京都・相楽郡
京都 ・ 相楽郡精華町
大阪 ・ 大阪市
東京 ・ 品川区
引継ぎ実績あり
ガス・水道等の
日本ニューロン株式会社
社員を家族のように大切にする「ウルトラウェット」なものづくり企業
経営理念
社是
こころよく、ここちよく!
Be Comfortable!
企業理念
基本理念
NEURONは、夢・感動を呼ぶ製品とサービスで、世界一幸せな会社を目指します。
経営理念
社員満足が顧客感動に直結する!
社員の元気が集う快適な職場環境を醸成することで、工夫力と想像力を発揮して、
お客様に”満足”を超えた”感動”を創与いたします。
行動理念
自戒三則
一 それは無礼な行動ではないですか?
二 それは愚かな行動ではないですか?
三 それは卑怯な行動ではないですか?
励行八則
一 「少年力」を発しよう!
二 「準備力」を高めよう!
三 「工夫力」を活かそう!
四 「完遂力」でやり切ろう!
五 変化に挑もう!
六 ビジョンを語ろう!
七 輪(和)を拡げよう!
八 幸せを感じよう!
代表者メッセージ
座右の銘『愛、運、縁、恩』
~人間力を高める“あい・う・え・お”を大切に~
他者への博愛と敬愛を以て、自己の幸運強運を信じ、日々出会う人々との愛縁機縁に感謝しながら、拝受した恩義恩恵に報いてゆく生き方をしたい。
とりわけ身近な親兄弟、家族をはじめ、会社を通じて出会う社員やお客様まで、あらゆる縁者恩人との関わりのなかで人間力を高めて行きたい。
経営哲学『鬼手仏心』
~“鬼の手”と“仏の心”を併せ持つ経営~
『鬼手』とは、厳しい決断や徹底的な合理化戦略で強い競争力を確保し収益力の拡大向上を目指す利益至上経営であり、『仏心』とは、お客様や社員の人心を大切にする人間主体経営です。
2つの視点はともすれば相矛盾することがありますが、どちらを優先するかといえば断然『鬼手』です。会社の永続的繁栄を使命として利益を確保できない経営者に『仏心』を使う資格はありません。
しかし企業活動の究極の目的は明らかに『仏心』即ち、人を主んじる経営です。この両極の調和を目指す経営に徹して、お客様や社員の人間本来の幸せを実現してゆくことがわたくしの経営哲学です。
流儀:公平に、とにかく公平に!
社員を公平に評価するからこそ、対価に差が生じます。
また、ミスをした人を見過ごさないことより、頑張った人を見逃さないことのほうが大切です。
流派:「宣言実行派」です
“有言実行派”ほどカッコよくはないですが、
『宣言してしまった・・・』と、追い込んで、実行します。
主義:性“弱”説をとります
人間は元来、”善””悪”ではなく弱いもの、そのうえでチカラを引き出すことをこころがけます。
最近では性“適”説も重んじています。
人には元来、MISSIONに対して向き不向きがある、ということです。
代表取締役 岩本 泰一
私たちのこだわり
大阪の小さな町工場として事業を開始
弊社のルーツは、1973年に私の父が大阪府門真市で創業した岩本鉄工所です。父はもともと母方の親戚が営む会社で働いていたのですが、親戚が急逝し、後継ぎがいないなどの事情から親族の会社はたたむことになりました。しかし「事業を引き継いでほしい」というお客様からの要望もあり、新たな会社をゼロから立ち上げたという形になります。
新会社は父と母も含め5人でスタートした小さな町工場で、当時中学生だった私は会社を興したというよりは「家族経営の自営業を始めた」と捉えていましたし、実態もその通りだったと思います。
当時から変わらず作り続けている製品には、管やバルブを接続するための伸縮性の継手「ベローズ」があります。bellowsとは英語で蛇腹という意味で、蛇腹状の金属管になります。地震の振動や熱膨張による伸縮を吸収することを目的とした製品です。創業からしばらくは完全下請けとして「ベローズ」を完成品メーカーに部品を納めていました。
社会人生活で得た技術と学びを家業の工場に活かすことを決意
私は大阪で生まれ育ち、工場で働く両親を見ながら地元大阪の学校に通っていたものの、後を継ぐことはあまり考えていませんでした。大学も工学部ではなく関西学院大学の経済学部に進みました。私から見た父はあくまでベローズを成形する職人であり、経営者という雰囲気ではなかったため、私の中で「会社を継ぐ」という言葉が持つイメージと実態がうまく結びつかなかったからかもしれません。
大学卒業後は株式会社山善に就職しました。今ではホームセンターやECサイトなどでの家電製品販売が有名な山善ですが、30年前は工作機械や産業用機器の専門商社としてのイメージが強い企業でした。私はそこで当時最先端だった機械部のCAD/CAMシステムグループに配属され、営業をサポートするセールスエンジニアとして勤務しました。
全国各地にある自社の営業所から呼ばれ、CAD用のパソコンを使って顧客に製品の技術的な部分を説明するのが主な業務内容で、5年間で1000か所近い工場を回ったと思います。そして数多くの工場を回る中で、収益率が高い工場は例外なく整理整頓が行き届いていることに気付きました。当時はまだ作業効率化・生産性向上を実現できる「5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」という言葉もなかったような時代でしたが、営業先が繁盛しているかどうかを見分ける指標にもなり、のちに自社の経営を根本から改善していくきっかけにもなりました。
先輩社員からの愛情ある指導が、チームを意識するきっかけに
前職では、セールスエンジニアとしていい成績を収めていたため、会社の売上に貢献しているという自負がありました。そして働くうちに「自分は最先端のCAD/CAMシステムを使いこなせているんだ」というおごりが出てしまったのか、上司に「もっと有能な人たちとチームを組めたらもっと結果を出せます」と言ってしまったことがあります。すると上司からは「手のひらで物をつかむことを考えろ」「親指だけではものはつかまれへん」「太さも長さも違うそれぞれの指があってこそしっかりとものをつかめるんや、覚えとけ!」と愛情を込めつつ、厳しく叱られました。
「チームにはそれぞれの役割がある。花形の目立つ立場の人間が活躍できるのは、陰でサポートしてくれるメンバーがいるからだ」という上司のこの叱咤は、思わず涙がこぼれるほど心に刺さりました。
チームや会社のあり方を意識するようになってからは、ほとんど休まず働き続けている先代や家業へのとらえ方も変わりました。山善での社会人生活は充実していましたが、自分でも気付かないうちに「実家をどうにかしてあげたい」「家業を継ごう」という気持ちが少しずつ積み重なっていたのかもしれません。入社5年目には実家の会社に戻ることを決意していました。結果的にはこの5年間の社会人生活が、その後の弊社の経営において大きく活かされることになりました。
CAD/CAMシステムを習熟できたこと、良い会社のあり方を自分の目で見て確認できたこと、そして上司からの愛情ある指導によって組織運営において大事なことを学ばせてもらいました。今の私があるのは、山善さんで働くことができたからだととても感謝しています。今では山善出身の先輩方が創業した会社とも大きな取引を行っており、これもご縁だと思っています。
1つ目の大きな転機は優れた金属成形機の開発
私が弊社に入社したのは1989年で、現在専務取締役を務める弟と同時に入社しました。入社時点では、社員数も事業規模も創業時とほぼ変わらない、下請けの小さな町工場のままでした。忙し過ぎて人手を増やせないため売上は頭打ちで、工場内も整理整頓とはほど遠い状況でした。私たちはまず、工場内の片づけを手始めに「下請けからの脱却」を目指して、工場の改革に取り組み始めました。
当時、弊社には父の右腕ともいうべき優秀なベテラン設計技術者がいたのですが、製品の設計はドラフターという製図台を使った手書き作業で行っていました。工場の設備も手作りのロール成形機が1台あるだけで、その成形機を手動で回しながら製品を作っていました。しかし下請けから脱却して大手の重電・重工企業と取引をするためには「液圧成形機」という、より高度な成形機が必要になります。
そこで、まず私は設計にCADを導入しました。これにより作業効率が大きく改善しました。そしてベテラン技術者の方と2人で協力して、試行錯誤しつつなんとか液圧成形機を開発することに成功しました。もし私に前職で学んだCAD/CAMの知識がなかったら、液圧成形機の開発はできなかったかもしれないと思っています。他にも、私はリードタイム(作業日数)を短縮できるロール成形機の設計・開発も行い、社内システムの刷新を進めていきました。
前職で私が得た知見を最大限活かし、少しずつ工場の職場環境が改善され、長期的なビジョンとして掲げていた「下請けからの脱却」を達成したのは2000年のことです。私と弟が入社してからは約10年が経っていました。ようやく自社ブランドを持つメーカーになれたことを機に、社名を日本伸縮管株式会社に変更、「ニューロン」をブランドロゴとし、私が代表に就任して新たなスタートを切ることになりました。
現在の弊社の液圧成形機とロール成形機は、私と弊社の若手技術者が設計開発した最新のものです。その若手技術者には、弊社の50年の歴史で初となる社長賞を授与しました。新たに開発した成形機は、成形能力が非常に優れており、そのおかげで弊社独自の製品や、コスト面で競合他社に差をつけられる製品がとても多くなりました。
弊社の自社設計の液圧成形機やロール成形機は市販されていません。製品には、成形機の性能や独自性がダイレクトに反映されるため、競合他社との差別化や競争力の源になります。
2つの転機となった「けいはんな学研都市」への移転
弊社は2007年に京都府からの誘致を受け「関西文化学術研究都市(愛称:けいはんな学研都市)」の一角である京都府精華町に本社及び工場を移転しました。「けいはんな学研都市」は、わかりやすくいえば関西版の「つくば研究学園都市」で、産官学の密接な連携のもと、知の創造都市として新たな価値を生み出す拠点として期待される国家プロジェクトの大型研究都市圏です。
この「けいはんな学研都市」に拠点を構える企業であることは、自社のブランディングにおいてとても大きな価値を生み出しています。京都大学、同志社大学、大阪大学など名だたる大学が比較的近くにあり、それらの大学との共同研究も活発に行うことができるからです。大学との共同研究は弊社の製品開発に活かされ、シナジーによりもたらされる高い技術力によって弊社は50人規模の会社としてはかなりハイレベルな収益力を保持しています。
2022年には「けいはんなサウスラボ 管路防災研究所」を設立しました。同研究所は、インフラを支える水道管路システムの防災・耐震技術に特化した研究施設です。耐震性に優れた伸縮可撓(かとう)防災継手をはじめとする管路製品の研究開発や、品質評価が同研究所の主な役割です。国土強靭化に資する研究拠点として、多方面から大きな期待が寄せられています。
何よりもまず社員満足を重視する企業理念
弊社の企業理念は、先代である父の思いも引き継ぎつつ、2000年の社長就任から醸成してきた私の考えを明文化し、2007年の京都移転時に掲げました。社是の「こころよく、ここちよく! Be Comfortable!」はお客様に対してだけではなく、社員同士でも気持ちよく接していこうということです。
そして基本理念・経営理念・行動理念はセットで考えています。基本理念の「世界一幸せな会社」を目指すためには、それぞれ違う価値観を持つ社員を幅広く満足させられるような職場環境を整える必要があります。経営理念の「社員満足が顧客感動に直結する」は、お客様を感動させるためには製品やサービスだけではなく「おもてなし力」を発揮してもらう必要があり、そのためには社員満足を会社が整えなければならないという考えです。
行動理念は造語を多く交えていますが、基本的には「ずるいことをしない」「変化を恐れない」「人との縁を大事にする」という考えに沿ったものです。
社員には、これらの理念が書かれたカードを携帯してもらい、いつでも見られるようにしています。また企業理念は1月の新年の集いと6月の期初に全社員で唱和していますが、朝礼では品質方針の「Speed and Safety」を、毎月の月初朝礼では今期の全社品質目標を唱和しています。
なお全社品質目標は、社員にアイデアを募集して集められた語句を繋いだものです。毎年募集しているのですが、50周年にあたる今年(2023年)はほぼ全社員から応募があり、「50年 利器と匠と想いを繋ぎ 仲間とともに『新たなAREA』に挑(ふ)み込もう!」という文言に決まりました。毎年の目標を社員に考えてもらっているのは、トップダウンを避け、社員にも主体性をもって考えたり動いたりしてもらいたいからです。
もちろん、いくら美辞麗句を並べたところで給料が高くなければ説得力がありません。弊社では、会社として設定した利益目標を達成した場合には、超えた分の利益を「社員への決算賞与」「地域への納税」「事業永続化のための内部留保」で3等分するという明確なルールを定めています。具体的には、18%という数値目標を営業利益のみで達成したらS目標、EBITDA(営業利益プラス減価償却費)の場合はA評価、EBITDAプラス販管費(広告費等)ならB目標として、そのうちSまたはA目標を達成したときには、超えた利益の3分の1が決算賞与の資金になります。
「ウルトラウェット」な社風で「世界一幸せな会社」を目指す
弊社は家族のような近い距離感で社員の世話を焼く「ウルトラウェット」をモットーとしております。例えば弊社の組織は大きく分けると総務・営業・技術・品証・製造の5部門に分かれており、新入社員教育も最初は配属された各部門に任されます。しかし困っている後輩を見かけると放っておけない社員が多いようで、部門関係なく集まり、教えているところをよく見かけます。
人によっては暑苦しささえ感じる社風なので、考えが合わず離れていった社員も残念ながらいました。しかしこの「ウルトラウェット」な近い距離感を好きになってもらえる人であれば幸せに働いてもらえると思いますし、賛同してくれる社員たちのおかげで組織として成熟できたと思っています。中には80歳を超えても現役で働く「スーパーシルバー」社員もいて、幅広い年齢層の中で「日本ニューロンらしさ」が育まれています。
人の縁がつないだ事業承継で雇用を守りつつ事業拡大
2011年には株式会社タスコの事業を承継しました。タスコが取り扱っていた製品は「ダンパ」という流量調整のバルブです。ダンパは、弊社の「ベローズ」に隣接する部品であり、同じ大手メーカーに納品することも多く、周辺事業者としての横の繋がりもありました。タスコでは、社長が引退を決意したものの後継者がおらず、どうなることかと気を揉んでいたところ、ある日突然「岩本社長が引き取ってくれないか」と私に話を持ちかけてきました。
条件はただ1つ、社員の雇用は守ってほしいということだけでした。タスコは、広島に本社がある社員数名のファブレス(自社で工場を持たない)企業であり、約束であった社員の雇用だけではなく、協力関係にあった広島県と山口県の5~6工場との関係も維持した状態で事業を引き継ぎました。引き継いだダンパ事業は今も充分な収益を上げています。
今後弊社が事業承継やM&Aを行う場合の相手先は、弊社との事業領域が近い金属系のものづくり企業が中心になると考えています。全く業態や分野が異なるような企業については、現時点ではあまり考えていません。また、できればリモートよりはお互いにすぐ飛んでいけるような、1時間以内で行き来できる近場の企業が望ましいと思っています。
経営指針の統合に関しては必須条件とは考えていません。タスコの事業承継のように、お互いに大きな負担もなく、足りないところを補い合いながら助け合い、幸せな人間が増えるような形を実現できればと思います。
後継者候補についての考えを毎年社員全員に伝えるオープンな姿勢
幸いなことに、近年の弊社は事業が好調で、将来的には現在の50人体制から100人、200人と人数が増えていく可能性があります。しかし社員数が増えたときに、果たして現在の経営姿勢のままでいられるか、パラダイムを大きく変える必要があるか、変化を促す必要がある場合には経営者のバトンタッチも視野に入れる必要があるのかなどの課題を抱えています。人や制度についての悩みは尽きませんが、好調がゆえの課題と捉えつつ、様々な可能性を探っていきたいと思っています。
近い将来の動向としては、先行投資をした新規事業を軌道に乗せたあと、会社を後継者に任せられるようにしたいと考えています。今後はこれまで以上に社内に向けて後継者候補について発信していかなければと思っています。後継者については、10年前の2013年から毎年、新年度の集会で社員たちに向けて4つの可能性があるという話をしています。後継者の候補は「私の子どもたちのうちの誰か」「弟である専務の子どもたちの誰か」「社員のうちの誰か」「私も知らない誰か、つまりM&A」です。それぞれの可能性は各年の会社の収益や動向とともに変わり続けてきましたが、選択肢が4つだということは基本的に変わっていません。
社員に向けて毎年後継者について公言していると聞くと大抵の人は驚きますが、自分が今考えていることを社員にもできるだけ説明しておきたいというのが私の考えです。弊社の社員は、万人向けとは言い難い弊社の社風を受け入れてくれただけあり、肩書や口先だけでは動いてくれません。納得できない経営者がやってきたところで、今のようなパフォーマンスは発揮してくれない恐れがあります。だからこそ、気持ちよく働いてもらうためにも、可能な限り説明し続けていきたいと思っています。
大阪の小さな町工場として事業を開始
弊社のルーツは、1973年に私の父が大阪府門真市で創業した岩本鉄工所です。父はもともと母方の親戚が営む会社で働いていたのですが、親戚が急逝し、後継ぎがいないなどの事情から親族の会社はたたむことになりました。しかし「事業を引き継いでほしい」というお客様からの要望もあり、新たな会社をゼロから立ち上げたという形になります。
新会社は父と母も含め5人でスタートした小さな町工場で、当時中学生だった私は会社を興したというよりは「家族経営の自営業を始めた」と捉えていましたし、実態もその通りだったと思います。
当時から変わらず作り続けている製品には、管やバルブを接続するための伸縮性の継手「ベローズ」があります。bellowsとは英語で蛇腹という意味で、蛇腹状の金属管になります。地震の振動や熱膨張による伸縮を吸収することを目的とした製品です。創業からしばらくは完全下請けとして「ベローズ」を完成品メーカーに部品を納めていました。
社会人生活で得た技術と学びを家業の工場に活かすことを決意
私は大阪で生まれ育ち、工場で働く両親を見ながら地元大阪の学校に通っていたものの、後を継ぐことはあまり考えていませんでした。大学も工学部ではなく関西学院大学の経済学部に進みました。私から見た父はあくまでベローズを成形する職人であり、経営者という雰囲気ではなかったため、私の中で「会社を継ぐ」という言葉が持つイメージと実態がうまく結びつかなかったからかもしれません。
大学卒業後は株式会社山善に就職しました。今ではホームセンターやECサイトなどでの家電製品販売が有名な山善ですが、30年前は工作機械や産業用機器の専門商社としてのイメージが強い企業でした。私はそこで当時最先端だった機械部のCAD/CAMシステムグループに配属され、営業をサポートするセールスエンジニアとして勤務しました。
全国各地にある自社の営業所から呼ばれ、CAD用のパソコンを使って顧客に製品の技術的な部分を説明するのが主な業務内容で、5年間で1000か所近い工場を回ったと思います。そして数多くの工場を回る中で、収益率が高い工場は例外なく整理整頓が行き届いていることに気付きました。当時はまだ作業効率化・生産性向上を実現できる「5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」という言葉もなかったような時代でしたが、営業先が繁盛しているかどうかを見分ける指標にもなり、のちに自社の経営を根本から改善していくきっかけにもなりました。
先輩社員からの愛情ある指導が、チームを意識するきっかけに
前職では、セールスエンジニアとしていい成績を収めていたため、会社の売上に貢献しているという自負がありました。そして働くうちに「自分は最先端のCAD/CAMシステムを使いこなせているんだ」というおごりが出てしまったのか、上司に「もっと有能な人たちとチームを組めたらもっと結果を出せます」と言ってしまったことがあります。すると上司からは「手のひらで物をつかむことを考えろ」「親指だけではものはつかまれへん」「太さも長さも違うそれぞれの指があってこそしっかりとものをつかめるんや、覚えとけ!」と愛情を込めつつ、厳しく叱られました。
「チームにはそれぞれの役割がある。花形の目立つ立場の人間が活躍できるのは、陰でサポートしてくれるメンバーがいるからだ」という上司のこの叱咤は、思わず涙がこぼれるほど心に刺さりました。
チームや会社のあり方を意識するようになってからは、ほとんど休まず働き続けている先代や家業へのとらえ方も変わりました。山善での社会人生活は充実していましたが、自分でも気付かないうちに「実家をどうにかしてあげたい」「家業を継ごう」という気持ちが少しずつ積み重なっていたのかもしれません。入社5年目には実家の会社に戻ることを決意していました。結果的にはこの5年間の社会人生活が、その後の弊社の経営において大きく活かされることになりました。
CAD/CAMシステムを習熟できたこと、良い会社のあり方を自分の目で見て確認できたこと、そして上司からの愛情ある指導によって組織運営において大事なことを学ばせてもらいました。今の私があるのは、山善さんで働くことができたからだととても感謝しています。今では山善出身の先輩方が創業した会社とも大きな取引を行っており、これもご縁だと思っています。
1つ目の大きな転機は優れた金属成形機の開発
私が弊社に入社したのは1989年で、現在専務取締役を務める弟と同時に入社しました。入社時点では、社員数も事業規模も創業時とほぼ変わらない、下請けの小さな町工場のままでした。忙し過ぎて人手を増やせないため売上は頭打ちで、工場内も整理整頓とはほど遠い状況でした。私たちはまず、工場内の片づけを手始めに「下請けからの脱却」を目指して、工場の改革に取り組み始めました。
当時、弊社には父の右腕ともいうべき優秀なベテラン設計技術者がいたのですが、製品の設計はドラフターという製図台を使った手書き作業で行っていました。工場の設備も手作りのロール成形機が1台あるだけで、その成形機を手動で回しながら製品を作っていました。しかし下請けから脱却して大手の重電・重工企業と取引をするためには「液圧成形機」という、より高度な成形機が必要になります。
そこで、まず私は設計にCADを導入しました。これにより作業効率が大きく改善しました。そしてベテラン技術者の方と2人で協力して、試行錯誤しつつなんとか液圧成形機を開発することに成功しました。もし私に前職で学んだCAD/CAMの知識がなかったら、液圧成形機の開発はできなかったかもしれないと思っています。他にも、私はリードタイム(作業日数)を短縮できるロール成形機の設計・開発も行い、社内システムの刷新を進めていきました。
前職で私が得た知見を最大限活かし、少しずつ工場の職場環境が改善され、長期的なビジョンとして掲げていた「下請けからの脱却」を達成したのは2000年のことです。私と弟が入社してからは約10年が経っていました。ようやく自社ブランドを持つメーカーになれたことを機に、社名を日本伸縮管株式会社に変更、「ニューロン」をブランドロゴとし、私が代表に就任して新たなスタートを切ることになりました。
現在の弊社の液圧成形機とロール成形機は、私と弊社の若手技術者が設計開発した最新のものです。その若手技術者には、弊社の50年の歴史で初となる社長賞を授与しました。新たに開発した成形機は、成形能力が非常に優れており、そのおかげで弊社独自の製品や、コスト面で競合他社に差をつけられる製品がとても多くなりました。
弊社の自社設計の液圧成形機やロール成形機は市販されていません。製品には、成形機の性能や独自性がダイレクトに反映されるため、競合他社との差別化や競争力の源になります。
2つの転機となった「けいはんな学研都市」への移転
弊社は2007年に京都府からの誘致を受け「関西文化学術研究都市(愛称:けいはんな学研都市)」の一角である京都府精華町に本社及び工場を移転しました。「けいはんな学研都市」は、わかりやすくいえば関西版の「つくば研究学園都市」で、産官学の密接な連携のもと、知の創造都市として新たな価値を生み出す拠点として期待される国家プロジェクトの大型研究都市圏です。
この「けいはんな学研都市」に拠点を構える企業であることは、自社のブランディングにおいてとても大きな価値を生み出しています。京都大学、同志社大学、大阪大学など名だたる大学が比較的近くにあり、それらの大学との共同研究も活発に行うことができるからです。大学との共同研究は弊社の製品開発に活かされ、シナジーによりもたらされる高い技術力によって弊社は50人規模の会社としてはかなりハイレベルな収益力を保持しています。
2022年には「けいはんなサウスラボ 管路防災研究所」を設立しました。同研究所は、インフラを支える水道管路システムの防災・耐震技術に特化した研究施設です。耐震性に優れた伸縮可撓(かとう)防災継手をはじめとする管路製品の研究開発や、品質評価が同研究所の主な役割です。国土強靭化に資する研究拠点として、多方面から大きな期待が寄せられています。
何よりもまず社員満足を重視する企業理念
弊社の企業理念は、先代である父の思いも引き継ぎつつ、2000年の社長就任から醸成してきた私の考えを明文化し、2007年の京都移転時に掲げました。社是の「こころよく、ここちよく! Be Comfortable!」はお客様に対してだけではなく、社員同士でも気持ちよく接していこうということです。
そして基本理念・経営理念・行動理念はセットで考えています。基本理念の「世界一幸せな会社」を目指すためには、それぞれ違う価値観を持つ社員を幅広く満足させられるような職場環境を整える必要があります。経営理念の「社員満足が顧客感動に直結する」は、お客様を感動させるためには製品やサービスだけではなく「おもてなし力」を発揮してもらう必要があり、そのためには社員満足を会社が整えなければならないという考えです。
行動理念は造語を多く交えていますが、基本的には「ずるいことをしない」「変化を恐れない」「人との縁を大事にする」という考えに沿ったものです。
社員には、これらの理念が書かれたカードを携帯してもらい、いつでも見られるようにしています。また企業理念は1月の新年の集いと6月の期初に全社員で唱和していますが、朝礼では品質方針の「Speed and Safety」を、毎月の月初朝礼では今期の全社品質目標を唱和しています。
なお全社品質目標は、社員にアイデアを募集して集められた語句を繋いだものです。毎年募集しているのですが、50周年にあたる今年(2023年)はほぼ全社員から応募があり、「50年 利器と匠と想いを繋ぎ 仲間とともに『新たなAREA』に挑(ふ)み込もう!」という文言に決まりました。毎年の目標を社員に考えてもらっているのは、トップダウンを避け、社員にも主体性をもって考えたり動いたりしてもらいたいからです。
もちろん、いくら美辞麗句を並べたところで給料が高くなければ説得力がありません。弊社では、会社として設定した利益目標を達成した場合には、超えた分の利益を「社員への決算賞与」「地域への納税」「事業永続化のための内部留保」で3等分するという明確なルールを定めています。具体的には、18%という数値目標を営業利益のみで達成したらS目標、EBITDA(営業利益プラス減価償却費)の場合はA評価、EBITDAプラス販管費(広告費等)ならB目標として、そのうちSまたはA目標を達成したときには、超えた利益の3分の1が決算賞与の資金になります。
「ウルトラウェット」な社風で「世界一幸せな会社」を目指す
弊社は家族のような近い距離感で社員の世話を焼く「ウルトラウェット」をモットーとしております。例えば弊社の組織は大きく分けると総務・営業・技術・品証・製造の5部門に分かれており、新入社員教育も最初は配属された各部門に任されます。しかし困っている後輩を見かけると放っておけない社員が多いようで、部門関係なく集まり、教えているところをよく見かけます。
人によっては暑苦しささえ感じる社風なので、考えが合わず離れていった社員も残念ながらいました。しかしこの「ウルトラウェット」な近い距離感を好きになってもらえる人であれば幸せに働いてもらえると思いますし、賛同してくれる社員たちのおかげで組織として成熟できたと思っています。中には80歳を超えても現役で働く「スーパーシルバー」社員もいて、幅広い年齢層の中で「日本ニューロンらしさ」が育まれています。
人の縁がつないだ事業承継で雇用を守りつつ事業拡大
2011年には株式会社タスコの事業を承継しました。タスコが取り扱っていた製品は「ダンパ」という流量調整のバルブです。ダンパは、弊社の「ベローズ」に隣接する部品であり、同じ大手メーカーに納品することも多く、周辺事業者としての横の繋がりもありました。タスコでは、社長が引退を決意したものの後継者がおらず、どうなることかと気を揉んでいたところ、ある日突然「岩本社長が引き取ってくれないか」と私に話を持ちかけてきました。
条件はただ1つ、社員の雇用は守ってほしいということだけでした。タスコは、広島に本社がある社員数名のファブレス(自社で工場を持たない)企業であり、約束であった社員の雇用だけではなく、協力関係にあった広島県と山口県の5~6工場との関係も維持した状態で事業を引き継ぎました。引き継いだダンパ事業は今も充分な収益を上げています。
今後弊社が事業承継やM&Aを行う場合の相手先は、弊社との事業領域が近い金属系のものづくり企業が中心になると考えています。全く業態や分野が異なるような企業については、現時点ではあまり考えていません。また、できればリモートよりはお互いにすぐ飛んでいけるような、1時間以内で行き来できる近場の企業が望ましいと思っています。
経営指針の統合に関しては必須条件とは考えていません。タスコの事業承継のように、お互いに大きな負担もなく、足りないところを補い合いながら助け合い、幸せな人間が増えるような形を実現できればと思います。
後継者候補についての考えを毎年社員全員に伝えるオープンな姿勢
幸いなことに、近年の弊社は事業が好調で、将来的には現在の50人体制から100人、200人と人数が増えていく可能性があります。しかし社員数が増えたときに、果たして現在の経営姿勢のままでいられるか、パラダイムを大きく変える必要があるか、変化を促す必要がある場合には経営者のバトンタッチも視野に入れる必要があるのかなどの課題を抱えています。人や制度についての悩みは尽きませんが、好調がゆえの課題と捉えつつ、様々な可能性を探っていきたいと思っています。
近い将来の動向としては、先行投資をした新規事業を軌道に乗せたあと、会社を後継者に任せられるようにしたいと考えています。今後はこれまで以上に社内に向けて後継者候補について発信していかなければと思っています。後継者については、10年前の2013年から毎年、新年度の集会で社員たちに向けて4つの可能性があるという話をしています。後継者の候補は「私の子どもたちのうちの誰か」「弟である専務の子どもたちの誰か」「社員のうちの誰か」「私も知らない誰か、つまりM&A」です。それぞれの可能性は各年の会社の収益や動向とともに変わり続けてきましたが、選択肢が4つだということは基本的に変わっていません。
社員に向けて毎年後継者について公言していると聞くと大抵の人は驚きますが、自分が今考えていることを社員にもできるだけ説明しておきたいというのが私の考えです。弊社の社員は、万人向けとは言い難い弊社の社風を受け入れてくれただけあり、肩書や口先だけでは動いてくれません。納得できない経営者がやってきたところで、今のようなパフォーマンスは発揮してくれない恐れがあります。だからこそ、気持ちよく働いてもらうためにも、可能な限り説明し続けていきたいと思っています。
会社概要
社名 | 日本ニューロン株式会社 |
創立年 | 1973年 |
代表者名 | 代表取締役 岩本 泰一 |
資本金 | 3,000万円 |
URL |
https://www.neuron.ne.jp/
|
本社住所 |
〒619-0237 |
事業内容 | コア技術 製管・成形・溶接などのクラフトマンシップ 設計・解析・検査・測定などのエンジニアリング 製品 伸縮管継手 <金属><非金属> ベローズ <熱交換器用><超高真空用> 特殊径長尺パイプ <超薄肉><超厚肉> フレキシブルチューブ ダンパ(大口径バルブ) 液圧バルジ成形品、特殊圧力容器 サービス 構造設計 <2次元><3次元> 構造分析、応力解析 <有限要素法> 材料検査、成分分析 <非破壊> 疲労試験 <変位、振動、複合> 耐圧及び真空試験 3次元測定 <大型・広範囲> 用途・環境カテゴリー 高温高圧、超高真空、疲労、腐食、摩耗 プラントの熱膨張、振動、地震沈下吸収 |
事業エリア |
本社・工場 〒619-0237 |
けいはんなサウスラボ「管路防災研究所」 〒619-0237 |
|
東京オフィス 〒141-0022 |
|
大阪オフィス 〒530-0028 |
会社沿革
1973年 | 大阪府門真市下馬伏44-10に岩本鉄工所を創立 |
1983年 | 岩本鉄工株式会社として法人化 |
1996年 | 業務拡張のため本社及び工場を大阪府四條畷市に移転 |
2000年 | 日本伸縮管株式会社に改称し、“NEURON”「ニューロン」を商標登録 代表取締役に岩本 泰一が就任 |
2001年 | 東京オフィス(東京都品川区)を開設 四条畷第2工場を設立し、より一層の製造能力拡充をはかる |
2004年 | 製造能力増強のため、大東市御領に本社及び本社工場を拡張移転 |
2006年 | 同志社大学理工学部との共同研究開始 |
2007年 | 京都府の誘致を受け、研究開発の充実と更なる業務拡充を図るため関西文化学術研究都市に本社及び本社工場を移転。 京都府精華町に“ニューロン・ラボ”A棟・B棟建設 |
2008年 | 私募債9,900万円発行 |
2009年 | 経済産業省「雇用創出企業1400社」に選出 |
2011年 | 株式会社タスコを事業継承、ダンパの設計、製作を開始 大阪大学接合科学研究所との共同研究開始 新工場“ニューロン・ラボ”C棟 建設 京都府より「中小企業優良企業」として表彰 |
2012年 | 日立エンジニアリング・アンド・サービスより感謝状を拝受 日本ニューロン株式会社に改称し、研究開発型企業として新たなチャレンジを続ける。 |
2022年 | 新施設 けいはんなサウスラボ「管路防災研究所」 竣工 |
2023年 | 大阪オフィス(大阪市北区)を開設 株式会社大気社 2022年度「グリーン調達優良企業」表彰 |
日本ニューロン株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
東京都
京都府
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事業引継ぎ
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京都府
大阪府
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金属製品製造業や周辺事業者様との協業、M&Aを検討しています
公開日:2023/12/04
※本記事の内容および所属名称は2023年12月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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