那須塩原
真岡市
引継ぎ実績あり
お客様のお困りごとを解決するのが木村のスタイル
株式会社木村
住宅建材、建築・外構・リフォーム工事の建材コンサルタント
経営理念
みんなが自慢できる会社。
縁のあるすべての人の幸せを実現できる会社になろう
木村は「建材のコンサルタント」です。
普通の建材屋
- 自社で仕入れした商品を販売する卸売業者
- お客様の課題解決よりも、自社の売上高優先
- 年商規模を増大化することを目的とする
木村の目指すサービス
工務店だけでなく、施主様もお客様!!
問題解決をしてくれる、相談に乗ってくれる建材屋
今までの経験から良質な提案ができる建材屋
商品を販売することが目的ではなく、お客様のお困りごとを解決することが木村のスタイル。従業員が、周りに自慢できる会社になりたいです。自信を持って働いている人は、自分の会社名を言います。従業員の子にも話してもらえるような会社になりたいです。
代表者メッセージ
人と暮らしを支える、「モノづくり」の仕事をしよう
株式会社木村は、お客様の住まい、暮らしにかかわる事業を通じて「お客様に喜んでいただくと同時に、ともに働いている全ての仲間が幸せを共有でき、地域に貢献しながら進化し続ける会社でありたい」と真剣に考え、これからも社員一同一致団結し、より良いサービスを提供できるよう邁進して参ります。
古くからの常識や慣習への想いから守らなければならないと強く思う業界は、残すべき業種ではないと思います。〇〇屋といわれる専門業は、衰退するでしょう。弊社も創業当時は金物屋でしたが、屋号を株式会社とするタイミングで〇〇屋をなくしました。しかし金物販売は私たちのコアであるため、業態を変えようが金物屋のマインド、プライドは残して行きます。金物屋の枝分かれで工事事業があります。否定はせず、古き良きは重んじています。金物屋で扱っている商材をつかって工事をしているので、どちらも存続できています。
私はショールームの後ろにあった家で生まれ育ちました。ショールームがある土地が本籍です。地域貢献したいという想いから、ショールームの2階を解放し無料でバルーン教室などのカルチャースクールなどに貸しています。これはカルチャースクールの先生から、公民館などの場所が取れずに困っているという話を聞いたのがきっかけです。以前も元プロ野球選手を呼んで、小学生を対象にしたちびっこ教室を企画していました。今も将来的にはやりたいと思っています。このように私は人が1番集まりやすいものを日々考えています。こうした企画で那須塩原に有名な方が来たとなれば、子どもも喜ぶし親も喜ぶと思います。そうして旧西那須野町が住みたい町ランキングでランクが上がると良いなと考えています。西那須野の企業が盛り上げるとより良いと思いますので、他社を巻き込み、おもしろいことを皆でやろうと考えています。
社長のこだわり
これまで大したことはしていないと思っています。まだまだ若輩者です。
金物販売はコアな部分で、いくら業態を変えようが祖父から始まった創業マインドは大切にしています。ファミリービジネスのプライドでもある芯の部分は外したくないという想いです。その金物販売の枝分れにある業務が今の工事事業です。矛盾も承知で、古き良き慣習を重んじています。工事についても金物販売で扱っている商材を必ず使いますので、180度違う業種をやってる感覚はありません。創業マインドのもとで業務を関連付けることが私の社長としてのこだわりかもしれません。
事業承継をおこなって変わったこと
事業承継は責務が重いと感じています。代表を引き継いだタイミングから「責任はすべて私」と強く認識して今に至ります。従業員が悪いことをしたら全部私に跳ね返ってきますので、専務取締役だった時とはまったく違います。専務も肩書きは大層なものですが、先代の重要さは強く痛感しました。事業承継には、そろそろ自分の番と覚悟をもつことが必要であると学びました。
普段の生活は、社長になってもあまり変わった部分はなかったかと思います。元々あんまりオンとオフを分けようとはしなかったので、休みであってもいつでも仕事モードにはなります。これは実家が家業を営んでいたことから、幼いころからの慣れもあります。ただこの生活ではなかったサラリーマン時代は、しっかりと休みの日は会社の携帯電話はオフにしていました。家族が継承してきたビジネスでもあるので、今はそうもいってはいられないという少し現金な考えです。サラリーマンの経験もあるので、従業員には時間外の作業や休日は無理強いはしません。休日に出社している上司を模範とも思われたくないですしね。
私たちのこだわり
家督承継の経緯
幼少期から、初代や周りの従業員に3代目と言われてきました。将来の夢はなく、金物屋を継ぐということで育ちました。しかし、やらされているという気持ちはありませんでした。自宅の隣が会社だったため、学校から帰ってきたら会社という環境でした。そのため、会社を継ぐことは自然の流れでした。問屋からの紹介で、はじめは千葉にある他社で3年間修業しました。弊社は当時金物屋だったため、販売がメインでした。25歳になり帰ってきてからは、従業員として働きはじめました。今までは社長の子として接してもらっていましたが、会社の従業員として見られるようになり、最初は厳しかったです。新規顧客を探すしかない中で営業で1番を目指し、実際に1番になりました。当時社内は、先代と同じ世代の方ばかりだったので、その方々が退職されたら人がいなくなってしまうという危機感があり、自分で工事事業を始めました。すべてが初めてだったので、まず職人を見つけることからはじめました。当時は、販売店が工事をすることはタブーでしたが、若かったこともあってできた部分もありました。金物販売の顧客から工事事業をおこなうことに対してのバッシングは常にありました。それでも工事事業をおこなわないと会社の先がないと思い、やらなければなりませんでした。今までと同じことをやるのが楽ですが、そのままでは売上はないと考え、数字をつくって生き残るために必死でした。
従業員との関係、行動理念の浸透方法
従業員にやってほしい時は、まず自分がやるところを見せています。何もやらない人に言われても響かないので、手本を見せています。社内に部はありますが、細かな役割は分けていません。分けてしまうと壁が出来てしまいます。壁をなくして、チーム木村でやりたいです。部活とサークルの延長です。ミーティングも全員でやります。たとえば忙しい現場があったら、どうするか決めるために皆でミーティングをします。会社のグループLINEがあり、みんな現場の位置情報を送っています。そうすると、誰がどこの現場で作業しているかが明確になり助け合うことができます。
いつも社員の気持ちをよく考えるようにしています。私も雑用でもなんでもやりますし、社員のみんなと一緒に騒げて楽しいです。また部下をどう動かすかも、癖で客観視して考えています。私も一歩会社からでれば一般人と変わりません。社長はリーダーで、何でもやるべきです。社長だから作業をしてはだめということはないです。また業績を上げて、給料も上げて、従業員とその家族皆で幸せになろうと考えています。
うちの社員は他社より質の高い働きをしていると思っています。納期を厳守するという使命感をもち、時間は関係なく現場が終わるまでやってきます。これはお客様に対する気持ちを重視しているからです。私から従業員には、仕事は誰からもらっているのかを考え、お客様を最優先するということを口を酸っぱくして言っています。仕事のミスは怒りませんが、お客様に対しての無礼は許しません。それが揺らぐとグズグズになってしまいます。大工のイメージづくりとして、衣服にも気を付けています。一般的な大工によくあるニッカポッカは着ません。なるべくお客様に不快感を抱かせないようにしています。その代わりに、チーム木村のマークをキャップや衣服へ入れています。
地域貢献と地域への想い
今ショールームがある場所が、私の本籍地です。もともとここに家もありました。お客様には「木村に頼んだからこうなったんだ」という感動を味わってもらいたいと思っています。また、この地域が元気になるようにやれることはやっていきたいと思っています。以前に、ちびっこの野球教室を企画し、元プロ野球選手に来てもらおうと話をつめていきましたが、スケジュールなどの都合が悪くなってしまい企画は流れてしまいました。将来的にまた企画して実行までやりたいと思っています。
那須塩原市に有名人が来れば、子どもにも大人にも思い出になります。特に子どもにとっては、生まれ育った場所での特別な思い出にもなります。ここは良い街なんです。住みたい町ランキングなどでランクが上がってもらえるような活動が出来たら良いなと思います。やっぱり地元であり田舎のよさがあります。
私自身地元の仲間とは、学生の延長線で社会人になっても集まっています。遊びの延長で色んなことを計画して地域のために貢献できれば幸いです。
家督承継の経緯
幼少期から、初代や周りの従業員に3代目と言われてきました。将来の夢はなく、金物屋を継ぐということで育ちました。しかし、やらされているという気持ちはありませんでした。自宅の隣が会社だったため、学校から帰ってきたら会社という環境でした。そのため、会社を継ぐことは自然の流れでした。問屋からの紹介で、はじめは千葉にある他社で3年間修業しました。弊社は当時金物屋だったため、販売がメインでした。25歳になり帰ってきてからは、従業員として働きはじめました。今までは社長の子として接してもらっていましたが、会社の従業員として見られるようになり、最初は厳しかったです。新規顧客を探すしかない中で営業で1番を目指し、実際に1番になりました。当時社内は、先代と同じ世代の方ばかりだったので、その方々が退職されたら人がいなくなってしまうという危機感があり、自分で工事事業を始めました。すべてが初めてだったので、まず職人を見つけることからはじめました。当時は、販売店が工事をすることはタブーでしたが、若かったこともあってできた部分もありました。金物販売の顧客から工事事業をおこなうことに対してのバッシングは常にありました。それでも工事事業をおこなわないと会社の先がないと思い、やらなければなりませんでした。今までと同じことをやるのが楽ですが、そのままでは売上はないと考え、数字をつくって生き残るために必死でした。
従業員との関係、行動理念の浸透方法
従業員にやってほしい時は、まず自分がやるところを見せています。何もやらない人に言われても響かないので、手本を見せています。社内に部はありますが、細かな役割は分けていません。分けてしまうと壁が出来てしまいます。壁をなくして、チーム木村でやりたいです。部活とサークルの延長です。ミーティングも全員でやります。たとえば忙しい現場があったら、どうするか決めるために皆でミーティングをします。会社のグループLINEがあり、みんな現場の位置情報を送っています。そうすると、誰がどこの現場で作業しているかが明確になり助け合うことができます。
いつも社員の気持ちをよく考えるようにしています。私も雑用でもなんでもやりますし、社員のみんなと一緒に騒げて楽しいです。また部下をどう動かすかも、癖で客観視して考えています。私も一歩会社からでれば一般人と変わりません。社長はリーダーで、何でもやるべきです。社長だから作業をしてはだめということはないです。また業績を上げて、給料も上げて、従業員とその家族皆で幸せになろうと考えています。
うちの社員は他社より質の高い働きをしていると思っています。納期を厳守するという使命感をもち、時間は関係なく現場が終わるまでやってきます。これはお客様に対する気持ちを重視しているからです。私から従業員には、仕事は誰からもらっているのかを考え、お客様を最優先するということを口を酸っぱくして言っています。仕事のミスは怒りませんが、お客様に対しての無礼は許しません。それが揺らぐとグズグズになってしまいます。大工のイメージづくりとして、衣服にも気を付けています。一般的な大工によくあるニッカポッカは着ません。なるべくお客様に不快感を抱かせないようにしています。その代わりに、チーム木村のマークをキャップや衣服へ入れています。
地域貢献と地域への想い
今ショールームがある場所が、私の本籍地です。もともとここに家もありました。お客様には「木村に頼んだからこうなったんだ」という感動を味わってもらいたいと思っています。また、この地域が元気になるようにやれることはやっていきたいと思っています。以前に、ちびっこの野球教室を企画し、元プロ野球選手に来てもらおうと話をつめていきましたが、スケジュールなどの都合が悪くなってしまい企画は流れてしまいました。将来的にまた企画して実行までやりたいと思っています。
那須塩原市に有名人が来れば、子どもにも大人にも思い出になります。特に子どもにとっては、生まれ育った場所での特別な思い出にもなります。ここは良い街なんです。住みたい町ランキングなどでランクが上がってもらえるような活動が出来たら良いなと思います。やっぱり地元であり田舎のよさがあります。
私自身地元の仲間とは、学生の延長線で社会人になっても集まっています。遊びの延長で色んなことを計画して地域のために貢献できれば幸いです。
ツグナラコンサルタントによる紹介
お付き合いさせていただき5年以上になりますが、常に客観的に経営をみて、冷静で適切な判断をしている印象です。また、若手社員からの支持が厚いので、何をしても一枚岩の行動をしているのが印象的です。
インタビュアーのコメント
会社概要
社名 | 株式会社木村 |
創立年 | 1949年 |
代表者名 | 代表取締役社長 木村 一茂 |
資本金 | 1000万円 |
本社住所 |
329-2763 栃木県那須塩原市井口577-64 0287-37-0151 |
事業内容 | 住宅建材販売、建築工事業、外構工事業、足場リース、リフォーム工事業 |
URL |
http://kimuralife.com
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公開日:2021/07/12 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。