那須塩原
那須塩原市
業界伝統と調和し技量だけでなく職人の人間性向上に理念を掲げる
有限会社阿久津左官店
お客様の喜びは全社の喜びに、創意工夫で活気ある地域に根付く左官士集団
経営理念
私達は、礼儀・技術・知識の向上を目指し感謝の気持ちで社会に貢献します。
「礼儀・技術・知識」
1)礼儀正しく、さわやかな新しいタイプの職人の育成。
2)卓越した左官技術を駆使して、お客様のイメージを具現化する。
3)材料・施工に関する豊富な知識を活かし、お客様のニーズに応える。
阿久津左官店は、1972年に創業以来、栃木県北部を中心に、塗り壁・タイル工事を主とするリフォームを行っています。特に内装・外装の塗り替え・タイルの張り替えを得意としています。
塗り壁には、クロスでは味わえない魅力があります。
ただし、塗り壁は職人の腕によって仕上がりが大きく左右されます。良い仕事をするためには豊富な知識と卓越した技術が必要なのです。 弊社では、左官技能士(国家資格)の資格を持ったプロフェッショナルが責任を持って施工をします。
毎日生活する我が家だからこそ、お客様にご満足いただける仕事ができるよう、日々技術を磨いて皆様をお待ちしております。
代表者メッセージ
家業に従事するまでの経緯と歩み
私の家業は、父が創業した左官工事業でした。しかし、最初から家業を継いだわけではなく、他社での経験を経ての事業承継でした。私は、地元工業高校を卒業後ゼネコン(土木・建築工事を発注から請負、工事全体のとりまとめを行う建設業者)に入社しました。理由としては中学生の頃にアルバイトで父の会社で左官の手伝いをしたことがありました。セメントと砂と水を混ぜてバケツへ入れて、職人さんが壁塗り作業をしている場所まで何十回、何百回と運びました。当時はまだ身体も小さく体力も無かったので非常にきつい作業でした。夏休み中の暑い時だったので、熱中症になりかけるほど過酷な体験をしました。ただ、左官職人である父が壁を塗っている姿は格好良いと思いましたが、その当時は私自身が体力を要する現場仕事には向いていないと感じ、父に仕事を出せるような仕事はないかと考えて工業高校に進学を決めました。高校では、機械科に進学し図面設計などに興味を持ち始め、ゼネコンへ就職した際には設計を担当していました。
ゼネコンへ就職して1~2年が経った時に父が持病の腰痛を悪化させて入院することになりました。そのために現場は段取りが出来なくなり混乱していました。私がゼネコンからの仕事帰りに父のお見舞いに病院へ立ち寄り、仕事の指示を父から受けて翌日の予定などを従事していた職人さんに伝えていました。ただ、大黒柱の入院ということもあって家業の一大事であるので私自身も家業に戻る決心となりました。この時は、私の自身の決断でもありましたが、父からも家業へ戻るように促されたことも背景にあります。いずれは家業を継ぐようだと考えていたのが一番の理由です。
入社した当初はずっと年上の人ばかりで、年下は遅れて入社してきた新人職人が数名という年齢構成でした。入社後は6年間ほど修行しました。だいたい5年ほど修業すれば左官技能士1級の資格が取れますが、様々な業務をこなしながらで少し時間を費やしました。左官業自体では資格がなくても壁は塗る事は出来ますが、大手建設会社での現場作業もあるため資格はきちんと取得しておこうという想いはありました。
経営理念を掲げ、技量だけでなく職人の人間性の向上を目指す
入社10年を向かえ年齢も30歳となった時に事業承継をおこない社長になりました。時期としても早い引継ぎだったと思っています。ただ社長交代といっても、父の手が届かない部分を代わりにおこなう形で実質的には、私が経営と営業をおこない、父が現場を仕切る形になりました。
私はもともと現場でバリバリ稼ぐというタイプではなく、ゼネコンで学んだ設計の知識や材料・施工方法の知識を活かした営業・商談等が向いているという思いがありました。しかし、一度仕事を受注した後の再受注がかなり困難でした。当時は左官職人の現場でのマナーが良くなかったのです。当時の雇用形態が自社の社員というのではなく、一人親方制となっており、現場で作業をおこなう人たちは応援という形になっていたので社内教育ができないという理由がありました。くわえ煙草で仕事をしている、ヘルメットを被らない、挨拶ができないなど、指揮系統もふくめ連携が取れていませんでした。マナーが悪いと取引先やお客様からご指摘を受けて、次の仕事が来なくなってしまいます。先代はどちらかと言えば職人気質でもあり技術や要領の良さなど職人としての技量があれば多少のことに目をつぶるという感じでした。私はその慣習が嫌でもあり、技術だけではなく人としての振る舞いも重要だと強く思い社長を交代した際に取組み姿勢は直したいと思いました。そこで就任当初の2000年に『私達は、礼儀・技術・知識の向上を目指し、感謝の気持ちで社会に貢献します。』という経営理念を掲げ、社員も同じ気持ちで理念を実現できるようにと意識改革から進めていきました。
経営理念の浸透にOJTだけでなく、OFF-JTを導入して社内へ実践し徐々に浸透
弊社ではOJT(職場で実務をさせることで行う従業員の職業教育)とOFF-JT(特別に時間や場所を取って行う教育・学習)があります。実務については現場作業を通じて先輩社員などから教えてもらい学んでいきます。OFF-JTについては、社会人としてのマナーや経営・営業の作法については研修機関で学んでもらっています。私は最初の就職先でゼネコン勤務もあったのでOFF-JTは経験していました。昔と違って、職人も社会人としての知識や教養はあった方が良いですし、役職や一部のものではなく全員が受講しようと会社の方針として決めました。実行当初はなかなか受け入れてもらえませんでしたが、継続は力なのかもしれません。続けていくことで当たり前のように浸透していきました。浸透するまでは非常に苦労もありましたが、学んだものがさらに別な人に指導し伝授するというその繰り返しの中で個々が勉強をし、10年後にはこの仕組みを幹部社員に任せられるようになっていきました。
業界的にも下請けの左官業を元請けに引き上げた営業戦略
社長に就任してから、先ずは看板を新設し会社のホームページも立ち上げました。効果は直ぐにあらわれ、告知したところから受注が増えてきました。左官業は市場全体や全国的にも下請けの作業となっており、自ら告知することで元請けでも仕事が取れるようになったことは営業戦略で見ても非常に大きかったと思います。
知り合いの工務店からの依頼もあるので、現状の元請けの割合は6~7割ですが十分な数字だと思っています。元請け以外の受注に関しても、無理な値引きはせずに見積の通りに受注を決めてもらっているので非常にやりやすい環境で仕事は出来ています。建設業の職人が育たないという昨今の環境の中で左官業でも職人が減ってきています。弊社は組織で運営をおこなっているので値段交渉にも対応できますが、極力値引きには応じずに単価を維持することで雇用の継続に繋げています。結果的に同業や工務店からも評価されておりこの部分は弊社の強みであるといえます。
昔の技術と最先端技術を組み合わせて、より「進化」できる工夫を
以前から業務の流れや仕事の質など、まだまだ進化できるものがあるという思いがありました。左官業では、塗るコテは昔から形やサイズなどは決まっていますが、昔は存在しなかった良い材質のものがあったり、道具だけでなく作業自体を改良できないかと考えてレーザー加工機を導入しました。今は3Dプリンタやレーザー加工機なども出てきたので、これらの機材を組み合わせると新しいものが生み出せるのではないかと常日頃から考えています。
一つの例として私たちの現場で使用するタイルや石材は貼っていくと何枚か余ってしまうことがあります。しかし、余ったタイルはいくら良い材料だとしてもたった1枚では売ることができません。そこにレーザー加工機で装飾を施して名前を入れたりすると表札となり付加価値もついて提供することもできます。
その他にも左官の技術を活かし空き家の再生にも力を入れています。今、左官のしっくいギャラリーとして活用している建物も50年前の古い空き家を再生し使用しています。この場所も再生前は地域でも迷惑になるような荒廃した場所でした。当初は取り壊して分譲地にするようなプランがありました。日本家屋の良さとリノベーションすれば良くなると意気込んで、2年くらい費やして今の空き家再生モデルの展示場となりました。職人ビレッジと名付けたこの場所は奥の方に由緒あるお寺(雲照寺)があります。そのような立地の場所で、当初の計画のままで土地が分譲され戸建ての家が立ち並んでしまうとお寺や周りの景観としても良くないと考えました。地域のためでもあり、何でも新しく建て替えるのではなく、左官の技術で再生することを選択しました。そのことがきっかけで宮大工さんやお寺の住職から直接の仕事をいただくことができるようになりました。この地を選んで本当によかったと思っています。
経営を学ぶため大学院まで進学し、著書を刊行
私が34歳の時になりますが、働いていた職人が立て続けに退職してしまいました。私が社長になり、学ぶ社風にしていこうと社内改革を強行しすぎたための影響でした。残った社員を迷わせてはいけないと思う部分もあり、経営の勉強を改めてするために、那須大学(現宇都宮共和大学)に仕事をしながら4年間通いました。その間、経営学を真剣に学び、学んだ事の集大成として卒業論文は、「職人育成について」をまとめました。その時お世話になったゼミの先生が立教大学でも講義をおこなっていたこともあり、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科(RBS)の存在を教えてくれ、立教大学大学院の亀川先生とのご縁を頂き、進学をしました。38歳の時でした。家族や社員にも協力してもらい2年間かけて経営学を学び、やはり修士論文も「職人育成について」でまとめました。この時の修士論文をベースに最初の書籍「『職人』を教え・鍛え・育てるしつけはこうしなさい!」(同文舘出版)が刊行されました。直近では、2021年9月1日に新刊「一年目から現場で稼げる建設職人を育てる法」(同文舘出版)が刊行されました。
私たちのこだわり
職人の若返りのほか女性登用も早期から行う
現在スタッフ人数は、代表者を入れて9名です。業界でも高齢化が進んでおり、現場はベテランが多く、年齢も60歳を超えた職人もおります。弊社は私(50歳)よりも年下ばかりです。若返りや世代交代は左官業としてはうまく進められた方だと思っています。
去年も新卒で18歳の女性が入社しました。今後は、新卒の採用も積極的に進めていきたいと思っています。今回入社した女性は、建設工学科を卒業しておりある程度は建築、建設について学んできていることもあり、非常に優秀な社員です。23歳までがエントリーできる技能五輪や一級左官技能士(国家資格)もあるので、経験を積ませたいと思っています。事務所と別の場所に壁の匠左官道場もあり、そこで日々訓練しています。
職人の技術を体験できる機会を作り、子どもたちの夢に繋げる
幼いころから左官職人の父の格好いい姿を見てきた半面、左官業は体力や精神力のいる大変な業務と思っていました。ですが、私は子供のころからものづくり自体は大好きでした。そんなこともあり、子供たち向けのイベントとして漆喰磨きを体験できる「光る泥だんごづくり」を企画して地域交流も行っています。小さい時の思い出であったり、体験学習をきっかけに何かを掴んでもらええればという地域貢献活動ではありますが、新型コロナウィルスの感染拡大もありイベントが開催できないことは非常に残念です。お子さん達の1年は貴重なものでもあるので、早く開催できればと思っています。
それと、社内の打合せやお客様との商談で使用する展示場は空き家をリノベーションした建物になっています。将来的にはレンタルスペースにしたいと考えています。陶芸窯で作った自分の皿を展示したり、最近では個展に活用したりしています。今後は左官体験はじめ様々な職人体験、陶芸教室・木工教室等のものづくり体験ができるようにしたいと思っています。職人ビレッジという施設では若い子に職人体験をさせて、少しでも職人を目指す若い芽が出てくることを期待しています。
新サービスを考案し、既存客の新たな需要を満たす
ものづくり補助金でレーザー加工機を導入して、木やタイル、金属への彫刻もできるようになりました。これから始めようと考えている陶芸と組み合わせて、職人ビレッジでも様々なものづくり体験をしてもらえるようにしたいと思います。レーザー加工品は商品化も可能であり、今後はECサイトもふくめ物販などもチャレンジしていきたいと思います。レーザー加工は加工データと素材があれば作れます。そして、敷地隣にお寺があった縁もあり社寺からの依頼も多く、その中で宮大工さんから漆喰壁の塗装加工の仕事をいただいていたことからレーザー加工の依頼に繋がっています。地蔵、仏像の前に説明看板や社寺への寄付した名前プレートも制作しています。
お客様の喜びを自らの喜びに
社員には「職人は技術がいいのは当たり前。しかし、時には費用や手間、時間がかかることもあるかもしれないけど、お客さんの喜ぶことをやってあげな。自分のレベルでやってみてどうしようもないときは、先輩の手を借りて教えてもらいながら取り組んでみて」と話している。阿久津社長はこのように語っていました。千葉県船橋市にあるピーターパンというパン屋さんを経営されているパン職人の横手会長さんから教えていただいた言葉が原点になっています。「お客様の喜ぶことを常に考えなさい」「そして考えたことを実際に行動に移しなさい」「そうするとお客さんが喜ぶでしょう。そのお客さんが喜ぶ姿を見て自分も嬉しくなり喜べる職人になりなさい」と仰っていました。職人という点でお客様を第一に考える思考は私たちも通ずるところです。
お客様の喜びを共感するにも職人個々で知識がなければ話ができません。そのため社員にも教養をつけてもらうため、月刊「理念と経営」という冊子を一人一人に配っています。読んだ感想を交えて、設問をいくつ出して発表しています。ただ一方通行にならないように発表内容を各自でメモをして、上司がそのメモにコメントを入れます。最終的に私の方で赤ペンでコメントを記入して返還します。読んだものを理解して発表する、他の人の発表にも耳を傾けまた考察をする、この繰り返しだけでも大きな進化に繋がっています。今では 朝礼でも皆メモをしっかりと書いてくれるようになりました。その延長で、社員2名が会社の問題点を話し合ってレポートにまとめたり、研修で学んだことをレポートとして共有したりメモの考察は非常によく浸透しています。
学ぶ時間についても時代の流れに合わせ変化させています。働き方改革もあり就業時間内で職人を育てる中で、以前は仕事が終わり勉強会を開催していましたが今は時間の使い方を工夫して就業時間内に実践しています。時間の使い方、効率化は今一番重視しており習慣化できるかが今後の弊社の強みになってくると思っています。そのためにコミュニケーションは重要で、社員同士で話し合い切磋琢磨できる関係性を作っていきたいと思っています。相談しづらいことでも、普段から言い合える環境があることも重要です。私は事業承継者ではありますが、職人を1人1人しっかりと育成していくことで、左官業の新たな文化を継承していきたいと思っています。チームワークが技術を育み、若い人は何倍にもなって成長の速度が上がっていく今はその良い状態にあると思っています。
一企業として社内承継し、創意工夫で地域を再生したい
私の息子はまだ3歳で、後継者として育つのを待っている間に私だけでなく会社も老いてしまいます。家督継承ではなく、育ってきている幹部社員への承継を考えています。同族経営は資質の見極めとリーダーとして任せられるかにあり、今はそのような状況にはなく会社を存続させるための最善策として、育ってきた職人さんの中で経営の担い手が出てくればと考えています。
今、左官業の社長をしていますが、今の会社は次世代経営者へ託して私自身は新たにものづくりの事業に着手したいとも考えています。今までの経営者としての経験を地域や地元に活かしながら新たな産業や事業を立ち上げることで雇用の創出、地域活性化の一助となればと思っています。その手段として後継者不足やコロナ禍で経営が厳しくなった事業のM&Aも考えています。その一つに、職人ビレッジファーム事業として農業を絡められればと思っています。空き家を再生して自然の中に佇む作業所を作り、そこを都心や県内外から足を運んでもらい、ものづくり体験や農業体験をしながら1日過ごせるような時代ごとの空気をつぶさに感じ取りながら、新たな価値を提供できるサードプレイスを作りたいと思っています。職人ビレッジは、交通の便もよく東北自動車道から降りて3分くらいのアクセスでもあります。この近辺は高齢者住居も多く、空き家の増加が加速化してしまうので事業としても早くに構想を固めて実行していきたいと思っています。
M&Aという会社や事業の統合・買収ではなく、経営資源の引継ぎにも興味を持っています。例えば機械設備はあるが、事業を継続ができないところ栃木県は産業が発達しているので町工場、下請け事業者も多くありそのような資源活用に話を聞いてみたいと思っています。設備だけでなくその機械設備を扱える職人も根絶やしてはいけないので、経営資源を引継ぐ中で弊社が実践している教育も浸透させ地域の伝統も一緒に残していきたいと思っています。作るだけでなく、今ではインターネット販売など販路も自分たちで構築できるようになり、ECサイトで販路を確保することで直販も可能です。M&Aや経営資源の引継ぎは、製造技術を持つ、ものづくり企業、機械設備、職人などすべてに興味があります。
先代である父は昨年に亡くなりました。亡くなる直前まで現場で左官の仕事をしていました。まさに生涯現役でした。父は親方であり、職人のリーダーの立場でもありました。ですが、経営や財務の事は苦手としていました。資金繰りなどはその場で判断することも多く当時は借金となっていました。会社を引き継いだ際には、それなりの借金があり返済に概ね10年掛かりました。この間、私は社長として経営と財務の勉強を必死にしてきました。本当に多くの事を学び何とか経営ができるようになりました。今となってはそれが良かったと感じています。完済しても気が抜けない感覚は残り、今でも計画的な借入はしても良いとは思いますが、極力借入れをしないように心掛けています。借金を強く意識してから経営状態は改善していったと自負しています。
職人の若返りのほか女性登用も早期から行う
現在スタッフ人数は、代表者を入れて9名です。業界でも高齢化が進んでおり、現場はベテランが多く、年齢も60歳を超えた職人もおります。弊社は私(50歳)よりも年下ばかりです。若返りや世代交代は左官業としてはうまく進められた方だと思っています。
去年も新卒で18歳の女性が入社しました。今後は、新卒の採用も積極的に進めていきたいと思っています。今回入社した女性は、建設工学科を卒業しておりある程度は建築、建設について学んできていることもあり、非常に優秀な社員です。23歳までがエントリーできる技能五輪や一級左官技能士(国家資格)もあるので、経験を積ませたいと思っています。事務所と別の場所に壁の匠左官道場もあり、そこで日々訓練しています。
職人の技術を体験できる機会を作り、子どもたちの夢に繋げる
幼いころから左官職人の父の格好いい姿を見てきた半面、左官業は体力や精神力のいる大変な業務と思っていました。ですが、私は子供のころからものづくり自体は大好きでした。そんなこともあり、子供たち向けのイベントとして漆喰磨きを体験できる「光る泥だんごづくり」を企画して地域交流も行っています。小さい時の思い出であったり、体験学習をきっかけに何かを掴んでもらええればという地域貢献活動ではありますが、新型コロナウィルスの感染拡大もありイベントが開催できないことは非常に残念です。お子さん達の1年は貴重なものでもあるので、早く開催できればと思っています。
それと、社内の打合せやお客様との商談で使用する展示場は空き家をリノベーションした建物になっています。将来的にはレンタルスペースにしたいと考えています。陶芸窯で作った自分の皿を展示したり、最近では個展に活用したりしています。今後は左官体験はじめ様々な職人体験、陶芸教室・木工教室等のものづくり体験ができるようにしたいと思っています。職人ビレッジという施設では若い子に職人体験をさせて、少しでも職人を目指す若い芽が出てくることを期待しています。
新サービスを考案し、既存客の新たな需要を満たす
ものづくり補助金でレーザー加工機を導入して、木やタイル、金属への彫刻もできるようになりました。これから始めようと考えている陶芸と組み合わせて、職人ビレッジでも様々なものづくり体験をしてもらえるようにしたいと思います。レーザー加工品は商品化も可能であり、今後はECサイトもふくめ物販などもチャレンジしていきたいと思います。レーザー加工は加工データと素材があれば作れます。そして、敷地隣にお寺があった縁もあり社寺からの依頼も多く、その中で宮大工さんから漆喰壁の塗装加工の仕事をいただいていたことからレーザー加工の依頼に繋がっています。地蔵、仏像の前に説明看板や社寺への寄付した名前プレートも制作しています。
お客様の喜びを自らの喜びに
社員には「職人は技術がいいのは当たり前。しかし、時には費用や手間、時間がかかることもあるかもしれないけど、お客さんの喜ぶことをやってあげな。自分のレベルでやってみてどうしようもないときは、先輩の手を借りて教えてもらいながら取り組んでみて」と話している。阿久津社長はこのように語っていました。千葉県船橋市にあるピーターパンというパン屋さんを経営されているパン職人の横手会長さんから教えていただいた言葉が原点になっています。「お客様の喜ぶことを常に考えなさい」「そして考えたことを実際に行動に移しなさい」「そうするとお客さんが喜ぶでしょう。そのお客さんが喜ぶ姿を見て自分も嬉しくなり喜べる職人になりなさい」と仰っていました。職人という点でお客様を第一に考える思考は私たちも通ずるところです。
お客様の喜びを共感するにも職人個々で知識がなければ話ができません。そのため社員にも教養をつけてもらうため、月刊「理念と経営」という冊子を一人一人に配っています。読んだ感想を交えて、設問をいくつ出して発表しています。ただ一方通行にならないように発表内容を各自でメモをして、上司がそのメモにコメントを入れます。最終的に私の方で赤ペンでコメントを記入して返還します。読んだものを理解して発表する、他の人の発表にも耳を傾けまた考察をする、この繰り返しだけでも大きな進化に繋がっています。今では 朝礼でも皆メモをしっかりと書いてくれるようになりました。その延長で、社員2名が会社の問題点を話し合ってレポートにまとめたり、研修で学んだことをレポートとして共有したりメモの考察は非常によく浸透しています。
学ぶ時間についても時代の流れに合わせ変化させています。働き方改革もあり就業時間内で職人を育てる中で、以前は仕事が終わり勉強会を開催していましたが今は時間の使い方を工夫して就業時間内に実践しています。時間の使い方、効率化は今一番重視しており習慣化できるかが今後の弊社の強みになってくると思っています。そのためにコミュニケーションは重要で、社員同士で話し合い切磋琢磨できる関係性を作っていきたいと思っています。相談しづらいことでも、普段から言い合える環境があることも重要です。私は事業承継者ではありますが、職人を1人1人しっかりと育成していくことで、左官業の新たな文化を継承していきたいと思っています。チームワークが技術を育み、若い人は何倍にもなって成長の速度が上がっていく今はその良い状態にあると思っています。
一企業として社内承継し、創意工夫で地域を再生したい
私の息子はまだ3歳で、後継者として育つのを待っている間に私だけでなく会社も老いてしまいます。家督継承ではなく、育ってきている幹部社員への承継を考えています。同族経営は資質の見極めとリーダーとして任せられるかにあり、今はそのような状況にはなく会社を存続させるための最善策として、育ってきた職人さんの中で経営の担い手が出てくればと考えています。
今、左官業の社長をしていますが、今の会社は次世代経営者へ託して私自身は新たにものづくりの事業に着手したいとも考えています。今までの経営者としての経験を地域や地元に活かしながら新たな産業や事業を立ち上げることで雇用の創出、地域活性化の一助となればと思っています。その手段として後継者不足やコロナ禍で経営が厳しくなった事業のM&Aも考えています。その一つに、職人ビレッジファーム事業として農業を絡められればと思っています。空き家を再生して自然の中に佇む作業所を作り、そこを都心や県内外から足を運んでもらい、ものづくり体験や農業体験をしながら1日過ごせるような時代ごとの空気をつぶさに感じ取りながら、新たな価値を提供できるサードプレイスを作りたいと思っています。職人ビレッジは、交通の便もよく東北自動車道から降りて3分くらいのアクセスでもあります。この近辺は高齢者住居も多く、空き家の増加が加速化してしまうので事業としても早くに構想を固めて実行していきたいと思っています。
M&Aという会社や事業の統合・買収ではなく、経営資源の引継ぎにも興味を持っています。例えば機械設備はあるが、事業を継続ができないところ栃木県は産業が発達しているので町工場、下請け事業者も多くありそのような資源活用に話を聞いてみたいと思っています。設備だけでなくその機械設備を扱える職人も根絶やしてはいけないので、経営資源を引継ぐ中で弊社が実践している教育も浸透させ地域の伝統も一緒に残していきたいと思っています。作るだけでなく、今ではインターネット販売など販路も自分たちで構築できるようになり、ECサイトで販路を確保することで直販も可能です。M&Aや経営資源の引継ぎは、製造技術を持つ、ものづくり企業、機械設備、職人などすべてに興味があります。
先代である父は昨年に亡くなりました。亡くなる直前まで現場で左官の仕事をしていました。まさに生涯現役でした。父は親方であり、職人のリーダーの立場でもありました。ですが、経営や財務の事は苦手としていました。資金繰りなどはその場で判断することも多く当時は借金となっていました。会社を引き継いだ際には、それなりの借金があり返済に概ね10年掛かりました。この間、私は社長として経営と財務の勉強を必死にしてきました。本当に多くの事を学び何とか経営ができるようになりました。今となってはそれが良かったと感じています。完済しても気が抜けない感覚は残り、今でも計画的な借入はしても良いとは思いますが、極力借入れをしないように心掛けています。借金を強く意識してから経営状態は改善していったと自負しています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
「見て学べ」が当たり前だった左官業界に、新たに職人育成に注力し、業界の革新に挑んだ社長です。最新技術との融合や、新しい分野への参入へも積極的で、左官業界の将来を担う期待の星といえます。
インタビュアーのコメント
会社概要
社名 | 有限会社阿久津左官店 |
創立年 | 1972年 |
代表者名 | 代表取締役 阿久津 一志 |
本社住所 |
329-2745 栃木県那須塩原市三区町659-12 |
事業内容 | 左官工事、タイル工事、石工事、吹き付け工事、 外壁の塗り替え、和室壁の塗り替え、タイルの張替え、補修等 |
URL |
https://www.a-sakan.com/
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公開日:2021/10/12 (2023/03/09修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年3月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。