埼玉・草加市
埼玉 ・ 草加市
引継ぎ実績あり
創業88年、
株式会社渡辺教具製作所
国内トップシェアを武器に、新たなる市場へと挑戦
経営理念
会社スローガン
Learning through the Universe
代表者メッセージ
弊社は創業時より「品質にこだわった天文教具」という理念のもと、教育や社会に貢献してまいりました。地球儀の製造においては職人の手で球体に貼り合わせる手貼り製法に加え精密な花びらのように分割した地図をプレス機で半球にするプレスクラフト製法を導入しております。この量産技術は世界で弊社を含めて2社しか持たない製法で量産でありながら精度を高めることができるものです。樹脂成型の方が量産には向いていますが、紙成型にすることで地図の精度を高めることができます。これは我々の品質にこだわるという理念を重視してきた結果です。
このような伝統を守りつつ、私たちは新しい挑戦として「AR地球儀」を開発しました。スマートフォンを地球儀にかざすだけで、地球のリアルタイム情報に加え、各国の面積や人口、GDPなど、世界の様々な情報を取得できます。これからの時代は、「安いから買う」から「納得できる理由があるから買う」へと消費者の思考が変化しています。日本の質実剛健なものづくりは、国内外で必ず再評価されると確信しています。これからも私たちは、長年守り続けてきた高度な技術の継承を大切にし、その価値を世界へと広げてまいります。
代表取締役 渡辺 周
私たちのこだわり
「品質にこだわった天文教具を作りたい」という想いで創業
弊社は、1937年に築地で創業しました。創業者である曽祖父の渡辺雲晴は、現在の山口県にある浄土真宗のお寺が生家です。大学時代は宗教学を専攻し、その分野で有名な先生の教えを受け、その先生の勧めにより、戦前のシンガポールで記者として活動するようになります。その時に目にした満天の星空の圧倒的な美しさが、曽祖父の人生の大きな転機となり、天文に関する仕事に関心を抱くきっかけとなりました。
帰国後、築地本願寺に僧侶として身を置きながら、地球儀や天球儀の研究や開発を進めていました。そして、当時の海軍の天文や地図担当部署である「水路部」に協力を頂きながら日本初の精度の高い本格的な地球儀の開発を進めることができ、創業へと繋がりました。
実は、弊社は現在では地球儀メーカーとして知られていますが、最初に事業として軌道にのったのは星座早見盤でした。従来の課題であった歪みを限りなく少なくしたお茶碗型の星座早見盤を開発し、全国の学校に普及させることで会社の基盤を確立しました。
弊社の星座早見盤は、世界からもその独自性が認められました。この功績により、1965年に「黄綬褒章」および「都民功労賞」を受章しました。
さらに、「製品の精度や質においてトップを目指す」という強い信念のもと、難易度の高いプラネタリウムの開発にも着手します。星の等級に応じたミクロ単位の穴を正確に開ける究極の精密加工技術が必要な「ピンホール式プラネタリウム」の開発に、曽祖父が成功しました。この功績が日本の天文教育への貢献と認められ、1971年に「勲五等瑞宝章」を受章しました。
歴代社長のもと事業を拡大しつづける
その後、事業は祖父から父、父から母へと承継されました。少子化の波が押し寄せる中、元デザイナーの父は製品をモダンで洗練されたデザインに刷新しました。これにより、従来の官公庁や学校向け市場から、一般消費者向けの小売販路へと市場を大きく広げました。そして、4代目社長である母のリーダーシップのもと、一般消費者向けはさらに大きく成長し、売上は学校向けを上回るまでに拡大しました。
この市場拡大の裏側には、技術の絶え間ない進化がありました。1998年に導入された紙製地球儀の量産技術は、樹脂成型と違い地図を引き延ばす必要がなく、海岸線や国境の微細な印刷表現を可能にする画期的な技術であり。弊社とアメリカのリプルーグル社の2社のみが持つ稀有なものです。さらに2009年には、JAXAの探査データを用いた月の裏側まで高低差がわかる「月球儀」を開発し、全国の学校へ普及させた功績が認められました。
現在も、弊社の星座早見盤は業界でトップクラスの売上を維持しています。また、「精密な地図を日本人のために作る」という創業時の志を基に、熟練の職人が18枚の地図を一枚ずつ手貼りする伝統製法を大切に守っています。40年前に購入された製品の貼り替え依頼が来るほど、長く価値を感じてもらえる製品づくりを体現しているのです。
家族や取引先との信頼関係によって実現した事業承継
私は三兄弟の三男として生まれ育ちました。私が小学生の頃、3代目社長である父が40代という若さで死去しました。当時の慣習として、長男が家業を継ぐという考え方が強かったこともあり、私の中には「家業を継ぐ」という選択肢は全くありませんでした。
大学を卒業後は、商社に就職しました。その際に、海外駐在という明確な目標を持ってキャリアをスタートさせました。入社3年目にはその目標を達成し、香港、クアラルンプール、シンガポールで計5年間にわたる海外生活を経験しました。
私は、父を早くに亡くしていた分、兄たちからはいつも温かい愛情を注いでもらっていたため、クリエイターとして才能のある兄を「家業に縛り付けたくない」という思いが強くありました。こうした背景もあり、最終的に「私が引き受けよう」と決意し、2015年に渡辺教具製作所に入社しました。
入社後は、先代である母からは形式的な事業承継はほとんどありませんでした。実は、父の急逝という突然の事態を受けて、母は誰からも引き継ぎを受けることなく社長に就任した経緯があります。そのため、私に対しても「引き継ぎは自分で探して確立するものだ」という想いがあったようです。これは、形式的なマニュアルや手順書を与えるのではなく、「自分で道を切り拓きなさい」という母の教えだったと捉えています。このような事業承継が実現したのは、家族間の強い信頼と、長年築き上げてきた取引先との信頼関係に支えられていたからに他ならないと思います。そして、2016年に社長に就任しました。
ワクワクする商品を創出し、ブランド力を高める
弊社に入社後、地球儀売り場を見て「新しさを感じず、面白くない」と感じました。そこで、お客様が地球儀を手に取って回す瞬間の「ワクワクをいかに届けるか」が、最大の経営課題となりました。ワクワクの付加価値を創造するには余力が必要です。まずは自社の経営構造を徹底的にリサーチするところからスタートしました。
高品質な部材である天然木の台座などは、日本の木工技術の衰退により国内調達が難しくなっていました。そこで、前職での海外駐在経験を活かし、調達網をハイブリッド化することに乗り出しました。海外で質の良い部材を調達することで、品質を維持しながら原価を抑え、弊社の原価競争力を世界でも上位レベルに引き上げました。
原価の見直しを整備しつつ、商品力の向上を図りました。「遊び心をどう仕込むかで、地球儀の可能性はもっと広がる」と考え、従来の地球儀に「プラスアルファの付加価値」を加えるテクノロジーとの融合を図りました。そして、ユニークなオリジナル商品を企画・開発することで知られる、株式会社ほぼ日と共同でAR(Augmented Reality , 拡張現実)技術を活用した『ほぼ日のアースボール』を開発しました。
スマートフォンをかざすと雲の動きや各国情報が見られるなど、地球儀の概念を超えた「ワクワクする商品」を創出しました。この商品は、単なる学習ツールとしてだけでなく、新しい学びを提供する点からユーザーからも高い評価を得ることができました。また、マゼラン艦隊の航路を記すなど、回すたびに歴史や物語から「あ、ここをマゼランが通ったんだ」という「気づき」が生まれる仕掛けを施し、思わず地球儀を回したくなる工夫を行っています。
販路も、従来の一般小売店に加え、イオンやトイザらスなどの大手量販店と取引を拡大し、ブランドの認知度を高めました。
国内における業界トップ企業として
弊社の経営理念は、会社スローガンである「Learning through the Universe」で体現されています。これは、私たちが住む地球、そして宇宙を身近に感じ、面白いと思ってもらうこと、そして教育を通じて社会に貢献するという、創業以来の強い想いです。単なる利益追求ではなく、地球儀を見ることを通じて、世界の紛争や環境問題などを、お客様が「自分事として捉えるきっかけになってほしい」という強い想いも根付いています。
そして、私が社員と共有し、最も重視しているのは、「日本トップ企業としての責任感」です。
弊社がこれまでの長い歴史の中で、天文教具メーカー業界のトップを貫いてきた以上、弊社が品質を落とせば、日本全体のこの分野の品質が落ちてしまうということを共通認識として伝えています。
この品質へのこだわりは、単なる職人気質ではなく、全社的な責任感に基づいています。特に若手社員に対しては、その重要性を体感させるため、トラブルや品質に関する議論の場で、「ここでの妥協は、日本の天文教具・測量機器における品質のプライドを捨てることにつながる」というスケールの大きな文脈で説明するようにしています。このスケールの大きな責任感こそが、長年培ってきたノウハウと技術の維持に繋がっています。
評価基準は「作業」ではなく「貢献」
現在、弊社の従業員は約20名で、20代の若手からベテランまで幅広い年齢層の社員が働いています。
企画職が2名、営業職が4名という構成に加え、弊社の根幹を支える手貼り製法を行う熟練の職人は2名おり、彼らは入社25年から30年近くになるベテランです。
私は社長就任後、製造業において「物を作っていればいい」という旧来の考え方を徹底的に排除し、事業の収益性を理解する「経営人財」へと目線を上げることを促しています。そのために、社員とのコミュニケーションを大切にし、年3回の昇給や賞与のタイミングで全従業員と1対1の面談を実施しています。この面談では、収益向上に繋がる貢献をどう生み出すかという目線で工夫を凝らしてほしいと伝え、会社が目指す方向性や、社員一人ひとりに求める視点を共有しています。
また、貢献に応じた賞与制度を導入し、従来の評価基準を刷新しました。単に決められた作業をこなした行為を評価するのではなく、原価削減や効率改善といった工夫を通じた貢献を賞与として明確に評価する仕組みです。その結果、製造部門の社員も、自分たちの仕事が会社の収益にどう貢献し、世界市場でどう戦えるのかという視点を持つようになりました。組織全体が「世界でも上位に行ける」という自信を持ち、私が進めている海外戦略にしっかりとついていける体制へと変化しています。
さらに、弊社の社内の雰囲気は、歴代の社長が大切にしてきた「社員に優しいカルチャー」が深く根付いており、私はこの文化を尊重して経営を進めています。その結果、離職者もほとんどおらず、人財採用で困ることもありません。募集をかけると、地球儀や物づくりに興味がある人、あるいは企業イメージが良いと感じてくれた人財が必ず集まってきてくれています。
地域企業と共存共栄するためのM&A
社長に就任した当時、商社出身ならではの習慣として、私はこの製造業の業界では珍しく、競合他社にも積極的に挨拶し交流を図っていました。その中で、海外製の地球儀を取り扱っている企業からM&Aのご相談をいただきました。
先方の企業は後継者不在でした。私は歴代社長及び従業員がどのような想いでブランドを守り育ててきたかという部分に深く共感し、2017年にその事業を引き継ぎました。
このM&Aは、弊社にとっても大きなシナジー効果を生み出しました。引き継いだ事業は、輸入を中心とする取引が多かったことから、海外の工場へのアクセスを拡大、高品質な材料を海外から調達する選択肢が増えたことで、調達戦略の多様化につながりました。
そして、このM&Aで最も成功したと感じているのは、引き継いだ従業員が現在も弊社で営業職として大いに活躍してくれていることです。統合直後は職場環境が変わることへの不安もあったかと思いますが、今ではやりがいを感じてくれているようで、改めて仲間になってくれたことをうれしく思います。地域の優れた技術を持つ社員たちの新たな活躍の場と可能性を広げることにつながりました。
今後は、このM&A戦略を地域貢献と事業領域の拡大に活かしていきます。地元である埼玉県には、高い技術力がありながら自社ブランドを持たずに事業を続けている下請け企業が少なくありません。私は、地域経済の活性化と地域社会へ貢献のため、こうした優れた技術を持つ地元の企業とも連携し、弊社の強力な販路とブランド力を生かして共に成長する共存共栄の地域経済創造をM&Aという手法も活用しながら進めていきたいと思っています。
100年企業へ!「宇宙からの学び」を世界へ届ける挑戦
弊社は創業88年を迎えることができました。ここから100年企業、その先の未来へ向けた歩みを力強く進めていきます。
今後のビジョンとして、現在の教具の枠に留まらず、「総合的な教育プロダクトメーカー」としての地位を確立したいと考えています。
具体的には、社名に含まれる「教具」の分野をさらに広げ、今後はさらに理科分野への挑戦も視野に入れています。未来の子供たちの学習の場をより豊かにし、知的好奇心を高める製品を提供し続けたいのです。
このビジョンを実現するための最大の成長戦略が、商社時代の経験を活かした海外市場への本格展開です。海外進出プロジェクトの一環として、弊社では「グローバル・ニッチ戦略」を展開推進します。具体的には、タイやインドネシアといった言語が限定されるニッチな市場に、現地語に対応した新商品を投入するというものです。現地のインターナショナルスクールや富裕層向け教育市場をターゲットに、「ワクワク」する新しい学びを提供することで、「渡辺教具」のブランドを日本のみならず海外でも広げていきます。
これからも、創業以来大切に受け継いできた伝統を守り、製品づくりにおける精密さや正確さを追求しつづけます。この揺るぎない基盤のもと、教育プロダクトメーカーとしての新たな未来を切り拓き、世界中の人々に対し、新しい学びと感動を届け続けていきます。
「品質にこだわった天文教具を作りたい」という想いで創業
弊社は、1937年に築地で創業しました。創業者である曽祖父の渡辺雲晴は、現在の山口県にある浄土真宗のお寺が生家です。大学時代は宗教学を専攻し、その分野で有名な先生の教えを受け、その先生の勧めにより、戦前のシンガポールで記者として活動するようになります。その時に目にした満天の星空の圧倒的な美しさが、曽祖父の人生の大きな転機となり、天文に関する仕事に関心を抱くきっかけとなりました。
帰国後、築地本願寺に僧侶として身を置きながら、地球儀や天球儀の研究や開発を進めていました。そして、当時の海軍の天文や地図担当部署である「水路部」に協力を頂きながら日本初の精度の高い本格的な地球儀の開発を進めることができ、創業へと繋がりました。
実は、弊社は現在では地球儀メーカーとして知られていますが、最初に事業として軌道にのったのは星座早見盤でした。従来の課題であった歪みを限りなく少なくしたお茶碗型の星座早見盤を開発し、全国の学校に普及させることで会社の基盤を確立しました。
弊社の星座早見盤は、世界からもその独自性が認められました。この功績により、1965年に「黄綬褒章」および「都民功労賞」を受章しました。
さらに、「製品の精度や質においてトップを目指す」という強い信念のもと、難易度の高いプラネタリウムの開発にも着手します。星の等級に応じたミクロ単位の穴を正確に開ける究極の精密加工技術が必要な「ピンホール式プラネタリウム」の開発に、曽祖父が成功しました。この功績が日本の天文教育への貢献と認められ、1971年に「勲五等瑞宝章」を受章しました。
歴代社長のもと事業を拡大しつづける
その後、事業は祖父から父、父から母へと承継されました。少子化の波が押し寄せる中、元デザイナーの父は製品をモダンで洗練されたデザインに刷新しました。これにより、従来の官公庁や学校向け市場から、一般消費者向けの小売販路へと市場を大きく広げました。そして、4代目社長である母のリーダーシップのもと、一般消費者向けはさらに大きく成長し、売上は学校向けを上回るまでに拡大しました。
この市場拡大の裏側には、技術の絶え間ない進化がありました。1998年に導入された紙製地球儀の量産技術は、樹脂成型と違い地図を引き延ばす必要がなく、海岸線や国境の微細な印刷表現を可能にする画期的な技術であり。弊社とアメリカのリプルーグル社の2社のみが持つ稀有なものです。さらに2009年には、JAXAの探査データを用いた月の裏側まで高低差がわかる「月球儀」を開発し、全国の学校へ普及させた功績が認められました。
現在も、弊社の星座早見盤は業界でトップクラスの売上を維持しています。また、「精密な地図を日本人のために作る」という創業時の志を基に、熟練の職人が18枚の地図を一枚ずつ手貼りする伝統製法を大切に守っています。40年前に購入された製品の貼り替え依頼が来るほど、長く価値を感じてもらえる製品づくりを体現しているのです。
家族や取引先との信頼関係によって実現した事業承継
私は三兄弟の三男として生まれ育ちました。私が小学生の頃、3代目社長である父が40代という若さで死去しました。当時の慣習として、長男が家業を継ぐという考え方が強かったこともあり、私の中には「家業を継ぐ」という選択肢は全くありませんでした。
大学を卒業後は、商社に就職しました。その際に、海外駐在という明確な目標を持ってキャリアをスタートさせました。入社3年目にはその目標を達成し、香港、クアラルンプール、シンガポールで計5年間にわたる海外生活を経験しました。
私は、父を早くに亡くしていた分、兄たちからはいつも温かい愛情を注いでもらっていたため、クリエイターとして才能のある兄を「家業に縛り付けたくない」という思いが強くありました。こうした背景もあり、最終的に「私が引き受けよう」と決意し、2015年に渡辺教具製作所に入社しました。
入社後は、先代である母からは形式的な事業承継はほとんどありませんでした。実は、父の急逝という突然の事態を受けて、母は誰からも引き継ぎを受けることなく社長に就任した経緯があります。そのため、私に対しても「引き継ぎは自分で探して確立するものだ」という想いがあったようです。これは、形式的なマニュアルや手順書を与えるのではなく、「自分で道を切り拓きなさい」という母の教えだったと捉えています。このような事業承継が実現したのは、家族間の強い信頼と、長年築き上げてきた取引先との信頼関係に支えられていたからに他ならないと思います。そして、2016年に社長に就任しました。
ワクワクする商品を創出し、ブランド力を高める
弊社に入社後、地球儀売り場を見て「新しさを感じず、面白くない」と感じました。そこで、お客様が地球儀を手に取って回す瞬間の「ワクワクをいかに届けるか」が、最大の経営課題となりました。ワクワクの付加価値を創造するには余力が必要です。まずは自社の経営構造を徹底的にリサーチするところからスタートしました。
高品質な部材である天然木の台座などは、日本の木工技術の衰退により国内調達が難しくなっていました。そこで、前職での海外駐在経験を活かし、調達網をハイブリッド化することに乗り出しました。海外で質の良い部材を調達することで、品質を維持しながら原価を抑え、弊社の原価競争力を世界でも上位レベルに引き上げました。
原価の見直しを整備しつつ、商品力の向上を図りました。「遊び心をどう仕込むかで、地球儀の可能性はもっと広がる」と考え、従来の地球儀に「プラスアルファの付加価値」を加えるテクノロジーとの融合を図りました。そして、ユニークなオリジナル商品を企画・開発することで知られる、株式会社ほぼ日と共同でAR(Augmented Reality , 拡張現実)技術を活用した『ほぼ日のアースボール』を開発しました。
スマートフォンをかざすと雲の動きや各国情報が見られるなど、地球儀の概念を超えた「ワクワクする商品」を創出しました。この商品は、単なる学習ツールとしてだけでなく、新しい学びを提供する点からユーザーからも高い評価を得ることができました。また、マゼラン艦隊の航路を記すなど、回すたびに歴史や物語から「あ、ここをマゼランが通ったんだ」という「気づき」が生まれる仕掛けを施し、思わず地球儀を回したくなる工夫を行っています。
販路も、従来の一般小売店に加え、イオンやトイザらスなどの大手量販店と取引を拡大し、ブランドの認知度を高めました。
国内における業界トップ企業として
弊社の経営理念は、会社スローガンである「Learning through the Universe」で体現されています。これは、私たちが住む地球、そして宇宙を身近に感じ、面白いと思ってもらうこと、そして教育を通じて社会に貢献するという、創業以来の強い想いです。単なる利益追求ではなく、地球儀を見ることを通じて、世界の紛争や環境問題などを、お客様が「自分事として捉えるきっかけになってほしい」という強い想いも根付いています。
そして、私が社員と共有し、最も重視しているのは、「日本トップ企業としての責任感」です。
弊社がこれまでの長い歴史の中で、天文教具メーカー業界のトップを貫いてきた以上、弊社が品質を落とせば、日本全体のこの分野の品質が落ちてしまうということを共通認識として伝えています。
この品質へのこだわりは、単なる職人気質ではなく、全社的な責任感に基づいています。特に若手社員に対しては、その重要性を体感させるため、トラブルや品質に関する議論の場で、「ここでの妥協は、日本の天文教具・測量機器における品質のプライドを捨てることにつながる」というスケールの大きな文脈で説明するようにしています。このスケールの大きな責任感こそが、長年培ってきたノウハウと技術の維持に繋がっています。
評価基準は「作業」ではなく「貢献」
現在、弊社の従業員は約20名で、20代の若手からベテランまで幅広い年齢層の社員が働いています。
企画職が2名、営業職が4名という構成に加え、弊社の根幹を支える手貼り製法を行う熟練の職人は2名おり、彼らは入社25年から30年近くになるベテランです。
私は社長就任後、製造業において「物を作っていればいい」という旧来の考え方を徹底的に排除し、事業の収益性を理解する「経営人財」へと目線を上げることを促しています。そのために、社員とのコミュニケーションを大切にし、年3回の昇給や賞与のタイミングで全従業員と1対1の面談を実施しています。この面談では、収益向上に繋がる貢献をどう生み出すかという目線で工夫を凝らしてほしいと伝え、会社が目指す方向性や、社員一人ひとりに求める視点を共有しています。
また、貢献に応じた賞与制度を導入し、従来の評価基準を刷新しました。単に決められた作業をこなした行為を評価するのではなく、原価削減や効率改善といった工夫を通じた貢献を賞与として明確に評価する仕組みです。その結果、製造部門の社員も、自分たちの仕事が会社の収益にどう貢献し、世界市場でどう戦えるのかという視点を持つようになりました。組織全体が「世界でも上位に行ける」という自信を持ち、私が進めている海外戦略にしっかりとついていける体制へと変化しています。
さらに、弊社の社内の雰囲気は、歴代の社長が大切にしてきた「社員に優しいカルチャー」が深く根付いており、私はこの文化を尊重して経営を進めています。その結果、離職者もほとんどおらず、人財採用で困ることもありません。募集をかけると、地球儀や物づくりに興味がある人、あるいは企業イメージが良いと感じてくれた人財が必ず集まってきてくれています。
地域企業と共存共栄するためのM&A
社長に就任した当時、商社出身ならではの習慣として、私はこの製造業の業界では珍しく、競合他社にも積極的に挨拶し交流を図っていました。その中で、海外製の地球儀を取り扱っている企業からM&Aのご相談をいただきました。
先方の企業は後継者不在でした。私は歴代社長及び従業員がどのような想いでブランドを守り育ててきたかという部分に深く共感し、2017年にその事業を引き継ぎました。
このM&Aは、弊社にとっても大きなシナジー効果を生み出しました。引き継いだ事業は、輸入を中心とする取引が多かったことから、海外の工場へのアクセスを拡大、高品質な材料を海外から調達する選択肢が増えたことで、調達戦略の多様化につながりました。
そして、このM&Aで最も成功したと感じているのは、引き継いだ従業員が現在も弊社で営業職として大いに活躍してくれていることです。統合直後は職場環境が変わることへの不安もあったかと思いますが、今ではやりがいを感じてくれているようで、改めて仲間になってくれたことをうれしく思います。地域の優れた技術を持つ社員たちの新たな活躍の場と可能性を広げることにつながりました。
今後は、このM&A戦略を地域貢献と事業領域の拡大に活かしていきます。地元である埼玉県には、高い技術力がありながら自社ブランドを持たずに事業を続けている下請け企業が少なくありません。私は、地域経済の活性化と地域社会へ貢献のため、こうした優れた技術を持つ地元の企業とも連携し、弊社の強力な販路とブランド力を生かして共に成長する共存共栄の地域経済創造をM&Aという手法も活用しながら進めていきたいと思っています。
100年企業へ!「宇宙からの学び」を世界へ届ける挑戦
弊社は創業88年を迎えることができました。ここから100年企業、その先の未来へ向けた歩みを力強く進めていきます。
今後のビジョンとして、現在の教具の枠に留まらず、「総合的な教育プロダクトメーカー」としての地位を確立したいと考えています。
具体的には、社名に含まれる「教具」の分野をさらに広げ、今後はさらに理科分野への挑戦も視野に入れています。未来の子供たちの学習の場をより豊かにし、知的好奇心を高める製品を提供し続けたいのです。
このビジョンを実現するための最大の成長戦略が、商社時代の経験を活かした海外市場への本格展開です。海外進出プロジェクトの一環として、弊社では「グローバル・ニッチ戦略」を展開推進します。具体的には、タイやインドネシアといった言語が限定されるニッチな市場に、現地語に対応した新商品を投入するというものです。現地のインターナショナルスクールや富裕層向け教育市場をターゲットに、「ワクワク」する新しい学びを提供することで、「渡辺教具」のブランドを日本のみならず海外でも広げていきます。
これからも、創業以来大切に受け継いできた伝統を守り、製品づくりにおける精密さや正確さを追求しつづけます。この揺るぎない基盤のもと、教育プロダクトメーカーとしての新たな未来を切り拓き、世界中の人々に対し、新しい学びと感動を届け続けていきます。
会社概要
| 社名 | 株式会社渡辺教具製作所 |
| 創立年 | 1934年 |
| 代表者名 | 代表取締役 渡辺 周 |
| 資本金 | 1,000万円 |
| URL |
https://blue-terra.jp/
|
| 本社住所 |
〒340-0003 |
| 事業内容 | 自社ブランドの製造事業 渡辺教具製作所の地球儀、天文グッズ、理科グッズの製造及び販売 輸入事業 アメリカ リプルーグル社製品の輸入代理店事業 OEM事業 |
| 事業エリア |
本社所在地 〒340-0003 |
|
第二工場 〒340-0003 |
|
|
物流拠点 〒341-0003 |
会社沿革
| 1937年 | 初代・渡辺雲晴 渡辺教具製作所を築地にて創業 |
| 1960年 | 星座早見盤・ワタナベ式小型プラネタリウム発売 |
| 1962年 | 株式会社となる |
| 1980年 | 埼玉県草加市に生産拠点を移転 |
| 1991年 | 草加工場に本社機能を移転 |
| 1995年 | 渡辺美和子が代表取締役社長に就任 |
| 2016年 | 渡辺周が代表取締役社長に就任 |
| 2017年 | リプルーグル・グローブス・ジャパン株式会社より、地球儀・天球儀の輸入販売事業を事業譲受 |
公開日:2025/11/26
※本記事の内容および所属名称は2025年11月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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