神奈川・川崎市高津区
神奈川 ・ 川崎市
エレベータ部品製造で
上代工業株式会社
ものづくりのその先にある「人々の生活を豊かにすること」を目指して
経営理念
私たちはものづくりを通して社会に貢献し、
上代工業に関わる全ての企業や人々の幸せと充実した生活を創造し、
地域から愛される会社を目指します。
上代工業が掲げる目標
技術力・スピード力・提案力・営業力・対応力を磨き上げ
あらゆる顧客の要望に対応できるオンリーワン企業を目指します。
当社の主力の製品はエレベータ部品です。エレベータは人が乗る製品だけに安全面での要求は厳しく、十分な配慮が必要となります。
そのため、溶接でJIS検定を取得するなど技術レベルの維持・向上に力を入れています。
代表者メッセージ
弊社は神奈川県川崎市に本社を構え、エレベータ部材を中心に建設機械やトラック部品などの板金加工を幅広く手掛けている「金属加工」を生業とする会社です。首都圏からのアクセスの良さがある川崎の地の利を活かし、短納期化と多品種少量ニーズに適応した生産体制を構築しています。
原材料の仕入れから、切断・曲げ・溶接・塗装まで一貫した製造を行い、クオリティの高い板金加工技術を有しているのが弊社の強みです。
さらにITを活用した工場内の「見える化」を積極的に進めており、クラウド上にデータを集約し、設備の稼働状況や作業の進捗管理などと紐づけて統合管理を行い、現在進行形で生産性の向上と労働時間の短縮を実現しています。
単にものづくりだけをする会社ではなく、弊社の手掛けた製品が人々の生活のどこでお役に立てるかを念頭に置き、常に人々を「おもてなし」するような精神で、あらゆる顧客の要望に対応できるオンリーワン企業を目指します。
代表取締役 上代 健一
私たちのこだわり
小さな板金加工会社はエレベータ市場の拡大と共に上昇曲線へ
創業者である私の父は、プレス機械メーカーで設計者として勤めておりましたが、1968年に独立し、東京の大田区で板金加工の事業を始めました。1969年には、工場増設のために川崎市に移転し、1971年に法人化して上代工業株式会社を創立しました。その後、川崎区から現在の高津区下野毛に本社工場を移し、今日に至っております。
創業直後から近隣の工業地帯にある企業から仕事が回ってくるような状態で、愚直にコツコツとお客様のご要望に応えることで取引先や地域の皆さまからの信頼を得てきました。外資系エレベータメーカーの部品を手掛けていた時に、国内メーカーの知り合いから声がかかるようになり、それ以来レーザー加工を用いたエレベータ部品の製造がメイン事業となりました。
大都市圏における高層ビルが急激に増加し、日本のエレベータ業界は東芝(東芝エレベータ)、三菱電機(三菱電機ビルソリューションズ)、日立製作所(日立ビルシステム)の3大メーカーが牽引役となり、技術競争が進んできました。現在ではこの3社が市場のシェア7割を占めています。
弊社は東芝エレベータ株式会社を主要取引先に持ち、前述の技術競争をものづくりで支えてきました。エレベータは人を運ぶ乗り物です。命を運ぶ製品のものづくりに携わる者として、高精度かつ安全を担保するために社員一人一人の技術レベルの維持・向上に努める姿勢は社歴と共に根付いてきた弊社の文化となっています。
先代の背中から学び、経験する、そして社長就任へ
先代は経営者としても父としても寡黙な人で、言葉で何かを教えてもらったという記憶がありません。ただ、父に連れられて一緒に取引先に行き、社会人としてのマナーやお客様との接し方、商売のイロハ、そして弊社としての誇りのようなものを直接現場で学ぶ機会は多く与えてもらいました。
父の働く姿を日常の中で目にする環境で育ったこともあり、会社を継ぐことへの意識は幼少期からごく自然と備わっていました。弊社の仕事は大学在学中に手伝っていましたが、学生時代にはファッションやバイク、最先端のものへの興味が強く、弊社のビジネスへの関心はそこまで強くありませんでした。転機になったのは大学を中退して、すぐに東芝エレベータに入社した頃になります。本音を言えば当時、製造業や工場で働くこと自体に魅力を感じておらず、この業界で働くことが格好悪いとさえ思っていました。
父は私のそのような心境を察してなのか、主要取引先である東芝エレベータ株式会社に修行に行かせてくれました。3年間ほどお世話になりましたが、外から弊社を見ることで、上代工業の社員へ尊敬の念を抱くようになりました。ものづくりに全身全霊をかける姿や彼らの手でつくられたモノが全てのステークホルダーに喜ばれていることが、とてつもなく格好良く見えたのです。
弊社の特徴である短納期を可能としているのは多能工化です。多能工とは「一人で複数の業務や作業を行うこと、及び複数の技能や技術を持った作業者」を指します。決して多くはない社員数で様々なニーズに応えていくためには複数の設備を使いこなしマルチタスクをこなせる人財が必要です。修行先から弊社を客観視することで、社員の一人一人のスキルの高さやプロの職人として仕事に向き合う姿勢が当たり前ではなく、特別なことだと気が付くことが出来ました。一方で、修行先の大手企業と比べると弊社には生産体制など組織化されていない課題が山ほどあることが見て取れ、大きな気付きであり、学びになりました。
2020年7月に社長に就任してからは、課題だと感じていた組織化への取り組みを進めて、社員の働く環境作りにも注力しながら、本業を全うすることで社会にどんな影響を与えられるのか、弊社の役割について常に考えるようになりました。
社長に就任するタイミングについては自分で決めました。コロナ禍という目に見えない脅威に対抗するためにも、会社として新体制となる必要性を感じたこと、そして自分自身、最終的な責任を負う覚悟が決まったのがその理由です。
現在は、社長としての重圧を感じながら、10年後、30年後と永続経営し社員とその家族を守っていくためにはどうすべきかと、弊社の今後の在り方を模索する毎日です。社長となり、改めて振り返ると、父なりにいつか来る私への事業承継を見据えて常に背中を見せてくれていたのかもしれません。幼少期から父は仕事ばかりの人で、休みの日はほとんどなく、父と遊びに行くとしても会社や納品先に一緒に行くみたい形で常に仕事と結びついていましたが、父が背負っている責任を体験させることで、社長としての覚悟を私が自然に持てるようにアシストしてくれていたのだと感じています。
ITを活用した業務改善で生産性と社員の満足度を上げる
お客様の困りごとの相談や依頼は断らないという社風は創業時から守っている弊社のスタンスです。このスタンスのおかげでステークホルダーの皆様から信頼を得て、今まで手掛けてこなかった分野の開拓にも繋がりました。
ただ、新分野への取り組みに関する業務フローや管理体制は未整備だったことから、生産効率の低さや業務遂行における社員間の情報格差などの課題が生じていました。既存事業についても組織化の必要性は強く感じていたので、社内のIT化に踏み切りました。それまでは工場内に設置した黒板で情報管理、共有を行うアナログな手法だったため、伝達のし忘れや、認識の齟齬が起きやすい環境だったこともIT化に踏み切った理由の1つです。
例えば弊社の強みの一つである多能工も、IT化する前にはデメリットがありました。複数の人が同時に同じ機械を必要とした場合、どうしても待機時間が発生するからです。待機時間が増えると、残業が増え、結果として社内全体の生産効率が悪くなります。そこで情報端末としてiPadを導入して、各作業者が端末で業務進捗を把握できるようにしたことで、生産性が一気に向上しました。また、手書きだった日報を電子化したことも社員の残業時間の短縮に繋がりました。他にも情報を一元化し、共有していくことで、ノウハウや知見が蓄積されて業務改善に繋がり、情報伝達の齟齬が起きにくくなりました。
IT化した結果、課題解決だけにとどまらず、職場環境の改善ができ、社員からは家族との時間を多く持てるようになったと喜びの声をもらっています。日本の全産業の平均有給消化率が約56%と言われる中、とりわけ製造業は約33%と最も悪い状況の中で、弊社の有給消化率は70%を超えることが出来ています。IT化をうまく取り入れ、中小企業の製造業の働き方について、弊社が一つのモデルケースとして先導し、業界全体の労働環境の底上げができればと思っています。
板金加工の技術を活かしてキャンプ用品市場に参入
製造業の基本的な業務は顧客企業から受注を受けてはじめて成立します。板金加工においては、弊社には精度の高い技術と実績があります。このノウハウを自らアピールして、売りに行けるようにしたいと以前から考えていました。販路拡大のための新分野参入を通して、もっと多くの人に弊社を認識していただき、個人の生活に寄り添っていきたいと思い、新規事業「K-LABO」というマーケティングプロジェクトを始めました。
「Makuake」というクラウドファンディングをベースに一般消費者向けに製品開発や販売、PRができるプラットフォームを活用して、キャンプがさらに楽しくなる厚さ9mmの分厚い鉄板や、焚き火台などをリリースしました。昨今のキャンプ需要の高まりと、弊社の板金屋としての技術を活かした分厚い鉄板などの特徴ある商品づくりを行っています。SNSマーケティングも積極的に行った結果、当初期待していた以上の反響があり、売上拡大に繋がっています。
事業形態を一本柱で経営していくことはリスクが高い時代になってきています。中小企業の製造業は特に取引先への依存体質や販路の集約化から打開することが必要です。日本全体の産業編成、災害、今回のようなコロナ禍による生活様式の変化など時世に合わせたビジネスモデルのかじ取りを柔軟にできる体制にしておくこと、またはそれらに向けた準備をしておくことが重要だと思います。
弊社の究極の目標は「自分達で考え、自分達で作り、自分達で売る」ことです。ものづくりの醍醐味はお客様に喜んで使っていただくことです。「K-LABO」からスタートして、現在は「HORIZON」というブランドを立ち上げて販売しています。ダイレクトにお客様の反応を感じることのできるこの事業を、今後弊社の二本目の柱として太く長く育てていきたいと考えています。
100年企業に向けて歩みを進める
弊社で最も大切にしているのは社員です。その社員には「この上代工業で仕事が出来て良かった」と感じる人生を歩んでもらいたいと考えています。社長として私が社員の人生に想いを馳せるように、社員には自身の業務が社会にどう役立っているのか、目の前の業務ではなく、その先を想像して欲しいと常々思っています。
現在はコロナ禍で出来ておりませんが、以前はエレベータの部品を設置する工事現場に見学に行く機会を作り、弊社製品が社会にどう役立っているのかを体感してもらうようにしていました。人々の暮らしをより豊かに、便利にしていくことは、ものづくりに携わる者の使命です。人々の喜ぶ顔を想像しながら業務にまい進していきます。
現在新しく沖縄の石垣市に設計業務専門の拠点を設ける計画をしています。一つのエリアに集中して人財を確保することが今後益々難しくなると思いますし、IT化を進めたことで勤務地にとらわれることなく実行できる業務も多くあることが分かりました。実験的にはなりますが、次なる50年経営に向けて挑戦できるものは積極的にやっていきます。社員と共に未来を見据えて様々なことに目を向け、地域に愛される100年企業へと進んでいきます。
小さな板金加工会社はエレベータ市場の拡大と共に上昇曲線へ
創業者である私の父は、プレス機械メーカーで設計者として勤めておりましたが、1968年に独立し、東京の大田区で板金加工の事業を始めました。1969年には、工場増設のために川崎市に移転し、1971年に法人化して上代工業株式会社を創立しました。その後、川崎区から現在の高津区下野毛に本社工場を移し、今日に至っております。
創業直後から近隣の工業地帯にある企業から仕事が回ってくるような状態で、愚直にコツコツとお客様のご要望に応えることで取引先や地域の皆さまからの信頼を得てきました。外資系エレベータメーカーの部品を手掛けていた時に、国内メーカーの知り合いから声がかかるようになり、それ以来レーザー加工を用いたエレベータ部品の製造がメイン事業となりました。
大都市圏における高層ビルが急激に増加し、日本のエレベータ業界は東芝(東芝エレベータ)、三菱電機(三菱電機ビルソリューションズ)、日立製作所(日立ビルシステム)の3大メーカーが牽引役となり、技術競争が進んできました。現在ではこの3社が市場のシェア7割を占めています。
弊社は東芝エレベータ株式会社を主要取引先に持ち、前述の技術競争をものづくりで支えてきました。エレベータは人を運ぶ乗り物です。命を運ぶ製品のものづくりに携わる者として、高精度かつ安全を担保するために社員一人一人の技術レベルの維持・向上に努める姿勢は社歴と共に根付いてきた弊社の文化となっています。
先代の背中から学び、経験する、そして社長就任へ
先代は経営者としても父としても寡黙な人で、言葉で何かを教えてもらったという記憶がありません。ただ、父に連れられて一緒に取引先に行き、社会人としてのマナーやお客様との接し方、商売のイロハ、そして弊社としての誇りのようなものを直接現場で学ぶ機会は多く与えてもらいました。
父の働く姿を日常の中で目にする環境で育ったこともあり、会社を継ぐことへの意識は幼少期からごく自然と備わっていました。弊社の仕事は大学在学中に手伝っていましたが、学生時代にはファッションやバイク、最先端のものへの興味が強く、弊社のビジネスへの関心はそこまで強くありませんでした。転機になったのは大学を中退して、すぐに東芝エレベータに入社した頃になります。本音を言えば当時、製造業や工場で働くこと自体に魅力を感じておらず、この業界で働くことが格好悪いとさえ思っていました。
父は私のそのような心境を察してなのか、主要取引先である東芝エレベータ株式会社に修行に行かせてくれました。3年間ほどお世話になりましたが、外から弊社を見ることで、上代工業の社員へ尊敬の念を抱くようになりました。ものづくりに全身全霊をかける姿や彼らの手でつくられたモノが全てのステークホルダーに喜ばれていることが、とてつもなく格好良く見えたのです。
弊社の特徴である短納期を可能としているのは多能工化です。多能工とは「一人で複数の業務や作業を行うこと、及び複数の技能や技術を持った作業者」を指します。決して多くはない社員数で様々なニーズに応えていくためには複数の設備を使いこなしマルチタスクをこなせる人財が必要です。修行先から弊社を客観視することで、社員の一人一人のスキルの高さやプロの職人として仕事に向き合う姿勢が当たり前ではなく、特別なことだと気が付くことが出来ました。一方で、修行先の大手企業と比べると弊社には生産体制など組織化されていない課題が山ほどあることが見て取れ、大きな気付きであり、学びになりました。
2020年7月に社長に就任してからは、課題だと感じていた組織化への取り組みを進めて、社員の働く環境作りにも注力しながら、本業を全うすることで社会にどんな影響を与えられるのか、弊社の役割について常に考えるようになりました。
社長に就任するタイミングについては自分で決めました。コロナ禍という目に見えない脅威に対抗するためにも、会社として新体制となる必要性を感じたこと、そして自分自身、最終的な責任を負う覚悟が決まったのがその理由です。
現在は、社長としての重圧を感じながら、10年後、30年後と永続経営し社員とその家族を守っていくためにはどうすべきかと、弊社の今後の在り方を模索する毎日です。社長となり、改めて振り返ると、父なりにいつか来る私への事業承継を見据えて常に背中を見せてくれていたのかもしれません。幼少期から父は仕事ばかりの人で、休みの日はほとんどなく、父と遊びに行くとしても会社や納品先に一緒に行くみたい形で常に仕事と結びついていましたが、父が背負っている責任を体験させることで、社長としての覚悟を私が自然に持てるようにアシストしてくれていたのだと感じています。
ITを活用した業務改善で生産性と社員の満足度を上げる
お客様の困りごとの相談や依頼は断らないという社風は創業時から守っている弊社のスタンスです。このスタンスのおかげでステークホルダーの皆様から信頼を得て、今まで手掛けてこなかった分野の開拓にも繋がりました。
ただ、新分野への取り組みに関する業務フローや管理体制は未整備だったことから、生産効率の低さや業務遂行における社員間の情報格差などの課題が生じていました。既存事業についても組織化の必要性は強く感じていたので、社内のIT化に踏み切りました。それまでは工場内に設置した黒板で情報管理、共有を行うアナログな手法だったため、伝達のし忘れや、認識の齟齬が起きやすい環境だったこともIT化に踏み切った理由の1つです。
例えば弊社の強みの一つである多能工も、IT化する前にはデメリットがありました。複数の人が同時に同じ機械を必要とした場合、どうしても待機時間が発生するからです。待機時間が増えると、残業が増え、結果として社内全体の生産効率が悪くなります。そこで情報端末としてiPadを導入して、各作業者が端末で業務進捗を把握できるようにしたことで、生産性が一気に向上しました。また、手書きだった日報を電子化したことも社員の残業時間の短縮に繋がりました。他にも情報を一元化し、共有していくことで、ノウハウや知見が蓄積されて業務改善に繋がり、情報伝達の齟齬が起きにくくなりました。
IT化した結果、課題解決だけにとどまらず、職場環境の改善ができ、社員からは家族との時間を多く持てるようになったと喜びの声をもらっています。日本の全産業の平均有給消化率が約56%と言われる中、とりわけ製造業は約33%と最も悪い状況の中で、弊社の有給消化率は70%を超えることが出来ています。IT化をうまく取り入れ、中小企業の製造業の働き方について、弊社が一つのモデルケースとして先導し、業界全体の労働環境の底上げができればと思っています。
板金加工の技術を活かしてキャンプ用品市場に参入
製造業の基本的な業務は顧客企業から受注を受けてはじめて成立します。板金加工においては、弊社には精度の高い技術と実績があります。このノウハウを自らアピールして、売りに行けるようにしたいと以前から考えていました。販路拡大のための新分野参入を通して、もっと多くの人に弊社を認識していただき、個人の生活に寄り添っていきたいと思い、新規事業「K-LABO」というマーケティングプロジェクトを始めました。
「Makuake」というクラウドファンディングをベースに一般消費者向けに製品開発や販売、PRができるプラットフォームを活用して、キャンプがさらに楽しくなる厚さ9mmの分厚い鉄板や、焚き火台などをリリースしました。昨今のキャンプ需要の高まりと、弊社の板金屋としての技術を活かした分厚い鉄板などの特徴ある商品づくりを行っています。SNSマーケティングも積極的に行った結果、当初期待していた以上の反響があり、売上拡大に繋がっています。
事業形態を一本柱で経営していくことはリスクが高い時代になってきています。中小企業の製造業は特に取引先への依存体質や販路の集約化から打開することが必要です。日本全体の産業編成、災害、今回のようなコロナ禍による生活様式の変化など時世に合わせたビジネスモデルのかじ取りを柔軟にできる体制にしておくこと、またはそれらに向けた準備をしておくことが重要だと思います。
弊社の究極の目標は「自分達で考え、自分達で作り、自分達で売る」ことです。ものづくりの醍醐味はお客様に喜んで使っていただくことです。「K-LABO」からスタートして、現在は「HORIZON」というブランドを立ち上げて販売しています。ダイレクトにお客様の反応を感じることのできるこの事業を、今後弊社の二本目の柱として太く長く育てていきたいと考えています。
100年企業に向けて歩みを進める
弊社で最も大切にしているのは社員です。その社員には「この上代工業で仕事が出来て良かった」と感じる人生を歩んでもらいたいと考えています。社長として私が社員の人生に想いを馳せるように、社員には自身の業務が社会にどう役立っているのか、目の前の業務ではなく、その先を想像して欲しいと常々思っています。
現在はコロナ禍で出来ておりませんが、以前はエレベータの部品を設置する工事現場に見学に行く機会を作り、弊社製品が社会にどう役立っているのかを体感してもらうようにしていました。人々の暮らしをより豊かに、便利にしていくことは、ものづくりに携わる者の使命です。人々の喜ぶ顔を想像しながら業務にまい進していきます。
現在新しく沖縄の石垣市に設計業務専門の拠点を設ける計画をしています。一つのエリアに集中して人財を確保することが今後益々難しくなると思いますし、IT化を進めたことで勤務地にとらわれることなく実行できる業務も多くあることが分かりました。実験的にはなりますが、次なる50年経営に向けて挑戦できるものは積極的にやっていきます。社員と共に未来を見据えて様々なことに目を向け、地域に愛される100年企業へと進んでいきます。
会社概要
社名 | 上代工業株式会社 |
創立年 | 1971年 |
代表者名 | 代表取締役 上代 健一 |
資本金 | 5,000万円 |
URL |
http://www.kamishiro.co.jp/
|
本社住所 |
〒213-0006 |
事業内容 | 2次元・3次元レーザー加工、製缶、機械加工、精密板金、組立、塗装、配送 |
関連会社 |
会社沿革
1968年 | 東京都大田区にて板金加工を行う上代工業を創業 |
1969年 | 増設のため川崎市川崎区に移転 |
1971年 | 上代工業株式会社として法人化 |
1973年 | 増設のため川崎市高津区の現在地に移転 |
1990年 | 事業拡大のため工場を増設 |
2002年 | レーザー加工導入のため工場を増設 |
2006年 | 事業拡大のため第二工場を増設 |
2010年 | レーザーパンチ複合加工機システム、ライン設備を導入 |
2013年 | 機械加工部門立上げ、マシニングを導入 |
2015年 | 第三工場竣工 |
2020年 | ファイバーレーザー加工機の導入 3Dプリンターの導入 『川崎市生産性向上・働き方改革推進事業者』として表彰される 上代 健一 代表取締役社長 就任 |
2021年 | 川崎市のSDGs「ゴールドパートナー」として認証 |
上代工業株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/01/26 (2024/05/27修正)
※本記事の内容および所属名称は2024年5月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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