福岡・福岡市早良区
福岡 ・ 福岡市
伝統の甘口醤油の味を
髙田食品工業株式会社
親子2代で働く社員も。地域と社員に愛される創業120年の醤油メーカー
経営理念
「地域に感謝し、地域に愛される商品づくりをする、社員を大切にする会社」
お客様の意見をしっかりと聞き、
地域の人に愛さる味を追及して守り続ける
そして地域に感謝するだけでなく
社員を大切する会社であり続けたいと考えています
代表者メッセージ
1896年の創業以来120年以上にわたって、福岡市早良区で伝統の甘口醤油をつくり続けてきました。地域の方々に支え続けていただいたことへの感謝を忘れずに、100年先の未来でも変わらず愛され続ける醤油づくりを目指していきます。
現在、醤油市場を取り巻く環境は変化し続けています。日本国内における醤油の消費量が減少している中で、焼肉のタレのような醤油加工品や時短調味料、健康志向による減塩醤油などの新たなニーズが生まれ、日本食ブームによる海外需要も高まっています。
弊社も伝統を守るだけではなく、新しい時代に合わせた味わいや商売の形を追求していきます。
代表取締役 髙田市郎
私たちのこだわり
創業の経緯と九州地方の醤油の歴史
弊社は、福岡市早良区で「ヤマタカ醤油」というブランド名で展開している醤油メーカーです。1896年の創業以来、120年以上にわたって九州地方で愛される甘口醤油を作り続けています。私は5代目で、創業者は私の先祖である髙田興一郎です。
弊社の近くには菅原道真公が大宰府へ赴く際に手を清めたとされる「松ヶ根の井」という井戸があります。酒づくりにも使われるようなきれいな水が湧いており、その水の良さがこの地で醤油メーカーを創業した理由だと聞いています。創業後は個人事業主としての商いを続けていましたが、第2次世界大戦後の1953年に法人化して、髙田食品工業株式会社となりました。
福岡県は炭鉱業や製鉄業で栄えた歴史があり、そこで働く人たちが濃い味付けを好んだことから、各地に醤油メーカーが作られたといわれています。小規模で歴史の長い醤油メーカーが多く、最盛期には500軒近くあったそうです。
高度経済成長期に入ると、醤油づくりには時間と手間がかかることから、各メーカーが大きく成長していくためにも生産効率の向上が大きな課題になりました。その解決のためにいくつかの醤油メーカーが集まり、1966年に設立されたのが福岡県醤油醸造協同組合です。弊社も同組合の設立に参画しました。
この組合では、生産効率を高めるために共同で生産工場を設けて、「生揚(きあげ)」と呼ばれる醤油の原液を製造することにしました。
醤油は、一般的に「原料処理」、「製麹」、「発酵・熟成」、「圧搾」、「火入れ・ろ過」という工程を経て完成します。「生揚」づくりは、工程のうち「原料処理」から「圧搾」までとなります。醤油づくりにおいて最も時間がかかる「発酵・熟成」を含むため、完成までに6~8か月は必要です。その時間と手間がかかる「生揚」づくりを共同の生産工場で一括して行うことで、大幅な生産性の向上を実現しました。各醤油メーカーは、味の決め手となる火入れや調合作業に専念できるようになったことで、経営面での負担が大きく減ったと聞いています。
醤油づくりにおいて「火入れ」はとても重要な工程です。醤油や日本酒などの発酵食品は麹菌を用いて発酵・醸造を行いますが、「生揚」の段階ではまだ発酵が止まっていません。発酵を止めるために加熱して麹菌を取り除く作業が火入れです。火入れ時に配合する原料のバランス、火入れの温度や時間のわずかな違いで味、香り、色見が大きく変わります。
この1960年代の取り組みがあったからこそ、福岡の醤油は特色豊かな各メーカーの味を残せているのだと思います。
アルバイトをきっかけに家業を継ぐ決意
現在は5代目社長をしている私ですが、大学卒業直前の年末までは一般企業に就職する予定でした。内定を覆して入社するきっかけになったのが、弊社・髙田食品工業でのアルバイトです。醤油醸造業は、11月から12月が年間でも一番の繁忙期にあたり、受注から製造、出荷まであらゆる業務が立て込み、まさに「激務」という状況が続きます。
そうした状況の中に飛び込み、懸命に働く父や社員の姿を目の当たりにして「自分も力にならなくてはいけない」という気持ちが芽生えました。その気持ちは瞬く間に大きくなり、弊社に新卒入社する決断に繋がっています。
父は、私が子どもの頃から「継いで欲しい」と言ってくることはありませんでしたが、卒業間際のタイミングで「アルバイトをしないか」と誘ってきたのは、強制はしないまでも、本心では継いで欲しい思いもあったのだと思います。
新卒で入社してからは、醤油の製造に関するノウハウや知識をゼロから必死で学び続けました。工場での作業、営業、事務と会社のあらゆる業務を経験しながら、醤油醸造協同組合の勉強会や他社の工場見学にも積極的に足を運びました。そうした努力の甲斐もあり、会社を継ぐ44歳になる頃には、醤油づくりと会社経営の双方で自信が持てる状態になっていました。
伝統の味を守りつつ、時代に合わせた醤油加工品もつくっていく
好まれる醤油の味は関東や関西、九州など地域によって異なります。その中で九州の醤油は一般的に甘みの強さが特徴とされており、弊社の醤油も甘口が基本です。その甘口の中で好みや用途の違いに合わせて数種類を製造しています。
前述のように弊社では、「生揚」作りまでは福岡県醤油醸造協同組合の生産工場で行い、最終工程の「火入れ」を弊社の工場で行っています。弊社の醤油を長年支持していただいているお客様の期待に応えるためにも、火入れの温度や時間は厳密に管理して伝統の味を守り続けています。
しかし、近年では国内の醤油の消費量は減少傾向にあります。日本の醤油文化を残しながらも新たな市場を開拓する目的から、醤油を使った加工品の製造・販売に力を入れ始めました。その一例が「焼肉のたれ」「ステーキソース」「ぽん酢しょうゆ」「めんつゆ」といった商品群です。
また、健康を意識して塩分や糖質を抑えた商品や、だしを取らずに済むような時短調味料などの醤油加工品も手掛けています。中でもラーメン店向けのかえし(スープで割る前の醤油ダレ)は、ビジネスとして大きな可能性を秘めています。かえしを卸しているラーメン店の1社が海外展開で成功していることもあり、今後より多くの需要が見込める状態だからです。さらにコロナ禍が落ち着いたことでラーメン店の海外展開は再び増えつつあり、新たな取引先を開拓していく点でも追い風の状況です。ノウハウを蓄積しながら、今後も積極的に取り組んでいきます。
ここ数年で最も注力しているプロジェクトは、新工場の建設計画です。現在は、工場が2か所に分かれており、人の動線や作業効率面で不便なところがあります。新工場では生産性向上や今後の事業拡大を見据えて、1つの工場に集約していこうと考えています。今年中に着工できるように進めているところです。
「社員が働きやすい環境」で親子2代で働く社員も
社員に対して特別なことをしているわけではありませんが、1人ひとりに向き合い、どのようにすれば皆が働きやすくなるかを常々考えています。そのおかげで、社員の離職率は低く、長く勤めてくれている社員も少なくありません。中には親子2代で働いている社員もいます。親の働く姿を知った上でそのお子さんが「自分もここで働きたい」と思ってもらえるのはとても嬉しいことです。
地域に対しては、常に感謝の気持ちを持ち続け、行動していくことが大切だと感じています。なぜなら弊社は工場も含めて住宅街の近くに拠点があり、トラックの搬入作業などでご迷惑をかけているからです。社員には日々のあいさつや声かけなど、近隣住民の皆様との良好な関係を築くように伝えています。
また、地域を盛り上げる町おこしも積極的に取り組みたいと考えています。その一環としてはじめているのが、工場直売店「星多るの里」と定食屋「ヤマタカ食堂」の経営です。福岡市で育まれた甘口醤油のおいしさを、少しでも多くのお客様に知ってもらいたいという思いを込めています。
こうした取り組みもあり、近年社員数が増えていく中で、社員の自主性が自然と芽生えつつあり、組織としての成長を実感しています。以前は社長や専務がいなければ会議すら行われませんでしたが、現在では社員が会議を行い、報告や提案が上がってくる機会が非常に増えています。
会社側から何か働きかけたわけではなく、社員の自発的な取り組みによるものです。会社の進んでいる方向を社員が自然に理解して、自ら考えてなすべきことをしてくれていると言えます。この距離感の近さを残していくためにも、コロナ禍前は定期的に行っていたバーベキュー大会や、地域の駅伝大会への参加などといった各種イベントの復活は急務です。
経営者としては、先代の父から常々言われてきた、「社員は可愛がらないといけない」「地域に愛される会社でなければ長続きしない」という2つの言葉を大切にしています。
後継者不足で失われる伝統の味を守りたい
福岡県は都道府県別で最も醤油メーカーが多く、2019年時点で90社近くありましたが、年々その数は減少しています。業績の悪化による廃業ではなく、後継者不在を原因に廃業したケースも多くありました。伝統が失われるという意味でも、その醤油を愛好してきたお客様にとっても非常に残念なことです。醤油メーカーが100軒あれば100通りの味があり、味を再現することは非常に難しいことではありますが、可能であれば地元で愛される伝統の味を引継いでいきたいと考えています。特に福岡の醤油づくりは、福岡県醤油醸造協同組合の共同工場を活用した独特の製造体制をとっているため、組合員であり、弊社のような地元企業であればスムーズな引継ぎができると考えます。もし、後継者問題を抱えている福岡の醤油メーカーがあればぜひご相談ください。
地域に愛される醤油づくりと海外展開の両立を視野に
「120年以上も事業が続く理由は?」とよく聞かれますが、秘訣といえるようなことは特にありません。ただ、父からはよく「急ぎ過ぎることなく、ぼちぼちでいい」といわれており、醤油メーカーとしてできることを着実に行っていこうと思っています。
会社を大きくしていきたいという思いはありますが、闇雲に拡大路線を目指すつもりはありません。仕事が増えるなかで自然と人が増え、会社としての規模が大きくなる、そのような成長が理想です。その第一歩が新工場の建設で、生産性をより高め、請け負える仕事を増やし、人を増やしていければと考えています。
弊社自体の事業承継については、専務として働く息子に将来的には引継ぐ予定です。できるだけ良い状態で引継ぐためにも、新工場の建設は私の代で成し遂げるべき大きな使命だと考えています。
今後は、すでに弊社が海外で展開している「チョコレート醤油」のような個性的な海外向け醤油加工品や時短調味料等の製品開発にも注力していく方針です。地域に愛される醤油づくりという基本は変わりませんが、日本国内の人口減少や醤油の消費量が減っていくことを見据えると、商品の海外展開は前向きに挑戦すべきだと考えます。弊社の味を守りつつ、日本の醤油文化を未来に残し、世界に発信していきます。
創業の経緯と九州地方の醤油の歴史
弊社は、福岡市早良区で「ヤマタカ醤油」というブランド名で展開している醤油メーカーです。1896年の創業以来、120年以上にわたって九州地方で愛される甘口醤油を作り続けています。私は5代目で、創業者は私の先祖である髙田興一郎です。
弊社の近くには菅原道真公が大宰府へ赴く際に手を清めたとされる「松ヶ根の井」という井戸があります。酒づくりにも使われるようなきれいな水が湧いており、その水の良さがこの地で醤油メーカーを創業した理由だと聞いています。創業後は個人事業主としての商いを続けていましたが、第2次世界大戦後の1953年に法人化して、髙田食品工業株式会社となりました。
福岡県は炭鉱業や製鉄業で栄えた歴史があり、そこで働く人たちが濃い味付けを好んだことから、各地に醤油メーカーが作られたといわれています。小規模で歴史の長い醤油メーカーが多く、最盛期には500軒近くあったそうです。
高度経済成長期に入ると、醤油づくりには時間と手間がかかることから、各メーカーが大きく成長していくためにも生産効率の向上が大きな課題になりました。その解決のためにいくつかの醤油メーカーが集まり、1966年に設立されたのが福岡県醤油醸造協同組合です。弊社も同組合の設立に参画しました。
この組合では、生産効率を高めるために共同で生産工場を設けて、「生揚(きあげ)」と呼ばれる醤油の原液を製造することにしました。
醤油は、一般的に「原料処理」、「製麹」、「発酵・熟成」、「圧搾」、「火入れ・ろ過」という工程を経て完成します。「生揚」づくりは、工程のうち「原料処理」から「圧搾」までとなります。醤油づくりにおいて最も時間がかかる「発酵・熟成」を含むため、完成までに6~8か月は必要です。その時間と手間がかかる「生揚」づくりを共同の生産工場で一括して行うことで、大幅な生産性の向上を実現しました。各醤油メーカーは、味の決め手となる火入れや調合作業に専念できるようになったことで、経営面での負担が大きく減ったと聞いています。
醤油づくりにおいて「火入れ」はとても重要な工程です。醤油や日本酒などの発酵食品は麹菌を用いて発酵・醸造を行いますが、「生揚」の段階ではまだ発酵が止まっていません。発酵を止めるために加熱して麹菌を取り除く作業が火入れです。火入れ時に配合する原料のバランス、火入れの温度や時間のわずかな違いで味、香り、色見が大きく変わります。
この1960年代の取り組みがあったからこそ、福岡の醤油は特色豊かな各メーカーの味を残せているのだと思います。
アルバイトをきっかけに家業を継ぐ決意
現在は5代目社長をしている私ですが、大学卒業直前の年末までは一般企業に就職する予定でした。内定を覆して入社するきっかけになったのが、弊社・髙田食品工業でのアルバイトです。醤油醸造業は、11月から12月が年間でも一番の繁忙期にあたり、受注から製造、出荷まであらゆる業務が立て込み、まさに「激務」という状況が続きます。
そうした状況の中に飛び込み、懸命に働く父や社員の姿を目の当たりにして「自分も力にならなくてはいけない」という気持ちが芽生えました。その気持ちは瞬く間に大きくなり、弊社に新卒入社する決断に繋がっています。
父は、私が子どもの頃から「継いで欲しい」と言ってくることはありませんでしたが、卒業間際のタイミングで「アルバイトをしないか」と誘ってきたのは、強制はしないまでも、本心では継いで欲しい思いもあったのだと思います。
新卒で入社してからは、醤油の製造に関するノウハウや知識をゼロから必死で学び続けました。工場での作業、営業、事務と会社のあらゆる業務を経験しながら、醤油醸造協同組合の勉強会や他社の工場見学にも積極的に足を運びました。そうした努力の甲斐もあり、会社を継ぐ44歳になる頃には、醤油づくりと会社経営の双方で自信が持てる状態になっていました。
伝統の味を守りつつ、時代に合わせた醤油加工品もつくっていく
好まれる醤油の味は関東や関西、九州など地域によって異なります。その中で九州の醤油は一般的に甘みの強さが特徴とされており、弊社の醤油も甘口が基本です。その甘口の中で好みや用途の違いに合わせて数種類を製造しています。
前述のように弊社では、「生揚」作りまでは福岡県醤油醸造協同組合の生産工場で行い、最終工程の「火入れ」を弊社の工場で行っています。弊社の醤油を長年支持していただいているお客様の期待に応えるためにも、火入れの温度や時間は厳密に管理して伝統の味を守り続けています。
しかし、近年では国内の醤油の消費量は減少傾向にあります。日本の醤油文化を残しながらも新たな市場を開拓する目的から、醤油を使った加工品の製造・販売に力を入れ始めました。その一例が「焼肉のたれ」「ステーキソース」「ぽん酢しょうゆ」「めんつゆ」といった商品群です。
また、健康を意識して塩分や糖質を抑えた商品や、だしを取らずに済むような時短調味料などの醤油加工品も手掛けています。中でもラーメン店向けのかえし(スープで割る前の醤油ダレ)は、ビジネスとして大きな可能性を秘めています。かえしを卸しているラーメン店の1社が海外展開で成功していることもあり、今後より多くの需要が見込める状態だからです。さらにコロナ禍が落ち着いたことでラーメン店の海外展開は再び増えつつあり、新たな取引先を開拓していく点でも追い風の状況です。ノウハウを蓄積しながら、今後も積極的に取り組んでいきます。
ここ数年で最も注力しているプロジェクトは、新工場の建設計画です。現在は、工場が2か所に分かれており、人の動線や作業効率面で不便なところがあります。新工場では生産性向上や今後の事業拡大を見据えて、1つの工場に集約していこうと考えています。今年中に着工できるように進めているところです。
「社員が働きやすい環境」で親子2代で働く社員も
社員に対して特別なことをしているわけではありませんが、1人ひとりに向き合い、どのようにすれば皆が働きやすくなるかを常々考えています。そのおかげで、社員の離職率は低く、長く勤めてくれている社員も少なくありません。中には親子2代で働いている社員もいます。親の働く姿を知った上でそのお子さんが「自分もここで働きたい」と思ってもらえるのはとても嬉しいことです。
地域に対しては、常に感謝の気持ちを持ち続け、行動していくことが大切だと感じています。なぜなら弊社は工場も含めて住宅街の近くに拠点があり、トラックの搬入作業などでご迷惑をかけているからです。社員には日々のあいさつや声かけなど、近隣住民の皆様との良好な関係を築くように伝えています。
また、地域を盛り上げる町おこしも積極的に取り組みたいと考えています。その一環としてはじめているのが、工場直売店「星多るの里」と定食屋「ヤマタカ食堂」の経営です。福岡市で育まれた甘口醤油のおいしさを、少しでも多くのお客様に知ってもらいたいという思いを込めています。
こうした取り組みもあり、近年社員数が増えていく中で、社員の自主性が自然と芽生えつつあり、組織としての成長を実感しています。以前は社長や専務がいなければ会議すら行われませんでしたが、現在では社員が会議を行い、報告や提案が上がってくる機会が非常に増えています。
会社側から何か働きかけたわけではなく、社員の自発的な取り組みによるものです。会社の進んでいる方向を社員が自然に理解して、自ら考えてなすべきことをしてくれていると言えます。この距離感の近さを残していくためにも、コロナ禍前は定期的に行っていたバーベキュー大会や、地域の駅伝大会への参加などといった各種イベントの復活は急務です。
経営者としては、先代の父から常々言われてきた、「社員は可愛がらないといけない」「地域に愛される会社でなければ長続きしない」という2つの言葉を大切にしています。
後継者不足で失われる伝統の味を守りたい
福岡県は都道府県別で最も醤油メーカーが多く、2019年時点で90社近くありましたが、年々その数は減少しています。業績の悪化による廃業ではなく、後継者不在を原因に廃業したケースも多くありました。伝統が失われるという意味でも、その醤油を愛好してきたお客様にとっても非常に残念なことです。醤油メーカーが100軒あれば100通りの味があり、味を再現することは非常に難しいことではありますが、可能であれば地元で愛される伝統の味を引継いでいきたいと考えています。特に福岡の醤油づくりは、福岡県醤油醸造協同組合の共同工場を活用した独特の製造体制をとっているため、組合員であり、弊社のような地元企業であればスムーズな引継ぎができると考えます。もし、後継者問題を抱えている福岡の醤油メーカーがあればぜひご相談ください。
地域に愛される醤油づくりと海外展開の両立を視野に
「120年以上も事業が続く理由は?」とよく聞かれますが、秘訣といえるようなことは特にありません。ただ、父からはよく「急ぎ過ぎることなく、ぼちぼちでいい」といわれており、醤油メーカーとしてできることを着実に行っていこうと思っています。
会社を大きくしていきたいという思いはありますが、闇雲に拡大路線を目指すつもりはありません。仕事が増えるなかで自然と人が増え、会社としての規模が大きくなる、そのような成長が理想です。その第一歩が新工場の建設で、生産性をより高め、請け負える仕事を増やし、人を増やしていければと考えています。
弊社自体の事業承継については、専務として働く息子に将来的には引継ぐ予定です。できるだけ良い状態で引継ぐためにも、新工場の建設は私の代で成し遂げるべき大きな使命だと考えています。
今後は、すでに弊社が海外で展開している「チョコレート醤油」のような個性的な海外向け醤油加工品や時短調味料等の製品開発にも注力していく方針です。地域に愛される醤油づくりという基本は変わりませんが、日本国内の人口減少や醤油の消費量が減っていくことを見据えると、商品の海外展開は前向きに挑戦すべきだと考えます。弊社の味を守りつつ、日本の醤油文化を未来に残し、世界に発信していきます。
会社概要
社名 | 髙田食品工業株式会社 |
創立年 | 1896年 |
代表者名 | 代表取締役 髙田 市郎 |
資本金 | 1,000万円 |
URL |
https://www.yamatakasoy.co.jp/
|
本社住所 |
〒811-1102 |
事業内容 | 醤油、醤油加工品、調味料の製造・販売 工場直売店「星多るの里」運営 定食屋「ヤマタカ食堂」運営 |
事業エリア |
第二工場 〒811-1102 |
関連会社 |
会社沿革
1896年 | 創業者髙田興一郎が福岡市で醤油醸造業を創業 |
1953年 | 髙田食品工業株式会社 設立 |
1966年 | 福岡県醤油醸造協同組合 福岡県内の醤油業者による共同出資で設立 |
2019年 | 工場直売店「星多る里」、定食屋「ヤマタカ食堂」オープン |
髙田食品工業株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
福岡県
福岡の老舗醤油メーカーが醤油文化を継承する若手人財を募集
公開日:2023/07/12 (2023/07/14修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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