福島・いわき市
福島 ・ いわき市
いわき市で
おおくら保育園チーム(社会福祉法人誠友会)
採算より信頼を選び続け、子どもが育つ地域をつくる
経営理念
基本理念:「豊かな人生のための、未来を生き抜く土台づくり」
行動指針:「自ら考え行動する力を育む」
代表者メッセージ
1982年、祖父が先祖伝来の田んぼを保育園に変えた日から、おおくら保育園チームの歴史は始まりました。その想いは、学童保育をいち早く立ち上げた父、現場の保育の質を守り抜いた母、そしてインクルーシブ保育の充実、ダイバーシティ社会の実現に挑む私へと、形を変えながら脈々と受け継がれています 。
おおくら保育園チームの役割は、子ども一人ひとりの生育と、その背景にある家庭、そして地域全体を支えることです。「断らない保育」で、制度の狭間で行き場を失うお子さんやご家庭にとっての「最後の砦」でありたいと思っています。これからも「困っているなら引き受ける」という姿勢を貫きたいと思っています。
保育は親子が育つ環境設定をする人がすべての仕事です。その前提としての職員が安心して働き続けられる環境づくりにも力を注いできました。
これからも地域にとって欠かせない存在であり続けるために、目の前の子どもと誠実に向き合いながら、いわき市の未来を支えていきます。
理事長 赤津 慎太郎
私たちのこだわり
「この先、必ず必要になる」から始まった保育園事業
おおくら保育園チーム(社会福祉法人誠友会)は、1982年に福島県いわき市で私の祖父が設立しました。祖父はもともとこの地で農業を営んでいました。しかし、女性の社会進出が進み始めた頃「働きに出る親御さんのために、子どもを安心して預けられる場所が必要だ」と想い、保育園の設立を決意し土地等を寄付するかたちで社会福祉法人を立ち上げました。
祖父は保育や福祉の専門家ではありませんでした。ただとにかく子どもが大好きで、「子どもは宝だ」という想いを誰よりも強く持っていた人です。時代の変化を肌で感じ、「未来の子どもたちを受け止める器をいち早く準備したい」と、次世代への想いが込められている創業だったのではないかと思います。
その後、祖父の跡を父が継ぎます。父は核家族化が進み始めた時期の「卒園後の子どもたちの居場所がない」という地域の声を聞き、いわき市でも早い段階で、放課後児童クラブ、いわゆる学童保育を立ち上げました。当時としては先駆的な取り組みでしたが、「社会課題を解決したい」という父の強い想いがありました。
その後、父が市政へと舞台を移すとバトンは母へ託されました。母は開園当初から園長として現場を担い、子どもたち一人ひとりと向き合う中で保育の中身そのものを長年かけて築いてきました。保育の軸は現在も母に支えられています。
いわゆる障がいのある子どもとの出会いが、30歳で学び直しを決断
私は、幼少期から祖父や父、母が保育園を運営する背中を見て育ちました。しかし、自分が跡を継ぐと強く意識したのはかなり遅く、正直なところ子どもや保育に対して強い思い入れがあったわけではありませんでした。高校卒業後は東京の大学に行きました。卒業のタイミングで父が学童を立ち上げたため、地元に戻り学童で働き始めました。
転機は、働き始めて約8年がたった頃に障がいのあるお子さんと出会ったことでした。私は保育を専門的に学んできたわけではなかったため、「自分の関わり方は、これで本当にいいのだろうか」という問いが、常に頭のどこかにありました。障がいのあるお子さんと関わる中で、そこにある当事者の悩みや生活をするうえでの課題は自分自身が生きる上での悩みと遠からず関わっている気がし、子どもたちとは馬が合ったこともあり「これは、ちゃんと向き合わなければいけない」と感じるようになったのです。
そこで、30歳のとき、埼玉県所沢市にある国立秩父学園での研修を決断しました。国が運営する施設で、最重度の障害を抱える子どもと、養育が極めて困難な家庭を直接支援している、全国でも唯一の場所です。学園の中には指導職員養成所があり、1年間、住み込みで学ぶことができます。
子どもたちと基本的に一対一で関わりながら、座学と実習を同時に積み重ねる環境でした。朝から夕方まで授業を受け、そのうえで一人の子どもをケースとして担当し、向き合い続け、研究する一年でした。
私が担当したのは、最重度の自閉症の子でした。18歳でしたが、他に受け入れ先がなく、支援の難易度は非常に高いケースでした。若い時期に、ここまで深く一人の人生に関わる経験ができたことは、今でも自分の中で大きな財産になっています。
秩父学園での研修でインクルージョンに対する考え方をはっきりと形にすることができた私は、再びいわき市で学童と保育の現場に戻りました。同時に、青年会議所に入り、そこで多くの経営者と出会い、目の前の子どもたちだけでなく、社会全体や経営という視点を強く意識するようになりました。その後、母とともに保育園と学童の運営に携わり、2019年に理事長を拝命しました。
地域の駆け込み寺でいるための取り組み
弊法人は、障害のあるお子さんを多く受け入れてきました。認可保育園なので、入所の決定自体は市が行いますが、どうしても行き場を失ってしまうケースがあります。そんな現実を、私はずっと見てきました。
いわき市は待機児童ほぼゼロと言われる一方で、実際に行き場を失っているのは、障がいのあるお子さんたちです。その隙間を、誰がどう埋めるのか。その問いに向き合い続けること自体が、弊法人の理念であり、現場を通して共有されてきた価値観だと思っています。
弊法人は、基本的に「断らない」という姿勢でいます。困っているなら、私たちが引き受け、最後の駆け込み寺でいたいと強く思っています。障がいがあるという理由だけで保育園に通えず、親御さんが仕事を諦めなければならない、そういう状況だけはつくりたくないと思っています。この思いは、強い志というより、祖父の代からこの法人に刻まれてきたDNAに近いのかもしれません。しかし、理事長として経営の立場に立つようになってからは、思いだけでは回らない現実とも向き合うことになりました。
正直に言って、障がい児保育はお金が合いません。子ども一人に職員が一人必要ですが、年間で入ってくる収入は一人あたり人件費の3分の2程度です。でも、実際にはそれ以上にコストがかかり、やりくりをしても一人あたり約100万円以上の持ち出しになります。年に4~5ケースをお預かりすると大倉保育園単体で見れば、完全に赤字です。それでも私はこの事業をやめません。小規模保育や企業主導型保育、複数の学童クラブを展開し、 単体では難しくても、法人全体の事業バランスで支えることで、本当に必要な支援を継続可能にします。この多角的な構造こそが、私たちの「想い」を「現実」にするための武器になります。決して効率のいいやり方ではありませんが、この積み重ねがあったからこそ「誠友会がなくなったら困る」と言っていただける、行政や地域との絶対的な信頼関係が生まれました。
他には真似できないこの独自の立ち位置こそが、私たちの最大の強みです。この立ち位置を守るために、事業の多角化や、行政との丁寧なコミュニケーションも欠かせません。時代が変わっても、根っこにある「地域と次世代のために」という想いは、四代にわたり決して揺らぐことはありません。
受け継がれてきた人を大切にする思い
祖父は、一緒に働く保育士を大切にする人でした。「職員を大切にする」という言葉がまだ一般的でなかった時代に、一緒に働く仲間を大きな家族のように、地域と人を丸ごと抱えるような暖かさで接していました。その価値観は、父、母、そして私へと、今も変わらず受け継がれています。
保育業界は今、慢性的な人手不足という深刻な課題に直面しています。特に地域では人がいないから事業を広げられず、結果として子どもを預かれないというジレンマがずっと続いてきました。そうした中で、弊法人はありがたいことに「人が足りない」という状態には陥っていません。毎年、新卒の皆さんが入社してくれて、大々的な求人を打ち出さなくても人が集まってきてくれます。これは、長い時間をかけて築いてきた地域との信頼関係の結果だと思っています。
なぜ、弊法人には人が集まり、そして定着してくれるのか。その答えは、私たちが大切にしている保育に対する考え方にあります。障がいの有無に関わらず、一人として同じ子供はいません。その個性と向き合い、心を通わせる保育は、エネルギーを要する尊い仕事です。だからこそ、最前線に立つ職員の皆さんが、「自分はここで大切にされている」「守られている」と実感できていなければ、子どもたちに本当の愛を注ぎ続けることはできないと考えています。職員を一番に大切にする姿勢だけは、祖父の代から何があっても変えずに守り抜いてきました。
「保育は体力的にきつい」「将来のお金が不安」と言われがちな業界ですが、ここで働く皆さんには、安心して長く働き続けてほしいと願っています。そのために、できることは惜しみません。
賃金は毎年ベースアップを続け、新卒からリーダークラスまでも業界の水準以上を確保しています。福利厚生の面では、企業主導型保育園を運営し、職員は月10,000円で子どもを預けることができます。企業型DCやNISAなど、将来を見据えた資産運用制度も導入しています。
これらは、「特別なこと」をしているつもりはありません。給与、休暇、風通しの良さなど、職場で何を重視するかは人それぞれですが、常に「保育士の立場」に立って考え、当たり前のことを当たり前に積み重ねていく 。 その積み重ねこそが、辞めずに長く働いてくれる人の多さにつながっているのだと思います。私はこれからも、皆さんが胸を張って「ここで働いて良かった」と思ってもらえる企業でいたいと思っています。
「預かったその先」をどう支えるか
長く運営を続けていれば、当然、建物は古くなります。経営のセオリーで言えば、施設の修繕費として資金をストックしておかなければなりません。しかし、私は今、あえてその資金を「人件費」へと回しています 。
これは、綺麗事ではありません。建物はいずれ必ず直さなければならない時が来ます。今のやり方が永続できるとは思っていませんし、いずれ正面から向き合わなければならない課題です 。それでも「何かあったら大倉保育園に相談すればいい」と、地域の中で思ってもらえていることは、大きな支えです。園単体の収支が厳しくても法人全体で支え合い、日々のやりくりの中で賃金を確保しています。日々のやりくりと賃金の問題は、常にセットで考え続けています。
また、今考えている事業として、障がいのあるお子さんの成長後の受け皿を作りたいと思っています。保育園を卒園すると学童に移りますが、その先をどうつなぐのか、学童と放課後等デイサービスを併用できる形を構想しています。放課後等デイサービスについては、別事業として立ち上げの準備を進めています。
全国展開の保育園だと、どうしても数で勝負するビジネスモデルになりがちです。弊法人は、通常の保育園運営を軸にしながら、未就学児の枠と児童発達支援を組み合わせ、さらに学童クラブまでを包括した「多機能な支え合い」が可能となります 。 障がいのあるお子さんを併用で支えるこの仕組みがあるからこそ、保育園単体では賄いきれない人件費をカバーし、手厚い職員配置を実現できています 。 子どもの数が減っていく流れは、業界全体として避けられません。いわき市と連携をとりながら今ある資源を生かし、次につなげていくために、少しずつ形にしている段階です。
子どもが育つ「まち」を維持する
私にとって、保育園や児童クラブを運営することは単なる福祉事業ではありません。「まちづくり」そのものです。子どもや家庭を支えることは、そのまま地域の土台を支えることにつながります。
まちづくりに関わり続ける理由として、ただ一つはっきりしているのは「自分がここに住むと決めた街だから、少しでも良くなった方がいいに決まっている」というシンプルな思いです。住む場所をより良くしたいからこそ、そこに社会課題があれば正面から向き合いたい。そして、その課題解決の中にこそ、次の一手やビジネスとしての可能性もあると信じています。
私のいわき愛は「ここで生きると決めた以上、ちゃんと向き合う」その一点に尽きます。
例えば、地元のパン屋さんが「もう続けられない」となったとき、もし関係性があれば、「保育園の給食用のパンを納入してもらう」という形で、お店を存続させる道が作れるかもしれません。惜しまれながら無くなってしまう店は、私たちと結びつけることで守ることができ、ビジネスとして成立させながら、存続させることができると思いますし、私は喜んでその役割を担いたいと思っています。
子どもが減り、人が住まなくなった場所で保育園を続けるのは、正直、負け筋です。だからこそ、子どもを預かるだけではなく、子どもが育つ「まち」そのものをどう維持し、どう更新していくのか。その視点を持ち続けることが、事業を続けるうえでも欠かせないと感じています。
地域の中で、次の一手を考える
弊法人は、事業エリアをむやみに広げたり、数を増やしたりすること自体を目的にはしていません。人口減少が進み、マーケットが減少していくこの業界で、無理に広げることが正解だとは思えません。 愛着のある地域を支え続けることこそが、私たちが目指す姿です。
また、現在学童クラブではピアノ教室や、いわきFCのコーチによる運動科学に基づいた遊びのプログラムを取り入れています。これらは本来、月謝がかかるような専門的な教育ですが、私たちはあえて「別料金」をいただいていません。ご家庭の経済状況に関わらず、すべての子供たちに等しく「文化的な豊かさ」や「本物に触れる機会」を提供したいと考えています。
利便性を重視するご家庭もあれば、英語や特別な教育を求める声もある。福祉的な視点に立てば、あえてリッチにしないという選択もありますし、一方で、塾の機能をプラスしてほしいという声があるのも事実です。答えは一つではありません。
社会福祉法人としての基盤をより強固にするためには、できることの幅も広がっていくと思います。
ビジネスとして運営すべき部分は別法人化する選択肢や、「社会福祉連携推進法人」という新たな制度の活用も視野に入れています。社会福祉法人として果たすべき役割と、それ以外の領域を切り分けていくことは、これからますます重要になっていくと思っています。それでも、弊法人が創業から積み重ねてきたインクルージョンへの取り組みは、これからも変わりません。誰もが必要だと分かっていながら、どうしても後回しにされがちなテーマだからこそ、自分たちの強みと重ね合わせながら一歩踏み出す。その積み重ねが、10年後、20年後に、地域社会において、必ず大きな価値となると信じています。
「この先、必ず必要になる」から始まった保育園事業
おおくら保育園チーム(社会福祉法人誠友会)は、1982年に福島県いわき市で私の祖父が設立しました。祖父はもともとこの地で農業を営んでいました。しかし、女性の社会進出が進み始めた頃「働きに出る親御さんのために、子どもを安心して預けられる場所が必要だ」と想い、保育園の設立を決意し土地等を寄付するかたちで社会福祉法人を立ち上げました。
祖父は保育や福祉の専門家ではありませんでした。ただとにかく子どもが大好きで、「子どもは宝だ」という想いを誰よりも強く持っていた人です。時代の変化を肌で感じ、「未来の子どもたちを受け止める器をいち早く準備したい」と、次世代への想いが込められている創業だったのではないかと思います。
その後、祖父の跡を父が継ぎます。父は核家族化が進み始めた時期の「卒園後の子どもたちの居場所がない」という地域の声を聞き、いわき市でも早い段階で、放課後児童クラブ、いわゆる学童保育を立ち上げました。当時としては先駆的な取り組みでしたが、「社会課題を解決したい」という父の強い想いがありました。
その後、父が市政へと舞台を移すとバトンは母へ託されました。母は開園当初から園長として現場を担い、子どもたち一人ひとりと向き合う中で保育の中身そのものを長年かけて築いてきました。保育の軸は現在も母に支えられています。
いわゆる障がいのある子どもとの出会いが、30歳で学び直しを決断
私は、幼少期から祖父や父、母が保育園を運営する背中を見て育ちました。しかし、自分が跡を継ぐと強く意識したのはかなり遅く、正直なところ子どもや保育に対して強い思い入れがあったわけではありませんでした。高校卒業後は東京の大学に行きました。卒業のタイミングで父が学童を立ち上げたため、地元に戻り学童で働き始めました。
転機は、働き始めて約8年がたった頃に障がいのあるお子さんと出会ったことでした。私は保育を専門的に学んできたわけではなかったため、「自分の関わり方は、これで本当にいいのだろうか」という問いが、常に頭のどこかにありました。障がいのあるお子さんと関わる中で、そこにある当事者の悩みや生活をするうえでの課題は自分自身が生きる上での悩みと遠からず関わっている気がし、子どもたちとは馬が合ったこともあり「これは、ちゃんと向き合わなければいけない」と感じるようになったのです。
そこで、30歳のとき、埼玉県所沢市にある国立秩父学園での研修を決断しました。国が運営する施設で、最重度の障害を抱える子どもと、養育が極めて困難な家庭を直接支援している、全国でも唯一の場所です。学園の中には指導職員養成所があり、1年間、住み込みで学ぶことができます。
子どもたちと基本的に一対一で関わりながら、座学と実習を同時に積み重ねる環境でした。朝から夕方まで授業を受け、そのうえで一人の子どもをケースとして担当し、向き合い続け、研究する一年でした。
私が担当したのは、最重度の自閉症の子でした。18歳でしたが、他に受け入れ先がなく、支援の難易度は非常に高いケースでした。若い時期に、ここまで深く一人の人生に関わる経験ができたことは、今でも自分の中で大きな財産になっています。
秩父学園での研修でインクルージョンに対する考え方をはっきりと形にすることができた私は、再びいわき市で学童と保育の現場に戻りました。同時に、青年会議所に入り、そこで多くの経営者と出会い、目の前の子どもたちだけでなく、社会全体や経営という視点を強く意識するようになりました。その後、母とともに保育園と学童の運営に携わり、2019年に理事長を拝命しました。
地域の駆け込み寺でいるための取り組み
弊法人は、障害のあるお子さんを多く受け入れてきました。認可保育園なので、入所の決定自体は市が行いますが、どうしても行き場を失ってしまうケースがあります。そんな現実を、私はずっと見てきました。
いわき市は待機児童ほぼゼロと言われる一方で、実際に行き場を失っているのは、障がいのあるお子さんたちです。その隙間を、誰がどう埋めるのか。その問いに向き合い続けること自体が、弊法人の理念であり、現場を通して共有されてきた価値観だと思っています。
弊法人は、基本的に「断らない」という姿勢でいます。困っているなら、私たちが引き受け、最後の駆け込み寺でいたいと強く思っています。障がいがあるという理由だけで保育園に通えず、親御さんが仕事を諦めなければならない、そういう状況だけはつくりたくないと思っています。この思いは、強い志というより、祖父の代からこの法人に刻まれてきたDNAに近いのかもしれません。しかし、理事長として経営の立場に立つようになってからは、思いだけでは回らない現実とも向き合うことになりました。
正直に言って、障がい児保育はお金が合いません。子ども一人に職員が一人必要ですが、年間で入ってくる収入は一人あたり人件費の3分の2程度です。でも、実際にはそれ以上にコストがかかり、やりくりをしても一人あたり約100万円以上の持ち出しになります。年に4~5ケースをお預かりすると大倉保育園単体で見れば、完全に赤字です。それでも私はこの事業をやめません。小規模保育や企業主導型保育、複数の学童クラブを展開し、 単体では難しくても、法人全体の事業バランスで支えることで、本当に必要な支援を継続可能にします。この多角的な構造こそが、私たちの「想い」を「現実」にするための武器になります。決して効率のいいやり方ではありませんが、この積み重ねがあったからこそ「誠友会がなくなったら困る」と言っていただける、行政や地域との絶対的な信頼関係が生まれました。
他には真似できないこの独自の立ち位置こそが、私たちの最大の強みです。この立ち位置を守るために、事業の多角化や、行政との丁寧なコミュニケーションも欠かせません。時代が変わっても、根っこにある「地域と次世代のために」という想いは、四代にわたり決して揺らぐことはありません。
受け継がれてきた人を大切にする思い
祖父は、一緒に働く保育士を大切にする人でした。「職員を大切にする」という言葉がまだ一般的でなかった時代に、一緒に働く仲間を大きな家族のように、地域と人を丸ごと抱えるような暖かさで接していました。その価値観は、父、母、そして私へと、今も変わらず受け継がれています。
保育業界は今、慢性的な人手不足という深刻な課題に直面しています。特に地域では人がいないから事業を広げられず、結果として子どもを預かれないというジレンマがずっと続いてきました。そうした中で、弊法人はありがたいことに「人が足りない」という状態には陥っていません。毎年、新卒の皆さんが入社してくれて、大々的な求人を打ち出さなくても人が集まってきてくれます。これは、長い時間をかけて築いてきた地域との信頼関係の結果だと思っています。
なぜ、弊法人には人が集まり、そして定着してくれるのか。その答えは、私たちが大切にしている保育に対する考え方にあります。障がいの有無に関わらず、一人として同じ子供はいません。その個性と向き合い、心を通わせる保育は、エネルギーを要する尊い仕事です。だからこそ、最前線に立つ職員の皆さんが、「自分はここで大切にされている」「守られている」と実感できていなければ、子どもたちに本当の愛を注ぎ続けることはできないと考えています。職員を一番に大切にする姿勢だけは、祖父の代から何があっても変えずに守り抜いてきました。
「保育は体力的にきつい」「将来のお金が不安」と言われがちな業界ですが、ここで働く皆さんには、安心して長く働き続けてほしいと願っています。そのために、できることは惜しみません。
賃金は毎年ベースアップを続け、新卒からリーダークラスまでも業界の水準以上を確保しています。福利厚生の面では、企業主導型保育園を運営し、職員は月10,000円で子どもを預けることができます。企業型DCやNISAなど、将来を見据えた資産運用制度も導入しています。
これらは、「特別なこと」をしているつもりはありません。給与、休暇、風通しの良さなど、職場で何を重視するかは人それぞれですが、常に「保育士の立場」に立って考え、当たり前のことを当たり前に積み重ねていく 。 その積み重ねこそが、辞めずに長く働いてくれる人の多さにつながっているのだと思います。私はこれからも、皆さんが胸を張って「ここで働いて良かった」と思ってもらえる企業でいたいと思っています。
「預かったその先」をどう支えるか
長く運営を続けていれば、当然、建物は古くなります。経営のセオリーで言えば、施設の修繕費として資金をストックしておかなければなりません。しかし、私は今、あえてその資金を「人件費」へと回しています 。
これは、綺麗事ではありません。建物はいずれ必ず直さなければならない時が来ます。今のやり方が永続できるとは思っていませんし、いずれ正面から向き合わなければならない課題です 。それでも「何かあったら大倉保育園に相談すればいい」と、地域の中で思ってもらえていることは、大きな支えです。園単体の収支が厳しくても法人全体で支え合い、日々のやりくりの中で賃金を確保しています。日々のやりくりと賃金の問題は、常にセットで考え続けています。
また、今考えている事業として、障がいのあるお子さんの成長後の受け皿を作りたいと思っています。保育園を卒園すると学童に移りますが、その先をどうつなぐのか、学童と放課後等デイサービスを併用できる形を構想しています。放課後等デイサービスについては、別事業として立ち上げの準備を進めています。
全国展開の保育園だと、どうしても数で勝負するビジネスモデルになりがちです。弊法人は、通常の保育園運営を軸にしながら、未就学児の枠と児童発達支援を組み合わせ、さらに学童クラブまでを包括した「多機能な支え合い」が可能となります 。 障がいのあるお子さんを併用で支えるこの仕組みがあるからこそ、保育園単体では賄いきれない人件費をカバーし、手厚い職員配置を実現できています 。 子どもの数が減っていく流れは、業界全体として避けられません。いわき市と連携をとりながら今ある資源を生かし、次につなげていくために、少しずつ形にしている段階です。
子どもが育つ「まち」を維持する
私にとって、保育園や児童クラブを運営することは単なる福祉事業ではありません。「まちづくり」そのものです。子どもや家庭を支えることは、そのまま地域の土台を支えることにつながります。
まちづくりに関わり続ける理由として、ただ一つはっきりしているのは「自分がここに住むと決めた街だから、少しでも良くなった方がいいに決まっている」というシンプルな思いです。住む場所をより良くしたいからこそ、そこに社会課題があれば正面から向き合いたい。そして、その課題解決の中にこそ、次の一手やビジネスとしての可能性もあると信じています。
私のいわき愛は「ここで生きると決めた以上、ちゃんと向き合う」その一点に尽きます。
例えば、地元のパン屋さんが「もう続けられない」となったとき、もし関係性があれば、「保育園の給食用のパンを納入してもらう」という形で、お店を存続させる道が作れるかもしれません。惜しまれながら無くなってしまう店は、私たちと結びつけることで守ることができ、ビジネスとして成立させながら、存続させることができると思いますし、私は喜んでその役割を担いたいと思っています。
子どもが減り、人が住まなくなった場所で保育園を続けるのは、正直、負け筋です。だからこそ、子どもを預かるだけではなく、子どもが育つ「まち」そのものをどう維持し、どう更新していくのか。その視点を持ち続けることが、事業を続けるうえでも欠かせないと感じています。
地域の中で、次の一手を考える
弊法人は、事業エリアをむやみに広げたり、数を増やしたりすること自体を目的にはしていません。人口減少が進み、マーケットが減少していくこの業界で、無理に広げることが正解だとは思えません。 愛着のある地域を支え続けることこそが、私たちが目指す姿です。
また、現在学童クラブではピアノ教室や、いわきFCのコーチによる運動科学に基づいた遊びのプログラムを取り入れています。これらは本来、月謝がかかるような専門的な教育ですが、私たちはあえて「別料金」をいただいていません。ご家庭の経済状況に関わらず、すべての子供たちに等しく「文化的な豊かさ」や「本物に触れる機会」を提供したいと考えています。
利便性を重視するご家庭もあれば、英語や特別な教育を求める声もある。福祉的な視点に立てば、あえてリッチにしないという選択もありますし、一方で、塾の機能をプラスしてほしいという声があるのも事実です。答えは一つではありません。
社会福祉法人としての基盤をより強固にするためには、できることの幅も広がっていくと思います。
ビジネスとして運営すべき部分は別法人化する選択肢や、「社会福祉連携推進法人」という新たな制度の活用も視野に入れています。社会福祉法人として果たすべき役割と、それ以外の領域を切り分けていくことは、これからますます重要になっていくと思っています。それでも、弊法人が創業から積み重ねてきたインクルージョンへの取り組みは、これからも変わりません。誰もが必要だと分かっていながら、どうしても後回しにされがちなテーマだからこそ、自分たちの強みと重ね合わせながら一歩踏み出す。その積み重ねが、10年後、20年後に、地域社会において、必ず大きな価値となると信じています。
会社概要
| 社名 | おおくら保育園チーム(社会福祉法人誠友会) |
| 創立年 | 1982年 |
| 代表者名 | 理事長 赤津 慎太郎 |
| URL |
https://www.seiyukai-ookurateam.or.jp/
|
| 本社住所 |
〒974-8232 |
| 事業内容 | 認可保育園運営、小規模保育事業、企業主導型保育事業、放課後児童健全育成事業 |
| 事業エリア |
大倉保育園 〒974-8232 |
|
おおくらブランチ ATATAME保育園 〒974-8232 |
|
|
おおくらブランチ マザリーズルーム 〒974-8232 |
|
|
おおくら第一児童クラブ 〒974-8232 |
|
|
おおくら第二児童クラブ 〒974-8232 |
|
|
おおくら児童クラブ分室 〒974-8232 |
|
|
植田児童クラブ 〒974-8212 |
|
|
汐見が丘児童クラブ 〒974-8221 |
会社沿革
| 1988年 | 11月 社会福祉法人誠友会 設立 |
| 2015年 | 赤津慎太郎氏が公益社団法人いわき青年会議所(JC)第11代理事長を務める |
| 2018年 | 赤津慎太郎氏が公益社団法人日本青年会議所福島ブロック協議会(日本JC)第51代会長を務める |
| 2019年 | 赤津慎太郎氏が社会福祉法人誠友会理事長となる 企業主導型保育園「おおくらブランチ マザリーズルーム」開設、放課後児童クラブ増設 |
| 2022年 | 小規模保育事業所「おおくらブランチ ATATAME保育園」開設 |
公開日:2026/02/10
※本記事の内容および所属名称は2026年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
この企業を見た方はこれらのツグナラ企業も見ています
ツグナラ企業へのお問い合わせ
本フォームからのお問い合わせ内容はツグナラ運営事務局でお預かりし、有意義と判断した問い合わせのみツグナラ企業にお渡ししています。営業目的の問い合わせ、同一送信者による大量送付はお控えください。