
岐阜・高山市
岐阜 ・ 高山市
引継ぎ実績あり
創業100年
株式会社清水弥生堂
国際観光都市、飛騨高山から世界へ。
経営理念
食を通して地域に貢献
代表者メッセージ

地域商社として、「食を通して地域に貢献」する
弊社は、1916年に初代・清水幸太郎が肥料販売業として創業しました。
「食」に対する強いこだわり、お客様への誠意ある対応を心掛ける事により、今日まで継続して来る事ができました。 そして、2016年に創業100周年を迎えました。
近年では、「地域商社」として様々な事業に取り組んでおります。「食のバリアフリー化」を推進し、あらゆる思想信条の方が、この飛騨地域に観光に訪れた際に満足して頂ける様な態勢を、食品販売業という立場から働きかけております。
また、運送業、地産品の輸出業、そして食品製造業にも挑戦し、地域の「外から中へ」商品を流通させるだけでなく、地域の「中から外へ」流通できるように取り組んでおります。
代表取締役社長 清水 大地

私たちのこだわり
肥料、菓子、砂糖と商品を変えながら事業拡大、総合食品販売業へ
弊社の前身は、1916年に私の曽祖父である清水幸太郎が創業した肥料問屋・清水弥生堂商店です。
お茶請けとして親しまれる菓子の落雁を製造・販売する事業に切り替えた時期もあり、兵役を終えた祖父の眞と共に菓子製造販売を続けました。
商売が波に乗ってきた1951年に、政府による砂糖配給統制規則が廃止され、砂糖販売が自由化されました。祖父は、「砂糖は、菓子製造だけでなく日々の食生活においても必要不可欠なものである」と目をつけ、この自由化を機に砂糖の卸売に舵を切ります。
当時は、リヤカーを引いて、たくさんの顧客のもとを回りながら砂糖の卸売を行い、飛騨地域随一の砂糖問屋に成長しました。
1963年には株式会社清水弥生堂と屋号を変え、祖父が代表取締役社長に就任します。その頃からは、砂糖に加え、菓子の材料である小麦粉や水飴なども取り扱うようになります。「菓子の材料は何でも揃える」ことで、総合食品販売業としての道を歩み始めました。
その後は顧客ニーズに合わせて包装資材の販売にも注力します。1970年ごろからは和菓子に代わり洋菓子市場が急成長していき、それに伴い当時まだ珍しかった生クリームなどの洋菓子材料の取り扱いを開始します。製菓製パン材料以外にもメインディッシュとなる肉・魚などの冷凍食品などの取り扱いを開始しました。
1988年には、父・幸平が代表取締役社長に就任し、飛騨地域の「食のニーズ」に応える総合食品販売業へと成長しました。
弊社が食品卸売業に着手してから70年以上にわたって、飛騨地域で製菓・製パン業、外食業、スーパー、小売店など、食に携わる方々との信頼を築き上げてきました。
現在では、砂糖や小麦粉、調味料といった食材から食に関わる包装資材、厨房什器など、10,000点以上を取り扱っています。そのため、お客様から「必要なものは清水弥生堂で手に入る」という評価をいただくことができています。
地域に貢献するため、後継者となることを決意
私は、3人兄弟の末っ子として生まれました。高校卒業後は弁護士を目指して法学部に進学しましたが、在学中に行われた家族会議で、将来、清水弥生堂の後継者になることが決まります。
憧れていた法曹界への道が絶たれ、当時は複雑な思いも抱えましたが、飛騨地域で生まれ育った者として地域に貢献する決意を少しずつ固めていきました。
大学卒業後は、すぐ清水弥生堂に入社するのではなく、後継者として視野を広げるために経営者向けの広告を発行する会社に就職します。
広告営業を担当し、毎日がむしゃらに営業する日々を送りました。顧客が抱える課題を解消するために寄り添うことや、課題を洗い出す課題発見力、提案力を身につけることができたと思います。
家業に入り、改革を進める
そして、2011年に清水弥生堂に入社し、はじめは配送業務の担当となりました。
私は「フットワークとネットワーク」を大切にしていますが、実際に入社して、自分の特徴を生かせそうだと感じました。フットワーク軽く行動や挑戦をすることで様々な人と繋がり、さらに別の人を繋げることでビジネスが形作られるという過程に面白さを感じたからです。食品業界の魅力も実感し、すぐ仕事にのめり込むようになりました。
業務に慣れた頃からは徐々に内部の課題点が見えるようになり、大きく3つの変化を加えました。
1つ目は、社内のさらなる組織化を推進する必要があると考え、週に1度社員同士が意見を共有する体制を整えました。
2つ目は、在庫管理や統一を図るために、様々な商品リストを作成しました。若手の社員であっても誰でも商品を販売できる仕組みを構築することができ、少しずつ売上を拡大することに成功しました。
3つ目は、ブランディングにも着手し、webサイトやSNSを通じたPRも展開していきました。
そして、次のステップへと進める基盤を整え、入社14年目となる2024年に社長に就任しました。
地域NO.1を目指す
弊社では、地域NO.1を目指しています。新規開業の相談を受けた金融機関や相談を受けた人から、「とりあえず清水弥生堂さんに相談してみたら」と一番に挙げてもらえるような企業でありたいです。
年に一度、仕入先に出展していただく形で展示会を開催しています。その展示会へは、地域のお客様や金融機関など250社ほど招待させて頂くことで、地域企業や金融機関との関係性の強化にもつながっています。
また、豊富な品揃えによる「ワンストップサービス」が可能だからこそ、取引先の販売に関することや、新規開業の相談にも乗ることができます。
その他にも、地域内の足としての運送業務を行うなど、様々な要望にお応えしています。
国際観光都市の食の環境づくりに貢献
2014年には、当時急増していた東南アジアのイスラム教徒(ムスリム)の訪日観光客の対応のために「飛騨高山ムスリムフレンドリープロジェクト」を発足させました。
飲食店でムスリムの方に食事していただけるように、ムスリム対応のメニューをお客様と一緒に開発し、来てもらいやすい街づくりにしました。
また2021年に「飛騨高山フードバリアフリー協議会」を設立しました。宗教や食文化、思想、体質などによる制約をなくす「フードバリアフリー」という概念のもと、飛騨高山地域の豊かな食文化を楽しめる機会を提供するほか、地域の銘菓の輸出支援も行います。
飛騨地域ならではの価値を10年以上にわたって提供し続けてきた国内有数の先進地として、観光庁からも評価を受けています。
創業100年、平均年齢34歳の「古くて若い」会社
弊社の社員数は約40名で、平均年齢は34歳と若く、特に営業職は20代~30代前半が中心です。一方でベテラン社員もいますが、社員一丸となって日々の業務に励んでいます。
人財育成は、実務を通じてOJTで行います。幅広く商品知識を身に付ける必要があるため、経験を積むことが何より大切だという考えからです。会社全体で新入社員を育成するという考えのもと、全社員が温かい姿勢で成長をサポートしています。
世代を超えて、意思疎通・情報共有を大切にしていきたいと思います。
地域企業の事業を引き継ぎ、「株式会社ニクラボ」設立
先代の頃から、弊社は卸売だけではなく製造業にも進出したいという夢がありました。
2021年に、弊社の顧客企業から肉まん製造事業を引き継ぎ、飛騨牛まんを製造する子会社「ニクラボ」を設立しました。
今後、M&Aにも注力していきたいです。人口およそ8万人の高山市の中で販路と雇用を争うのではなく、地域企業が一丸となって強い事業体を作り、様々な競争圧力に対抗する力をつけ、雇用を守りながら地域全体の底上げを目指したいです。
面白い挑戦を続ける、魅力と活気のある会社へ
今の社員の子どもたち、Uターンを考えている若者たちが「清水弥生堂で働いてみたい」「活躍できそう」と思ってもらえるような会社となるべく、邁進していきます。
100年企業という老舗でありながら「面白い挑戦」をし続ける、魅力ある会社を目指していきます。
肥料、菓子、砂糖と商品を変えながら事業拡大、総合食品販売業へ
弊社の前身は、1916年に私の曽祖父である清水幸太郎が創業した肥料問屋・清水弥生堂商店です。
お茶請けとして親しまれる菓子の落雁を製造・販売する事業に切り替えた時期もあり、兵役を終えた祖父の眞と共に菓子製造販売を続けました。
商売が波に乗ってきた1951年に、政府による砂糖配給統制規則が廃止され、砂糖販売が自由化されました。祖父は、「砂糖は、菓子製造だけでなく日々の食生活においても必要不可欠なものである」と目をつけ、この自由化を機に砂糖の卸売に舵を切ります。
当時は、リヤカーを引いて、たくさんの顧客のもとを回りながら砂糖の卸売を行い、飛騨地域随一の砂糖問屋に成長しました。
1963年には株式会社清水弥生堂と屋号を変え、祖父が代表取締役社長に就任します。その頃からは、砂糖に加え、菓子の材料である小麦粉や水飴なども取り扱うようになります。「菓子の材料は何でも揃える」ことで、総合食品販売業としての道を歩み始めました。
その後は顧客ニーズに合わせて包装資材の販売にも注力します。1970年ごろからは和菓子に代わり洋菓子市場が急成長していき、それに伴い当時まだ珍しかった生クリームなどの洋菓子材料の取り扱いを開始します。製菓製パン材料以外にもメインディッシュとなる肉・魚などの冷凍食品などの取り扱いを開始しました。
1988年には、父・幸平が代表取締役社長に就任し、飛騨地域の「食のニーズ」に応える総合食品販売業へと成長しました。
弊社が食品卸売業に着手してから70年以上にわたって、飛騨地域で製菓・製パン業、外食業、スーパー、小売店など、食に携わる方々との信頼を築き上げてきました。
現在では、砂糖や小麦粉、調味料といった食材から食に関わる包装資材、厨房什器など、10,000点以上を取り扱っています。そのため、お客様から「必要なものは清水弥生堂で手に入る」という評価をいただくことができています。
地域に貢献するため、後継者となることを決意
私は、3人兄弟の末っ子として生まれました。高校卒業後は弁護士を目指して法学部に進学しましたが、在学中に行われた家族会議で、将来、清水弥生堂の後継者になることが決まります。
憧れていた法曹界への道が絶たれ、当時は複雑な思いも抱えましたが、飛騨地域で生まれ育った者として地域に貢献する決意を少しずつ固めていきました。
大学卒業後は、すぐ清水弥生堂に入社するのではなく、後継者として視野を広げるために経営者向けの広告を発行する会社に就職します。
広告営業を担当し、毎日がむしゃらに営業する日々を送りました。顧客が抱える課題を解消するために寄り添うことや、課題を洗い出す課題発見力、提案力を身につけることができたと思います。
家業に入り、改革を進める
そして、2011年に清水弥生堂に入社し、はじめは配送業務の担当となりました。
私は「フットワークとネットワーク」を大切にしていますが、実際に入社して、自分の特徴を生かせそうだと感じました。フットワーク軽く行動や挑戦をすることで様々な人と繋がり、さらに別の人を繋げることでビジネスが形作られるという過程に面白さを感じたからです。食品業界の魅力も実感し、すぐ仕事にのめり込むようになりました。
業務に慣れた頃からは徐々に内部の課題点が見えるようになり、大きく3つの変化を加えました。
1つ目は、社内のさらなる組織化を推進する必要があると考え、週に1度社員同士が意見を共有する体制を整えました。
2つ目は、在庫管理や統一を図るために、様々な商品リストを作成しました。若手の社員であっても誰でも商品を販売できる仕組みを構築することができ、少しずつ売上を拡大することに成功しました。
3つ目は、ブランディングにも着手し、webサイトやSNSを通じたPRも展開していきました。
そして、次のステップへと進める基盤を整え、入社14年目となる2024年に社長に就任しました。
地域NO.1を目指す
弊社では、地域NO.1を目指しています。新規開業の相談を受けた金融機関や相談を受けた人から、「とりあえず清水弥生堂さんに相談してみたら」と一番に挙げてもらえるような企業でありたいです。
年に一度、仕入先に出展していただく形で展示会を開催しています。その展示会へは、地域のお客様や金融機関など250社ほど招待させて頂くことで、地域企業や金融機関との関係性の強化にもつながっています。
また、豊富な品揃えによる「ワンストップサービス」が可能だからこそ、取引先の販売に関することや、新規開業の相談にも乗ることができます。
その他にも、地域内の足としての運送業務を行うなど、様々な要望にお応えしています。
国際観光都市の食の環境づくりに貢献
2014年には、当時急増していた東南アジアのイスラム教徒(ムスリム)の訪日観光客の対応のために「飛騨高山ムスリムフレンドリープロジェクト」を発足させました。
飲食店でムスリムの方に食事していただけるように、ムスリム対応のメニューをお客様と一緒に開発し、来てもらいやすい街づくりにしました。
また2021年に「飛騨高山フードバリアフリー協議会」を設立しました。宗教や食文化、思想、体質などによる制約をなくす「フードバリアフリー」という概念のもと、飛騨高山地域の豊かな食文化を楽しめる機会を提供するほか、地域の銘菓の輸出支援も行います。
飛騨地域ならではの価値を10年以上にわたって提供し続けてきた国内有数の先進地として、観光庁からも評価を受けています。
創業100年、平均年齢34歳の「古くて若い」会社
弊社の社員数は約40名で、平均年齢は34歳と若く、特に営業職は20代~30代前半が中心です。一方でベテラン社員もいますが、社員一丸となって日々の業務に励んでいます。
人財育成は、実務を通じてOJTで行います。幅広く商品知識を身に付ける必要があるため、経験を積むことが何より大切だという考えからです。会社全体で新入社員を育成するという考えのもと、全社員が温かい姿勢で成長をサポートしています。
世代を超えて、意思疎通・情報共有を大切にしていきたいと思います。
地域企業の事業を引き継ぎ、「株式会社ニクラボ」設立
先代の頃から、弊社は卸売だけではなく製造業にも進出したいという夢がありました。
2021年に、弊社の顧客企業から肉まん製造事業を引き継ぎ、飛騨牛まんを製造する子会社「ニクラボ」を設立しました。
今後、M&Aにも注力していきたいです。人口およそ8万人の高山市の中で販路と雇用を争うのではなく、地域企業が一丸となって強い事業体を作り、様々な競争圧力に対抗する力をつけ、雇用を守りながら地域全体の底上げを目指したいです。
面白い挑戦を続ける、魅力と活気のある会社へ
今の社員の子どもたち、Uターンを考えている若者たちが「清水弥生堂で働いてみたい」「活躍できそう」と思ってもらえるような会社となるべく、邁進していきます。
100年企業という老舗でありながら「面白い挑戦」をし続ける、魅力ある会社を目指していきます。
会社概要
社名 | 株式会社清水弥生堂 |
創立年 | 1916年 |
代表者名 | 代表取締役社長 清水 大地 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
https://www.yayoido.com/
|
本社住所 |
〒506-0002 |
事業内容 | 食料品、包装資材、機械・器具の販売 |
関連会社 |
会社沿革
1916年 | 合資会社清水弥生堂商店を設立する |
1922年 | 菓子製造販売を開始する |
1951年 | 砂糖統制解除となり、砂糖の販売を開始する |
1963年 | 株式会社清水弥生堂を設立する(設立) 代表取締役社長を清水眞とし、資本金500万円とする 総合食品販売業として営業を開始する |
1975年 | 高山市冬頭町(現・問屋町)に移転 |
1988年 | 代表取締役社長に清水幸平が就任する |
2014年 | 飛騨高山ムスリムフレンドリープロジェクト発足 |
2016年 | 創業100周年を迎える |
2021年 | 一般貨物自動車運送事業を開始(事業者番号540001518) 飛騨高山フードバリアフリー協議会発足 株式会社ニクラボ設立 飛騨牛まんなどの製造業をスタート |
2024年 | 代表取締役会長に清水幸平が就任する 代表取締役社長に清水大地が就任する |
公開日:2025/02/10
※本記事の内容および所属名称は2025年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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