埼玉・さいたま市北区
埼玉 ・ さいたま市
真面目で堅実な
大福輸送株式会社
異業種から飛び込んだ三代目が大事にする父から受け継いだ仕事の流儀
経営理念
社員と未来を大切にする会社
社員が長く働きたいと思ってくれるような人を大切にする会社です
適材適所で社員の能力を最大限に発揮できる環境作りに努めます
未来に福をもたらすため、真面目に誠実に仕事に向き合い、取り組みます
代表者メッセージ
弊社は首都圏(主に東京都・埼玉県)の建設現場において、土工事・建設残土運搬処分を行なっています。
緑豊かな大宮公園のそば、1986年の設立以来、長年に亘って社会インフラ整備の担い手として信頼と実績を積み重ね続けてきました。
代表取締役社長 田子山 知子
私たちのこだわり
真面目さと堅実さで着実に成長
弊社は私の父が約50年ほど前に創業し、1986年に株式会社化しました。父は元々大手の機械部品メーカーに勤めていましたが、給与面の良さや業務内容への興味から運送に関する仕事に関心を持つようになりました。そこで大手酒造メーカーの運送業務部門に転職し、ノウハウを学びながら独立のために資金を貯めていきました。懸命に働き100万円の資金を元手にダンプカーを購入し、事業を始めたのが弊社のスタートになります。
父は仕事を真面目に、堅実にすることを最も大切にしており、経営に対してもそのスタンスは変わらず、会社が破綻しないように運転資金のやりくりについてはかなり注意を払っていたように思います。会社の操業に欠かせないダンプカーや建設重機についても、無理をしたり、背伸びをすることなく、着実に利益を出せるタイミングで投資していました。
弊社の主な事業は、建設現場で建設重機を用いて地面を掘削し、そこで発生した土砂をダンプトラックで運搬し、適正に処分することです。
創業当初は、他社が工事を手掛ける現場の土砂の運搬のみを行っていましたが、設備を少しずつ揃えていきながら徐々に取引先を拡大していきました。
次第に、土砂の運搬だけでなく、その前工程である地面の掘削工事や、後工程の発生した土砂の処分をも手掛けるようになり、徐々に事業を拡大してきました。
会社経営を間近で見て育った青春時代
私は埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)で育ちました。両親は家でも会社や経営の話をすることが多く、子供ながらに耳に入る機会も多かったと思います。
その中でも強く印象に残っている出来事があります。中学生の頃、高校受験を間近に控えた私がいつものように夕方帰宅すると、家の電気がついておらず、うす暗い部屋の中で母がテーブルに俯いて腰かけていました。私はびっくりして母にどうしたのかと問いましたところ、母は「会社が倒産するかもしれない…」と独り言のように呟いたのです。
その後すぐに何事もなかったかのように、母は電気を点けていつものように夕飯を作り始めましたが、その時に私は初めて「会社が潰れたら自分はどうなってしまうのだろうか」といった生々しい不安に直面し、両親が背負っている「経営の重さ」というものを実感したのです。
後になって話を聞くと、この時、取引先の約束手形が不渡りになり、かなりの額の売掛金が回収できないという危機的状況だったそうです。この時は、それまで堅実に金融機関からの信用を積み上げてきたことや、万一に備えた手元資金の準備もあり、何とか資金手当ができたことで事なきを得ました。絶体絶命の窮地を乗り切れたのは、両親と社員たちが真面目に仕事をし、会社全体で積み重ねてきた信用に助けられたからだと言えます。
様々な企業と関わるキャリアウーマンへ
会社経営の様子を日常的に体感することが多い青春時代を経て、大学では経済を学び、国際金融論のゼミを選びました。当時は就職氷河期の真っ只中でしたが、無事に外資系のコンサルティング会社に内定が決まり、新卒で入社しました。夜中まで働くようなとても忙しい仕事でしたが、数値分析やプレゼンテーション資料の作成など、ビジネスパーソンとして身に着けるべき基礎的なスキルを身に着けることができ、私のその後のキャリアの土台とすることが出来たと思います。
そのうちに、企業側の立場で働いてみたいと考えるようになり、その当時、不動産バブルで華やかだったいわゆる新興不動産企業に転職しました。時代の流れに乗って大変勢いがあり社員も経営陣もみな楽しそうに仕事をするとても風通しの良い会社で、私も経験を積んで会社を大きくすることに貢献していきたいという気持ちでおりましたが、残念ながら私の入社のちょうど1年後にリーマンショックが起きてしまい、図らずも別の会社に転職することを余儀なくされる状況となってしまいました。
リーマンショックという歴史上でもまれにみる金融危機の折に、最も影響を受けた業界の当事者であったということは、どんなに良い会社でも外的要因によっていとも簡単に足元を掬われてしまうという、会社経営の恐ろしさを目の前で体験するという得難い経験であったと思います。同時に、中学生の時に体験した「経営の重さ」を思い起こし、父の言っていた会社経営における真面目さ、堅実さがどれほど大変で大切なものかを改めて強く実感するようになりました。
その後、縁あってケーブルテレビ運営会社に転職し、ひょんなことから経営企画のセクションに移ることとなり、経営陣の間近で中期経営計画の策定や様々な経営課題の議論を推進する立場として、とても刺激的で充実した毎日を過ごしていました。
そんな折、ある日突然、父の病気が発覚し、先が長くないことがわかったのです。私はとてもショックでしたが、病床の父から「会社を継がないか」と言われ、とにかく父を安心させたいと会社を継ぐことを約束しました。しかし、その当時の私は数年がかりのプロジェクトに着手したばかりで、抱えている仕事を放り出す訳にはいかない状況でした。しばらくは母が社長として会社を続けていくこととなり、私は無事に担当していたプロジェクトを完遂することが出来ました。仕事がひと段落ついたある日、ふとした瞬間に、母の背中が丸まってきたのに気づき、母の老いを感じました。それをきっかけに母の引退と私が引き継ぐことを強く意識するようになり、父との約束を果たすために入社しました。
新しい風を吹き込むシステムの革新
入社後は紙ベースだった業務を出来る限りデジタル化・ツール化し、担当社員の頭の中だけにあった業務プロセスや知見を社内で共有できるよう明文化・データ化するなどして、業務の効率化を進めてきました。社内の給与システムを変更し、クラウドで管理出来るように整備したのもそのような取組みの最初の一歩です。もちろん変更した直後は反発もありましたが、そのうち「これ見やすいね」と社員から声を掛けられるようになりました。給与というのは勤めている人間にとって一番重要なものですから、出来るだけわかりやすくしたいと、現在も改善を続けています。
また、士業の先生方と連携しながら会社の制度設計や見直しを進め、働いている人が不公平感を持つことが無いような会社組織の仕組みづくりを進めています。
会社を良くしていくためには「変える」ことに躊躇すべきではないということは、私の信念のようなものでもあります。もちろん、変えることでうまく仕事が回らなくなってしまっては本末転倒ですから、母や周りの長年会社を支えていただいている社員に意見を聞きつつ、スピード感をもって進めていくことを意識するようにしています。
適材適所で頼れる社員の能力を生かす
弊社の社員は皆、真面目に仕事に向き合う頼もしい人たちばかりです。その中でも特に仕事に対して責任感を持って真摯に向き合う姿勢を重要視しており、頑張る社員には年功序列にとらわれずに、よりそのやる気や能力を発揮できる仕事へ積極的に登用するなど、しっかりと評価につなげられるよう心がけています。
もちろん、偏りがあってはいけませんので、長年に渡って会社の成長を支えてきた当社の専務にうまくバランスを取って采配していただいています。このような采配の妙を含め、業界を知り尽くした大ベテランである専務の貴重な知見やスキルを未来に引き継いでいくべく、若手社員たちに専務から直接指導をしていただいており、指導を受けた社員たちが次第に成長していく様子を見て、非常に心強く感じています。
弊社の主な業務は大きく分けると、建設現場で活躍する重機オペレーター、建設現場から土砂を運搬する大型ドライバー、そしてそれらの人々を支え橋渡しをする事務所社員の3つです。
現場で活躍する重機オペレーターは、土木・建設業界でずっと働き続けてきたプロフェッショナルで、いわゆる職人気質の方が多いです。自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる方ばかりで、大きな建設重機のアームとバケットを自分の手のように器用に操作して設計図通りに現場を仕上げていきます。どのように進めれば現場がうまく回るのかを熟知しており、現場で最も頼られる存在です。
建設現場から土砂の運搬を担う弊社の大型ドライバーは、東京都や埼玉県の都市部から郊外までの道路を知り尽くした運転のプロ集団です。大型ダンプの運転手というとなにかと怖いイメージを持たれがちですが、弊社のドライバーはとにかく真面目で信頼できる方が揃っています。ひと昔前まではダンプの運転一筋、という方が多かったのですが、最近では多種多様なバックグラウンドを持っている社員たちばかりです。バックグラウンドは違えども、皆が誠実に、安全第一で仕事をしてくれています。
事務所で働く社員は、重機オペレーターやドライバーたちがスムーズに働くための縁の下の力持ちとして活躍してくれています。効率的な采配やコスト管理、またお客さんとのコミュニケーションなど、事務所の社員だからこそ出来ることで会社全体を支えています。営業、配車・手配、経理・事務など、それぞれ受け持った異なる役割をこなしつつ、事務所の社員全員が会社の仕事を「自分ごと」として受け止めて現場に出ている社員と意思疎通を行うことで、日々円滑に仕事を進めていくことが出来ています。
まだまだ規模のさほど大きくない会社ですから、年齢や勤続年数にとらわれず、適材適所を見極めて仕事を振っていくことがとても大切だと感じています。これまで経験してきたことだけでなく、個人の性格や能力を考慮して、新しい役割を任せてみることで思わぬ成果が上がることもたくさんありました。
実際にあったエピソードとして、ぐいぐい引っ張るタイプではないが周囲の人間に気遣いが出来るドライバーを管理職に据えたところ、それまで高止まりしていた離職率が目に見えて下がるなどの効果が上がったことがありました。また、ドライバーだった社員の「段取り力」を見込んで、場を仕切る役割を任せたところ、現場と事務所の連携がスムーズに回るようになり、結果として顧客満足度の向上につながったこともありました。これからも、たとえ勤続年数の浅い社員や年齢が若い社員であっても、仕事に取り組む姿勢や本人の適性を見て、やってくれそうだなと思ったら、活躍できる機会を作っていきたいと考えています。
未来に大きな福を。業界のイメージを変えていく
現在、土木・建設業界を取り巻くイメージは必ずしも良いものではありません。徐々に改善されてきていますが、いまだに大変そうな仕事、荒っぽい人が多いのではないかといったイメージが残っており、若い人から敬遠されているように感じています。
しかし、たとえば同じ建設業でも、神社やお寺を建てる宮大工は、たくさんの人から尊敬される仕事です。また、ダムなどの巨大構造物は興味のない人でも間近で見ると「すごい」と感じるものですし、意匠の凝らされた美しいビルは街の景観を彩っています。そんな構造物をたくさんのヒトの力で実現していく土木・建設業界で働く人々が、尊敬や憧れを持って見てもらえるような時代が来るよう、弊社も真面目に誠実に取り組んでいきたいと考えています。
弊社の経営理念は、再構築中ではありますが、父の考え方である「真面目、堅実」を守り続けること、また私のポリシーでもある「仕事を楽しむ」ことを土台に、「社員が長く働きたいと思ってくれるような会社を目指す」にはどうあるべきかという視点で、弊社らしい内容にしていくつもりです。特に土木・建設業界には珍しい経歴で、かつ、女性の社長ということもありますので、従来の業界の考え方を尊重しつつ、新たな風を吹き込みたいと思っています。
土木・建設業界はまだ男性中心の風潮がありますが、弊社のように創業者の逝去や引退の後に、その配偶者や娘が後を継ぎ、女性社長として活躍する例は、すでに珍しいことではありません。トップだけでなくこの業界で働いている皆が、男女を問わずその能力を発揮し、活躍できるようになったときこそ、土木・建設業界が尊敬や憧れを持って見てもらえる時代が来るのだと信じています。
今後の展開として、弊社の既存の事業と地続きになるような業種へと事業領域を広げていきたいと考えています。父はダンプトラックでの土砂の運搬を起点として、その少し川上で行なう建設現場での土砂の切削から、少し川下といえる運搬後の土砂を処分する部分まで展開しました。今後は、現在の重機を用いた土木・建築の建設工事に軸足を置いた既存事業の規模の拡大や、その周辺領域への進出を模索しています。そうした事業領域を拡大するには、M&Aが有効なのではないかと思っています。
M&Aをする上では、会社を引き受けた後に如何に社員の皆様に安心して働いていただけるかが最も重要なことだと考えています。そのためにも引き受けた先の社員の皆様としっかり対話をし、お互いの良い部分を見習い、吸収していくようにしたいと思っています。そのためにも、まずは自社の制度を整えて、社内外に向けて胸を張って「いい会社だ」と言えるような組織作りや社内制度の整備を行っていきます。
弊社が拠点とする埼玉県は交通網の整備も整っていますし、県の中心地であるさいたま市も開発が進んでいます。とても便利で住みよい地域ではありますが、一方で、都内に通勤する人も大勢います。そんなさいたま市の方々に、「地元で働きたい」と思ってもらえるような、魅力ある会社にしていければと考えています。
これからの社会は、ICT活用や自動運転などの技術がより進歩していきます。高齢化・人手不足に悩む土木・建設業では、これらの技術進歩の恩恵を最も早くに受けるようになると予測されています。現在は熟練した人が危険と隣り合わせで重機や車両を動かしていますが、近い将来には安全で離れたところから遠隔操作で作業が出来るような環境が整っていくでしょう。技術革新に合わせて土木・建設業界の未来も変わるはずです。そうした未来を描きながら、弊社を埼玉に誇る企業へ成長させていきたいです。
真面目さと堅実さで着実に成長
弊社は私の父が約50年ほど前に創業し、1986年に株式会社化しました。父は元々大手の機械部品メーカーに勤めていましたが、給与面の良さや業務内容への興味から運送に関する仕事に関心を持つようになりました。そこで大手酒造メーカーの運送業務部門に転職し、ノウハウを学びながら独立のために資金を貯めていきました。懸命に働き100万円の資金を元手にダンプカーを購入し、事業を始めたのが弊社のスタートになります。
父は仕事を真面目に、堅実にすることを最も大切にしており、経営に対してもそのスタンスは変わらず、会社が破綻しないように運転資金のやりくりについてはかなり注意を払っていたように思います。会社の操業に欠かせないダンプカーや建設重機についても、無理をしたり、背伸びをすることなく、着実に利益を出せるタイミングで投資していました。
弊社の主な事業は、建設現場で建設重機を用いて地面を掘削し、そこで発生した土砂をダンプトラックで運搬し、適正に処分することです。
創業当初は、他社が工事を手掛ける現場の土砂の運搬のみを行っていましたが、設備を少しずつ揃えていきながら徐々に取引先を拡大していきました。
次第に、土砂の運搬だけでなく、その前工程である地面の掘削工事や、後工程の発生した土砂の処分をも手掛けるようになり、徐々に事業を拡大してきました。
会社経営を間近で見て育った青春時代
私は埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)で育ちました。両親は家でも会社や経営の話をすることが多く、子供ながらに耳に入る機会も多かったと思います。
その中でも強く印象に残っている出来事があります。中学生の頃、高校受験を間近に控えた私がいつものように夕方帰宅すると、家の電気がついておらず、うす暗い部屋の中で母がテーブルに俯いて腰かけていました。私はびっくりして母にどうしたのかと問いましたところ、母は「会社が倒産するかもしれない…」と独り言のように呟いたのです。
その後すぐに何事もなかったかのように、母は電気を点けていつものように夕飯を作り始めましたが、その時に私は初めて「会社が潰れたら自分はどうなってしまうのだろうか」といった生々しい不安に直面し、両親が背負っている「経営の重さ」というものを実感したのです。
後になって話を聞くと、この時、取引先の約束手形が不渡りになり、かなりの額の売掛金が回収できないという危機的状況だったそうです。この時は、それまで堅実に金融機関からの信用を積み上げてきたことや、万一に備えた手元資金の準備もあり、何とか資金手当ができたことで事なきを得ました。絶体絶命の窮地を乗り切れたのは、両親と社員たちが真面目に仕事をし、会社全体で積み重ねてきた信用に助けられたからだと言えます。
様々な企業と関わるキャリアウーマンへ
会社経営の様子を日常的に体感することが多い青春時代を経て、大学では経済を学び、国際金融論のゼミを選びました。当時は就職氷河期の真っ只中でしたが、無事に外資系のコンサルティング会社に内定が決まり、新卒で入社しました。夜中まで働くようなとても忙しい仕事でしたが、数値分析やプレゼンテーション資料の作成など、ビジネスパーソンとして身に着けるべき基礎的なスキルを身に着けることができ、私のその後のキャリアの土台とすることが出来たと思います。
そのうちに、企業側の立場で働いてみたいと考えるようになり、その当時、不動産バブルで華やかだったいわゆる新興不動産企業に転職しました。時代の流れに乗って大変勢いがあり社員も経営陣もみな楽しそうに仕事をするとても風通しの良い会社で、私も経験を積んで会社を大きくすることに貢献していきたいという気持ちでおりましたが、残念ながら私の入社のちょうど1年後にリーマンショックが起きてしまい、図らずも別の会社に転職することを余儀なくされる状況となってしまいました。
リーマンショックという歴史上でもまれにみる金融危機の折に、最も影響を受けた業界の当事者であったということは、どんなに良い会社でも外的要因によっていとも簡単に足元を掬われてしまうという、会社経営の恐ろしさを目の前で体験するという得難い経験であったと思います。同時に、中学生の時に体験した「経営の重さ」を思い起こし、父の言っていた会社経営における真面目さ、堅実さがどれほど大変で大切なものかを改めて強く実感するようになりました。
その後、縁あってケーブルテレビ運営会社に転職し、ひょんなことから経営企画のセクションに移ることとなり、経営陣の間近で中期経営計画の策定や様々な経営課題の議論を推進する立場として、とても刺激的で充実した毎日を過ごしていました。
そんな折、ある日突然、父の病気が発覚し、先が長くないことがわかったのです。私はとてもショックでしたが、病床の父から「会社を継がないか」と言われ、とにかく父を安心させたいと会社を継ぐことを約束しました。しかし、その当時の私は数年がかりのプロジェクトに着手したばかりで、抱えている仕事を放り出す訳にはいかない状況でした。しばらくは母が社長として会社を続けていくこととなり、私は無事に担当していたプロジェクトを完遂することが出来ました。仕事がひと段落ついたある日、ふとした瞬間に、母の背中が丸まってきたのに気づき、母の老いを感じました。それをきっかけに母の引退と私が引き継ぐことを強く意識するようになり、父との約束を果たすために入社しました。
新しい風を吹き込むシステムの革新
入社後は紙ベースだった業務を出来る限りデジタル化・ツール化し、担当社員の頭の中だけにあった業務プロセスや知見を社内で共有できるよう明文化・データ化するなどして、業務の効率化を進めてきました。社内の給与システムを変更し、クラウドで管理出来るように整備したのもそのような取組みの最初の一歩です。もちろん変更した直後は反発もありましたが、そのうち「これ見やすいね」と社員から声を掛けられるようになりました。給与というのは勤めている人間にとって一番重要なものですから、出来るだけわかりやすくしたいと、現在も改善を続けています。
また、士業の先生方と連携しながら会社の制度設計や見直しを進め、働いている人が不公平感を持つことが無いような会社組織の仕組みづくりを進めています。
会社を良くしていくためには「変える」ことに躊躇すべきではないということは、私の信念のようなものでもあります。もちろん、変えることでうまく仕事が回らなくなってしまっては本末転倒ですから、母や周りの長年会社を支えていただいている社員に意見を聞きつつ、スピード感をもって進めていくことを意識するようにしています。
適材適所で頼れる社員の能力を生かす
弊社の社員は皆、真面目に仕事に向き合う頼もしい人たちばかりです。その中でも特に仕事に対して責任感を持って真摯に向き合う姿勢を重要視しており、頑張る社員には年功序列にとらわれずに、よりそのやる気や能力を発揮できる仕事へ積極的に登用するなど、しっかりと評価につなげられるよう心がけています。
もちろん、偏りがあってはいけませんので、長年に渡って会社の成長を支えてきた当社の専務にうまくバランスを取って采配していただいています。このような采配の妙を含め、業界を知り尽くした大ベテランである専務の貴重な知見やスキルを未来に引き継いでいくべく、若手社員たちに専務から直接指導をしていただいており、指導を受けた社員たちが次第に成長していく様子を見て、非常に心強く感じています。
弊社の主な業務は大きく分けると、建設現場で活躍する重機オペレーター、建設現場から土砂を運搬する大型ドライバー、そしてそれらの人々を支え橋渡しをする事務所社員の3つです。
現場で活躍する重機オペレーターは、土木・建設業界でずっと働き続けてきたプロフェッショナルで、いわゆる職人気質の方が多いです。自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる方ばかりで、大きな建設重機のアームとバケットを自分の手のように器用に操作して設計図通りに現場を仕上げていきます。どのように進めれば現場がうまく回るのかを熟知しており、現場で最も頼られる存在です。
建設現場から土砂の運搬を担う弊社の大型ドライバーは、東京都や埼玉県の都市部から郊外までの道路を知り尽くした運転のプロ集団です。大型ダンプの運転手というとなにかと怖いイメージを持たれがちですが、弊社のドライバーはとにかく真面目で信頼できる方が揃っています。ひと昔前まではダンプの運転一筋、という方が多かったのですが、最近では多種多様なバックグラウンドを持っている社員たちばかりです。バックグラウンドは違えども、皆が誠実に、安全第一で仕事をしてくれています。
事務所で働く社員は、重機オペレーターやドライバーたちがスムーズに働くための縁の下の力持ちとして活躍してくれています。効率的な采配やコスト管理、またお客さんとのコミュニケーションなど、事務所の社員だからこそ出来ることで会社全体を支えています。営業、配車・手配、経理・事務など、それぞれ受け持った異なる役割をこなしつつ、事務所の社員全員が会社の仕事を「自分ごと」として受け止めて現場に出ている社員と意思疎通を行うことで、日々円滑に仕事を進めていくことが出来ています。
まだまだ規模のさほど大きくない会社ですから、年齢や勤続年数にとらわれず、適材適所を見極めて仕事を振っていくことがとても大切だと感じています。これまで経験してきたことだけでなく、個人の性格や能力を考慮して、新しい役割を任せてみることで思わぬ成果が上がることもたくさんありました。
実際にあったエピソードとして、ぐいぐい引っ張るタイプではないが周囲の人間に気遣いが出来るドライバーを管理職に据えたところ、それまで高止まりしていた離職率が目に見えて下がるなどの効果が上がったことがありました。また、ドライバーだった社員の「段取り力」を見込んで、場を仕切る役割を任せたところ、現場と事務所の連携がスムーズに回るようになり、結果として顧客満足度の向上につながったこともありました。これからも、たとえ勤続年数の浅い社員や年齢が若い社員であっても、仕事に取り組む姿勢や本人の適性を見て、やってくれそうだなと思ったら、活躍できる機会を作っていきたいと考えています。
未来に大きな福を。業界のイメージを変えていく
現在、土木・建設業界を取り巻くイメージは必ずしも良いものではありません。徐々に改善されてきていますが、いまだに大変そうな仕事、荒っぽい人が多いのではないかといったイメージが残っており、若い人から敬遠されているように感じています。
しかし、たとえば同じ建設業でも、神社やお寺を建てる宮大工は、たくさんの人から尊敬される仕事です。また、ダムなどの巨大構造物は興味のない人でも間近で見ると「すごい」と感じるものですし、意匠の凝らされた美しいビルは街の景観を彩っています。そんな構造物をたくさんのヒトの力で実現していく土木・建設業界で働く人々が、尊敬や憧れを持って見てもらえるような時代が来るよう、弊社も真面目に誠実に取り組んでいきたいと考えています。
弊社の経営理念は、再構築中ではありますが、父の考え方である「真面目、堅実」を守り続けること、また私のポリシーでもある「仕事を楽しむ」ことを土台に、「社員が長く働きたいと思ってくれるような会社を目指す」にはどうあるべきかという視点で、弊社らしい内容にしていくつもりです。特に土木・建設業界には珍しい経歴で、かつ、女性の社長ということもありますので、従来の業界の考え方を尊重しつつ、新たな風を吹き込みたいと思っています。
土木・建設業界はまだ男性中心の風潮がありますが、弊社のように創業者の逝去や引退の後に、その配偶者や娘が後を継ぎ、女性社長として活躍する例は、すでに珍しいことではありません。トップだけでなくこの業界で働いている皆が、男女を問わずその能力を発揮し、活躍できるようになったときこそ、土木・建設業界が尊敬や憧れを持って見てもらえる時代が来るのだと信じています。
今後の展開として、弊社の既存の事業と地続きになるような業種へと事業領域を広げていきたいと考えています。父はダンプトラックでの土砂の運搬を起点として、その少し川上で行なう建設現場での土砂の切削から、少し川下といえる運搬後の土砂を処分する部分まで展開しました。今後は、現在の重機を用いた土木・建築の建設工事に軸足を置いた既存事業の規模の拡大や、その周辺領域への進出を模索しています。そうした事業領域を拡大するには、M&Aが有効なのではないかと思っています。
M&Aをする上では、会社を引き受けた後に如何に社員の皆様に安心して働いていただけるかが最も重要なことだと考えています。そのためにも引き受けた先の社員の皆様としっかり対話をし、お互いの良い部分を見習い、吸収していくようにしたいと思っています。そのためにも、まずは自社の制度を整えて、社内外に向けて胸を張って「いい会社だ」と言えるような組織作りや社内制度の整備を行っていきます。
弊社が拠点とする埼玉県は交通網の整備も整っていますし、県の中心地であるさいたま市も開発が進んでいます。とても便利で住みよい地域ではありますが、一方で、都内に通勤する人も大勢います。そんなさいたま市の方々に、「地元で働きたい」と思ってもらえるような、魅力ある会社にしていければと考えています。
これからの社会は、ICT活用や自動運転などの技術がより進歩していきます。高齢化・人手不足に悩む土木・建設業では、これらの技術進歩の恩恵を最も早くに受けるようになると予測されています。現在は熟練した人が危険と隣り合わせで重機や車両を動かしていますが、近い将来には安全で離れたところから遠隔操作で作業が出来るような環境が整っていくでしょう。技術革新に合わせて土木・建設業界の未来も変わるはずです。そうした未来を描きながら、弊社を埼玉に誇る企業へ成長させていきたいです。
会社概要
社名 | 大福輸送株式会社 |
創立年 | 1986年 |
代表者名 | 代表取締役社長 田子山 知子 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
https://www.daifukuyuso.co.jp/
|
本社住所 |
〒331-0813 |
事業内容 | ゼネコンの一次・二次下請けとして、主に商業施設・公共施設やマンション等の基礎土工事、および河川・造成等の土木工事を手掛ける 一般土木工事請負 埋立・造成工事 建設残土運搬処分 重機オペ/鉄板リース 重機回送 |
会社沿革
1986年 | 大福輸送株式会社 設立 |
2016年 | 2代目 田子山 依子 代表取締役就任 |
2022年 | 3代目 田子山 知子 代表取締役就任 |
公開日:2023/02/01 (2023/02/02修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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