名古屋市守山
名古屋市
日本の電力インフラを支える銅ブスバー・銅部品の加工メーカー
株式会社石垣商店
一瞬一生の経験が未来への跳躍力につながる人と技術の伝導力
経営理念
社員が明るく
幸せな人生を歩む
お客様に喜ばれ、感謝される
地域や環境と共にある
代表者メッセージ
当社は昭和23年(1948年)に銅板・真鍮板の卸売業として創業いたしました。
その後、日本の電力インフラの発展とともに銅加工事業へと領域を広げ、現在では銅ブスバーを中心とした電力設備向け銅加工メーカーとして事業を展開しております。
長年にわたり銅という素材と向き合い、加工技術と品質を磨き続けてきたことで、変圧器・受配電設備など電力インフラ分野のお客様を中心に、多くの企業様にご信頼をいただいてまいりました。
近年、社会は大きく変化しています。
再生可能エネルギーの拡大、EVや蓄電池の普及などにより、電力インフラを支える技術の重要性はますます高まっています。
私たちは、これまで培ってきた銅加工の技術と現場力を基盤に、新しい時代の電力インフラを支える企業であり続けたいと考えています。
そのために、設備投資や人材育成に加え、AIやデジタル技術の活用にも積極的に取り組み、技術と知識を次世代へとつないでいきます。
銅の価値を通じて社会に貢献し、お客様・パートナー・社員とともに成長していくこと。
そして「銅と生き、未来をつくる」という想いのもと、電力インフラを支えるものづくり企業として、これからも挑戦を続けてまいります。
代表取締役 石垣 雅裕
私たちのこだわり
変圧器向け銅部品の加工をワンストップで受注
1948年に伸銅品の卸売業として創業し、現在は変圧器向け銅部品加工メーカーとなった名古屋市守山区の企業です。大電流を効率的に分配・導電するブスバーをはじめ、棒・条・板など約1,000品種の製作実績があり、月間の生産総量は約3万個に上ります。材料調達から加工、めっきまでをワンストップで請け負っています。取扱製品のうち銅製品が約9割を占め、加工のために取扱う銅の量は中小企業としては比較的多い年間150トンほどとなっています。2026年5月期は、売上高約9億6,000万円となる見通しで、利益についても過去最高を更新する見込みです。
創業者の祖父の代に卸売から加工業へと軸を移す
当社は、祖父が1948年に個人業としてスタートした伸銅品の卸売が事業の端緒となっています。名古屋市内には、かつて祖父が勤めていた大きな問屋がありましたが、その後、勤務先の問屋が倒産してしまい、祖父を含む社員たちはそれぞれ独立して名古屋地区で問屋を営むようになったそうです。祖父は銅や真鍮、アルミなどの卸売業を少しずつ拡大させ、創業から3年後の1951年には石垣商店を設立しました。
その後、創業から20年ほどの間に、現在の主要取引先となる愛知電機株式会社から加工依頼を受け、それをきっかけに徐々に銅の加工業へと軸を移していきました。祖父は28年ほど社長を務め、祖父の亡くなった後の1979年には、2代目である父が25歳の若さで事業を継ぎました。
可能性を探るため挑んだヘアメイクアップアーティストの道
現在3代目の私は、1986年に名古屋市に生まれました。花や植物、海、自然が好きで、花を生けることやアート領域の作品を見るのもつくるのも昔から好きでした。先代の父は、あまり喋らず真面目な職人気質の経営者で、息子の私を頭ごなしに叱ったり反対したりすることはなく、何でも自由に挑戦させてくれました。ただ、後を継いでほしいと言われたことはなく、会社として何をしているのかも私は知らずにいたので、大学の経営学部に進学してからも「この先どうしよう」という迷いがつきまとい続けていました。
大学在学中、どのような道に進むべきか思い悩んでいたとき、ヘアメイクアップアーティストの加茂克也さんの作品が目にとまりました。私も、自分の好きな仕事を通じて、人の心に残る作品をつくりたいと思うようになり、大学に通いながら美容室で働き、美容師免許を取得しました。
しかし、ヘアメイクアップアーティストへの道は大変険しく、心のどこかに「うまくいかなければ家業に戻ればいい」という甘えもありました。そのため、何事にも本気で向き合いきれないもどかしさを抱えていました。自分で選んだ好きな仕事にさえ没頭できないのであれば、ほかの道を選んでも同じではないか。そう考え、24歳のときに父へ「石垣商店に入れてください」と頭を下げ、家業に入社しました。
会社や自身の成長のため次期経営者として試行錯誤を重ねる
入社後は、まずは製造スタッフとして現場に入りました。機械よりも手で加工する工程が多く、ヘアメイクアップアーティストを目指していた私にとって、現場作業はとても楽しいものでした。加工作業のほかにも営業や配達、経理を経験し、26歳の頃には財務の勉強として簿記2級を取得し、27歳の頃からは経営者としての勉強を自主的に始め、28歳のときに取締役に就任しました。
取締役になってからは採用にも携わるようになり、次期経営者として社員の話を聞くために、半年に1回のペースで全社員との面談を始めました。この面談は「世の中のいい会社やいい経営者は社員の話を聞くものだ」とのイメージからスタートしたもので、代表となる少し前までには2カ月に1回のペースを上げることで少しでも社内の意見を集めようとしていましたが、いい結果にはつながりませんでした。
また、2015年ごろからは、銅の加工業者として社外への発信に力を入れようと思い、展示会に参加するようになりました。銅の加工技術や美しさを見てほしいという一心で出展を続けましたが、今思えば、売上を伸ばしネットワークを広げるためというよりも、銅の魅力を表現したい私自身の気持ちの方が先立っていたように思います。2016年に取得したISOも、製造業としてISOを取得しておいた方がお客様に安心してもらえるだろうとの思いからスタートしました。はじめは体裁を整える目的でしたが、ISOの規格に則ったPDCAのサイクルが少しずつ社内になじみ、現在は品質改善に役立つようになったと感じています。
社内の改善や改革だけでなく、私自身も経営者としての学びを深めようと思い、30歳のときには中小企業診断士の資格を取得しました。中小企業診断士の資格取得のきっかけは、中小機構の相談窓口や経営者の勉強会で講師として教鞭を執っているのが診断士で、診断士の資格を取得できれば経営も楽にこなせるようになるだろうと思ったからです。
診断士の資格は、資格取得によって経営が簡単になるわけではありませんでしたが、物事を多面的に捉え、課題を整理するための方法論を身につけられたことは、現在の経営にも生きています。が、考え方の切り口を変え整理する方法論として学べたのがよかったと思っています。診断士の勉強をはじめた同時期の2013年からは、製造業を支援する「ものづくり補助金」の公募がスタートし、補助金の審査員である診断士の目線で自社の申請書を書けるようになったのもメリットでした。
人生の一瞬に向き合い主体的に生きる大切さを実感
覚悟を決めて入社してからの私には、できるだけ早く経営を担いたいという強い思いがありました。取締役に就任してからは、その意思を父にも繰り返し伝え、母や税理士法人の代表を務める親族にも相談しながら、約1年にわたって事業承継の時期について話し合いました。先代である父にとっても、長年守り育ててきた会社を次の世代へ託すことは、大きな決断だったと思います。そうした話し合いを重ねた末、2019年、33歳のときに私が代表取締役に就任し、約40年にわたり代表を務めた父は会長となりました。
ところが、社長就任の半年後にはコロナ禍となり、売上が20~30%下がって利益も出しづらくなっていきました。何かしら行動を起こさねば改善は見込めず、商談会やオンラインも含めた展示会に積極的に出展し、少しでも売上につなげようと必死に取り組んでいきました。計画や見通しもなく出展していた以前とは違って、売上や新規顧客をつくるという目的が戦略として定まり、売上や利益に結びつく展示会とそうでないものがあることに気づけたことが、大きな収穫だったと思います。
コロナ禍でどう進むべきか迷っていた時期に、診断士の縁で梶川土木コンサルタントの元代表である梶川氏にコーチングをしてもらえることになったのも幸運な出来事でした。梶川氏の会社は、当時すでにティール組織のロールモデルとされるほどの組織体となっており、梶川氏のコーチングによって、これまで自分なりに取り組んできたことは、すべて体裁を整えていただけに過ぎないことに気づかされました。そして、人はみな自分が納得したことにしか耳を貸さず、誰かにアドバイスをされたとしても、自分の意思に反する場合は決して自発的には動かないのが人間の本質であるということを思い知りました。
たとえ経営者の意思決定であっても、社員一人ひとりが納得しなければ組織や会社は動かず、社員が主体的に考え動き出すための環境づくりが必要だと思うようになりました。プライベートでも、自分自身の生き方や、大切な人との向き合い方を深く見つめ直す出来事がありました。その経験を通じて、人生の時間には限りがあり、一日一日を自分の意思で生きることの大切さを痛感しました。
そして、縁あって巡り合った家族や社員、一人ひとりのかけがえのない時間を大切にすることが、人として、また経営者としての良心や信頼につながるのだと、改めて感じました。関わってくださる大切な人たちの幸せや成長のために、自分の人生と力を尽くしていこうと決意しました。経営に向き合わなければならないタイミングで大変なことがいくつも重なりましたが、それを乗り越えられるだけの良縁にも恵まれ、私自身が変われたことが会社としての転換点にもなったように思います。
経験を分け与え自主的な行動を後押しするコーチング
以前は、資格や規格取得などにより外側の見た目をよくすることばかりに力を入れていましたが、大切にしたい人や物事が定まったことで社員への接し方も大きく変化し、利益を人件費として還元しながら、この会社でしか得られない経験をすべての社員に分け与えられるようにしていこうと決めました。経験は、何物にも代えがたい唯一のリソースです。人生の中で今日という経験は一瞬しかなく、何かが起こったときにどう判断するかもその瞬間限りです。
会社という場には、日常生活では経験できないような判断力を問われる場面が多くあり、お客様が違えば対応すべき事柄や温度感、経験できる領域も異なってきます。会社を通じて多くの経験を積んでもらい、実行力や決断力を鍛えることは人生の自己実現力にもつながるはずです。そして、縁あって関わる人たちに幸せな人生を歩んでもらえるようにするには、私自身がすべてを指揮するのではなく、その人自身が自発的に考え行動できるように後押ししていくのが何より大切だと思うようになりました。
多くの経験を社員と分け合い、一人ひとりの行動や判断に意思を乗せてもらえるように、そっと後押ししていくことが経営者である私の役割だと考え、部長や課長といったリーダー層3人の幹部層にもコーチングを受けてもらい、幹部層から全社的にコーチングの考え方を広げてもらえるようにしています。
自発的な試行と未来への跳躍力に期待するOKR目標
現在は、会社を通じた経験の機会づくりと、それぞれの人生の自己実現をより後押しするために、OKR(Objectives and Key Results)という仕組みを導入して、6年ほどが経ったところです。OKRは、達成目標(Objective)として、少し遠い未来の今は届かない目標をあえて設定してもらい、その目標にどうやったら届くかを主要な成果(Key Results)として考え試行してもらう取り組みです。目標の達成に向けた1年間の目標を、まずは幹部が決めて全体へ展開してもらい、毎月の進捗確認と再設定を繰り返していきます。目標を達成すること以上に、思い切った目標に挑戦したいと思える環境づくりこそが、社員が自発的に動き出す一歩だと思っています。
現在の社員は30名で、OKRに携わるメンバーはそのうちの8名です。月1回実施しているOKRのミーティングには、かねてからコーチングに携わってもらっている梶川代表にも同席してもらい、話し合いや取り組みを通じて社員の成長を見守ってもらっています。特別な研修や講習などはおこなっておらず、普段の対話や働き方から自然と組織が整ってきていると感じています。2026年度のOKRでは、「1年後に中部地区で一番選ばれる企業になる」という目標を掲げています。売上高12億円の達成を目指し、収益性の向上にも取り組んでいます。
目標の実現に向けて、2026年6月からは組織体制を再編し、部長・課長などの役職者を正式に任命しました。OKRミーティングを通じて進捗や課題を共有しながら、全社で方向性を定め、取り組みを進めています。このOKRは、ミッションの「未来をつくる」にリンクしていて、私自身もとても好きな取り組みです。経営者によって決められた選択肢の中で日々同じように働き続けるよりも、自分たちの力で会社や社員自身の未来を決めていける方が、やりがいは確実にあるはずです。留まるのも進むのもそれぞれの社員次第であり、せっかくの人生なら、進みたい道を自分の手で選び取っていってほしいと思っています。
蓄積された経験が循環する会社づくり
今後は、一人ひとりの社員の経験が循環する会社づくりをしていきたい考えです。好循環を生み出す図式としては、①展示会や新工場、メーカー、M&Aといった外部機会により社内に経験を蓄積して、②決断の機会づくりやOKR、コーチングによって蓄積した実績や経験を社員へ分配し、③社会的経験をもつ人を育てて自己実現を促すことで、④経験の循環により強い会社になるという構造になっています。
3年ほど前からは、社員が自らの意思で目標を決めてあらゆる経験を積んでもらえるようにと、目標設定だけでなく、会社の運営の一部も社員の手に委ねるようにしています。採用も、以前は私が一次面接から入っていましたが、採用や教育に興味がある社員に外部教育を通じて学びを深めてもらい、現在採用担当者にすべて任せられるまでになっています。また、営業活動のうち受注や見積などは私の仕事でしたが、現在はすべての業務を営業担当に任せるようにしています。同様に展示会出展の参加不参加や企画運営も希望者に任せるようにしています。
今後は、会社の成果を適切に社員へ還元する考え方についても社内で共有し、体制面だけでなく待遇面においても、社員の意欲や成長につながる環境を整えていきたいと考えています。
一人ひとりが向上心をもち進み続けるための経営理念
経営理念は「社員が明るく幸せな人生を歩む」「お客様に喜ばれ、感謝される」「地域や環境と共にある」の3つを掲げています。三方よしの考え方に近く、父が大事にしていた「素直であること、お客様を大事に」の言葉を抽出して、理念の中に残しています。ミッションには「銅と生き、未来をつくる」を掲げ、銅事業を中心に未来を作っていこうという気持ちを大事にしています。
現在のビジョン「ひとりが向上心をもち、全社が一丸となって不具合・納期遅延ゼロで10億達成している」は、2024年5月頃にOKRメンバー8人に5年先の状態として考えてもらったものです。策定から約2年が経過し、事業環境や会社の成長に合わせて見直すべき部分もありますが、一人ひとりが向上心を持ち、全社一丸となって目標達成を目指すという考え方は、現在も大切にしています。
バリューには、社員一人ひとりが仕事や人生において大切にしている考えを吸い上げ、「成長を実感」「時間の余裕」「経験」「人とのつながり」「目標を達成」の5つを掲げています。会社から一方的に示したものではなく、社員の価値観を言葉にしたものであり、全社員が日々の働き方や生き方の中で大切にしています。
東海地方の希少植物を守る生物多様性の取り組み
環境保全に関する取り組みとしては、CO2排出量削減の流れの中でSBT認証を取得するほか、生物多様性に関する活動として、東海地方の湿地に自生するトウカイモウセンゴケという食虫植物の保全活動を行っています。トウカイモウセンゴケは日本固有の希少な食虫植物で、毎年12月頃には名古屋工業大学の増田研究室のお手伝いとして経過観察や湿地を広げる活動を行っています。保全活動に携わるようになってからは今年で7年ほどになります。ほかにも、愛知県や三重県の湿地に生息し、絶滅危惧種となっているマメナシの開花状況や地下水位の測定なども、増田研究室と行っています。3年ほど前には活動の実績が認められ、愛知生物多様性認証企業として認証されました。
人財を輩出するためのM&A
現在は、私自身の経営観の変化とOKRの定着、社員の変化によって会社全体の姿勢が前向きになりつつあり、現在は、より目線を高く持ち続けるための目標として、2036年までに100億円企業を目指しています。現在の当社の売上は10億未満ですが、目標達成のための戦略としてM&Aを検討しはじめたところです。100億円企業という目標を実現し、社内に経験を循環させていくためには、社員の中から経営を担う人財を育て、経営者の視点で会社を動かす経験を積んでもらうことが重要だと考えています。
M&Aによって他社を引き継ぎ、経営者としての経験を積んだ社員が、ほかの社員に自身の経験を分け合えるようになれば、社内にナレッジが集積されるだけでなく、社員の挑戦したい領域が広がれ当社事業の裾野も広がり、事業拡大にも有効になると考えています。銅ブスバーや銅加工市場は、データセンターの建設ラッシュや、EVなどの充電インフラの普及、国内インフラの老朽化にともなう更新需要などによって、今後も需要の拡大が期待される市場です。社員が本気で挑戦すれば、100億企業の目標達成も夢ではないという手ごたえもあり、引き続き社員の挑戦を見守っていけたらと考えています。
電力設備の銅部品加工に関わる隣接領域の引継ぎを希望
今後は、当社の銅ブスバー加工の領域に隣接する、板金、溶接、メッキ加工業者の引継ぎによって横軸を網羅し、さらに筐体の加工製造ができる板金加工業者との協業や垂直統合により部品の製造加工を完全内製化し、組立以前の工程を網羅することで、総合部品メーカーへと歩みを進めていきたい考えです。引き継いだ設備の最適化や顧客のクロスセル、資材の一括購入により、コストダウンや工程の効率化が図れると考えています。
希望エリアとしては、主要顧客に近くアクセスしやすい首都圏・中京圏・関西圏の拠点を優先的に検討し、後継者不在でお困りの地方の同業にも意識を向けていきたいと思っています。当社の場合は、私が先代に頼みこんで代表となりましたが、後継者不在で消えていく同業が増えつつあると感じています。
同じ経営者の立場からすると、頑張って続けてきた会社が承継されずに失われてしまうのはとても寂しく、悲しいことです。「せっかく育てた事業や人を誰かに引き継いでほしい」「残してあげたい」と思うのはごく自然な気持ちであり、事業領域が近い業種であれば、目線や考え方も近いのでスムーズに会社を継続できるだろうと思っています。「縁ある方々と経験を分け合いながら生きていきたい」という私自身の思いの延長として、M&Aのご縁も広げ、人の思いも大事にできれば嬉しい限りです。
当社が近い領域の会社を引継ぎ、銅・真鍮・アルミを扱う伸銅品業界を盛り上げることで、地域や領域をも超えた成長にもつながるはずです。流域の近い同業を基点に事業を拡充し、伸銅品の問屋同士のつながりが増えるように後押しすることで、業界や地域のお役に立てたらと考えています。
変圧器向け銅部品の加工をワンストップで受注
1948年に伸銅品の卸売業として創業し、現在は変圧器向け銅部品加工メーカーとなった名古屋市守山区の企業です。大電流を効率的に分配・導電するブスバーをはじめ、棒・条・板など約1,000品種の製作実績があり、月間の生産総量は約3万個に上ります。材料調達から加工、めっきまでをワンストップで請け負っています。取扱製品のうち銅製品が約9割を占め、加工のために取扱う銅の量は中小企業としては比較的多い年間150トンほどとなっています。2026年5月期は、売上高約9億6,000万円となる見通しで、利益についても過去最高を更新する見込みです。
創業者の祖父の代に卸売から加工業へと軸を移す
当社は、祖父が1948年に個人業としてスタートした伸銅品の卸売が事業の端緒となっています。名古屋市内には、かつて祖父が勤めていた大きな問屋がありましたが、その後、勤務先の問屋が倒産してしまい、祖父を含む社員たちはそれぞれ独立して名古屋地区で問屋を営むようになったそうです。祖父は銅や真鍮、アルミなどの卸売業を少しずつ拡大させ、創業から3年後の1951年には石垣商店を設立しました。
その後、創業から20年ほどの間に、現在の主要取引先となる愛知電機株式会社から加工依頼を受け、それをきっかけに徐々に銅の加工業へと軸を移していきました。祖父は28年ほど社長を務め、祖父の亡くなった後の1979年には、2代目である父が25歳の若さで事業を継ぎました。
可能性を探るため挑んだヘアメイクアップアーティストの道
現在3代目の私は、1986年に名古屋市に生まれました。花や植物、海、自然が好きで、花を生けることやアート領域の作品を見るのもつくるのも昔から好きでした。先代の父は、あまり喋らず真面目な職人気質の経営者で、息子の私を頭ごなしに叱ったり反対したりすることはなく、何でも自由に挑戦させてくれました。ただ、後を継いでほしいと言われたことはなく、会社として何をしているのかも私は知らずにいたので、大学の経営学部に進学してからも「この先どうしよう」という迷いがつきまとい続けていました。
大学在学中、どのような道に進むべきか思い悩んでいたとき、ヘアメイクアップアーティストの加茂克也さんの作品が目にとまりました。私も、自分の好きな仕事を通じて、人の心に残る作品をつくりたいと思うようになり、大学に通いながら美容室で働き、美容師免許を取得しました。
しかし、ヘアメイクアップアーティストへの道は大変険しく、心のどこかに「うまくいかなければ家業に戻ればいい」という甘えもありました。そのため、何事にも本気で向き合いきれないもどかしさを抱えていました。自分で選んだ好きな仕事にさえ没頭できないのであれば、ほかの道を選んでも同じではないか。そう考え、24歳のときに父へ「石垣商店に入れてください」と頭を下げ、家業に入社しました。
会社や自身の成長のため次期経営者として試行錯誤を重ねる
入社後は、まずは製造スタッフとして現場に入りました。機械よりも手で加工する工程が多く、ヘアメイクアップアーティストを目指していた私にとって、現場作業はとても楽しいものでした。加工作業のほかにも営業や配達、経理を経験し、26歳の頃には財務の勉強として簿記2級を取得し、27歳の頃からは経営者としての勉強を自主的に始め、28歳のときに取締役に就任しました。
取締役になってからは採用にも携わるようになり、次期経営者として社員の話を聞くために、半年に1回のペースで全社員との面談を始めました。この面談は「世の中のいい会社やいい経営者は社員の話を聞くものだ」とのイメージからスタートしたもので、代表となる少し前までには2カ月に1回のペースを上げることで少しでも社内の意見を集めようとしていましたが、いい結果にはつながりませんでした。
また、2015年ごろからは、銅の加工業者として社外への発信に力を入れようと思い、展示会に参加するようになりました。銅の加工技術や美しさを見てほしいという一心で出展を続けましたが、今思えば、売上を伸ばしネットワークを広げるためというよりも、銅の魅力を表現したい私自身の気持ちの方が先立っていたように思います。2016年に取得したISOも、製造業としてISOを取得しておいた方がお客様に安心してもらえるだろうとの思いからスタートしました。はじめは体裁を整える目的でしたが、ISOの規格に則ったPDCAのサイクルが少しずつ社内になじみ、現在は品質改善に役立つようになったと感じています。
社内の改善や改革だけでなく、私自身も経営者としての学びを深めようと思い、30歳のときには中小企業診断士の資格を取得しました。中小企業診断士の資格取得のきっかけは、中小機構の相談窓口や経営者の勉強会で講師として教鞭を執っているのが診断士で、診断士の資格を取得できれば経営も楽にこなせるようになるだろうと思ったからです。
診断士の資格は、資格取得によって経営が簡単になるわけではありませんでしたが、物事を多面的に捉え、課題を整理するための方法論を身につけられたことは、現在の経営にも生きています。が、考え方の切り口を変え整理する方法論として学べたのがよかったと思っています。診断士の勉強をはじめた同時期の2013年からは、製造業を支援する「ものづくり補助金」の公募がスタートし、補助金の審査員である診断士の目線で自社の申請書を書けるようになったのもメリットでした。
人生の一瞬に向き合い主体的に生きる大切さを実感
覚悟を決めて入社してからの私には、できるだけ早く経営を担いたいという強い思いがありました。取締役に就任してからは、その意思を父にも繰り返し伝え、母や税理士法人の代表を務める親族にも相談しながら、約1年にわたって事業承継の時期について話し合いました。先代である父にとっても、長年守り育ててきた会社を次の世代へ託すことは、大きな決断だったと思います。そうした話し合いを重ねた末、2019年、33歳のときに私が代表取締役に就任し、約40年にわたり代表を務めた父は会長となりました。
ところが、社長就任の半年後にはコロナ禍となり、売上が20~30%下がって利益も出しづらくなっていきました。何かしら行動を起こさねば改善は見込めず、商談会やオンラインも含めた展示会に積極的に出展し、少しでも売上につなげようと必死に取り組んでいきました。計画や見通しもなく出展していた以前とは違って、売上や新規顧客をつくるという目的が戦略として定まり、売上や利益に結びつく展示会とそうでないものがあることに気づけたことが、大きな収穫だったと思います。
コロナ禍でどう進むべきか迷っていた時期に、診断士の縁で梶川土木コンサルタントの元代表である梶川氏にコーチングをしてもらえることになったのも幸運な出来事でした。梶川氏の会社は、当時すでにティール組織のロールモデルとされるほどの組織体となっており、梶川氏のコーチングによって、これまで自分なりに取り組んできたことは、すべて体裁を整えていただけに過ぎないことに気づかされました。そして、人はみな自分が納得したことにしか耳を貸さず、誰かにアドバイスをされたとしても、自分の意思に反する場合は決して自発的には動かないのが人間の本質であるということを思い知りました。
たとえ経営者の意思決定であっても、社員一人ひとりが納得しなければ組織や会社は動かず、社員が主体的に考え動き出すための環境づくりが必要だと思うようになりました。プライベートでも、自分自身の生き方や、大切な人との向き合い方を深く見つめ直す出来事がありました。その経験を通じて、人生の時間には限りがあり、一日一日を自分の意思で生きることの大切さを痛感しました。
そして、縁あって巡り合った家族や社員、一人ひとりのかけがえのない時間を大切にすることが、人として、また経営者としての良心や信頼につながるのだと、改めて感じました。関わってくださる大切な人たちの幸せや成長のために、自分の人生と力を尽くしていこうと決意しました。経営に向き合わなければならないタイミングで大変なことがいくつも重なりましたが、それを乗り越えられるだけの良縁にも恵まれ、私自身が変われたことが会社としての転換点にもなったように思います。
経験を分け与え自主的な行動を後押しするコーチング
以前は、資格や規格取得などにより外側の見た目をよくすることばかりに力を入れていましたが、大切にしたい人や物事が定まったことで社員への接し方も大きく変化し、利益を人件費として還元しながら、この会社でしか得られない経験をすべての社員に分け与えられるようにしていこうと決めました。経験は、何物にも代えがたい唯一のリソースです。人生の中で今日という経験は一瞬しかなく、何かが起こったときにどう判断するかもその瞬間限りです。
会社という場には、日常生活では経験できないような判断力を問われる場面が多くあり、お客様が違えば対応すべき事柄や温度感、経験できる領域も異なってきます。会社を通じて多くの経験を積んでもらい、実行力や決断力を鍛えることは人生の自己実現力にもつながるはずです。そして、縁あって関わる人たちに幸せな人生を歩んでもらえるようにするには、私自身がすべてを指揮するのではなく、その人自身が自発的に考え行動できるように後押ししていくのが何より大切だと思うようになりました。
多くの経験を社員と分け合い、一人ひとりの行動や判断に意思を乗せてもらえるように、そっと後押ししていくことが経営者である私の役割だと考え、部長や課長といったリーダー層3人の幹部層にもコーチングを受けてもらい、幹部層から全社的にコーチングの考え方を広げてもらえるようにしています。
自発的な試行と未来への跳躍力に期待するOKR目標
現在は、会社を通じた経験の機会づくりと、それぞれの人生の自己実現をより後押しするために、OKR(Objectives and Key Results)という仕組みを導入して、6年ほどが経ったところです。OKRは、達成目標(Objective)として、少し遠い未来の今は届かない目標をあえて設定してもらい、その目標にどうやったら届くかを主要な成果(Key Results)として考え試行してもらう取り組みです。目標の達成に向けた1年間の目標を、まずは幹部が決めて全体へ展開してもらい、毎月の進捗確認と再設定を繰り返していきます。目標を達成すること以上に、思い切った目標に挑戦したいと思える環境づくりこそが、社員が自発的に動き出す一歩だと思っています。
現在の社員は30名で、OKRに携わるメンバーはそのうちの8名です。月1回実施しているOKRのミーティングには、かねてからコーチングに携わってもらっている梶川代表にも同席してもらい、話し合いや取り組みを通じて社員の成長を見守ってもらっています。特別な研修や講習などはおこなっておらず、普段の対話や働き方から自然と組織が整ってきていると感じています。2026年度のOKRでは、「1年後に中部地区で一番選ばれる企業になる」という目標を掲げています。売上高12億円の達成を目指し、収益性の向上にも取り組んでいます。
目標の実現に向けて、2026年6月からは組織体制を再編し、部長・課長などの役職者を正式に任命しました。OKRミーティングを通じて進捗や課題を共有しながら、全社で方向性を定め、取り組みを進めています。このOKRは、ミッションの「未来をつくる」にリンクしていて、私自身もとても好きな取り組みです。経営者によって決められた選択肢の中で日々同じように働き続けるよりも、自分たちの力で会社や社員自身の未来を決めていける方が、やりがいは確実にあるはずです。留まるのも進むのもそれぞれの社員次第であり、せっかくの人生なら、進みたい道を自分の手で選び取っていってほしいと思っています。
蓄積された経験が循環する会社づくり
今後は、一人ひとりの社員の経験が循環する会社づくりをしていきたい考えです。好循環を生み出す図式としては、①展示会や新工場、メーカー、M&Aといった外部機会により社内に経験を蓄積して、②決断の機会づくりやOKR、コーチングによって蓄積した実績や経験を社員へ分配し、③社会的経験をもつ人を育てて自己実現を促すことで、④経験の循環により強い会社になるという構造になっています。
3年ほど前からは、社員が自らの意思で目標を決めてあらゆる経験を積んでもらえるようにと、目標設定だけでなく、会社の運営の一部も社員の手に委ねるようにしています。採用も、以前は私が一次面接から入っていましたが、採用や教育に興味がある社員に外部教育を通じて学びを深めてもらい、現在採用担当者にすべて任せられるまでになっています。また、営業活動のうち受注や見積などは私の仕事でしたが、現在はすべての業務を営業担当に任せるようにしています。同様に展示会出展の参加不参加や企画運営も希望者に任せるようにしています。
今後は、会社の成果を適切に社員へ還元する考え方についても社内で共有し、体制面だけでなく待遇面においても、社員の意欲や成長につながる環境を整えていきたいと考えています。
一人ひとりが向上心をもち進み続けるための経営理念
経営理念は「社員が明るく幸せな人生を歩む」「お客様に喜ばれ、感謝される」「地域や環境と共にある」の3つを掲げています。三方よしの考え方に近く、父が大事にしていた「素直であること、お客様を大事に」の言葉を抽出して、理念の中に残しています。ミッションには「銅と生き、未来をつくる」を掲げ、銅事業を中心に未来を作っていこうという気持ちを大事にしています。
現在のビジョン「ひとりが向上心をもち、全社が一丸となって不具合・納期遅延ゼロで10億達成している」は、2024年5月頃にOKRメンバー8人に5年先の状態として考えてもらったものです。策定から約2年が経過し、事業環境や会社の成長に合わせて見直すべき部分もありますが、一人ひとりが向上心を持ち、全社一丸となって目標達成を目指すという考え方は、現在も大切にしています。
バリューには、社員一人ひとりが仕事や人生において大切にしている考えを吸い上げ、「成長を実感」「時間の余裕」「経験」「人とのつながり」「目標を達成」の5つを掲げています。会社から一方的に示したものではなく、社員の価値観を言葉にしたものであり、全社員が日々の働き方や生き方の中で大切にしています。
東海地方の希少植物を守る生物多様性の取り組み
環境保全に関する取り組みとしては、CO2排出量削減の流れの中でSBT認証を取得するほか、生物多様性に関する活動として、東海地方の湿地に自生するトウカイモウセンゴケという食虫植物の保全活動を行っています。トウカイモウセンゴケは日本固有の希少な食虫植物で、毎年12月頃には名古屋工業大学の増田研究室のお手伝いとして経過観察や湿地を広げる活動を行っています。保全活動に携わるようになってからは今年で7年ほどになります。ほかにも、愛知県や三重県の湿地に生息し、絶滅危惧種となっているマメナシの開花状況や地下水位の測定なども、増田研究室と行っています。3年ほど前には活動の実績が認められ、愛知生物多様性認証企業として認証されました。
人財を輩出するためのM&A
現在は、私自身の経営観の変化とOKRの定着、社員の変化によって会社全体の姿勢が前向きになりつつあり、現在は、より目線を高く持ち続けるための目標として、2036年までに100億円企業を目指しています。現在の当社の売上は10億未満ですが、目標達成のための戦略としてM&Aを検討しはじめたところです。100億円企業という目標を実現し、社内に経験を循環させていくためには、社員の中から経営を担う人財を育て、経営者の視点で会社を動かす経験を積んでもらうことが重要だと考えています。
M&Aによって他社を引き継ぎ、経営者としての経験を積んだ社員が、ほかの社員に自身の経験を分け合えるようになれば、社内にナレッジが集積されるだけでなく、社員の挑戦したい領域が広がれ当社事業の裾野も広がり、事業拡大にも有効になると考えています。銅ブスバーや銅加工市場は、データセンターの建設ラッシュや、EVなどの充電インフラの普及、国内インフラの老朽化にともなう更新需要などによって、今後も需要の拡大が期待される市場です。社員が本気で挑戦すれば、100億企業の目標達成も夢ではないという手ごたえもあり、引き続き社員の挑戦を見守っていけたらと考えています。
電力設備の銅部品加工に関わる隣接領域の引継ぎを希望
今後は、当社の銅ブスバー加工の領域に隣接する、板金、溶接、メッキ加工業者の引継ぎによって横軸を網羅し、さらに筐体の加工製造ができる板金加工業者との協業や垂直統合により部品の製造加工を完全内製化し、組立以前の工程を網羅することで、総合部品メーカーへと歩みを進めていきたい考えです。引き継いだ設備の最適化や顧客のクロスセル、資材の一括購入により、コストダウンや工程の効率化が図れると考えています。
希望エリアとしては、主要顧客に近くアクセスしやすい首都圏・中京圏・関西圏の拠点を優先的に検討し、後継者不在でお困りの地方の同業にも意識を向けていきたいと思っています。当社の場合は、私が先代に頼みこんで代表となりましたが、後継者不在で消えていく同業が増えつつあると感じています。
同じ経営者の立場からすると、頑張って続けてきた会社が承継されずに失われてしまうのはとても寂しく、悲しいことです。「せっかく育てた事業や人を誰かに引き継いでほしい」「残してあげたい」と思うのはごく自然な気持ちであり、事業領域が近い業種であれば、目線や考え方も近いのでスムーズに会社を継続できるだろうと思っています。「縁ある方々と経験を分け合いながら生きていきたい」という私自身の思いの延長として、M&Aのご縁も広げ、人の思いも大事にできれば嬉しい限りです。
当社が近い領域の会社を引継ぎ、銅・真鍮・アルミを扱う伸銅品業界を盛り上げることで、地域や領域をも超えた成長にもつながるはずです。流域の近い同業を基点に事業を拡充し、伸銅品の問屋同士のつながりが増えるように後押しすることで、業界や地域のお役に立てたらと考えています。
会社概要
| 社名 | 株式会社石垣商店 |
| 創立年 | 1951年 |
| 代表者名 | 代表取締役 石垣 雅裕 |
| 資本金 | 1000万円 |
| 事業エリア |
本社工場
463-0068 愛知県名古屋市守山区瀬古1丁目629番地 |
| 本社住所 |
463-0068 愛知県名古屋市守山区瀬古1丁目629番地 |
| 事業内容 | 各種変圧器部品の製作 各種制御盤部品の製作 環境・新エネルギー産業製品の試作・製作 一般向け銅加工品の製作 |
| URL |
https://ishigaki-st.com/
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会社沿革
| 1948年 | 石垣宗市により個人営業として伸銅品販売を開始 |
| 1951年 | 株式会社石垣商店を設立し卸売業として伸銅品の販売を開始 |
| 1962年 | 守山区瀬古神明に守山工場を設立し金属加工品の販売を開始 |
| 1972年 | 守山区瀬古柴荷に守山工場建設・移転 |
| 1979年 | 石垣廣憲が代表取締役に就任 |
| 1991年 | 名古屋市守山区瀬古1丁目に守山工場を新設 |
| 2016年 | ISO9001認証取得 |
| 2017年 | 産学官連携「三機関協働学びあいプロジェクト」へ参画 |
| 2019年 | 石垣雅裕が代表取締役に就任 |
| 2022年 | 愛知県「あいち生物多様性認証制度」の認証を取得 |
株式会社石垣商店の経営資源引継ぎ募集情報
関連リンク
公開日:2026/08/03
※本記事の内容および所属名称は2026年8月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。