福島・白河市
福島 ・ 白河市
引継ぎ実績あり
創業から
株式会社あおき
「正直であれ、誠実であれ」を企業理念に、丁寧なサポートが強み
経営理念
企業理念
私たちは祈りをもって奉仕します
私たちは新しい価値を創造します
人に地球にやさしい企業を目指します
我々の使命
『絆が深まり家族の仲が良くなる社会の創造』
我々の成果
『お客様が故人や自分の想いを葬儀を通じて表現でき、「ありがとう」とこころから言われること』
『正直』であれ、『誠実』であれ
代表者メッセージ
弊社は、1896年に福島県白河市で創業しました。
創業以来120年以上もの間、地域密着型の葬儀社として最大限のサポートをさせていただくことで、信用と実績を積み重ねて参りました。
弊社には厚生労働省認定の「葬祭ディレクター」をはじめ、「事前相談員」、「シニアライフマネージャー」資格の保有者が多数在籍しており、ご遺族の方に安心して葬祭サービスを受けていただくことができます。
現代は、「人生100年時代」です。弊社では、人生最期だけではなく、誰もが100年の人生を謳歌するためにすべきことを常に考え、挑戦し続けていきます。
「令和」という新しい時代を迎え、次なる時代も皆様より変わらぬ信頼をいただけるよう毎日を積み重ねていく所存です。
今後もご葬家の身になり、ご遺族に安心をご提供できるよう、お客様との「心のかけ橋」をモットーに社員一同邁進して参ります。
代表取締役社長 青木 大
私たちのこだわり
創業120年を超える地域密着型の葬儀社
弊社は、1896年に福島県白河市で創業した葬儀社です。
現在も弊社の本店を構える地である白河市大工町という地名は、白河城下町で宮大工が集まり住んでいたことが由来とされています。創業者は宮大工として働いていましたが、棺の制作を請負うことから事業を発展させ、葬祭業を専門で行うようになりました。以来、白河市に密着した葬儀社として事業を展開し、1974年に法人化しました。
かつて、葬儀は寺院や自宅で執り行うのが一般的でしたが、30年ほど前からは斎場が主流になり、平成という時代は会葬者が数百人を超える大きな規模の葬儀が増えました。
そして、コロナ禍を経た令和の現在では、より小規模な人数で見送る家族葬が増加しています。
このように、葬儀の形は時代とともに大きく変化してきましたが、何よりも「故人とご遺族の想いを大切にして、心に残る葬儀を実現する」ということを心がけています。
子どものころから家業を継ぐことを意識
私は青木家の長男として生まれ、小中高と地元の福島で育ちました。両親から家業について何か言われたことはありませんが、物心ついたころから「継ぎたい」という意思を持っていました。
高校卒業後は東京都内の専門学校に3年ほど通ったのち、修行として、京都の大手葬儀会社で2年間勤務しました。大企業の業務プロセスや、経営戦略を学べたことはとても貴重な経験でした。また、のちに自社を客観的に見る目を養うこともできたように感じます。
そして、23歳で福島に戻り、弊社に入社しました。
当時代表を務めていた父は、PCがまだ「マイコン」と呼ばれていた時代にいち早く導入するほど、進取の気性に富む人でした。手書きが主流だったハガキや封筒の宛名を、自動記入するプログラムを自分たちで組んでおり、いわば時代を先取りして業務の一部をDX化していたようなものです。先進的な取り組みに前向きな父の姿勢は学ぶべきことが多く、私自身にも良い影響を与えてくれたように思います。
しかし、父のやり方を押し付けられたことはなく、自主性を尊重してもらいながら働くことができました。中でも日本JC(注:日本青年会議所)の活動を心置きなくさせてくれたことはとても感謝しています。
JCでの経験は、弊社の経営を考える上で大きな学びとなりました。同業者との繋がりもできたことで、のちの事業展開で協力してもらえる仲間を得ることができました。
東日本大震災の年に代表取締役就任
父が60歳を過ぎ、代替わりも近いかと思い始めたころ、東日本大震災が発生しました。
福島をはじめ東北地方に深い傷を残した震災は、福島県白河市にある弊社にとっても衝撃的な出来事でした。震災後も父は精力的に活動を続けていましたが、2011年の秋に社長を退任し、私が後を継ぐことになりました。なぜそのタイミングだったのかは今でも分かりません。震災を機に代替わりをした東北地方の企業は多いので、父も思うところがあったのかもしれませんが、私は「後は任せる」という父からのメッセージとして受け取りました。
私にとっても、京都での修業時代に阪神・淡路大震災が発生し、16年後に今度は地元福島で再び震災に遭遇したことは大きな転機でした。
多くの人の「死」と直面し、葬儀社の仕事の重さを改めて痛感したのです。身が引き締まる思いを抱きながら、代表取締役に就任しました。
即応力と変化を恐れずチャレンジしていく姿勢が強み
弊社は、時代や顧客ニーズの変化に対応するため、サービスの内製化を進めてきました。内製化によって迅速な対応や臨機応変なサービスが可能となり、顧客満足度の向上に繋げることができます。
また、すべての業務を社内で管理することで、貴重なノウハウが社内に蓄積されるため、社員のスキルアップと人財育成を図ることができるのです。
また、弊社は新しいことにも積極的にチャレンジします。
コロナ禍では「3密」を避けるため大勢の人が集まれないという状況下で、最期を見送りたいという方のためにYouTubeを活用したオンライン葬儀を開始しました。
社内のDX化も進めており、YouTubeの広告やリスティング広告(注:検索エンジンにおける検索結果と連動して表示される広告)も自社で運用しています。取り組む理由は、現代における葬儀社の競争相手は、葬儀仲介のウェブサイトであると考えているためです。淘汰されることを避けるためにも、DX化やWebマーケティングの内製化を推し進めていきます。
新たな弔いの形である「樹木葬」
弊社が新たに提供を開始した、「都市型樹木葬」というプランがあります。
一般的な「樹木葬」とは、周囲の樹木を墓碑とし、許可を得た区画内に遺骨を埋葬します。弊社の場合は少し異なり、集合型の区画に個別の小さな石碑と納骨室を設けて埋葬し、そして33回忌をもって合葬墓に遺骨を移して永代で供養するものです。後継ぎがいらっしゃらない方でも安心してご利用ができ、宗教・宗派に捉われることなくご活用いただけるなどのメリットがあります。
ご提供を開始すると、想像以上のお問い合わせをいただきました。移り変わる時代と共に埋葬の在り方、ご供養の方法など常に地域の方々からの声を聞くことが重要なのだと再認識しました。
正直に、かつ誠実にお客様に接すること
現在、弊社にはパート社員を含めて120名在籍しています。
採用の際に重視しているのは人柄です。弊社は、人生最後の儀式である葬儀に立ち会う会社なので、正直かつ誠実にお客様に接して、「ありがとう」と言ってもらえるような人でなければ務まりません。
私が社長に就任してからは、社員教育に力を入れてきました。未経験の社員にも「プロの接客」ができるよう、基本から丁寧に指導します。
皆、『「正直」であれ、「誠実」であれ』という理念通り、愚直で真面目に仕事に取り組んでくれています。お客様からも「細かいところに気が利く」など、良い評価をいただくことができ、顧客満足度の向上に貢献してくれているのです。
課題として、新人教育があげられます。今後、新卒採用に力を入れていく予定であるためです。
まずは社員たちが、後輩・部下を育てるという育成体系の構築を進めていきます。ベテラン社員や若手社員、全ての社員の個性をかけ合わせることで、会社をさらに発展させていけるのではと期待しています。
「出会えてよかった」と思われる会社に
弊社は2020年と2023年の2回、M&Aで県内の同業他社をグループに迎え入れました。
両社ともに後継者不在という理由での承継です。後継者不在による廃業を防ぎ、加えて、M&Aによってシナジー効果を発揮し、さらなる発展を目指したいと考え2社を承継しました。
双方にとって良いM&Aとするため、ガラッと変化させるのではなく、お互いに協力していく姿勢を重視しました。
M&Aは、買い手側は自社の成長だけを考えるのではなく、売り手企業が地域内で活躍し続ける場を作るものであると思います。今後も、業種や地域に縛られず、考えが合致した会社を引き受けることで、社会貢献に繋げていきます。
私の基本的な考え方として、弊社と出会った方たちに、「出会えてよかった」と思ってもらえるような会社でありたいと思っています。もちろん社員たちにも、M&A先の社員にも「勤めてよかった」と思えるような会社にしていきます。
そういう方を増やしていくことが、社内だけはなく、地域全体の雇用創出や発展に繋がると考えています。
創業120年を超える地域密着型の葬儀社
弊社は、1896年に福島県白河市で創業した葬儀社です。
現在も弊社の本店を構える地である白河市大工町という地名は、白河城下町で宮大工が集まり住んでいたことが由来とされています。創業者は宮大工として働いていましたが、棺の制作を請負うことから事業を発展させ、葬祭業を専門で行うようになりました。以来、白河市に密着した葬儀社として事業を展開し、1974年に法人化しました。
かつて、葬儀は寺院や自宅で執り行うのが一般的でしたが、30年ほど前からは斎場が主流になり、平成という時代は会葬者が数百人を超える大きな規模の葬儀が増えました。
そして、コロナ禍を経た令和の現在では、より小規模な人数で見送る家族葬が増加しています。
このように、葬儀の形は時代とともに大きく変化してきましたが、何よりも「故人とご遺族の想いを大切にして、心に残る葬儀を実現する」ということを心がけています。
子どものころから家業を継ぐことを意識
私は青木家の長男として生まれ、小中高と地元の福島で育ちました。両親から家業について何か言われたことはありませんが、物心ついたころから「継ぎたい」という意思を持っていました。
高校卒業後は東京都内の専門学校に3年ほど通ったのち、修行として、京都の大手葬儀会社で2年間勤務しました。大企業の業務プロセスや、経営戦略を学べたことはとても貴重な経験でした。また、のちに自社を客観的に見る目を養うこともできたように感じます。
そして、23歳で福島に戻り、弊社に入社しました。
当時代表を務めていた父は、PCがまだ「マイコン」と呼ばれていた時代にいち早く導入するほど、進取の気性に富む人でした。手書きが主流だったハガキや封筒の宛名を、自動記入するプログラムを自分たちで組んでおり、いわば時代を先取りして業務の一部をDX化していたようなものです。先進的な取り組みに前向きな父の姿勢は学ぶべきことが多く、私自身にも良い影響を与えてくれたように思います。
しかし、父のやり方を押し付けられたことはなく、自主性を尊重してもらいながら働くことができました。中でも日本JC(注:日本青年会議所)の活動を心置きなくさせてくれたことはとても感謝しています。
JCでの経験は、弊社の経営を考える上で大きな学びとなりました。同業者との繋がりもできたことで、のちの事業展開で協力してもらえる仲間を得ることができました。
東日本大震災の年に代表取締役就任
父が60歳を過ぎ、代替わりも近いかと思い始めたころ、東日本大震災が発生しました。
福島をはじめ東北地方に深い傷を残した震災は、福島県白河市にある弊社にとっても衝撃的な出来事でした。震災後も父は精力的に活動を続けていましたが、2011年の秋に社長を退任し、私が後を継ぐことになりました。なぜそのタイミングだったのかは今でも分かりません。震災を機に代替わりをした東北地方の企業は多いので、父も思うところがあったのかもしれませんが、私は「後は任せる」という父からのメッセージとして受け取りました。
私にとっても、京都での修業時代に阪神・淡路大震災が発生し、16年後に今度は地元福島で再び震災に遭遇したことは大きな転機でした。
多くの人の「死」と直面し、葬儀社の仕事の重さを改めて痛感したのです。身が引き締まる思いを抱きながら、代表取締役に就任しました。
即応力と変化を恐れずチャレンジしていく姿勢が強み
弊社は、時代や顧客ニーズの変化に対応するため、サービスの内製化を進めてきました。内製化によって迅速な対応や臨機応変なサービスが可能となり、顧客満足度の向上に繋げることができます。
また、すべての業務を社内で管理することで、貴重なノウハウが社内に蓄積されるため、社員のスキルアップと人財育成を図ることができるのです。
また、弊社は新しいことにも積極的にチャレンジします。
コロナ禍では「3密」を避けるため大勢の人が集まれないという状況下で、最期を見送りたいという方のためにYouTubeを活用したオンライン葬儀を開始しました。
社内のDX化も進めており、YouTubeの広告やリスティング広告(注:検索エンジンにおける検索結果と連動して表示される広告)も自社で運用しています。取り組む理由は、現代における葬儀社の競争相手は、葬儀仲介のウェブサイトであると考えているためです。淘汰されることを避けるためにも、DX化やWebマーケティングの内製化を推し進めていきます。
新たな弔いの形である「樹木葬」
弊社が新たに提供を開始した、「都市型樹木葬」というプランがあります。
一般的な「樹木葬」とは、周囲の樹木を墓碑とし、許可を得た区画内に遺骨を埋葬します。弊社の場合は少し異なり、集合型の区画に個別の小さな石碑と納骨室を設けて埋葬し、そして33回忌をもって合葬墓に遺骨を移して永代で供養するものです。後継ぎがいらっしゃらない方でも安心してご利用ができ、宗教・宗派に捉われることなくご活用いただけるなどのメリットがあります。
ご提供を開始すると、想像以上のお問い合わせをいただきました。移り変わる時代と共に埋葬の在り方、ご供養の方法など常に地域の方々からの声を聞くことが重要なのだと再認識しました。
正直に、かつ誠実にお客様に接すること
現在、弊社にはパート社員を含めて120名在籍しています。
採用の際に重視しているのは人柄です。弊社は、人生最後の儀式である葬儀に立ち会う会社なので、正直かつ誠実にお客様に接して、「ありがとう」と言ってもらえるような人でなければ務まりません。
私が社長に就任してからは、社員教育に力を入れてきました。未経験の社員にも「プロの接客」ができるよう、基本から丁寧に指導します。
皆、『「正直」であれ、「誠実」であれ』という理念通り、愚直で真面目に仕事に取り組んでくれています。お客様からも「細かいところに気が利く」など、良い評価をいただくことができ、顧客満足度の向上に貢献してくれているのです。
課題として、新人教育があげられます。今後、新卒採用に力を入れていく予定であるためです。
まずは社員たちが、後輩・部下を育てるという育成体系の構築を進めていきます。ベテラン社員や若手社員、全ての社員の個性をかけ合わせることで、会社をさらに発展させていけるのではと期待しています。
「出会えてよかった」と思われる会社に
弊社は2020年と2023年の2回、M&Aで県内の同業他社をグループに迎え入れました。
両社ともに後継者不在という理由での承継です。後継者不在による廃業を防ぎ、加えて、M&Aによってシナジー効果を発揮し、さらなる発展を目指したいと考え2社を承継しました。
双方にとって良いM&Aとするため、ガラッと変化させるのではなく、お互いに協力していく姿勢を重視しました。
M&Aは、買い手側は自社の成長だけを考えるのではなく、売り手企業が地域内で活躍し続ける場を作るものであると思います。今後も、業種や地域に縛られず、考えが合致した会社を引き受けることで、社会貢献に繋げていきます。
私の基本的な考え方として、弊社と出会った方たちに、「出会えてよかった」と思ってもらえるような会社でありたいと思っています。もちろん社員たちにも、M&A先の社員にも「勤めてよかった」と思えるような会社にしていきます。
そういう方を増やしていくことが、社内だけはなく、地域全体の雇用創出や発展に繋がると考えています。
会社概要
社名 | 株式会社あおき |
創立年 | 1896年 |
代表者名 | 代表取締役社長 青木 大 |
資本金 | 2,500万円 |
URL |
https://aokisaien.com/
|
本社住所 |
〒961-0051 |
事業内容 | 冠婚葬祭業・ギフト・霊柩車事業 |
事業エリア |
本店/仏壇店 〒961-0936 |
郡山支店 〒963-0201 |
|
矢吹支店 〒962-0222 |
|
あおき白河斎苑 〒961-0075 |
|
あおき南湖斎苑 〒961-0047 |
|
あおき小峰斎苑 〒961-0957 |
|
ゆかり苑 〒961-0044 |
|
一草庵 〒961-0044 |
|
ファミリーホール白河 〒961-0955 |
|
あおき西郷斎苑 〒961-8031 |
|
あおき矢吹斎苑 〒969-0222 |
|
あおき郡山斎苑 〒963-8822 |
|
あおき安積斎苑 〒963-0117 |
|
あおき大槻斎苑 〒963-0201 |
|
やすらぎ苑 〒963-0201 |
|
家族葬邸宅デュエ郡山亀田 ご安置レジデンス郡山 〒963-8033 |
|
メモリアルギャラリー白河/BLUE TREE CAFE 〒961-0936 |
|
メモリアルギャラリー郡山 〒963-0201 |
|
関連会社 |
会社沿革
1896年 | 創業 初代 青木 源五郎 |
1974年 | 株式会社あおき 設立 資本金1,000万円 |
1977年 | 本社新社屋 落成 矢吹支店 設立 |
1978年 | (有)白河葬祭と合併、昭和町配送センター設置 |
1980年 | 資本金2,500万円に増資 |
1981年 | 黒磯支店 設立 |
1986年 | ふくしま互助会白河営業所 開設 |
1987年 | 郡山支店 設立 |
1988年 | 配送センターを昭和町より観音前へ移転 |
1989年 | 大工町仏壇展示場 開設 |
1991年 | 矢吹支店 新社屋落成移転 |
1993年 | 本部を大工町より観音前へ移転 葬祭式場あおき斎苑 開設 |
1994年 | 通夜場一草庵 開設 |
1997年 | 通夜場ゆかり苑 開設 葬祭式場あおき安積斎苑 開設 |
2001年 | 葬祭式場あおき采女斎苑 開設 |
2003年 | 葬祭式場あおき白河斎苑 開設 |
2004年 | 葬祭式場あおき矢吹斎苑 開設 |
2005年 | あおき斎苑の名称をあおき南湖斎苑に変更 |
2006年 | 葬祭式場あおき小峰斎苑 開設 郡山支店を大槻町へ移転 通夜場あおき大槻やすらぎ苑 開設 葬祭式場あおき大槻斎苑 開設 |
2009年 | 葬祭式場あおき郡山斎苑 開設 |
2015年 | 葬祭式場ファミリーホール白河 開設 |
2016年 | 葬祭式場あおき西郷斎苑 開設 |
2017年 | 黒磯支店 閉鎖 |
2020年 | 有限会社スズキ造花店(棚倉町)を子会社化 スズキ造花店メモリアルギャラリー 開設 |
2022年 | メモリアルギャラリー郡山 開設 都市型樹木葬墓地 グリーンメモリアル郡山 開設 |
2023年 | 家族葬邸宅デュエ郡山亀田 開設 ご安置レジデンス郡山 開設 都市型樹木葬墓地 グリーンメモリアル郡山山王舘 開設 メモリアルギャラリー白河 開設 BLUE TREE CAFE 開設 有限会社金沢(須賀川市)を子会社化 |
公開日:2024/07/01
※本記事の内容および所属名称は2024年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。
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