとりと向き合い、時間をかけて対話を重ねてきました。急に何かを変えるのではなく、少しずつ、同じ方向を見られるようにする。その積み重ねこそが、育成だと思っています。
これまで、後藤製作所は経験豊富なトップ層が中心となって会社を支えてきました。しかし、これから先を見据えたとき、技術だけでなく、考え方や責任のバトンを次世代に渡していく必要があります。
製造業という職種柄「作ることに集中したい」「管理業務は苦手だ」という人も少なくありません。その気持ちはよく分かります。しかし、人口が減りゆくこれからの社会において、会社が生き残るためには、一人ひとりがプレイヤーとしての視点と、マネージャーとしての視点の両方を持つことが不可欠です。
だからこそ今、私は中堅層の方々に積極的に管理職の役割を担う体制作りを進めてきました。この取り組みは私の代になってから意識的に踏み出してきた一歩です。
私や部長が外から持ち帰った「世の中の動き」や「今求められていること」を現場に伝え、それを受け止めた皆さんが、自分たちの頭で考え、チームを動かしていく。 実際に、責任という荷物を背負うことで、顔つきが変わり、言葉に力が宿ってきた社員もいます。その成長こそが、会社の未来そのものです。
「人」が主役の人的資本経営
採用については、常に募集をかけていますが、この業界に若手が入りにくい現実もあります。ここ1年ほどは新しい機械を導入し、設備面からも「入りやすさ」を意識した環境づくりを進めています。
配属にあたっては、会社主導で一方的に決めるのではなく、本人の希望や意欲を重視する「適材適所」の方針をとっています。大企業のように定期的なジョブローテーションありきで組織を運営しているわけではありません。新人で入社した社員については、適性を見極めつつも、まずは本人が「何をしたいか」「どのような機械を使いたいか」という意欲を重点的に考慮します。本人が特定の技術や機械にチャレンジしたいという希望があれば、可能な限りその業務に携われるように配属します。
これから先、人件費が下がることはありません。だからこそ、安い技術で安いものをどんどん売る仕事はしたくありません。他社には真似できない加工技術・加工精度・高い品質で、求められる「ものづくり」を行うことで高い付加価値を生み出します。その付加価値に対して、正しく評価してもらう。そのために挑戦を重ね、技術を蓄積していきたいと思っています。高い目標に挑めば、失敗は避けられませんが、失敗は挑戦の結果であり、次につながる失敗であれば、会社にとって意味のある財産だと思います。後藤製作所は、そうした挑戦を現実のものとして積み重ねていける環境を、これからも丁寧につくり続けていきます。
国内外を視野に新たな可能性を静かに広げる
現在、弊社には数多くのお取引様がいらっしゃいます。しかし、そこに安住することはありません。 「事業の柱は多いほど強い」 これは、私が歴史から学んだ教訓です。
今の技術で応えられる領域の中で、新しい出会いを一つずつ増やしていき、 「攻め続けること」こそが、会社の未来を守るための、最大の防御になると信じています。
また、引地精工グループには、タイに「引地精工タイランド」という拠点があります。
私自身も2か月に1回ほど足を運び、日本とは異なる現場の空気に触れています。タイは、国を挙げて航空機産業や医療分野に力を入れています。そうした分野は後藤製作所が得意とする技術領域です。日本は日本、タイはタイとして自立した体制を整えつつ、近隣諸国やヨーロッパの展示会にもアンテナを張り、焦らず、しかし目を閉じることなく次の一手を探っています。
私は、派手な成長や、現場に無理を強いるような急激な拡大を目指すつもりはありません。
何よりも大切なのは、積み重ねてきた「技術」と、それを支える「人」の力です。 変えるべきところは変え、守るべきところは守る。そうして磨き上げたバトンを、次の世代へ確実につないでいき、さらなる高みへと飛躍していきます。
ものづくりの現場で歩んできた二社
私が代表を務める後藤製作所は、創業者である後藤安平が1961年に仙台市にある自宅の庭先に建てた小屋で、旋盤機を用いた金属加工を個人事業として始めました。その後、ソニー株式会社の協力工場になるなど取引が拡大し、1969年に法人化を果たしました。その後、息子の後藤公夫が「父が興した事業を成長させることが親孝行である」という想いを胸に、会社を牽引しました。「小回りの利く技術屋集団」というスローガンを掲げ、徹底した技術の研鑽と信用の積み重ねにより、一般的な加工業者では対応が困難な「ミクロン単位の精度」を実現しました。
創業以来、60年以上にわたり航空機分野や医療分野など、極めて高い信頼性が求められる部品加工や、生産設備や試作部品の製作、単品から量産まで、求められる仕様に一つひとつ向き合いながら、ものづくりを続けてきました。
大手メーカーを含む多くの事業所からの信頼を得てきた背景には、「技術屋集団」として磨き上げてきた技と、目の前の要望に応え続けてきた現場の積み重ねがあります。
一方、1979年に岩沼市で私の父が創業した引地精工は、板金プレス加工を営む町工場でした。取引先の工場では、多くの作業員が並んで手作業で組み立てを行っていましたが、現場からは「省人化・自動化」への強い要望を耳にしていたことや、金属部品の樹脂化の軽量化が進み、自動化へのニーズが高まる時代へ変化していくと確信し、創業から約5年後にはそれまで主力だったプレス機をすべて廃棄するという大胆な決断を行いました。代わりにフライス盤やマシニングセンタなどの切削加工機械を導入し、まずは機械部品の加工から再スタートを切りました。 その後、設計や開発の人財を採用して体制を強化し、部品加工だけでなく、ソフト設計から装置の組立までを一貫して行うFA機械・生産設備メーカーへと進化しました。
現在は、家電、自動車、食品、医療など多岐にわたる分野に向けた、カスタマイズされた生産設備を供給しています。
そして2022年、それぞれが培ってきた強みを活かし合うために、後藤製作所は引地精工グループの一員となりました。設計から組立まで一貫して生産設備を手がけ、「総合力」のある引地精工と、部品加工の分野で高度な技術を蓄積してきた「専門力」のある後藤製作所の連携によって、グループ全体としてのものづくりの幅と深さを、確実に広げ、より高みを目指していきます。
父の背中を原点に、次の一手を進める
私は引地精工の創業者の次男として生まれました。幼い頃から、父が仕事に向き合う姿を身近で見て育ちました。引地精工がまだ岩沼市の自宅を拠点にしていた頃、父が仕事をする姿や鉄を削る音、油の匂いなどは日常の風景としてありました。自然と「いつか自分も、家業に関わることになるのだろう」という思いは持っていたように思います。「流れがそうであれば、やるしかない、それが一つでも親孝行になるのではないか」と、自分なりに受け入れていたのかもしれません。一方で、次男という立場もあり「戻らなくてもいいのではないか」という気持ちもありました。
引地精工に入社したのは2000年頃です。岩沼市に工場を増設するタイミングで、父から「戻ってこないか」という一言がきっかけでした。
私は入社以来、技術営業として現場に携わってきました。
当社はFA設備メーカーとして、当初は家電メーカー様を中心に事業を展開しておりましたが、成長とともに電子部品、航空機関連、自動車関連メーカー様など、さまざまな分野へとお取引先が広がっていきました。事業が拡大するにつれ、現場から求められる加工内容も高度化していきました。複雑形状の部品加工や、高精度かつ短納期といったご依頼も増え、私自身、お客様の期待の高さを強く感じるようになりました。
当社でもこれまで部品の穴あけや切削加工は行ってきましたが、加工量や難易度、納期条件によっては対応が難しく、お断りせざるを得ないこともありました。せっかくお声がけいただきながらお応えできない、その悔しさが「何とか社内で対応できる体制をつくれないか」と考えるきっかけになりました。お客様の期待に応え続けるためには、「生産体制」「製造力」「技術力」を一段と強化し、ものづくりの内製化を進めることが不可欠だと確信しました。そして、その模索を続ける中で出会ったのが、後藤製作所だったのです。
後藤製作所は、技術レベルの高さはもちろんのこと、前社長の「技術屋」としての考え方や人柄、真摯に仕事に向き合う社員の皆様の雰囲気や工場全体に流れる温かい空気感など、率直に「非常に良い会社だ」と感銘を受けました。引地精工から車で30分ほどという距離感も含め、「一緒になることで、ものづくりの力をさらに引き上げ、今まで断らざるを得なかった仕事も引き受けられるようになる」と確信し、タッグを組むことになりました。
歴史を引き受け、両社をつなぐ橋渡し役に
私は、引地精工で代表取締役専務を務めながら、後藤製作所の社長を引き継ぐことになりました。統合に向けた交渉期間の約半年間は、初めての経験で正直に言えば簡単なものではありませんでした。トップがいきなり変わることで不安が生じないよう、社員には「経営体制は変わっても、これまで積み重ねてきた仕事そのものは変わらない」ということを、丁寧に伝え続けてきました。
実際、後藤製作所には長年現場を支えてきたしっかりとした管理職がそろっており、高い技術と自立した組織があったので、日々の業務は見事なまでに現場で回っていました。私自身が現場に細かく口を出す場面は、ほとんどありませんでした。
私は、自分の役割を「引地精工と後藤製作所の橋渡し役」だと定めてきました。 無理にすべてを一体化させるのではなく、仕事のやり取りを重ねながら、少しずつ互いの理解を深めていき、その結果、大きな隔たりや支障を感じることなく、自然な形で連携が進んでいると感じています。
会社を引き継いだ以上、私には責任があります。 しかし、それは単に会社の規模を大きくすることではありません。「中身の濃い仕事」ができる会社にすることです。これまで懸命に会社を支え、技術を守ってきた社員を大切にし、誰一人辞めることなく、「次の世代へつないでいく」、社長に就いて5年目になりますが、創業から60年以上続く歴史を思うと、その重みと責任を改めて感じます。前社長とは、今でも年に4、5回はお会いし、近況を報告しています。 前社長は、私のことをまるで息子のように想ってくださり、温かく見守ってくれています。
技術で差をつける高付加価値のものづくり
後藤製作所は、「高い技術を売る会社」です。私たちが目指す姿は、同じような加工会社と横並びになるのではなく、「後藤でしかできない」「ここに任せたい」と言われる仕事を、確実に積み重ねていくことです。だからこそ、人数を増やすことよりも、少人数でも一人ひとりの技術密度が高い、プロフェッショナルな集団であり続けることを大切にしています。
私たちが得意としてきたのは、一般的な部品加工よりも、超精密で難易度の高い部品加工です。航空機分野や医療分野など、わずかな誤差も許されない部品では、加工精度だけでなく、素材の特性理解や工程管理、現場での微調整が欠かせません。設備が整っていれば誰でもできる仕事ではなく、長年の経験の中で培われた判断や感覚が、品質を左右します。そうした現場の積み重ねが、後藤製作所の技術の土台になっています。
こうした仕事は、外注に頼ることが難しいケースも少なくありません。引地精工グループの一員となったことで、加工を内製として担える範囲が広がり、これまで対応しきれなかった案件にも向き合えるようになりました。結果として、対応力や生産の安定性は確実に高まっています。
また、以前は取引先の状況、リーマン・ショックやコロナといった外的要因の影響を受けやすい面がありました。一方で、引地精工は多様な業種と取引があるため、仕事が薄い時期でも引地精工の案件でものづくりを続けることができます。引地精工が手がけるFA装置で使用する部品は精度要求が比較的緩やかなものが中心ですが、後藤製作所は航空機分野など、より精密で難易度の高い部品加工を得意としています。現在はそれぞれの強みを活かしたものづくりを進めています。
人財育成の起点となる「考え方の共有」
現在、後藤製作所の社員数は22名です。中心となるのは30・40代で、20代の若手社員も現場の一員として活躍しています。全体朝礼や日々のミーティングを通じて、顔を合わせ、言葉を交わし、困ったときにはすぐに声を掛け合います。そんな「顔が見える」距離感でいることが風通しの良さに繋がっています。
私は、技術やノウハウを引き継ぐことだけを「育成」とは考えていません。大切にしているのは、ものづくりに向き合う姿勢や判断の軸、その「考え方」を日々共有し続けることです。社長交代の際も、できる限り一人ひとりと向き合い、時間をかけて対話を重ねてきました。急に何かを変えるのではなく、少しずつ、同じ方向を見られるようにする。その積み重ねこそが、育成だと思っています。
これまで、後藤製作所は経験豊富なトップ層が中心となって会社を支えてきました。しかし、これから先を見据えたとき、技術だけでなく、考え方や責任のバトンを次世代に渡していく必要があります。
製造業という職種柄「作ることに集中したい」「管理業務は苦手だ」という人も少なくありません。その気持ちはよく分かります。しかし、人口が減りゆくこれからの社会において、会社が生き残るためには、一人ひとりがプレイヤーとしての視点と、マネージャーとしての視点の両方を持つことが不可欠です。
だからこそ今、私は中堅層の方々に積極的に管理職の役割を担う体制作りを進めてきました。この取り組みは私の代になってから意識的に踏み出してきた一歩です。
私や部長が外から持ち帰った「世の中の動き」や「今求められていること」を現場に伝え、それを受け止めた皆さんが、自分たちの頭で考え、チームを動かしていく。 実際に、責任という荷物を背負うことで、顔つきが変わり、言葉に力が宿ってきた社員もいます。その成長こそが、会社の未来そのものです。
「人」が主役の人的資本経営
採用については、常に募集をかけていますが、この業界に若手が入りにくい現実もあります。ここ1年ほどは新しい機械を導入し、設備面からも「入りやすさ」を意識した環境づくりを進めています。
配属にあたっては、会社主導で一方的に決めるのではなく、本人の希望や意欲を重視する「適材適所」の方針をとっています。大企業のように定期的なジョブローテーションありきで組織を運営しているわけではありません。新人で入社した社員については、適性を見極めつつも、まずは本人が「何をしたいか」「どのような機械を使いたいか」という意欲を重点的に考慮します。本人が特定の技術や機械にチャレンジしたいという希望があれば、可能な限りその業務に携われるように配属します。
これから先、人件費が下がることはありません。だからこそ、安い技術で安いものをどんどん売る仕事はしたくありません。他社には真似できない加工技術・加工精度・高い品質で、求められる「ものづくり」を行うことで高い付加価値を生み出します。その付加価値に対して、正しく評価してもらう。そのために挑戦を重ね、技術を蓄積していきたいと思っています。高い目標に挑めば、失敗は避けられませんが、失敗は挑戦の結果であり、次につながる失敗であれば、会社にとって意味のある財産だと思います。後藤製作所は、そうした挑戦を現実のものとして積み重ねていける環境を、これからも丁寧につくり続けていきます。
国内外を視野に新たな可能性を静かに広げる
現在、弊社には数多くのお取引様がいらっしゃいます。しかし、そこに安住することはありません。 「事業の柱は多いほど強い」 これは、私が歴史から学んだ教訓です。
今の技術で応えられる領域の中で、新しい出会いを一つずつ増やしていき、 「攻め続けること」こそが、会社の未来を守るための、最大の防御になると信じています。
また、引地精工グループには、タイに「引地精工タイランド」という拠点があります。
私自身も2か月に1回ほど足を運び、日本とは異なる現場の空気に触れています。タイは、国を挙げて航空機産業や医療分野に力を入れています。そうした分野は後藤製作所が得意とする技術領域です。日本は日本、タイはタイとして自立した体制を整えつつ、近隣諸国やヨーロッパの展示会にもアンテナを張り、焦らず、しかし目を閉じることなく次の一手を探っています。
私は、派手な成長や、現場に無理を強いるような急激な拡大を目指すつもりはありません。
何よりも大切なのは、積み重ねてきた「技術」と、それを支える「人」の力です。 変えるべきところは変え、守るべきところは守る。そうして磨き上げたバトンを、次の世代へ確実につないでいき、さらなる高みへと飛躍していきます。
会社概要
| 社名 | 株式会社後藤製作所 |
| 創立年 | 1961年 |
| 代表者名 | 代表取締役 引地 寿和 |
| 資本金 | 5,000万円 |
| URL |
https://www.gotoh.co.jp/
|
| 本社住所 |
〒983-0034 |
| 事業内容 | ・FA(ファクトリーオートメーション)機器製作 ・精密治具工具製作 ・精密機械加工 |
| 関連会社 |
会社沿革
| 1961年 | 仙台市若林区白萩町10番3号の地に、後藤製作所として旋盤加工業を始める |
| 1963年 | ソニー株式会社の協力工場として取引を始める |
| 1969年 | 資本金200万円にて、法人組織「株式会社 後藤製作所」を設立し、再スタート |
| 1974年 | 仙台市宮城野区扇町七丁目2番27号(現在地)の地に、本社・工場を建設し、移転 |
| 2000年 | 創業者 代表取締役社長 後藤安平は代表取締役会長に就任、専務取締役 後藤公夫が代表取締役社長に就任 |
| 2007年 | 新社屋完成 |
| 2022年 | 代表者変更。代表取締役社長に引地寿和が就任 |
株式会社後藤製作所の経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
岩手県
宮城県
山形県
福島県
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公開日:2026/02/25 (2026/03/19修正)
※本記事の内容および所属名称は2026年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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