宮城・仙台市青葉区
宮城 ・ 仙台市
仙台駅直結
第一ビル株式会社
自社の利益よりも、地域への還元や地域の発展に寄与することを重視
経営理念
私たちは、環境社会の実現に向けた企業努力と事業活動を心がけ、「環境との共生」を基本理念とし、行動していきます。
一、わたしたち社員一人ひとりが、公私共に「環境との共存」を自覚しています。
一、私たちは、美しい生活環境、社会環境を想像し、実現します。
一、私たちは、環境負担の低減に貢献し、持続可能な社会の発展に貢献します。
代表者メッセージ
弊社は、テナント事業者様の利益を第一として、地域への利益還元を追究し続けてまいりました。
おかげ様で順調に成長を続け、テナント事業者様のパートナーとして、最善のサービス提供とシステム構築により、駅前の大規模な共同開発と小規模ビルの再生に成功することができています。
また不動産賃貸業としての長年の実績により、地域の皆様のお役に立てるような体制、ノウハウ、体力も築かれたと実感しております。
地権者様の世代交代も進んでおりますが、何かあれば気軽にご相談いただけるような関係性が築かれています。良縁と歴史を礎として、次の世代のために挑戦を続けていくことが我々の使命です。
今後も、テナント事業者様の価値向上により賃料収益を最大化し、街の賑わい創出のお手伝いをすることで、信頼にお応えしてまいります。
地元・仙台市に育てていただいた会社として、ビルオーナー様の現状を改善しつつ、理想を追求し続け、社会課題の解決のお役に立ちたいと考えております。
代表取締役社長 佐々木 光雅
私たちのこだわり
2つの優良オフィスビルを所有
弊社は、私の祖父が創業しました。祖父の実家は、福島県平市(現:いわき市)で家具店を営んでいます。祖父は次男のために家を出て、仙台市内で家具店を開店しますが、1945年の仙台空襲で店舗を焼失します。そこで戦後は、仙台駅前に平屋の建物を建て「丸光」の名で雑貨店を開業しました。
戦後からの復興を追い風として順調に発展し、東北地方屈指の大型百貨店へと成長していきました。
同じ頃、仙台市中心部で戦後の再開発計画が持ち上がります。ただ、各地主さんとの交渉が難航し、見かねた祖父が調整役を引き受けたようです。最終的に再開発計画の一環として、祖父が地権者の方々から土地をお借りして、その上にオフィスビルを建てることが決まりました。
ここからテナントを集めて賃料を頂き、一方で地権者の方々に地代を払うという現在の事業形態が始まります。これに伴い1957年に丸光株式会社を設立、翌58年に第一ビル株式会社に商号変更しました。
そして、1960年に地下2階、地上8階建ての「第一ビル」が竣工します。駅前にあるこのビルは「ビルそのものが街である」をコンセプトに、オフィスに加え、居酒屋、宴会場などにも入ってもらい、屋上にはゴルフ練習場も設けました。当時の仙台ではオフィスビルは珍しく、第一ビル以外には東北電力様の電力ビルしかなかったそうです。
2008年に長年に渡って愛されたオフィスビルの建て替えを行い、地上19階建ての仙台マークワンを竣工しました。竣工当初は、リーマンショックの最中という大変な時期だったこともあり、地権者に向けた合意形成を行うための再開発の説明会から行い、3~5年は非常に苦労しましたが、仙台駅直結という好立地もあり、現在は入居率100%を達成しています。また2022年には一番町第一ビルも全面リニューアルし、こちらも入居率100%となっています。
仙台駅前の発展を見つめ、地域とともに成長してきた弊社としては、今後も仙台の不動産業界をリードし、見守り続ける責任があると考えています。
最初に教わった「テナント利益」
父は1967年に2代目社長となり、創業者の孫にあたる私は、いずれ3代目になると思いながら育ちました。大学卒業後は同業の三菱地所系のビルマネジメント会社に入社、6年間の修業期間を経て弊社に入ります。
このとき、先代である父から最初に学んだのが「テナント利益を一番に考える」ということです。「建物を守る」ことは、不動産管理業として当然の仕事であり、そのうえで、テナント事業者様の利益が上がり、成長できるよう支え続けることこそが大事だと感じています。
テナント事業者の成長には、同じビル内の異業種同士の交流がプラスに働くと考えた祖父は、交流の場づくりも大事にしていました。テナント事業者様の誘い合わせをしてゴルフコンペをしたり、屋上でカラオケ大会やビアパーティーを楽しんでもらったりもしました。単なる家主・店子を越えた関係があり、そこから新しい仕事のヒントや繋がりが生まれるケースもあったようです。
現在は情報漏洩や残業規制の問題などで厳しい世の中ですが、気軽に会話ができる機会をあえて復活させる方法も考えていきたいと思っています。
ビルは自分の家と同じように大切にする
ビルの建築には莫大な資金が必要であり、1つのビルを建てれば、50年以上運営する必要があります。また、ビルがあるかないかで周囲の景観に大きな影響を与えますし、人の流れや暮らしにどのようにマッチしていくことが出来るのかをビルを通じて考え続けなければなりません。移り変わる時代と共に、仙台という地域との調和を追及していくことが弊社の使命です。商売をさせていただく以上、創業来、揺らぐことのない仙台に対する愛を全うし、常に地域に対して感謝の姿勢を忘れず、地域と共に調和のとれた街づくりを目指していきます。
このような考えを経営者だけの思想とするのではなく、社員全員の共通認識とするため、常日頃から社員たちには、「いかに儲けるか」ではなく「いかに地域の方々の笑顔を引き出せるかだ」と、伝えています。
また、社員には「ビルは自分の家と同じだ」と考えるよう指導しています。たとえば床にゴミが落ちていたら、他人事だと無視するのでなく、自分で拾って捨てる、あるいは電球が切れていたら、自分で交換する、といった自分の家で当たり前にしていることを、職場でもできる人間になってもらいたいのです。このような小さなことの積み重ねが、社員たちの人間性を高め、魅力ある「第一ビルの〇〇さん」という一人一人が唯一無二の存在になれるような育成をしています。
同じように「総務だから営業の仕事はしない」「営業だから経理の仕事はしない」という考えもしません。中小企業の多くは、限られた人員の中、一人で2役3役を担いながら働いています。それは弊社も同様です。兼務型の組織体制の中、社員同士が「お互い様精神」を持つことは重要だと考えています。全員が兼務することで一人一人の負担を軽減させるだけでなく、チーム力も向上し、社員同士の関係性もより強固になっています。そのおかげか、結果として社員の定着率が高く、弊社を好んでくれています。今後も働いてくれている社員や、その社員を支えるご家族に安心感を与えつづけられる組織づくりを行っていきます。
「警備」と「清掃」の内製化を検討
仙台マークワンができた当時は、リーマンショックの影響で経営的に厳しい環境が続きました。そこから学んだのが、地域のお客様が安心して利用し、足を運びたいと思うようなテナント業者様に入っていただくことの重要さです。眼科などの医療系の事業者様に入居していただくことも一つであり、地域のお客様だけではなく、腕のいいドクターを慕ってわざわざ遠方からお越しになる患者様もいらっしゃいます。評判のいいクリニックや企業が駅前に入れば、地域の評判も上がり、他の企業の呼び水となる可能性も生まれます。
またテナント事業者様や、利用者の皆様に気持ちよい環境を提供するため、「警備」と「清掃」の内製化も考えています。警備や清掃は、テナント事業者様や利用者様が最も接するサービスの先端部であり、印象を左右する大事な仕事だからです。弊社の理念を理解し、お客様へのサービス提供として実践してもらうには、組織の一部であるという意識が最も大事だと考えています。内製化により、一貫した自社マインドをお客様にご提供できるようにすることで、お客様から「第一ビルさんがいい」と信頼され、選ばれるような組織を目指したいと考えています。
より良いサービス提供のため、弊社の理念にご賛同いただける警備会社や清掃会社との資本提携や業務提携を検討しています。仙台や東北に限らず、東京や関西、九州、さらには海外の企業も視野に入れています。
仙台の街と価値向上のため一緒に発展したい方を募集
人口流出率の高い東北は、事業承継問題が最も深刻なエリアであり、特に仙台市は支店経済都市であることから、他県の本社の動向に地域経済が左右され、行政・民間ともにハンドリングが難しい地域です。地域の発展には、地元企業を育て上げる土壌と、企業同士の連携力が必要であり、他県の経営感覚や手法を取り入れながら、不動産業者として仙台らしい地域づくりに協力していきたいと思っています。
仙台駅周辺はさらなる発展が見込まれ、それにふさわしい上質なサービスを追求し、ビルの付加価値を高めていく努力を続けていきます。ビルの価値は、テナント事業者様と弊社のビル管理のサービス提供によって飛躍的に向上します。テナントを利用する地域の皆様に喜んでいただけるような、付加価値の高い「場」を提供し、活気ある駅前の街づくりに努めることで、仙台のオフィスビルの平均賃料の底上げに繋げたいと思っています。中長期的には所有棟数や管理棟数も増やしていく計画もあり、これもまた警備と清掃について内製化を実現したい理由の一つです。
仙台で80年にわたり事業を営んできた弊社は、地元の方々から厚くご信頼いただいています。弊社と一緒になることで、ほかにもさまざまな仕事をご紹介できます。弊社の理念に賛同いただける方、一緒に発展したいと思われる方にお声がけしていただければ幸いです。
2つの優良オフィスビルを所有
弊社は、私の祖父が創業しました。祖父の実家は、福島県平市(現:いわき市)で家具店を営んでいます。祖父は次男のために家を出て、仙台市内で家具店を開店しますが、1945年の仙台空襲で店舗を焼失します。そこで戦後は、仙台駅前に平屋の建物を建て「丸光」の名で雑貨店を開業しました。
戦後からの復興を追い風として順調に発展し、東北地方屈指の大型百貨店へと成長していきました。
同じ頃、仙台市中心部で戦後の再開発計画が持ち上がります。ただ、各地主さんとの交渉が難航し、見かねた祖父が調整役を引き受けたようです。最終的に再開発計画の一環として、祖父が地権者の方々から土地をお借りして、その上にオフィスビルを建てることが決まりました。
ここからテナントを集めて賃料を頂き、一方で地権者の方々に地代を払うという現在の事業形態が始まります。これに伴い1957年に丸光株式会社を設立、翌58年に第一ビル株式会社に商号変更しました。
そして、1960年に地下2階、地上8階建ての「第一ビル」が竣工します。駅前にあるこのビルは「ビルそのものが街である」をコンセプトに、オフィスに加え、居酒屋、宴会場などにも入ってもらい、屋上にはゴルフ練習場も設けました。当時の仙台ではオフィスビルは珍しく、第一ビル以外には東北電力様の電力ビルしかなかったそうです。
2008年に長年に渡って愛されたオフィスビルの建て替えを行い、地上19階建ての仙台マークワンを竣工しました。竣工当初は、リーマンショックの最中という大変な時期だったこともあり、地権者に向けた合意形成を行うための再開発の説明会から行い、3~5年は非常に苦労しましたが、仙台駅直結という好立地もあり、現在は入居率100%を達成しています。また2022年には一番町第一ビルも全面リニューアルし、こちらも入居率100%となっています。
仙台駅前の発展を見つめ、地域とともに成長してきた弊社としては、今後も仙台の不動産業界をリードし、見守り続ける責任があると考えています。
最初に教わった「テナント利益」
父は1967年に2代目社長となり、創業者の孫にあたる私は、いずれ3代目になると思いながら育ちました。大学卒業後は同業の三菱地所系のビルマネジメント会社に入社、6年間の修業期間を経て弊社に入ります。
このとき、先代である父から最初に学んだのが「テナント利益を一番に考える」ということです。「建物を守る」ことは、不動産管理業として当然の仕事であり、そのうえで、テナント事業者様の利益が上がり、成長できるよう支え続けることこそが大事だと感じています。
テナント事業者の成長には、同じビル内の異業種同士の交流がプラスに働くと考えた祖父は、交流の場づくりも大事にしていました。テナント事業者様の誘い合わせをしてゴルフコンペをしたり、屋上でカラオケ大会やビアパーティーを楽しんでもらったりもしました。単なる家主・店子を越えた関係があり、そこから新しい仕事のヒントや繋がりが生まれるケースもあったようです。
現在は情報漏洩や残業規制の問題などで厳しい世の中ですが、気軽に会話ができる機会をあえて復活させる方法も考えていきたいと思っています。
ビルは自分の家と同じように大切にする
ビルの建築には莫大な資金が必要であり、1つのビルを建てれば、50年以上運営する必要があります。また、ビルがあるかないかで周囲の景観に大きな影響を与えますし、人の流れや暮らしにどのようにマッチしていくことが出来るのかをビルを通じて考え続けなければなりません。移り変わる時代と共に、仙台という地域との調和を追及していくことが弊社の使命です。商売をさせていただく以上、創業来、揺らぐことのない仙台に対する愛を全うし、常に地域に対して感謝の姿勢を忘れず、地域と共に調和のとれた街づくりを目指していきます。
このような考えを経営者だけの思想とするのではなく、社員全員の共通認識とするため、常日頃から社員たちには、「いかに儲けるか」ではなく「いかに地域の方々の笑顔を引き出せるかだ」と、伝えています。
また、社員には「ビルは自分の家と同じだ」と考えるよう指導しています。たとえば床にゴミが落ちていたら、他人事だと無視するのでなく、自分で拾って捨てる、あるいは電球が切れていたら、自分で交換する、といった自分の家で当たり前にしていることを、職場でもできる人間になってもらいたいのです。このような小さなことの積み重ねが、社員たちの人間性を高め、魅力ある「第一ビルの〇〇さん」という一人一人が唯一無二の存在になれるような育成をしています。
同じように「総務だから営業の仕事はしない」「営業だから経理の仕事はしない」という考えもしません。中小企業の多くは、限られた人員の中、一人で2役3役を担いながら働いています。それは弊社も同様です。兼務型の組織体制の中、社員同士が「お互い様精神」を持つことは重要だと考えています。全員が兼務することで一人一人の負担を軽減させるだけでなく、チーム力も向上し、社員同士の関係性もより強固になっています。そのおかげか、結果として社員の定着率が高く、弊社を好んでくれています。今後も働いてくれている社員や、その社員を支えるご家族に安心感を与えつづけられる組織づくりを行っていきます。
「警備」と「清掃」の内製化を検討
仙台マークワンができた当時は、リーマンショックの影響で経営的に厳しい環境が続きました。そこから学んだのが、地域のお客様が安心して利用し、足を運びたいと思うようなテナント業者様に入っていただくことの重要さです。眼科などの医療系の事業者様に入居していただくことも一つであり、地域のお客様だけではなく、腕のいいドクターを慕ってわざわざ遠方からお越しになる患者様もいらっしゃいます。評判のいいクリニックや企業が駅前に入れば、地域の評判も上がり、他の企業の呼び水となる可能性も生まれます。
またテナント事業者様や、利用者の皆様に気持ちよい環境を提供するため、「警備」と「清掃」の内製化も考えています。警備や清掃は、テナント事業者様や利用者様が最も接するサービスの先端部であり、印象を左右する大事な仕事だからです。弊社の理念を理解し、お客様へのサービス提供として実践してもらうには、組織の一部であるという意識が最も大事だと考えています。内製化により、一貫した自社マインドをお客様にご提供できるようにすることで、お客様から「第一ビルさんがいい」と信頼され、選ばれるような組織を目指したいと考えています。
より良いサービス提供のため、弊社の理念にご賛同いただける警備会社や清掃会社との資本提携や業務提携を検討しています。仙台や東北に限らず、東京や関西、九州、さらには海外の企業も視野に入れています。
仙台の街と価値向上のため一緒に発展したい方を募集
人口流出率の高い東北は、事業承継問題が最も深刻なエリアであり、特に仙台市は支店経済都市であることから、他県の本社の動向に地域経済が左右され、行政・民間ともにハンドリングが難しい地域です。地域の発展には、地元企業を育て上げる土壌と、企業同士の連携力が必要であり、他県の経営感覚や手法を取り入れながら、不動産業者として仙台らしい地域づくりに協力していきたいと思っています。
仙台駅周辺はさらなる発展が見込まれ、それにふさわしい上質なサービスを追求し、ビルの付加価値を高めていく努力を続けていきます。ビルの価値は、テナント事業者様と弊社のビル管理のサービス提供によって飛躍的に向上します。テナントを利用する地域の皆様に喜んでいただけるような、付加価値の高い「場」を提供し、活気ある駅前の街づくりに努めることで、仙台のオフィスビルの平均賃料の底上げに繋げたいと思っています。中長期的には所有棟数や管理棟数も増やしていく計画もあり、これもまた警備と清掃について内製化を実現したい理由の一つです。
仙台で80年にわたり事業を営んできた弊社は、地元の方々から厚くご信頼いただいています。弊社と一緒になることで、ほかにもさまざまな仕事をご紹介できます。弊社の理念に賛同いただける方、一緒に発展したいと思われる方にお声がけしていただければ幸いです。
会社概要
社名 | 第一ビル株式会社 |
創立年 | 1957年 |
代表者名 | 代表取締役社長 佐々木 光雅 |
資本金 | 1,550万円 |
URL |
https://www.dai1bldg.co.jp/
|
本社住所 |
〒980-8485 022-265-4311 |
事業内容 | 不動産賃貸、建物管理 |
会社沿革
1957年 | 初代代表取締役社長佐々木光男が「丸光株式会社」設立 |
1958年 | 「第一ビル株式会社」に商号変更・「第一ビル」起工 |
1960年 | 「第一ビル」竣工 ※仙台駅西口 |
1965年 | 「第一駐車場株式会社」を設立 |
1967年 | 第一駐車場株式会社を合併・代表取締役社長に佐々木正一が就任 「一番町第一ビル(※旧 飯田ビル)」竣工 |
1986年 | 代表取締役社長佐々木正一が仙台ビルディング協会会長に就任 |
1998年 | 仙塩広域都市計画中央一丁目第二地区第一種市街地再開発事業促進協議会 発足 |
2003年 | 中央一丁目第二地区第一種市街地再開発事業都市計画 決定 |
2004年 | 市街地再開発組合を設立し佐々木正一が理事長就任 株式会社パルコと基本協定書 および 参加組合契約を締結 |
2005年 | 代表取締役社長に佐々木光雅が就任 代表取締役会長に佐々木正一が就任 |
2006年 | 店舗、業務施設の複合ビルの名称を「仙台マークワン」に決定 中央一丁目第二地区第一種市街地再開発工事着工 |
2008年 | 中央一丁目第二地区第一種市街地再開発竣工、仙台マークワン管理組合設立 「仙台マークワン」竣工、 「仙台パルコ」開店 リーマンショック |
2009年 | 平成21年度市街地再開発等関係功労者表彰 平成21年度まちづくり月間国土交通大臣表彰 |
2011年 | 東日本大震災 |
2013年 | 仙台市と杜の都景観協定締結 |
2017年 | 宮城テレビ 「OH!バンデス」 テレビ中継撮影開始(現在も継続中) |
2020年 | 「仙台マークワンお花いっぱいプロジェクト」にて花壇を設置 |
2022年 | 「一番町第一ビル」 全面リニューアル完了 |
公開日:2024/09/11 (2024/10/01修正)
※本記事の内容および所属名称は2024年10月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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