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人と
ファイン株式会社
使う人に寄り添う、サステナブルな歯ブラシと介護用品メーカー
経営理念
真ん中にアイがある
代表者メッセージ
− 不便を便利に、不安を安心に変えるお手伝い −
近年、口腔ケアに関する意識は格段に上がり、口腔内の状態が全身に及ぼす影響についての研究も進んできており、益々日常のケアの重要性が高まっております。
口は、健康を保つための食事を摂ったり、言葉を発したりする機能以外に、その方のイメージをも表現する大切な器官であるため、常に清潔であるべきと考えます。
ファイン株式会社は、1973年(昭和48年)に歯ブラシの専門メーカーとして前身会社から独立致しました。
以来、10数年前から取り組んでいる石油原料を使わない植物性樹脂製のエコ歯ブラシ、安全なリング型のベビー用歯ブラシ、吸引器を活用した介護用吸引歯ブラシ、むし歯の原因にならないグミキャンディなど、口腔衛生関連のユニークでありながら生活に密着した商品等を発信してまいりました。
「ファイン」にも「FINE」にも「アイ」という言葉は中に入っています。どの仕事にも真ん中に愛を持って対応することが私たちのモノづくりです。ベビーから高齢の方の歯ブラシや介護用品など、きめ細やかな視点で商品開発を行い、開発、製造~包装まで全て国内の自社工場や国内協力会社様と連携し、安心・安全な商品を生産・出荷しております。
これからも全社一丸となってたゆまぬ努力を続けてまいりたいと存じます。今後とも、ご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
ファイン株式会社 代表取締役社長 清水直子
私たちのこだわり
大阪でろうそく事業を始めた初代と、歯ブラシ事業を承継した二代目
弊社は、父の叔父にあたる大叔父・若松誠造が1948年(昭和23年)に大阪府大阪市城東区で創業した「若松油脂化学工業所」が起点となっています。第二次世界大戦の終戦後に満州から引き揚げてきた初代の大叔父は、電力の供給が不安定で停電も頻繁にある中で、照明の需要を見込んでろうそくの事業を始めました。ろうそくは順調に売れ、事業として軌道に乗りました。創業から10年後の1958年(昭和33年)には歯ブラシの製造販売を開始し、法人組織として社名を「若松産業株式会社」に改称しました。創業の地である大阪市城東区の近隣には、国内最大の歯ブラシの生産地として栄えている八尾市、東大阪市があり、初代はろうそくと同様に日用品としての安定的な需要があると考えたのかもしれません。その5年後の1963年(昭和38年)には病院の経営も始め、事業を多角化させて会社の地盤を強化していきました。
創業から25年後の1973年(昭和48年)には、歯ブラシ事業とろうそく事業が分離独立することになり、当時、若松産業の東京営業所長として関東地区を担当していた父の清水益男が歯ブラシ事業を引継ぎ、東京都品川区に本社を構え操業を開始しました。
二代目の父は、薬局を通じた販売ルート確立させて自社製品を販売するほか、大手スーパーチェーンのPB(流通業者や小売業者が企画から販売までを行うオリジナル商品)の歯ブラシ製造を手掛け、堅実に経営を続けていきました。1975年(昭和50年)には、自社製品である歯ブラシの名称をとり「ファイン株式会社」に改称しました。
承継を巡る苦難
二代目である父は、子どもが三姉妹であったことから承継に悩んでいましたが、そのうち長子である姉が婿を取ってその姉婿が清水の名前も継ぐことになり、後継者問題は解決したように見えました。一方、三姉妹の末子である私は、短大の欧米文化学科を卒業して、神田にある貿易会社に勤めていました。入社2年目に、弊社に海外人気キャラクターの歯ブラシの製造を委託していた会社が版権元との契約終了に伴い、製造を請け負っていた弊社が版権元と直接契約を結ぶこととなりました。それにあたって手続きに要する英語の読み書きや、当時はまだほとんど普及していなかったパソコンができる人材が必要となり、1990年(平成2年)22歳の時に私が呼び戻され、海外との事務手続きを中心に手伝い始めました。当時は姉婿もいたため後継ぎ候補にという考えは全くなく、英語の技能を活かして事務を手伝う程度のつもりで入社しました。
しかし二年程で姉婿の承継が破談となり、さらに二代目が体調を崩してしまいました。闘病を続ける中で二代目は母への承継を決め、それまで経理などの事務を担ってきた母・和恵は1994年(平成6年)に三代目社長に就任して私も取締役に就き、承継を見届けた二代目は翌年に亡くなりました。
三代目が社長に就任してから会長に就任するまでの16年間は、手探りながらも双方が盛んに議論を交わし、ファイン流の帝王学をOJT的に学びました。
お客様の要望に添う、一点特化の歯ブラシを手掛ける
三代目である母が社長に就任した頃は、薬局が個人経営からドラッグストアチェーン化し始めた時で、CMなどで認知されたものや、安価な歯ブラシが多く取り扱われるようになり、ルートセールスでは新たな販路が獲得できない状況でした。事業承継した際、歯ブラシ事業の進退を検討しましたが、世界の誰もがよく使う日用品の中で自社事業に最も適しているのはやはり歯ブラシだと思い至り、大手との価格競争をするよりも特定のお客様の要望に添う一点特化の製品を作ろうと開発を始めました。
子どもが歯磨き中に転倒して歯ブラシの柄が口の中を傷つける事故があったと聞いた時には、姉の子ども達が通う保育園仲間に協力してもらいながら安全なリング型のベビー用歯ブラシを作り、障がい者施設から「リング型歯ブラシを障害者でも使えるようにして、入所者が1つでも多く自分でできることを増やしたい」という依頼をいただいてからは、障がいのある方が自分で歯ブラシを持って磨ける自助具を作るだけではなく、生活がより良いものになるようにと介護用品の開発も手掛けるようになりました。
また、言語聴覚士の方からのアイデアで「嚥下(えんげ)障害のある方用の歯ブラシ」として、新たに高価な危機を購入しなくても、手持ちの吸引器に繋げられる吸引歯ブラシを共同開発しました。納品後、吸引歯ブラシを活用して下さった施設からは「発熱や肺炎を起こす患者数が半分になった」という報告をいただき、弊社の歯ブラシがお客様の健康や生活に役立っているという実感を得るとともに、お客様のご要望一つ一つに耳を傾け、製品づくりをしている自社への誇りが芽生えていきました。
「環境」に着目した自然素材の歯ブラシの試作を開始
取締役として三代目の活躍をサポートしてきた私は、当時から興味のあった「環境」をテーマにした製品作りを提案したところ、三代目は早速紙や自然素材を使用した試作品の開発を始めました。自然素材の歯ブラシは水分や熱、衝撃に弱い上、耐久年数が短く、歯磨き粉との相性もあって破損しやすいため、安全性が確保できるようになるまで大変苦労しました。1998年には紙とPLA(植物由来のプラスチック素材)を混ぜた歯ブラシの商品化にまでこぎつけたものの、数年経つと破損。その後は素材を変えながら自然素材の歯ブラシの製造を続けていきました。OEM製品として採用してもらったこともありましたが、樹脂メーカーの想定より早く分解が始まり次々と破損の報告が来て、社告を出して回収しなければならなくなりました。この一件で歯ブラシに適した樹脂がないことも分かり、市場の反応を鑑みて2006年(平成18年)に在庫限りでの終売と撤退をアナウンスしました。
ところが撤退の表明をした途端、化学物質過敏症の方をはじめとした愛用者の方々から「ファインさんの歯ブラシがなくなったら困る」「生産が終わってしまうのだったら在庫を全部買い取りたい」というご要望が多く寄せられたことで「困っている方がいるのに、うちで作らずどこが作るのか」と奮起し、試作と製造、販売を再開しました。
ところが安全で歯ブラシとしての耐久性や耐熱性がある素材を探すのは大変であり、苦戦し続けていました。そんなある日、ある業者が竹の利活用プロジェクトの一環でできた生分解性の樹脂を持ち込み、これを使って試作を繰り返したところ、それまで作ってきた中で最も歯ブラシの柄に適した素材となりました。今後の破損事故を防ぐため、製造後2年間の品質保持期限を打刻することにしました。しかも竹自体は包装資材に使うインクなども使われている有機溶剤なども吸着しやすいため、化学物質過敏症の方向けの販売には生産管理や品質保持のほか梱包にも注意が必要ですが、欲しいと言って下さる方がいる限りは労力がかかっても、会社の体力がある限りは作り続けようと決意しました。
竹の歯ブラシはご注文やお問い合わせも順調に伸び、大手小売店にも導入されてこれからという時に、発売から数ヶ月でリーマンショックのあおりを受けた樹脂の製造元が廃業し、製造できなくなる危機に陥りました。廃業した経営者を4年間探し続け、無事に再開できたものの、製造元の高齢化の問題もあり遅かれ早かれ今後も製造の危機があることから、昨年11月、弊社が樹脂の製造元から製造に関する特許権と技術、機械を譲受することになりました。
この歯ブラシに使用している竹材は、伊賀工場に隣接する竹を活用しています。竹を微粉末にして樹脂と混合し、充分な強度を出す技術は難しく、弊社の専売特許であり、生分解性樹脂の製造から歯ブラシにして納められるのは業界ではほぼ当社だけだと思います。現在は、竹だけでなく多摩産材のヒノキや米など地域資源を活用した樹脂も製造できるようになりました。
四代目社長に就任後、新たな「ファインらしさ」を追求し続ける
2006年(平成18年)に副社長に就任してからは後継者としての自覚が徐々に芽生え、ものづくりや財務、経営などを基礎から学び直すようになりました。そして2010年(平成22年)には70歳を控えた三代目が会長職に勇退、その後継として社長に就任してからは、自社事業である歯ブラシづくりの奥深さと面白さにさらに魅了されています。二代目の父は、「自分の時は成り行きで歯ブラシ事業を継ぐことになったが、歯ブラシにはこだわらなくてもいい、直子の時代には会社を使って自由に事業をしてみなさい」と手紙に遺してくれてました。私も、弊社の歯ブラシを必要とする方がいなくなれば、事業から撤退するのもありかもしれないと思いつつも、昨年新たに樹脂加工の技術を手に入れたことで、どのように歯ブラシや他事業に反映させていこうかと胸を躍らせています。
弊社は三代目の時からグッドデザイン賞を何度かいただき、品質や実用性に長けた部分を高く評価していただいています。この評価は真面目に経営を続けてきた初代から三代目への評価そのものであり、四代目である私は、その良さを受け継ぎながらデザインや言い回しでの「遊び」や、見た目の美しさも盛り込み、新たな「ファインらしさ」を築き上げていきたいと考えています。
三代目が築いた「人」に優しい製品作りが、現在になり功を奏す
現在の歯ブラシ事業の売上比率としては、ODMの依頼もあるベビー用品の比率が最も高く、競合も多い状態です。しかし子どもの成長は早いため、ベビー用の歯ブラシがご家庭で使われる期間は短く、さらに少子化に伴い売場も減少傾向にあります。
その一方で、高齢化により介護用品は売上も市場も伸びてきており、毎年安定しています。お年寄りは、健康な方から介護が必要な方まで幅が広く、歯の状態も人により大きく異なるため、どの層に照準を定めるかが難しいことから新規参入がしづらい領域です。弊社がこの領域で良いポジションを確立できたのは、三代目が「人」に優しい製品作りを目指して小さな要望にも応え続けてきたからだと思います。近年になり、口腔内のコンディションが健康に繋がることが再認識され、さらにSDGsが社会的に広がったことで、企業活動として地道に取り組んできた弊社にもスポットが当たるようになったのだと思います。
企画から製造販売までを自社一貫で行うこだわり
弊社では、若松産業から分離独立した当初より、企画開発から製造、販売までを自社で一貫して行っています。工場は、三代目が社長を務めていた時に、生産性向上などを目的として大阪府八尾市、三重県名張市、三重県伊賀市にあった工場を段階的に統合し、一番広くて新しい伊賀市の工場に機能を集約しました。
八尾の工場を名張市の工場に統合しようという計画が持ち上がった時には、工場長を長く勤めてきた方が定年間近であったため、勤め上げるまで待ってから移行を開始したという三代目ならではのエピソードがあります。その分、半製品の在庫を各工場に置いたため、在庫が膨れ上がるなど、大変な時期もありましたが、働く人を大切に思う三代目の人情味が感じられる話だと思っています。
また、名張の工場では粘着式のネズミ取り器を製造していましたが、操業停止後は倉庫として使用していました。2021年11月には歯ブラシの柄に使う生分解性樹脂製造に関する特許や技術と機械を取得したことで、名張も工場として再稼働できるようになりました。今後、樹脂の需要が増えたら、大きな工場に移りたいと考えています。
弊社が自由にものづくりに取り組めるのは、自社の社員が各持ち場で頑張ってくれているからです。他社の枠組みの中で部分的な仕事をするよりも、各事業所が一体となって一つの製品を創り上げることで、弊社の想いが込もった、自由なものづくりができると考えています。今後も、弊社で働く人を大切にする経営を続けていきます。
「ファインらしさ」を追求する製品づくり
歯ブラシは1本200円としても1年で2千円、一生を85歳までとしても一人が歯ブラシに使う額は17万円ほどです。今後日本の人口が減少していく中で、歯ブラシの事業が果たして商売として成り立つのか、パイの奪い合いになるのではないか、ということが懸念点です。また、メーカーがいいものを提供したいと思いながら丁寧に作ったとしても、消費者に買ってもらえなければ会社として生き残っていくことはできません。目先のエコやリサイクルで良しとしてしまっている社会で、メーカーとしての葛藤は常にあります。悩んだ時には「真ん中にアイがある」という経営理念に立ち返り、ファインらしさを追求するようにしています。
世代を超えた意見の交流により、全社員が成長する会社へ
現在(2022年7月)、社員は8名、パート8名の計16名となっています。リファラル採用(社員に友人や知人を紹介してもらう採用方法)が増えましたが、ハローワークからの採用もあります。
仕事内容は一人一人違い、社員が自ら考え仕事に取り組んでいるので自由でアットホームな雰囲気です。一方で、マニュアルやカリキュラムもないので定型化されておらず評価も分かりづらいため、改良に向けて取り組んでいます。
弊社では「人材=宝」と考えており、社員には会社と家庭の両方で幸せになってほしいと考えています。個々の得意、不得意を汲み取り、能力を最大限に活かせる業務を任せて、社員が思い切り働きながらも業務を負いすぎないように仕事を分散させて、プライベートの時間も大切にしてもらえるように時間の管理に努めています。
そして、よりよい製品づくりには、社員のチャレンジ精神を大切にして成功体験を積んでもらえるようにすることが最も大切だと考えています。会社全体を活性化させ挑戦意欲を育むには、過去の失敗体験も生かしつつ、若い人が主導で世代を超えて意見を交わしながら全員が成長していくことが大事です。
事業拡大に伴い、現在はさまざまな部署で求人を行っていますが、特に伊賀の工場には若い技術者に入っていただき、成長してもらいたいと考えています。また本社の方は、ストーリーを作りブランディングに繋げられる、発信力のある広報や営業企画に入社していただき、事業とともに会社全体を盛り立ててもらえたら嬉しいです。
事業の可能性を広げながら「駆け込み寺」として必要とされる会社へ
現在も、毎日のようにオリジナルの歯ブラシを制作したいというお問い合わせが寄せられています。現在、取締役であり私のパートナーが中心となってデザインや設計に携わり、初めて歯ブラシを作るというお客様にもアイデア出しから製品化までのお手伝いをしております。また地域のお子様から法人までの多くの方が「ものづくり」を楽しめる場を作りたいと考え、伊賀工場では歯ブラシづくりを体験できる「ふぁいん らぼ」を開設しております。
弊社では、竹材以外の資源も樹脂に加工できるようにもなったため、米や小麦のもみ殻など地域で処分に困っている資源を弊社が加工して歯ブラシに成型するほか、樹脂ペレットの状態で納めることも可能になりました。射出成型機をお持ちの会社であれば、コップや皿などの形に加工いただけます。今後もさまざまな人や企業とアイデアを出し合いしながら、まだ扱ったことのない資源を歯ブラシなどの製品に再生して、手に取った方々の生活を彩りながら環境にも優しいものづくりをしていきたいと考えています。これらの新事業は、最も身近な日用品であり、全世界の人がユーザーとなり得る歯ブラシだからこそ挑戦できることだと思います。これからも地域に開かれた歯ブラシの「駆け込み寺」であり続けるとともに、エシカル消費(人、社会、環境に配慮した消費行動)を意識してもらえるような製品を手掛け、循環型社会に繋げられる会社へと成長していきたい考えです。
会社の成長のため、自らの殻を破る
今までは拡大志向はありませんでしたが、会社を大きくしようとする気概で新しいことに挑戦することは経営者として大切だったのだと反省しています。会社は社長の器以上にはなりません。だからこそ、私自身がどれだけ自分の殻を破れるかが今後の大きな課題だと思っています。M&A等により事業を承継する場合には、譲受先の先代経営者や親族、番頭さんなど、弊社で育まれた人や事業以外を受け容れ、違いを理解してもらいながらも、全員がいきいきと働けるように舵取りをしていけるようにする必要があります。その苦労さえ乗り越えれば、会社としても、経営者としても大きく成長し飛躍できるはずです。私自身も10年後には65歳になりバトンタッチする側になっていくので、今後は課題をクリアしながら、どのように動けば後悔しないかを日々考え、前進していきたいと思っています。
大阪でろうそく事業を始めた初代と、歯ブラシ事業を承継した二代目
弊社は、父の叔父にあたる大叔父・若松誠造が1948年(昭和23年)に大阪府大阪市城東区で創業した「若松油脂化学工業所」が起点となっています。第二次世界大戦の終戦後に満州から引き揚げてきた初代の大叔父は、電力の供給が不安定で停電も頻繁にある中で、照明の需要を見込んでろうそくの事業を始めました。ろうそくは順調に売れ、事業として軌道に乗りました。創業から10年後の1958年(昭和33年)には歯ブラシの製造販売を開始し、法人組織として社名を「若松産業株式会社」に改称しました。創業の地である大阪市城東区の近隣には、国内最大の歯ブラシの生産地として栄えている八尾市、東大阪市があり、初代はろうそくと同様に日用品としての安定的な需要があると考えたのかもしれません。その5年後の1963年(昭和38年)には病院の経営も始め、事業を多角化させて会社の地盤を強化していきました。
創業から25年後の1973年(昭和48年)には、歯ブラシ事業とろうそく事業が分離独立することになり、当時、若松産業の東京営業所長として関東地区を担当していた父の清水益男が歯ブラシ事業を引継ぎ、東京都品川区に本社を構え操業を開始しました。
二代目の父は、薬局を通じた販売ルート確立させて自社製品を販売するほか、大手スーパーチェーンのPB(流通業者や小売業者が企画から販売までを行うオリジナル商品)の歯ブラシ製造を手掛け、堅実に経営を続けていきました。1975年(昭和50年)には、自社製品である歯ブラシの名称をとり「ファイン株式会社」に改称しました。
承継を巡る苦難
二代目である父は、子どもが三姉妹であったことから承継に悩んでいましたが、そのうち長子である姉が婿を取ってその姉婿が清水の名前も継ぐことになり、後継者問題は解決したように見えました。一方、三姉妹の末子である私は、短大の欧米文化学科を卒業して、神田にある貿易会社に勤めていました。入社2年目に、弊社に海外人気キャラクターの歯ブラシの製造を委託していた会社が版権元との契約終了に伴い、製造を請け負っていた弊社が版権元と直接契約を結ぶこととなりました。それにあたって手続きに要する英語の読み書きや、当時はまだほとんど普及していなかったパソコンができる人材が必要となり、1990年(平成2年)22歳の時に私が呼び戻され、海外との事務手続きを中心に手伝い始めました。当時は姉婿もいたため後継ぎ候補にという考えは全くなく、英語の技能を活かして事務を手伝う程度のつもりで入社しました。
しかし二年程で姉婿の承継が破談となり、さらに二代目が体調を崩してしまいました。闘病を続ける中で二代目は母への承継を決め、それまで経理などの事務を担ってきた母・和恵は1994年(平成6年)に三代目社長に就任して私も取締役に就き、承継を見届けた二代目は翌年に亡くなりました。
三代目が社長に就任してから会長に就任するまでの16年間は、手探りながらも双方が盛んに議論を交わし、ファイン流の帝王学をOJT的に学びました。
お客様の要望に添う、一点特化の歯ブラシを手掛ける
三代目である母が社長に就任した頃は、薬局が個人経営からドラッグストアチェーン化し始めた時で、CMなどで認知されたものや、安価な歯ブラシが多く取り扱われるようになり、ルートセールスでは新たな販路が獲得できない状況でした。事業承継した際、歯ブラシ事業の進退を検討しましたが、世界の誰もがよく使う日用品の中で自社事業に最も適しているのはやはり歯ブラシだと思い至り、大手との価格競争をするよりも特定のお客様の要望に添う一点特化の製品を作ろうと開発を始めました。
子どもが歯磨き中に転倒して歯ブラシの柄が口の中を傷つける事故があったと聞いた時には、姉の子ども達が通う保育園仲間に協力してもらいながら安全なリング型のベビー用歯ブラシを作り、障がい者施設から「リング型歯ブラシを障害者でも使えるようにして、入所者が1つでも多く自分でできることを増やしたい」という依頼をいただいてからは、障がいのある方が自分で歯ブラシを持って磨ける自助具を作るだけではなく、生活がより良いものになるようにと介護用品の開発も手掛けるようになりました。
また、言語聴覚士の方からのアイデアで「嚥下(えんげ)障害のある方用の歯ブラシ」として、新たに高価な危機を購入しなくても、手持ちの吸引器に繋げられる吸引歯ブラシを共同開発しました。納品後、吸引歯ブラシを活用して下さった施設からは「発熱や肺炎を起こす患者数が半分になった」という報告をいただき、弊社の歯ブラシがお客様の健康や生活に役立っているという実感を得るとともに、お客様のご要望一つ一つに耳を傾け、製品づくりをしている自社への誇りが芽生えていきました。
「環境」に着目した自然素材の歯ブラシの試作を開始
取締役として三代目の活躍をサポートしてきた私は、当時から興味のあった「環境」をテーマにした製品作りを提案したところ、三代目は早速紙や自然素材を使用した試作品の開発を始めました。自然素材の歯ブラシは水分や熱、衝撃に弱い上、耐久年数が短く、歯磨き粉との相性もあって破損しやすいため、安全性が確保できるようになるまで大変苦労しました。1998年には紙とPLA(植物由来のプラスチック素材)を混ぜた歯ブラシの商品化にまでこぎつけたものの、数年経つと破損。その後は素材を変えながら自然素材の歯ブラシの製造を続けていきました。OEM製品として採用してもらったこともありましたが、樹脂メーカーの想定より早く分解が始まり次々と破損の報告が来て、社告を出して回収しなければならなくなりました。この一件で歯ブラシに適した樹脂がないことも分かり、市場の反応を鑑みて2006年(平成18年)に在庫限りでの終売と撤退をアナウンスしました。
ところが撤退の表明をした途端、化学物質過敏症の方をはじめとした愛用者の方々から「ファインさんの歯ブラシがなくなったら困る」「生産が終わってしまうのだったら在庫を全部買い取りたい」というご要望が多く寄せられたことで「困っている方がいるのに、うちで作らずどこが作るのか」と奮起し、試作と製造、販売を再開しました。
ところが安全で歯ブラシとしての耐久性や耐熱性がある素材を探すのは大変であり、苦戦し続けていました。そんなある日、ある業者が竹の利活用プロジェクトの一環でできた生分解性の樹脂を持ち込み、これを使って試作を繰り返したところ、それまで作ってきた中で最も歯ブラシの柄に適した素材となりました。今後の破損事故を防ぐため、製造後2年間の品質保持期限を打刻することにしました。しかも竹自体は包装資材に使うインクなども使われている有機溶剤なども吸着しやすいため、化学物質過敏症の方向けの販売には生産管理や品質保持のほか梱包にも注意が必要ですが、欲しいと言って下さる方がいる限りは労力がかかっても、会社の体力がある限りは作り続けようと決意しました。
竹の歯ブラシはご注文やお問い合わせも順調に伸び、大手小売店にも導入されてこれからという時に、発売から数ヶ月でリーマンショックのあおりを受けた樹脂の製造元が廃業し、製造できなくなる危機に陥りました。廃業した経営者を4年間探し続け、無事に再開できたものの、製造元の高齢化の問題もあり遅かれ早かれ今後も製造の危機があることから、昨年11月、弊社が樹脂の製造元から製造に関する特許権と技術、機械を譲受することになりました。
この歯ブラシに使用している竹材は、伊賀工場に隣接する竹を活用しています。竹を微粉末にして樹脂と混合し、充分な強度を出す技術は難しく、弊社の専売特許であり、生分解性樹脂の製造から歯ブラシにして納められるのは業界ではほぼ当社だけだと思います。現在は、竹だけでなく多摩産材のヒノキや米など地域資源を活用した樹脂も製造できるようになりました。
四代目社長に就任後、新たな「ファインらしさ」を追求し続ける
2006年(平成18年)に副社長に就任してからは後継者としての自覚が徐々に芽生え、ものづくりや財務、経営などを基礎から学び直すようになりました。そして2010年(平成22年)には70歳を控えた三代目が会長職に勇退、その後継として社長に就任してからは、自社事業である歯ブラシづくりの奥深さと面白さにさらに魅了されています。二代目の父は、「自分の時は成り行きで歯ブラシ事業を継ぐことになったが、歯ブラシにはこだわらなくてもいい、直子の時代には会社を使って自由に事業をしてみなさい」と手紙に遺してくれてました。私も、弊社の歯ブラシを必要とする方がいなくなれば、事業から撤退するのもありかもしれないと思いつつも、昨年新たに樹脂加工の技術を手に入れたことで、どのように歯ブラシや他事業に反映させていこうかと胸を躍らせています。
弊社は三代目の時からグッドデザイン賞を何度かいただき、品質や実用性に長けた部分を高く評価していただいています。この評価は真面目に経営を続けてきた初代から三代目への評価そのものであり、四代目である私は、その良さを受け継ぎながらデザインや言い回しでの「遊び」や、見た目の美しさも盛り込み、新たな「ファインらしさ」を築き上げていきたいと考えています。
三代目が築いた「人」に優しい製品作りが、現在になり功を奏す
現在の歯ブラシ事業の売上比率としては、ODMの依頼もあるベビー用品の比率が最も高く、競合も多い状態です。しかし子どもの成長は早いため、ベビー用の歯ブラシがご家庭で使われる期間は短く、さらに少子化に伴い売場も減少傾向にあります。
その一方で、高齢化により介護用品は売上も市場も伸びてきており、毎年安定しています。お年寄りは、健康な方から介護が必要な方まで幅が広く、歯の状態も人により大きく異なるため、どの層に照準を定めるかが難しいことから新規参入がしづらい領域です。弊社がこの領域で良いポジションを確立できたのは、三代目が「人」に優しい製品作りを目指して小さな要望にも応え続けてきたからだと思います。近年になり、口腔内のコンディションが健康に繋がることが再認識され、さらにSDGsが社会的に広がったことで、企業活動として地道に取り組んできた弊社にもスポットが当たるようになったのだと思います。
企画から製造販売までを自社一貫で行うこだわり
弊社では、若松産業から分離独立した当初より、企画開発から製造、販売までを自社で一貫して行っています。工場は、三代目が社長を務めていた時に、生産性向上などを目的として大阪府八尾市、三重県名張市、三重県伊賀市にあった工場を段階的に統合し、一番広くて新しい伊賀市の工場に機能を集約しました。
八尾の工場を名張市の工場に統合しようという計画が持ち上がった時には、工場長を長く勤めてきた方が定年間近であったため、勤め上げるまで待ってから移行を開始したという三代目ならではのエピソードがあります。その分、半製品の在庫を各工場に置いたため、在庫が膨れ上がるなど、大変な時期もありましたが、働く人を大切に思う三代目の人情味が感じられる話だと思っています。
また、名張の工場では粘着式のネズミ取り器を製造していましたが、操業停止後は倉庫として使用していました。2021年11月には歯ブラシの柄に使う生分解性樹脂製造に関する特許や技術と機械を取得したことで、名張も工場として再稼働できるようになりました。今後、樹脂の需要が増えたら、大きな工場に移りたいと考えています。
弊社が自由にものづくりに取り組めるのは、自社の社員が各持ち場で頑張ってくれているからです。他社の枠組みの中で部分的な仕事をするよりも、各事業所が一体となって一つの製品を創り上げることで、弊社の想いが込もった、自由なものづくりができると考えています。今後も、弊社で働く人を大切にする経営を続けていきます。
「ファインらしさ」を追求する製品づくり
歯ブラシは1本200円としても1年で2千円、一生を85歳までとしても一人が歯ブラシに使う額は17万円ほどです。今後日本の人口が減少していく中で、歯ブラシの事業が果たして商売として成り立つのか、パイの奪い合いになるのではないか、ということが懸念点です。また、メーカーがいいものを提供したいと思いながら丁寧に作ったとしても、消費者に買ってもらえなければ会社として生き残っていくことはできません。目先のエコやリサイクルで良しとしてしまっている社会で、メーカーとしての葛藤は常にあります。悩んだ時には「真ん中にアイがある」という経営理念に立ち返り、ファインらしさを追求するようにしています。
世代を超えた意見の交流により、全社員が成長する会社へ
現在(2022年7月)、社員は8名、パート8名の計16名となっています。リファラル採用(社員に友人や知人を紹介してもらう採用方法)が増えましたが、ハローワークからの採用もあります。
仕事内容は一人一人違い、社員が自ら考え仕事に取り組んでいるので自由でアットホームな雰囲気です。一方で、マニュアルやカリキュラムもないので定型化されておらず評価も分かりづらいため、改良に向けて取り組んでいます。
弊社では「人材=宝」と考えており、社員には会社と家庭の両方で幸せになってほしいと考えています。個々の得意、不得意を汲み取り、能力を最大限に活かせる業務を任せて、社員が思い切り働きながらも業務を負いすぎないように仕事を分散させて、プライベートの時間も大切にしてもらえるように時間の管理に努めています。
そして、よりよい製品づくりには、社員のチャレンジ精神を大切にして成功体験を積んでもらえるようにすることが最も大切だと考えています。会社全体を活性化させ挑戦意欲を育むには、過去の失敗体験も生かしつつ、若い人が主導で世代を超えて意見を交わしながら全員が成長していくことが大事です。
事業拡大に伴い、現在はさまざまな部署で求人を行っていますが、特に伊賀の工場には若い技術者に入っていただき、成長してもらいたいと考えています。また本社の方は、ストーリーを作りブランディングに繋げられる、発信力のある広報や営業企画に入社していただき、事業とともに会社全体を盛り立ててもらえたら嬉しいです。
事業の可能性を広げながら「駆け込み寺」として必要とされる会社へ
現在も、毎日のようにオリジナルの歯ブラシを制作したいというお問い合わせが寄せられています。現在、取締役であり私のパートナーが中心となってデザインや設計に携わり、初めて歯ブラシを作るというお客様にもアイデア出しから製品化までのお手伝いをしております。また地域のお子様から法人までの多くの方が「ものづくり」を楽しめる場を作りたいと考え、伊賀工場では歯ブラシづくりを体験できる「ふぁいん らぼ」を開設しております。
弊社では、竹材以外の資源も樹脂に加工できるようにもなったため、米や小麦のもみ殻など地域で処分に困っている資源を弊社が加工して歯ブラシに成型するほか、樹脂ペレットの状態で納めることも可能になりました。射出成型機をお持ちの会社であれば、コップや皿などの形に加工いただけます。今後もさまざまな人や企業とアイデアを出し合いしながら、まだ扱ったことのない資源を歯ブラシなどの製品に再生して、手に取った方々の生活を彩りながら環境にも優しいものづくりをしていきたいと考えています。これらの新事業は、最も身近な日用品であり、全世界の人がユーザーとなり得る歯ブラシだからこそ挑戦できることだと思います。これからも地域に開かれた歯ブラシの「駆け込み寺」であり続けるとともに、エシカル消費(人、社会、環境に配慮した消費行動)を意識してもらえるような製品を手掛け、循環型社会に繋げられる会社へと成長していきたい考えです。
会社の成長のため、自らの殻を破る
今までは拡大志向はありませんでしたが、会社を大きくしようとする気概で新しいことに挑戦することは経営者として大切だったのだと反省しています。会社は社長の器以上にはなりません。だからこそ、私自身がどれだけ自分の殻を破れるかが今後の大きな課題だと思っています。M&A等により事業を承継する場合には、譲受先の先代経営者や親族、番頭さんなど、弊社で育まれた人や事業以外を受け容れ、違いを理解してもらいながらも、全員がいきいきと働けるように舵取りをしていけるようにする必要があります。その苦労さえ乗り越えれば、会社としても、経営者としても大きく成長し飛躍できるはずです。私自身も10年後には65歳になりバトンタッチする側になっていくので、今後は課題をクリアしながら、どのように動けば後悔しないかを日々考え、前進していきたいと思っています。
会社概要
社名 | ファイン株式会社 |
創立年 | 1948年 |
代表者名 | 代表取締役社長 清水 直子 |
資本金 | 2,000万円 |
URL |
https://www.fine-revolution.co.jp/
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本社住所 |
〒140-0013 |
事業内容 | 1.歯ブラシ及び日用品の製造ならびに販売 2.臨床機材及び医療環境衛生資材の製造ならびに販売 3.菓子の販売 4.化粧品の製造、製造販売 5.包装業務 6.セミナー業務 7.デザイン業務 8.印刷ならびに出版業務 9.前各号に付帯する一切の事業 |
事業エリア |
本社 〒140-0013 |
伊賀工場 〒518-1147 |
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名張工場 〒518-0603 |
会社沿革
1948年 | 大阪市城東区に若松油脂化学工業所を創業し、ローソクの製造販売を開始 |
1958年 | 歯ブラシの製造販売を開始、法人組織とし、社名を若松産業株式会社と改称 |
1973年 | 業務内容変更。歯ブラシ部門とローソク部門を分離独立し、各新会社設立 歯ブラシ部門の新会社を発足 若松産業株式会社、代表取締役社長に清水益男が就任 |
1975年 | 社名若松産業株式会社をファイン株式会社に改称 |
1978年 | 臨床器材および医療環境衛生資材の開発、製造、販売部門を設置 |
1982年 | 住居環境衛生資材(粘着式ねずみ取り器)開発、製造、販売開始 |
1989年 | 粘着式ねずみ取り器製造工場として、三重県名張市西原町2590-13三重工場を開設 |
1994年 | 代表取締役社長に清水和恵が就任 |
1996年 | 資本金を2000万円に増資 |
1997年 | ぷぅぴぃリング歯ブラシが通産省よりグッドデザイン商品に認定 シュガーレスグミキャンディー「虫歯0組」を発表 |
1998年 | 国内初の生分解性樹脂製「エコット」歯ブラシを発売 |
1999年 | 中小企業創造活動促進法に認定される 国際トゥースフレンドリー協会に虫歯0組が認定される |
2000年 | 環境保護を目的とした歯ブラシ「エパック:21シリーズ」発表(生分解性樹脂歯ブラシ) WWFの認定マーク取得 大阪デザインセンターのグッドデザインに「Uコップ」と「エパック」が認定される イギリス・バーミンガムのNaidexに出展 |
2002年 | 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)により、平成14年度「福祉用具実用化開発費助成金」交付先に認定される レボチタンスプーン発売 POSYシリーズ、エパック:21エコシリーズ・松鉱石発売 エパック:21エコシリーズ(エコペア・エコキャリー・エコヘッド)が財団法人日本産業デザイン振興会のグッドデザイン賞を受賞 |
2003年 | スヌーピー新アイテム「Everyday Use」新発売 |
2004年 | ドイツ・デュッセルドルフのRehaCareに出展 |
2005年 | ADA(アメリカン・デンタル・アソシエーション)展示会に出展 |
2006年 | 照明開口器「ホタル」が日本国内特許を取得 ADA(アメリカン・デンタル・アソシエーション)展示会に出展 |
2008年 | FINEeco41「竹の歯ブラシ」発売 |
2009年 | 新商品「吸ty(キューティ)シリーズ」一部発売開始 新商品「スヌーピーふわふわ歯ブラシ」発売 新商品「シリコン歯ブラシ ぴから」発売 |
2010年 | シュガーレスグミキャンディー名称及びパッケージリニューアル『ファイン組(グミ)』発売 「吸ty(キューティ)シリーズ」が東京都中小企業振興公社様 の支援事業である「ニューマーケット開拓支援事業」に承認 清水和惠が取締役会長に、清水直子が代表取締役社長に就任 |
2011年 | 東京都 『経営革新計画』 の承認企業に選ばれる 東京都中小企業振興公社様より「中小企業育英資金」交付をうける |
2012年 | 新商品「ぷぅぴぃリング歯ブラシ他全4アイテム スヌーピーシリーズ」発売 品川区「メードイン品川PR事業」で認定企業に選ばれる |
2013年 | 新商品「吸tyシリーズ・チューブブラシ」発売 乳歯を守るセミナーを開催 |
2014年 | 「レボ UコップW」2014年度グッドデザイン賞 受賞 ブーシェリー社製 高速植毛機 新規導入 |
2015年 | 経済産業省「第9回製品安全対策優良企業表彰」優良賞 受賞 「中小企業優秀新技術・新製品賞」 奨励賞 受賞 |
2016年 | Food and Hotel Thailandに出展化粧品製造業、化粧品製造販売業の許可 取得 |
2017年 | 化粧品製造業、化粧品製造販売業の許可 取得 |
2018年 | 歯ブラシが品川区「社会貢献製品支援事業」支援製品に認定 |
2019年 | アラブヘルス2019(ドバイ)に出展 スヌーピー&フレンズ歯ブラシシリーズ発売 スヌーピー&ファミリー歯ブラシシリーズ発売 一般財団法人品川ビジネスクラブ・品川区主催「ものづくり表彰2019」 受賞 |
2020年 | 「竹の歯ブラシ」ソーシャルプロダクツ・アワード2020「ソーシャルプロダクツ賞」 受賞 |
2021年 | 「KEYENCEマイクロスコープVHX-8000」導入管理医療機器販売・貸与業 届出 「ファインレボシリーズ」ソーシャルプロダクツ・アワード2021「ソーシャルプロダクツ賞」 受賞 「MEGURU 竹の歯ブラシ」リニューアル発売 複合樹脂製造特許取得に伴い、名張工場にて生分解性樹脂の製造開始 「ハンドトゥルーダ(卓上手動式射出成形機・ペレタイザー)」導入 |
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公開日:2022/08/29 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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