神奈川・川崎市高津区
神奈川 ・ 川崎市
課題解決型営業を
株式会社和興計測
紆余曲折の社内承継から経営再建した2代目社長のものづくりへの情熱
経営理念
「お客様第一で考える」
お客様が今何を求めて、何をしようとしていて、それに対して弊社はどのようなお手伝いできるのかを、常に問い続ける
代表者メッセージ
時代、環境により、必要とされる製品は日々変化しております。それに対応するための人材育成や技術力向上は一朝一夕にはできません。だからこそ創業時から大切にしてきたのが、「お客様が必要としている製品を開発し提供する」という考え方です。それが真に必要とされるものだからです。困難を伴うこともありますが、「チャレンジ精神」を忘れず取り組んで行きたいと思います。
2016年には、独自の経営スタイルが評価され神奈川県から「神奈川県優良小規模企業者」として表彰していただきました。
これからも、弊社が持つ全国のものづくりネットワークを生かし、皆様に喜ばれる製品を提供し、地元の誇りになるような会社を目指していきます。
代表取締役 五十嵐崇
私たちのこだわり
川崎市のものづくり企業として40年以上の歴史
弊社は、1968年6月に工業用計測器の設計・製造、販売を目的として、東京都府中市で創業しました。現在の地に移ってきたのは、1981年1月のことで、川崎市が企業誘致をしていたことがきっかけです。以来40年以上、川崎市のものづくり企業として歩んでまいりました。
初代は、中学卒業後に大手電機メーカーに就職し、働きながら定時制高校の機械科と電子系の専門学校に通い、学業を修めたと聞いています。その後、2度の転職を経て、1968年に弊社を創業しました。和を保ち、興味をつないでいくという思いを込めて「和興計測」という社名にしたそうです。初代の勤務先が事業拡大に失敗して倒産したことが起業のきっかけになっているため、「会社を大きくするよりも、社会が必要と認める企業を目指し、身の丈にあった経営を心掛けることが大切」という思いを強く抱いての創業だったと聞いています。
顧客の困りごとに徹底的に向き合えるのが強み
創業以来、液体貯槽における各種計測器のメーカーとして、ものづくりに携わってきました。例を挙げると、地下の貯水タンクの液量監視を目的にした計測器、非常用発電機の燃料油の残量を制御する装置などを手掛けています。あまり目立たない製品ですが、液体貯槽を用いる業界は多く、弊社製品も電力、上下水道、鉄鋼、石油など、実に幅広い業界で使われています。
多くの業界、用途で使われていることから、設置場所の環境や条件に合わせてさまざまな配慮や工夫が必要です。そうしたお客様のお困りごとやニーズに柔軟に対応し、製品化できる技術力が弊社の1番の強みだといえます。例えば「耐圧防爆構造の計測器」や、停電時でも使用できる「非電気式の計測器」など、お客様から頂いたニーズをもとに製品化した実例の1つです。
また、もう1つの強みが自社工場で製造を行っている点です。近年では自社工場を持たないファブレス企業も少なくありません。弊社の場合は自社工場を持っていることで、顧客の細かいニーズに応えられたり、ミスやトラブルが起きた際にも迅速に対応できたりするのが競争優位性だと認識しています。
ものづくり大好き青年が見つけた仕事の適性
私は、弊社の2代目社長になります。初代と血縁関係はなく、社内承継という形で2009年に引継ぎました。
私自身は川崎生まれの川崎育ちで、家の扇風機やビデオデッキが壊れると、分解して仕組みを見て学ぶ、機械いじりが大好きな子供でした。時には、分解したものを元に戻せなくなり、父親から大目玉をくらったことも多々あります。それでも高校生になる頃には、半分くらいは自分で修理ができるようになっていたので、親も理解してくれるようになっていました。
高校卒業後は、日本工学院専門学校に進み、その後、武蔵小杉にある「美和電気株式会社」という会社に新卒で入社しました。
3年ほどで退職することになりますが、その会社で若手社員向けに行われていた勉強会への参加が私の経営者人生に大きな影響を与えています。勉強会では、当時の名だたるものづくり企業の経営者が講師として招かれ、数学などの勉強を教えてもらいました。その頃は経営者になるとは夢にも思っていませんでしたが、この勉強会で聞いた話が、経営者になってから役立っている部分が多く、今振り返ると本当に貴重な学びの場だったと言えます。
美和電気株式会社を退職後は、半年ほど新潟で自由な時間を過ごしていましたが、弟の大学進学を機に親から「家計を助けてほしい」と言われ、実家に戻り職を探しました。その時に求人誌で見つけたのが、弊社・株式会社和興計測です。ものづくりは子供の頃から好きだったので、業務内容にも抵抗はなく、自然な流れで入社し、製造部門に配属されました。
入社後は製造部門を皮切りに、営業部門、設計部門を経験しましたが、一番向いていると感じたのが営業でした。とはいえ、「買ってください」というお願いベースの営業スタイルではありません。お客様の困り事を徹底的に聞き、それを解決できるような商品の設計と提案を行い、受注に繋げていくという課題解決型の営業スタイルになります。現在、課題解決型の営業は、社内にも浸透してきており、お客様のニーズを汲み上げ、製品化できるという弊社の強みに繋がっています。
紆余曲折の社内承継を経て社長就任
リーマンショックが起きた2008年頃、弊社ではいろいろな動きがありました。きっかけは人員削減を余儀なくされるほどに経営状況が悪化したことです。その当時は既に初代のご子息やご息女が退職していたので、親族承継ができず、初代は、M&Aで会社を手放すための交渉を始めました。しかし、話がまとまらず、突如として私が後継者に指名されました。突然の指名に驚いたものの、腹を決めて受諾し、いざ引き継ごうというタイミングでまさかの事態が起こります。初代が心変わりし、私が社長を引き継ぐ話が白紙になり、会社を追われることになりました。初代が知人から言われた「血縁以外の人間に託したら、会社を乗っ取られて一銭もらえないぞ」という言葉を真に受けて、疑心暗鬼になっていたようです。
そのような折、私の営業力を見込んでくれていた企業から営業部長として来ないかとオファーを頂きました。かなり厚待遇で迎えてくれるとのことで本当にありがたい限りでした。その報告と引継ぎのために和興計測に行くと、同僚たちから「我々も連れて行ってくれ」と言われました。その受け入れて頂ける企業に、他の社員も一緒に受け入れして貰えないか?とお願したのですが、答えは「NO」でした。
私は頼ってきた同僚たちを無下にできなかったので、声をかえてくれた企業と和興計測に1年間の猶予をもらい、ある約束をしました。私を含めて数名が会社を辞めても困らない体制を1年で作り上げる代わりに、もう1年間だけ、和興計測で働かせてもらい、その後は自由にさせてもらうという約束です。
そこから1年間、しっかりと体制づくりを進めて、いよいよ約束の日が来るというタイミングでまたもや初代から「まさか」の提案を受けました。改めて会社を引き継いで欲しいという提案でした。おまけに初代は「明日にでも社長を辞めたい」とのことだったので、社員たちを路頭に迷わせるわけにもいかず、社長就任を受諾しました。
借金は年商の3倍。約5年で経営再建を達成
社長に就任して初めて知ったのが、倒産寸前の経営状況です。借金は年商の3倍あり、一度引き受けたからには投げ出すわけにもいかず、5、6年かけて返済していきました。
経営再建でまず行ったのが会社から出ていくお金の精査です。いろいろな部分を削減する中で避けては通れなかったのが、人件費の削減です。ここに至るまで社員に苦労や我慢をさせていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、当時はそれほど深刻な経営状態でした。
次に手を打ったのは、1社依存型であった受注体制からの脱却をはかることです。提案型営業で取引先の拡大に努めたところ、取引先が増え、さらに利益率の高い仕事を受注できるようになり、経営は徐々に改善していきました。
その時の経験があるので、利益があがったら社員に積極的に還元していく方針で経営をしています。いろいろと我慢をしながらも、それでもついてきてくれた社員たちがいたからこそ成し遂げられた経営再建だからです。
「チャレンジ精神」を支える3つの考えを大事にしたい
弊社では「経営理念」という形では提示していないものの、社員に対して私がよく伝えているのは「お客様第一で考える」という考え方です。お客様が今何を求めて、何をしようとしていて、それに対して弊社はどのようなお手伝いができるのかを、常に問い続けて仕事をしてもらいたいと思っています。なぜなら弊社の強みである、課題解決型のオーダーメイド製造を実現するために欠かせないアプローチ方法だからです。
それに加えて今後は「思えば叶う。諦めたらそこで終わり。諦めなければ必ず形になる」という私が経営者として実感してきた考え方を社内に浸透させていきたいと思っています。お客様の要望に応えることは、言葉にすることは簡単ですが、実現するには数多くの困難にぶつかります。時には諦めそうになる難題にも出会いますが、それでも前に進む力をくれるのがこの言葉だからです。
「愛ある会社」で生産性と効率アップ
社内の雰囲気という面では、社員がお互いに相手のことを考えられる職場にしていきたいと思っています。端的にいえば「愛ある会社にしていく」です。実は相手のことを考えて行動することは、作業効率や生産性向上という面で非常に重要な要素になります。
例えば分かりにくい依頼の仕方だったり、いい加減な仕事を次の工程の人に引き継げば、確認やフォローで大きなしわ寄せが来るからです。反対に分かりやすい情報伝達と、自分の仕事をきっちりとした上で次の人に引き継げば、より良いものを、より効率的に作り上げられると考えます。それが「愛ある会社にしていく」という言葉の真意です。
身近にいる仲間を大切にできない人は、お客様も大事にできないと考えています。こうした概念的な話は意識的にしてきませんでしたが、今後、会社としての良いカルチャーを築いていく上では必要だと思っています。
その第一歩として、社員同士が親近感を抱ける場を増やしたいと考え、2022年から月1回平日を半日休みにして、パークゴルフ大会をはじめました。パークゴルフの後は、懇親会で私が社員に手料理を振舞っています。休みの日にイベントをするのではなくて、平日というのがポイントで、平日なら基本的に全員参加を目指せるからです。今後は社内交流の場をさらに増やして、仕事だけでなく、私生活の悩みなどを聞けるような関係性に発展させていければと思っています。
積極的な地域貢献に込めた感謝と情熱
地域に対する取り組みも積極的に行っていて、その1つが「オープンファクトリー」です。文字通り、一般向けに工場を開放して、ものづくりの現場を知ってもらおうという取り組みになります。2022年は3年ぶり通算7回目の開催となりましたが、多くの地域の方にご参加いただきました。
また、弊社単独ではありませんが、私が会長として携わっている地域企業により構成された一般社団法人川崎北工業会では、「納涼祭」という夏祭りを地元の公園で実施しています。コロナ禍でここ数年はできていませんが、約1,500人集まる地元の方々に親しまれたイベントです。2023年度は久しぶりに実施したいと考えています。
こうした地域活動に力を入れているのは、地域住民の皆様に感謝を伝え、我々のようなものづくり事業者を知ってもらう必要性があると感じているからです。弊社のような都市部にある工場では「住工混在問題」で事業継続が難しくなるケースも少なくありません。「住工混在問題」とは工業地帯だった地域に住宅地が増えていく中で、工場から出る臭いや騒音、振動が原因となり住民トラブルに発展していく問題を指します。簡単に解決できる問題ではありませんが、事業者と近隣住民の相互理解を深め、話し合える関係性を作っておくことが、深刻な問題に発展させないためにできることだと考えています。
他にも、私が講師となり、地元の小、中学校、高校で、ものづくりをテーマにした講演や授業をさせてもらったり、プロサッカーチーム・川崎フロンターレのホームゲームの開催日にスタジアムの一角でものづくりの楽しさを伝えるためのイベント「川崎ものづくりフェア」を定期的に行っています。これらの取り組みは、ものづくりの魅力を次世代に伝えたいという思いから行っています。
困っているものづくり仲間からの相談歓迎
M&Aについては、地域の経営資源の継続、社会貢献になるのであれば考えたいと思います。ただ、事業拡大を目的としたM&Aは「思いを引き継ぐ」という面で、まだ難しいと考えており、積極的には考えておりません。今は社内に向けて「ものづくり」に対する軸となる考え方をしっかりと浸透させる時期だと思っています。今後、M&Aを考える時期が来る可能はあると思うので、会社としてきちんと思いを引き継げるような組織、カルチャーにしていきます。
事業承継という形ではありませんが、一緒に何かを生み出していくという部分では、同業者や金属加工業など、ものづくり企業からのご相談は随時お待ちしています。弊社には川崎市やものづくり企業の横の繋がりからのご縁で、困っている会社の経営者の相談に乗り、一緒に課題解決してきた実績が多数あります。そういう面ではお役に立てることはあるでしょう。そして何よりも私が人と一緒に何かをしていくことが楽しくて仕方ないので遠慮はいりません。
地元の子供たちから憧れられる会社を目指して
今後の展望としては、これから5、6年、長ければ10年スパンで自分の後の後継者を育成していかなければと思っています。焦って行うものではないので、じっくりと育成しようと思います。
また、今行っている地域活動を通じて、「和興計測に入社したい」と思うような子供が出てきて、実際に入社してくれるようになったらこれほどうれしいことはありません。ものづくりに対して、強い誇りを持っている会社なので、働く上では大変な部分もありつつ、それ以上の楽しさとやりがいがあると思います。
会社としての中期ビジョンとしては、コロナ禍前までは行っていた海外展開を再開したいと考えています。日本の計測器市場は成熟しており、今後、国内市場が飛躍的に成長することが考えにくいからです。性能面、デザイン面での海外ニーズを踏まえた製品を試作・開発していくなど、新しい取り組みをしていかなければいけないと思っています。
国内市場に対しては、大量生産から脱却し、少量でも高品質なものを提供していくことで利益を上げるという考え方にしていく必要があると思います。自動化やIoT化など、弊社がまだ取り組んでいない部分を進めていけば、停滞する国内市場にもまだ弊社が入り込む余地はあります。
最後にライフワーク的な部分では、「職人が報われるビジネスモデルの構築」をしなければと考えています。向こう10年でものづくりに携わる需要は非常に高まってくる半面、職人が報われにくい今の状況では最終的に日本のものづくりが衰退していくという危惧があります。そうならないように弊社の事業や地域活動、ものづくり企業との横の繋がりを通して、形づくって行ければと思っています。そのためにまずは弊社を地元の誇りになるような会社にしていきたいと思っています。
川崎市のものづくり企業として40年以上の歴史
弊社は、1968年6月に工業用計測器の設計・製造、販売を目的として、東京都府中市で創業しました。現在の地に移ってきたのは、1981年1月のことで、川崎市が企業誘致をしていたことがきっかけです。以来40年以上、川崎市のものづくり企業として歩んでまいりました。
初代は、中学卒業後に大手電機メーカーに就職し、働きながら定時制高校の機械科と電子系の専門学校に通い、学業を修めたと聞いています。その後、2度の転職を経て、1968年に弊社を創業しました。和を保ち、興味をつないでいくという思いを込めて「和興計測」という社名にしたそうです。初代の勤務先が事業拡大に失敗して倒産したことが起業のきっかけになっているため、「会社を大きくするよりも、社会が必要と認める企業を目指し、身の丈にあった経営を心掛けることが大切」という思いを強く抱いての創業だったと聞いています。
顧客の困りごとに徹底的に向き合えるのが強み
創業以来、液体貯槽における各種計測器のメーカーとして、ものづくりに携わってきました。例を挙げると、地下の貯水タンクの液量監視を目的にした計測器、非常用発電機の燃料油の残量を制御する装置などを手掛けています。あまり目立たない製品ですが、液体貯槽を用いる業界は多く、弊社製品も電力、上下水道、鉄鋼、石油など、実に幅広い業界で使われています。
多くの業界、用途で使われていることから、設置場所の環境や条件に合わせてさまざまな配慮や工夫が必要です。そうしたお客様のお困りごとやニーズに柔軟に対応し、製品化できる技術力が弊社の1番の強みだといえます。例えば「耐圧防爆構造の計測器」や、停電時でも使用できる「非電気式の計測器」など、お客様から頂いたニーズをもとに製品化した実例の1つです。
また、もう1つの強みが自社工場で製造を行っている点です。近年では自社工場を持たないファブレス企業も少なくありません。弊社の場合は自社工場を持っていることで、顧客の細かいニーズに応えられたり、ミスやトラブルが起きた際にも迅速に対応できたりするのが競争優位性だと認識しています。
ものづくり大好き青年が見つけた仕事の適性
私は、弊社の2代目社長になります。初代と血縁関係はなく、社内承継という形で2009年に引継ぎました。
私自身は川崎生まれの川崎育ちで、家の扇風機やビデオデッキが壊れると、分解して仕組みを見て学ぶ、機械いじりが大好きな子供でした。時には、分解したものを元に戻せなくなり、父親から大目玉をくらったことも多々あります。それでも高校生になる頃には、半分くらいは自分で修理ができるようになっていたので、親も理解してくれるようになっていました。
高校卒業後は、日本工学院専門学校に進み、その後、武蔵小杉にある「美和電気株式会社」という会社に新卒で入社しました。
3年ほどで退職することになりますが、その会社で若手社員向けに行われていた勉強会への参加が私の経営者人生に大きな影響を与えています。勉強会では、当時の名だたるものづくり企業の経営者が講師として招かれ、数学などの勉強を教えてもらいました。その頃は経営者になるとは夢にも思っていませんでしたが、この勉強会で聞いた話が、経営者になってから役立っている部分が多く、今振り返ると本当に貴重な学びの場だったと言えます。
美和電気株式会社を退職後は、半年ほど新潟で自由な時間を過ごしていましたが、弟の大学進学を機に親から「家計を助けてほしい」と言われ、実家に戻り職を探しました。その時に求人誌で見つけたのが、弊社・株式会社和興計測です。ものづくりは子供の頃から好きだったので、業務内容にも抵抗はなく、自然な流れで入社し、製造部門に配属されました。
入社後は製造部門を皮切りに、営業部門、設計部門を経験しましたが、一番向いていると感じたのが営業でした。とはいえ、「買ってください」というお願いベースの営業スタイルではありません。お客様の困り事を徹底的に聞き、それを解決できるような商品の設計と提案を行い、受注に繋げていくという課題解決型の営業スタイルになります。現在、課題解決型の営業は、社内にも浸透してきており、お客様のニーズを汲み上げ、製品化できるという弊社の強みに繋がっています。
紆余曲折の社内承継を経て社長就任
リーマンショックが起きた2008年頃、弊社ではいろいろな動きがありました。きっかけは人員削減を余儀なくされるほどに経営状況が悪化したことです。その当時は既に初代のご子息やご息女が退職していたので、親族承継ができず、初代は、M&Aで会社を手放すための交渉を始めました。しかし、話がまとまらず、突如として私が後継者に指名されました。突然の指名に驚いたものの、腹を決めて受諾し、いざ引き継ごうというタイミングでまさかの事態が起こります。初代が心変わりし、私が社長を引き継ぐ話が白紙になり、会社を追われることになりました。初代が知人から言われた「血縁以外の人間に託したら、会社を乗っ取られて一銭もらえないぞ」という言葉を真に受けて、疑心暗鬼になっていたようです。
そのような折、私の営業力を見込んでくれていた企業から営業部長として来ないかとオファーを頂きました。かなり厚待遇で迎えてくれるとのことで本当にありがたい限りでした。その報告と引継ぎのために和興計測に行くと、同僚たちから「我々も連れて行ってくれ」と言われました。その受け入れて頂ける企業に、他の社員も一緒に受け入れして貰えないか?とお願したのですが、答えは「NO」でした。
私は頼ってきた同僚たちを無下にできなかったので、声をかえてくれた企業と和興計測に1年間の猶予をもらい、ある約束をしました。私を含めて数名が会社を辞めても困らない体制を1年で作り上げる代わりに、もう1年間だけ、和興計測で働かせてもらい、その後は自由にさせてもらうという約束です。
そこから1年間、しっかりと体制づくりを進めて、いよいよ約束の日が来るというタイミングでまたもや初代から「まさか」の提案を受けました。改めて会社を引き継いで欲しいという提案でした。おまけに初代は「明日にでも社長を辞めたい」とのことだったので、社員たちを路頭に迷わせるわけにもいかず、社長就任を受諾しました。
借金は年商の3倍。約5年で経営再建を達成
社長に就任して初めて知ったのが、倒産寸前の経営状況です。借金は年商の3倍あり、一度引き受けたからには投げ出すわけにもいかず、5、6年かけて返済していきました。
経営再建でまず行ったのが会社から出ていくお金の精査です。いろいろな部分を削減する中で避けては通れなかったのが、人件費の削減です。ここに至るまで社員に苦労や我慢をさせていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、当時はそれほど深刻な経営状態でした。
次に手を打ったのは、1社依存型であった受注体制からの脱却をはかることです。提案型営業で取引先の拡大に努めたところ、取引先が増え、さらに利益率の高い仕事を受注できるようになり、経営は徐々に改善していきました。
その時の経験があるので、利益があがったら社員に積極的に還元していく方針で経営をしています。いろいろと我慢をしながらも、それでもついてきてくれた社員たちがいたからこそ成し遂げられた経営再建だからです。
「チャレンジ精神」を支える3つの考えを大事にしたい
弊社では「経営理念」という形では提示していないものの、社員に対して私がよく伝えているのは「お客様第一で考える」という考え方です。お客様が今何を求めて、何をしようとしていて、それに対して弊社はどのようなお手伝いができるのかを、常に問い続けて仕事をしてもらいたいと思っています。なぜなら弊社の強みである、課題解決型のオーダーメイド製造を実現するために欠かせないアプローチ方法だからです。
それに加えて今後は「思えば叶う。諦めたらそこで終わり。諦めなければ必ず形になる」という私が経営者として実感してきた考え方を社内に浸透させていきたいと思っています。お客様の要望に応えることは、言葉にすることは簡単ですが、実現するには数多くの困難にぶつかります。時には諦めそうになる難題にも出会いますが、それでも前に進む力をくれるのがこの言葉だからです。
「愛ある会社」で生産性と効率アップ
社内の雰囲気という面では、社員がお互いに相手のことを考えられる職場にしていきたいと思っています。端的にいえば「愛ある会社にしていく」です。実は相手のことを考えて行動することは、作業効率や生産性向上という面で非常に重要な要素になります。
例えば分かりにくい依頼の仕方だったり、いい加減な仕事を次の工程の人に引き継げば、確認やフォローで大きなしわ寄せが来るからです。反対に分かりやすい情報伝達と、自分の仕事をきっちりとした上で次の人に引き継げば、より良いものを、より効率的に作り上げられると考えます。それが「愛ある会社にしていく」という言葉の真意です。
身近にいる仲間を大切にできない人は、お客様も大事にできないと考えています。こうした概念的な話は意識的にしてきませんでしたが、今後、会社としての良いカルチャーを築いていく上では必要だと思っています。
その第一歩として、社員同士が親近感を抱ける場を増やしたいと考え、2022年から月1回平日を半日休みにして、パークゴルフ大会をはじめました。パークゴルフの後は、懇親会で私が社員に手料理を振舞っています。休みの日にイベントをするのではなくて、平日というのがポイントで、平日なら基本的に全員参加を目指せるからです。今後は社内交流の場をさらに増やして、仕事だけでなく、私生活の悩みなどを聞けるような関係性に発展させていければと思っています。
積極的な地域貢献に込めた感謝と情熱
地域に対する取り組みも積極的に行っていて、その1つが「オープンファクトリー」です。文字通り、一般向けに工場を開放して、ものづくりの現場を知ってもらおうという取り組みになります。2022年は3年ぶり通算7回目の開催となりましたが、多くの地域の方にご参加いただきました。
また、弊社単独ではありませんが、私が会長として携わっている地域企業により構成された一般社団法人川崎北工業会では、「納涼祭」という夏祭りを地元の公園で実施しています。コロナ禍でここ数年はできていませんが、約1,500人集まる地元の方々に親しまれたイベントです。2023年度は久しぶりに実施したいと考えています。
こうした地域活動に力を入れているのは、地域住民の皆様に感謝を伝え、我々のようなものづくり事業者を知ってもらう必要性があると感じているからです。弊社のような都市部にある工場では「住工混在問題」で事業継続が難しくなるケースも少なくありません。「住工混在問題」とは工業地帯だった地域に住宅地が増えていく中で、工場から出る臭いや騒音、振動が原因となり住民トラブルに発展していく問題を指します。簡単に解決できる問題ではありませんが、事業者と近隣住民の相互理解を深め、話し合える関係性を作っておくことが、深刻な問題に発展させないためにできることだと考えています。
他にも、私が講師となり、地元の小、中学校、高校で、ものづくりをテーマにした講演や授業をさせてもらったり、プロサッカーチーム・川崎フロンターレのホームゲームの開催日にスタジアムの一角でものづくりの楽しさを伝えるためのイベント「川崎ものづくりフェア」を定期的に行っています。これらの取り組みは、ものづくりの魅力を次世代に伝えたいという思いから行っています。
困っているものづくり仲間からの相談歓迎
M&Aについては、地域の経営資源の継続、社会貢献になるのであれば考えたいと思います。ただ、事業拡大を目的としたM&Aは「思いを引き継ぐ」という面で、まだ難しいと考えており、積極的には考えておりません。今は社内に向けて「ものづくり」に対する軸となる考え方をしっかりと浸透させる時期だと思っています。今後、M&Aを考える時期が来る可能はあると思うので、会社としてきちんと思いを引き継げるような組織、カルチャーにしていきます。
事業承継という形ではありませんが、一緒に何かを生み出していくという部分では、同業者や金属加工業など、ものづくり企業からのご相談は随時お待ちしています。弊社には川崎市やものづくり企業の横の繋がりからのご縁で、困っている会社の経営者の相談に乗り、一緒に課題解決してきた実績が多数あります。そういう面ではお役に立てることはあるでしょう。そして何よりも私が人と一緒に何かをしていくことが楽しくて仕方ないので遠慮はいりません。
地元の子供たちから憧れられる会社を目指して
今後の展望としては、これから5、6年、長ければ10年スパンで自分の後の後継者を育成していかなければと思っています。焦って行うものではないので、じっくりと育成しようと思います。
また、今行っている地域活動を通じて、「和興計測に入社したい」と思うような子供が出てきて、実際に入社してくれるようになったらこれほどうれしいことはありません。ものづくりに対して、強い誇りを持っている会社なので、働く上では大変な部分もありつつ、それ以上の楽しさとやりがいがあると思います。
会社としての中期ビジョンとしては、コロナ禍前までは行っていた海外展開を再開したいと考えています。日本の計測器市場は成熟しており、今後、国内市場が飛躍的に成長することが考えにくいからです。性能面、デザイン面での海外ニーズを踏まえた製品を試作・開発していくなど、新しい取り組みをしていかなければいけないと思っています。
国内市場に対しては、大量生産から脱却し、少量でも高品質なものを提供していくことで利益を上げるという考え方にしていく必要があると思います。自動化やIoT化など、弊社がまだ取り組んでいない部分を進めていけば、停滞する国内市場にもまだ弊社が入り込む余地はあります。
最後にライフワーク的な部分では、「職人が報われるビジネスモデルの構築」をしなければと考えています。向こう10年でものづくりに携わる需要は非常に高まってくる半面、職人が報われにくい今の状況では最終的に日本のものづくりが衰退していくという危惧があります。そうならないように弊社の事業や地域活動、ものづくり企業との横の繋がりを通して、形づくって行ければと思っています。そのためにまずは弊社を地元の誇りになるような会社にしていきたいと思っています。
会社概要
社名 | 株式会社和興計測 |
創立年 | 1968年 |
代表者名 | 代表取締役 五十嵐 崇 |
資本金 | 2,000万円 |
URL |
https://wako-keisoku.co.jp/
|
本社住所 |
〒213-0032 |
事業内容 | 液体貯槽における各種計測器の開発、製造、販売 |
会社沿革
1968年 | 工業用計測器の設計・製造、販売を目的として、東京都府中市で創業 有限会社和興計測として法人登記 |
1973年 | 耐圧防爆構造液面指示計、型式検定取得 |
1980年 | 神奈川県川崎市高津区の現在地に本社・工場を建設 |
1981年 | 東京都府中市より移転。新社屋にて操業を開始 資本金を1,000万円に増資 本社・工場内敷地に機械工場を増築 |
1983年 | 耐圧防爆構造レベルスイッチ、型式検定取得 |
1998年 | 株式会社に組織変更するとともに、資本金を2,000万円に増資 |
1999年 | 新社屋竣工 |
2006年 | 耐圧防爆構造レベルスイッチ5接点型式検定取得 |
2008年 | 川崎ものづくりブランド「スプリングモーター(ゼンマイ機構)」認定 |
2009年 | 代表取締役に五十嵐崇が就任 |
2016年 | 神奈川県優良小規模企業者として表彰される |
2019年 | WIT(川崎市のものづくり企業で構成する共同体)として川崎ものづくりブランド「360°カメラ用LED(PanoShot R)」認定 |
株式会社和興計測の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
神奈川県
求む、ものづくり好き。技術を高め、職人としての腕を磨ける職場です
公開日:2023/02/20 (2023/04/27修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年4月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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