岐阜・高山市
岐阜 ・ 高山市
引継ぎ実績あり
飛騨高山の
有限会社舩坂酒造店
「観光×酒蔵」で老舗を立て直した若き経営者が次に目指すもの
経営理念
「笑倍絆醸(しょうばいはんじょう)」
ありがとうをいただこう、ありがとうを伝えよう
代表者メッセージ
舩坂酒造店はその前身である「大文屋」として、江戸時代末期に酒造りをスタートしました。それ以降、200年以上にも渡って、様々な出来事を乗り越えて歴史をつむいできました。
年間約500万人が訪れる観光地「飛騨高山」のメインストリートである「古い町並」に店舗を構えていることもあり、国内外問わず多くのお客様にお越しいただいています。今の酒造店があるのも各時代のお客様のお陰であると、日頃から感謝しています。
酒を造り、卸すだけでなく、土産品として一般の方も購入できる小売店を設け、更に飛騨の味覚とともに日本酒を楽しんでいただける食事処も併設しました。日本酒を、「造る」「味わう」「買う」の3つがそろった、地酒造り酒屋としては珍しい存在だと自負しています。酒造りから小売りまでを一貫して提供することで、お客様の声を直接商品開発に活かせる環境を自らで整えてきました。これからもお客様の声を大事にし、伝統を守りながらも、時代に応じた新たな酒造りを展開し続けるような酒屋でありたいと考えています。
最近では、海外からお声がけいただける機会も増え、アジアや欧米などの世界各国で舩坂酒造店のお酒を楽しんでいただけていることを、大変嬉しく思っております。
飛騨高山のお酒が地域外でも愛されることは、地元のPRにも繋がると考えています。お酒を通じて、飛騨高山にお越しいただける方々を増やして地元の活性化を図り、地域創生の好循環を作り出したいと考えています。
お客様、地域の皆様、社員など、舩坂酒造店に関わった多くの方々が笑顔で幸せになれるよう「笑倍絆醸(しょうばいはんじょう)」の経営理念を胸に、日々精進しております。
代表取締役社長 有巣 弘城
私たちのこだわり
飛騨高山で200年の歴史を持つ造り酒屋を承継
舩坂酒造店は、江戸時代に創業した「大文屋」を前身とする、200年以上の歴史を持つ造り酒屋です。店舗の所在地である岐阜県高山市の上三之町は、昔ながらの町並みが残る地域で、国から指定を受けた建造物の保存地区です。「古い町並」と呼称される城下町の雰囲気が人気を博し、国内外から年間約500万人が訪れる岐阜県有数の観光名所として知られている地域となっています。
老舗の造り酒屋として、長年地元の人々に愛されてきた舩坂酒造店でしたが、1970年代をピークに日本酒の国内消費量が減り続ける中で経営が悪化し、さらに後継者が不在であったことから、一時は廃業の危機に陥りました。そんなとき、私の実家が経営するアリスグループが、2009年に舩坂酒造店の事業を承継することになりました。
アリスグループは、飛騨高山を拠点に、飲食店を起点として事業を多角化してきたグループで、そのルーツは、曽祖父母が営んでいた「アリス食堂」です。昭和初期に高山市では当時としてかなりめずらしい洋食という業態で、お祝い事などの特別な日に足を運ぶようなレストランだったそうです。その後、曽祖父から経営を引き継いだ祖父が事業を拡大し、結婚式場や旅館業なども手掛けるグループに成長しました。現在では「本陣平野屋 花兆庵」という旅館がグループの中核事業となっており、そちらは私の両親が経営を担っています。舩坂酒造店を引き継いだ背景には、飲食店や旅館との相乗効果はもちろんですが、200年以上にもわたって続いてきた酒屋はもはや地域の財産であり、途絶えさせてはならないという思いがありました。
舩坂酒造店をアリスグループで引き継いだ後、祖父が代表に就任し、経営の立て直しに着手しました。2015年からは祖父の後を継ぎ、私が舩坂酒造店の代表を務めています。祖父と私が経営改善に取り組む中で、徐々に業績も向上し、2017年には売上が5億円(承継前の6倍強)を超えるまでに成長を遂げました。同年には「大吟醸四ッ星」が、日本で唯一のお酒に関する国の研究機関である独立行政法人酒類総合研究所の主催する全国新酒鑑評会で金賞を受賞するなど、味や品質面においても高い評価をいただいています。
アリスグループの後継者として生まれ、コンサルタントを経て家業に
私は、旅館を営む両親のもとに生まれました。祖父の子どもは4人姉妹で、私の母がその長女です。祖父は、自分の子どもが女の子ばかりだったこともあり、私をとてもかわいがってくれました。また、当時は「家業は長男が継ぐ」という考えが根強い時代だったこともあり、幼いころから「将来はお前が社長になるんだぞ」といわれて育ちました。小学校時代の長期休暇には、家業を手伝うようになり、自然と将来は社長になるという気持ちが日々醸成されていく少年時代を過ごしました。
しかし、大学へ進学したタイミングで、家業に入る前に違う社会を経験することも必要だと考えるようになり、大学卒業後は山田ビジネスコンサルティング(現:山田コンサルティンググループ、以下YCG)に就職しました。YCGに就職した理由は、私の家系が経営者であり、経営者をサポートしてくれるコンサルタントの業務に興味を持っていたからです。しばらくは経営者になる準備も兼ねてコンサルタントとして見識を磨き、30歳ぐらいで家業に戻るかどうかを検討しようと考えていました。
YCGに入社して1年ほど経ったときに、母から家業に戻ってこられないかという打診を受けました。私としては、まだコンサルタントとして活躍したいという思いもあったため、当初は断っていました。しかし、アリスグループとして舩坂酒造店を引き継ぐ決断をするタイミングで母が連絡してきたことがわかり、当時経営が不安定だった舩坂酒造店をグループに招き入れるにあたって、母も不安な気持ちになっているのだろうと察して、親孝行をするという思いからも当初の計画よりも早く家業に戻ることを決めました。YCGでの業務の引き継ぎなどを済ませて、2年半ほど働いた結果、家業に戻りました。家業以外での社会人経験はそのYCGに在籍していた期間だけでしたが、多くのことを学ぶことができ、今でも経営者としての糧になっています。
経営改善のために新たな事業に挑む
私は、2010年から舩坂酒造店で働き始めました。最初に着手したのはキャッシュフローの健全化です。酒屋の卸売り商売では、商品の納品と同時にその対価である料金をいただくのではなく、料金を後払いで入金いただく売掛が基本とされる商習慣です。加えて、季節により売上の変動が激しいため、会社としての資金の出し入れを安定化させ、資金繰りの目途を立てていく必要がありました。そのため、BtoBの酒の卸売りだけでなく、新たな事業を興すことを考えました。幸いアリスグループでは、飲食店や旅館などBtoCのビジネスノウハウがあったので、グループで協力して、日本酒の小売店や酒造に隣接したレストランを新規出店する事業を展開しました。
その後、事業が軌道に乗ってくると「日本酒のテーマパーク」をキャッチフレーズに、日本酒を造って売るだけでなく、酒造を見学できたり、利き酒体験ができたり、体験も含めて日本酒に関わる物事をワンストップで提供できるビジネスモデルを構築しました。「観光×酒蔵」というコンセプトを打ち出したことで、観光客をはじめ多くの来訪者から好評をいただいています。高山市としても観光振興に力を入れていたこともあり、その流れともマッチして、舩坂酒造店の売上は、2017年には5億円を超えるほどにまで成長することができました。
全ての人が笑顔になれる組織作り
弊社では、人財育成の一環として、社員のジョブローテーションを実施しています。お酒の製造や販売の現場を一定期間まわってもらっています。そうすることで、それぞれの部門の大変さを相互理解することにつながり、セクショナリズムを払拭することができています。また、製造の社員が販売店でお客様の反応や感想に触れることで、活きた意見を製造に活かすことができたり、販売の社員が製造に入ることでよりお酒の理解が深まり、接客品質が向上したりする効果も期待できます。
社員同士の親睦を図る目的で、3カ月に1回懇親会も開催しています。子育て等の事情で参加できない社員もいるので、もちろん参加は自由ですが、毎回9割近くの社員が参加します。部門の違う社員同士でもジョブローテーションを通じてお互いの仕事内容を把握しているので、活発なコミュニケーションが図られています。
私が懇親会を開催する背景には、弊社の経営理念である「笑倍絆醸(しょうばいはんじょう)」を社員同士で体現していきたいという狙いもあります。「笑倍絆醸」の理念の続きには、「ありがとうをいただこう、ありがとうを伝えよう」という言葉があります。社員同士でも懇親会がそのような機会になればよいなという思いで開催しています。一緒に働く仲間同士で「ありがとう」を言い合えるような組織にしていきたいと考えています。
日本酒造りのDX化に取り組み、脱属人化を目指す
日本酒造りの課題のひとつに「属人化」があります。一般的には、長年の経験により培われるコツや感覚のある職人でないと、日本酒造りは難しいとされています。日本酒造りにおいても、高齢化や後継者不足が目立つようになっており、廃業していく酒造も数多くあります。日本酒造りの職人が減っていく一方で、残った職人に掛かってくる負担が増えていると感じます。日本酒は雑菌の繁殖しにくい冬に仕込みの作業をすることが多く、寒い中早朝から多くの工程を数少ない職人で対応せざるを得ない環境になってしまっています。
日本酒造りという日本の伝統を絶やさないためには、職人の経験だけに頼る造り方ではなく、製造工程を「脱属人化」し、製造工程に関わることのできる人員を増やしていく必要があると考えています。その鍵になってくるのが、日本酒造りのDX化です。製造工程の機械化とIoT化を進めて、製造工程を革新していく必要があります。具体的には、発酵の温度管理や水分量の調整など、今までは職人の感覚に頼っていましたが、これを数値化し見える化することで、職人ではない人財でも再現性の高い日本酒造りを実現できると考えています。
新たな価値を作り出すウイスキー造りへの挑戦
弊社では、新たな取り組みとして、ウイスキー造りを始めました。地元である高山市の特徴として、昔ながらの町並みが残っていたり、先人から受け継いできた伝統や文化を大事に守っていたりすることが挙げられます。一方で、ウイスキーというお酒にも、長期熟成によるエイジングでお酒としての価値がどんどんと高まっていくという特徴があります。この高山市とウイスキーの特徴をかけ合わせることで、地域として新たな価値を創造することができるではないかと考えています。
日本酒においては、新鮮であることが価値として求められる一方で、エイジングに価値があるウイスキー造りは、舩坂酒造店にとっても成長の機会だと捉えています。新たなお客様を取り込むきっかけになることはもちろんですが、社員にとっても同じお酒の中でも、種類の異なるお酒を造ったり販売したりすることで、お酒に関する知識やノウハウが更に蓄積され、人財育成にも繋がると考えています。
このような取り組みを通じて、地域に新たな価値を見出し続けることが、舩坂酒造店としての使命だと思っています。アリスグループとの相乗効果も図りながら、愛する地元である高山市の発展に寄与するような組織になっていきたいです。
飛騨高山で200年の歴史を持つ造り酒屋を承継
舩坂酒造店は、江戸時代に創業した「大文屋」を前身とする、200年以上の歴史を持つ造り酒屋です。店舗の所在地である岐阜県高山市の上三之町は、昔ながらの町並みが残る地域で、国から指定を受けた建造物の保存地区です。「古い町並」と呼称される城下町の雰囲気が人気を博し、国内外から年間約500万人が訪れる岐阜県有数の観光名所として知られている地域となっています。
老舗の造り酒屋として、長年地元の人々に愛されてきた舩坂酒造店でしたが、1970年代をピークに日本酒の国内消費量が減り続ける中で経営が悪化し、さらに後継者が不在であったことから、一時は廃業の危機に陥りました。そんなとき、私の実家が経営するアリスグループが、2009年に舩坂酒造店の事業を承継することになりました。
アリスグループは、飛騨高山を拠点に、飲食店を起点として事業を多角化してきたグループで、そのルーツは、曽祖父母が営んでいた「アリス食堂」です。昭和初期に高山市では当時としてかなりめずらしい洋食という業態で、お祝い事などの特別な日に足を運ぶようなレストランだったそうです。その後、曽祖父から経営を引き継いだ祖父が事業を拡大し、結婚式場や旅館業なども手掛けるグループに成長しました。現在では「本陣平野屋 花兆庵」という旅館がグループの中核事業となっており、そちらは私の両親が経営を担っています。舩坂酒造店を引き継いだ背景には、飲食店や旅館との相乗効果はもちろんですが、200年以上にもわたって続いてきた酒屋はもはや地域の財産であり、途絶えさせてはならないという思いがありました。
舩坂酒造店をアリスグループで引き継いだ後、祖父が代表に就任し、経営の立て直しに着手しました。2015年からは祖父の後を継ぎ、私が舩坂酒造店の代表を務めています。祖父と私が経営改善に取り組む中で、徐々に業績も向上し、2017年には売上が5億円(承継前の6倍強)を超えるまでに成長を遂げました。同年には「大吟醸四ッ星」が、日本で唯一のお酒に関する国の研究機関である独立行政法人酒類総合研究所の主催する全国新酒鑑評会で金賞を受賞するなど、味や品質面においても高い評価をいただいています。
アリスグループの後継者として生まれ、コンサルタントを経て家業に
私は、旅館を営む両親のもとに生まれました。祖父の子どもは4人姉妹で、私の母がその長女です。祖父は、自分の子どもが女の子ばかりだったこともあり、私をとてもかわいがってくれました。また、当時は「家業は長男が継ぐ」という考えが根強い時代だったこともあり、幼いころから「将来はお前が社長になるんだぞ」といわれて育ちました。小学校時代の長期休暇には、家業を手伝うようになり、自然と将来は社長になるという気持ちが日々醸成されていく少年時代を過ごしました。
しかし、大学へ進学したタイミングで、家業に入る前に違う社会を経験することも必要だと考えるようになり、大学卒業後は山田ビジネスコンサルティング(現:山田コンサルティンググループ、以下YCG)に就職しました。YCGに就職した理由は、私の家系が経営者であり、経営者をサポートしてくれるコンサルタントの業務に興味を持っていたからです。しばらくは経営者になる準備も兼ねてコンサルタントとして見識を磨き、30歳ぐらいで家業に戻るかどうかを検討しようと考えていました。
YCGに入社して1年ほど経ったときに、母から家業に戻ってこられないかという打診を受けました。私としては、まだコンサルタントとして活躍したいという思いもあったため、当初は断っていました。しかし、アリスグループとして舩坂酒造店を引き継ぐ決断をするタイミングで母が連絡してきたことがわかり、当時経営が不安定だった舩坂酒造店をグループに招き入れるにあたって、母も不安な気持ちになっているのだろうと察して、親孝行をするという思いからも当初の計画よりも早く家業に戻ることを決めました。YCGでの業務の引き継ぎなどを済ませて、2年半ほど働いた結果、家業に戻りました。家業以外での社会人経験はそのYCGに在籍していた期間だけでしたが、多くのことを学ぶことができ、今でも経営者としての糧になっています。
経営改善のために新たな事業に挑む
私は、2010年から舩坂酒造店で働き始めました。最初に着手したのはキャッシュフローの健全化です。酒屋の卸売り商売では、商品の納品と同時にその対価である料金をいただくのではなく、料金を後払いで入金いただく売掛が基本とされる商習慣です。加えて、季節により売上の変動が激しいため、会社としての資金の出し入れを安定化させ、資金繰りの目途を立てていく必要がありました。そのため、BtoBの酒の卸売りだけでなく、新たな事業を興すことを考えました。幸いアリスグループでは、飲食店や旅館などBtoCのビジネスノウハウがあったので、グループで協力して、日本酒の小売店や酒造に隣接したレストランを新規出店する事業を展開しました。
その後、事業が軌道に乗ってくると「日本酒のテーマパーク」をキャッチフレーズに、日本酒を造って売るだけでなく、酒造を見学できたり、利き酒体験ができたり、体験も含めて日本酒に関わる物事をワンストップで提供できるビジネスモデルを構築しました。「観光×酒蔵」というコンセプトを打ち出したことで、観光客をはじめ多くの来訪者から好評をいただいています。高山市としても観光振興に力を入れていたこともあり、その流れともマッチして、舩坂酒造店の売上は、2017年には5億円を超えるほどにまで成長することができました。
全ての人が笑顔になれる組織作り
弊社では、人財育成の一環として、社員のジョブローテーションを実施しています。お酒の製造や販売の現場を一定期間まわってもらっています。そうすることで、それぞれの部門の大変さを相互理解することにつながり、セクショナリズムを払拭することができています。また、製造の社員が販売店でお客様の反応や感想に触れることで、活きた意見を製造に活かすことができたり、販売の社員が製造に入ることでよりお酒の理解が深まり、接客品質が向上したりする効果も期待できます。
社員同士の親睦を図る目的で、3カ月に1回懇親会も開催しています。子育て等の事情で参加できない社員もいるので、もちろん参加は自由ですが、毎回9割近くの社員が参加します。部門の違う社員同士でもジョブローテーションを通じてお互いの仕事内容を把握しているので、活発なコミュニケーションが図られています。
私が懇親会を開催する背景には、弊社の経営理念である「笑倍絆醸(しょうばいはんじょう)」を社員同士で体現していきたいという狙いもあります。「笑倍絆醸」の理念の続きには、「ありがとうをいただこう、ありがとうを伝えよう」という言葉があります。社員同士でも懇親会がそのような機会になればよいなという思いで開催しています。一緒に働く仲間同士で「ありがとう」を言い合えるような組織にしていきたいと考えています。
日本酒造りのDX化に取り組み、脱属人化を目指す
日本酒造りの課題のひとつに「属人化」があります。一般的には、長年の経験により培われるコツや感覚のある職人でないと、日本酒造りは難しいとされています。日本酒造りにおいても、高齢化や後継者不足が目立つようになっており、廃業していく酒造も数多くあります。日本酒造りの職人が減っていく一方で、残った職人に掛かってくる負担が増えていると感じます。日本酒は雑菌の繁殖しにくい冬に仕込みの作業をすることが多く、寒い中早朝から多くの工程を数少ない職人で対応せざるを得ない環境になってしまっています。
日本酒造りという日本の伝統を絶やさないためには、職人の経験だけに頼る造り方ではなく、製造工程を「脱属人化」し、製造工程に関わることのできる人員を増やしていく必要があると考えています。その鍵になってくるのが、日本酒造りのDX化です。製造工程の機械化とIoT化を進めて、製造工程を革新していく必要があります。具体的には、発酵の温度管理や水分量の調整など、今までは職人の感覚に頼っていましたが、これを数値化し見える化することで、職人ではない人財でも再現性の高い日本酒造りを実現できると考えています。
新たな価値を作り出すウイスキー造りへの挑戦
弊社では、新たな取り組みとして、ウイスキー造りを始めました。地元である高山市の特徴として、昔ながらの町並みが残っていたり、先人から受け継いできた伝統や文化を大事に守っていたりすることが挙げられます。一方で、ウイスキーというお酒にも、長期熟成によるエイジングでお酒としての価値がどんどんと高まっていくという特徴があります。この高山市とウイスキーの特徴をかけ合わせることで、地域として新たな価値を創造することができるではないかと考えています。
日本酒においては、新鮮であることが価値として求められる一方で、エイジングに価値があるウイスキー造りは、舩坂酒造店にとっても成長の機会だと捉えています。新たなお客様を取り込むきっかけになることはもちろんですが、社員にとっても同じお酒の中でも、種類の異なるお酒を造ったり販売したりすることで、お酒に関する知識やノウハウが更に蓄積され、人財育成にも繋がると考えています。
このような取り組みを通じて、地域に新たな価値を見出し続けることが、舩坂酒造店としての使命だと思っています。アリスグループとの相乗効果も図りながら、愛する地元である高山市の発展に寄与するような組織になっていきたいです。
会社概要
社名 | 有限会社舩坂酒造店 |
創立年 | 1703年 |
代表者名 | 代表取締役社長 有巣 弘城 |
資本金 | 2,400万円 |
URL |
https://www.funasaka-shuzo.co.jp/
|
本社住所 |
〒506-0846 |
事業内容 | 日本酒の製造・販売 飲食店経営 |
関連会社 |
会社沿革
1703年 | 大文屋として酒造りを開始 |
2009年 | アリスグループで舩坂酒造店を承継し、新体制で運営開始 有巣 一臣が代表取締役社長に就任 |
2010年 | フラッグシップ高級酒として「大吟醸 四ツ星」を製造&販売開始 店舗リニューアルオープン(売店拡張・中庭併設 等) 併設食事処「味の与平」を新規オープン |
2013年 | 上二之町隣地にて新工場の建設着手 新工場の完成&稼働開始 |
2014年 | 海外輸出を開始(初年度:出荷本数 144本/売上高 約15万円) 「ゆず兵衛」が「飛騨・美濃すぐれもの」に認定(岐阜県) |
2015年 | 有巣 弘城が代表取締役社長に就任、有巣 一臣が代表取締役会長に就任 |
2016年 | 工場2Fに冷蔵庫を増設し、吟醸酒を中心に瓶貯体制を開始し、更なる品質向上へ |
2017年 | 全体売上高が5億円を超える 「大吟醸 四ツ星」が全国新酒鑑評会で金賞を受賞(平岡杜氏 就任初) 「特別純米 深山菊」がユダヤ人の方も安心して飲める認証「コーシャ認証」に認定(東海県内蔵元で初) 単年の海外輸出本数が10,000本を超え、年間売上高も1,000万円を超える |
2018年 | 「地域未来牽引企業」 に選定され、世耕経産大臣より表彰を受ける |
2019年 | 「ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019特別版」レセプション乾杯酒に舩坂酒造店の《大吟醸深山菊》が選ばれる |
2020年 | 中部国際空港セントレアにて日本初お酒専門の免税店「空乃酒蔵」でオリジナル酒に舩坂酒造店の日本酒が選ばれる |
2021年 | 飛騨高山初 コイン1枚で1銘柄楽しめる「日本酒コインサーバー」の運用開始 |
2022年 | 大吟醸四ッ星が4年ぶり4度目の岐阜県最高賞「岐阜県知事賞」を受賞 舩坂酒造店が高山地域の廃校跡地を利用し岐阜県初のウィスキー専門蒸留所「飛騨高山蒸溜所」開設を発表 飛騨高山蒸溜所のクラウドファンディングにてサポーター929人による応援購入金額3760万で目標金額1881%を達成 |
有限会社舩坂酒造店の経営資源引継ぎ募集情報
事業引継ぎ
岐阜県
愛知県
地域に根差した酒屋が新事業を募集
人的資本引継ぎ
岐阜県
愛知県
笑顔あふれる職場を目指す老舗酒造が人財を募集
公開日:2024/02/07
※本記事の内容および所属名称は2024年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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