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神奈川 ・ 相模原市
縁の下の
ペンニットー株式会社
独自性のある製品を幅広く取りそろえ、ニッチな需要に適応
経営理念
製品とサービスを磨き抜き 課題解決の支えとなり モノづくりの未来に貢献します
お客様に寄り添い 希望を叶えることで 輝く社会を実現します
やりがいと豊かな心で 満たされ充実した人生を送り 幸福の環を拡げます
代表者メッセージ
弊社は1977年に設立し、ふっ素樹脂チューブの製造販売に加え、アメリカや欧州企業などから輸入した各種樹脂チューブ製品の販売を行っています。
社員数は少ないながらも安定した業績を維持できているのは、弊社の主力製品である「フレキシブルチューブ及び熱収縮チューブ」の支えによるものです。極めてニッチな領域でありながら、創業以来培ってきた高い技術力により、高付加価値な製品を生み出せていることが弊社の強みです。
ふっ素樹脂は半導体や医療機器にも用いられており、今後も業界の大きな成長が見込まれます。
一方で、近年のPFAS(有機ふっ素化合物)規制により、今後の動向が左右されうる厳しい状況であることも事実です。その点を踏まえ、私たちは「課題解決を含めたソリューションの提供」という新たな方向へ動きはじめました。営業部と開発部を中心に、お客様の声を集積してニーズの共通項を探りながら、高い技術力を活かし、課題解決の実現を目指していきます。
代表取締役 長内 康一
私たちのこだわり
商社として創業、後に製造業にも参入
弊社は、総合商社である日東工機株式会社のプラスチック部門が新設独立する形で、1977年に創業しました。
高度成長期で日本が発展し続ける中、「欧米の優れた商材を日本にどんどん紹介していきたい」という思いが弊社の創業のきっかけです。当初はアメリカのペンチューブプラスチックス社の代理店事業が主要業務で、同社のふっ素樹脂チューブ「ペンチューブ」を主に取り扱っていました。
そのため、社名の由来は、ペンチューブの「ペン」と親会社である日東工機株式会社の「ニットー」を組み合わせたものです。
創業時のメンバーは3名で、東京都港区にある日東工機ビルに間借りしてスタートしました。
やがて1983年には自社生産の道を模索するため、神奈川県相模原市に研究所を設立します。自社生産を目指したのは、主要商材の供給が滞るリスク回避のためです。当時から欧米の企業はM&Aが当たり前のように行われていたため、もし取引先がライバル企業にM&Aされると、主要商材が滞るリスクが常に存在していました。また日本人の感覚からすると、製品の品質面でも不安を抱くことが多々あったようです。
これらの理由から商流において苦労が絶えなかったため、製品の安定供給を確保するために、製造業へ参入を目指すことにしました。
紆余曲折を経て自社生産のめどが立った後、ペンチューブプラスチックス社と協議を重ね、最終的には商標ごと買い取ることに成功しました。
そして、弊社が「ペンチューブ」を始めとする、高品質なふっ素樹脂チューブの製造・開発をしていくこととなりました。
一方で、商社として輸入事業も継続していたので、それ以降はメーカー兼商社というビジネスモデルで事業を展開し、現在に至ります。
モノづくりの現場から代表取締役に
私は大学を卒業後、パソコン専門の販売店に就職しました。インターネットの普及とともにパソコンが社会生活に不可欠な存在となり、販売台数が急速に増加した時代でした。
もともとは店舗で販売業務に就く予定でしたが、研修後にグループ内の別法人本部へと配属されます。そこで、組織全体の仕入れや調達、価格に関わる業務に携わり、商売の基礎を学ぶことができました。今振り返ると、経営者としての修業期間となったように思います。
その後はサービス業を経て、2005年に30歳でペンニットー株式会社に入社しました。
入社前は製造業とは全く関わりのない職種だったため、具体的なイメージが持てませんでしが、弊社の工場を初めて見学した時に、まるで研究所のような雰囲気だと感じました。製造ラインの管理など、社員が仕事に真摯に取り組む姿勢が印象的だった一方で、気さくで優しい方が多いことも強く記憶に残っています。この印象は今も変わらず、まさに弊社の社風だと思います。
また、私は文系学部出身でしたが、自転車やバイクが趣味で、機械いじりも好きでした。そんな私にとって、それまで見たこともないような産業機械を動かしながら仕事ができる環境は非常に楽しいものでした。学生時代は、自分が関数電卓を片手に仕事をすることになるとは全く想像もしていませんでしたが、とても自分に合った仕事に巡り合えたと感じています。
とにかく製造業の現場で働くのが楽しく、入社してからずっとモノづくりのことばかり考えていました。経営者になることは全く頭にありませんでしたが、主任、中間管理職という役職を経て取締役となります。
その後、社長に就任した先輩が病気で急逝するという予期せぬ出来事も重なり、代表取締役に就任しました。
ニッチな分野で独自性のある製品に強み
弊社はメーカーと商社という二つの軸を持っており、お客様のご要望に応え続けています。
一番大きな強みは、独自性のある製品です。
弊社が製造・販売する「ペンケム及びペンチューブ」は、ふっ素樹脂を原料としています。ふっ素樹脂は耐熱性や耐薬品性、絶縁性、難燃性といった機能を兼ね備えている素材です。
そのため、医療機器・航空宇宙機器・電子機器・自動車・家電などの幅広い産業分野において、電線・ハーネスの結束、絶縁保護などに使用されます。また、半導体・液晶・石英の合成などの製造装置、MA機器・計測機器・理化学機器などの配管や保護材としても利用されているのです。あまり身近なものとは感じられないかもしれませんが、実は、私たちの生活を陰で支えているものなのです。
そして中には、製品の設計段階で弊社製品が図面指定されている機器も少なくないため、これにより安定した売り上げを見込むことができます。ニッチな分野での製品製造・販売を突き詰めていったことで、他社にはない強みを持つことができたと思います。
また、商社としてアメリカや欧州などの諸外国メーカーからふっ素樹脂を主体とした製品の輸入販売を行っていることも強みです。現在、輸入販売は売上の半分以上を占めていますが、特色があり、独自の強みを持つ商材の輸入に注力しています。自社製品と併せて幅広いラインナップを揃えることで、ニッチな需要に適応しているのです。
その一方で、今後の事業拡大を考えれば新規の取引先を増やしていく必要があります。
また、これまでは国内中心で製品を提供してきましたが、近年では国内のユーザー自体が海外進出する傾向があるため、海外から弊社の製品を求める声が増えてきています。そのため、常に新しい地域に追従していくことも必要です。
企業の規模感でいうと、当然、大手メーカーとの体力勝負では勝つことはできません。体力勝負にならないジャンルを意図的に選んできたからこそ、これだけ長く事業を継続でき、厳しいコロナ禍を乗り越えることができたのだと思っています。
ただ、やはり会社の規模を考えると、一気にビジネス規模を拡大することは大きなリスクになります。リスクは最小限に抑えつつ、1歩1歩着実に拡大するように取り組んでいるところです。
PFAS規制の動きに備え準備は怠らない
これは業界的な課題になりますが、近年話題に出るようになったいわゆる有機ふっ素化合物の総称であるPFAS(Perfluoroalkyl and Polyfluoroalkyl substances)が挙げられます。
「発がん性が懸念されるPFASが全国の河川や地下水から検出された」とニュースでも大きく取り上げられていますが、実はふっ素化合物が全て危険というわけではありません。PFASはあくまで総称であり、地球上には1万種類以上のPFASがあると言われています。
そのうち、人体に悪影響があるといわれているPFOSとPFOAはすでに日本国内でも使用・製造が禁止されています。例えばふっ素樹脂コーティングされているフライパンにもそれらの物質は使われていないため、健康への影響はありません。もちろん弊社のふっ素樹脂製品も安全です。
しかし、EUではより広範囲にPFASを規制しようという動きがあり、今後の規制の方向性は依然として不透明です。 とはいえ、この問題は個々の企業が単独で解決できるものではありません。そのため情報収集を常に怠らず、情勢の変化へ迅速に対応していくとともに、リスクヘッジとして代替樹脂の可能性も模索していく必要があると考えています。
また、ふっ素樹脂の原料である蛍石は、現在主に中国産と南米産が使われています。そうして作られたふっ素樹脂の原料や製品は、アメリカと中国の貿易戦争と深くかかわっており、地政学的なリスクや国際政治関係の緊張が影響する部分もあります。
この問題についても、弊社が直接介入できるわけではありませんが、その中でベストな選択肢は何かと模索し続けることが重要です。そのためにも常に最新の情報をキャッチし、変化に対応できる体制を整えていく必要があると考えています。
経営理念の共有はまず経営陣から
弊社の経営理念は、私が代表に就任した2023年に策定しました。
弊社は半世紀近く事業を営んできましたが、それまで経営理念を明文化していませんでした。
弊社は少数精鋭の会社で、社員一人ひとりが力を発揮してきたからこそ、今の会社の姿があると私は思っています。日々の積み重ねから意識をある程度は共有できてはいましたが、理念によって組織を一つに束ねることで、これまで以上に強力な推進力を生み出してくれるのではと考えました。
策定にあたっては、神奈川県中小企業家同友会の経営指針策定部会に参加しました。そして、「モノづくり企業としての姿勢」「ビジネスを通じた社会貢献」「社員と弊社に関わる人たちへの思い」と、3つの文章にまとめました。これらの理念こそが羅針盤そのもので、会社という船がどこに向かうのかを示しています。
経営理念を社内に定着させるため、まず全社員で浸透会を開催しました。社員たちの理解は早く、小グループでのディスカッションでの意見の出し合いもよくできており、社員たちの能力の高さを改めて実感することができました。
ただその時にある社員から、「経営陣は理念を一枚岩で共有できているのか?」という指摘を受けました。組織全体が一致団結するためには、まず経営陣が理念を深く理解し、共有する必要があると気づき、現在は幹部勉強会を優先的に行っています。この話を他社の方にするとたいてい驚かれますが、弊社はかなりフラットな組織であり、自由に意見をいえる関係が築かれています。取締役と社員では立場が異なりますが、元をたどれば現場で一緒に働いていた同僚であり仲間です。だからこそ、そこは遠慮せず意見をいってほしいというのが私の考えです。
採用・育成は最重要課題
近年は、毎年若干名の新卒を採用することができています。もともと、「人財が何より大事」という考えがあったため、私が一人人事部を作り採用活動を行っていました。その後採用担当者を迎え、採用基盤の整備を行いました。これにより、効率的に優れた人財を採用できる体制が構築され、現在も2年先の採用に向けた地盤づくりをしています。
しかし、残念ながら、若手から中堅クラスの離職者が一定数いることは課題です。
その主な理由の一つとして、若手社員たちにキャリアプランやキャリアマップを示せていなかったことがあると考えています。
例えば、社員が「どうしたら昇進できるか」を幹部に尋ねたとしても、幹部たちがそれぞれの物差しで答えるしかできなかったため、社員が明確な目標や進むべき方向を具体的に描くことが難しかったのだろうという反省点があります。そのため、キャリアマップの可視化に向けて、現在総務のチームと迅速に進めています。社員たちのモチベーションや満足度の向上に繋げたいと考えています。
体制の構築に付随して社員研修制度の整備にも取り組んでいます。社内研修に加え、外部機関が実施する研修も用意しました。新人研修・2年目研修のほかに、3年目以降は「幹部を目指す上の心構えを学ぶ」など、将来的なキャリアアップを見据えた準備ができる環境を整えています。
今後は「社員全員で後輩を育てていく」という意識を改めて共有し、幹部層には「自分以上に優秀な部下を育成出来たら最大限に評価をする」という方針を伝えています。社員が成長することで、モチベーションや仕事への満足度が向上するだけでなく、組織力の強化にも繋がるからです。
友好的M&Aで一緒に歩みを進める
今後、隣接する異業種との「友好的M&A」を前向きに検討しています。
弊社は現在、協力会社も含めると、主力製品である「ペンケム及びペンチューブ」の製造に加え、加工や組み立て、機械装置まで幅広い対応が可能です。
しかし、一部の工程については、内製化の必要性を感じています。
例えば、チューブの接続です。弊社で配管用のチューブを仕入れてもそのままでは使用できないため、接続を専門に担う企業に依頼してジョイント(継手)をつけて接続してもらっています。ただ、少なくなりつつある市場ということもあり、依頼先が事業を撤退する可能性は否定できません。そのため、今後はチューブの接続についても自社で賄う必要があると考えています。
とはいえ、後発で新規事業として設備投資をして、ゼロから立ち上げるというのは現実的ではありません。そのため、「事業を手放したい、撤退を考えている」という企業様がいらっしゃれば、ぜひ弊社でお引き受けしたいと考えています。また、弊社と同業種の企業様や、樹脂加工などを依頼している協力会社様についても事業承継を検討しています。
「傘下に収める」のではなく「協力し合う」という姿勢で、一緒に歩みを進めていきたいと考えています。
特に、後継者不在でお困りの企業様とは積極的にM&Aを進めていきたい考えです。地域の経営資源を守り、サプライチェーンの維持に貢献することを目指します。

商社として創業、後に製造業にも参入
弊社は、総合商社である日東工機株式会社のプラスチック部門が新設独立する形で、1977年に創業しました。
高度成長期で日本が発展し続ける中、「欧米の優れた商材を日本にどんどん紹介していきたい」という思いが弊社の創業のきっかけです。当初はアメリカのペンチューブプラスチックス社の代理店事業が主要業務で、同社のふっ素樹脂チューブ「ペンチューブ」を主に取り扱っていました。
そのため、社名の由来は、ペンチューブの「ペン」と親会社である日東工機株式会社の「ニットー」を組み合わせたものです。
創業時のメンバーは3名で、東京都港区にある日東工機ビルに間借りしてスタートしました。
やがて1983年には自社生産の道を模索するため、神奈川県相模原市に研究所を設立します。自社生産を目指したのは、主要商材の供給が滞るリスク回避のためです。当時から欧米の企業はM&Aが当たり前のように行われていたため、もし取引先がライバル企業にM&Aされると、主要商材が滞るリスクが常に存在していました。また日本人の感覚からすると、製品の品質面でも不安を抱くことが多々あったようです。
これらの理由から商流において苦労が絶えなかったため、製品の安定供給を確保するために、製造業へ参入を目指すことにしました。
紆余曲折を経て自社生産のめどが立った後、ペンチューブプラスチックス社と協議を重ね、最終的には商標ごと買い取ることに成功しました。
そして、弊社が「ペンチューブ」を始めとする、高品質なふっ素樹脂チューブの製造・開発をしていくこととなりました。
一方で、商社として輸入事業も継続していたので、それ以降はメーカー兼商社というビジネスモデルで事業を展開し、現在に至ります。
モノづくりの現場から代表取締役に
私は大学を卒業後、パソコン専門の販売店に就職しました。インターネットの普及とともにパソコンが社会生活に不可欠な存在となり、販売台数が急速に増加した時代でした。
もともとは店舗で販売業務に就く予定でしたが、研修後にグループ内の別法人本部へと配属されます。そこで、組織全体の仕入れや調達、価格に関わる業務に携わり、商売の基礎を学ぶことができました。今振り返ると、経営者としての修業期間となったように思います。
その後はサービス業を経て、2005年に30歳でペンニットー株式会社に入社しました。
入社前は製造業とは全く関わりのない職種だったため、具体的なイメージが持てませんでしが、弊社の工場を初めて見学した時に、まるで研究所のような雰囲気だと感じました。製造ラインの管理など、社員が仕事に真摯に取り組む姿勢が印象的だった一方で、気さくで優しい方が多いことも強く記憶に残っています。この印象は今も変わらず、まさに弊社の社風だと思います。
また、私は文系学部出身でしたが、自転車やバイクが趣味で、機械いじりも好きでした。そんな私にとって、それまで見たこともないような産業機械を動かしながら仕事ができる環境は非常に楽しいものでした。学生時代は、自分が関数電卓を片手に仕事をすることになるとは全く想像もしていませんでしたが、とても自分に合った仕事に巡り合えたと感じています。
とにかく製造業の現場で働くのが楽しく、入社してからずっとモノづくりのことばかり考えていました。経営者になることは全く頭にありませんでしたが、主任、中間管理職という役職を経て取締役となります。
その後、社長に就任した先輩が病気で急逝するという予期せぬ出来事も重なり、代表取締役に就任しました。
ニッチな分野で独自性のある製品に強み
弊社はメーカーと商社という二つの軸を持っており、お客様のご要望に応え続けています。
一番大きな強みは、独自性のある製品です。
弊社が製造・販売する「ペンケム及びペンチューブ」は、ふっ素樹脂を原料としています。ふっ素樹脂は耐熱性や耐薬品性、絶縁性、難燃性といった機能を兼ね備えている素材です。
そのため、医療機器・航空宇宙機器・電子機器・自動車・家電などの幅広い産業分野において、電線・ハーネスの結束、絶縁保護などに使用されます。また、半導体・液晶・石英の合成などの製造装置、MA機器・計測機器・理化学機器などの配管や保護材としても利用されているのです。あまり身近なものとは感じられないかもしれませんが、実は、私たちの生活を陰で支えているものなのです。
そして中には、製品の設計段階で弊社製品が図面指定されている機器も少なくないため、これにより安定した売り上げを見込むことができます。ニッチな分野での製品製造・販売を突き詰めていったことで、他社にはない強みを持つことができたと思います。
また、商社としてアメリカや欧州などの諸外国メーカーからふっ素樹脂を主体とした製品の輸入販売を行っていることも強みです。現在、輸入販売は売上の半分以上を占めていますが、特色があり、独自の強みを持つ商材の輸入に注力しています。自社製品と併せて幅広いラインナップを揃えることで、ニッチな需要に適応しているのです。
その一方で、今後の事業拡大を考えれば新規の取引先を増やしていく必要があります。
また、これまでは国内中心で製品を提供してきましたが、近年では国内のユーザー自体が海外進出する傾向があるため、海外から弊社の製品を求める声が増えてきています。そのため、常に新しい地域に追従していくことも必要です。
企業の規模感でいうと、当然、大手メーカーとの体力勝負では勝つことはできません。体力勝負にならないジャンルを意図的に選んできたからこそ、これだけ長く事業を継続でき、厳しいコロナ禍を乗り越えることができたのだと思っています。
ただ、やはり会社の規模を考えると、一気にビジネス規模を拡大することは大きなリスクになります。リスクは最小限に抑えつつ、1歩1歩着実に拡大するように取り組んでいるところです。
PFAS規制の動きに備え準備は怠らない
これは業界的な課題になりますが、近年話題に出るようになったいわゆる有機ふっ素化合物の総称であるPFAS(Perfluoroalkyl and Polyfluoroalkyl substances)が挙げられます。
「発がん性が懸念されるPFASが全国の河川や地下水から検出された」とニュースでも大きく取り上げられていますが、実はふっ素化合物が全て危険というわけではありません。PFASはあくまで総称であり、地球上には1万種類以上のPFASがあると言われています。
そのうち、人体に悪影響があるといわれているPFOSとPFOAはすでに日本国内でも使用・製造が禁止されています。例えばふっ素樹脂コーティングされているフライパンにもそれらの物質は使われていないため、健康への影響はありません。もちろん弊社のふっ素樹脂製品も安全です。
しかし、EUではより広範囲にPFASを規制しようという動きがあり、今後の規制の方向性は依然として不透明です。 とはいえ、この問題は個々の企業が単独で解決できるものではありません。そのため情報収集を常に怠らず、情勢の変化へ迅速に対応していくとともに、リスクヘッジとして代替樹脂の可能性も模索していく必要があると考えています。
また、ふっ素樹脂の原料である蛍石は、現在主に中国産と南米産が使われています。そうして作られたふっ素樹脂の原料や製品は、アメリカと中国の貿易戦争と深くかかわっており、地政学的なリスクや国際政治関係の緊張が影響する部分もあります。
この問題についても、弊社が直接介入できるわけではありませんが、その中でベストな選択肢は何かと模索し続けることが重要です。そのためにも常に最新の情報をキャッチし、変化に対応できる体制を整えていく必要があると考えています。
経営理念の共有はまず経営陣から
弊社の経営理念は、私が代表に就任した2023年に策定しました。
弊社は半世紀近く事業を営んできましたが、それまで経営理念を明文化していませんでした。
弊社は少数精鋭の会社で、社員一人ひとりが力を発揮してきたからこそ、今の会社の姿があると私は思っています。日々の積み重ねから意識をある程度は共有できてはいましたが、理念によって組織を一つに束ねることで、これまで以上に強力な推進力を生み出してくれるのではと考えました。
策定にあたっては、神奈川県中小企業家同友会の経営指針策定部会に参加しました。そして、「モノづくり企業としての姿勢」「ビジネスを通じた社会貢献」「社員と弊社に関わる人たちへの思い」と、3つの文章にまとめました。これらの理念こそが羅針盤そのもので、会社という船がどこに向かうのかを示しています。
経営理念を社内に定着させるため、まず全社員で浸透会を開催しました。社員たちの理解は早く、小グループでのディスカッションでの意見の出し合いもよくできており、社員たちの能力の高さを改めて実感することができました。
ただその時にある社員から、「経営陣は理念を一枚岩で共有できているのか?」という指摘を受けました。組織全体が一致団結するためには、まず経営陣が理念を深く理解し、共有する必要があると気づき、現在は幹部勉強会を優先的に行っています。この話を他社の方にするとたいてい驚かれますが、弊社はかなりフラットな組織であり、自由に意見をいえる関係が築かれています。取締役と社員では立場が異なりますが、元をたどれば現場で一緒に働いていた同僚であり仲間です。だからこそ、そこは遠慮せず意見をいってほしいというのが私の考えです。
採用・育成は最重要課題
近年は、毎年若干名の新卒を採用することができています。もともと、「人財が何より大事」という考えがあったため、私が一人人事部を作り採用活動を行っていました。その後採用担当者を迎え、採用基盤の整備を行いました。これにより、効率的に優れた人財を採用できる体制が構築され、現在も2年先の採用に向けた地盤づくりをしています。
しかし、残念ながら、若手から中堅クラスの離職者が一定数いることは課題です。
その主な理由の一つとして、若手社員たちにキャリアプランやキャリアマップを示せていなかったことがあると考えています。
例えば、社員が「どうしたら昇進できるか」を幹部に尋ねたとしても、幹部たちがそれぞれの物差しで答えるしかできなかったため、社員が明確な目標や進むべき方向を具体的に描くことが難しかったのだろうという反省点があります。そのため、キャリアマップの可視化に向けて、現在総務のチームと迅速に進めています。社員たちのモチベーションや満足度の向上に繋げたいと考えています。
体制の構築に付随して社員研修制度の整備にも取り組んでいます。社内研修に加え、外部機関が実施する研修も用意しました。新人研修・2年目研修のほかに、3年目以降は「幹部を目指す上の心構えを学ぶ」など、将来的なキャリアアップを見据えた準備ができる環境を整えています。
今後は「社員全員で後輩を育てていく」という意識を改めて共有し、幹部層には「自分以上に優秀な部下を育成出来たら最大限に評価をする」という方針を伝えています。社員が成長することで、モチベーションや仕事への満足度が向上するだけでなく、組織力の強化にも繋がるからです。
友好的M&Aで一緒に歩みを進める
今後、隣接する異業種との「友好的M&A」を前向きに検討しています。
弊社は現在、協力会社も含めると、主力製品である「ペンケム及びペンチューブ」の製造に加え、加工や組み立て、機械装置まで幅広い対応が可能です。
しかし、一部の工程については、内製化の必要性を感じています。
例えば、チューブの接続です。弊社で配管用のチューブを仕入れてもそのままでは使用できないため、接続を専門に担う企業に依頼してジョイント(継手)をつけて接続してもらっています。ただ、少なくなりつつある市場ということもあり、依頼先が事業を撤退する可能性は否定できません。そのため、今後はチューブの接続についても自社で賄う必要があると考えています。
とはいえ、後発で新規事業として設備投資をして、ゼロから立ち上げるというのは現実的ではありません。そのため、「事業を手放したい、撤退を考えている」という企業様がいらっしゃれば、ぜひ弊社でお引き受けしたいと考えています。また、弊社と同業種の企業様や、樹脂加工などを依頼している協力会社様についても事業承継を検討しています。
「傘下に収める」のではなく「協力し合う」という姿勢で、一緒に歩みを進めていきたいと考えています。
特に、後継者不在でお困りの企業様とは積極的にM&Aを進めていきたい考えです。地域の経営資源を守り、サプライチェーンの維持に貢献することを目指します。

会社概要
社名 | ペンニットー株式会社 |
創立年 | 1977年 |
代表者名 | 代表取締役 長内 康一、代表取締役 櫻井 健一 |
資本金 | 6,250万円 |
URL |
https://penn-nitto.co.jp/
|
本社住所 |
〒108-0073 |
事業内容 | ふっ素樹脂チューブの製造・販売 |
事業エリア |
相模原事業所 〒252-0253 |
関連会社 |


会社沿革
1977年 | 資本金500万円でペンニットー株式会社を設立し、ペンチューブ® 製品の輸入販売を開始 |
1979年 | 資本金750万円に増資 |
1982年 | 資本金1,500万円に増資 |
1983年 | 研究所を設立 |
1984年 | 資本金を2,500万円に増資 |
1987年 | 設立10周年 |
1990年 | ペンケム® 製品の製造販売を開始 |
1995年 | 相模原工場を設立 |
1997年 | 設立20周年 |
1998年 | 資本金を3,750万円に増資 |
2004年 | 営業部門を相模原に移転 相模原工場から相模原事業所に名称変更 |
2005年 | ISO9001及びISO14001認証登録 |
2007年 | 設立30周年 |
2013年 | Cobalt製品の輸入販売を開始 |
2017年 | 設立40周年 資本金を6,250万円に増資 ISO9001:2015及びISO14001:2015へ移行 |
2018年 | 相模原市南橋本に新社屋を設立し、相模原事業所を移転 αTube BTの販売中止 3M商品の販売終了 |
ペンニットー株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
埼玉県
神奈川県
滋賀県
京都府
大阪府
兵庫県
友好的なM&Aで、協力して事業を展開していきませんか
公開日:2025/02/28
※本記事の内容および所属名称は2025年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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