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企業の独自性と
ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社
「媒体」の枠を超え、コミュニケイションを創造する企業へ
経営理念
ビジョン
私たちはコミュニケイションをデザインします。
コミュニケイションをデザインするということ。
それは、クライアント(企業・団体・店舗)がユーザー(顧客・消費者)に
「伝えたいこと」を、私たちが「正しく・わかりやすく伝わるようにお手伝いをすること」です。
ミッション
私たちは「伝える」べき本質と課題を見極め、目的を定めます。
そしてその目的に最適な方法を設計・計画してご提案します。
バリュー
「我々は常にスピード感を重視しつつ
我々にしか出来ないコトをやり、我々にしか出来ないモノを創る」
言い換えれば
「自分にしか出来ないコトをやり、自分にしか出来ないモノを創る」
代表者メッセージ
「媒体」の枠を超え、コミュニケイションを創造する企業へ
弊社は、B to B(企業間取引)の印刷・デザイン制作会社から、B to C(企業と消費者間の取引)ビジネスも手掛けるメディアカンパニーとして新たなスタートを切ることを体現するため、創業50周年を迎え、栃ナビ事業を開始した2000年(平成12年)には、社名を「ヤマゼンコミュニケイションズ」としました。以来、印刷業に留まらず、栃木県民や地元店舗、企業のコミュニケイションを仲介し、地域経済の循環に貢献しながら、常に新しい風を取り入れ続けられるような社風を目指しています。
弊社の理念のうち、バリュー(価値観)は先代の作ったものを引継ぎ、ミッション(使命)とビジョン(将来像)は私が作成しました。3代目として引き継がれてきたものを中核に残しながらも、時代や人の要請に見合ったサービスが提供できる会社へと変革を続けていきたいと考えています。
ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社
代表取締役社長 山本 堅嗣宣
活版印刷を主とする「山善印刷所」を始めた先々代
弊社の前身である「有限会社山善印刷所」は、1950年(昭和25年)に先々代である祖父の山本善助が創業しました。会社の「山善」は祖父の名前からとっています。
創業以前、先々代は栃木県内にかつて存在した大きな印刷所で働いており、同じ職場にいた従兄弟が印刷会社を立ち上げたのをきっかけに先々代も独立して、活版印刷を主とする事業を開始しました。
創業前後の1945年(昭和20年)から1955年(昭和30年)にかけては、大衆向けの娯楽として新書や文庫、全集などが売れるようになって出版業界が隆盛し、1950年代(昭和20年代末)には週刊誌の創刊ブームが起こるなど、急速に活字メディアが発達し始めていました。先々代やその従兄弟が印刷業を選んだのは、将来性を見込んだからだと思います。創業時に高校生だった先代は、物静かな優しい祖父が急に起業したので大変驚いたそうです。
先々代が事業を開始した時には、住宅と作業所は一体となっており、そこに中古の小型印刷機を置き、先代と祖母の二人で家内制手工業のような形態で始めたそうです。当時は家畜もいて、その世話をする傍ら仕事をしていたと聞いています。しかし利益は思ったより得られず、貧しい暮らしが続いていました。
印刷業の先鋭化と多角化を進めた先代
食べていくことすらままならず、生活のため学生時代はアルバイトに明け暮れていたという先代は、家業を継ぐ気はなかったようで、東京の大学を出て大手製薬会社に入社しました。営業職での経験を積み活躍していましたが、1965年(昭和40年)に先々代が急病で倒れたことにより呼び戻され、山善に入社しました。
新しい技術や仕組みを好む先代は、積極的に印刷業の先鋭化と多角化を進め、1969年(昭和44年)には国内で徐々に浸透し始めたオフセット印刷(親油性インクと水の反発作用を利用した平板での印刷方法)部門を新設するため大型の機材を入れ、翌1970年(昭和45年)にはデザイン部門を新設、さらに1974年(昭和49年)から1984年(昭和59年)にかけて段階的に増資をしながら自社事業に厚みを持たせていきました。1995年(平成5年)には国内企業としても比較的早い段階でマッキントッシュのPCを導入してデジタル化にも踏み切っています。
印刷業は、10年程度で機械を入れ替える必要があり、一回の投資に2億円を超える莫大な投資額が必要となります。特に1995年(平成7年)から2000年(平成12年)には印刷技術が大幅に進化したため、弊社でも多くの機材の入れ替えを行いましたが、普段は思い切りのいい先代も投資のタイミング等にはさすがに悩んでいたようでした。
そのほか2000年頃(平成12年)頃までは、デザイン会社やイベント会社、ビデオの編集会社を別会社として立ち上げるほか、プリントサービスのフランチャイズを展開するなど、印刷業以外の事業にも挑戦していきました。この時期が弊社の第一段階目の成長期になっています。成功した事業がある一方で失敗することも多かったため、栃木県内の同業者からは冷ややかな目で見られることもあったようですが、この先代の試行錯誤が現在の事業多角化にも繋がっているのだと思います。
幼少期から後継者として育てられ、最先端の技術を得るため渡米
父(先代)は社長、母は経理という家庭環境で育った私は「お客様と社員さんのおかげで生活できているんだよ」「あなたもこの会社で働くんだよ」と言われ続け、後継者になるのは当たり前のものとして意識に刷り込まれていました。休日もなく全身全霊でお客様に尽くしていた先代には遊んでもらった記憶はほとんどなく、むしろ戦力としてお客様の子どもの接待を任されることも多々あり、幼い頃から社交的なスキルを鍛えられていきました。
高校生の時には、バブル崩壊により社会危機が叫ばれていましたが、幸いなことに当時は大手ディーラーやハウスメーカーなどの地元の優良な企業から安定した仕事を一手に引き受けていたこともあって、弊社の経営にはそれほど影響は出なかったようでした。
学生時代は大学までを地元で過ごし、大学卒業後の1997年(平成9年)22歳の時には、日本とアメリカで事業を営む先代の知人の伝手を介して渡米し、ロサンゼルスにある製版会社で3年間勤めました。印刷業を含む日本のテクノロジーは、最先端を行くアメリカと比較して5年遅れているといわれており、現地の先進的な印刷業を実践的に学びながら、今後の国内製造業の変化をいち早く体験できたのは、大変有意義なことでした。
ロサンゼルスで仕事を始めた1997年(平成9年)当時は、現地では既にマルチメディアやワンソースマルチユース(一つの素材やコンテンツを複数のメディア等で活用すること)の運用が始まっていました。修行先でも、インターネットを利用したウェブサイト作成のほか、ソフトウェア運用が始まっていました。印刷業は紙に印刷や加工を施すのが全てだと思い込んでいましたが、それ以外にもできることはあると気付かされるとともに、ITが次の源泉になると肌で感じました。
海外でのコミュニティサイトをベースに生活情報サイトを構想
現地では、他の労働者と同様にアパートを借りて車の免許を取得し、自活していました。職場には日本人が2人ほどいましたが、24時間稼働の3交代制であったためなかなか会えず、現地の人に仕事や生活上で分からないことを教えてもらいながら過ごしていました。ロサンゼルスには日本人街もありましたが、限られた区域で同じ人種で集まって過ごすより、自分の目で見て足で街を歩き、現地ならではの体験したいと思っていた私は、ネット上の日本人コミュニティから情報を得て行動を起こすようになりました。このコミュニティは、雑誌よりも広く深い情報が得られるだけでなく、世代や居住エリア、趣向等が合う人同士が親交を深められるコミュニケーションツールにもなっており、多くの人の行動や活動を後押しする手段として大変有用でした。このシステムを日本に持ち帰り、読んだ人や店側の役にも立つ生活情報サイトを作ることができれば、唯一無二の存在になれると確信し、新事業の構想を練り始めました。
社員5人でスタートした「栃ナビ!」事業
2000年(平成12年)には帰国から間もなく入社し、海外で得た知見をもとに口コミタウン情報サイトの計画を上申しました。先代は快諾し、「栃ナビ!」部門を新設してくれました。早速、社内で適性があると見込んだ社員を4人引き抜いてチームを結成しましたが、引き抜き元の部署から強い反発があり、社内で孤立した状態からスタートすることになりました。
社内の協力が得られないため、私も含めたチーム全5人でテレアポ(電話でアポイントを取得する営業手法)や取材を行い、店側にFAXで原稿を送ってもらうようにしていました。当時のFAXは感熱ロール紙で、朝の出勤時や外回り後には、ほどいた巻物のように散乱している原稿を一件ずつ転記していくのがチームでのルーティンでした。WEB制作の実績も無い状態からの出発だったので、iモード版のサイトページも自作し、チーム全員で手分けして取り組んでいきました。まだ認知度が無かった当時は、若い営業マンが飛び込み営業をすると怪しまれることも多くあり、地元銀行と協業しながら大々的に宣伝広告を打ち、地域の店舗に無料で掲載してもらいながら効果を実感してもらえるようにするなどして周知に努めました。
しかし、事業開始から5年間は収益化もままならず支出ばかりが続き、赤字が億を超える頃には先代に呼び出され、さらに後継者育成として先代が指南役にあててくれていた営業部長が退職するなど、精神的に辛い時期が続きました。それでも「地方や地域が主軸になる時代は必ず来る」「仕込みに時間はかかっても絶対に栃木県ナンバーワンのメディアになれる」と固く信じて取り組んでいきました。その苦労が報われ、立ち上げから5年後の2005年(平成17年)からは栃木県内でも携帯電話が急速に普及し始めたことが重なって一気に栃ナビ!サイトのアクセス数が伸び、売上も利益も倍々に、WEB事業として安定するようになりました。渡米中に知り得た海外のIT技術が5年後に日本に渡り、それを予見して事業を始めた弊社がその恩恵を得た形となりましたが、利益が得られるまでの5年間は全く不安がなかったわけではありません。負債ばかりが重なる中で栃ナビ事業が成功するまで挑み続けられたのは、先々代と先代が築いた本業の印刷業が安定し、何より先代が許容してくれていたからだと思います。
事業拡大と世代交代がスムーズな事業承継に繋がる
社内では、私は幼少期から後継者として認知はされていましたが、栃ナビが成功し、新たな収益の柱となった頃から正式に後継者として認めて貰えるようになった気がします。そして、事業が安定するようになった約7年前の2015年(平成27年)に、先代から突然、社長としての権限移譲を言い渡されました。既に実務や会計業務等は任されるようにはなっていたので覚悟はしていましたが驚きました。権限移譲の理由は教えてもらえなかったためわかりませんが、事業の成功と安定化ができたことで、後継者としての力量を認めてもらえたのかもしれません。新事業が世代交代のステップにも重なり、スムーズな承継だったと思います。
私たちのこだわり
栃ナビ事業を通じて、理念が地域に浸透
現在の弊社の事業比率は、宣伝広告業、特に印刷やWEBの法人案件が全体の6割を占め、栃ナビ関連は3割、残り1割は塾や教育事業、コンサル業務などとなっています。
印刷業が主事業であったこれまでは、中途採用が中心であり、技術職や営業職は現場のたたき上げで育てられていました。時代が下り、栃ナビが事業の柱として認知されるようになってからは、より自社の理念が行き届いた人財を育てようと新卒採用に力を入れていったところ、毎年2人から3人は新卒社員を採用できるようになりました。さらに、事業変革によりデザインやソフトウェア開発、営業にウェイトを置くようになってからは会社の環境も変わり、変化に対応しきれない方が離職し、2010年代前半には社員の半数が新規社員になっていた時期もあります。現在は社員数が70余人、そのうち印刷事業に携わる方は全体の4分の1程度になっています。
変革期により大幅な人の入れ替わりはありましたが、栃ナビがヤマゼンのアイコン(象徴)となってからは、栃ナビ事業を通じて地域活性化をしたい、地域に貢献したいという意志のある方が集まるようになり、弊社の事業が地域で利用されるとともに、自社理念まで浸透し、理解してもらえるようになってきているのを感じます。
組織、社会人の成長を底上げする人財育成制度を整備
弊社ではあえて細かく指示せず、各人が自発的に考え行動してもらえるようにしているため、やりたいことが明確にあって行動力のある方には自由で楽しい職場ですが、指示を待つタイプの方には苦しい職場かもしれません。新卒向けの就職説明会でも同様の説明を行っており、応募者に弊社のカラーを知ってもらうことで、意欲的な人財が自然と集まるようになってきています。
人財育成や働きやすい環境づくりにも力を入れるようにしています。以前は先輩が後輩に教えるOJTと外部研修が中心でしたが、2010年半ばからは社員の入れ替わりに伴い、OJTに加えメンター制度(豊富な知識と経験を有する先輩社員が、職務上だけではなく個人の成長も支援する)ほか、弊社の幹部がコーチングやアンガーマネジメントの研修を実施し、社員の意見も取り入れながらワークライフバランスのための制度を設けるようにして、組織、社会人としての成長を底上げできるように努めています。
近年は、出産で退職する社員がゼロであることも弊社の特長になっています。女性が活躍する時代になり、出産などのライフイベントで優秀な人材が退職していくのは、会社として大変な損失であると考え、ライフスタイルに合わせた働き方を本人が選べるようにしました。これまで、時短社員でいられる期間は子どもが4歳になるまでの間でしたが、小学校入学まで期間を延長して、さらにライフスタイルに合わせてパートや正社員への変更を自由に選べるようにしています。
こうした環境整備を行ううちに定着率も高くなり、他社に勤めた後に戻ってきた方、家族の転勤に伴い退職した方がまた働きたいと再応募してくれることもあります。コロナ禍を経てからは、特に若い世代の働き方が大きく変わってきているので、去る者負わず、来る者拒まずの姿勢で構えながらも、弊社で働く人がパフォーマンスを発揮できる環境づくりに注力していきます。
印刷・デザイン業で培われた表現、技術力をデジタルにも活かす
弊社では、地元学生を採用していることから地域や大学生との接点も多く、授業を持ってほしいという声に応え、1年に1~2度ではありますが宇都宮大学での講義やワークショップも実施しています。宇都宮大学工学部との共同研究も5年以上続けており、直近(2022年7月)では、大学生チームとともに機械学習を用いたソーシャルリスニングツール「ロコミルリサーチ」を開発して、「栃ナビ!」のクチコミ約60万件やキーワード等から、店舗・スポットに対するユーザーの反応を抽出してマーケティングデータとして可視化できるようにしました。これにより、店側がPRしたいものと実際に顧客が購入しているものの差異が明確になり、より顧客ニーズに沿った商品提供が可能となります。
そのほか、年内には仮想空間で4階建てのヤマゼン本社を体験できるように調整をしているところです。来年(2023年)の就職説明会では、仮想空間の建物の中でセミナーやイベントを受講できようにしたいと考えています。仮想空間にもデザイン性は必要であり、印刷・デザイン業で培われた表現力や技術力が活かせると考えています。新たな分野には、事業や会社が成長できる可能性が眠っています。そういった分野には惜しまず先行投資をしていこうと考えています。
第三者承継を視野に入れ、会社を最も理解する人に会社を託す
私の代まではファミリー経営で事業を引き継いできましたが、これからは家族以外の社員も会社を引き継げるように役員候補を育てているところです。この考えは既に社内全体にも共有し、実績や考え方が伴っていれば誰でも対象になるということを話してあります。会社がここまで成長できたのは、代々経営の責任を担ってきた経営者家族だけではなく、手となり足となり弊社の想いをサービスに乗せ提供し続けてきた社員の功績でもあるからです。弊社の考えを最も理解する、ふさわしい人に資産を託したいと思っています。
子どもたちには、家業の承継に捉われず自由に個性を伸ばしていってほしいと思い、「継いでも継がなくてもいいけれど、付加価値を生み出せるような人間になっていってほしい」と話しています。3代目である私としては、引き続きいい会社に成長していけるように、多様な価値観や考え方を許容しながら、同じ思いで会社や事業を発展させ、引き継いでくれる仲間を育てていこうと思っています。
購買行動の先まで視野に入れたマーケティングサービスを目指す
弊社は、県外の感度が合う広告代理店や印刷業との付き合いが多く、横のネットワークを活かして事業展開を行ってきました。そのうちにメーカーや自治体、若手起業家などから協業の声がかかる機会も増え、そういった要望を成長の機会と捉え、自社事業として対応できることを増やすなど変革を進めながらネットワークを拡大させていきました。
時代の変化とともに事業の在り方も変わり、既存事業の形態では維持できない世の中になってきました。だからこそ、個々人や各企業の売買の枠組みを超え、人の購買行動の先にまで視野を広げたマーケティングへの意識が必要になっていくのだと思います。弊社では、事業を通じて多くのデジタル財産を創り出してきました。今後も、製造業や販促支援、宣伝広告を超えたマーケティングカンパニーとしてサービスを充実させながら、自社で何が作れるかという内省に留まらず、物を購入した人がどんな行動を起こし、どうなっていくのかという変化量まで予測できるサービス提供を目指していきます。
企業の独自性と地元愛をデザインし、強く活力に満ちた共同体に導く
地域で経営を続けるうちに感じるようになったのは、地域に根づいた企業であるほど地元愛を強く持っているものの、それを表現したり形にしたりする機会は意外と少ないということです。特に、地元である栃木県では控えめな県民性もあって、大々的に地元愛や企業の良さを自ら表現すること自体がはばかられるようですが、自社の想いを発信することで、同じ考えを持つ人や企業が集まり、それが新たな発展の可能性にも繋がっていきます。そして、より効果的な発信をしたいのであれば、自らの魅力や特性を知り、他者に働きかけるために磨き上げていく必要もあります。独自性が磨かれれば他社との差別化にもなり、ブランディングにもなっていきます。これはサービス提供や製品づくりにも言えることです。広告は、ものを売るための手段としてだけではなく、そういった企業の想いや在りたい姿を可視化し伝える役割も持っているのだと思います。
地域にある一社一社が自社の得意分野を磨き上げ、共通意識である地元愛を自ら知り表現することで、地域全体が連携し、強く活力に満ちた共同体になっていけると考えています。印刷業やデザイン業を通じてメディアカンパニーとして発展し、栃木県という地域で表現力を磨き続けてきた我々が、これまで築き上げてきたネットワークを通じてそのお手伝いをしたいと考えています。
なかなか芽が出ない事業でも、他社の目や手が入れば新たな可能性が見つかることもあります。地域により市場やニーズは異なると思うので、必要とされるサービスを見極め、柔軟に対応できるようにしていきたいと思います。もし地域で行き詰まりを感じている企業があれば、ぜひ相談いただき、栃木県だけではなく全国、世界に事業発展できるようにアシストしていきたいと思っています。
栃ナビ事業を通じて、理念が地域に浸透
現在の弊社の事業比率は、宣伝広告業、特に印刷やWEBの法人案件が全体の6割を占め、栃ナビ関連は3割、残り1割は塾や教育事業、コンサル業務などとなっています。
印刷業が主事業であったこれまでは、中途採用が中心であり、技術職や営業職は現場のたたき上げで育てられていました。時代が下り、栃ナビが事業の柱として認知されるようになってからは、より自社の理念が行き届いた人財を育てようと新卒採用に力を入れていったところ、毎年2人から3人は新卒社員を採用できるようになりました。さらに、事業変革によりデザインやソフトウェア開発、営業にウェイトを置くようになってからは会社の環境も変わり、変化に対応しきれない方が離職し、2010年代前半には社員の半数が新規社員になっていた時期もあります。現在は社員数が70余人、そのうち印刷事業に携わる方は全体の4分の1程度になっています。
変革期により大幅な人の入れ替わりはありましたが、栃ナビがヤマゼンのアイコン(象徴)となってからは、栃ナビ事業を通じて地域活性化をしたい、地域に貢献したいという意志のある方が集まるようになり、弊社の事業が地域で利用されるとともに、自社理念まで浸透し、理解してもらえるようになってきているのを感じます。
組織、社会人の成長を底上げする人財育成制度を整備
弊社ではあえて細かく指示せず、各人が自発的に考え行動してもらえるようにしているため、やりたいことが明確にあって行動力のある方には自由で楽しい職場ですが、指示を待つタイプの方には苦しい職場かもしれません。新卒向けの就職説明会でも同様の説明を行っており、応募者に弊社のカラーを知ってもらうことで、意欲的な人財が自然と集まるようになってきています。
人財育成や働きやすい環境づくりにも力を入れるようにしています。以前は先輩が後輩に教えるOJTと外部研修が中心でしたが、2010年半ばからは社員の入れ替わりに伴い、OJTに加えメンター制度(豊富な知識と経験を有する先輩社員が、職務上だけではなく個人の成長も支援する)ほか、弊社の幹部がコーチングやアンガーマネジメントの研修を実施し、社員の意見も取り入れながらワークライフバランスのための制度を設けるようにして、組織、社会人としての成長を底上げできるように努めています。
近年は、出産で退職する社員がゼロであることも弊社の特長になっています。女性が活躍する時代になり、出産などのライフイベントで優秀な人材が退職していくのは、会社として大変な損失であると考え、ライフスタイルに合わせた働き方を本人が選べるようにしました。これまで、時短社員でいられる期間は子どもが4歳になるまでの間でしたが、小学校入学まで期間を延長して、さらにライフスタイルに合わせてパートや正社員への変更を自由に選べるようにしています。
こうした環境整備を行ううちに定着率も高くなり、他社に勤めた後に戻ってきた方、家族の転勤に伴い退職した方がまた働きたいと再応募してくれることもあります。コロナ禍を経てからは、特に若い世代の働き方が大きく変わってきているので、去る者負わず、来る者拒まずの姿勢で構えながらも、弊社で働く人がパフォーマンスを発揮できる環境づくりに注力していきます。
印刷・デザイン業で培われた表現、技術力をデジタルにも活かす
弊社では、地元学生を採用していることから地域や大学生との接点も多く、授業を持ってほしいという声に応え、1年に1~2度ではありますが宇都宮大学での講義やワークショップも実施しています。宇都宮大学工学部との共同研究も5年以上続けており、直近(2022年7月)では、大学生チームとともに機械学習を用いたソーシャルリスニングツール「ロコミルリサーチ」を開発して、「栃ナビ!」のクチコミ約60万件やキーワード等から、店舗・スポットに対するユーザーの反応を抽出してマーケティングデータとして可視化できるようにしました。これにより、店側がPRしたいものと実際に顧客が購入しているものの差異が明確になり、より顧客ニーズに沿った商品提供が可能となります。
そのほか、年内には仮想空間で4階建てのヤマゼン本社を体験できるように調整をしているところです。来年(2023年)の就職説明会では、仮想空間の建物の中でセミナーやイベントを受講できようにしたいと考えています。仮想空間にもデザイン性は必要であり、印刷・デザイン業で培われた表現力や技術力が活かせると考えています。新たな分野には、事業や会社が成長できる可能性が眠っています。そういった分野には惜しまず先行投資をしていこうと考えています。
第三者承継を視野に入れ、会社を最も理解する人に会社を託す
私の代まではファミリー経営で事業を引き継いできましたが、これからは家族以外の社員も会社を引き継げるように役員候補を育てているところです。この考えは既に社内全体にも共有し、実績や考え方が伴っていれば誰でも対象になるということを話してあります。会社がここまで成長できたのは、代々経営の責任を担ってきた経営者家族だけではなく、手となり足となり弊社の想いをサービスに乗せ提供し続けてきた社員の功績でもあるからです。弊社の考えを最も理解する、ふさわしい人に資産を託したいと思っています。
子どもたちには、家業の承継に捉われず自由に個性を伸ばしていってほしいと思い、「継いでも継がなくてもいいけれど、付加価値を生み出せるような人間になっていってほしい」と話しています。3代目である私としては、引き続きいい会社に成長していけるように、多様な価値観や考え方を許容しながら、同じ思いで会社や事業を発展させ、引き継いでくれる仲間を育てていこうと思っています。
購買行動の先まで視野に入れたマーケティングサービスを目指す
弊社は、県外の感度が合う広告代理店や印刷業との付き合いが多く、横のネットワークを活かして事業展開を行ってきました。そのうちにメーカーや自治体、若手起業家などから協業の声がかかる機会も増え、そういった要望を成長の機会と捉え、自社事業として対応できることを増やすなど変革を進めながらネットワークを拡大させていきました。
時代の変化とともに事業の在り方も変わり、既存事業の形態では維持できない世の中になってきました。だからこそ、個々人や各企業の売買の枠組みを超え、人の購買行動の先にまで視野を広げたマーケティングへの意識が必要になっていくのだと思います。弊社では、事業を通じて多くのデジタル財産を創り出してきました。今後も、製造業や販促支援、宣伝広告を超えたマーケティングカンパニーとしてサービスを充実させながら、自社で何が作れるかという内省に留まらず、物を購入した人がどんな行動を起こし、どうなっていくのかという変化量まで予測できるサービス提供を目指していきます。
企業の独自性と地元愛をデザインし、強く活力に満ちた共同体に導く
地域で経営を続けるうちに感じるようになったのは、地域に根づいた企業であるほど地元愛を強く持っているものの、それを表現したり形にしたりする機会は意外と少ないということです。特に、地元である栃木県では控えめな県民性もあって、大々的に地元愛や企業の良さを自ら表現すること自体がはばかられるようですが、自社の想いを発信することで、同じ考えを持つ人や企業が集まり、それが新たな発展の可能性にも繋がっていきます。そして、より効果的な発信をしたいのであれば、自らの魅力や特性を知り、他者に働きかけるために磨き上げていく必要もあります。独自性が磨かれれば他社との差別化にもなり、ブランディングにもなっていきます。これはサービス提供や製品づくりにも言えることです。広告は、ものを売るための手段としてだけではなく、そういった企業の想いや在りたい姿を可視化し伝える役割も持っているのだと思います。
地域にある一社一社が自社の得意分野を磨き上げ、共通意識である地元愛を自ら知り表現することで、地域全体が連携し、強く活力に満ちた共同体になっていけると考えています。印刷業やデザイン業を通じてメディアカンパニーとして発展し、栃木県という地域で表現力を磨き続けてきた我々が、これまで築き上げてきたネットワークを通じてそのお手伝いをしたいと考えています。
なかなか芽が出ない事業でも、他社の目や手が入れば新たな可能性が見つかることもあります。地域により市場やニーズは異なると思うので、必要とされるサービスを見極め、柔軟に対応できるようにしていきたいと思います。もし地域で行き詰まりを感じている企業があれば、ぜひ相談いただき、栃木県だけではなく全国、世界に事業発展できるようにアシストしていきたいと思っています。
会社概要
社名 | ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社 |
創立年 | 1950年 |
代表者名 | 代表取締役社長 山本 堅嗣宣 |
資本金 | 3,000万円 |
URL |
https://www.yamazen-net.co.jp/
|
本社住所 |
〒321-0118 |
事業内容 | 広告制作のためのデザイン制作及び印刷 WEBデザイン・制作・運営、情報処理、各種ASPの開発 セールスプロモーション 広告代理店業務 各種市場調査、広告効果測定 人材育成 クチコミタウン情報サイト「栃ナビ!」の運営 フォトブック作成サービス「nocoso」の運営 タミヤロボットスクール宇都宮教室・インターパーク教室の運営 |
事業エリア |
本社 〒321-0118 |
那須栃ナビ! |
|
東京営業所 〒135-8301 |
|
株式会社HitBit(関連会社) 〒321-0118 |
会社沿革
1950年 | 宇都宮市六道町18-19に活版印刷を主とした有限会社山善印刷所を設立 |
1969年 | オフセット印刷部門を新設 |
1970年 | デザイン部門を新設 |
1972年 | オフセット製版部門を新設 |
1984年 | ヤマゼン印刷株式会社に社名変更 |
1993年 | フルデザインシステム導入 |
2000年 | クチコミタウン情報サイト「栃ナビ!」を立ち上げ 創立50周年。ヤマゼン印刷株式会社からヤマゼンコミュニケイションズ株式会社に変更 |
2005年 | プライバシーマーク認証取得 |
2009年 | フォトブック作成サービス「nocoso」スタート |
2012年 | 社屋をインターパークに移転 |
2016年 | 11月経済産業省選定「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選定 |
2017年 | 男女共同参画推進事業者表彰「きらり大賞」を受賞 「地域未来牽引企業」に選定・公表 |
ヤマゼンコミュニケイションズ株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
栃木県
東京都
事業拡大のため創造力が豊かな自発性の高い若手人材を募集
事業引継ぎ
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
東京都
事業拡大に向けて、同じ価値観を持つ方からの引継ぎを募集
公開日:2022/09/20 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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