京都・京都市下京区
京都 ・ 京都市
引継ぎ実績あり
柔軟な対応で
株式会社共盛輸送
企業の共盛と人の共生を目指しドライバーの意欲を高める『三方善』の運送
経営理念
社是
一 お客様第一主義
常にお客様の立場に立って物事を考える
二 三方善を考える
社会、会社、自分すべてがよくなるように考え行動する
三 何事にも、チャレンジ精神を持つ
いやなことや大変なことも前向きに考える
四 いつも明るく元気で態度よく
いつどこでも愛想よくする。誰が見ているかわかりません
五 常に創意工夫をする
いつも色々な角度から物事を考え、最大限努力する
経営理念
従業員の安定・安心を追求すると共に、事業活動を通じて社会に役立つ立派な人間に育ち、社会に意義のある企業にし、永続的発展を目指すこと。
経営理念の解説
従業員とその家族が安心と安定が出来る様な会社経営をし、事業活動を通じ人として社会の中で立派に生きられ、その姿を子供などが見て立派に育ってほしいという願いを込めている。 この世の中で存在価値のある会社になり、物流を通じて社会に役立ち、それを永く続くように努力すること。
代表者メッセージ
弊社は1964年に先代がトラック1台で創業し、京都府内のお客様に支えられ、成長を続けてまいりました。
運送業界を取り巻く情勢は厳しさを増していますが、取引先だけではなく、同業者や社員との信頼関係を大切にすることが、会社の未来を切り開くきっかけになると信じ、日々業務に取り組んでいます。
今後も、京都の地域の共生・共盛のために、事業の拡充と発展を目指していきます。
代表取締役社長 深萱 一嘉
私たちのこだわり
サラリーマンから転職した父がトラック1台で操業
弊社は、1964年に父が創業しました。創業時の父は、20代半ばで会社員から転職し、トラック1台で事業を開始しました。運送業を選んだのは、母方の祖父が京都中央卸売市場に関わる魚屋の仕事をしており、その関係で市場絡みの運送業務に携わることができる見通しが立っていたからだと聞いています。
その後は高度経済成長の中で順調に事業を伸ばし、法人化した1998年には保有トラック数が10台を超え、今では30台を超える車両を保有する運送会社に成長しました。現在は創業のきっかけとなった京都中央卸売市場の生鮮食品だけではなく、一般貨物も含めた幅広い商品の運送業務に携わっています。
会社員、庭師を経て共盛輸送に入社
私は、トラックの運転手として働く父を見ながら幼少期を過ごしました。寒い冬にトラックのエンジンがかからなくなったときには、早朝から起こされて、パジャマ姿で母と一緒に押しがけを手伝ったことを今も覚えています。また、当時は仕事用のトラックが自家用車を兼ねていて、父の出退勤も、家族で買い物に行くときもトラックでした。
家族経営ならではのいい思い出もあり、私自身も車が好きでトラックを運転してみたいと思っていたことから、小学校の頃の将来の夢には、運送屋の社長かエリートサラリーマンと書いていました。
しかし家業は決して安定しているとはいえない状態であり、父は私に苦労をさせたくないと思っていたようでした。進路選択の頃にも父から承継についての話はなく、高校を卒業した私は一般企業に就職することにしました。
電機関連の会社員として働いたのち、私は庭師を営む親戚の会社に転職しました。親戚の会社は、着物展示会やイベントなどで庭を造る仕事を主としており、私は職人として8年ほど働きました。
私が職人を退職したちょうどその頃、父が共盛輸送を法人化し、就職先を探していた私に「家業を手伝わないか」と声をかけてきました。法人化をしたものの、人手不足や経営の難しさもあり、会社として大変だったようでした。父が困っているならば助けたいと思い、1998年に共盛輸送へ入社しました。
社内の信頼を得る努力と苦労を積み重ね、社長に就任
これまで「運送業はやめておけ」と言い続けてきた父が、私の入社を受け入れたのは、創業から34年が経ち、業績は不安定ながらも、運送業の地盤や取引先との信頼関係が築かれていたからだと思います。私は後継者として入社をしましたが、下積みもせずに会社を承継するわけにはいかないと考え、経験値を積むためにドライバーとして働き始めました。
まずは、現場のことを把握できるようになることで、父と共に働いてきた目上の社員たちに認めてもらいたいと必死に働きました。トラックに年中乗り続ける生活はとても過酷でしたが休まず働き、当時の私の休暇は社内の誰よりも少なかったと思います。さらに他の社員が嫌がる仕事を率先して引き受けたり、自ら営業をして仕事を取ってきたりと、とにかく社内で信頼を得る努力を積み重ねていきました。やがて運送料金の値段決めやトラックの購入といった重要な業務も受け持つようになり、常務の役職に就いた頃には、70歳を超えた父から承継の打診を受けました。私自身も会社の主力として貢献できているという自負があったので、2010年に社長交代を引き受けることを決意しました。
ところが、私が社長に就任する直前には、父の右腕だった経理担当者が退職してしまいました。突然のことで後任もいなかったため、私が経理を担当することになりました。しかし、当初は経理についての知識は何もなく、小切手の切り方も知らなかったため、銀行に行って請求書を並べながら書き方を教えてもらったこともありました。不慣れな経理の仕事に苦労しつつ、社長として働き営業に行き、現場の仕事もこなす休みなしの生活がしばらく続き、社長に就任してからしばらくは本当に大変でした。ただ、今思い返してみると、あの大変な日々の中で鍛えられた面もあったと思っています。
『隙間産業』と車両別の目標設定により売上の底上げを図る
弊社のドライバーの1日の拘束時間は12時間弱です。所定労働時間と休憩時間、所定外労働も含めた12時間の中で、どれだけトラックの待機時間を減らし、稼働時間をつくるかによって、会社の売り上げは大きく変わります。例えば、朝6時に出て10時に終わる仕事があり、次の仕事が12時からの場合は、2時間の空き時間ができます。この2時間に少し軽めの別の仕事を入れることができれば、1日トータルの売り上げを伸ばすことができます。この隙間の仕事を弊社では『隙間産業』と呼んで重視しています。
この『隙間産業』は弊社の差別化の一つにもなっています。弊社では、車両や積載量ごとに月間売上目標を設けることで、売上の底上げを図っていますが、目標値に至らない場合は受託数を調整して個別の売り上げを改善し、全体的な売り上げを伸ばしていきます。
弊社では、馴染みのお客様も新規のお客様も、基本的には依頼された仕事を断らないようにしています。「ここなら確実に引き受けてもらえる」という安心感や信頼が生まれれば、クライアントも最初に弊社に相談してくれるようになります。安易に仕事を断っていると、相談される順番が徐々に二番手、三番手と下がっていき、やがて仕事が回ってこなくなります。対応可能な車両があれば割り当てて、社内の連携により柔軟に対応するようにしています。弊社だけでは対応できない場合は、協力関係にある別の運送会社に依頼をします。他社に依頼することも考慮した上で「断らない」のが弊社の基本姿勢です。
人との信頼関係を大切にすることが業績につながる
弊社の運送品目のメインは生鮮食品です。弊社のドライバーは、まず朝に生鮮食品を運び、作業が終わり次第、一般貨物を運ぶような流れとなっています。お客様は京都府内がメインであり、取引先は、営業や経営者の集まり、お客様からのご紹介により開拓していきました。お客様からご紹介いただくからには、信頼を損なわないように、誠実な仕事をしていくことが大事です。例えば、見積りの相談で他社よりも弊社の方が高くなってしまうような場合も、お客様には正直に伝えています。噓をつけば、お客様や紹介してくれた方の信頼を裏切るだけではなく、周りの運送業者への不信感を生むことにもなるからです。
信頼関係は他社との連携においても重要です。良好な関係を築き、融通の利く同業他社が多いほど受けられる仕事は増え、他社の力を借りやすくもなるので、弊社では同業のネットワークをとても大事にしています。弊社では毎日、他社の車両を30台ほど使い仕事を請けていますが、弊社1社の力で全ての依頼をこなすことは難しく、他社の協力があり、助けてもらっているからこそ持ちつ持たれつの関係性が成り立っているのだと社員にも伝えています。
人材育成と高齢化の課題を社員の力と工夫で乗り切る
弊社の課題の1つは人材育成です。私としては、社員にはもっと柔軟にいろいろな考え方を持ってほしいと思っています。しかし「ドライバーはドライバー」という考え方が根強く、社員から管理職までほぼドライバー出身ということもあって、なかなか考え方は変わりません。
もう1つの課題は世代交代です。弊社では約40名の社員のうち、下は24歳から上は70歳まで幅広い年齢層で構成されていますが、業界全体の傾向と同じく、ドライバーの高齢化が進んでいます。
弊社では、年長者のドライバーの身体の負担を軽減するため、朝の3時間から4時間ほどの短時間のコースを担当してもらっています。年長者のドライバーは全てOB社員なので、仕事もよくわかり、忙しい時には残業を引き受けてくれるなど大変ありがたい存在です。本人たちもやりがいをもって、喜んで働いてくれているので、OB自身に働く意思がある限りは雇用を継続したいと思っています。OBを継続雇用し、世代に偏りなく運送業を続けていくためには、若手が働きたいと思えるような業界を目指す必要があると考えています。
また、物流・運送業界では『2024年問題』が大きな課題とされています。『2024年問題』は、働き方改革関連法によってドライバーの労働時間に上限が設定されることで生じる物流・運送業界の諸問題のことですが、弊社はそれほど大きな影響は受けないと考えています。弊社はもともと地場産業を取引先としているため、そこまで長距離・長時間の仕事は請けていません。お客様である荷主も、コロナ禍の影響もあって残業代の削減をするために仕事を早めに切り上げるようになり、弊社も荷主の営業時間に合わせて動くため、ドライバーの退勤時間は早くなっています。今後さらに労働時間や体制に変動があったとしても、コースの修正と配車により対応できると思っています。
社員の安定・安心を実現するための理念と事業拡大への考え
ドライバーの出勤時間はそれぞれ違い、朝3時出勤の人もいれば、昼12時に出勤する人もいます。朝礼などの社員が集まる場を設けにくいため、なるべく社員一人ひとりと話すように心がけています。
若手や新人の教育としては、先輩社員が現場で教え、少しずつ仕事を任せていくOJTの体制をとっています。年配の社員が、重い荷物を運ぶなど大変な作業をしている時には、若手社員がすかさず手伝うなど、年齢幅が広いからこそ自然に助け合う、アットホームな雰囲気となっています。
社員の仕事への向き合い方を話す際には、いつも「一生懸命、全力で取り組みなさい。身についたらそれが将来の武器になるから」と言っています。手を抜いたり、嘘をついたり、ずるいことをしていれば、自分の価値を自ら下げ、周りからの信頼を損ねることになってしまいます。誠実に全力を尽くしていれば、どこに行っても自力で経験値を上げることができるようになるはずです。
また社員には「物事をよく考えなさい」とも話しています。わからなければ周りに聞くという行動は、働き生活する上では大事なことですが、つい疎かにしがちです。冷静に判断し行動するために、第一に考えることを心がけてほしいと思っています。
そして、会社としての考えをまとめた経営理念には『社員の安定・安心を追求するために、本業を通じて社会に貢献し永続的発展を目指す』を掲げています。この理念は弊社が何のためにあるか、なぜ仕事を頑張ってもらいたいのかを社員に説明し理解してもらうために、私が策定しました。企業規模が小さいと、どうしても不況や外部環境の影響を強く受けてしまいます。厳しい環境下で、会社の安定と社員の雇用を維持していくには、仕事の質の向上と事業の拡充が必要だと考えています。その考えや方針を社員にも理解してもらうために、会議室など社員が見えるところに掲示しています。今後も自然な形で浸透していけばと思っています。
事業承継により京都の経済に貢献できる運送会社を目指す
中長期的な構想としては、業務の効率化や人手不足解消の実現に向けた事業承継M&Aによる規模拡大も視野に入れています。
弊社では、事業拡大とシナジー創出への挑戦として、取引先の滋賀青果株式会社から京都部門を引き継ぎ、2021年に京滋青果株式会社を新設しました。創業から70余年続く老舗企業の滋賀青果側からの相談により結ばれたご縁ですが、長年の付き合いから頼りにしてもらえたことを嬉しく思っています。
今後の事業承継の相手先の業種としては、同業の運送業や、弊社の業務との親和性や接点がある他業種も候補として考えています。事業承継は、結婚のようにお互いを知り、将来について語り合えるような関係性が大事だと思っています。いい会社様とのご縁があればと思っています。
そして弊社が拠点を構える現在の京都は、大企業が多くある一方で、中小企業が少し伸び悩んでいるように感じます。「この街をみんなで守っていこう」という強い思いをもつ人や企業とともに、京都が持つ古き良き文化は守りつつ、地域の経済や産業の発展に貢献できるような運送会社を目指していきたいと思っています。
サラリーマンから転職した父がトラック1台で操業
弊社は、1964年に父が創業しました。創業時の父は、20代半ばで会社員から転職し、トラック1台で事業を開始しました。運送業を選んだのは、母方の祖父が京都中央卸売市場に関わる魚屋の仕事をしており、その関係で市場絡みの運送業務に携わることができる見通しが立っていたからだと聞いています。
その後は高度経済成長の中で順調に事業を伸ばし、法人化した1998年には保有トラック数が10台を超え、今では30台を超える車両を保有する運送会社に成長しました。現在は創業のきっかけとなった京都中央卸売市場の生鮮食品だけではなく、一般貨物も含めた幅広い商品の運送業務に携わっています。
会社員、庭師を経て共盛輸送に入社
私は、トラックの運転手として働く父を見ながら幼少期を過ごしました。寒い冬にトラックのエンジンがかからなくなったときには、早朝から起こされて、パジャマ姿で母と一緒に押しがけを手伝ったことを今も覚えています。また、当時は仕事用のトラックが自家用車を兼ねていて、父の出退勤も、家族で買い物に行くときもトラックでした。
家族経営ならではのいい思い出もあり、私自身も車が好きでトラックを運転してみたいと思っていたことから、小学校の頃の将来の夢には、運送屋の社長かエリートサラリーマンと書いていました。
しかし家業は決して安定しているとはいえない状態であり、父は私に苦労をさせたくないと思っていたようでした。進路選択の頃にも父から承継についての話はなく、高校を卒業した私は一般企業に就職することにしました。
電機関連の会社員として働いたのち、私は庭師を営む親戚の会社に転職しました。親戚の会社は、着物展示会やイベントなどで庭を造る仕事を主としており、私は職人として8年ほど働きました。
私が職人を退職したちょうどその頃、父が共盛輸送を法人化し、就職先を探していた私に「家業を手伝わないか」と声をかけてきました。法人化をしたものの、人手不足や経営の難しさもあり、会社として大変だったようでした。父が困っているならば助けたいと思い、1998年に共盛輸送へ入社しました。
社内の信頼を得る努力と苦労を積み重ね、社長に就任
これまで「運送業はやめておけ」と言い続けてきた父が、私の入社を受け入れたのは、創業から34年が経ち、業績は不安定ながらも、運送業の地盤や取引先との信頼関係が築かれていたからだと思います。私は後継者として入社をしましたが、下積みもせずに会社を承継するわけにはいかないと考え、経験値を積むためにドライバーとして働き始めました。
まずは、現場のことを把握できるようになることで、父と共に働いてきた目上の社員たちに認めてもらいたいと必死に働きました。トラックに年中乗り続ける生活はとても過酷でしたが休まず働き、当時の私の休暇は社内の誰よりも少なかったと思います。さらに他の社員が嫌がる仕事を率先して引き受けたり、自ら営業をして仕事を取ってきたりと、とにかく社内で信頼を得る努力を積み重ねていきました。やがて運送料金の値段決めやトラックの購入といった重要な業務も受け持つようになり、常務の役職に就いた頃には、70歳を超えた父から承継の打診を受けました。私自身も会社の主力として貢献できているという自負があったので、2010年に社長交代を引き受けることを決意しました。
ところが、私が社長に就任する直前には、父の右腕だった経理担当者が退職してしまいました。突然のことで後任もいなかったため、私が経理を担当することになりました。しかし、当初は経理についての知識は何もなく、小切手の切り方も知らなかったため、銀行に行って請求書を並べながら書き方を教えてもらったこともありました。不慣れな経理の仕事に苦労しつつ、社長として働き営業に行き、現場の仕事もこなす休みなしの生活がしばらく続き、社長に就任してからしばらくは本当に大変でした。ただ、今思い返してみると、あの大変な日々の中で鍛えられた面もあったと思っています。
『隙間産業』と車両別の目標設定により売上の底上げを図る
弊社のドライバーの1日の拘束時間は12時間弱です。所定労働時間と休憩時間、所定外労働も含めた12時間の中で、どれだけトラックの待機時間を減らし、稼働時間をつくるかによって、会社の売り上げは大きく変わります。例えば、朝6時に出て10時に終わる仕事があり、次の仕事が12時からの場合は、2時間の空き時間ができます。この2時間に少し軽めの別の仕事を入れることができれば、1日トータルの売り上げを伸ばすことができます。この隙間の仕事を弊社では『隙間産業』と呼んで重視しています。
この『隙間産業』は弊社の差別化の一つにもなっています。弊社では、車両や積載量ごとに月間売上目標を設けることで、売上の底上げを図っていますが、目標値に至らない場合は受託数を調整して個別の売り上げを改善し、全体的な売り上げを伸ばしていきます。
弊社では、馴染みのお客様も新規のお客様も、基本的には依頼された仕事を断らないようにしています。「ここなら確実に引き受けてもらえる」という安心感や信頼が生まれれば、クライアントも最初に弊社に相談してくれるようになります。安易に仕事を断っていると、相談される順番が徐々に二番手、三番手と下がっていき、やがて仕事が回ってこなくなります。対応可能な車両があれば割り当てて、社内の連携により柔軟に対応するようにしています。弊社だけでは対応できない場合は、協力関係にある別の運送会社に依頼をします。他社に依頼することも考慮した上で「断らない」のが弊社の基本姿勢です。
人との信頼関係を大切にすることが業績につながる
弊社の運送品目のメインは生鮮食品です。弊社のドライバーは、まず朝に生鮮食品を運び、作業が終わり次第、一般貨物を運ぶような流れとなっています。お客様は京都府内がメインであり、取引先は、営業や経営者の集まり、お客様からのご紹介により開拓していきました。お客様からご紹介いただくからには、信頼を損なわないように、誠実な仕事をしていくことが大事です。例えば、見積りの相談で他社よりも弊社の方が高くなってしまうような場合も、お客様には正直に伝えています。噓をつけば、お客様や紹介してくれた方の信頼を裏切るだけではなく、周りの運送業者への不信感を生むことにもなるからです。
信頼関係は他社との連携においても重要です。良好な関係を築き、融通の利く同業他社が多いほど受けられる仕事は増え、他社の力を借りやすくもなるので、弊社では同業のネットワークをとても大事にしています。弊社では毎日、他社の車両を30台ほど使い仕事を請けていますが、弊社1社の力で全ての依頼をこなすことは難しく、他社の協力があり、助けてもらっているからこそ持ちつ持たれつの関係性が成り立っているのだと社員にも伝えています。
人材育成と高齢化の課題を社員の力と工夫で乗り切る
弊社の課題の1つは人材育成です。私としては、社員にはもっと柔軟にいろいろな考え方を持ってほしいと思っています。しかし「ドライバーはドライバー」という考え方が根強く、社員から管理職までほぼドライバー出身ということもあって、なかなか考え方は変わりません。
もう1つの課題は世代交代です。弊社では約40名の社員のうち、下は24歳から上は70歳まで幅広い年齢層で構成されていますが、業界全体の傾向と同じく、ドライバーの高齢化が進んでいます。
弊社では、年長者のドライバーの身体の負担を軽減するため、朝の3時間から4時間ほどの短時間のコースを担当してもらっています。年長者のドライバーは全てOB社員なので、仕事もよくわかり、忙しい時には残業を引き受けてくれるなど大変ありがたい存在です。本人たちもやりがいをもって、喜んで働いてくれているので、OB自身に働く意思がある限りは雇用を継続したいと思っています。OBを継続雇用し、世代に偏りなく運送業を続けていくためには、若手が働きたいと思えるような業界を目指す必要があると考えています。
また、物流・運送業界では『2024年問題』が大きな課題とされています。『2024年問題』は、働き方改革関連法によってドライバーの労働時間に上限が設定されることで生じる物流・運送業界の諸問題のことですが、弊社はそれほど大きな影響は受けないと考えています。弊社はもともと地場産業を取引先としているため、そこまで長距離・長時間の仕事は請けていません。お客様である荷主も、コロナ禍の影響もあって残業代の削減をするために仕事を早めに切り上げるようになり、弊社も荷主の営業時間に合わせて動くため、ドライバーの退勤時間は早くなっています。今後さらに労働時間や体制に変動があったとしても、コースの修正と配車により対応できると思っています。
社員の安定・安心を実現するための理念と事業拡大への考え
ドライバーの出勤時間はそれぞれ違い、朝3時出勤の人もいれば、昼12時に出勤する人もいます。朝礼などの社員が集まる場を設けにくいため、なるべく社員一人ひとりと話すように心がけています。
若手や新人の教育としては、先輩社員が現場で教え、少しずつ仕事を任せていくOJTの体制をとっています。年配の社員が、重い荷物を運ぶなど大変な作業をしている時には、若手社員がすかさず手伝うなど、年齢幅が広いからこそ自然に助け合う、アットホームな雰囲気となっています。
社員の仕事への向き合い方を話す際には、いつも「一生懸命、全力で取り組みなさい。身についたらそれが将来の武器になるから」と言っています。手を抜いたり、嘘をついたり、ずるいことをしていれば、自分の価値を自ら下げ、周りからの信頼を損ねることになってしまいます。誠実に全力を尽くしていれば、どこに行っても自力で経験値を上げることができるようになるはずです。
また社員には「物事をよく考えなさい」とも話しています。わからなければ周りに聞くという行動は、働き生活する上では大事なことですが、つい疎かにしがちです。冷静に判断し行動するために、第一に考えることを心がけてほしいと思っています。
そして、会社としての考えをまとめた経営理念には『社員の安定・安心を追求するために、本業を通じて社会に貢献し永続的発展を目指す』を掲げています。この理念は弊社が何のためにあるか、なぜ仕事を頑張ってもらいたいのかを社員に説明し理解してもらうために、私が策定しました。企業規模が小さいと、どうしても不況や外部環境の影響を強く受けてしまいます。厳しい環境下で、会社の安定と社員の雇用を維持していくには、仕事の質の向上と事業の拡充が必要だと考えています。その考えや方針を社員にも理解してもらうために、会議室など社員が見えるところに掲示しています。今後も自然な形で浸透していけばと思っています。
事業承継により京都の経済に貢献できる運送会社を目指す
中長期的な構想としては、業務の効率化や人手不足解消の実現に向けた事業承継M&Aによる規模拡大も視野に入れています。
弊社では、事業拡大とシナジー創出への挑戦として、取引先の滋賀青果株式会社から京都部門を引き継ぎ、2021年に京滋青果株式会社を新設しました。創業から70余年続く老舗企業の滋賀青果側からの相談により結ばれたご縁ですが、長年の付き合いから頼りにしてもらえたことを嬉しく思っています。
今後の事業承継の相手先の業種としては、同業の運送業や、弊社の業務との親和性や接点がある他業種も候補として考えています。事業承継は、結婚のようにお互いを知り、将来について語り合えるような関係性が大事だと思っています。いい会社様とのご縁があればと思っています。
そして弊社が拠点を構える現在の京都は、大企業が多くある一方で、中小企業が少し伸び悩んでいるように感じます。「この街をみんなで守っていこう」という強い思いをもつ人や企業とともに、京都が持つ古き良き文化は守りつつ、地域の経済や産業の発展に貢献できるような運送会社を目指していきたいと思っています。
会社概要
社名 | 株式会社共盛輸送 |
創立年 | 1964年 |
代表者名 | 代表取締役社長 深萱 一嘉 |
資本金 | 2,800万円 |
URL |
https://kyoseiyuso.jp/
|
本社住所 |
〒600-8847 |
事業内容 | 一般貨物・冷蔵・冷凍商品等多岐にわたる商品の輸送業務 コンビニ用サンドイッチ、お弁当などの仕分け業務 一般貨物自動車運送事業 近運貨振第624号 一般貨物自動車運送事業(営業区域拡張) 近運貨振第2071号 第一種利用運送事業(貨物自動車) 近運貨振第192号 |
関連会社 |
会社沿革
1964年 | 創業 |
1998年 | 株式会社共盛輸送を設立 |
2010年 | 深萱 一嘉が代表就任 |
2023年 | 事務所移転 |
株式会社共盛輸送の縁結び・成功事例
株式会社共盛輸送の経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
関東
滋賀県
京都府
大阪府
兵庫県
奈良県
和歌山県
ネットワークを大切にしながら運送業の周辺事業を引き継ぎます
公開日:2024/04/19
※本記事の内容および所属名称は2024年4月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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