栃木・栃木市
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100億企業を
ひざつき製菓株式会社
喜びと一体感を分け合う「おいしさ」の創意工夫が未来を切り拓く
経営理念
価値ある「おいしさ」を追求し創造し続ける
代表者メッセージ
リヤカーで売り歩く「せんべい屋」の創業から100年、会社設立からは60年が経ちました。
弊社では、代々引き継がれてきた「変わらぬ味」と、時代とともに「変わり続けられる柔軟さ」を大切にしています。
この飽食の現代において、朝昼晩必要とされる主食とは違い、お菓子は「余分」な食べ物なのかもしれません。しかし「余分」だからこそ、誰かと分け合える楽しさや喜び、心のゆとりが生まれるのだと思います。
誰かと分け合うなら、お菓子は「おいしい」のが一番です。弊社では、商品を手に取ったお客様が大切な人と楽しいひとときを分け合えるように、常に「おいしさ」を追求し、チャレンジを続けています。既存の商品や仕組みにとらわれることなく、新商品の企画や販売方法を工夫し、振り返りと具体的な改善を積み重ねることで、お客様からのご要望にスピーディに対応しながら価値ある提案ができるように努めています。
今後は、「おいしさ」への挑戦と創造のために戦略を練り、実践により新領域を開拓してまいります。既存事業とのシナジー効果により事業の成長を促進させ、地域や業界への貢献も実現し、誰からも必要とされ頼られる菓子メーカーを目指します。
100周年の歴史を、未来に続く価値へと転換していけるよう、大手メーカーとはひと味違う「ひざつき製菓ならでは」の新たな価値を貪欲に追求し、「おいしさ」を更新し続けます。
代表取締役社長 膝附宥太
私たちのこだわり
戦時中の規制を乗り越え続けたせんべい屋
弊社は、1923年に初代の膝附武平が創業したせんべい屋がルーツとなっています。初代は、手作りのせんべいをリヤカーで売り歩き生活の糧としていたそうですが、創業当時の栃木市内には、小さな街ながらせんべい屋が100~200社(軒)もあったそうです。
せんべいをはじめとした米菓づくりは、この地ならではの生業として広まっていきましたが、第2次世界大戦の最中に、政府が米の生産・流通・価格を厳格に管理し、主食への割り振りを優先する「食糧管理法」という制度ができたことで加工用の米が手に入れにくくなり、米菓業は一気に衰退しました。そのため、初代も規制が緩和されるまでは蕎麦屋を営んでいたようですが、どうしてもせんべい屋を続けたいという強い思いがあったようです。
法人化しヒット商品を作った2代目
そして、戦後にせんべい屋を再開してからは、経営を2代目が担当するようになりました。2代目は人に好かれる気質で、物作りも得意なタイプ、1965年には法人化により「株式会社 膝附商店」を設立して、団子の小売店である「武平作」もスタートさせ、せんべいや団子のほかにあんみつなどの和生菓子の製造販売もするようになっていきました。
大手米菓メーカーの下請け
3代目の父は約40年前に入社しましたが、会社の経営はすでに傾いており、夜逃げするかどうか迷っていたほどだったそうです。3代目は入社から数年後に、M&Aに踏み切り、買い手先へのアプローチを始めました。数社に相談を持ちかけましたが合意にまでは至らず、大手米菓メーカーに相談しに行ったところ、株式や事業の買収ではなく、下請けをさせて頂くこととなりました。
大手の下請けをし始めてからは、生産や品質管理のノウハウを教わったことで、仕組化や効率化が一気に進んだそうです。大変な時期を乗り越えた3代目は、大手の米菓メーカーの下請けとなった当時について「M&Aで買収されていたら安心してしまって気力が入らなかったかもしれず、いつ切り離されるかわからない状況でがむしゃらについて行ったからこそ、今がある」とよく話してくれます。
3代目の経営を見て過ごした学生時代
現在4代目の私が幼稚園生の頃には、大手米菓メーカーの下請けとなってから数年が経ち、「えびせんべい」がヒットしたことで安定軌道に乗り始めていました。私の物心がついたころには経営状態も回復し、年1回は遠方に旅行に行けるまでに生活も良くなっていました。
私は小さなころから周りの人に「将来社長になるんでしょ」とよく言われていましたが、先代から「会社に入ってほしい」と言われたことは一度もなく、小学生のころには好きな先生がいたので、将来の夢には「小学校の先生になりたい」と書いていました。中学生のときには、家業を将来働く先として意識するようになり、中学2年生のときの職場体験では、訪問先に家業を選びました。当時移転したばかりの新しい工場の中を見学して、包装部で仕事の体験をしたことで、家業のイメージが少し現実的になりました。
私が家業を意識するようになったのは、3代目が楽しそうに仕事をしている姿を見ていたからでした。今思えば、苦しいタイミングがあってもそういった姿を見せないようにしていたのかもしれません。
高校卒業後は大学へ進学し、商学部へ入りました。大学卒業後は、家業に入る前に一般社員の立場で他社を見ておきたいと考え、あえて厳しい環境で学ぶために都内を中心とした飲食店への卸売会社に就職しました。
30年間会社を引っ張ってくれた常務のバトン
家業に入社した当時の会社の売上は15億円ほどでした。経営は安定していましたが、売上をガンガン伸ばしていく、社員への教育に力を入れていく文化は少なかったです。
入社後の1年目は「武平作」にて地元小売への卸売の営業を務め、2年目からは約30年間営業を牽引して頂いた常務のすべてを引き継ぐこととなりました。OEM(製造受託)やPB(プライベートブランド)の手配や進め方もほとんどわからないまま何十社ものお客様を一手に引き受けることとなり、理解しこなせるようになるまでは大変苦労しました。後継者として社名を背負っている以上は、内部事情でお客様や取引先に迷惑をかけるわけにはいかず、息子の代になったから売上が落ちたと思われるのもプライドとして許せなかったので必死に理解に努め、半年から1年でどうにか一通りの業務をこなせるようになりました。
30歳を超えてから何もわからないよりも、20代中盤で何も分からないので教えてくださいのスタンスの方がお客様から可愛がられるし、いざとなったらいつでも教えるからというのが常務の言ってくれた言葉でした。とても苦しく大変な時期ではありましたが、その時期があったからこそ今があるため引き継いで頂いた常務には大変感謝しています。
その後、外部要因による特需により売上が一気に増加し大変な時期がありましたが、売上を伸ばした方が良いことが多いというマインドが生まれ、積極採用もスタートしました。
マルチな対応力を自社の付加価値として更に拡大へと導く
そして2026年4月には、私が4代目として家業を継ぎました。現在、国内はインフレが続いていますが、弊社では下請け側が不利になりそうなOEMやPBの企画でも、提案がしやすい関係性づくりに努めております。お客様先の商品化のご希望に添いつつ、弊社の独自技術に加えて製造できる商品ラインナップを増やし、技術と設備、工夫の組み合わせによってさらに付加価値を生み出せるよう工夫を続けています。「ひざつき製菓に任せたい」「ひざつき製菓なら実現してくれる」とお客様に思っていただけるような仕組みづくりを今後も考えていきたいと思っています。
お客様のご要望に添う商品づくりが出来る工場体制や仕組み作りのために、自らお客様とのやりとりを続け、マーケットに近いところで動き続けたいと思っています。製造部とも密にコミュニケーションをとり、企画開発や物流にも対応することで、会社全体の最適解を常に考え動いていきます。
バックオフィス業務の分散と人的投資が目下の課題
現在の社員は、工場を含めて190~200名ほどで、目下の課題は人への投資です。製造部門には、20歳前半から下積みで入り、生地作りから焼き上げなどすべて知り尽くしているメンバーがいるのが強みです。
営業や管理・間接部門に関しては、採用に関するサイト上のやりとりやスカウトメール送信、一次面接のセッティング、総務全般業務、未経験の若手営業の育成も対応しています。限られた時間を大切に使わなくてはいけないと考え、RPO(採用代行サービス)などの活用により自分がやるべきこと、人にふった方が良いことを棚卸し、仕事の幅や質を上げ、さらに注力すべきところに時間を割こうと考えています。
「おいしさ」を中心としてきた会長の思いを引き継ぐ
弊社の会長は、「お菓子は本来食べない方が体にいい。あえて食べるならばおいしいものであるべき」と話しています。これは会社として目指し続けるべき本質だと思っています。この会長の考え方や経営計画の社内共有には徐々に力を入れているところです。
会長である父との関係性は良好で、会社の必然性に向かってお互いの役割を考え動くようにしています。
技術、連携、応用力により「100億宣言」実現の先を目指す
2034年度には「100億企業を目指す」と宣言し、日本一のOEM菓子メーカーを目指して動き始めたところです。社内メンバーには「しっかり給料を上げ、真剣に向き合うから、一緒に取り組んでいってほしい」と話し、更なる成長へ向けて準備を進めています。社内で蓄積してきた技術力と協力会社との連携力、機械設備などの投資によって事業を発展させていきたい考えです。
ここ最近では、100億、150億企業になったときのチームの人数や、どのような人財が必要になるかを逆算して考え始め、前のめりで採用し育てていこうと取り組んでいます。
展示会にも積極的に出展するようになり、販路拡大の可能性を広げているところです。
社長向きなのかどうか
どちらかと言うとチームを引っ張っていくというよりは2番手として支える方が得意だと思っておりトップとして旗振りをすることに不安がありました。学生時代から副代表などのポジションが多く、社内でも専務や営業部長という2番手として数字を積み上げていく方が向いていると思っていました。ですので未だに社長向きかどうかは分からないですが、「会社をもっと成長させて今の200人の社員の生活を少しでも良くしたい」、「もっと会社が大きくなった時のステージを味わいたい」という熱量が社長になってからは絶えずあふれ続けていて、自分でも驚いています。
2年3年後には視野や見え方が変わり、目指すべき目標も変わっていくかもしれませんが、社員を思う今の気持ちを忘れずに進み続けたいと思っています。
戦時中の規制を乗り越え続けたせんべい屋
弊社は、1923年に初代の膝附武平が創業したせんべい屋がルーツとなっています。初代は、手作りのせんべいをリヤカーで売り歩き生活の糧としていたそうですが、創業当時の栃木市内には、小さな街ながらせんべい屋が100~200社(軒)もあったそうです。
せんべいをはじめとした米菓づくりは、この地ならではの生業として広まっていきましたが、第2次世界大戦の最中に、政府が米の生産・流通・価格を厳格に管理し、主食への割り振りを優先する「食糧管理法」という制度ができたことで加工用の米が手に入れにくくなり、米菓業は一気に衰退しました。そのため、初代も規制が緩和されるまでは蕎麦屋を営んでいたようですが、どうしてもせんべい屋を続けたいという強い思いがあったようです。
法人化しヒット商品を作った2代目
そして、戦後にせんべい屋を再開してからは、経営を2代目が担当するようになりました。2代目は人に好かれる気質で、物作りも得意なタイプ、1965年には法人化により「株式会社 膝附商店」を設立して、団子の小売店である「武平作」もスタートさせ、せんべいや団子のほかにあんみつなどの和生菓子の製造販売もするようになっていきました。
大手米菓メーカーの下請け
3代目の父は約40年前に入社しましたが、会社の経営はすでに傾いており、夜逃げするかどうか迷っていたほどだったそうです。3代目は入社から数年後に、M&Aに踏み切り、買い手先へのアプローチを始めました。数社に相談を持ちかけましたが合意にまでは至らず、大手米菓メーカーに相談しに行ったところ、株式や事業の買収ではなく、下請けをさせて頂くこととなりました。
大手の下請けをし始めてからは、生産や品質管理のノウハウを教わったことで、仕組化や効率化が一気に進んだそうです。大変な時期を乗り越えた3代目は、大手の米菓メーカーの下請けとなった当時について「M&Aで買収されていたら安心してしまって気力が入らなかったかもしれず、いつ切り離されるかわからない状況でがむしゃらについて行ったからこそ、今がある」とよく話してくれます。
3代目の経営を見て過ごした学生時代
現在4代目の私が幼稚園生の頃には、大手米菓メーカーの下請けとなってから数年が経ち、「えびせんべい」がヒットしたことで安定軌道に乗り始めていました。私の物心がついたころには経営状態も回復し、年1回は遠方に旅行に行けるまでに生活も良くなっていました。
私は小さなころから周りの人に「将来社長になるんでしょ」とよく言われていましたが、先代から「会社に入ってほしい」と言われたことは一度もなく、小学生のころには好きな先生がいたので、将来の夢には「小学校の先生になりたい」と書いていました。中学生のときには、家業を将来働く先として意識するようになり、中学2年生のときの職場体験では、訪問先に家業を選びました。当時移転したばかりの新しい工場の中を見学して、包装部で仕事の体験をしたことで、家業のイメージが少し現実的になりました。
私が家業を意識するようになったのは、3代目が楽しそうに仕事をしている姿を見ていたからでした。今思えば、苦しいタイミングがあってもそういった姿を見せないようにしていたのかもしれません。
高校卒業後は大学へ進学し、商学部へ入りました。大学卒業後は、家業に入る前に一般社員の立場で他社を見ておきたいと考え、あえて厳しい環境で学ぶために都内を中心とした飲食店への卸売会社に就職しました。
30年間会社を引っ張ってくれた常務のバトン
家業に入社した当時の会社の売上は15億円ほどでした。経営は安定していましたが、売上をガンガン伸ばしていく、社員への教育に力を入れていく文化は少なかったです。
入社後の1年目は「武平作」にて地元小売への卸売の営業を務め、2年目からは約30年間営業を牽引して頂いた常務のすべてを引き継ぐこととなりました。OEM(製造受託)やPB(プライベートブランド)の手配や進め方もほとんどわからないまま何十社ものお客様を一手に引き受けることとなり、理解しこなせるようになるまでは大変苦労しました。後継者として社名を背負っている以上は、内部事情でお客様や取引先に迷惑をかけるわけにはいかず、息子の代になったから売上が落ちたと思われるのもプライドとして許せなかったので必死に理解に努め、半年から1年でどうにか一通りの業務をこなせるようになりました。
30歳を超えてから何もわからないよりも、20代中盤で何も分からないので教えてくださいのスタンスの方がお客様から可愛がられるし、いざとなったらいつでも教えるからというのが常務の言ってくれた言葉でした。とても苦しく大変な時期ではありましたが、その時期があったからこそ今があるため引き継いで頂いた常務には大変感謝しています。
その後、外部要因による特需により売上が一気に増加し大変な時期がありましたが、売上を伸ばした方が良いことが多いというマインドが生まれ、積極採用もスタートしました。
マルチな対応力を自社の付加価値として更に拡大へと導く
そして2026年4月には、私が4代目として家業を継ぎました。現在、国内はインフレが続いていますが、弊社では下請け側が不利になりそうなOEMやPBの企画でも、提案がしやすい関係性づくりに努めております。お客様先の商品化のご希望に添いつつ、弊社の独自技術に加えて製造できる商品ラインナップを増やし、技術と設備、工夫の組み合わせによってさらに付加価値を生み出せるよう工夫を続けています。「ひざつき製菓に任せたい」「ひざつき製菓なら実現してくれる」とお客様に思っていただけるような仕組みづくりを今後も考えていきたいと思っています。
お客様のご要望に添う商品づくりが出来る工場体制や仕組み作りのために、自らお客様とのやりとりを続け、マーケットに近いところで動き続けたいと思っています。製造部とも密にコミュニケーションをとり、企画開発や物流にも対応することで、会社全体の最適解を常に考え動いていきます。
バックオフィス業務の分散と人的投資が目下の課題
現在の社員は、工場を含めて190~200名ほどで、目下の課題は人への投資です。製造部門には、20歳前半から下積みで入り、生地作りから焼き上げなどすべて知り尽くしているメンバーがいるのが強みです。
営業や管理・間接部門に関しては、採用に関するサイト上のやりとりやスカウトメール送信、一次面接のセッティング、総務全般業務、未経験の若手営業の育成も対応しています。限られた時間を大切に使わなくてはいけないと考え、RPO(採用代行サービス)などの活用により自分がやるべきこと、人にふった方が良いことを棚卸し、仕事の幅や質を上げ、さらに注力すべきところに時間を割こうと考えています。
「おいしさ」を中心としてきた会長の思いを引き継ぐ
弊社の会長は、「お菓子は本来食べない方が体にいい。あえて食べるならばおいしいものであるべき」と話しています。これは会社として目指し続けるべき本質だと思っています。この会長の考え方や経営計画の社内共有には徐々に力を入れているところです。
会長である父との関係性は良好で、会社の必然性に向かってお互いの役割を考え動くようにしています。
技術、連携、応用力により「100億宣言」実現の先を目指す
2034年度には「100億企業を目指す」と宣言し、日本一のOEM菓子メーカーを目指して動き始めたところです。社内メンバーには「しっかり給料を上げ、真剣に向き合うから、一緒に取り組んでいってほしい」と話し、更なる成長へ向けて準備を進めています。社内で蓄積してきた技術力と協力会社との連携力、機械設備などの投資によって事業を発展させていきたい考えです。
ここ最近では、100億、150億企業になったときのチームの人数や、どのような人財が必要になるかを逆算して考え始め、前のめりで採用し育てていこうと取り組んでいます。
展示会にも積極的に出展するようになり、販路拡大の可能性を広げているところです。
社長向きなのかどうか
どちらかと言うとチームを引っ張っていくというよりは2番手として支える方が得意だと思っておりトップとして旗振りをすることに不安がありました。学生時代から副代表などのポジションが多く、社内でも専務や営業部長という2番手として数字を積み上げていく方が向いていると思っていました。ですので未だに社長向きかどうかは分からないですが、「会社をもっと成長させて今の200人の社員の生活を少しでも良くしたい」、「もっと会社が大きくなった時のステージを味わいたい」という熱量が社長になってからは絶えずあふれ続けていて、自分でも驚いています。
2年3年後には視野や見え方が変わり、目指すべき目標も変わっていくかもしれませんが、社員を思う今の気持ちを忘れずに進み続けたいと思っています。
会社概要
| 社名 | ひざつき製菓株式会社 |
| 創立年 | 1965年 |
| 代表者名 | 代表取締役社⻑ 膝附 宥太 |
| 資本金 | 2,000万円 |
| URL |
https://hizatsuki.com/
|
| 本社住所 |
〒328-0033 |
| 事業内容 | 米菓、スナック、生菓子等の製造・販売 |
| 事業エリア |
【直売店】 栃木本店 〒328-0033 栃木県栃木市城内町2-15-1 小山城南店 〒323-0829 栃木県小山市東城南4-30-1 宇都宮若草店 〒320-0072 栃木県宇都宮市若草5-15-5 アークタウン宇都宮店 〒321-0903 栃木県宇都宮市下平出町2945-1 |
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| 関連会社 |
会社沿革
| 1923年 | 初代・膝附武平が米菓製造業を開業 |
| 1965年 | 株式会社 膝附商店」を設立 ロングセラー商品「武平作」を発売 |
| 1970年 | 工場を新設 |
| 1972年 | 「膝附製菓 株式会社」へ商号変更 |
| 1975年 | 創業50周年「武平作だんご」開業 |
| 1984年 | 第20回全国菓子大博覧会にて「城壁」が名誉総裁賞を受賞 |
| 1995年 | 「ひざつき製菓株式会社」に社名変更 |
| 2001年 | 3代目・膝附武男が社長就任 |
| 2004年 | 本社工場を現住所に移転 |
| 2017年 | 国際認証「食品安全マネジメントシステム FSSC22000」を取得 |
| 2023年 | 「えびせんべい」が第60回ジャパン・フード・セレクションにて最高評価グランプリを受賞 創業100周年 |
| 2026年 | 4代目・膝附宥太が社長就任、膝附武男が会長就任 |
公開日:2026/10/13
※本記事の内容および所属名称は2026年10月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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