香川・小豆郡
香川 ・ 小豆郡小豆島町
引継ぎ実績あり
小豆島から
宝食品株式会社
佃煮製造を主軸とし、新事業の非常食や宇宙食などの製造に着手
経営理念
「価値ある味覚」を真摯に追求し、新しい食文化を創造する
代表者メッセージ
食の「安全」「安心」を通じて「喜び」を提供します。
小豆島は400年ほど前から製塩業が盛んで、その塩を利用した醤油醸造業はやがて小豆島醤油として広がりました。戦後から小豆島醤油を活かし「佃煮」製造が島内で始まりました。弊社は、1948年に創業し、のりや昆布、魚介類の佃煮、レトルト食品類を製造販売しています。
離島ならではの流通事情から、常温保存が出来るレトルト食品の商品開発にも力を注いできました。簡単に本格的な釜めしが味わえる「めしの素シリーズ」、香川県ならではの商品として、新しいうどんの食べ方提案として「UDON SAUCEシリーズ」を発売しました。
2016年には新工場を建設、食品安全の国際標準規格である「FSSC22000」も他社に先駆けて取得しました。商品のおいしさの追求と品質管理を徹底して行っており、バリエーション豊かで調理不要な長期保存食「宝食品のおもいやりごはんシリーズ」を発売しました。
2019年には1852年創業の老舗醤油屋である高橋商店をグループ化しました。製法特許を持つグルテンフリーのそら豆醤油、ぬか漬けの素やガーリックオリーブオイル等を製造販売しています。
醤油蔵を改装したアンテナショップの「京宝亭」は宝食品と高橋商店の商品をPR、販売しています。宝食品、高橋商店、京宝亭を宝食品グループとして、今後もグループの経営理念である『食の「安全」「安心」を通じて「喜び」を提供します。』に基づき、顧客に信頼され、満足していただける本物の製品を提供していきます。
代表取締役社長 三澤 省一
私たちのこだわり
佃煮製造を主業として創業
弊社は、マルキン醤油(現:盛田株式会社)の食品部門が独立し、組合立の宝食品製造所として1948年に創業しました。同じ年に、宝食品製造所を改組し、宝食品株式会社が設立されました。
第二次世界大戦後の食糧難の中で、サツマイモのツルの部分を小豆島産の醤油で炊いたことが小豆島佃煮のきっかけです。小豆島ならではの地勢や気候条件を活かし、400年ほど前から醤油産業が盛んな地域でした。弊社が創業した当時、他の佃煮屋も数多く誕生したこともあり、「小豆島の佃煮」は香川県の一大地域産業となりました。
海に囲まれた日本は、海産物が多く漁獲できます。そのため、主に海苔、こんぶやわかめの佃煮を製造・出荷していました。創業当時は業務用をメインとしており、大阪や東京の取引先を中心に、売上を伸ばしていきました。お取引先のニーズにお応えすべく、設備投資や工場の増設を行い、現在では、佃煮の製造のほかに、レトルト食品、非常食、そして宇宙食の製造を行っています。
宝食品との出会い
私は、千葉県で生まれ育ちました。宝食品に入社以前は、熱エネルギー機器の製造販売を行う大手企業にて営業職として勤務しており、東京都内の支店で責任者も務めました。
弊社である宝食品には、2000年に入社しました。妻が小豆島の出身で、当時の宝食品の社長とのご縁がきっかけです。エネルギー機器と食品では、取り扱う商品は大きく異なりますが、長年の営業経験でスキルを磨いたことで、「何を売るのも腕次第」と考えていたことも入社を決めた大きな理由でした。
入社後は商品や製造工程を学ぶため工場で研修を受けました。研修の過程で食文化を創造していくことや、地域の特性や文化を活かした商品がどのように地域経済に影響を与えるのかと考える楽しさを感じました。入社前には「何を売るのも腕次第」と考えていた営業観も、次第に「自分が魅力的だと思うものを他者と共有したい」とそれまでとは異なった考え方になったことを覚えています。
その後、同時期に入社した現在の常務が西日本担当、私が東日本担当となり、東京駐在という形で営業や新規開拓を行いました。当時は月に1度の会議の際に小豆島の本社に出向き、一泊して帰るという生活でした。
小豆島と共に成長してきた弊社について、そして弊社こだわりの商品について多くの方に知ってもらいたい、そんな想いの元、着実に営業活動をしていく中で、会社の成長に貢献できるよう努力していました。
そして様々なご縁の中、昨年の2023年12月に9代目の社長に就任しました。
アッパー路線の商品展開
佃煮製造業界全体の傾向としては売上のピーク時から下がっています。「漬物と佃煮が必ず家にある」という時代から、食生活の欧米化が進んだことや核家族の世帯が増え、日本の伝統的な食文化が家庭内で継承されにくくなったことが要因です。
加えて、原材料も値上がりしており、なかなか厳しい状態です。「全国調理食品工業協同組合」にて情報共有し、業界全体で策を講じていますが、小豆島は小さい会社の集まりであり、一社一社への影響が大きい状態です。
弊社では他社に先駆けて窒素充填技術を導入し、レトルトのパッケージングを開始しました。もともと、離島にある会社のため、商品の運搬は海上輸送が主であり、常温配送にはノウハウがありました。現代のニーズである保存料無添加の商品を配送するために、レトルト食品の開発に着手しました。
めしの素シリーズの売上は年々上昇しており、昨年の9月の決算には過去最高を記録し、弊社のもう一つの柱といえるまでに成長しました。大手のような安価な価格帯での製造販売はできないため、原料の産地にこだわり、おいしさやこだわりを追求するなどのアッパー路線を図っています。
販売数が増えたきっかけは、東京で100以上の店舗を構えるスーパーマーケットの北海道フェアでした。北海道のホタテを使用した弊社のめしの素を出品するために「北海道」というシールを貼ってほしいという打診があったことです。
当時は2、3ケースの在庫を持っていればまかなえたところを、いきなり80ケースものご注文をいただきました。「これは大変だ」と社員総出でシールの貼り付けを行い、なんとか間に合わせることができました。その後、夏の北海道フェアでは、100ケース以上の注文をいただくことができました。この件をきっかけに、商品の産地表示をするようになりました。
商品の味も、消費者のニーズをふまえ、関東風の醤油味の強いものではなく、関西風の出汁感の味わいにこだわり、高評価をいただけるようになりました。
また、2016年には新工場が完成しました。さらに品質管理体制を整えるためです。取引先は生協など、値段勝負ではなく、中身の品質にこだわる会社様が多いため、創業以来の旧工場では対応が難しくなっていました。新設できたのも、無借金経営をしていただいていた先代たちの尽力のおかげであるとありがたく思っています。
海苔の佃煮は第一工場での製造、レトルト食品やのり以外の佃煮は新設の第二工場で製造と、体制を整えました。
弊社の伝統としての佃煮と、新たな看板商品としての炊き込みご飯の素でもう一つ上のステージにステップアップできたと実感しています。また、このステップアップにて採用を推進する体力も今まで以上に付けられたことで、地域の雇用に微力ではあるものの貢献できているかと思います。
JAXAの宇宙日本食に「ちりめん山椒」採用
5代目の社長が、JAXAの宇宙日本食の説明会に参加したことも、弊社にとって大きな転機となりました。
当時の宇宙食は、NASAやロシアのものしかありませんでした。JAXAとしては、徐々に日本人宇宙飛行士の活躍が期待されるような状況になってきていたため、彼らのストレス解消や、健康維持を図ってほしいとの思いから、宇宙日本食を募っていました。
私もつくば市の宇宙センターに出向き、きゃらぶきや昆布の佃煮、製造に挑戦していたご当地レトルトカレーなどを提案しましたが、最終的にJAXAが選んだのは「ちりめん山椒」でした。
宇宙に行くと骨密度や筋力が落ちるため、カルシウムを補充するという目的が大きかったようです。
工場の新設予定があったこともあり、結果として認証まで8年かかりました。特に課題となったのは虫です。製造には必ず水を使用するため、どれだけ対策しても工場内に虫が発生する可能性をゼロにはできません。夏場の数値がJAXAの規定よりも若干増えてしまう点が課題でした。そこで、衛生管理の指導・分析を依頼している岡山の会社から、弊社の開発部に入社した2名の社員を宇宙食のメンバーに選抜し、虫対策を徹底して行いました。2人の活躍もあって課題をクリアし、最終的にはJAXAの窓口の方に「虫対策について見解を伺いたい」と言われるほどでした。
非常食の開発にも着手
弊社の窒素充填技術に興味を持った首都圏の企業から、非常食の製造依頼をいただいたことで、新工場を活用した新しい取り組みも行うことができました。
一般的な非常食は、水やお湯を入れて30分後に食べられるというアルファ米が中心です。しかし、弊社が開発した非常食は即食ができるものです。非常食の活用シーンの多くは災害時です。混乱の中不自由な生活を強いられた方の為に、ただ非常食を提供するという事だけでなく、もっと利用者の方に寄り添うことはできないものかと、延いては弊社の理念である「価値ある味覚」の考え方を忘れることなく商品づくりができないかと、開発チームにはそういった目線で取り組んでもらいました。
結果、即食できるということだけではなく、アレルギーフリーで食べていただける非常食を開発し、さらに袋の底にスプーンを取り付け利便性・衛生管理を追求しました。
当初はそのご依頼いただいた企業様のみに向けて商品を製造していましたが、今では一般消費者向けに「おもいやりごはんシリーズ」を販売しています。
社員が活躍できる環境を整える
私は宝食品を、社員たちがやりがいをもって働き、活躍できる場にしたいと思っています。
コロナ禍で弊社も売上が落ちたことを機に立ち上げた企画課では、2名の若手・中堅社員が活躍しています。はじめは営業支援や販促を担当してもらいましたが、現在ではパッケージ制作や会社のPR活動、商品企画など多方面で活躍してくれています。デザイン印刷会社の商品写真撮影時に立ち会わせるなど、勉強になる機会を設けるよう心がけています。
私にできる仕事は、新たな人脈づくりをすることや、社員が活躍し、やりがいを持てる会社にしていくことです。
人財、地域は宝なり
弊社では、誕生日を迎えた社員にホールケーキをプレゼントしています。誕生日会は京宝亭のカフェで行い、皆でケーキやコーヒーを楽しみながら、お祝いする時間を設けています。
また、夏には焼肉用の肉、冬にはクリスマスケーキとすき焼き用の肉を配ります。社員が家族を大切にし、楽しい時間を過ごすことのお手伝いをすることで、社員のモチベーション向上につながればと思っています。
また、3年に1度の社内研修旅行のほか、4年ぶりに忘年会も復活しました。現在は、コミュニケーションを嫌がる若者が多いと聞きますが、弊社では若手社員を含めた社員同士の距離が近く、皆でイベントに参加してくれる風土があると感じます。
小豆島は、少子高齢化が加速しており、まさに日本社会の縮図です。産業が盛んな島であるため、労働人口の減少による産業の維持が大きな課題となっています。そのため、対策として、機械化できるところは機械化を進め、人手が減っても、それこそが強みという風に考え方を変える必要があると思います。
弊社では、地元の中学校での宇宙食に関する出前授業の実施や、工場見学の受け入れを行っています。次世代を担う生徒たちが、小豆島の産業を直に見る機会を提供することで、社会教育や地域貢献につなげていきたい考えです。
宝食品グループとして相乗効果を発揮
弊社は、2019年に小豆島の地で創業から170年以上続く、醤油醸造会社の高橋商店をグループに迎えました。グループとなってから、高橋商店の醤油を使用し、商品製造するようになりました。完成した商品は、同じグループの京宝亭で販売しています。また、高橋商店のガーリックオイルを製造する際に出ていた端材の揚げニンニクも、宝グループになってからは処分せずに裁断し、フライドガーリックとして販売するようになりました。高級スーパーマーケットのお弁当にも採用されています。
宝食品グループとしての相乗効果を発揮し、技術やノウハウを共有し、売上を向上させることが目標です。
老舗企業にはその年数分の文化やノウハウがあります。後継者不在のため永続経営せず廃業してしまうのは、地域にとって大きな財産を失うことを意味します。弊社との親和性がある企業であれば、小豆島の未来のためにもお引き受けを検討していきたいと思っています。
今後も、宝食品・高橋商店・京宝亭の宝グループが小豆島や香川県の地域経済に貢献できるよう、邁進していきます。
佃煮製造を主業として創業
弊社は、マルキン醤油(現:盛田株式会社)の食品部門が独立し、組合立の宝食品製造所として1948年に創業しました。同じ年に、宝食品製造所を改組し、宝食品株式会社が設立されました。
第二次世界大戦後の食糧難の中で、サツマイモのツルの部分を小豆島産の醤油で炊いたことが小豆島佃煮のきっかけです。小豆島ならではの地勢や気候条件を活かし、400年ほど前から醤油産業が盛んな地域でした。弊社が創業した当時、他の佃煮屋も数多く誕生したこともあり、「小豆島の佃煮」は香川県の一大地域産業となりました。
海に囲まれた日本は、海産物が多く漁獲できます。そのため、主に海苔、こんぶやわかめの佃煮を製造・出荷していました。創業当時は業務用をメインとしており、大阪や東京の取引先を中心に、売上を伸ばしていきました。お取引先のニーズにお応えすべく、設備投資や工場の増設を行い、現在では、佃煮の製造のほかに、レトルト食品、非常食、そして宇宙食の製造を行っています。
宝食品との出会い
私は、千葉県で生まれ育ちました。宝食品に入社以前は、熱エネルギー機器の製造販売を行う大手企業にて営業職として勤務しており、東京都内の支店で責任者も務めました。
弊社である宝食品には、2000年に入社しました。妻が小豆島の出身で、当時の宝食品の社長とのご縁がきっかけです。エネルギー機器と食品では、取り扱う商品は大きく異なりますが、長年の営業経験でスキルを磨いたことで、「何を売るのも腕次第」と考えていたことも入社を決めた大きな理由でした。
入社後は商品や製造工程を学ぶため工場で研修を受けました。研修の過程で食文化を創造していくことや、地域の特性や文化を活かした商品がどのように地域経済に影響を与えるのかと考える楽しさを感じました。入社前には「何を売るのも腕次第」と考えていた営業観も、次第に「自分が魅力的だと思うものを他者と共有したい」とそれまでとは異なった考え方になったことを覚えています。
その後、同時期に入社した現在の常務が西日本担当、私が東日本担当となり、東京駐在という形で営業や新規開拓を行いました。当時は月に1度の会議の際に小豆島の本社に出向き、一泊して帰るという生活でした。
小豆島と共に成長してきた弊社について、そして弊社こだわりの商品について多くの方に知ってもらいたい、そんな想いの元、着実に営業活動をしていく中で、会社の成長に貢献できるよう努力していました。
そして様々なご縁の中、昨年の2023年12月に9代目の社長に就任しました。
アッパー路線の商品展開
佃煮製造業界全体の傾向としては売上のピーク時から下がっています。「漬物と佃煮が必ず家にある」という時代から、食生活の欧米化が進んだことや核家族の世帯が増え、日本の伝統的な食文化が家庭内で継承されにくくなったことが要因です。
加えて、原材料も値上がりしており、なかなか厳しい状態です。「全国調理食品工業協同組合」にて情報共有し、業界全体で策を講じていますが、小豆島は小さい会社の集まりであり、一社一社への影響が大きい状態です。
弊社では他社に先駆けて窒素充填技術を導入し、レトルトのパッケージングを開始しました。もともと、離島にある会社のため、商品の運搬は海上輸送が主であり、常温配送にはノウハウがありました。現代のニーズである保存料無添加の商品を配送するために、レトルト食品の開発に着手しました。
めしの素シリーズの売上は年々上昇しており、昨年の9月の決算には過去最高を記録し、弊社のもう一つの柱といえるまでに成長しました。大手のような安価な価格帯での製造販売はできないため、原料の産地にこだわり、おいしさやこだわりを追求するなどのアッパー路線を図っています。
販売数が増えたきっかけは、東京で100以上の店舗を構えるスーパーマーケットの北海道フェアでした。北海道のホタテを使用した弊社のめしの素を出品するために「北海道」というシールを貼ってほしいという打診があったことです。
当時は2、3ケースの在庫を持っていればまかなえたところを、いきなり80ケースものご注文をいただきました。「これは大変だ」と社員総出でシールの貼り付けを行い、なんとか間に合わせることができました。その後、夏の北海道フェアでは、100ケース以上の注文をいただくことができました。この件をきっかけに、商品の産地表示をするようになりました。
商品の味も、消費者のニーズをふまえ、関東風の醤油味の強いものではなく、関西風の出汁感の味わいにこだわり、高評価をいただけるようになりました。
また、2016年には新工場が完成しました。さらに品質管理体制を整えるためです。取引先は生協など、値段勝負ではなく、中身の品質にこだわる会社様が多いため、創業以来の旧工場では対応が難しくなっていました。新設できたのも、無借金経営をしていただいていた先代たちの尽力のおかげであるとありがたく思っています。
海苔の佃煮は第一工場での製造、レトルト食品やのり以外の佃煮は新設の第二工場で製造と、体制を整えました。
弊社の伝統としての佃煮と、新たな看板商品としての炊き込みご飯の素でもう一つ上のステージにステップアップできたと実感しています。また、このステップアップにて採用を推進する体力も今まで以上に付けられたことで、地域の雇用に微力ではあるものの貢献できているかと思います。
JAXAの宇宙日本食に「ちりめん山椒」採用
5代目の社長が、JAXAの宇宙日本食の説明会に参加したことも、弊社にとって大きな転機となりました。
当時の宇宙食は、NASAやロシアのものしかありませんでした。JAXAとしては、徐々に日本人宇宙飛行士の活躍が期待されるような状況になってきていたため、彼らのストレス解消や、健康維持を図ってほしいとの思いから、宇宙日本食を募っていました。
私もつくば市の宇宙センターに出向き、きゃらぶきや昆布の佃煮、製造に挑戦していたご当地レトルトカレーなどを提案しましたが、最終的にJAXAが選んだのは「ちりめん山椒」でした。
宇宙に行くと骨密度や筋力が落ちるため、カルシウムを補充するという目的が大きかったようです。
工場の新設予定があったこともあり、結果として認証まで8年かかりました。特に課題となったのは虫です。製造には必ず水を使用するため、どれだけ対策しても工場内に虫が発生する可能性をゼロにはできません。夏場の数値がJAXAの規定よりも若干増えてしまう点が課題でした。そこで、衛生管理の指導・分析を依頼している岡山の会社から、弊社の開発部に入社した2名の社員を宇宙食のメンバーに選抜し、虫対策を徹底して行いました。2人の活躍もあって課題をクリアし、最終的にはJAXAの窓口の方に「虫対策について見解を伺いたい」と言われるほどでした。
非常食の開発にも着手
弊社の窒素充填技術に興味を持った首都圏の企業から、非常食の製造依頼をいただいたことで、新工場を活用した新しい取り組みも行うことができました。
一般的な非常食は、水やお湯を入れて30分後に食べられるというアルファ米が中心です。しかし、弊社が開発した非常食は即食ができるものです。非常食の活用シーンの多くは災害時です。混乱の中不自由な生活を強いられた方の為に、ただ非常食を提供するという事だけでなく、もっと利用者の方に寄り添うことはできないものかと、延いては弊社の理念である「価値ある味覚」の考え方を忘れることなく商品づくりができないかと、開発チームにはそういった目線で取り組んでもらいました。
結果、即食できるということだけではなく、アレルギーフリーで食べていただける非常食を開発し、さらに袋の底にスプーンを取り付け利便性・衛生管理を追求しました。
当初はそのご依頼いただいた企業様のみに向けて商品を製造していましたが、今では一般消費者向けに「おもいやりごはんシリーズ」を販売しています。
社員が活躍できる環境を整える
私は宝食品を、社員たちがやりがいをもって働き、活躍できる場にしたいと思っています。
コロナ禍で弊社も売上が落ちたことを機に立ち上げた企画課では、2名の若手・中堅社員が活躍しています。はじめは営業支援や販促を担当してもらいましたが、現在ではパッケージ制作や会社のPR活動、商品企画など多方面で活躍してくれています。デザイン印刷会社の商品写真撮影時に立ち会わせるなど、勉強になる機会を設けるよう心がけています。
私にできる仕事は、新たな人脈づくりをすることや、社員が活躍し、やりがいを持てる会社にしていくことです。
人財、地域は宝なり
弊社では、誕生日を迎えた社員にホールケーキをプレゼントしています。誕生日会は京宝亭のカフェで行い、皆でケーキやコーヒーを楽しみながら、お祝いする時間を設けています。
また、夏には焼肉用の肉、冬にはクリスマスケーキとすき焼き用の肉を配ります。社員が家族を大切にし、楽しい時間を過ごすことのお手伝いをすることで、社員のモチベーション向上につながればと思っています。
また、3年に1度の社内研修旅行のほか、4年ぶりに忘年会も復活しました。現在は、コミュニケーションを嫌がる若者が多いと聞きますが、弊社では若手社員を含めた社員同士の距離が近く、皆でイベントに参加してくれる風土があると感じます。
小豆島は、少子高齢化が加速しており、まさに日本社会の縮図です。産業が盛んな島であるため、労働人口の減少による産業の維持が大きな課題となっています。そのため、対策として、機械化できるところは機械化を進め、人手が減っても、それこそが強みという風に考え方を変える必要があると思います。
弊社では、地元の中学校での宇宙食に関する出前授業の実施や、工場見学の受け入れを行っています。次世代を担う生徒たちが、小豆島の産業を直に見る機会を提供することで、社会教育や地域貢献につなげていきたい考えです。
宝食品グループとして相乗効果を発揮
弊社は、2019年に小豆島の地で創業から170年以上続く、醤油醸造会社の高橋商店をグループに迎えました。グループとなってから、高橋商店の醤油を使用し、商品製造するようになりました。完成した商品は、同じグループの京宝亭で販売しています。また、高橋商店のガーリックオイルを製造する際に出ていた端材の揚げニンニクも、宝グループになってからは処分せずに裁断し、フライドガーリックとして販売するようになりました。高級スーパーマーケットのお弁当にも採用されています。
宝食品グループとしての相乗効果を発揮し、技術やノウハウを共有し、売上を向上させることが目標です。
老舗企業にはその年数分の文化やノウハウがあります。後継者不在のため永続経営せず廃業してしまうのは、地域にとって大きな財産を失うことを意味します。弊社との親和性がある企業であれば、小豆島の未来のためにもお引き受けを検討していきたいと思っています。
今後も、宝食品・高橋商店・京宝亭の宝グループが小豆島や香川県の地域経済に貢献できるよう、邁進していきます。
会社概要
社名 | 宝食品株式会社 |
創立年 | 1948年 |
代表者名 | 代表取締役社長 三澤 省一 |
資本金 | 4,500万円 |
URL |
http://www.takara-s.co.jp/
|
本社住所 |
〒761-4421 |
事業内容 | 各種食品の製造販売 |
関連会社 |
会社沿革
1948年 | 組合立の宝食品製造所を設立し佃煮製造を始める 宝食品製造所を改組し、資本金150万円の宝食品株式会社を設立し上藤公平初代社長となる。 |
1950年 | 資本金250万円 |
1959年 | 資本金500万円 |
1961年 | 資本金1,000万円 |
1962年 | 電気煮炊設備完成 |
1964年 | 資本金2,000万円 |
1968年 | 包装工場新築 |
1973年 | 新煮炊場、包装冷却場新築、排水処理施設稼働 木下幸光 二代目社長に就任 |
1976年 | 新事務所落成 |
1981年 | 岩のり発売 |
1985年 | 関連会社(有)京宝亭設立 資本金3,000万円 |
1986年 | 資本金4,500万円 |
1987年 | のり新工場稼働 木下英幸 三代目社長に就任 |
1992年 | 宝友会館落成 |
1994年 | 新含気包装製造工場新築 |
1997年 | 中野満 四代目社長に就任 |
2003年 | 浅尾正勝 五代目社長に就任 |
2004年 | ISO9001認証取得 |
2006年 | 食品産業優良企業表彰事業において農林水産大臣賞受賞 のり佃煮瓶詰めライン改設 |
2007年 | のり佃煮ポーションライン増設 |
2009年 | 片山俊朗 六代目社長に就任 |
2013年 | 谷本充 七代目社長に就任 |
2015年 | 瓶詰冷却ライン改設 自動充填包装ライン増設 |
2016年 | 第2工場新築 レトルト殺菌装置増設 画像式異物除去ライン新設 |
2017年 | ISO22000認証取得 大野英作 八代目社長に就任 |
2019年 | (株)高橋商店(小豆島)をグループ化 |
2020年 | ちりめん山椒「宇宙日本食」に認証 FSSC22000認証取得(移行) |
2021年 | 重油ボイラーから LPG ボイラーに転換 |
2023年 | 米定量充填機導入 三澤省一 九代目社長に就任 |
2024年 | カートニングマシン(カートナー)新設 |
宝食品株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2024/05/27
※本記事の内容および所属名称は2024年5月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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