神奈川・横浜市金沢区
神奈川 ・ 横浜市
引継ぎ実績あり
創業78年の
協和合金株式会社
積極的な海外展開と自動化を見据えた地域経営資源の引き受け
経営理念
事業を通じ社会の発展と人類の幸福に寄与すること
代表者メッセージ
1947年の創業以来、協和合金は独立系サプライヤーとして日本の自動車産業と共に歩んでまいりました。 今、業界は100年に一度の変革期にあります。EVシフトが欧米を中心とした先進国各国で盛んに叫ばれており、自動車業界に関係する企業は先の見通せない状況をどう打開するか悩み、悲観的になることもあると思います。
私たちが目指すのは、単なる部品メーカーにとどまらず、自動化ソリューションを社会へ提供する企業へ昇華していくことです。 伝統を守りながら、恐れずに変わる。「新生・協和合金」の挑戦にご期待ください。
今後とも皆さまのより一層のご支援とご鞭撻、さらにご愛顧を賜わりますようお願い申し上げます。
代表取締役社長 髙島 眞吾
私たちのこだわり
創業78年目の自動車部品サプライヤー
弊社は、1947年に東京都大田区で創業しました。創業時の社名は栗原工業株式会社で、創業者である栗原義潤は第二次大戦後に中国から帰国し、出資者から資金を募って会社を立ち上げたと聞いています。出資者は主に親族が中心で、髙島家も出資者の中に名を連ねていました。
汽車用のパッキングや銅合金メタルの製造から事業をスタートすると、設立から3年後の1950年に社名を現在の協和合金株式会社に変更します。そこからさらに9年後の1959年、日産自動車株式会社にシンクロナイザーリングという自動車部品の納入を開始し、自動車部品事業に参入しました。シンクロナイザーリングはマニュアル車(MT車)のギアチェンジに必要な部品で、現在も弊社の主力製品となっています。
高度成長期の自動車需要急増に後押しされる形で弊社の事業も拡大していきました。1969年には神奈川県横浜市に本社を移し、工場も横浜市内で何度か移転しながら規模を拡大していきました。また海外にも事業を展開しており、中国、フランス、インド、インドネシアに合弁会社や子会社を設立しています。この海外展開は現会長であり私の父でもある5代目社長・髙島眞澄が特に力を入れていた分野で、父が社長に就任する前、企画部に所属していたときから積極的に推進していきました。
ただ、日本に比べMT車の比率が高かった欧州や中国でも、近年はオートマチック車(AT車)への移行が進んでいます。さらにEV(電気自動車)シフトなどの影響もあり、シンクロナイザーリングの需要は年々減少しています。そうした時代背景の変化に対応するため、弊社はM&Aで新たに2つの会社をグループに迎え入れ、新たな事業を創出するための取り組みも始めています。自動車部品のサプライヤーとして歴史を積み重ねてきた弊社にとっては新たなチャレンジとなりますが、このチャレンジを成功させることが、父の後を継ぎ6代目の社長に就任した私の責務だと考えています。
銀行での法人営業経験を活かし、実績を積み重ねて社長に就任
私は2012年に新卒で横浜銀行に入行しました。ジョブローテーションで7年半ほど個人営業と法人営業に携わりました。周囲の人たちから「協和合金の後継者」と言われながら育ちましたが、正直なところ、銀行に入行した時点では「父の後を継ぐ」ということについて具体的なイメージは全くできていませんでした。
しかし銀行で法人営業に携わるようになり、経営者や財務部門の役員など企業の意思決定に関わる方々と一緒に仕事をさせていただくうちに、「もし戻るとしたらこんな感じになるのだろうか」とおぼろげながら想像する自分がいました。
そして入行から7年が過ぎたころ、父から「そろそろ戻らないか」という話があり、私自身も覚悟を決めて銀行を退職し、2019年11月に入社しました。
入社後は、技術部門で約半年間現場実習を経験しました。その後、新たに企画部門に籍を移しました。M&Aや業務提携といった銀行時代の経験やノウハウを活かしながら新規事業の立ち上げを中心に取り組んできました。
社長である父の存在に甘えるのではなく新参者としてイチから、むしろゼロからなんでもやろうと謙虚に、愚直に取り組む日々でした。金融業と製造業の文化の違いを体感し、中小企業経営の根本たるものとは何なのかと模索していました。そんな様子を気にしてか、ベテラン社員や先輩方に助けられながら、海外拠点であるフランスの事業を担当させてもらうなど、少しずつ周囲に認められるようになっていきました。
一方で外部環境としては、自動車業界全体が電気自動車へシフトしていることから、部品点数や発注数が減少している状況がありました。弊社でも主製品であるシンクロナイザーリングの需要が減少しているという課題に直面し、将来的なリスクヘッジとして、自動車産業以外への進出を決めました。M&Aにて新たに2社がグループに加わりました。
2024年の最初の出社日に父から「今年の6月で私は退く」と告げられました。私にとっては突然でしたが、父にとっては自分自身の年齢や会長職としてサポートをすることも考えた上で想定していたタイミングだったのかもしれません。私自身、当初は驚いたものの、入社してからの日々の中で、後継者としての覚悟を明確ではありませんが心のどこかでしていました。そうして取締役会及び株主総会の承認を経て、4代目の代表取締役社長に就任しました。
独立系サプライヤーゆえに可能な戦略的リスクヘッジ
弊社は、温間鍛造、切削、放電、研磨という主要な4つの金属加工技術を組み合わせ、設計から検査までを自社で完結できる、「一貫生産体制」をとっています。強みは独立系のサプライヤーであるがゆえに戦略的なリスクヘッジが可能であることです。主要事業であるシンクロナイザーリングは、国内メーカーでいうと約5社の競合がいますが、半数近くが完成車メーカーの直系に近いサプライヤーです。資本関係こそないながらも、各完成車メーカーの強い影響下にあり、経営戦略もその意向に左右される部分があります。
一方弊社は、様々なご縁に恵まれ直接・間接を含めて全ての日系完成車メーカー様と取引がありますが、直系ではなく独立運営です。
そのため将来日本国内のMT車の需要減少を考慮し、自己責任で積極的に海外展開を推し進めて参りました。結果として現在、各国・エリアによる個別事情はあるものの、リスク分散を図りながら事業拡大を進めることができております。
シンクロナイザーリング事業を約50年という長きにわたり続けてきたことは、弊社にとっては強みであると同時に課題でもありました。ニッチでライフの長い1つの製品を扱い続けてきたことで、その製造・販売に関するノウハウは豊富に蓄積されています。その一方で、シンクロナイザーリングの需要が先細りしていくことが見えているにもかかわらず、「まだ需要はあるのだからしっかりやっていこう」という考え方に縛られ、「どのように方向転換をすればいいのかわからない」状態に陥ってしまっていました。
父はかつて「海外展開を進める」「トヨタと取引をする」「上場を目指す」という3つの目標を掲げていました。この3つのうち上場こそ果たせなかったものの、そのうち2つの目標を達成することで「エリアのリスク分散」と「取引先の数のリスク分散」を実現してきました。その父の後を継いだ私が取り組むべき新たなリスクヘッジは「自動車業界の構造変化に対するリスクヘッジ」だと考えています。
MT車からAT車へ、という流れは日本のみならず海外でも主流になってきています。カーシェアリングやEVシフトの影響による部品点数の減少も無視できません。それに加え、中国など新興の海外プレイヤーが増えてきたことで、彼らと競争しなければならない日本の完成車メーカーも難しい舵取りを迫られています。そのため、弊社のようなサプライヤーは、完成車メーカーとの連携強化のみならず独自の生存戦略を考え、事業の発展・継続を果たさなければならなくなったと考えています。
自動化と異業種参入を見据えたM&A
課題への有効な手段として私が考えているのが異分野への参入です。同じ製造業ではあっても自動車以外の業界に強い会社や、異分野で活用できる技術を持った会社との融合です。M&Aを活用し新たな分野に進出することで、自動車業界の構造変化に対するリスクヘッジを実現したいと思っています。
こうした考えのもと、弊社ではこれまで2社をグループに迎え入れました。
1社目は株式会社ノアという茨城県の企業で、画像処理技術を強みとする開発主体型の企業です。弊社では人手不足への対応として自動化を進めていますが、中でも「外観検査の自動化」は喫緊の課題でした。熟練の検査員が多い一方で平準化が進んでおらず、その課題をノアの技術で解決したいと考えてグループに迎えました。この会社は2D/3Dの外観検査装置や3Dスキャナの開発・販売等に加え、ヘルスケア領域等にも活用できる技術を持っています。自動車部門の自動化のみならず、異業種への参入という面でも大きく期待できる会社です。
もう1社は株式会社NeotecJapanという、電子機器の開発・製造を手掛ける会社です。こちらは製造業に「IT融合」を実現するための電子機器やアプリケーションの受託開発を得意とする川崎市の会社で、創業社長である加留部社長にはそのまま社長として残っていただき、弊社と一緒に事業拡大に取り組んでもらうことになりました。こうしたケースはかなり珍しいといわれましたが、弊社にない知見や技術を持つ加留部社長の存在は不可欠だと我々は考えています。まだグループに加わったばかりでシナジー効果を100%引き出せているとはいえませんが、そこは今後の課題であるとともに挑戦のしどころでもあると考えています。
まだ道半ばではありますが、ノア・NeotecJapanの2社連携による案件創出も数件実績が出来始めております。以降はこれを3社に拡大していきたいと考えております。
また、これまで弊社の主な取引先は完成車メーカーやミッションメーカーといった大手企業や海外企業が中心で、地元企業との商取引はほとんどありませんでした。しかしNeotecJapanは地元川崎との関係が深く、そこから地域繋がりを大事にしながら運営をして参りました。これを活かすべく、協和合金の所在する鳥浜・福浦の工場地域の周辺企業様とも繋がりを深めていった結果、自動車以外の新たな仕事をいただくケースが増えてきました。今後さらに自動車以外の仕事が増えていくことで、地域連携を「大事にしていくことができる」ような状況に変わっていくのではないかと思いますし、これをきっかけに地域社会との結びつきをより強くしていければと思っています。
「製造ラインの立ち上げ」を若手に経験させるための取り組み
弊社の社員の年齢分布は、20代〜30代の若手層と50半ば〜60代以上のベテラン層が多く、30代後半~40代の中間管理職層が極端に少ないという、砂時計型のような年齢構成になっています。ベテラン陣はシンクロナイザーリングの製造に関しては知識も経験も豊富ですが、それだけに時には過去の成功体験や経験値が足かせになってしまうこともあります。一方で、若手はシンクロナイザーリングの需要が減り始めたころに入社しているため、新たな製造ライン立ち上げの経験がほとんどありません。そして中間層が少ないため、指導はベテランから若手に直接行われるのですが、世代間のギャップなどもあり、なかなか難しい面があります。
弊社のような製造業において「製造ラインの立ち上げ」経験は非常に重要な要素なのですが、長年シンクロナイザーリングに特化してきたこともあり、この「立ち上げ」を若手が経験する機会が少ないというのが弊社の課題でした。そこで、新たな仕事を積極的に受注する、あるいは新たな設備を導入して工程の内製化を進める、こういった形で意図的に「立ち上げ」の機会を作り、若手に「打席に立つ」機会を提供するようにしています。新しいビジネスの機会を探る活動と若手の育成を、「走りながら一緒に育ってもらう」という形で両立させているような状況です。
グループ全体で自動化と付加価値の創出に取り組んでいく
昨今は人手不足で採用も難しくなっているため、製造ラインの自動化は必須です。しかし協和合金単体での立ち上げは困難です。そこで新たにグループに加わった2社と協力し、連携を取りながら自動化を進めていければと思っています。その上で、その過程で得た自動化の知見をソリューションとして、弊社のように「自分たちだけでは自動化が難しい」と頭を悩ませている製造業に提供していくようなビジネスに繋げられたらと思っています。
また、自動車業界の賃上げの流れを受け、適正な価格転嫁がしやすい環境になってきています。しかしそれはあくまで人件費が上がった分を価格に転嫁できるだけで利益率は変わりません。売上のトップラインが伸びていかない限り利益率は落ちます。したがって原価低減活動は引き続き必要ですし、何より付加価値を上げるための動きが重要になってきます。
そのための動きの一環として、従来の焼き入れ方法に比べ環境負荷が低いレーザーの焼き入れ機を導入するなど、大手上場企業に向けてアピールポイントになるような技術の導入を積極的に進めています。
将来的には自動化に必要な機械分野の会社のお引き受けも視野に入れつつ、グループ全体で自動化や付加価値の向上に取り組んでいければと思っています。
創業78年目の自動車部品サプライヤー
弊社は、1947年に東京都大田区で創業しました。創業時の社名は栗原工業株式会社で、創業者である栗原義潤は第二次大戦後に中国から帰国し、出資者から資金を募って会社を立ち上げたと聞いています。出資者は主に親族が中心で、髙島家も出資者の中に名を連ねていました。
汽車用のパッキングや銅合金メタルの製造から事業をスタートすると、設立から3年後の1950年に社名を現在の協和合金株式会社に変更します。そこからさらに9年後の1959年、日産自動車株式会社にシンクロナイザーリングという自動車部品の納入を開始し、自動車部品事業に参入しました。シンクロナイザーリングはマニュアル車(MT車)のギアチェンジに必要な部品で、現在も弊社の主力製品となっています。
高度成長期の自動車需要急増に後押しされる形で弊社の事業も拡大していきました。1969年には神奈川県横浜市に本社を移し、工場も横浜市内で何度か移転しながら規模を拡大していきました。また海外にも事業を展開しており、中国、フランス、インド、インドネシアに合弁会社や子会社を設立しています。この海外展開は現会長であり私の父でもある5代目社長・髙島眞澄が特に力を入れていた分野で、父が社長に就任する前、企画部に所属していたときから積極的に推進していきました。
ただ、日本に比べMT車の比率が高かった欧州や中国でも、近年はオートマチック車(AT車)への移行が進んでいます。さらにEV(電気自動車)シフトなどの影響もあり、シンクロナイザーリングの需要は年々減少しています。そうした時代背景の変化に対応するため、弊社はM&Aで新たに2つの会社をグループに迎え入れ、新たな事業を創出するための取り組みも始めています。自動車部品のサプライヤーとして歴史を積み重ねてきた弊社にとっては新たなチャレンジとなりますが、このチャレンジを成功させることが、父の後を継ぎ6代目の社長に就任した私の責務だと考えています。
銀行での法人営業経験を活かし、実績を積み重ねて社長に就任
私は2012年に新卒で横浜銀行に入行しました。ジョブローテーションで7年半ほど個人営業と法人営業に携わりました。周囲の人たちから「協和合金の後継者」と言われながら育ちましたが、正直なところ、銀行に入行した時点では「父の後を継ぐ」ということについて具体的なイメージは全くできていませんでした。
しかし銀行で法人営業に携わるようになり、経営者や財務部門の役員など企業の意思決定に関わる方々と一緒に仕事をさせていただくうちに、「もし戻るとしたらこんな感じになるのだろうか」とおぼろげながら想像する自分がいました。
そして入行から7年が過ぎたころ、父から「そろそろ戻らないか」という話があり、私自身も覚悟を決めて銀行を退職し、2019年11月に入社しました。
入社後は、技術部門で約半年間現場実習を経験しました。その後、新たに企画部門に籍を移しました。M&Aや業務提携といった銀行時代の経験やノウハウを活かしながら新規事業の立ち上げを中心に取り組んできました。
社長である父の存在に甘えるのではなく新参者としてイチから、むしろゼロからなんでもやろうと謙虚に、愚直に取り組む日々でした。金融業と製造業の文化の違いを体感し、中小企業経営の根本たるものとは何なのかと模索していました。そんな様子を気にしてか、ベテラン社員や先輩方に助けられながら、海外拠点であるフランスの事業を担当させてもらうなど、少しずつ周囲に認められるようになっていきました。
一方で外部環境としては、自動車業界全体が電気自動車へシフトしていることから、部品点数や発注数が減少している状況がありました。弊社でも主製品であるシンクロナイザーリングの需要が減少しているという課題に直面し、将来的なリスクヘッジとして、自動車産業以外への進出を決めました。M&Aにて新たに2社がグループに加わりました。
2024年の最初の出社日に父から「今年の6月で私は退く」と告げられました。私にとっては突然でしたが、父にとっては自分自身の年齢や会長職としてサポートをすることも考えた上で想定していたタイミングだったのかもしれません。私自身、当初は驚いたものの、入社してからの日々の中で、後継者としての覚悟を明確ではありませんが心のどこかでしていました。そうして取締役会及び株主総会の承認を経て、4代目の代表取締役社長に就任しました。
独立系サプライヤーゆえに可能な戦略的リスクヘッジ
弊社は、温間鍛造、切削、放電、研磨という主要な4つの金属加工技術を組み合わせ、設計から検査までを自社で完結できる、「一貫生産体制」をとっています。強みは独立系のサプライヤーであるがゆえに戦略的なリスクヘッジが可能であることです。主要事業であるシンクロナイザーリングは、国内メーカーでいうと約5社の競合がいますが、半数近くが完成車メーカーの直系に近いサプライヤーです。資本関係こそないながらも、各完成車メーカーの強い影響下にあり、経営戦略もその意向に左右される部分があります。
一方弊社は、様々なご縁に恵まれ直接・間接を含めて全ての日系完成車メーカー様と取引がありますが、直系ではなく独立運営です。
そのため将来日本国内のMT車の需要減少を考慮し、自己責任で積極的に海外展開を推し進めて参りました。結果として現在、各国・エリアによる個別事情はあるものの、リスク分散を図りながら事業拡大を進めることができております。
シンクロナイザーリング事業を約50年という長きにわたり続けてきたことは、弊社にとっては強みであると同時に課題でもありました。ニッチでライフの長い1つの製品を扱い続けてきたことで、その製造・販売に関するノウハウは豊富に蓄積されています。その一方で、シンクロナイザーリングの需要が先細りしていくことが見えているにもかかわらず、「まだ需要はあるのだからしっかりやっていこう」という考え方に縛られ、「どのように方向転換をすればいいのかわからない」状態に陥ってしまっていました。
父はかつて「海外展開を進める」「トヨタと取引をする」「上場を目指す」という3つの目標を掲げていました。この3つのうち上場こそ果たせなかったものの、そのうち2つの目標を達成することで「エリアのリスク分散」と「取引先の数のリスク分散」を実現してきました。その父の後を継いだ私が取り組むべき新たなリスクヘッジは「自動車業界の構造変化に対するリスクヘッジ」だと考えています。
MT車からAT車へ、という流れは日本のみならず海外でも主流になってきています。カーシェアリングやEVシフトの影響による部品点数の減少も無視できません。それに加え、中国など新興の海外プレイヤーが増えてきたことで、彼らと競争しなければならない日本の完成車メーカーも難しい舵取りを迫られています。そのため、弊社のようなサプライヤーは、完成車メーカーとの連携強化のみならず独自の生存戦略を考え、事業の発展・継続を果たさなければならなくなったと考えています。
自動化と異業種参入を見据えたM&A
課題への有効な手段として私が考えているのが異分野への参入です。同じ製造業ではあっても自動車以外の業界に強い会社や、異分野で活用できる技術を持った会社との融合です。M&Aを活用し新たな分野に進出することで、自動車業界の構造変化に対するリスクヘッジを実現したいと思っています。
こうした考えのもと、弊社ではこれまで2社をグループに迎え入れました。
1社目は株式会社ノアという茨城県の企業で、画像処理技術を強みとする開発主体型の企業です。弊社では人手不足への対応として自動化を進めていますが、中でも「外観検査の自動化」は喫緊の課題でした。熟練の検査員が多い一方で平準化が進んでおらず、その課題をノアの技術で解決したいと考えてグループに迎えました。この会社は2D/3Dの外観検査装置や3Dスキャナの開発・販売等に加え、ヘルスケア領域等にも活用できる技術を持っています。自動車部門の自動化のみならず、異業種への参入という面でも大きく期待できる会社です。
もう1社は株式会社NeotecJapanという、電子機器の開発・製造を手掛ける会社です。こちらは製造業に「IT融合」を実現するための電子機器やアプリケーションの受託開発を得意とする川崎市の会社で、創業社長である加留部社長にはそのまま社長として残っていただき、弊社と一緒に事業拡大に取り組んでもらうことになりました。こうしたケースはかなり珍しいといわれましたが、弊社にない知見や技術を持つ加留部社長の存在は不可欠だと我々は考えています。まだグループに加わったばかりでシナジー効果を100%引き出せているとはいえませんが、そこは今後の課題であるとともに挑戦のしどころでもあると考えています。
まだ道半ばではありますが、ノア・NeotecJapanの2社連携による案件創出も数件実績が出来始めております。以降はこれを3社に拡大していきたいと考えております。
また、これまで弊社の主な取引先は完成車メーカーやミッションメーカーといった大手企業や海外企業が中心で、地元企業との商取引はほとんどありませんでした。しかしNeotecJapanは地元川崎との関係が深く、そこから地域繋がりを大事にしながら運営をして参りました。これを活かすべく、協和合金の所在する鳥浜・福浦の工場地域の周辺企業様とも繋がりを深めていった結果、自動車以外の新たな仕事をいただくケースが増えてきました。今後さらに自動車以外の仕事が増えていくことで、地域連携を「大事にしていくことができる」ような状況に変わっていくのではないかと思いますし、これをきっかけに地域社会との結びつきをより強くしていければと思っています。
「製造ラインの立ち上げ」を若手に経験させるための取り組み
弊社の社員の年齢分布は、20代〜30代の若手層と50半ば〜60代以上のベテラン層が多く、30代後半~40代の中間管理職層が極端に少ないという、砂時計型のような年齢構成になっています。ベテラン陣はシンクロナイザーリングの製造に関しては知識も経験も豊富ですが、それだけに時には過去の成功体験や経験値が足かせになってしまうこともあります。一方で、若手はシンクロナイザーリングの需要が減り始めたころに入社しているため、新たな製造ライン立ち上げの経験がほとんどありません。そして中間層が少ないため、指導はベテランから若手に直接行われるのですが、世代間のギャップなどもあり、なかなか難しい面があります。
弊社のような製造業において「製造ラインの立ち上げ」経験は非常に重要な要素なのですが、長年シンクロナイザーリングに特化してきたこともあり、この「立ち上げ」を若手が経験する機会が少ないというのが弊社の課題でした。そこで、新たな仕事を積極的に受注する、あるいは新たな設備を導入して工程の内製化を進める、こういった形で意図的に「立ち上げ」の機会を作り、若手に「打席に立つ」機会を提供するようにしています。新しいビジネスの機会を探る活動と若手の育成を、「走りながら一緒に育ってもらう」という形で両立させているような状況です。
グループ全体で自動化と付加価値の創出に取り組んでいく
昨今は人手不足で採用も難しくなっているため、製造ラインの自動化は必須です。しかし協和合金単体での立ち上げは困難です。そこで新たにグループに加わった2社と協力し、連携を取りながら自動化を進めていければと思っています。その上で、その過程で得た自動化の知見をソリューションとして、弊社のように「自分たちだけでは自動化が難しい」と頭を悩ませている製造業に提供していくようなビジネスに繋げられたらと思っています。
また、自動車業界の賃上げの流れを受け、適正な価格転嫁がしやすい環境になってきています。しかしそれはあくまで人件費が上がった分を価格に転嫁できるだけで利益率は変わりません。売上のトップラインが伸びていかない限り利益率は落ちます。したがって原価低減活動は引き続き必要ですし、何より付加価値を上げるための動きが重要になってきます。
そのための動きの一環として、従来の焼き入れ方法に比べ環境負荷が低いレーザーの焼き入れ機を導入するなど、大手上場企業に向けてアピールポイントになるような技術の導入を積極的に進めています。
将来的には自動化に必要な機械分野の会社のお引き受けも視野に入れつつ、グループ全体で自動化や付加価値の向上に取り組んでいければと思っています。
会社概要
| 社名 | 協和合金株式会社 |
| 創立年 | 1947年 |
| 代表者名 | 代表取締役社長 髙島 眞吾 |
| 資本金 | 41,187万円 |
| URL |
https://kyowagokin.co.jp/
|
| 本社住所 |
〒236-0002 |
| 事業内容 | 金属部品の開発、製造、販売 |
| 事業エリア |
本社 / 本社工場 〒236-0002 |
|
福浦工場 〒236-0004 |
|
| 関連会社 |
会社沿革
| 1947年 | 栗原工業株式会社創立(東京都大田区)汽車用パッキング、銅合金メタルを主製品とする |
| 1950年 | 社名を協和合金(株)とする |
| 1959年 | 日産自動車(株)へシンクロナイザー納入開始 |
| 1963年 | シンクロナイザー専用工場建設(横浜市磯子区) |
| 1969年 | 本社を横浜市に移し鍛造工場新設(横浜市鶴見区) |
| 1974年 | アルミ製シフトフォークを開発 |
| 1976年 | 新工場を建設し本社とする(横浜市金沢区) 日産自動車(株)へアルミシフトフォーク納⼊開始 |
| 1978年 | 栗原奨学財団設立(現・公益財団法人栗原奨学財団) |
| 1981年 | 福浦工場建設(横浜市金沢区) 富士重工業(株)、海外自動車メーカーへ納入開始 |
| 1987年 | 日産自動車(株)へダブルコーンシンクロナイザー納入開始 日野自動車(株)、いすゞ自動車(株)等、大型自動車メーカーへ 鉄・樹脂複合型シンクロリング納入開始 |
| 1992年 | 鉄・樹脂複合型シンクロナイザーリング開発により神奈川工業技術開発大賞受賞 |
| 1995年 | 中国・武漢に武漢泛洲機械製造有限公司との合弁会社、武漢協和歯環有限公司を設立 |
| 1999年 | ISO9001認証取得 |
| 2005年 | フランス・パリにKyowa Synchro Technology Europe S.A.Sを設立 |
| 2006年 | ISO14001認証取得 |
| 2008年 | 経済産業省・中小企業庁「元気なモノ作り中小企業300社 2008」に選出 TS16949認証取得 |
| 2012年 | インド・チェンナイにNatesan Synchro cones Pvt.との合弁会社 Kyowa Natesan Synchro Technologies Pvt.Ltd.を設立 インドネシア・ブカシに子会社 PT.Kyowa Synchro Technology Indonesiaを設立 |
| 2017年 | 経済産業省「地域未来牽引企業」に選出 |
| 2019年 | IATF16949認証取得 |
協和合金株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
人的資本引継ぎ
神奈川県
あらゆるものに楽しみながら挑戦する人財を募集
公開日:2025/12/04
※本記事の内容および所属名称は2025年12月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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