お客様、ドライバー、配達先すべての笑顔を大切にしたい

幸洋運輸株式会社

お客様に愛される物流会社で地域社会のため地域の幸せを運びます

経営理念

幸洋運輸は、お客様の幸せを運びます。

北海道から沖縄まで日本全国に、提携運送会社が約1,500社、JRコンテナターミナルが宇都宮の隣接地(石橋)にあり、綿密な物流体制を構築しています。どの方面においても、安心・スムーズに集荷・荷降ろしが可能です。急なご依頼にもお気軽にご相談ください。

社長メッセージ

ご挨拶:“幸せを運ぶ”がコンセプト。すべての笑顔を大切にしたい。

弊社は昭和59年に創業し、当初から支えてくださった荷主(お客様)のおかげで創立37年を迎えることができました。これまで、お客様の「笑顔」、ドライバーの「笑顔」、配達先の「笑顔」、“すべての笑顔を大切に”をモットーに会社づくりを心がけてまいりました。近年では若いドライバーはもちろん、女性ならではの「思いやり」を活かした女性ドライバーも多く活躍しております。また地球温暖化対策の一環とした栃木県トラック協会における「トラックの森」事業のカーボンオフセット制度に県内第1号として認証されました。社員が笑顔を通じ、安全・環境に配慮した運転に積極的に取り組み、お客様に愛される物流会社として今後とも企業と地域社会の発展に貢献したいと考えております。“幸せを運ぶ幸洋運輸株式会社”を今後とも一層のご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

幸洋運輸株式会社 代表取締役 平賀 勝利

運送業に憧れていた幼少期の私

私が幼少期だった頃に父が創業した会社ですが、私は幼いころから運送屋になりたいと思っていました。父は仕事が多忙で、私が朝起きて夜寝るまで家におらず、久しぶりに会うと「お父さん久しぶり」という挨拶をしているほどでした。それでも、運転手達がずっと身近にいたので寂しい思いはせず、この業界への憧れはずっと抱いておりました。大学生時代、名鉄運輸株式会社の東京の支店で運送屋のアルバイトをしていました。大学よりもアルバイトが楽しくて、そのまま名鉄運輸株式会社に就職し、東京の支店で営業職として5年間ほど修行しました。アルバイトをしていたため即戦力として採用していただき、職場の方からも可愛がってもらいました。5年が経ち、私が27歳の時に父から戻って来てと言われました。父は30歳の時に創業したため、私が戻って3年後の30歳になったら社長にしようと事業承継を考えていたようです。1992年(平成4年)に栃木県へ帰省し、7~8年ほど社員として4tトラックに乗り、名古屋や大阪方面を走っていました。

M&Aは企業を引き継ぐことよりも大きな挑戦に踏み込めるか

竹中運送株式会社は同業の企業になります。お客様が一般貨物と少し異なり、全国農業協同組合連合会(以後、全農)や総合農協(以後、農協)が100%の取引先となります。そこも運送業と言いながらも、食材を方面別に仕分ける仕事をし各家庭に配達しています。農協は農協独自で、組合員向けにルート配達をしています。その仕分けは弊社の店内でもおこなっています。

竹中運送は80年近く歴史のある会社で、私の大学の先輩にあたり、全日本トラック協会の青年部会の先輩でもありました。たまたま一緒に食事をする機会があった時に、後継ぎがいないことと、単純な配送業務では先が無いという事業の存続に関する相談でもありました。

私の中では、企業を引き継ぐ覚悟もそうですが何よりも大きな挑戦と捉えました。竹中運送は、AからBへ運ぶだけの運送屋は今後衰退していくと見通して、10年ほど前に農協の倉庫を借りて食材を県内に仕分けし各デポセンター(小型の物流拠点)に持って行くというシステムを構築しました。運ぶこと自体は、トラックを所有していれば可能なことです。ただ、私は経験したことのないシステムでもあり、そのような仕事が実現できるのか半ば疑問に思いました。ただ、挑戦してみると特に経費もかからず定期的な売上となり、お見合いは成立しました。竹中運送は、長年経験している方なのでお客様との交渉がスムーズで、そういうことも引き継ぎながら取り組んでいます。M&Aは良し悪しがありますが、竹中運送店は成功例だと思います。

1年程前のことですが、大河という会社の社長は、元々は野菜のバイヤーでそのあと野菜パックの商売をしていました。ずっと働き詰めでしたので、「60歳で引退したい」と5年前から言っていました。3年前に税理士に紹介してもらい、時期が来るのをひしひしと待っていました。ついに引退する時期になり、税理士と職場を見に行きました。個人商店で、場所が借りもので、お客様が決まっていて、いくらで譲ってくれるのか話し合いました。そして私の会社になり、退職金を渡して、株式会社大河に変えました。パートさんが13名いて、全員そのまま残ってもらいました。

事業展開のこだわりは横繋がりにあり

かけ離れてしまう異業種は想像できませんが、市場の関係なので完全にかけ離れているわけではありません。仲卸さんから仕事をもらっていますし、仲卸さんの運送業は、付き合いがあるので知らない訳ではありませんでした。作業だけが完全異業でしたが、お客様と荷主という面ではそこまでかけ離れていませんし、幸いにも私達の業界は繋がりやすいです。卸売屋さんにしても工場にしても繋がりがあります。
そこに関しては、栃木県、宇都宮の業者が少しでも存続できるように手助けできればと思います。全国から紙一枚で「M&Aしませんか?」と来る時代ですから、他の県から食い漁って捨てられるようなものだけは避けたいです。

私の使命は郷土愛と社会貢献活動

中学卒業後、茨城に行ったので、友達がいないんです。社会人になってからの友達も、子どもの頃の友達もいますが、一番青春していた一番おもしろい頃の友達はいません。今になって、あの頃のっていうのが、私達の年代はそれなりの地位や立場になってる人達が多いので、そういう面で栃木県を見直したいです。

今後の課題は、社会貢献です。私達の業界で社会貢献として何ができるかを模索しながら、10年後も生き残れる会社にして行かなければなりません。大きな夢や野望がある性格ではないので、ずっと時代を追いかけて行かなければならないのが事実です。福利厚生が整備されて、これをどう繋げて行けるかだと考えています。社員達も年を取りますし、新しい方が入社した際、繋げられるような会社にして行きたいです。

私たちのこだわり

家業に戻ってからと事業承継への取り組み

弊社のお客様は名鉄運輸株式会社関連のお仕事が100%でもあり、名鉄運輸がいなくなってしまった時に仕事が全部なくなってしまいます。その頃から、様々な勉強会に参加しました。最低5・6社の仕事を取ろうと励んでいました。与えられた仕事はこなすしかなく、5人で10人分の仕事はできないので、5台分やりながら新しいお客様を挿げ替えていくようになりました。それを数年間、営業とドライバーという二足の草鞋で邁進していました。ドライバーの仕事はやらざる負えませんでしたが、その中でも改善をしつつ、ドライバーの募集をして、少しずつ従業員を増やして行きました。父は私に全てを任せてくれていました。

当時は消費税が始まる頃で、様々な法的な問題があり、父が取り組めなかったところを精査しました。特に借金返済です。消費税の整備など、財務的なものを見直しました。全般的に財務に関しては苦労をし、お金を借りたくても借りられなかったのです。会社に資金を留保しているわけでもなく、銀行とのやりくりで改善に7年程の時間を費やしました。

財務の改善とその時の心境、社名に込められた想い

時代だと思います。当時は24時間365日働けましたので、私達の運送業は働けば働いた分すべてがお金になります。仕事がないと食べて行けないので、仕事を取りにいかなければならなくその循環を絶やさずにうまく回していかなければなりません。そういう面で7年かけて財務を整備し、稼ぎが上がってくれば、銀行との交渉の中で適正な金利で借り入れができるようになりました。それと、今まで溜め込んだものは早めに支払いへ回し、借入時の金利交渉をおこなったり一番辛かった時は、妻に思いを共有し助けてもらったこともありました。

私は、過去3回ほど名前を変えています。車を動かす商売のため、交通安全や孤独にならないようにという意味を込めて、母が字画を見て変えています。私の本名は勝利と書いて”かつとし”ですが、学生時代から名鉄運輸に入社当時まで、功一と書いて”かつもと”でした。社長になる時は、克洋と書いて”かつひろ”でした。その頃、会社名を”公”に太陽の”陽”ではなくて、私の名前の”洋”と”幸”を合わせて幸洋運輸に変えました。昔の公陽運輸は、公の場で太陽に当たるような運送屋にしようという意味で母が名付けました。”かつひろ”の頃のお客様には、未だに”かつひろくん”って呼ばれていますので、いつ出会った方なのか明確です。最近、本名に直しました。

令和の時代のポジションの取り方

令和に入ってから、健康経営を行っています。財務と仲間とで構築されましたので、これを継続する上で、従業員の福利厚生や健康経営、労災保険の対応をしています。働き方改革をすることにより、利益が生まれるような気がします。365日働いていた頃は、1年間で10台もの車のエンジンがぶち抜けて、今月の売上が飛んでしまったこともありました。事故は起こすし、稼げても利益があまりなく、逆にお金が出て行っていました。平成に入り、働き方改革や、様々な問題をクリアしました。燃料が高騰しているので、経費の削減を突き詰めた際に、令和になった時に働いてる人達にしっかりと構築できればと考えています。私達の業界は、長時間労働や低賃金など様々な問題を抱えています。9時間しか働いてはいけません。1年間140日休みを取らなくてはいけません。有休消化の決まりがあります。私達の業界では難しいですけど、それを構築できれば社員が入ってくるでしょうし、お客様が分かってくだされば適正な運賃も取れるようになります。これからの経営者は世代交代しているので、先駆けでどんどん引っ張って行ける会社にしたいです。

特長的な働き方と従業員への想い

私達の業界は、労災上乗せが福利厚生の一つです。労災が起きた際は、国から6割支給されますが、休業した際の上乗せ保険に疾病保障を含めて、今年からグループ会社全社加入しています。AIG損保が、新型コロナウイルスの関係で病気も複合させた保険を出していて、無記名でパートを含んだ全社員を保障できます。最近、宇都宮で自転車通勤が流行しています。業務中は勿論のこと、自転車通勤の方が通勤中に起きてしまった事故やケガを保障します。がんや成人病などで手術を受ける際は、手術代が全額支給されます。入院保障も付帯し、新型コロナウイルスで病院が逼迫し入院できず自宅療養の場合にも保障されます。このような疾病保障も付帯している会社はほとんど耳にしません。

数年前がんで入院したドライバーが、半年の治療を終えて医者に復帰の許可をいただけましたが、その方は疾病保障入っていなかったため半年間休養して復帰されました。健康経営の一番項目にありますが、がんは不治の病ではなく治る病気です。国から6割支給されますが、きちんとした形で従業員にカムバックできるように保険を見直さなければと思うようになりました。新型コロナウイルスの影響で、保険も時代に応じて変化しつつあり、私が求めていたものと合致しました。今までの経験が少しずつ形になりつつあります。

社内管理と統制の仕組みづくり

最初は、毎月1度ミーティングをしていましたが、10年程前から私は出席しなくなりました。私は会長になり、社長に全ての指揮を取らせています。役割分担をして、私は銀行の対応をしています。今は社長の考えで、勉強会の通達ツールを外注に頼んでいます。ドライバーが帰社する時間は様々なため、外部講師には朝から夕方まで待機してもらっています。私達の業界は、年間10回の安全ミーティングの実施を法で定められています。それを含めて、会社から伝えたいことや、何か問題がないかなどドライバーの話を聞くクッション役を担ってもらっています。100%答えることは難しいですが、社長、運行管理者2名、竹中運送取締役である息子の4名で、管理者ミーティングも開いています。

その外部講師に聞くと、何ヶ月も心を開いてくれず、受け付けない会社もあるようですが、そういうこともなく、1・2ヶ月頃から必ず全員出席してくれるようになりました。衝突の可能性も視野に入れていましたが、何の衝突もなく行っています。逆に聞いてあげるとか、第三者から伝えられるとか、私達の業界では珍しいことなので新鮮だったのかもしれません。リフレッシュにもなりますし、それも福利厚生の内の一つです。従業員の満足度向上に繋がると思っています。

信頼関係の構築方法

私が営業の頃は、コミュニケーション力が大切だったので、一週間に一度お客様回りをしていました。4t車を貸切りたいけどこれしかないという場合も、依頼されたものは何とかしようと努めました。昔は、環境問題で二酸化炭素削減の取り組みを提示しなくてはなりませんでした。工場を止めて二酸化炭素削減する方法では経済の発展にそぐわないため、走行距離や大阪を越えた場合には、運送方法を車からJRコンテナに代えようと考えました。それを計画の中に落とし込み、出荷量の半分を大阪からJRコンテナで運ぶと想定すると、何%か二酸化炭素削減に繋がりました。そのためにJRコンテナ取扱説明用の免許を取り、お客さまに提示し、ゴミの廃棄物の輸送のお手伝いもしました。その時々の状況に応じて、必要なものの許可や免許を取り提案しています。いつまでも追いかけることが、社風になっています。

幸洋運輸株式会社_私たちのこだわり_画像

家業に戻ってからと事業承継への取り組み

弊社のお客様は名鉄運輸株式会社関連のお仕事が100%でもあり、名鉄運輸がいなくなってしまった時に仕事が全部なくなってしまいます。その頃から、様々な勉強会に参加しました。最低5・6社の仕事を取ろうと励んでいました。与えられた仕事はこなすしかなく、5人で10人分の仕事はできないので、5台分やりながら新しいお客様を挿げ替えていくようになりました。それを数年間、営業とドライバーという二足の草鞋で邁進していました。ドライバーの仕事はやらざる負えませんでしたが、その中でも改善をしつつ、ドライバーの募集をして、少しずつ従業員を増やして行きました。父は私に全てを任せてくれていました。

当時は消費税が始まる頃で、様々な法的な問題があり、父が取り組めなかったところを精査しました。特に借金返済です。消費税の整備など、財務的なものを見直しました。全般的に財務に関しては苦労をし、お金を借りたくても借りられなかったのです。会社に資金を留保しているわけでもなく、銀行とのやりくりで改善に7年程の時間を費やしました。

財務の改善とその時の心境、社名に込められた想い

時代だと思います。当時は24時間365日働けましたので、私達の運送業は働けば働いた分すべてがお金になります。仕事がないと食べて行けないので、仕事を取りにいかなければならなくその循環を絶やさずにうまく回していかなければなりません。そういう面で7年かけて財務を整備し、稼ぎが上がってくれば、銀行との交渉の中で適正な金利で借り入れができるようになりました。それと、今まで溜め込んだものは早めに支払いへ回し、借入時の金利交渉をおこなったり一番辛かった時は、妻に思いを共有し助けてもらったこともありました。

私は、過去3回ほど名前を変えています。車を動かす商売のため、交通安全や孤独にならないようにという意味を込めて、母が字画を見て変えています。私の本名は勝利と書いて”かつとし”ですが、学生時代から名鉄運輸に入社当時まで、功一と書いて”かつもと”でした。社長になる時は、克洋と書いて”かつひろ”でした。その頃、会社名を”公”に太陽の”陽”ではなくて、私の名前の”洋”と”幸”を合わせて幸洋運輸に変えました。昔の公陽運輸は、公の場で太陽に当たるような運送屋にしようという意味で母が名付けました。”かつひろ”の頃のお客様には、未だに”かつひろくん”って呼ばれていますので、いつ出会った方なのか明確です。最近、本名に直しました。

令和の時代のポジションの取り方

令和に入ってから、健康経営を行っています。財務と仲間とで構築されましたので、これを継続する上で、従業員の福利厚生や健康経営、労災保険の対応をしています。働き方改革をすることにより、利益が生まれるような気がします。365日働いていた頃は、1年間で10台もの車のエンジンがぶち抜けて、今月の売上が飛んでしまったこともありました。事故は起こすし、稼げても利益があまりなく、逆にお金が出て行っていました。平成に入り、働き方改革や、様々な問題をクリアしました。燃料が高騰しているので、経費の削減を突き詰めた際に、令和になった時に働いてる人達にしっかりと構築できればと考えています。私達の業界は、長時間労働や低賃金など様々な問題を抱えています。9時間しか働いてはいけません。1年間140日休みを取らなくてはいけません。有休消化の決まりがあります。私達の業界では難しいですけど、それを構築できれば社員が入ってくるでしょうし、お客様が分かってくだされば適正な運賃も取れるようになります。これからの経営者は世代交代しているので、先駆けでどんどん引っ張って行ける会社にしたいです。

特長的な働き方と従業員への想い

私達の業界は、労災上乗せが福利厚生の一つです。労災が起きた際は、国から6割支給されますが、休業した際の上乗せ保険に疾病保障を含めて、今年からグループ会社全社加入しています。AIG損保が、新型コロナウイルスの関係で病気も複合させた保険を出していて、無記名でパートを含んだ全社員を保障できます。最近、宇都宮で自転車通勤が流行しています。業務中は勿論のこと、自転車通勤の方が通勤中に起きてしまった事故やケガを保障します。がんや成人病などで手術を受ける際は、手術代が全額支給されます。入院保障も付帯し、新型コロナウイルスで病院が逼迫し入院できず自宅療養の場合にも保障されます。このような疾病保障も付帯している会社はほとんど耳にしません。

数年前がんで入院したドライバーが、半年の治療を終えて医者に復帰の許可をいただけましたが、その方は疾病保障入っていなかったため半年間休養して復帰されました。健康経営の一番項目にありますが、がんは不治の病ではなく治る病気です。国から6割支給されますが、きちんとした形で従業員にカムバックできるように保険を見直さなければと思うようになりました。新型コロナウイルスの影響で、保険も時代に応じて変化しつつあり、私が求めていたものと合致しました。今までの経験が少しずつ形になりつつあります。

社内管理と統制の仕組みづくり

最初は、毎月1度ミーティングをしていましたが、10年程前から私は出席しなくなりました。私は会長になり、社長に全ての指揮を取らせています。役割分担をして、私は銀行の対応をしています。今は社長の考えで、勉強会の通達ツールを外注に頼んでいます。ドライバーが帰社する時間は様々なため、外部講師には朝から夕方まで待機してもらっています。私達の業界は、年間10回の安全ミーティングの実施を法で定められています。それを含めて、会社から伝えたいことや、何か問題がないかなどドライバーの話を聞くクッション役を担ってもらっています。100%答えることは難しいですが、社長、運行管理者2名、竹中運送取締役である息子の4名で、管理者ミーティングも開いています。

その外部講師に聞くと、何ヶ月も心を開いてくれず、受け付けない会社もあるようですが、そういうこともなく、1・2ヶ月頃から必ず全員出席してくれるようになりました。衝突の可能性も視野に入れていましたが、何の衝突もなく行っています。逆に聞いてあげるとか、第三者から伝えられるとか、私達の業界では珍しいことなので新鮮だったのかもしれません。リフレッシュにもなりますし、それも福利厚生の内の一つです。従業員の満足度向上に繋がると思っています。

信頼関係の構築方法

私が営業の頃は、コミュニケーション力が大切だったので、一週間に一度お客様回りをしていました。4t車を貸切りたいけどこれしかないという場合も、依頼されたものは何とかしようと努めました。昔は、環境問題で二酸化炭素削減の取り組みを提示しなくてはなりませんでした。工場を止めて二酸化炭素削減する方法では経済の発展にそぐわないため、走行距離や大阪を越えた場合には、運送方法を車からJRコンテナに代えようと考えました。それを計画の中に落とし込み、出荷量の半分を大阪からJRコンテナで運ぶと想定すると、何%か二酸化炭素削減に繋がりました。そのためにJRコンテナ取扱説明用の免許を取り、お客さまに提示し、ゴミの廃棄物の輸送のお手伝いもしました。その時々の状況に応じて、必要なものの許可や免許を取り提案しています。いつまでも追いかけることが、社風になっています。

ツグナラコンサルタント

ツグナラコンサルタントによる紹介

ツグナラコンサルタント

運送業に限らず地域発展のために何ができるのか追求し続けている平賀会長のお姿は学ぶべきことが多くあります。また社員とその家族の健康と豊かな暮らしのサポートとして福利厚生の充実化にも取り組まれています。

インタビュアーのコメント

平賀社長の今後の課題は社会貢献とのことです。すでに同地域内での事業h引受けのご経験が複数あり栃木県や宇都宮市の経営資源が健康的に存続していくことを望まれ実践されています。雇用環境の改善にも積極的です。

会社概要

社名 幸洋運輸株式会社
創立年 1984年
代表者名 代表取締役 平賀 勝利
従業員数 30名
事業エリア 配送センター
栃木県宇都宮市石井町3373-1
本社住所 321-0123
栃木県宇都宮市東谷町236-1
事業内容 一般区域貨物自動車運送事業 (関自貨2第2000号)
第二種利用運送事業 (運貨複第209号)
URL
http://kouyou-trns.jp/

公開日:2021/09/13 (2021/09/21修正)

※本記事の内容および所属名称は2021年7月取材当時のものです。現在の情報とは異なる場合があります。