下都賀
下都賀郡壬生町
引継ぎ実績あり
物流の最適化を実現するドアツードアの配送ネットワークを構築
三正運輸株式会社
10年先を見据え、顧客ニーズのひとつ上をいく「考える」物流サービスを提供
経営理念
物流を考える
三正グループは「考える」をモットーとし 運送事業を通じてお客様に歓びを届けるために 新しい輸送サービスを創造し続けます
考えて行動する4箇条
一、「考える」ことでより良いサービスへと発展させます
一、「考える」ことで継続が可能な仕組みを創造します
一、「考える」ことで公正にサービスを維持し社会の発展に寄与します
一、「考える」ことを諦めず貫く情熱を持続します
代表者メッセージ
「自走する組織」へ
当社は1973年に創業、沢山の方に支えていただきお陰さまをもちまして50周年を迎えることができました。これまでの道のりは決して容易くなく、父が事業を始めた年には皮肉にもオイルショックに見舞われました。
紆余曲折を繰り返しながらも成長をしてまいりましたが、この数年は「不安定」「不確実」「複雑」「曖昧」を凝縮したかのようで、誰もが環境に翻弄され自らの幸福を見失いやすい時代になりました。
市場に溢れていたニーズに応えていれば良かった時代は終わり、この複雑で不安定な環境の中では自らが成長と進歩を重ねていく必要があります。
そのためには社員全員でシンプルに創意工夫を重ね、当社らしく業務を展開することで「買い手」である顧客との一致した行動をとり、そのサービスによって「売り手」である社員の満足度を向上し、ワークライフバランスと個々のスキルアップを追求、この社員の確かな充実感とサービスを維持する強い精神が、「世間」である地域社会への貢献や社員の家族の幸福につながると信じています。
これらを実現するために、「考えて行動する4箇条」を全員で実行し、「しなければならない」を「したい」「やりたい」に変えることができる「自走する組織」への転換を図ってまいります。
仕事を通じて得られる価値と幸福を全てのひとへお届けするべく、三正グループは走りつづけます。
代表取締役 小橋 栄信
私たちのこだわり
大手物流倉庫業の経営資源を受け独立、サービス拡充を図った先代
弊社は1973年(昭和48年)4月、先代である父が勤めていた大手物流倉庫業のグループ会社から独立して創業しました。先代は、管理職にまで昇進しながらもずっと独立したいという思いを持ち続けていました。その背景には、祖父と祖母が家業として商店を営んでおり、先代は幼少期から店を手伝うことで商売に親しんできましたが、若くして祖父が亡くなり、多感な時期に苦労を重ねたことで、自立したいという強い思いを抱くようになったとことがあるようです。その思いは変わることなく、企業に勤めながらもいつか独立し起業するのだと気持ちを固めていきました。
36歳の時に辿り着いた栃木県で一念発起して独立し、母とともに二人三脚で運送業を始めました。創業当初は栃木の顧客を持っていませんでしたが、幸いなことに前職の営業所から人財や事業ノウハウなどの経営資源を譲り受けることができたので、さほど苦労することなく開業に至りました。少しずつ営業活動を行って関東と関西を結ぶ長距離路線をスタートさせるとともに、前職では取扱っていなかった自動車部品や青果物の輸送なども開始ししてサービス拡充に取り組み、関東一円で取引先を増やしていきました。創業から1年と経たないうちにオイルショックに直面するなど苦戦を強いられた時期もありましたが、順調に事業領域を拡大していきました。
先代の入院を機に後継者としての決意を固める
周囲から「二代目」として見られていた私への風当たりは幼い頃から強く、父母以外の人から「後を継ぐのだからしっかりしなさい」などとよく説教をされていました。それが嫌でたまらず「自分で好きな道を見つけて楽しく生きたい」と思うようになり、学生時代は家業や先代から少し距離を置いていました。中学生の頃、会社はバブル期の恩恵を受け順調に成長し、私が高校1年だった1990年頃にはバブルが崩壊して2、3年ほど低迷しながらも持ちこたえているように見えました。
ところが、大学生活を送っていた二十歳の時に先代が体調を崩し入院したことで、私や家族の生活、そしてその延長にあった会社の状況は一変しました。私は学生の身分ながら先代の伝令役として社長席に座り、その日起こった出来事や社内での発言を全て書き留め、その夜に入院している先代に報告をしに行っていました。社内の様子や先代の指示内容が分かるようになるにつれ、多くの社員をまとめる経営者の立ち位置の難しさや苦悩、孤独を理解できるようになり、病院のベッドで一人横たわりながらも絶えず会社の事を考え続けている先代と、先代が築き上げた会社を支えようと固く決意しました。
先代は約3ヵ月の治療を経て復帰しましたが、その間に経理部門で会社を支えていた母も長い間寝たきりになり、姉2人が経理を引き継ぐことになりました。私は残り僅かな学生生活を過ごした後、友人と一緒に入社しました。
現場と経営者、双方の角度から会社を見守る
入社時の従業員数は80人ほどで、私が生まれる前から働いているベテランも多くいました。その中でまず存在を認めてもらえるように、睡眠時間も削りながら6年ほど下働きをしていました。子会社の中古車販売会社の方で人手が足りないときはドライバーとして入り、重量鳶(大型機械などの重量物を建設物の内外で運搬、設置、解体等をする職)の修行に行ってこいと言われれば技術を身につけ現場作業をするなど、誰もやりたがらない仕事を率先して受けるようにしていきました。当時は何をしているのかすらもよく分からない中で目の前の事をひたすらこなしてきましたが、今思えば何一つ無駄なことはありませんでした。
その後、ドライバーを約5年、配車係を約7年程勤めて現場を預けてもらえるようになったところで、いかにベテラン社員に日々助けてもらっていたかということに気付かされました。部長職や専務職に就くようになってからは営業と現場のマネジメントを任されるようになり、次期後継者の気概を持って現場と経営者双方の角度から体制作りに努め、2016年(平成28年)に社長に就任しました。今年(2022年)、弊社は創業50周年を迎え、経営者となってから6年が経ちました。今後も社員一人一人が活躍できる場所になれるような組織作りを行っていきたいと思います。
大手物流倉庫業の経営資源を受け独立、サービス拡充を図った先代
弊社は1973年(昭和48年)4月、先代である父が勤めていた大手物流倉庫業のグループ会社から独立して創業しました。先代は、管理職にまで昇進しながらもずっと独立したいという思いを持ち続けていました。その背景には、祖父と祖母が家業として商店を営んでおり、先代は幼少期から店を手伝うことで商売に親しんできましたが、若くして祖父が亡くなり、多感な時期に苦労を重ねたことで、自立したいという強い思いを抱くようになったとことがあるようです。その思いは変わることなく、企業に勤めながらもいつか独立し起業するのだと気持ちを固めていきました。
36歳の時に辿り着いた栃木県で一念発起して独立し、母とともに二人三脚で運送業を始めました。創業当初は栃木の顧客を持っていませんでしたが、幸いなことに前職の営業所から人財や事業ノウハウなどの経営資源を譲り受けることができたので、さほど苦労することなく開業に至りました。少しずつ営業活動を行って関東と関西を結ぶ長距離路線をスタートさせるとともに、前職では取扱っていなかった自動車部品や青果物の輸送なども開始ししてサービス拡充に取り組み、関東一円で取引先を増やしていきました。創業から1年と経たないうちにオイルショックに直面するなど苦戦を強いられた時期もありましたが、順調に事業領域を拡大していきました。
先代の入院を機に後継者としての決意を固める
周囲から「二代目」として見られていた私への風当たりは幼い頃から強く、父母以外の人から「後を継ぐのだからしっかりしなさい」などとよく説教をされていました。それが嫌でたまらず「自分で好きな道を見つけて楽しく生きたい」と思うようになり、学生時代は家業や先代から少し距離を置いていました。中学生の頃、会社はバブル期の恩恵を受け順調に成長し、私が高校1年だった1990年頃にはバブルが崩壊して2、3年ほど低迷しながらも持ちこたえているように見えました。
ところが、大学生活を送っていた二十歳の時に先代が体調を崩し入院したことで、私や家族の生活、そしてその延長にあった会社の状況は一変しました。私は学生の身分ながら先代の伝令役として社長席に座り、その日起こった出来事や社内での発言を全て書き留め、その夜に入院している先代に報告をしに行っていました。社内の様子や先代の指示内容が分かるようになるにつれ、多くの社員をまとめる経営者の立ち位置の難しさや苦悩、孤独を理解できるようになり、病院のベッドで一人横たわりながらも絶えず会社の事を考え続けている先代と、先代が築き上げた会社を支えようと固く決意しました。
先代は約3ヵ月の治療を経て復帰しましたが、その間に経理部門で会社を支えていた母も長い間寝たきりになり、姉2人が経理を引き継ぐことになりました。私は残り僅かな学生生活を過ごした後、友人と一緒に入社しました。
現場と経営者、双方の角度から会社を見守る
入社時の従業員数は80人ほどで、私が生まれる前から働いているベテランも多くいました。その中でまず存在を認めてもらえるように、睡眠時間も削りながら6年ほど下働きをしていました。子会社の中古車販売会社の方で人手が足りないときはドライバーとして入り、重量鳶(大型機械などの重量物を建設物の内外で運搬、設置、解体等をする職)の修行に行ってこいと言われれば技術を身につけ現場作業をするなど、誰もやりたがらない仕事を率先して受けるようにしていきました。当時は何をしているのかすらもよく分からない中で目の前の事をひたすらこなしてきましたが、今思えば何一つ無駄なことはありませんでした。
その後、ドライバーを約5年、配車係を約7年程勤めて現場を預けてもらえるようになったところで、いかにベテラン社員に日々助けてもらっていたかということに気付かされました。部長職や専務職に就くようになってからは営業と現場のマネジメントを任されるようになり、次期後継者の気概を持って現場と経営者双方の角度から体制作りに努め、2016年(平成28年)に社長に就任しました。今年(2022年)、弊社は創業50周年を迎え、経営者となってから6年が経ちました。今後も社員一人一人が活躍できる場所になれるような組織作りを行っていきたいと思います。
サービスの特徴 | 県内全従業員の面談を行い、考えや思いを共有
-サービスの特徴-
県内全従業員の面談を行い、考えや思いを共有
現在の従業員数は150余人、平均年齢は49歳です。運送業全体の課題にもなっていますが、県外の営業所のうち特に長距離ドライバーは時間を共有する場を持ちづらいため、1年間一度も顔を合わせない社員もいて、マネジメントの難しさを感じます。ここ2年程はコロナ禍も重なってさらに対面の機会が制限され、従業員間のコミュニケーションも図れない状態になってしまっていました。そこで昨年末には飲み会の代わりに、栃木県内の全従業員を対象とした面談を設け、一人一人の考えや人生への思いの部分を共有する機会を作りました。ここ数年、運送業では制約が多くなってきているため多くの不満の声を受けることになるかもしれないと身構えていましたが、職場環境へのそういった不服等はなく、一人3分から5分程の話せる機会をむしろ「嬉しい」と言ってくれる人もいて、対話する場の大切さを改めて感じました。大所帯なのでスケジュール調整等がなかなか大変ではありますが、面談は今後も続けていきたいと思っています。
現在の従業員数は150余人、平均年齢は49歳です。運送業全体の課題にもなっていますが、県外の営業所のうち特に長距離ドライバーは時間を共有する場を持ちづらいため、1年間一度も顔を合わせない社員もいて、マネジメントの難しさを感じます。ここ2年程はコロナ禍も重なってさらに対面の機会が制限され、従業員間のコミュニケーションも図れない状態になってしまっていました。そこで昨年末には飲み会の代わりに、栃木県内の全従業員を対象とした面談を設け、一人一人の考えや人生への思いの部分を共有する機会を作りました。ここ数年、運送業では制約が多くなってきているため多くの不満の声を受けることになるかもしれないと身構えていましたが、職場環境へのそういった不服等はなく、一人3分から5分程の話せる機会をむしろ「嬉しい」と言ってくれる人もいて、対話する場の大切さを改めて感じました。大所帯なのでスケジュール調整等がなかなか大変ではありますが、面談は今後も続けていきたいと思っています。
サービスの特徴 | 社員が生きがいや幸せを感じられる環境を追求し続ける
-サービスの特徴-
社員が生きがいや幸せを感じられる環境を追求し続ける
運送業の社員、特にドライバーは長い時間を車中で過ごすため無趣味な人間が多く、会社の外でも社員が楽しく過ごせる場を作りたいと思い、コロナ禍でも屋外でプレイできるゴルフ部を設けました。プライベートと仕事を分けたい人からすると貴重な休日に会社の人間と会うのは面倒がられそうだとも思いましたが、社員からは「会社が社外にまで目を向けてくれるなんて意外だった」という好意的な声があり、交流の場を必要としている社員は思ったより多いことを知りました。会社側が社員の充実した生活を願い、自発的に行動を起こせば、会社の枠を超えて個人の喜びや生きがいにも繋げられることを知るとともに、充実した生活を送れるように支援するのも大事な企業活動だと気付かされました。
経営者の立場としては、新事業で成功したい、社員にはより良いサービスを提供してほしいという想いはありますが、それ以上に社員個人の幸せを追求していきたいと強く思うようになりました。誰かを幸せにしたいという気持ちは、自分が幸せだからこそ生まれ出るものだと思うからです。現在は不景気などの時代背景もあって「社会に苦労させられている」と思い込み、幸せを実感できない人が多いように感じます。会社という場所も、時代とともに大事な部分が失われて関係性が希薄になり、同じ空間で働いていてもそれぞれに生活や家族があることにまで意識が及ばなくなってきています。自分が関わった人が幸せになっているかというところにまで意識を向けられるように、一人一人をケアしていける会社にしていきたいと思います。
運送業の社員、特にドライバーは長い時間を車中で過ごすため無趣味な人間が多く、会社の外でも社員が楽しく過ごせる場を作りたいと思い、コロナ禍でも屋外でプレイできるゴルフ部を設けました。プライベートと仕事を分けたい人からすると貴重な休日に会社の人間と会うのは面倒がられそうだとも思いましたが、社員からは「会社が社外にまで目を向けてくれるなんて意外だった」という好意的な声があり、交流の場を必要としている社員は思ったより多いことを知りました。会社側が社員の充実した生活を願い、自発的に行動を起こせば、会社の枠を超えて個人の喜びや生きがいにも繋げられることを知るとともに、充実した生活を送れるように支援するのも大事な企業活動だと気付かされました。
経営者の立場としては、新事業で成功したい、社員にはより良いサービスを提供してほしいという想いはありますが、それ以上に社員個人の幸せを追求していきたいと強く思うようになりました。誰かを幸せにしたいという気持ちは、自分が幸せだからこそ生まれ出るものだと思うからです。現在は不景気などの時代背景もあって「社会に苦労させられている」と思い込み、幸せを実感できない人が多いように感じます。会社という場所も、時代とともに大事な部分が失われて関係性が希薄になり、同じ空間で働いていてもそれぞれに生活や家族があることにまで意識が及ばなくなってきています。自分が関わった人が幸せになっているかというところにまで意識を向けられるように、一人一人をケアしていける会社にしていきたいと思います。
サービスの特徴 | 倉庫業の領域拡大と配送ネットワーク構築により、労働環境を改善
-サービスの特徴-
倉庫業の領域拡大と配送ネットワーク構築により、労働環境を改善
現在の売上比率としては、運送業7割、倉庫業2割、太陽光発電1割未満であり、運送業が大きな割合を占めています。しかし1990年(平成2年)に「貨物自動車運送事業法」と「貨物運送取扱事業法」の「物流二法」が施行され、運送業の新規参入が促進されたことで価格競争が激化し、弊社でも運送業での収益が得られにくくなっていきました。新事業への領域拡大を模索していたところ、顧客から米を保管してほしいの要望があり、1996年(平成8年)に政府指定倉庫の認可を得て倉庫事業を開始することとなりました。倉庫業の操業開始時、米などの主要食糧は食糧庁の管理下にあり、弊社は政府指定倉庫として全て国の指示通りに管理を行って定量的な利益を得てきました。しかしノウハウが手元に残らず制約も多いことから運用の見直しを図り、2000年(平成12年)に普通倉庫業(農業、鉱業、製造業などの貨物に加え消費者の財産を保管する事業)や冷蔵倉庫業への投資を行って、倉庫業のサービス拡充と運送業の連携を図り、自社事業の領域を強化しました。弊社の倉庫を中継地として活用することにより効率的な配送ネットワークが構築され、これにより走行距離や空車距離が減り、ドライバーの拘束時間も減って労働環境の改善にも繋がっています。
現在の売上比率としては、運送業7割、倉庫業2割、太陽光発電1割未満であり、運送業が大きな割合を占めています。しかし1990年(平成2年)に「貨物自動車運送事業法」と「貨物運送取扱事業法」の「物流二法」が施行され、運送業の新規参入が促進されたことで価格競争が激化し、弊社でも運送業での収益が得られにくくなっていきました。新事業への領域拡大を模索していたところ、顧客から米を保管してほしいの要望があり、1996年(平成8年)に政府指定倉庫の認可を得て倉庫事業を開始することとなりました。倉庫業の操業開始時、米などの主要食糧は食糧庁の管理下にあり、弊社は政府指定倉庫として全て国の指示通りに管理を行って定量的な利益を得てきました。しかしノウハウが手元に残らず制約も多いことから運用の見直しを図り、2000年(平成12年)に普通倉庫業(農業、鉱業、製造業などの貨物に加え消費者の財産を保管する事業)や冷蔵倉庫業への投資を行って、倉庫業のサービス拡充と運送業の連携を図り、自社事業の領域を強化しました。弊社の倉庫を中継地として活用することにより効率的な配送ネットワークが構築され、これにより走行距離や空車距離が減り、ドライバーの拘束時間も減って労働環境の改善にも繋がっています。
サービスの特徴 | 規制強化を転換期として自社事業の連携強化に注力
-サービスの特徴-
規制強化を転換期として自社事業の連携強化に注力
弊社は創業以来、運送業を主事業とした運営をしてきましたが、2024年(令和6年)には罰則付きの時間外労働規制を定めた「改正労働基準法」が施行され制約がさらに厳しくなることから、運送業者の仕事の枠も狭まっていくものと推察しています。人口減少とともに運送業に就く人も少なくなっていくため、今後の運送業は一回の輸送をいかに効率的にしていくかという生産性改善が必要となっていきます。
弊社としては、子会社である三正商事を経営の主体にして自社の運送事業との連携強化を図り、今後10年かけて「売り、運ぶ」会社にしていきたいと考えています。また、弊社は運送会社で運べないような大型貨物の運搬を得意としていますが、ゆくゆくは小型の荷物も三正商事側で受けられるようにして、扱える領域を拡大していきたいと考えています。
弊社は創業以来、運送業を主事業とした運営をしてきましたが、2024年(令和6年)には罰則付きの時間外労働規制を定めた「改正労働基準法」が施行され制約がさらに厳しくなることから、運送業者の仕事の枠も狭まっていくものと推察しています。人口減少とともに運送業に就く人も少なくなっていくため、今後の運送業は一回の輸送をいかに効率的にしていくかという生産性改善が必要となっていきます。
弊社としては、子会社である三正商事を経営の主体にして自社の運送事業との連携強化を図り、今後10年かけて「売り、運ぶ」会社にしていきたいと考えています。また、弊社は運送会社で運べないような大型貨物の運搬を得意としていますが、ゆくゆくは小型の荷物も三正商事側で受けられるようにして、扱える領域を拡大していきたいと考えています。
会社概要
社名 | 三正運輸株式会社 |
創立年 | 1973年 |
代表者名 | 代表取締役社長 小橋 栄信 |
資本金 | 2000万円 |
事業エリア |
大阪営業所
599-0212 大阪府阪南市自然田143-1 |
鹿沼事業所
322-0016 栃木県鹿沼市流通センター87 |
|
壬生倉庫
321-0215 栃木県下都賀郡壬生町御成橋東4024 |
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那須ディストリビューションセンター
329-2733 栃木県那須塩原市二区町492-9 |
|
三正商事株式会社(関連会社)
中古車輸出・中古車販売・古物取扱・一般貨物輸送事業・労働者派遣事業 |
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株式会社セイシンコーポレーション(関連会社)
電子デバイス輸出入・国内販売 |
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本社住所 |
321-0215 栃木県下都賀郡壬生町大字壬生乙3546-1 |
事業内容 | 運送サービス |
URL |
http://www.3400sansho.com/
|
会社沿革
1973年 | 創業 |
1986年 | 大阪営業所開設 |
1996年 | 倉庫業を開始 |
2016年 | 小橋栄信代表取締役 就任 |
三正運輸株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/09/02 (2024/01/12修正)
※本記事の内容および所属名称は2024年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。