神奈川・川崎市高津区
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引継ぎ実績あり
塗装だけじゃない、塗装屋。
株式会社青山プラスチック塗装
逆風を揚力に変えるタクティクスと時代を牽引する互助のストラテジー
経営理念
漂えど沈まず
一、目標に向かい進化する
一、時代の風を読む
一、環境に流されない
代表者メッセージ
子どもの時から父親の背中を見て育ち、知らず知らずのうちに現場のノウハウやスタッフとのコミュニケーションの大切さを教えられました。
技術革新の芽はいつも現場で見つかるものであり、毎日すべてのスタッフとあいさつを交わすことで、アイデアや成長の機会を見逃さないようにしています。
『漂えど 沈まず』を経営理念に、どんな時にもベストを尽くし、お互いに納得のいく成功の道を皆様と作り上げます。
世界に製造ネットワークを構築することで最新案件を獲得しながら最高の対応を目指し、日々、絶対に後悔しない経営道を邁進し続けます。
代表取締役 青山 宗嗣
私たちのこだわり
戦後のプラスチック製品の普及とともに祖父が塗装業を始める
弊社は、大手電機メーカーの塗装職人だった母方の祖父により創業された、富士化学という会社がルーツとなっています。戦後の1950年代後半には、汎用性が高く大量生産が容易なプラスチックの国内需要が高まり、一次製品メーカーはプラスチック事業に力を注ぐようになってきていました。祖父が働いていた沖電気工業でも、新素材であるプラスチックに塗装を施すための塗装部が新設され、祖父は立ち上げメンバーの1人に選ばれました。プラスチックは、金属や陶器のように高熱での塗装処理ができないため、祖父はまずプラスチックの特性を研究しながら塗料の開発に着手し、製品に適した塗装処理の方法を編み出していったのだろうと思います。
その後、沖電気工業の塗装部の立ち上げメンバーはそれぞれ独立して塗装業や商社を設立し、祖父は東京都品川区で 富士化学工業という塗料製造と塗装の会社を創業しました。祖父の会社では、天昇電気工業より受注したブラウン管テレビやラジオなどの家電製品の塗装を中心に手がけ、一般家庭への電化製品の普及が追い風となったことで、3工場を構えるまでに成長していきました。ところが間もなく、プラスチックの素材そのものに着色する内部着色の技術などが生まれ、競合が増えたことで売上も落ち込んでいきました。
祖父の会社の経営が傾き始めた頃には、先代である父が入社をすることになりました。婿養子であった父は、富士化学への入社以前は建設業に携わっていたため地方の現場を転々としており、心配した祖父に定住と家業への入社を勧められました。父は異業種からの入社となりましたが、塗装工としての腕やセンスは良かったようで、効率よく仕事をこなし、得意先以外の業務でも利益が出るようになっていきました。腕を見込んだ祖父が父に経営を任せてみたところ、当時大流行したポータブルカセットテーププレーヤーの外装塗装の依頼が偶然舞い込み、爆発的に業績が伸びるようになりました。しかし祖父と父の経営方針は合わず、父は祖父の会社の取引先のうち電機メーカー1社を任され独立する形で1984年に青山プラスチック塗装を創業し、一方の祖父は手作業での塗装にこだわり抜き、父が離れた後90歳を超え亡くなるまで富士化学工業の経営を続けました。
経営者としての自立を促され有限会社APTを設立
先代の父は、多摩川を挟んだ隣町の川崎市高津区で、母と2人で事業を始めました。当初は、祖父の会社から引き継いだ大手電機メーカーの一次請負を任されており、冷蔵庫や暖房機器の塗装を中心に手がけ、その後は商社に仕事を振り分けてもらいながら、一家が生活できる程度の規模で経営を続けていました。
私は大学卒業後、先代が経営していた弊社に入社しました。家業の担い手もいなかったことから、入社後すぐに工場長を任され、アルバイトを雇い4、5人で工場を回していました。入社当時は、国産のPHS・アナログ携帯電話の売れ行きが好調であり、弊社も携帯電話の外装の塗装を請負っていました。しかし2007年頃に海外製スマートフォンが発売されてからは、国産の携帯電話の受注数が減少し、メーカーに最も近い一次加工の成型加工業者が苦しい状況に追い込まれ、二次加工業者である弊社の売上が相対的に大きくなるという逆構造となってしまいました。大手メーカーは携帯電話事業を縮小せざるを得ず、今後口座を開き取引を継続できるのは1社だけだと言われ、関連会社の中で最も売上の大きかった弊社がまとめ役となり、債権の相殺や保証などを任されることになりました。先代からは、有限会社をつくり経営者として自分の力で対処できるようになれと言われ、2002年の27歳の時に有限会社APTを設立し、社長に就任することとなりました。
APTを青山プラスチック塗装に統合し新体制へ
APTの社名は、青山プラスチック塗装の頭文字からとりました。工場長から突然社長となったため経営のことは何もわからず、経営者セミナーなどに参加して勉強をしながら関連会社に学びに行き、サプライチェーン全体への理解を深めながら横の連携を強化していきました。APTと青山プラスチック塗装は同じ敷地内にあり、私はAPTの社長に就任した後も青山プラスチック塗装の工場長の仕事をかけ持ちしていたため、2社の仕事や使用設備を振り分けて連携をとれるよう調整を進めました。
1990年頃にバブルが崩壊してから世の中は不景気でしたが、その分大量消費から最適消費へのシフトが徐々に進み、物品を買い替えるのではなく、補修により品質を維持する現代のサステナブルに近い考えが徐々に広まるようになっていきました。美観だけでなく素材を保護する塗料の機能性にも注目が集まり、塗装業の需要も一定数あったため、弊社の売上は安定していました。しかし不景気は深刻化し、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災以降は、知人の会社や取引先が次々に倒産していきました。弊社では、私が社長を務めていたAPT側だけでなく、青山プラスチック塗装側の取引先の対応も社長代理として行うことが多くなっており、APTを青山プラスチック塗装側に統合することでランニングコストを抑えることにしました。統合の際には、既存の取引先以外の問合せの間口を広げるため、製造業者としてはまだ珍しかった自社ホームページを設け、外部からの依頼も受けられるようにしました。青山プラスチック塗装の社名を残したのは、一目でプラスチック塗装の専門会社であることがわかり、SEO対策にも繋がるだろうという社内からの声があったからです。プラスチック塗装は薬剤の配分や工程を誤れば、素材を破損してしまうこともあるため専門的な知識や技術が必要な分野であり、専門業者の看板を掲げている会社はあまりありません。世の中にプラスチック製品がある分潜在的なニーズは多くあり、ホームページの設置を機に、遠方からも新規の相談が多数寄せられるようになりました。現在も新規で遠方のお客様はホームページから問合せをいただいた会社様がほとんどであり、社名は会社の歴史を刻むだけでなく、これから繋がるお客様との架け橋にもなっていることを実感しました。
業界の過渡期を協働により乗り越えるコンソーシアムの体制づくり
塗料は、液化、霧化(むか)、硬化といった3変化があり、塗布する素材や条件、お客様の使用目的、目的とする外観等によって塗料や薬剤の調整が必要であり、似たような製品でも同じ価格にはならない場合があります。塗料は大きく分けて、主剤と希釈溶剤が既に混ぜてある1液型と、複数の溶剤を混合する2液型、3液型などがあります。1液型は扱いが容易ではあるものの用途が限られており、2液型、3液型は複数の溶剤の化学反応により汎用性や耐久性が向上しますが、その分扱いが難しくなります。プラスチック塗装の専門業者である弊社は、手間がかかり取扱いの難しい2液型、3液型の塗料の取扱いや低温焼き付けにも慣れており、金属塗装などにも対応できることが他社にはない強みです。
現在の塗装業界としては、中小規模の塗料メーカーや塗装業者側が、営業担当を設けて取引先を広げ、各社の特色を活かしながら顧客を獲得しようという動きが高まってきています。これまで地域の塗装業者は、製造工程の一つとして関連事業者との取引の中で動くことが多いものでしたが、不景気とコロナ禍を経て、大手メーカーや商社に依存しない生存方法を模索するようになりました。塗装業が過渡期を迎える中での弊社の差別化としては、プラスチック塗装という専門業種に寄りかかりすぎず、利幅を求めすぎないところや、直接的な収益に繋がらなくとも、地域の関連業者との連携により次の仕事に繋がるよう工夫しているところです。弊社では、関連事業者の承継に関わったことがきっかけとなって2020年に合同会社を設立し、企業同士が事業レベルで協力し支え合える独自の事業共同体、コンソーシアムを目指して体制作りを進めています。この試みは、今後の弊社の発展だけではなく、意欲ある企業との共同開発や事業承継、後継者育成にも繋がるだろうと考えています。
事業共同体が後継者育成とセーフティネットの役割を果たす
合同会社の設立は、なかなか承継に踏み切れない経営者のため、後継者を育てながら、引き継ぎのサポートを行ったことがきっかけでした。弊社の敷地を6カ月無償で貸し出して仕事の移管の手続きや経営の補助を行い、新体制づくりの実践を通じて、経営者としての考え方を理解してもらえるようお手伝いをしました。さらに、廃業を検討していた印刷業者の後継者の分離独立や、また別の印刷会社の後継者育成のフォローなども任される機会があり、損得なく支え合える組織や共同体を社外につくり、共同体の中で後継者を育んでいくことができれば、より俯瞰的な視野で業界全体を捉えられる人財が生まれるのではと考えるようになりました。対等な関係性の共同体が拡大すれば、有益な情報をシェアしながら互いの課題を解決していくこともできます。また弊社1社が事業承継に対応するよりも、多様な業種が集まれば、その分引き継げる業種やシナジーを生み出せる可能性も増え、より多くの情報も集まります。コロナ禍によって人財や後継者不足、製造業の黒字廃業がさらに進んだことで、コンソーシアムの必要性を強く感じるようになり、かねてから構想していた合同会社をスタートすることにしました。
合同会社の設立後は、互いの考えや会社の事情までオープンに話し合える環境をつくり、関連会社の連携力を強固にすることで、設計から組み立てまで確実にお客様のご要望に対応できる一貫製造の体制を築き上げていきました。もともと塗装業は利益率が低く、この不景気の中を生き残っていくために生まれた体制ではありますが、小さくとも確実にネットワークを張り巡らせていけば、困ったときにどこかしらの事業者同士が助け合い、頼り合えるセーフティネットのような役割も果たすはずです。共同体での後継者の育成に多少の負担がかかることはありますが、後継者が育ち自立すれば、事業継続に繋がるだけでなく、また新たな事業が生まれ、合同会社全体の仕事としても利益が返ってくるようになる可能性も出てきます。
合同会社は2023年現在の時点で、板金、成型、印刷、塗装会社の4社と代表社員である行政書士を含めて全5社で構成されており、オブザーバーとして3社が入っている状態です。月一回の勉強会を開き、外注作業の割り振りや段取りの確認、各会社の抱える課題の相談などについて話し合い、苦しんでいる会社はないか、補助金などの情報があるかを調べ共有しています。合同会社のメンバーだけではなく、オブザーバーも対等な関係として自社の強みや課題を全て共有しながら、互いに勉強をし合っています。
国内の製造業の経営者は、職人として技術と会社に人生を捧げてきた方が多く、死ぬまで経営者でありたいという強い想いがあるため他者に事業を譲れず、黒字にも関わらず廃業する会社が激増しています。少子高齢化が進み人口が減少していく中では、まずは技術を残すことが最優先であり、社内に承継の要となる人財がいないのであれば、信頼できる合同会社の仲間が引き継ぎ、仲間の手に余るならば、成長意欲があり日本企業に共感する外国の人財に託すなど、柔軟な対応が必要な局面になってきていると感じています。安心して事業を譲り、引き継げる環境を事業者自らがつくり上げていくことこそが、今地域に最も必要で現実的な施策であり、関係性の中で事業が生まれる面白さにも繋がるだろうと考えています。
事業共同体の核となる本社とベトナム支社の人財育成
事業共同体の輪を国外にも広げ優秀な人財を育てるため、2011年にはベトナム支社を新設し、先代が工場の運営にあたっています。日本人は先代1人で、社員は全てベトナムの方であり、現在は40余人が働いています。ベトナム支社があることでいただけている仕事もあるため、今後は会社として自立してもらうことで、より発展的な事業展開が期待できると考えています。国内本社とベトナム支社での統一的な生産工程や体制作りをしていくためには、サービスのパッケージングが必要となりますが、塗料や塗装業は料金の固定化が難しく、さらにベトナムでは日本の組織という考えが通用しないことが課題となっています。まずは互いの考え方の違いを理解できる対等なメンバーを育て、役割を細分化することで、ベトナム支社側の負担を減らしながらフォローしていきたいところです。ベトナム支社でも、本社のように専門分野に精通する人財を育て上げることができれば、海外拠点としての発展性もあると考えています。
また社内では、私が不在でも生産を継続できる体制になってきており、連携先が拡大していく今後は、熱量をもち合同会社としての会社の立ち位置を理解できる社員をどれだけ多く育てられるかが重要なポイントになってくると考えています。技術を引き継ぎ会社を支えているのは社員、人であり、弊社の社員や合同会社の仲間として迎え入れる際には、言葉数や笑顔よりも、仕事への向き合い方や熱量を重視しており、心置きなく話ができる関係性になっていけることが一番だと思っています。合同会社の課題としては、互いの仕事を柔軟にサポートし協力し合える一方で、定形的な研修制度をつくりにくいという点があります。それぞれの社員の意欲や考えに任せたい部分でもあり、人財教育に強い方に入っていただきながら対応したいと考えているところです。
時代の風を揚力に変え、つくる楽しさを次世代へ伝える
弊社は今年2023年で40周年を迎えました。ここ4年間は、コロナ禍を経て受注内容が大きく変わり、コロナ禍にはBtoC向けのホームエステ製品の売上が急激に伸びました。現在の美容機器の売上は3割ほどであり、7月時点で今年度の売上目標は既に達成することはできていますが、新型コロナによる行動制限がなくなった今後はニーズや取引先の層が変化する可能性もあります。美容機器に関しては、品質保証が強い会社と組み、製品の周知と売上の安定化のためランディングページを設けることで幅広く相談を受けられるようにしていきたい考えです。
また仲間内では、事業承継のことを事業の介護と呼び、次の世代のためにと支援を続けてきましたが、自分もお世話になる側に回るかもしれないと自覚するようになりました。これまで支援してきた仲間のように、社内だけではなく、合同会社や協業先といった繋がりの中で弊社の担い手を見つけられたらと思っています。もし引き継ぎをすることになった場合は、まずは事業ベースでの移管や譲渡を行い、譲り手も引き継ぎ先も楽しみながら発展の可能性を探ることができればと思っています。担い手や引継ぎ先によっては思いがけない発見や製品、サービスが生まれるかもしれず、合同会社の中で先見性のある事業や会社が生まれた場合には、ホールディングス化により安定的かつ継続的な成長を図ることができるだろうと考えています。
廃業を検討している会社の救済方法は様々あり、M&Aは数ある手段の一つとして検討しています。先代の時代には、印刷業者と塗装業者の2社をM&Aにより引き継いだ実績があり、その際には私も引き継ぎ先の内部に入り、2社が独自に構築した技術も全て自分や社内に落とし込んだ上で引き継ぎました。事業の価値は、不動産などの物質的な財産の部分だけではなく、人がつくり上げてきた目に見えない価値も丸ごと評価し、受け入れることが大事だと考えています。人の力で時代の風を揚力に変え、レースの全体像を予測するように、技術を尽くして戦法を組み立てていくことで、前へ進めると信じています。経営者として最後まで、製造業や協業の面白さ、自分の手で事業や未来をつくり上げていく楽しさを体現していけたらと思っています。
戦後のプラスチック製品の普及とともに祖父が塗装業を始める
弊社は、大手電機メーカーの塗装職人だった母方の祖父により創業された、富士化学という会社がルーツとなっています。戦後の1950年代後半には、汎用性が高く大量生産が容易なプラスチックの国内需要が高まり、一次製品メーカーはプラスチック事業に力を注ぐようになってきていました。祖父が働いていた沖電気工業でも、新素材であるプラスチックに塗装を施すための塗装部が新設され、祖父は立ち上げメンバーの1人に選ばれました。プラスチックは、金属や陶器のように高熱での塗装処理ができないため、祖父はまずプラスチックの特性を研究しながら塗料の開発に着手し、製品に適した塗装処理の方法を編み出していったのだろうと思います。
その後、沖電気工業の塗装部の立ち上げメンバーはそれぞれ独立して塗装業や商社を設立し、祖父は東京都品川区で 富士化学工業という塗料製造と塗装の会社を創業しました。祖父の会社では、天昇電気工業より受注したブラウン管テレビやラジオなどの家電製品の塗装を中心に手がけ、一般家庭への電化製品の普及が追い風となったことで、3工場を構えるまでに成長していきました。ところが間もなく、プラスチックの素材そのものに着色する内部着色の技術などが生まれ、競合が増えたことで売上も落ち込んでいきました。
祖父の会社の経営が傾き始めた頃には、先代である父が入社をすることになりました。婿養子であった父は、富士化学への入社以前は建設業に携わっていたため地方の現場を転々としており、心配した祖父に定住と家業への入社を勧められました。父は異業種からの入社となりましたが、塗装工としての腕やセンスは良かったようで、効率よく仕事をこなし、得意先以外の業務でも利益が出るようになっていきました。腕を見込んだ祖父が父に経営を任せてみたところ、当時大流行したポータブルカセットテーププレーヤーの外装塗装の依頼が偶然舞い込み、爆発的に業績が伸びるようになりました。しかし祖父と父の経営方針は合わず、父は祖父の会社の取引先のうち電機メーカー1社を任され独立する形で1984年に青山プラスチック塗装を創業し、一方の祖父は手作業での塗装にこだわり抜き、父が離れた後90歳を超え亡くなるまで富士化学工業の経営を続けました。
経営者としての自立を促され有限会社APTを設立
先代の父は、多摩川を挟んだ隣町の川崎市高津区で、母と2人で事業を始めました。当初は、祖父の会社から引き継いだ大手電機メーカーの一次請負を任されており、冷蔵庫や暖房機器の塗装を中心に手がけ、その後は商社に仕事を振り分けてもらいながら、一家が生活できる程度の規模で経営を続けていました。
私は大学卒業後、先代が経営していた弊社に入社しました。家業の担い手もいなかったことから、入社後すぐに工場長を任され、アルバイトを雇い4、5人で工場を回していました。入社当時は、国産のPHS・アナログ携帯電話の売れ行きが好調であり、弊社も携帯電話の外装の塗装を請負っていました。しかし2007年頃に海外製スマートフォンが発売されてからは、国産の携帯電話の受注数が減少し、メーカーに最も近い一次加工の成型加工業者が苦しい状況に追い込まれ、二次加工業者である弊社の売上が相対的に大きくなるという逆構造となってしまいました。大手メーカーは携帯電話事業を縮小せざるを得ず、今後口座を開き取引を継続できるのは1社だけだと言われ、関連会社の中で最も売上の大きかった弊社がまとめ役となり、債権の相殺や保証などを任されることになりました。先代からは、有限会社をつくり経営者として自分の力で対処できるようになれと言われ、2002年の27歳の時に有限会社APTを設立し、社長に就任することとなりました。
APTを青山プラスチック塗装に統合し新体制へ
APTの社名は、青山プラスチック塗装の頭文字からとりました。工場長から突然社長となったため経営のことは何もわからず、経営者セミナーなどに参加して勉強をしながら関連会社に学びに行き、サプライチェーン全体への理解を深めながら横の連携を強化していきました。APTと青山プラスチック塗装は同じ敷地内にあり、私はAPTの社長に就任した後も青山プラスチック塗装の工場長の仕事をかけ持ちしていたため、2社の仕事や使用設備を振り分けて連携をとれるよう調整を進めました。
1990年頃にバブルが崩壊してから世の中は不景気でしたが、その分大量消費から最適消費へのシフトが徐々に進み、物品を買い替えるのではなく、補修により品質を維持する現代のサステナブルに近い考えが徐々に広まるようになっていきました。美観だけでなく素材を保護する塗料の機能性にも注目が集まり、塗装業の需要も一定数あったため、弊社の売上は安定していました。しかし不景気は深刻化し、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災以降は、知人の会社や取引先が次々に倒産していきました。弊社では、私が社長を務めていたAPT側だけでなく、青山プラスチック塗装側の取引先の対応も社長代理として行うことが多くなっており、APTを青山プラスチック塗装側に統合することでランニングコストを抑えることにしました。統合の際には、既存の取引先以外の問合せの間口を広げるため、製造業者としてはまだ珍しかった自社ホームページを設け、外部からの依頼も受けられるようにしました。青山プラスチック塗装の社名を残したのは、一目でプラスチック塗装の専門会社であることがわかり、SEO対策にも繋がるだろうという社内からの声があったからです。プラスチック塗装は薬剤の配分や工程を誤れば、素材を破損してしまうこともあるため専門的な知識や技術が必要な分野であり、専門業者の看板を掲げている会社はあまりありません。世の中にプラスチック製品がある分潜在的なニーズは多くあり、ホームページの設置を機に、遠方からも新規の相談が多数寄せられるようになりました。現在も新規で遠方のお客様はホームページから問合せをいただいた会社様がほとんどであり、社名は会社の歴史を刻むだけでなく、これから繋がるお客様との架け橋にもなっていることを実感しました。
業界の過渡期を協働により乗り越えるコンソーシアムの体制づくり
塗料は、液化、霧化(むか)、硬化といった3変化があり、塗布する素材や条件、お客様の使用目的、目的とする外観等によって塗料や薬剤の調整が必要であり、似たような製品でも同じ価格にはならない場合があります。塗料は大きく分けて、主剤と希釈溶剤が既に混ぜてある1液型と、複数の溶剤を混合する2液型、3液型などがあります。1液型は扱いが容易ではあるものの用途が限られており、2液型、3液型は複数の溶剤の化学反応により汎用性や耐久性が向上しますが、その分扱いが難しくなります。プラスチック塗装の専門業者である弊社は、手間がかかり取扱いの難しい2液型、3液型の塗料の取扱いや低温焼き付けにも慣れており、金属塗装などにも対応できることが他社にはない強みです。
現在の塗装業界としては、中小規模の塗料メーカーや塗装業者側が、営業担当を設けて取引先を広げ、各社の特色を活かしながら顧客を獲得しようという動きが高まってきています。これまで地域の塗装業者は、製造工程の一つとして関連事業者との取引の中で動くことが多いものでしたが、不景気とコロナ禍を経て、大手メーカーや商社に依存しない生存方法を模索するようになりました。塗装業が過渡期を迎える中での弊社の差別化としては、プラスチック塗装という専門業種に寄りかかりすぎず、利幅を求めすぎないところや、直接的な収益に繋がらなくとも、地域の関連業者との連携により次の仕事に繋がるよう工夫しているところです。弊社では、関連事業者の承継に関わったことがきっかけとなって2020年に合同会社を設立し、企業同士が事業レベルで協力し支え合える独自の事業共同体、コンソーシアムを目指して体制作りを進めています。この試みは、今後の弊社の発展だけではなく、意欲ある企業との共同開発や事業承継、後継者育成にも繋がるだろうと考えています。
事業共同体が後継者育成とセーフティネットの役割を果たす
合同会社の設立は、なかなか承継に踏み切れない経営者のため、後継者を育てながら、引き継ぎのサポートを行ったことがきっかけでした。弊社の敷地を6カ月無償で貸し出して仕事の移管の手続きや経営の補助を行い、新体制づくりの実践を通じて、経営者としての考え方を理解してもらえるようお手伝いをしました。さらに、廃業を検討していた印刷業者の後継者の分離独立や、また別の印刷会社の後継者育成のフォローなども任される機会があり、損得なく支え合える組織や共同体を社外につくり、共同体の中で後継者を育んでいくことができれば、より俯瞰的な視野で業界全体を捉えられる人財が生まれるのではと考えるようになりました。対等な関係性の共同体が拡大すれば、有益な情報をシェアしながら互いの課題を解決していくこともできます。また弊社1社が事業承継に対応するよりも、多様な業種が集まれば、その分引き継げる業種やシナジーを生み出せる可能性も増え、より多くの情報も集まります。コロナ禍によって人財や後継者不足、製造業の黒字廃業がさらに進んだことで、コンソーシアムの必要性を強く感じるようになり、かねてから構想していた合同会社をスタートすることにしました。
合同会社の設立後は、互いの考えや会社の事情までオープンに話し合える環境をつくり、関連会社の連携力を強固にすることで、設計から組み立てまで確実にお客様のご要望に対応できる一貫製造の体制を築き上げていきました。もともと塗装業は利益率が低く、この不景気の中を生き残っていくために生まれた体制ではありますが、小さくとも確実にネットワークを張り巡らせていけば、困ったときにどこかしらの事業者同士が助け合い、頼り合えるセーフティネットのような役割も果たすはずです。共同体での後継者の育成に多少の負担がかかることはありますが、後継者が育ち自立すれば、事業継続に繋がるだけでなく、また新たな事業が生まれ、合同会社全体の仕事としても利益が返ってくるようになる可能性も出てきます。
合同会社は2023年現在の時点で、板金、成型、印刷、塗装会社の4社と代表社員である行政書士を含めて全5社で構成されており、オブザーバーとして3社が入っている状態です。月一回の勉強会を開き、外注作業の割り振りや段取りの確認、各会社の抱える課題の相談などについて話し合い、苦しんでいる会社はないか、補助金などの情報があるかを調べ共有しています。合同会社のメンバーだけではなく、オブザーバーも対等な関係として自社の強みや課題を全て共有しながら、互いに勉強をし合っています。
国内の製造業の経営者は、職人として技術と会社に人生を捧げてきた方が多く、死ぬまで経営者でありたいという強い想いがあるため他者に事業を譲れず、黒字にも関わらず廃業する会社が激増しています。少子高齢化が進み人口が減少していく中では、まずは技術を残すことが最優先であり、社内に承継の要となる人財がいないのであれば、信頼できる合同会社の仲間が引き継ぎ、仲間の手に余るならば、成長意欲があり日本企業に共感する外国の人財に託すなど、柔軟な対応が必要な局面になってきていると感じています。安心して事業を譲り、引き継げる環境を事業者自らがつくり上げていくことこそが、今地域に最も必要で現実的な施策であり、関係性の中で事業が生まれる面白さにも繋がるだろうと考えています。
事業共同体の核となる本社とベトナム支社の人財育成
事業共同体の輪を国外にも広げ優秀な人財を育てるため、2011年にはベトナム支社を新設し、先代が工場の運営にあたっています。日本人は先代1人で、社員は全てベトナムの方であり、現在は40余人が働いています。ベトナム支社があることでいただけている仕事もあるため、今後は会社として自立してもらうことで、より発展的な事業展開が期待できると考えています。国内本社とベトナム支社での統一的な生産工程や体制作りをしていくためには、サービスのパッケージングが必要となりますが、塗料や塗装業は料金の固定化が難しく、さらにベトナムでは日本の組織という考えが通用しないことが課題となっています。まずは互いの考え方の違いを理解できる対等なメンバーを育て、役割を細分化することで、ベトナム支社側の負担を減らしながらフォローしていきたいところです。ベトナム支社でも、本社のように専門分野に精通する人財を育て上げることができれば、海外拠点としての発展性もあると考えています。
また社内では、私が不在でも生産を継続できる体制になってきており、連携先が拡大していく今後は、熱量をもち合同会社としての会社の立ち位置を理解できる社員をどれだけ多く育てられるかが重要なポイントになってくると考えています。技術を引き継ぎ会社を支えているのは社員、人であり、弊社の社員や合同会社の仲間として迎え入れる際には、言葉数や笑顔よりも、仕事への向き合い方や熱量を重視しており、心置きなく話ができる関係性になっていけることが一番だと思っています。合同会社の課題としては、互いの仕事を柔軟にサポートし協力し合える一方で、定形的な研修制度をつくりにくいという点があります。それぞれの社員の意欲や考えに任せたい部分でもあり、人財教育に強い方に入っていただきながら対応したいと考えているところです。
時代の風を揚力に変え、つくる楽しさを次世代へ伝える
弊社は今年2023年で40周年を迎えました。ここ4年間は、コロナ禍を経て受注内容が大きく変わり、コロナ禍にはBtoC向けのホームエステ製品の売上が急激に伸びました。現在の美容機器の売上は3割ほどであり、7月時点で今年度の売上目標は既に達成することはできていますが、新型コロナによる行動制限がなくなった今後はニーズや取引先の層が変化する可能性もあります。美容機器に関しては、品質保証が強い会社と組み、製品の周知と売上の安定化のためランディングページを設けることで幅広く相談を受けられるようにしていきたい考えです。
また仲間内では、事業承継のことを事業の介護と呼び、次の世代のためにと支援を続けてきましたが、自分もお世話になる側に回るかもしれないと自覚するようになりました。これまで支援してきた仲間のように、社内だけではなく、合同会社や協業先といった繋がりの中で弊社の担い手を見つけられたらと思っています。もし引き継ぎをすることになった場合は、まずは事業ベースでの移管や譲渡を行い、譲り手も引き継ぎ先も楽しみながら発展の可能性を探ることができればと思っています。担い手や引継ぎ先によっては思いがけない発見や製品、サービスが生まれるかもしれず、合同会社の中で先見性のある事業や会社が生まれた場合には、ホールディングス化により安定的かつ継続的な成長を図ることができるだろうと考えています。
廃業を検討している会社の救済方法は様々あり、M&Aは数ある手段の一つとして検討しています。先代の時代には、印刷業者と塗装業者の2社をM&Aにより引き継いだ実績があり、その際には私も引き継ぎ先の内部に入り、2社が独自に構築した技術も全て自分や社内に落とし込んだ上で引き継ぎました。事業の価値は、不動産などの物質的な財産の部分だけではなく、人がつくり上げてきた目に見えない価値も丸ごと評価し、受け入れることが大事だと考えています。人の力で時代の風を揚力に変え、レースの全体像を予測するように、技術を尽くして戦法を組み立てていくことで、前へ進めると信じています。経営者として最後まで、製造業や協業の面白さ、自分の手で事業や未来をつくり上げていく楽しさを体現していけたらと思っています。
ツグナラ専門家による紹介
担当専門家:株式会社サクシード 株式会社サクシードの詳細
固定観念に囚われない、新たな協力会社との連携帯を構築している企業様です。協力企業と深い繋がりを有し、プラスチック塗装の各工程をワンストップで行うことができます。一般的な協力企業との関係性を超えた連携帯を確立し、顧客、地域、従業員、協力会社、自社の発展に取り組まれており、次世代に繋げられる経営を目指されております。
会社概要
社名 | 株式会社青山プラスチック塗装 |
創立年 | 1984年 |
代表者名 | 代表取締役 青山 宗嗣 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
https://aoyama-pt.com/index.html
|
本社住所 |
〒213-0006 |
事業内容 | 工業用プラスチック製品加工業 |
事業エリア |
横浜工場 〒224-0053 |
AOYAMA.VIETNAM CO.,LTD Long An Province |
会社沿革
1984年 | 株式会社青山プラスチック塗装設立 |
2002年 | 有限会社APT設立 |
2011年 | ベトナム子会社AOYAMA.VIETNAM CO.,LTD設立 |
2020年 | グループ企業4社にて合同会社Pst設立 |
株式会社青山プラスチック塗装の経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
神奈川県
信頼の輪の中で製造業の技術を次世代に引き継ぎます
公開日:2023/09/06 (2023/09/07修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年9月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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