奈良・天理市
奈良 ・ 天理市
襖の引手を
株式会社ツキエス
適材適所の人材配置と熟練した職人技を武器に、約100年も事業を営む
経営理念
すべての人に感動を与え豊かさの継続に貢献する会社
ツキエスは、引手をはじめ取手・蝶番・房などのオリジナル商品を手掛け、みなさまの生活に寄り添ってきました。
私たちは、使い込むほど実用性・芸術性・耐久性の良さが出てくる、ものづくりの本質をご提供します。
代表者メッセージ
ツキエスは創業以来、和室金物及び洋間金物の引手をはじめ、取手・房などのオリジナル商品を多数手掛け、お客様が喜び、感動し、満足できる住まいづくりの提供に誠心誠意取り組んでまいりました。
日常の生活シーンの中で、少しでもみなさまのお役に立てる存在であり続けるべく、私たちはこれからもより一層の企業努力を行い、お客様のご要望にお応えした商品の開発、提供に努めてまいります。
代表取締役 坂本 典文
私たちのこだわり
1926年から襖の引手などものづくりに携わる事業を展開
弊社は1926年に創業し、約100年の歴史を持つ、襖(ふすま)の「引手」を製作している企業です。「引手」とは襖の手掛かり部分のことで、開け閉めする実用性と、襖紙の柄を引き立て和室全体のアクセントになるという装飾性が求められます。問屋さんをメインの取引先としたBtoB企業として、長年事業を継続してきました。
創業者は私の曾祖父で、元々は農家をしていました。しかし農業では家族を養えないと考えて事業を始めたと聞いています。そこから息子たち全員がこの事業に携わり、家族一丸で創業期を支えたそうです。
曾祖父の跡を継いだのが、私の祖父になります。
それ以降も親族で経営を続け、1959年になると「株式会社坂本金属工業所」として法人化し、1963年には現在の天理市二階堂上ノ庄町に移転してきました。現在の社名である株式会社ツキエスに変更したのは2017年からになります。
「ツキエス」は元々ブランド名で、「坂本金属工業所」という社名と商品が上手にリンクしていなかったことから、業界内でよく浸透していたブランド名を社名にしました。
既に100年近く事業を営んできた弊社ですが、まだまだ地元に浸透した企業にはなれていないのが現状です。そこで最近では、市の商工会で事業紹介の機会をいただくなど、地域の方にさらに知ってもらえる取り組みに力を入れるようになりました。
また、地域活性化のために奈良eスポーツ協議会と連携して大会を開いたり、弊社に所属するVTuberがオリジナル曲や配信を通して自社や天理市をPRする活動も行っています。コロナ禍以前は地元の小学生が工場見学に来ていたので、取り組みを再開しながら、さらに地域に馴染んでいきたいと思っています。
社長からのスカウトを受け別会社の内定を断り入社
弊社は約100年間、代々親族承継で経営を続けてきました。私が家業について理解し始めたのは、小学生の頃になります。当時は小学校の生徒たちが弊社へ社会科見学に来ていましたし、自宅近くに工場があったことから、よく工場で遊んでいたため、子どもの頃から、家業を身近に感じながら育ちました。
中学、高校はよく遊び、大学は経済学部に進学しました。私が就職活動をしていた30年近く前はまだ景気がよく、私もトヨタ自動車の営業所から内定をいただきました。
その私の就職に待ったをかけたのが、当時弊社の社長です。当時の社長から、弊社に入るように強く勧誘され、最終的にトヨタ自動車の内定はお断りし、1990年に弊社に入社しました。まずは現場に配属されて、製造業務に従事しました。その後、経験を積み専務に就任すると、先代社長から「会社を託したい」という話を2020年頃にもらうことになります。
その頃の先代社長は、60代後半ながらとても元気でしたが、本人の引退する意志が強かったことから、2022年に私が9代目として代表取締役社長に就任することになりました。引継ぎの際、先代社長からは「何よりも会社を守り続けるように」と言われ、約100年間の歴史を背負うことになり、身が引き締まったことをよく覚えています。
一人ひとりが強みを活かし機械には真似できない職人技を誇る
弊社の強みは、大きく3点あります。1つ目が、商品をワンストップで製造できることです。同業者の中には工程の一部を外部に託していることもありますが、型作りから最終的に商品として完成させるまで、全て自社で対応しています。これは、創業時を盛り上げた曾祖父と息子たちが、それぞれの得意を活かし、補完してきたからこそ生まれた文化です。
2つ目が、大量生産できる点になります。この地域にはもともと同じ産業を営む会社は5~6社ありましたが、現在は1~2社しか残っていません。弊社が生き残れたのは、大量生産できるように仕組化したことが大きいと感じています。
3つ目は、職人による高い技術力です。例えば型を作るとき、図面を書いて機械でその通り作ればとりあえず「使える」商品はできあがります。しかし、その後に人の手で微調整することで、「芸術」的な部分の品質をさらに高めることができます。これは、熟練した職人の手でなければできません。型を作ること自体は1年ほど修行すればできるようになりますが、こうした技術を身につけるには長年の努力とセンスを磨いていくことが必要です。
技術力には創業当時からこだわっており、事実、取引先である問屋さんからは熟練の技を評価してもらっていたようです。また、職人たちはそれぞれ、機械のメンテナンスも行えます。自分の使う道具が壊れたら自分で直す、そこまでのレベルを創業から約100年保ってきました。
このように職人が高い技術力を持っているのは、自分の仕事を特化して極めてもらっていたからです。しかし、ここ数年は、一人が複数の業務を行えるようにシフトチェンジしています。時間がかかる取り組みではありますが、職人が幅広い技術を身につけることで、様々な部署の仕事が手伝えるようになれば、そのまま弊社の強みになっていくと考えています。
この取り組みは3年ほど前から始めたのですが、まだ道半ばです。職人からすると今までは一つの技術だけを覚えればよかったところ、複数の技術を学ばないといけないことに負担感があるのだと思います。弊社では100年近く同じやり方を続けてきた歴史があり、その慣習を変えていくことは一筋縄ではありません。しかし、時代の変化についていくために必要なことなので、これからもこの方針で進めていきます。
企業理念を浸透させ、社員の積極性を高める
弊社は創業以来ビジョンや目標などを掲げいませんでしたが、3年前に「すべての人に感動を与え豊かさの継続に貢献する会社」という企業理念を作りました。前社長主導のもと私も専務として関わったのですが、まだ完全に従業員に浸透しているわけではありません。また、内容についても改善の余地があると思っています。これから事業や社会の形が変わっていく中で、柔軟に変更していく予定です。
人財育成についてはもう少し社員自身で自分は何がしたいのかを考えて仕事をしてもらえるように働きかけていきたいと思っています。
私自身、入社時は、「何の変化もないつまらない仕事」と思っていました。工場という職場である以上、決められたことを継続的に行っていく必要性があるからです。しかし、毎日つまらないと思いながら働き続けるのは苦痛だと考えるようになり、仕事への向き合い方を変えました。その結果、「楽しくない仕事はしない」と決めて、自分でやりがいを見つけるなど、楽しむ工夫をするようにしていました。
楽しいといっても、もちろん仕事中に遊ぶわけではありません。自分自身で目標を設定して、それに向かって努力し、達成するという楽しみ方です。その結果、時には苦しいこともありますが、基本的に楽しく仕事を続けてこれています。社員にもぜひ、自分で何かを考えて楽しく仕事をしてほしいと思っているところです。
過去にとらわれない柔軟さを発揮して力をつけてゆく
M&Aについては、これから取り組めるように実力をつけていきたいと考えています。
2022年社長に就任してから、何かをしようとした時に前社長と意見が食い違うことも多々ありました。この1年は様子を見てきたので、今年からはいい意味で前社長の意見にとらわれすぎず、色々なことに挑戦してみようと思っています。業界的に右肩上がりなら何かを変える必要はありませんが、残念ながらそうではありません。今までとは異なるチャレンジをして、より良い結果が出るよう頑張っていきたいです。
弊社はもう間もなく創業100年を迎えるので、その瞬間に向けて、新しい事業の拡大や地域の方との深いつながりなど、代表として多くの活動に尽力していきます。
1926年から襖の引手などものづくりに携わる事業を展開
弊社は1926年に創業し、約100年の歴史を持つ、襖(ふすま)の「引手」を製作している企業です。「引手」とは襖の手掛かり部分のことで、開け閉めする実用性と、襖紙の柄を引き立て和室全体のアクセントになるという装飾性が求められます。問屋さんをメインの取引先としたBtoB企業として、長年事業を継続してきました。
創業者は私の曾祖父で、元々は農家をしていました。しかし農業では家族を養えないと考えて事業を始めたと聞いています。そこから息子たち全員がこの事業に携わり、家族一丸で創業期を支えたそうです。
曾祖父の跡を継いだのが、私の祖父になります。
それ以降も親族で経営を続け、1959年になると「株式会社坂本金属工業所」として法人化し、1963年には現在の天理市二階堂上ノ庄町に移転してきました。現在の社名である株式会社ツキエスに変更したのは2017年からになります。
「ツキエス」は元々ブランド名で、「坂本金属工業所」という社名と商品が上手にリンクしていなかったことから、業界内でよく浸透していたブランド名を社名にしました。
既に100年近く事業を営んできた弊社ですが、まだまだ地元に浸透した企業にはなれていないのが現状です。そこで最近では、市の商工会で事業紹介の機会をいただくなど、地域の方にさらに知ってもらえる取り組みに力を入れるようになりました。
また、地域活性化のために奈良eスポーツ協議会と連携して大会を開いたり、弊社に所属するVTuberがオリジナル曲や配信を通して自社や天理市をPRする活動も行っています。コロナ禍以前は地元の小学生が工場見学に来ていたので、取り組みを再開しながら、さらに地域に馴染んでいきたいと思っています。
社長からのスカウトを受け別会社の内定を断り入社
弊社は約100年間、代々親族承継で経営を続けてきました。私が家業について理解し始めたのは、小学生の頃になります。当時は小学校の生徒たちが弊社へ社会科見学に来ていましたし、自宅近くに工場があったことから、よく工場で遊んでいたため、子どもの頃から、家業を身近に感じながら育ちました。
中学、高校はよく遊び、大学は経済学部に進学しました。私が就職活動をしていた30年近く前はまだ景気がよく、私もトヨタ自動車の営業所から内定をいただきました。
その私の就職に待ったをかけたのが、当時弊社の社長です。当時の社長から、弊社に入るように強く勧誘され、最終的にトヨタ自動車の内定はお断りし、1990年に弊社に入社しました。まずは現場に配属されて、製造業務に従事しました。その後、経験を積み専務に就任すると、先代社長から「会社を託したい」という話を2020年頃にもらうことになります。
その頃の先代社長は、60代後半ながらとても元気でしたが、本人の引退する意志が強かったことから、2022年に私が9代目として代表取締役社長に就任することになりました。引継ぎの際、先代社長からは「何よりも会社を守り続けるように」と言われ、約100年間の歴史を背負うことになり、身が引き締まったことをよく覚えています。
一人ひとりが強みを活かし機械には真似できない職人技を誇る
弊社の強みは、大きく3点あります。1つ目が、商品をワンストップで製造できることです。同業者の中には工程の一部を外部に託していることもありますが、型作りから最終的に商品として完成させるまで、全て自社で対応しています。これは、創業時を盛り上げた曾祖父と息子たちが、それぞれの得意を活かし、補完してきたからこそ生まれた文化です。
2つ目が、大量生産できる点になります。この地域にはもともと同じ産業を営む会社は5~6社ありましたが、現在は1~2社しか残っていません。弊社が生き残れたのは、大量生産できるように仕組化したことが大きいと感じています。
3つ目は、職人による高い技術力です。例えば型を作るとき、図面を書いて機械でその通り作ればとりあえず「使える」商品はできあがります。しかし、その後に人の手で微調整することで、「芸術」的な部分の品質をさらに高めることができます。これは、熟練した職人の手でなければできません。型を作ること自体は1年ほど修行すればできるようになりますが、こうした技術を身につけるには長年の努力とセンスを磨いていくことが必要です。
技術力には創業当時からこだわっており、事実、取引先である問屋さんからは熟練の技を評価してもらっていたようです。また、職人たちはそれぞれ、機械のメンテナンスも行えます。自分の使う道具が壊れたら自分で直す、そこまでのレベルを創業から約100年保ってきました。
このように職人が高い技術力を持っているのは、自分の仕事を特化して極めてもらっていたからです。しかし、ここ数年は、一人が複数の業務を行えるようにシフトチェンジしています。時間がかかる取り組みではありますが、職人が幅広い技術を身につけることで、様々な部署の仕事が手伝えるようになれば、そのまま弊社の強みになっていくと考えています。
この取り組みは3年ほど前から始めたのですが、まだ道半ばです。職人からすると今までは一つの技術だけを覚えればよかったところ、複数の技術を学ばないといけないことに負担感があるのだと思います。弊社では100年近く同じやり方を続けてきた歴史があり、その慣習を変えていくことは一筋縄ではありません。しかし、時代の変化についていくために必要なことなので、これからもこの方針で進めていきます。
企業理念を浸透させ、社員の積極性を高める
弊社は創業以来ビジョンや目標などを掲げいませんでしたが、3年前に「すべての人に感動を与え豊かさの継続に貢献する会社」という企業理念を作りました。前社長主導のもと私も専務として関わったのですが、まだ完全に従業員に浸透しているわけではありません。また、内容についても改善の余地があると思っています。これから事業や社会の形が変わっていく中で、柔軟に変更していく予定です。
人財育成についてはもう少し社員自身で自分は何がしたいのかを考えて仕事をしてもらえるように働きかけていきたいと思っています。
私自身、入社時は、「何の変化もないつまらない仕事」と思っていました。工場という職場である以上、決められたことを継続的に行っていく必要性があるからです。しかし、毎日つまらないと思いながら働き続けるのは苦痛だと考えるようになり、仕事への向き合い方を変えました。その結果、「楽しくない仕事はしない」と決めて、自分でやりがいを見つけるなど、楽しむ工夫をするようにしていました。
楽しいといっても、もちろん仕事中に遊ぶわけではありません。自分自身で目標を設定して、それに向かって努力し、達成するという楽しみ方です。その結果、時には苦しいこともありますが、基本的に楽しく仕事を続けてこれています。社員にもぜひ、自分で何かを考えて楽しく仕事をしてほしいと思っているところです。
過去にとらわれない柔軟さを発揮して力をつけてゆく
M&Aについては、これから取り組めるように実力をつけていきたいと考えています。
2022年社長に就任してから、何かをしようとした時に前社長と意見が食い違うことも多々ありました。この1年は様子を見てきたので、今年からはいい意味で前社長の意見にとらわれすぎず、色々なことに挑戦してみようと思っています。業界的に右肩上がりなら何かを変える必要はありませんが、残念ながらそうではありません。今までとは異なるチャレンジをして、より良い結果が出るよう頑張っていきたいです。
弊社はもう間もなく創業100年を迎えるので、その瞬間に向けて、新しい事業の拡大や地域の方との深いつながりなど、代表として多くの活動に尽力していきます。
会社概要
社名 | 株式会社ツキエス |
創立年 | 1959年 |
代表者名 | 代表取締役 坂本 典文 |
資本金 | 1,200万円 |
URL |
https://tukiesu.co.jp/
|
本社住所 |
〒632-0081 |
事業内容 | 内装金物製造販売 【主要商品】 襖の引手・引戸の戸引手・取手・蝶番・その他建築金物等 |
会社沿革
1926年 | 襖の引手、家具の取手製造開始 |
1959年 | 株式会社 坂本金属工業所設立 |
1963年 | 本社工場現在地に新築移転 |
1965年 | ツキエス登録商標登記 |
1980年 | 第二工場新築 |
1989年 | メッキ工場新築 |
2017年 | 社名変更 株式会社 ツキエス |
株式会社ツキエスの経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/03/27 (2023/03/28修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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