
栃木・栃木市
栃木 ・ 栃木市
建材卸と
株式会社佐山
「三方よし」の鋼の精神で地域の建築を支える栃木市の100年企業
経営理念
企業理念
お客様に心から尽くす
私たちは、お客様に常に誠実であることをモットーに持てる力を集結し、お客様のご要望、ご予算に応じ、最適な商品と工事方法をご提案します。
”お客様に心から尽くす” ことは、私たちにとっての喜びであり、生きがいです。
佐山の五則(行動指針)
一つ 私たちは、常にひとを敬い、規律を重んじ、礼儀を正しくします。
一つ 私たちは、お客様に心から尽くす喜びを、生きがいとします。
一つ 私たちは、自分にそして総ての人に、誠実であることを誓います。
一つ 私たちは 如何なる時でも、心を一つにして、助け合い、明るい笑顔で最善の努力を傾けます。
一つ 私たちは、生きていく、当然の努めとして、自らの知識を深め、情熱を燃やして、働き続けます。
代表者メッセージ

一人一人の社員が感謝される仕事を。
「売り手と買い手がともに満足し、社会にも貢献できてこそ、よい商売である」という近江商人の精神が「三方よし」です。
私たちは、「三方よし」の精神を大切に、けっして独りよがりになることなく、お客様に喜んでいただける仕事を喜びと考えています。
お客様から信頼され、二度三度と声を掛けていただくためには、一人一人の社員が感謝される仕事をしなければなりません。
だからこそ、欠かせないのは自己研鑽だと考えています。
日進月歩で新しい工法や製品が登場する業界において、技術を先取りしていけるよう、自ら勉強を重ね、知識を蓄積していく社員づくりを目指しています。
これからも金属工事・資材販売の建材部と鉄筋工事の鐡筋部、それぞれの部署が連携を取り、お客様から信頼をいただけるよう尽力してまいります。
代表取締役社長 佐山 謙三

私たちのこだわり
創業100年を超える栃木市の建築資材、鉄筋工事の会社
株式会社佐山は、1923年に私の祖父が創業しました。当初は栃木町(現・栃木市倭町)で鍋や釜などを販売する金物店としてスタートし、地域の生活に根差した商売を営んでいました。
やがて第二次大戦後の1946年には、結婚し入社した父が鉄筋工事専門の鉄筋事業部を設立し、翌1947年に父が2代目の社長に就任すると、戦後の復興や高度成長期の建設ラッシュといった時代の後押しもあり、売上は大幅に伸びていきました。鉄筋事業部の規模も、一時期は200人もの職人を抱えるまでに拡大し、新たな可能性を求め異業種にも手を広げていきました。
昔かたぎの先代により築き上げられた家業と4兄弟の苦労
私は男ばかりの4人兄弟の三男として生まれました。先代の父は非常に厳格で、口答えしようものなら1時間は説教するような昔かたぎの人だったので、今振り返ると、兄弟4人ともよくくじけずに育ったものだと思うほどでした。
三男の私は、大学進学後に実家を離れ、横浜に住んでいましたが、父の病気がきっかけとなって突然実家に連れ戻され、否応なしに建材部を担当することとなりました。続いてアメリカの大学に留学していた四男の弟も呼び戻され、鉄筋事業部の方を任せられました。自ら望んでというわけではありませんでしたが、私は建材部の責任者として工務店や土木系のお客様に建築資材などの商品の販売に携わり、四男の弟とともに家業を支えるようになりました。
そして1973年には、栃木県内のあちこちに出張所のような形で設けていた職人の飯場(休憩所や活動拠点)を、新設した園部町の工場に集約して鐵筋部とし、新体制への移行として社員数も絞り、四男が鐵筋部の責任者を務めることとなりました。
その後、1989年に自社ビル「ラックスビル」が完成し、鉄鋼関係の商社に就職し家業には戻らないつもりでいた次男も実家に呼び戻されて、金物や日用品などの仕入れや販売を任されることとなり、さらに司法試験を目指し東京で働いていた長男も家業に入ることになりました。私たち4兄弟が家業に入ってからは、父の言いつけで夕食どきは必ず家族全員が集まるという決まりになっており、4兄弟とそれぞれの嫁4人、孫11人、父母の総勢20人以上で食卓を囲んでいました。その光景は近所でも珍しがられ、テレビ局の取材が来たこともありました。
業績悪化、先代の他界、被災が「選択と集中」のきっかけに
家では厳格な父でしたが、事業に関しては新し物好きな一面があり、一時期は鉄筋事業や建材販売の建設関係のほかにも、バッティングセンターや結婚式場、アパレル事業などにも参入していました。ただ、新規事業はいずれも振るわず、創業期から続けてきた金物業も、量販店の増加とともに業績が落ち込んでいきました。私たち兄弟も必死に働き、大手ショッピングモールへのアパレルチェーンの出店を試みたこともありましたが、厳しい状況は続き、2000年には病気の悪化により父が他界してしまいました。
3代目の社長には次男が就任しましたが、次男も5年ほど社長を務めるうちに体調を崩してしまい、2005年に私が4代目の社長に就任することになりました。
社長に就任した私がまず取り組んだことは、多角化により手を広げ過ぎていた事業を建築関係に一本化することでした。2010年代には、戦後から会社を支えてきた鐵筋部と、プロ向けの建築資材を販売する建材販売部門の2事業に絞ることで、経営を再び安定化させることができました。
しかし、2015年の関東・東北豪雨と、2019年の東日本台風(台風19号)の2度の水害によって、倭町の建材部と園部町の鐵筋部は床上浸水の被害を受け、特に被害が大きかった鐵筋部は、床上2mの浸水により資材が使い物にならなくなってしまいました。
水害が発生するたびに大きな被害を受けていては事業が立ち行かなくなってしまうと考えた私は、現在の樋ノ口町の土地を取得して2020年に本社を新設し、倭町の建材部と園部町の鐵筋部を同じ敷地内に移転しました。予期せぬ災害ではありましたが、建材部と鐵筋部が同じ敷地内にあることで連携がとりやすくなったので、思いがけずいい結果へとつながったと思っています。
豊富な商品知識と連携力を活かした「納まり」のいい施工
現在の弊社の事業は、各種建築資材の販売及び金属工事を請け負う建材部と、鉄筋工事に特化した鐡筋部の2つの部署がメインとなっています。エリアは栃木県南部を中心とした県全域で、隣接する茨城、群馬、埼玉までカバーしています。
建材部では、建築資材や土木資材、外構資材など各種建設工事に必要なあらゆる商材を幅広く取り扱い、ハウスメーカーへの資材納入のほか、外構工事などの各種部分工事も請け負っています。特に、建築部材の組み合わせによる「納まり」の図面化や、設置箇所に合わせた金属の加工・制作が得意で、外構まわりではカーポートやフェンス、病院関係ではストレッチャーのフレームやサイドレール、身障者用手すり、オフィスのパーティションや掲示板などのこまごまとしたものも、ご要望に応じて製図から資材の加工、制作、設置まで一貫対応しており、弊社の鐵筋部や協力会社の協力によって、建設業の専門工事27種類のうち大半の工事に対応可能です。
もう1つの事業の柱である鐡筋部では、学校などの公共建築物や大型店舗の基礎工事、鉄筋の加工・組立を主に請け負っています。売上比率としては、以前は公共建築が中心でしたが、現在は7割が民間工事となっています。
画期的な「鉄筋ジャバラユニット工法」を栃木県で唯一導入
鐡筋部における特徴的な技術としては「鉄筋ジャバラユニット工法」があります。これは、特殊な結束線を使用して鉄筋の各部材(梁・柱・壁・スラブ等)を先組みし、折りたたんだ状態で運搬したのちに、現場でもとの状態に復元して取り付けることができるという画期的な工法です。
本来は現場で行う組立作業の大半を工場で行うことができるので、現場での危険作業や工数も大幅に削減することができます。また、折りたたんだ状態で一度に多くの部材を運ぶことができるので輸送コストやCO2排出も抑えられます。
栃木県内でこの工法を導入しているのは、現在は弊社のみです。まだ馴染みのない技術なので、価格転嫁の調整や同業他社との折り合いが課題ですが、今後の職人数の減少に対応できるように地道に取り組んでいきたいと考えています。
行動指針の根底にある「三方よし」の精神
弊社は、先代の父が定めた「佐山の五則」という5つの行動指針を掲げています。この五則の根底には、利益よりも「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」を目指す経営哲学と、お客様に尽くす心やお客様から感謝される仕事によって会社は成り立っているという考え方があります。
先代の信念は、職人の仕事ぶりや社風として引き継がれ、特に少人数の体制になってからは、互いの仕事を網羅的に柔軟にカバーしあい、お客様のために最後まで仕事を全うしようという姿勢が1人1人に身に付いたと感じています。自分の心と技術を、お客様のために磨き役立てようと努める誠実な向き合い方は、自分自身の成長にもつながります。
私自身も、自己研鑽による学びを他者のために役立て「人に後ろ指を指されないような商売をする」という先代の父の教えを、次の代にも伝えていきたいと考えいます。
会社を支える一人ひとりを大切に育てる「佐山の五則」
現在の社員数は45名です。弊社では「佐山の五則」を指針として、社員一人ひとりの幸せを何よりも重視しています。家族の時間を過ごせるように残業は極力減らし、給与面も小規模ながら比較的高い方だと思います。
社員教育としては、社内での勉強会や協力会社との研修会の機会を多く設け、商品知識や施工管理について学んでいます。弊社の取扱い商品は、ネジや座金、電動工具、安全用品など多岐にわたり、施工する現場によっては、資材や部材の組み合わせを変えていく必要もあるので日々の学びが欠かせません。
また、お客様に満足いただける品質を維持向上するには、職人のスキルアップが不可欠であり、各種の資格取得についても積極的にサポートしています。社員が安心して働けるように、業務上の疑問だけでなく、働き方などの個人的な相談もなるべく解消できるように、現在はメンター制度を導入し、先輩社員によるOJTや定期的な面談も行っています。
いい仕事のためには、息抜きの時間も大切です。毎年4月の健康診断後には、社員の家族も子どもも招いてバーベキュー大会を開催しています。昨年の社員旅行は協力会社の皆さんも招き、参加者約80人もの大所帯で沖縄へ行きました。弊社の事業が成り立つのは、社員と協力会社の方々のおかげであり、レクリエーションや社員旅行はこれからも定期的に実施したいと思っています。
家族のように社員を思い、働きやすい職場を作り、誰もが無理なく安心して働ける企業を作っていくことが経営者の役割です。私自身も日々勉強し、社員とともに歩んでいきます。
関東で一番信頼される企業を目指し、3段階の成長フェーズを設定
近年、建設業界は深刻な人手不足に悩まされていますが、社員第一の経営姿勢を守り続けてきた弊社の定着率は高く、社員から「社員一人ひとりを大切にしてくれる」といってもらえています。ただ、採用活動においてはまだまだ発信力が足りていないので、このツグナラのように対外的な情報発信の機会を設けることで、一緒に働いてくれる仲間を増やしていければと思っています。
ビジョンとしては「地場、関東で一番信頼される企業」と、2031年の第40期までに宇都宮営業所の設立、事務所の増設、社員寮の開設を目標として、3段階の成長フェーズを設けています。これからも栃木市の地元を大切にし、時勢を踏まえながら商圏を拡大していくことで、より広いエリアの雇用と経営の安定化、働きやすい職場環境を守っていきたいと思っています。

創業100年を超える栃木市の建築資材、鉄筋工事の会社
株式会社佐山は、1923年に私の祖父が創業しました。当初は栃木町(現・栃木市倭町)で鍋や釜などを販売する金物店としてスタートし、地域の生活に根差した商売を営んでいました。
やがて第二次大戦後の1946年には、結婚し入社した父が鉄筋工事専門の鉄筋事業部を設立し、翌1947年に父が2代目の社長に就任すると、戦後の復興や高度成長期の建設ラッシュといった時代の後押しもあり、売上は大幅に伸びていきました。鉄筋事業部の規模も、一時期は200人もの職人を抱えるまでに拡大し、新たな可能性を求め異業種にも手を広げていきました。
昔かたぎの先代により築き上げられた家業と4兄弟の苦労
私は男ばかりの4人兄弟の三男として生まれました。先代の父は非常に厳格で、口答えしようものなら1時間は説教するような昔かたぎの人だったので、今振り返ると、兄弟4人ともよくくじけずに育ったものだと思うほどでした。
三男の私は、大学進学後に実家を離れ、横浜に住んでいましたが、父の病気がきっかけとなって突然実家に連れ戻され、否応なしに建材部を担当することとなりました。続いてアメリカの大学に留学していた四男の弟も呼び戻され、鉄筋事業部の方を任せられました。自ら望んでというわけではありませんでしたが、私は建材部の責任者として工務店や土木系のお客様に建築資材などの商品の販売に携わり、四男の弟とともに家業を支えるようになりました。
そして1973年には、栃木県内のあちこちに出張所のような形で設けていた職人の飯場(休憩所や活動拠点)を、新設した園部町の工場に集約して鐵筋部とし、新体制への移行として社員数も絞り、四男が鐵筋部の責任者を務めることとなりました。
その後、1989年に自社ビル「ラックスビル」が完成し、鉄鋼関係の商社に就職し家業には戻らないつもりでいた次男も実家に呼び戻されて、金物や日用品などの仕入れや販売を任されることとなり、さらに司法試験を目指し東京で働いていた長男も家業に入ることになりました。私たち4兄弟が家業に入ってからは、父の言いつけで夕食どきは必ず家族全員が集まるという決まりになっており、4兄弟とそれぞれの嫁4人、孫11人、父母の総勢20人以上で食卓を囲んでいました。その光景は近所でも珍しがられ、テレビ局の取材が来たこともありました。
業績悪化、先代の他界、被災が「選択と集中」のきっかけに
家では厳格な父でしたが、事業に関しては新し物好きな一面があり、一時期は鉄筋事業や建材販売の建設関係のほかにも、バッティングセンターや結婚式場、アパレル事業などにも参入していました。ただ、新規事業はいずれも振るわず、創業期から続けてきた金物業も、量販店の増加とともに業績が落ち込んでいきました。私たち兄弟も必死に働き、大手ショッピングモールへのアパレルチェーンの出店を試みたこともありましたが、厳しい状況は続き、2000年には病気の悪化により父が他界してしまいました。
3代目の社長には次男が就任しましたが、次男も5年ほど社長を務めるうちに体調を崩してしまい、2005年に私が4代目の社長に就任することになりました。
社長に就任した私がまず取り組んだことは、多角化により手を広げ過ぎていた事業を建築関係に一本化することでした。2010年代には、戦後から会社を支えてきた鐵筋部と、プロ向けの建築資材を販売する建材販売部門の2事業に絞ることで、経営を再び安定化させることができました。
しかし、2015年の関東・東北豪雨と、2019年の東日本台風(台風19号)の2度の水害によって、倭町の建材部と園部町の鐵筋部は床上浸水の被害を受け、特に被害が大きかった鐵筋部は、床上2mの浸水により資材が使い物にならなくなってしまいました。
水害が発生するたびに大きな被害を受けていては事業が立ち行かなくなってしまうと考えた私は、現在の樋ノ口町の土地を取得して2020年に本社を新設し、倭町の建材部と園部町の鐵筋部を同じ敷地内に移転しました。予期せぬ災害ではありましたが、建材部と鐵筋部が同じ敷地内にあることで連携がとりやすくなったので、思いがけずいい結果へとつながったと思っています。
豊富な商品知識と連携力を活かした「納まり」のいい施工
現在の弊社の事業は、各種建築資材の販売及び金属工事を請け負う建材部と、鉄筋工事に特化した鐡筋部の2つの部署がメインとなっています。エリアは栃木県南部を中心とした県全域で、隣接する茨城、群馬、埼玉までカバーしています。
建材部では、建築資材や土木資材、外構資材など各種建設工事に必要なあらゆる商材を幅広く取り扱い、ハウスメーカーへの資材納入のほか、外構工事などの各種部分工事も請け負っています。特に、建築部材の組み合わせによる「納まり」の図面化や、設置箇所に合わせた金属の加工・制作が得意で、外構まわりではカーポートやフェンス、病院関係ではストレッチャーのフレームやサイドレール、身障者用手すり、オフィスのパーティションや掲示板などのこまごまとしたものも、ご要望に応じて製図から資材の加工、制作、設置まで一貫対応しており、弊社の鐵筋部や協力会社の協力によって、建設業の専門工事27種類のうち大半の工事に対応可能です。
もう1つの事業の柱である鐡筋部では、学校などの公共建築物や大型店舗の基礎工事、鉄筋の加工・組立を主に請け負っています。売上比率としては、以前は公共建築が中心でしたが、現在は7割が民間工事となっています。
画期的な「鉄筋ジャバラユニット工法」を栃木県で唯一導入
鐡筋部における特徴的な技術としては「鉄筋ジャバラユニット工法」があります。これは、特殊な結束線を使用して鉄筋の各部材(梁・柱・壁・スラブ等)を先組みし、折りたたんだ状態で運搬したのちに、現場でもとの状態に復元して取り付けることができるという画期的な工法です。
本来は現場で行う組立作業の大半を工場で行うことができるので、現場での危険作業や工数も大幅に削減することができます。また、折りたたんだ状態で一度に多くの部材を運ぶことができるので輸送コストやCO2排出も抑えられます。
栃木県内でこの工法を導入しているのは、現在は弊社のみです。まだ馴染みのない技術なので、価格転嫁の調整や同業他社との折り合いが課題ですが、今後の職人数の減少に対応できるように地道に取り組んでいきたいと考えています。
行動指針の根底にある「三方よし」の精神
弊社は、先代の父が定めた「佐山の五則」という5つの行動指針を掲げています。この五則の根底には、利益よりも「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」を目指す経営哲学と、お客様に尽くす心やお客様から感謝される仕事によって会社は成り立っているという考え方があります。
先代の信念は、職人の仕事ぶりや社風として引き継がれ、特に少人数の体制になってからは、互いの仕事を網羅的に柔軟にカバーしあい、お客様のために最後まで仕事を全うしようという姿勢が1人1人に身に付いたと感じています。自分の心と技術を、お客様のために磨き役立てようと努める誠実な向き合い方は、自分自身の成長にもつながります。
私自身も、自己研鑽による学びを他者のために役立て「人に後ろ指を指されないような商売をする」という先代の父の教えを、次の代にも伝えていきたいと考えいます。
会社を支える一人ひとりを大切に育てる「佐山の五則」
現在の社員数は45名です。弊社では「佐山の五則」を指針として、社員一人ひとりの幸せを何よりも重視しています。家族の時間を過ごせるように残業は極力減らし、給与面も小規模ながら比較的高い方だと思います。
社員教育としては、社内での勉強会や協力会社との研修会の機会を多く設け、商品知識や施工管理について学んでいます。弊社の取扱い商品は、ネジや座金、電動工具、安全用品など多岐にわたり、施工する現場によっては、資材や部材の組み合わせを変えていく必要もあるので日々の学びが欠かせません。
また、お客様に満足いただける品質を維持向上するには、職人のスキルアップが不可欠であり、各種の資格取得についても積極的にサポートしています。社員が安心して働けるように、業務上の疑問だけでなく、働き方などの個人的な相談もなるべく解消できるように、現在はメンター制度を導入し、先輩社員によるOJTや定期的な面談も行っています。
いい仕事のためには、息抜きの時間も大切です。毎年4月の健康診断後には、社員の家族も子どもも招いてバーベキュー大会を開催しています。昨年の社員旅行は協力会社の皆さんも招き、参加者約80人もの大所帯で沖縄へ行きました。弊社の事業が成り立つのは、社員と協力会社の方々のおかげであり、レクリエーションや社員旅行はこれからも定期的に実施したいと思っています。
家族のように社員を思い、働きやすい職場を作り、誰もが無理なく安心して働ける企業を作っていくことが経営者の役割です。私自身も日々勉強し、社員とともに歩んでいきます。
関東で一番信頼される企業を目指し、3段階の成長フェーズを設定
近年、建設業界は深刻な人手不足に悩まされていますが、社員第一の経営姿勢を守り続けてきた弊社の定着率は高く、社員から「社員一人ひとりを大切にしてくれる」といってもらえています。ただ、採用活動においてはまだまだ発信力が足りていないので、このツグナラのように対外的な情報発信の機会を設けることで、一緒に働いてくれる仲間を増やしていければと思っています。
ビジョンとしては「地場、関東で一番信頼される企業」と、2031年の第40期までに宇都宮営業所の設立、事務所の増設、社員寮の開設を目標として、3段階の成長フェーズを設けています。これからも栃木市の地元を大切にし、時勢を踏まえながら商圏を拡大していくことで、より広いエリアの雇用と経営の安定化、働きやすい職場環境を守っていきたいと思っています。

会社概要
社名 | 株式会社佐山 |
創立年 | 1923年 |
代表者名 | 代表取締役社長 佐山 謙三 |
資本金 | 2,000万円 |
URL |
https://www.kk-sayama.co.jp/
|
本社住所 |
〒328-0024 |
事業内容 | 【建設工事請負】 各種加工取付工事請負 【建材物販】 建築土木資材の販売 【鐵筋部】 鉄筋加工・組立請負の各種工事請負 |
関連会社 |


会社沿革
1923年 | 栃木町に金物販売業として佐山広吉が創業(栃木県栃木市倭町) |
1946年 | 鉄筋専門工事事業部化(栃木県栃木市本町) |
1947年 | 2代目代表取締役社長に佐山謙が就任 合資会社 佐山商店 設立 |
1973年 | 栃木県栃木市薗部町に鐡筋部移転 |
1989年 | 自社ビル完成 栃木市倭町にラックスビル(4階建て) 完成 |
1991年 | 株式会社 佐山 設立 |
2000年 | 3代目代表取締役社長に佐山俊朗が就任 |
2005年 | 4代目代表取締役社長に佐山謙三が就任 |
2019年 | 東日本台風(台風19号)にて被災(浸水被害) |
2020年 | 本社新設 栃木県栃木市樋ノ口町66-1に移転 |
2022年 | 企業賞金賞受賞 第3回栃木県建築展にて企業賞金賞を受賞 創業100周年 記念碑建立 |
2023年 | 本社ISO9001:2015認定取得 |
公開日:2025/09/12
※本記事の内容および所属名称は2025年9月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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