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時代の変化に
銅市金属工業株式会社
金属屋根、太陽光など設計から製造・販売・施工の総合メーカー
経営理念
屋根一筋90年!
長年の実績で日本の屋根を知り尽くした銅市金属工業。
金属屋根、雨樋の設計から製造・販売・施工までを手がける総合メーカーとして、
常に業界をリードしてまいりました。
独自の研究で個性豊かな商品を創り出し、
それらは一般住宅から大型建築、公共物件、そして伝統的な社寺と、
日本全国の様々な建築物に取り付けられ、多くのお客様に満足を頂いております。
企業理念
全社員の物心両面の幸福を追求し
共生共創の心の基
情熱と勇気と誠意に満ち
原理原則に基づいた判断の出来る
企業でありたい
スローガン
「情熱・信頼・挑戦・凡事徹底」
行動姿勢
1. 情熱
会社は、社員一人一人の情熱の反映である
強い熱意と情熱に支えられた努力を続けることによって
不可能を可能なものへと変えることができるのである
今日、不可能なことも必ずや明日は実現できる
2. 誠実
お客様がいるから自分が存在する
この事を忘れることなく常にお客様の立場になって考えなくてはならない
誠実な気持ちをもって接することにより必ずやお客様との信頼関係は築かれる
3. 勇気
正しいことを行う勇気
この為には己の精神の強さと忍耐力が必要である
日々、研鑽を忘れることなく自分を鍛え
正しいことを行う勇気を培っていかなければならない
4. 創造
日々、同じに取り組むのではなく常に創造性を発揮して
改良改善を求めることによって個人も会社も成長することができる
5. 責任
企業は社会に貢献してこそ存在価値がある
お客様の満足する商品・サービスを提供する責任があるという原理・原則を忘れてはならない
6. 挑戦
決して現状に満足することなく
未知の世界に対し強烈な願望を抱き挑戦し
心からその実現を信じることにより願望を現実のものとすることができる
7. 希望
常に明るく前向きで夢と希望を抱いて素直な心で行動することにより未来は開かれるものである
そして必ずやその光は手にすることができる
地域社会活動
プロスポーツチーム「栃木ゴールデンブレーブス」の支援
銅市金属工業株式会社は栃木ゴールデンブレーブスのゴールデンパートナーです。
プロスポーツチーム「栃木SC」の支援
銅市金属工業株式会社は栃木SCのオフィシャルパートナーです。
プロスポーツチーム「栃木シティ」の支援
銅市金属工業株式会社は栃木シティのオフィシャルパートナーです。
地域の祭りへの協賛「おやまサマーフェスティバル」
銅市金属工業株式会社は「おやまサマーフェスティバル」や「小山の花火大会」など複数協賛。「灯の舞」に参加。
福島の保育園にボランティア実施
福島の震災があった地域の保育園に毎年「お水」の寄付を行っています。
・原町聖愛こども園(南相馬市) ・みなと保育園(相馬市)
代表者メッセージ
銅市金属工業は、昭和8年に建築板金工事業として創業しました。それ以来90年に渡り、金属屋根・雨樋の設計から製造・販売・施工までを手がける総合メーカーとして、独自の研究で個性豊かな商品を創り出してきました。これらは一般住宅から大型建築、公共物件、そして伝統的な社寺と、日本全国の様々な建築物に取り付けられ、多くのお客様から信頼を頂くことができました。また35年前から21世紀のエネルギーを考え太陽光発電にも取り組みました。
90年という歳月の中に於いては世の中の情勢も幾多となく変化してきましたが、常にその時々のお客様の要望・期待に応えていくことこそ最も大切なこととして、真摯な姿勢をもってものづくりを行ってまいりました。
そして、私たちはこれからも「全社員の物心両面の幸福を追求し、共生共創の心の基、情熱と勇気と誠意に満ち、原理原則に基づいた判断の出来る、企業でありたい」という企業理念のもと、ひとつひとつ心を込めてものづくりに励み、一人一人のお客様に価値あるものを提供し、皆さまから必要とされる企業であり続けるために、誠実に、情熱・勇気をもって挑戦し続けてまいります。
銅市金属工業株式会社 代表取締役 増子浩司
創業の経緯と屋号に秘められた内容
創業は1933年(昭和8年)になります。初代はもの作りが好きで、手の込んだ職人の仕事をしたいと思ったのが創業のきっかけです。個人で創業し、一般住宅の屋根の施工から始めました。
昭和の初め、銅は非常に高価なもので、なかなか銅を使った建物はありませんでした。屋根に銅を扱った職人の誇りとして、また初代の市造(いちぞう)の名前をとり「銅市」の社名がつけられました。
昔は同業者も屋号に「銅」を入れたがっていたと聞いています。今の時代では、社名に横文字を使うところが多くなってきましたが、昔から変わらない屋号で継承しています。当時は、屋根の板金工事しかしていなかったため「銅市板金」という社名でした。建築板金は、昔で言うブリキ板が中心でした。全て職人が手作りで加工し施工していました。昭和30年代に入ると加工したものが出てくるようになりました。今は機械化された既製品がほとんどです。
創設から3代引継ぎ、60人を超える所帯となった歴史について
私で3代目になります。初代は若くして病気を患いあまり働けなくなってしまいました。そのこともあり2代目は、25歳の時に事業を継ぎました。継ぐといっても、当時は職人の会社のため社員は2人とか3人だったので事業承継をするほどではありませんでしたが、父(二代目)の代で板金工事だけではなく板金のものづくりをしようと自社工場を持ちました。いろいろな機械を導入していき、社名も1978年に「銅市金属工業」に変えました。
2代目夫婦が今の銅市金属工業の基盤を作ってくれ会社を築き上げました。当時は本社所在地も小山駅のそばにありましたが手狭だったこともあり、1989年(昭和64年)に現在の場所へ移動しました。職人作業からモノづくりの両面をやってきました。
2代目は、栃木県板金組合の理事長を30年ほどやっていました。1988年には天皇陛下から黄綬褒章をもらい、黄綬褒章を授与の翌年、56歳の時に一緒に事業をやってきた妻を亡くしました。夫婦で築き上げた会社でもあり、私が家業に帰ってきて1年半くらいの時でした。
私はバブルが開けたころの1989年(平成元年)に、家業に就きました。当時は銅板の雨どいや屋根材がメインの商材で、売り上げの8割を占め、あとは板金の工事関係でした。工場は活気があり約30人でものづくりをしていました。
私たちのこだわり
時代の変化に合わせた事業への転換
建物がどんどん洋風になり、和風の建物が少なくなり、銅板が出なくなっていきました。弊社もハウスメーカーに営業へ行ったりして情報収集をしていましたが、予想どおりに減っていき6年前(2015年)には銅板の雨どいを完全にやめました。
それに変わる商品として2005年からステンレスの雨どいも販売しましたが、あまり売れませんでした。工場へ投資をし、様々な屋根に適した機械を入れたり時代の変化に対応したモノづくりを進めていきました。ただ設備投資の機械も高価なものもあり、今思うと後先はあまり考えていなかった部分もありました。
東日本大震災発生以降、再生エネルギーということで一躍普及が広まった太陽光発電事業についても、今から35年くらい前から取り組み始めました。もともと環境問題を考えた時にも21世紀の屋根はこういう太陽光(屋根)になっていくのだろうと思い、1990年にはソーラー事業部を新設し事業をいち早く始めました。太陽光事業に関しては栃木県でも一番古いのではないかと思っています。当初住宅だけで施工をおこなっていましたが、今は産業用も手掛けていますが当時は赤字続きの事業でした。
チラシやパンフレットに「太陽光は未来の子供たちへの贈り物」というキャッチフレーズでやっていました。太陽光パネルは高価なもので、案件もごく僅かでした。さらに、国からの補助金が途中から打ち切りになってしまい、それでも続けていた矢先にリーマンショックのダブルパンチで本業も非常に厳しくなりました。あの当時はこのまま続けたら会社の存続も厳しいところまでいきました。しかし、国から住宅用の補助金が復活したことで消費者の太陽光及びエネルギーへの関心が高まり、事業を成長することができました。運が良かったのか諦めずに普及に務めていたことが好転したのか、大きな建物に使える産業用のパネルも補助金が出るようになり、公共の建物や民間の建物も増えてきました。2012年に全量買い取りの制度が始まり、急に需要が高まり、市場も様々な事業者が参画し、逆に飽和状態になってしまいました。
屋根屋のプライド「耐風圧や重量計算」で最良の施工をしてきた
太陽光パネルについて当時はあまり規制がないことで、屋根にのせる技法や製法に何の縛りもなく、また地面に設置されたものもよく目にするかと思いますが、吹き飛ばされない、倒れないように作るだけという単純な施工をしている現場はたくさんあります。ただ、弊社は屋根屋でもあり、当たり前のように耐風圧や重量計算をしてお客様には提案していますが、屋根が耐えられない建物もあります。例えば、鉄骨のスパン(柱芯間距離)を無視してしまっても規制がないので施工出来てしまいます。ただ弊社では様々なリスクを考え、基準に満たないお客様の施工はお断りしてきました。様々な業種の方が太陽光はやっていますが、屋根屋がやっている太陽光はあまりありません。ゼネコンの下で屋根屋は施工するため耐風圧や重量計算はしますし、図面も下請けとしてやるのが屋根屋の仕事です。そういう点で、建物について最適な提案ができるのが弊社の強みです。
弊社がプロの目から見ると設計施工の問題がありそうな物件もあります。先ほど言ったように弊社では耐風圧や重量計算に足りていなければ断ることが方針です。適当な仕事をしたときにはいずれ返ってくる、運が良ければ適当な部分も露呈されないかもしれないが、そんなところに運を使うくらいなら他のところで運を使いたいと思っています。
世の中はやっぱり信用が一番で、お客様、従業員、地元の全ての関係者もふくめ信用が商売の基本だと思っています。だから手は抜けない、適当なことは絶対に出来ません。
社長が言うよりもプロフェッショナルの自覚を持つ、そして地域への感謝を体現すること
毎朝、朝礼で教養関連の書物を復唱したり、「情熱、信頼、挑戦」というメッセージを発信しています。中小企業が生き残ろうとすると、常に挑戦する気持ちと実行を繰り返さないと絶対に生き残れない。同じ事を毎日していても変化は起きません。個々がプロフェッショナルとしてのプライドをしっかりと持ち合わせ、やっていければ、課題だけでなく新たな光明も見えてくるのだと思います。
弊社は常に、地域に貢献できる企業でありたいと考えています。地域を愛して、地域に愛され、地域に貢献できる企業として存続していきたいと思っています。道路の路肩や淵にガーデニングを施したり、去年はマスク20万枚が手に入ったので、協力会社、近隣の市町村や病院関係や近隣の施設、地元の自治会などへ寄付をしました。地域の皆さんに少しでも喜んでもらえたらと思っています。
地域スポーツに関してもBCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ:プロ野球の独立リーグ)の栃木ゴールデンブレーブスのオフィシャルパートナー、栃木SCのオフィシャルパートナー契約、栃木シティのオフィシャルパートナー契約もしています。5年前からから応援しています。また、2013年には小山市より市政功労賞を受賞し、2016年には国より紺綬褒章を授章しました。近年では毎年小山市から善行表彰を受けています。
これからの銅市金属工業と経営資源の活用について
弊社で売り上げが大きいのは屋根工事関連で半分を占めています。屋根工事は自社工場で作ったものを取り付けるので非常に効率が良いのです。公共施設や倉庫、流通店舗など商業施設や工場など稼働先があるのですが、地域産業や少子高齢化や過疎化が進むと衰退していくためずっと右肩上がりの事業ではありません。屋根だけでなく、改修工事や建築事業者との連携や提携で新たな市場を獲得しに行くことも必要になります。建造物を立てる必要性は減る事は予想され、太陽光やエネルギー事業に注力し、カーボンニュートラル(温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させること。脱炭素社会)で右肩上がりに需要が増えています。これからますます人口形態や労働人口が大きく変わってくることは経営にも凄く影響してくると思います。
さらなる事業の展開が必要となるかもしれませんが今の周辺事業で多角化が理想です。趣味の延長みたいなものかもしれませんが、見よう見まねでドローンも始めました。屋根や太陽光パネルの点検に利用できればと思っています。
真摯にそして真っ当に直視する凡事徹底が経営の根底
27~8歳で入社をしてからはよく働きました。本当に何もわからない中で一生懸命やってきたという自負はあります。無我夢中で会社を存続・発展させることに、全身全霊で頑張っていました。当時は今よりも強い責任感や使命感があったような気がします。辛い時は、亡くなったおふくろの墓に行くこともしばしでした。
朝5時くらいに出社しています。会社が人生そのものといっても過言ではないです。人に負けたくない気持ちや責任感が上回っていました。とにかく新しいことでもチャレンジして、たくさん失敗し学び、失敗したらまた違う角度から攻めてみるその繰り返しです。
商売に関して真摯にそして真っ当に直視すること、凡事徹底ではないですが、当たり前のことを当たり前にやっていました。器用にうまくやっている人もいますが、意外と難しいことなんです。
あとは経営者として、一番は会社を潰さないことです。綺麗ごとを並べても、会社を潰したら終わりです。従業員を路頭に迷うような辛い思いをさせてはいけない。今までを振り返ると運も味方をしましたが会社のスローガンである「情熱・信頼・挑戦・凡事徹底」、そして地域へ貢献することを貫いてきたこと、この思いを従業員に伝えていきます。
時代の変化に合わせた事業への転換
建物がどんどん洋風になり、和風の建物が少なくなり、銅板が出なくなっていきました。弊社もハウスメーカーに営業へ行ったりして情報収集をしていましたが、予想どおりに減っていき6年前(2015年)には銅板の雨どいを完全にやめました。
それに変わる商品として2005年からステンレスの雨どいも販売しましたが、あまり売れませんでした。工場へ投資をし、様々な屋根に適した機械を入れたり時代の変化に対応したモノづくりを進めていきました。ただ設備投資の機械も高価なものもあり、今思うと後先はあまり考えていなかった部分もありました。
東日本大震災発生以降、再生エネルギーということで一躍普及が広まった太陽光発電事業についても、今から35年くらい前から取り組み始めました。もともと環境問題を考えた時にも21世紀の屋根はこういう太陽光(屋根)になっていくのだろうと思い、1990年にはソーラー事業部を新設し事業をいち早く始めました。太陽光事業に関しては栃木県でも一番古いのではないかと思っています。当初住宅だけで施工をおこなっていましたが、今は産業用も手掛けていますが当時は赤字続きの事業でした。
チラシやパンフレットに「太陽光は未来の子供たちへの贈り物」というキャッチフレーズでやっていました。太陽光パネルは高価なもので、案件もごく僅かでした。さらに、国からの補助金が途中から打ち切りになってしまい、それでも続けていた矢先にリーマンショックのダブルパンチで本業も非常に厳しくなりました。あの当時はこのまま続けたら会社の存続も厳しいところまでいきました。しかし、国から住宅用の補助金が復活したことで消費者の太陽光及びエネルギーへの関心が高まり、事業を成長することができました。運が良かったのか諦めずに普及に務めていたことが好転したのか、大きな建物に使える産業用のパネルも補助金が出るようになり、公共の建物や民間の建物も増えてきました。2012年に全量買い取りの制度が始まり、急に需要が高まり、市場も様々な事業者が参画し、逆に飽和状態になってしまいました。
屋根屋のプライド「耐風圧や重量計算」で最良の施工をしてきた
太陽光パネルについて当時はあまり規制がないことで、屋根にのせる技法や製法に何の縛りもなく、また地面に設置されたものもよく目にするかと思いますが、吹き飛ばされない、倒れないように作るだけという単純な施工をしている現場はたくさんあります。ただ、弊社は屋根屋でもあり、当たり前のように耐風圧や重量計算をしてお客様には提案していますが、屋根が耐えられない建物もあります。例えば、鉄骨のスパン(柱芯間距離)を無視してしまっても規制がないので施工出来てしまいます。ただ弊社では様々なリスクを考え、基準に満たないお客様の施工はお断りしてきました。様々な業種の方が太陽光はやっていますが、屋根屋がやっている太陽光はあまりありません。ゼネコンの下で屋根屋は施工するため耐風圧や重量計算はしますし、図面も下請けとしてやるのが屋根屋の仕事です。そういう点で、建物について最適な提案ができるのが弊社の強みです。
弊社がプロの目から見ると設計施工の問題がありそうな物件もあります。先ほど言ったように弊社では耐風圧や重量計算に足りていなければ断ることが方針です。適当な仕事をしたときにはいずれ返ってくる、運が良ければ適当な部分も露呈されないかもしれないが、そんなところに運を使うくらいなら他のところで運を使いたいと思っています。
世の中はやっぱり信用が一番で、お客様、従業員、地元の全ての関係者もふくめ信用が商売の基本だと思っています。だから手は抜けない、適当なことは絶対に出来ません。
社長が言うよりもプロフェッショナルの自覚を持つ、そして地域への感謝を体現すること
毎朝、朝礼で教養関連の書物を復唱したり、「情熱、信頼、挑戦」というメッセージを発信しています。中小企業が生き残ろうとすると、常に挑戦する気持ちと実行を繰り返さないと絶対に生き残れない。同じ事を毎日していても変化は起きません。個々がプロフェッショナルとしてのプライドをしっかりと持ち合わせ、やっていければ、課題だけでなく新たな光明も見えてくるのだと思います。
弊社は常に、地域に貢献できる企業でありたいと考えています。地域を愛して、地域に愛され、地域に貢献できる企業として存続していきたいと思っています。道路の路肩や淵にガーデニングを施したり、去年はマスク20万枚が手に入ったので、協力会社、近隣の市町村や病院関係や近隣の施設、地元の自治会などへ寄付をしました。地域の皆さんに少しでも喜んでもらえたらと思っています。
地域スポーツに関してもBCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ:プロ野球の独立リーグ)の栃木ゴールデンブレーブスのオフィシャルパートナー、栃木SCのオフィシャルパートナー契約、栃木シティのオフィシャルパートナー契約もしています。5年前からから応援しています。また、2013年には小山市より市政功労賞を受賞し、2016年には国より紺綬褒章を授章しました。近年では毎年小山市から善行表彰を受けています。
これからの銅市金属工業と経営資源の活用について
弊社で売り上げが大きいのは屋根工事関連で半分を占めています。屋根工事は自社工場で作ったものを取り付けるので非常に効率が良いのです。公共施設や倉庫、流通店舗など商業施設や工場など稼働先があるのですが、地域産業や少子高齢化や過疎化が進むと衰退していくためずっと右肩上がりの事業ではありません。屋根だけでなく、改修工事や建築事業者との連携や提携で新たな市場を獲得しに行くことも必要になります。建造物を立てる必要性は減る事は予想され、太陽光やエネルギー事業に注力し、カーボンニュートラル(温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させること。脱炭素社会)で右肩上がりに需要が増えています。これからますます人口形態や労働人口が大きく変わってくることは経営にも凄く影響してくると思います。
さらなる事業の展開が必要となるかもしれませんが今の周辺事業で多角化が理想です。趣味の延長みたいなものかもしれませんが、見よう見まねでドローンも始めました。屋根や太陽光パネルの点検に利用できればと思っています。
真摯にそして真っ当に直視する凡事徹底が経営の根底
27~8歳で入社をしてからはよく働きました。本当に何もわからない中で一生懸命やってきたという自負はあります。無我夢中で会社を存続・発展させることに、全身全霊で頑張っていました。当時は今よりも強い責任感や使命感があったような気がします。辛い時は、亡くなったおふくろの墓に行くこともしばしでした。
朝5時くらいに出社しています。会社が人生そのものといっても過言ではないです。人に負けたくない気持ちや責任感が上回っていました。とにかく新しいことでもチャレンジして、たくさん失敗し学び、失敗したらまた違う角度から攻めてみるその繰り返しです。
商売に関して真摯にそして真っ当に直視すること、凡事徹底ではないですが、当たり前のことを当たり前にやっていました。器用にうまくやっている人もいますが、意外と難しいことなんです。
あとは経営者として、一番は会社を潰さないことです。綺麗ごとを並べても、会社を潰したら終わりです。従業員を路頭に迷うような辛い思いをさせてはいけない。今までを振り返ると運も味方をしましたが会社のスローガンである「情熱・信頼・挑戦・凡事徹底」、そして地域へ貢献することを貫いてきたこと、この思いを従業員に伝えていきます。
ツグナラ専門家による紹介
担当専門家:株式会社サクシード 株式会社サクシードの詳細
80年以上常にお客様の声に耳を傾けてきた社長はフットワークが軽く、気さくなお人柄です。“地域の活力がお客様の人生を豊かにする”と地域貢献にも積極的で、地域住民から慕われている栃木を代表する企業です。
会社概要
社名 | 銅市金属工業株式会社 |
創立年 | 1933年 |
代表者名 | 代表取締役 増子 浩司 |
URL |
https://www.douichi.co.jp/
|
本社住所 |
〒323-0012 |
事業内容 | 金属製屋根工事業・建築用金属製品製造業(建築用金物を除く) 1) 屋根工事及び板金錺工事 2) 建築用銅、及びステンレス製品の製造・販売 3) 金属屋根材の成型 4) 太陽光発電システムの販売・メンテナンス 5) 蓄電池システムの販売 6) 高齢者住宅紹介業務 7) エネルギー関連商品の販売 8) ドローン関連事業 |
公開日:2021/10/13 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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