京都・京都市北区
京都 ・ 京都市
大阪 ・ 豊中市
愛知 ・ 名古屋市
引継ぎ実績あり
安さ・
株式会社カーニバル
家の洗濯機のように気軽に利用してもらい、お客様を笑顔にしたい
経営理念
【社是】
おもしろくないと仕事じゃない
~仕事をおもしろくするのは自分次第~
人生の中で仕事に占める割合は大きなものです。
物事全てを前向きに、プラス発想でやっていけば、
全てが面白くなります。
【企業理念】
お客様に喜ばれ、働く仲間の幸せを共有できる企業でありたい
たくさんのお客様に喜ばれ、地域社会から応援されると同時に、
働く仲間の幸せを共に喜び、分かち合える
そんな企業でありたい。
代表者メッセージ
「こんなクリーニング店あったらいいのにね」
地域のお客様に喜ばれ愛されるクリーニング店を目指し、これまで楽しい企画や驚きの販売促進等を行ってきました。
お客様のニーズは何なのか
カーニバルに出来ることは何なのか
クリーニングを通して地域社会に貢献できることは何なのか
そんな想いを持ち続けてこれまで一生懸命にクリーニングというものに取り組んできました。 お客様の笑顔を原動力として、働く仲間の幸せを思い、さらに飛躍をして次にバトンを繋げる重責を楽しんでいきます。 これからも歩みを止めることなく、クリーニング業界全体を活性化していきたいと考えます。
「お客様に喜ばれ、働く仲間の幸せを共有できる企業でありたい」 この企業理念を実践し、進化を続ける企業である為に、多くの仲間と共に歩んでいきます。 お客様・関係各位様にはこれまで以上のご支援をよろしくお願い申し上げます。
代表取締役 福田 晃正
私たちのこだわり
京都、大阪、愛知に展開する創業60年のクリーニングチェーン
弊社は、1963年に創業した「丸藤クリーニング店」がルーツになります。創業の地は現在本社がある京都市北区です。創業からしばらくは個人事業主として、バイクで各家庭を回って直接衣類の受取・引渡を行ういわゆる「外交」方式と、一般的な店舗預かり方式の2本立てでやっていたそうです。
やがて高度成長期の中で事業が拡大し、1986年に法人化しました。1997年には現在の社名でもある「カーニバル」1号店(東向日店)を京都府向日市で開業しました。現在ではクリーニング店81店舗、コインランドリー8店舗を構える大規模なクリーニングチェーンに成長しています。
入社するまでの紆余曲折と出会い
私は、京都で染物工場を営む家の後継ぎとして生まれ育ちましたが、家業を継ぐ前に1度は外で働きたいと思っていました。どうせなら手に職を付けようと考え、高校卒業後に専門学校で歯科技工士の資格を取得しました。専門学校卒業後は歯科医院に就職しましたが、働きはじめてしばらくすると父が病に倒れてしまい、家族が心配になった私は実家の工場に戻ることにしました。
3年後に父が他界するまでは実家で働いていましたが、親族間での揉め事がきっかけとなり私は後を継がないと決断することになります。その後、もともとスポーツが好きだったことから、次は運動関係の仕事に就きたいと考え、タウンワークに載っているスポーツ用品店に片っ端から電話をし、そのうちの1社に就職することができました。
そこでの仕事は、店舗で一般消費者を相手にするのではなく、学校相手にBtoBの営業をかけるというものでした。営業の仕事を学びつつ働いていたところ、今度は勤めていたその会社が倒産してしまいました。会社は倒産しましたが、私自身は多くの学校と良好な関係を築けていたので、独立して事業を継続することにしました。しかし、事業自体は好調で収入も悪くなかったですが、色々な部活動に付き合う仕事柄、1年を通じほぼ休みがないような状況が続いていました。このままでは健康的に働き続けられるとは思えず、次の仕事について考えていたところ、出会ったのが「丸藤クリーニング店」です。
「カーニバル」という社名の由来
一般的にクリーニング店は、個人で運営している一部の店舗を除き、多くは洗濯物の受取と引き渡しのみを行う「取次店」です。そして各店舗で受け取った洗濯物を大型のクリーニング工場で一括処理し、再びそれぞれの店舗に戻して引き渡すというのがクリーニングチェーンの基本的な運営スタイルになります。弊社に入社した30年前も、取次店と工場という基本的な枠組みは今と同じでした。しかし、取次店とはいっても、たばこ屋や文房具店の横で洗濯物の預かりもやっているというような店舗や、個人の民家の一部を改造しただけの取次所が大半でした。事業規模は、創業時より大きくなっていたものの、胸を張ってフランチャイズ(以下、FC)チェーンだといえるような状態ではありませんでした。
今後の事業展開を見据えて専務と話し合い、これからはもっとしっかりした形でFC化していきたいと考えるようになりました。そのためにはまず「こういう店舗を経営しませんか」とFCオーナー候補に提示できるような、いわば旗艦店としての店舗が必要だという結論に至りました。この新たな取り組みとして立ち上げたのが「カーニバル」というブランドです。そして、その直営1号店を、1997年に京都府向日市でオープンしました。
新たなブランドを立ち上げる上で最初に考えたのは、イメージカラーでした。私も専務も派手な色が好きで、特に赤が好きでした。加えて、当時のクリーニング屋の看板は水色が多かったため、差別化するためにも真逆の赤をベースにしようと決めました。しかし赤単色だときつい印象になってしまうということで、最終的に落ち着いたのが赤・黄・緑のラスタカラーです。ラスタカラーは、本来はレゲエの象徴ですが、そのときなぜかブラジルのリオのカーニバルが頭に浮かんだため、新たなブランド名は「カーニバル」としました。
当時は異例だった日曜営業と当日お渡しを実現
30年前のクリーニング店は、日曜・祝日は営業をしないのが一般的でした。今ほど週休2日が社会的に定着していなかったため、日曜日にクリーニングに出せず困っていたビジネスマンは多かったと思います。また、クリーニングの仕上がりは基本的には約1週間後で、「急ぎで必要だから」と特急扱いにしてもらった場合でさえ、「2~3日後に来てください」と翌日に間に合わないだけではなく、2日後なのか3日後なのかはっきりしないケースも多く見られました。別の業界から飛び込んできた私から見ると、「なぜこんなやり方なのだろう」と疑問を抱くような慣例ばかりでした。
裏を返せば、日曜日に営業し、仕上がりまでの時間をもっと短縮し、「何日後ぐらい」ではなく「何月何日の何時以降に受け取れます」という仕組みを作るという、この3つを実現できれば他社にはない強みを作れることになると考え、改善のために動き始めました。
これまで定休日だった日曜日の営業については、やはり当初は社員からの反発がありました。また、日曜日に出勤した社員は平日に休むことになるため、シフトに穴が開くことになります。そのシフトの穴は提案者である私が責任をもって埋めていたため、日曜日営業を始めた頃の私は多忙を極めていました。しかし、そうやって率先して、社員一人一人に日曜日営業の意義を丁寧に説明し続けた結果、徐々に受け入れられていきました。
仕上がり期間の短縮と正確な納期管理については、工場における製品管理のやり方を変えることでまとめて解決しました。実は、特急扱いであってもクリーニング作業の労力に違いはありません。しかし、「多くの洗濯物の中から特急の札がついたものをピッキングする」「クリーニング処理を施す」「店舗に返却する前にまたピッキングをして特急扱いの漏れがないかチェックする」という作業がネックとなっていました。つまり工場側で製品を管理して「通常」「特急」の仕分けをしていたため、時間がかかっていました。
私は、そのやり方がとても非効率だと思っていました。そこで「午前中に洗濯物を受け取って今日中にクリーニングするのだから、全部今日の夕方に返そう」と提案しました。これならば「通常」「特急」をわける必要もありませんし、1日の仕事が終わったときに「日数がかかる特殊なもの以外、工場に一切製品がない状態が正常」という製品管理が可能になるため、これまでよりもはるかに効率的です。この仕組みにより実現した弊社の当日仕上げサービスは、現在でもお客様からご好評をいただいています。
より地域に密着したサービスを展開するため分社化
クリーニング店の繁忙期は4月~6月の衣替えの時期です。冬の間に着用していたコートやダウンジャケット、冬物の羽毛布団など、家庭では洗えないものをクリーニングに出すお客様が増えるからです。繁忙期と閑散期では売り上げに3倍以上の差が出ることもあります。秋の衣替えシーズンも繁忙期といえますが、夏場は基本的に薄着な上にクールビズの普及等の影響もあり、春の繁忙期ほどではありません。
お客様がクリーニングに出したいものや出したい時期は決まっていることが多いため、クリーニング店は基本的に「待ち」の商売だといえるかもしれません。販促に関しても、新規顧客獲得があまり期待できない閑散期に予算を投入しても無駄になってしまう恐れがあるため、繁忙期の4月~6月のみにチラシ等の広告を打つことが主流です。しかし、弊社では、ほぼ通年にわたり毎月セールを実施し、常時チラシや携帯アプリでそのセールの宣伝をするという、いわば「攻め」の営業スタイルでこれまで大きな効果を上げてきました。
しかし、近年では店舗が増えたことや地域性の違いから、エリアによっては期待したほど販促効果が上がらないケースが出てきました。京都から大阪に進出したときには同じ関西ということもあるのか、そこまで大きな違いを感じなかったのですが、名古屋ではこれまでの販促がうまくいかず、読み切れないというケースが増えてきました。
そこで、より地域に密着した緻密なサービスを実現するため、エリアごとに会社を分社化する決断をしました。2021年には株式会社カーニバル名古屋を、2022年には株式会社カーニバル大阪を設立し、各子会社の運営をそれぞれ私以外の社員に任せました。京都エリアは引き続き私が担当しています。なお、この分社化にはエリアに特化した販促という狙いに加え、私と同世代の優秀な社員に社長として各拠点を任せることで、彼らのモチベーションを維持するとともに社内の経営人材を育成したいという思いもありました。
社長の立場を高い位置に置かないフラットな組織作り
コロナ前までは年に1回、1月に経営方針発表会という形で全社規模のフォーラムを開催していました。300~400名規模のスタッフを集めて、売上の数字を発表した後は、宴会を催していましたが、コロナ以降は大勢集まるのが難しくなってしまいました。現在は、分社化したエリアごとにそれぞれ集まっていますが、数年後にまた全社規模の集まりを開催したいと思っています。
私自身は、各エリアでのミーティングに顔を出したり、店舗に顔を出したり、工場でたまにアイロンを当てたりしつつ、各所のスタッフと現場で交流しています。そこで例えば、「POSレジのここが使いにくい」という意見があれば、可能な限り改善を考えます。
社長とは、当たり前ですが周囲からは経営者として扱われます。ただ、自分が育った工場にいくと、もちろんそこでも社長だとは思われていますが、根底には一緒に働いてきた仲間という意識があり、それはとても大事なことだと私は思っています。「社長って何してはるんですか」と聞かれたら、「会社で何かあったら最後に責任取らなあかん人」といつも答えています。社長は「偉い人」ではありません。立場によって責任の所在が違うだけであり、お客様の服を預かる店舗のスタッフも同じく責任のある仕事を行っています。社長だからと自分をあまり高い位置に置かないように心がけています。
利便性を提供し、お客様の笑顔を実現することで地域に貢献したい
弊社は、コートやダウンなど一部を除いてワンプライスでクリーニングのサービスを展開しています。納期の明確化と合わせて、シンプルで分かりやすいサービスを提供することが弊社の役割だと考えているからです。お客様にとって「早く」「安く」「便利な場所で」クリーニングを頼めるという利便性は大きなメリットです。この利便性を今後も提供し続けていくことが、弊社をご愛顧いただいてきた地域への恩返しになると思っています。
百貨店などに服を買いに行くのは楽しいことだとおもいますが、クリーニング屋に行くことは楽しいことかというと、おそらく「家では洗えないから仕方なく来た」というお客様が大半です。それでも、家の洗濯機を使うぐらいの気持ちで、身構えず来店してもらいたいと思っています。だからこそ、社員全員が少しでもお客様の笑顔を実現できるような店舗づくりや接客を心掛けています。
既存事業のさらなる深化と新領域への挑戦
これまで弊社は、京都市内を中心に関西圏で数百件店舗の物件開発のノウハウと、数十万人のクリーニング会員データベースを蓄積しており、地域に根差した運営をしてまいりました。
またクリーニング業という生産性を上げることが難しいと言われる労働集約型ビジネスにおいても高度に平準化されたオペレーションで高い利益率を上げています。この運営ノウハウと高い専門性で業務を担う人材が弊社の最大の強みであり財産です。
またクリーニング業ではいち早く専用アプリを導入し、預り票のペーパーレス化やクーポン配信などで紙チラシの削減によるSDGsへの取り組みを行ってきました。
残念ながらコロナ以降から世の中の変化が急激に進んでおり、テレワークやご自宅で洗える衣類の増加等でクリーニング需要は減少傾向となっております。ここ数年は変化に対応するべく無人コインランドリーの出店も加速させております。
その分、これから人的リソースに余力が出て来ることが想定されますので、これまでのノウハウやリソースが生かせる新たな事業領域への積極的なチャレンジをし、地域経済の活性化に繋げることができれば嬉しい限りです。
これからも弊社は地域の皆様の笑顔のため、公衆衛生を守り快適で安心な衣住環境を支えるお手伝いができるように努めてまいります。
京都、大阪、愛知に展開する創業60年のクリーニングチェーン
弊社は、1963年に創業した「丸藤クリーニング店」がルーツになります。創業の地は現在本社がある京都市北区です。創業からしばらくは個人事業主として、バイクで各家庭を回って直接衣類の受取・引渡を行ういわゆる「外交」方式と、一般的な店舗預かり方式の2本立てでやっていたそうです。
やがて高度成長期の中で事業が拡大し、1986年に法人化しました。1997年には現在の社名でもある「カーニバル」1号店(東向日店)を京都府向日市で開業しました。現在ではクリーニング店81店舗、コインランドリー8店舗を構える大規模なクリーニングチェーンに成長しています。
入社するまでの紆余曲折と出会い
私は、京都で染物工場を営む家の後継ぎとして生まれ育ちましたが、家業を継ぐ前に1度は外で働きたいと思っていました。どうせなら手に職を付けようと考え、高校卒業後に専門学校で歯科技工士の資格を取得しました。専門学校卒業後は歯科医院に就職しましたが、働きはじめてしばらくすると父が病に倒れてしまい、家族が心配になった私は実家の工場に戻ることにしました。
3年後に父が他界するまでは実家で働いていましたが、親族間での揉め事がきっかけとなり私は後を継がないと決断することになります。その後、もともとスポーツが好きだったことから、次は運動関係の仕事に就きたいと考え、タウンワークに載っているスポーツ用品店に片っ端から電話をし、そのうちの1社に就職することができました。
そこでの仕事は、店舗で一般消費者を相手にするのではなく、学校相手にBtoBの営業をかけるというものでした。営業の仕事を学びつつ働いていたところ、今度は勤めていたその会社が倒産してしまいました。会社は倒産しましたが、私自身は多くの学校と良好な関係を築けていたので、独立して事業を継続することにしました。しかし、事業自体は好調で収入も悪くなかったですが、色々な部活動に付き合う仕事柄、1年を通じほぼ休みがないような状況が続いていました。このままでは健康的に働き続けられるとは思えず、次の仕事について考えていたところ、出会ったのが「丸藤クリーニング店」です。
「カーニバル」という社名の由来
一般的にクリーニング店は、個人で運営している一部の店舗を除き、多くは洗濯物の受取と引き渡しのみを行う「取次店」です。そして各店舗で受け取った洗濯物を大型のクリーニング工場で一括処理し、再びそれぞれの店舗に戻して引き渡すというのがクリーニングチェーンの基本的な運営スタイルになります。弊社に入社した30年前も、取次店と工場という基本的な枠組みは今と同じでした。しかし、取次店とはいっても、たばこ屋や文房具店の横で洗濯物の預かりもやっているというような店舗や、個人の民家の一部を改造しただけの取次所が大半でした。事業規模は、創業時より大きくなっていたものの、胸を張ってフランチャイズ(以下、FC)チェーンだといえるような状態ではありませんでした。
今後の事業展開を見据えて専務と話し合い、これからはもっとしっかりした形でFC化していきたいと考えるようになりました。そのためにはまず「こういう店舗を経営しませんか」とFCオーナー候補に提示できるような、いわば旗艦店としての店舗が必要だという結論に至りました。この新たな取り組みとして立ち上げたのが「カーニバル」というブランドです。そして、その直営1号店を、1997年に京都府向日市でオープンしました。
新たなブランドを立ち上げる上で最初に考えたのは、イメージカラーでした。私も専務も派手な色が好きで、特に赤が好きでした。加えて、当時のクリーニング屋の看板は水色が多かったため、差別化するためにも真逆の赤をベースにしようと決めました。しかし赤単色だときつい印象になってしまうということで、最終的に落ち着いたのが赤・黄・緑のラスタカラーです。ラスタカラーは、本来はレゲエの象徴ですが、そのときなぜかブラジルのリオのカーニバルが頭に浮かんだため、新たなブランド名は「カーニバル」としました。
当時は異例だった日曜営業と当日お渡しを実現
30年前のクリーニング店は、日曜・祝日は営業をしないのが一般的でした。今ほど週休2日が社会的に定着していなかったため、日曜日にクリーニングに出せず困っていたビジネスマンは多かったと思います。また、クリーニングの仕上がりは基本的には約1週間後で、「急ぎで必要だから」と特急扱いにしてもらった場合でさえ、「2~3日後に来てください」と翌日に間に合わないだけではなく、2日後なのか3日後なのかはっきりしないケースも多く見られました。別の業界から飛び込んできた私から見ると、「なぜこんなやり方なのだろう」と疑問を抱くような慣例ばかりでした。
裏を返せば、日曜日に営業し、仕上がりまでの時間をもっと短縮し、「何日後ぐらい」ではなく「何月何日の何時以降に受け取れます」という仕組みを作るという、この3つを実現できれば他社にはない強みを作れることになると考え、改善のために動き始めました。
これまで定休日だった日曜日の営業については、やはり当初は社員からの反発がありました。また、日曜日に出勤した社員は平日に休むことになるため、シフトに穴が開くことになります。そのシフトの穴は提案者である私が責任をもって埋めていたため、日曜日営業を始めた頃の私は多忙を極めていました。しかし、そうやって率先して、社員一人一人に日曜日営業の意義を丁寧に説明し続けた結果、徐々に受け入れられていきました。
仕上がり期間の短縮と正確な納期管理については、工場における製品管理のやり方を変えることでまとめて解決しました。実は、特急扱いであってもクリーニング作業の労力に違いはありません。しかし、「多くの洗濯物の中から特急の札がついたものをピッキングする」「クリーニング処理を施す」「店舗に返却する前にまたピッキングをして特急扱いの漏れがないかチェックする」という作業がネックとなっていました。つまり工場側で製品を管理して「通常」「特急」の仕分けをしていたため、時間がかかっていました。
私は、そのやり方がとても非効率だと思っていました。そこで「午前中に洗濯物を受け取って今日中にクリーニングするのだから、全部今日の夕方に返そう」と提案しました。これならば「通常」「特急」をわける必要もありませんし、1日の仕事が終わったときに「日数がかかる特殊なもの以外、工場に一切製品がない状態が正常」という製品管理が可能になるため、これまでよりもはるかに効率的です。この仕組みにより実現した弊社の当日仕上げサービスは、現在でもお客様からご好評をいただいています。
より地域に密着したサービスを展開するため分社化
クリーニング店の繁忙期は4月~6月の衣替えの時期です。冬の間に着用していたコートやダウンジャケット、冬物の羽毛布団など、家庭では洗えないものをクリーニングに出すお客様が増えるからです。繁忙期と閑散期では売り上げに3倍以上の差が出ることもあります。秋の衣替えシーズンも繁忙期といえますが、夏場は基本的に薄着な上にクールビズの普及等の影響もあり、春の繁忙期ほどではありません。
お客様がクリーニングに出したいものや出したい時期は決まっていることが多いため、クリーニング店は基本的に「待ち」の商売だといえるかもしれません。販促に関しても、新規顧客獲得があまり期待できない閑散期に予算を投入しても無駄になってしまう恐れがあるため、繁忙期の4月~6月のみにチラシ等の広告を打つことが主流です。しかし、弊社では、ほぼ通年にわたり毎月セールを実施し、常時チラシや携帯アプリでそのセールの宣伝をするという、いわば「攻め」の営業スタイルでこれまで大きな効果を上げてきました。
しかし、近年では店舗が増えたことや地域性の違いから、エリアによっては期待したほど販促効果が上がらないケースが出てきました。京都から大阪に進出したときには同じ関西ということもあるのか、そこまで大きな違いを感じなかったのですが、名古屋ではこれまでの販促がうまくいかず、読み切れないというケースが増えてきました。
そこで、より地域に密着した緻密なサービスを実現するため、エリアごとに会社を分社化する決断をしました。2021年には株式会社カーニバル名古屋を、2022年には株式会社カーニバル大阪を設立し、各子会社の運営をそれぞれ私以外の社員に任せました。京都エリアは引き続き私が担当しています。なお、この分社化にはエリアに特化した販促という狙いに加え、私と同世代の優秀な社員に社長として各拠点を任せることで、彼らのモチベーションを維持するとともに社内の経営人材を育成したいという思いもありました。
社長の立場を高い位置に置かないフラットな組織作り
コロナ前までは年に1回、1月に経営方針発表会という形で全社規模のフォーラムを開催していました。300~400名規模のスタッフを集めて、売上の数字を発表した後は、宴会を催していましたが、コロナ以降は大勢集まるのが難しくなってしまいました。現在は、分社化したエリアごとにそれぞれ集まっていますが、数年後にまた全社規模の集まりを開催したいと思っています。
私自身は、各エリアでのミーティングに顔を出したり、店舗に顔を出したり、工場でたまにアイロンを当てたりしつつ、各所のスタッフと現場で交流しています。そこで例えば、「POSレジのここが使いにくい」という意見があれば、可能な限り改善を考えます。
社長とは、当たり前ですが周囲からは経営者として扱われます。ただ、自分が育った工場にいくと、もちろんそこでも社長だとは思われていますが、根底には一緒に働いてきた仲間という意識があり、それはとても大事なことだと私は思っています。「社長って何してはるんですか」と聞かれたら、「会社で何かあったら最後に責任取らなあかん人」といつも答えています。社長は「偉い人」ではありません。立場によって責任の所在が違うだけであり、お客様の服を預かる店舗のスタッフも同じく責任のある仕事を行っています。社長だからと自分をあまり高い位置に置かないように心がけています。
利便性を提供し、お客様の笑顔を実現することで地域に貢献したい
弊社は、コートやダウンなど一部を除いてワンプライスでクリーニングのサービスを展開しています。納期の明確化と合わせて、シンプルで分かりやすいサービスを提供することが弊社の役割だと考えているからです。お客様にとって「早く」「安く」「便利な場所で」クリーニングを頼めるという利便性は大きなメリットです。この利便性を今後も提供し続けていくことが、弊社をご愛顧いただいてきた地域への恩返しになると思っています。
百貨店などに服を買いに行くのは楽しいことだとおもいますが、クリーニング屋に行くことは楽しいことかというと、おそらく「家では洗えないから仕方なく来た」というお客様が大半です。それでも、家の洗濯機を使うぐらいの気持ちで、身構えず来店してもらいたいと思っています。だからこそ、社員全員が少しでもお客様の笑顔を実現できるような店舗づくりや接客を心掛けています。
既存事業のさらなる深化と新領域への挑戦
これまで弊社は、京都市内を中心に関西圏で数百件店舗の物件開発のノウハウと、数十万人のクリーニング会員データベースを蓄積しており、地域に根差した運営をしてまいりました。
またクリーニング業という生産性を上げることが難しいと言われる労働集約型ビジネスにおいても高度に平準化されたオペレーションで高い利益率を上げています。この運営ノウハウと高い専門性で業務を担う人材が弊社の最大の強みであり財産です。
またクリーニング業ではいち早く専用アプリを導入し、預り票のペーパーレス化やクーポン配信などで紙チラシの削減によるSDGsへの取り組みを行ってきました。
残念ながらコロナ以降から世の中の変化が急激に進んでおり、テレワークやご自宅で洗える衣類の増加等でクリーニング需要は減少傾向となっております。ここ数年は変化に対応するべく無人コインランドリーの出店も加速させております。
その分、これから人的リソースに余力が出て来ることが想定されますので、これまでのノウハウやリソースが生かせる新たな事業領域への積極的なチャレンジをし、地域経済の活性化に繋げることができれば嬉しい限りです。
これからも弊社は地域の皆様の笑顔のため、公衆衛生を守り快適で安心な衣住環境を支えるお手伝いができるように努めてまいります。
会社概要
社名 | 株式会社カーニバル |
創立年 | 1963年 |
代表者名 | 代表取締役社長 福田 晃正 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
http://www.carnival.ne.jp/
|
本社住所 |
〒603-8413 |
事業内容 | ホームクリーニング事業 コインランドリー事業 子会社の経営管理 |
事業エリア |
カーニバル紫竹工場 〒603-8413 |
カーニバル葛野工場 〒615-0054 |
|
カーニバル東向日工場 〒617-0002 |
|
カーニバル豊中工場 〒561-0857 |
|
カー二バル北大阪工場 〒560-0000 |
|
カーニバル名南工場 〒457-0063 |
|
関連会社 |
|
会社沿革
1963年 | 本店所在地にて「丸藤クリーニング店」創業 |
1964年 | 服地プレスを主として営業開始 |
1997年 | カーニバル直営1号店 東向日店オープン ※1号店のオープンをきっかけに翌年以降店舗数を増やしている |
2021年 | 株式会社カーニバル名古屋(子会社)設立 |
2022年 | 株式会社カーニバル大阪(子会社)設立 |
株式会社カーニバルの経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
近畿
静岡県
愛知県
「攻め」のスタイルで事業拡大中、シナジーを見込める事業を募集
人的資本引継ぎ
愛知県
京都府
大阪府
事業拡大中のクリーニング店、チャレンジングな人財を募集
公開日:2024/01/09
※本記事の内容および所属名称は2024年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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