足立
足立区
「横引きシャッター」のトップシェアを誇る足立区のものづくり企業
株式会社横引シャッター
6年で7億円を返済した2代目社長が実践する「凡事徹底」の経営
経営理念
社是
私がこの会社で働く目的と意義は、会社に利益をもたらし、企業の存続と発展を図り、全社員の生活安定と将来性を考え、社会に貢献し、寄与する組織を築くとともに、三方良しの精神を基本精神として、常にお客様の希望期待に応える事を自分の仕事であると心得ます。
社訓
商売(あきない)は益を求めて商売(あきない)ならず、人喜んでこそ商売(あきない)なり。
代表者メッセージ
弊社は先代が社訓として掲げた「人喜んでこそ商売(あきない)なり」をモットーに、お客様の自由な発想に基づく要望に応えることで、成長してくることができました。
これまでの弊社は、「横引きシャッター」という特殊な製品を扱ってきたことから、幸いにもお客様からご注文を頂くことが多々ありましたが、今後は自らマーケットを創り出すような提案型の会社にしていく必要性を感じています。
なお、提案型の会社といっても営業スタッフがお願いしてまわるという意味ではありません。「横引シャッター」の魅力や強み、利便性などを今以上に世の中に向けて発信・提案し、お客様の方から弊社の製品を利用したいと言ってもらえるような状況を今以上に増やして行くという意味です。
20年、30年後も存続し続けるために、会社として成長しけていければと考えています。
代表取締役 市川 慎次郎
私たちのこだわり
町の修理業者から特殊シャッターの専門メーカーへ
弊社は横から引くタイプの特殊シャッター「横引きシャッター」の専門メーカーとして、先代であり私の父である市川文胤が1986年に足立区で創業しました。上から下に引き下げるタイプの一般的なシャッターとは異なり、曲線やS字など場所や用途に合わせて柔軟に設置できるため、駅の売店や空港、ショッピングモールなどで幅広く活用されています。特許技術「上吊式横引きシャッター」によるスムーズな開閉も大きな特徴で、高齢者や女性でも片手で簡単に開け閉めができます。
また従来の上下式シャッターは最大幅が通常7~8mなので、それを超える幅に設置するためには中柱というパーツを設置して、複数のシャッターを繋いでいました。「横引きシャッター」は、1枚で50m以上の長さを設置できるため、複数の柱により美観を損なうこともありません。見た目を追求しつつ、曲面や広い間口にも設置できることから、店舗だけではなく個人向け住宅での採用事例も増えています。
弊社の母体は、1970年に創業した株式会社中央シャッターです。こちらも先代が創業し、現在は上下式シャッターや店舗向けのテント・看板の製造・販売・修理などをメインに取り扱っています。中央シャッターはもともとシャッターの塗装業からスタートし、徐々にシャッターの修理や開発まで事業領域を拡大していった経緯から、シャッター業界内では「町の修理業者」としてのイメージが強かったようです。そのため1970年代半ばに「上吊式横引きシャッター」という画期的な商品を開発したにもかかわらず、取引先となるゼネコンなどからメーカーとして認めてもらえず、ずいぶん悔しい思いをしたと聞いています。ただ先代はそこで諦めることなく、特殊シャッターを専門に扱う新たなメーカーとして、弊社・株式会社横引シャッターを設立し、世間に製品や弊社自体の魅力を周知しながら歩みを進めていきました。
9億円の負債を完済目前に先代の父が急逝。その遺志を継ぎ社長に就任
幼少期から先代の父には「学校や塾に通えるのは働いてくれている社員たちのおかげだ。大きくなったら恩返しするんだぞ」とよく言われていました。私自身も子どもの頃から社員の人たちを家族に近い存在だと感じていたので、弊社に入社することは私にとって当然の選択でした。当時中国での事業展開を考えていた会社の助けになればと、高校卒業後は中国の清華大学に進学し、勉学だけでなく中国市場や経済動向を肌で感じながら学生生活を送りました。
大学卒業後は弊社に入社しましたが、ほどなく会社に9億円もの負債があることを知り、大変驚きました。約2億円という年間売り上げの規模を考えると、あまりにも膨大な負債でした。その主要因は身の丈に合わないほどに膨らんだ開発費です。カリスマ性を持ち、アイデアマンだった先代ですが、少し攻めの姿勢が強すぎたのだと思います。
一方でそんな状態にもかかわらず会社が存続できていたのは、社内外からの信望が厚い先代の存在があってこそでした。先代が社長であるうちに負債を無くさなくては、会社がもたないと考え、私が中心となり負債削減に取り組むことになりました。とはいえ逆転満塁ホームランのような手段はなく、できることを一つずつ、コツコツと取り組んでいきました。
その取り組みの1つが「聖域なき見直し」です。「今までこうやっていたから」「お付き合いが長い取引先だから」というような、いつの間にか悪しき慣習になっていた暗黙の取り決めのようなものがいくつもありました。それらを1つずつ見直していくことで、弊社にとって本当に大切にすべきことと、変えていくべきことが明らかになりました。
特に経理面を見ていくと、不要かつ高額な保険に加入しているなど、無駄な支出が実に多いと分かりました。当たり前のことを当たり前にしただけですが、それまで負債削減に取り組む人間が社内にいなかったこともあり、会社の体質を変える上で大きな転機だったといえます。
ただ、仕入れ先の見直しなどは、金額だけで判断することはしませんでした。弊社が大変な時期に納期を融通してくれるなど、色々な局面で協力をしてくれた会社との繋がりは大切にしたいと考えていたからです。そのおかげで信頼できる取引先との関係を強化でき、事業面でもプラスに働いています。
そのような中、完済の目途がついてきた2011年末に先代が急逝し、私が2代目社長として就任しました。カリスマだった先代を失った弊社は、社員の半数以上が辞め、まだ負債も2億円ほどある状況でした。就任直後からなかなか厳しい船出となりましたが、私を信じて残ってくれた社員がいてくれたからこそ、経営者としての覚悟や責任について頭で理解するだけではなく、全身で感じることができました。
他社が作れない製品を作ることでブランド力を高める
会社を引き継いでから弊社の強みとして磨いてきたのは製品力です。先代の時代から他社が作れない製品や、世の中にない製品を作ることで弊社は成長してきました。
弊社の基本的な姿勢として「できない」とは言わず、お客様の要望にできる限り応えていくことが私たちのあるべき姿だと考えています。主力製品である「横引きシャッター」はまさにそうした要望に応えた結果、誕生した製品です。日本家屋にマッチするように天然木を貼り付けた電動横引きシャッターや、防雨や防火仕様の横引きシャッターなど、お客様の自由な発想を実現することで自社の独自性を高めてまいりました。今後もそのスタンスは変えることなく、強みとして伸ばしていければと考えています。
私は「売っても商売、買ってもらっても商売」と考えています。「買ってください」と営業が頑張ったおかげで製品が売れればうれしいですが、お客様の方から「買いたい」と言われる方がよりうれしく感じます。後者の「買ってもらう」を実現するためには、ただ良い製品を作るだけでは足りず、その良さを世間に広く伝えていく必要があります。私はそれこそが、人員の限られた中小企業が行うべきブランディングだと思っています。そこは弊社もまだまだ課題はありますが、積極的にメディアの取材に応じたり、講演活動を行ったりしていくことで、弊社の商品を世の中に知ってもらうべく取り組んでいます。
社長頼りからの脱却を目指す「社長戦力外通告プロジェクト」
創業以来「お客様」「社会」「会社」が豊かで幸せになる「三方よし」を社是として、「商売(あきない)は益を求めて商売ならず、人喜んでこそ商売なり」を社訓として事業を営んできました。この社是・社訓は社内の一番目立つところに掲げてあります。
先代の頃と比べると、会社としていろいろと変化した部分はもちろんありますが、社是と社訓は木の幹にあたる部分なので、今後も変わらず大事にすべきだと思っています。
一方で新しい取り組みも重要だと考えています。その1つが「社長戦力外通告プロジェクト」という施策です。これは中小企業にありがちな「社長しか分からない・できない」という状態をなくすためにはじめました。
社長とはいえ、たった1人がいないだけで、何もできなくなる組織はリスクが高過ぎます。弊社もそうした部分が色濃くあったので、社長に頼らずとも現場が回せる体制を作り、社長はできるだけマネジメントに専念できる組織に変えていく必要がありました。通常業務においては社長を「戦力外」にしてほしいという思いを込めて、社長就任とともに全社員に向けて発表しました。
その結果、社員が私に頼らず自主的に動くケースは確実に増えました。ただ、基本的には社長である私の考えや思いを汲み取った「つもり」で動くため、良かれと思って動いたにもかかわらず、実際の私の考えとはズレが生じるケースも出てきました。そこで私の考えを伝えるため、さらに2つの新たな取り組みを始めました。
1つが「社長雑談タイム」で、これは業務の手を止めさせてでも、私の雑談に付き合うというものです。雑談といっても私的な話題ではなく、世の中の出来事やニュースに関する話題がメインで、時代や社会の動きに対する感度を高めてほしいという思いから始めました。雑談の中で私の考え方も伝わりますし、最近の若い人はテレビを観ないことも多く、取引先で雑談を振られて困ってしまうという困りごとへの対策という側面もありました。
もう1つは全社員が参加するLINEグループで発信する「社長メッセージ」です。このLINEグループは社長の私だけが文章を投稿します。その内容はその日のニュースの感想であったり、外で学んできたことであったりと多岐にわたりますが、毎日投稿しています。そこで日々考えを伝えているので、朝礼でかしこまってスピーチをすることはほとんど無くなりました。
「社長だから」で社長の意見が通るとは限らないフェアな環境づくり
社長という役職は役割の1つに過ぎないと考えています。仕事において社長にしかできない業務があれば、現場の社員にしかできない業務もあります。その前提を踏まえると、社長である自分の意見がすべて正しいわけではなく、社員全員の声をフラットに聞き入れるべきだと考えています。そのため、弊社では社長である私が出した意見に対しても、現場の社員たちが専門的な視点から、忌憚のない意見をくれる風土ができあがっています。「社長だから」という理由では、意見を通せないのが弊社の特徴です。社長と社員、会社と社員の関係を完全にフェアにすることは現実的に難しいことは分かっていますが、可能な限りフェアな立場でありたいと思っています。
身の丈に合った社会貢献で足立区へ恩返しを
創業以来、足立区への恩返しは常に経営のテーマとして持ち続けています。2008年に足立ブランド「FC ADACHI」認定を取得したのもその一環です。足立ブランドは区内の製品や技術の素晴らしさを全国にPRしていくことを目的とした制度ですが、同時に足立区のイメージアップという目的もあります。特許技術を持ち、業界トップシェアである弊社も地域貢献できればという思いから取得しました。
私はロータリークラブやライオンズクラブを通した社会奉仕活動も行っていますが、同時に弊社だけでも行える身の丈に合った社会貢献を継続的に行っていくことも大事だと考えています。その思いから、2023年には足立区社会福祉協議会に軽トラックを寄贈しました。その他にもコロナ禍におけるアクリルパーテーションの寄贈など、社会福祉協議会との協力による奉仕活動はもう何年も継続して行っています。
社員が自主的に始めた近隣の清掃活動はすでに5年以上続いており、2022年には足立区から表彰されました。こういった活動も含め、自分たちができる範囲のことで恩返しを積み上げていき、今後も継続性を持って地元に貢献していきたいと思います。
会社を新たなステージに引き上げるための30年ビジョン
2012年に社長に就任してからの10年間は、先代がやり残したこと、実現したかったことに主眼を置いて事業を推し進めてきました。ここから先は私自身の考えを実現していくつもりです。プランとしては、最初の10年が土台作り、次の10年が後継者育成、最後の10年は会社を託した後の後方支援という、10年ごとに30年先までのビジョンを描いています。
私の息子は現在17歳で、将来的には彼に会社を任せたいと考えています。その場合、ゼロから創業した父や、経営危機を立て直した私の時代とはまた違った経営能力が求められるでしょう。また私や父のような苦労を経験させたいとも思っていません。そのためには会社組織を大きく変えていく必要もありますし、その土台作りの期間がこれからの10年だと考えています。
そして息子が27歳になったタイミングで、本格的な後継者教育に取り組んでいくのが理想です。その期間もやはり10年ぐらいだと想定しています。やがて息子が37歳になったころには経営を完全に任せたいと思っています。そこからの10年は経営に口を挟まず、少し離れたところから弊社にとっても有益になるような事業に取り組んでいければと考えています。
また、M&Aについては近隣エリアの同業種から経営資源を引き継がせていただくことを希望しています。後継者不在という理由だけでなく財務体質の悪化によって今後の経営が難しくなってしまったという企業様も大歓迎です。事業の見直しや再生は自社を通じて身をもって経験しております。ぜひ、事業を閉じてしまう前に弊社にご相談ください。
町の修理業者から特殊シャッターの専門メーカーへ
弊社は横から引くタイプの特殊シャッター「横引きシャッター」の専門メーカーとして、先代であり私の父である市川文胤が1986年に足立区で創業しました。上から下に引き下げるタイプの一般的なシャッターとは異なり、曲線やS字など場所や用途に合わせて柔軟に設置できるため、駅の売店や空港、ショッピングモールなどで幅広く活用されています。特許技術「上吊式横引きシャッター」によるスムーズな開閉も大きな特徴で、高齢者や女性でも片手で簡単に開け閉めができます。
また従来の上下式シャッターは最大幅が通常7~8mなので、それを超える幅に設置するためには中柱というパーツを設置して、複数のシャッターを繋いでいました。「横引きシャッター」は、1枚で50m以上の長さを設置できるため、複数の柱により美観を損なうこともありません。見た目を追求しつつ、曲面や広い間口にも設置できることから、店舗だけではなく個人向け住宅での採用事例も増えています。
弊社の母体は、1970年に創業した株式会社中央シャッターです。こちらも先代が創業し、現在は上下式シャッターや店舗向けのテント・看板の製造・販売・修理などをメインに取り扱っています。中央シャッターはもともとシャッターの塗装業からスタートし、徐々にシャッターの修理や開発まで事業領域を拡大していった経緯から、シャッター業界内では「町の修理業者」としてのイメージが強かったようです。そのため1970年代半ばに「上吊式横引きシャッター」という画期的な商品を開発したにもかかわらず、取引先となるゼネコンなどからメーカーとして認めてもらえず、ずいぶん悔しい思いをしたと聞いています。ただ先代はそこで諦めることなく、特殊シャッターを専門に扱う新たなメーカーとして、弊社・株式会社横引シャッターを設立し、世間に製品や弊社自体の魅力を周知しながら歩みを進めていきました。
9億円の負債を完済目前に先代の父が急逝。その遺志を継ぎ社長に就任
幼少期から先代の父には「学校や塾に通えるのは働いてくれている社員たちのおかげだ。大きくなったら恩返しするんだぞ」とよく言われていました。私自身も子どもの頃から社員の人たちを家族に近い存在だと感じていたので、弊社に入社することは私にとって当然の選択でした。当時中国での事業展開を考えていた会社の助けになればと、高校卒業後は中国の清華大学に進学し、勉学だけでなく中国市場や経済動向を肌で感じながら学生生活を送りました。
大学卒業後は弊社に入社しましたが、ほどなく会社に9億円もの負債があることを知り、大変驚きました。約2億円という年間売り上げの規模を考えると、あまりにも膨大な負債でした。その主要因は身の丈に合わないほどに膨らんだ開発費です。カリスマ性を持ち、アイデアマンだった先代ですが、少し攻めの姿勢が強すぎたのだと思います。
一方でそんな状態にもかかわらず会社が存続できていたのは、社内外からの信望が厚い先代の存在があってこそでした。先代が社長であるうちに負債を無くさなくては、会社がもたないと考え、私が中心となり負債削減に取り組むことになりました。とはいえ逆転満塁ホームランのような手段はなく、できることを一つずつ、コツコツと取り組んでいきました。
その取り組みの1つが「聖域なき見直し」です。「今までこうやっていたから」「お付き合いが長い取引先だから」というような、いつの間にか悪しき慣習になっていた暗黙の取り決めのようなものがいくつもありました。それらを1つずつ見直していくことで、弊社にとって本当に大切にすべきことと、変えていくべきことが明らかになりました。
特に経理面を見ていくと、不要かつ高額な保険に加入しているなど、無駄な支出が実に多いと分かりました。当たり前のことを当たり前にしただけですが、それまで負債削減に取り組む人間が社内にいなかったこともあり、会社の体質を変える上で大きな転機だったといえます。
ただ、仕入れ先の見直しなどは、金額だけで判断することはしませんでした。弊社が大変な時期に納期を融通してくれるなど、色々な局面で協力をしてくれた会社との繋がりは大切にしたいと考えていたからです。そのおかげで信頼できる取引先との関係を強化でき、事業面でもプラスに働いています。
そのような中、完済の目途がついてきた2011年末に先代が急逝し、私が2代目社長として就任しました。カリスマだった先代を失った弊社は、社員の半数以上が辞め、まだ負債も2億円ほどある状況でした。就任直後からなかなか厳しい船出となりましたが、私を信じて残ってくれた社員がいてくれたからこそ、経営者としての覚悟や責任について頭で理解するだけではなく、全身で感じることができました。
他社が作れない製品を作ることでブランド力を高める
会社を引き継いでから弊社の強みとして磨いてきたのは製品力です。先代の時代から他社が作れない製品や、世の中にない製品を作ることで弊社は成長してきました。
弊社の基本的な姿勢として「できない」とは言わず、お客様の要望にできる限り応えていくことが私たちのあるべき姿だと考えています。主力製品である「横引きシャッター」はまさにそうした要望に応えた結果、誕生した製品です。日本家屋にマッチするように天然木を貼り付けた電動横引きシャッターや、防雨や防火仕様の横引きシャッターなど、お客様の自由な発想を実現することで自社の独自性を高めてまいりました。今後もそのスタンスは変えることなく、強みとして伸ばしていければと考えています。
私は「売っても商売、買ってもらっても商売」と考えています。「買ってください」と営業が頑張ったおかげで製品が売れればうれしいですが、お客様の方から「買いたい」と言われる方がよりうれしく感じます。後者の「買ってもらう」を実現するためには、ただ良い製品を作るだけでは足りず、その良さを世間に広く伝えていく必要があります。私はそれこそが、人員の限られた中小企業が行うべきブランディングだと思っています。そこは弊社もまだまだ課題はありますが、積極的にメディアの取材に応じたり、講演活動を行ったりしていくことで、弊社の商品を世の中に知ってもらうべく取り組んでいます。
社長頼りからの脱却を目指す「社長戦力外通告プロジェクト」
創業以来「お客様」「社会」「会社」が豊かで幸せになる「三方よし」を社是として、「商売(あきない)は益を求めて商売ならず、人喜んでこそ商売なり」を社訓として事業を営んできました。この社是・社訓は社内の一番目立つところに掲げてあります。
先代の頃と比べると、会社としていろいろと変化した部分はもちろんありますが、社是と社訓は木の幹にあたる部分なので、今後も変わらず大事にすべきだと思っています。
一方で新しい取り組みも重要だと考えています。その1つが「社長戦力外通告プロジェクト」という施策です。これは中小企業にありがちな「社長しか分からない・できない」という状態をなくすためにはじめました。
社長とはいえ、たった1人がいないだけで、何もできなくなる組織はリスクが高過ぎます。弊社もそうした部分が色濃くあったので、社長に頼らずとも現場が回せる体制を作り、社長はできるだけマネジメントに専念できる組織に変えていく必要がありました。通常業務においては社長を「戦力外」にしてほしいという思いを込めて、社長就任とともに全社員に向けて発表しました。
その結果、社員が私に頼らず自主的に動くケースは確実に増えました。ただ、基本的には社長である私の考えや思いを汲み取った「つもり」で動くため、良かれと思って動いたにもかかわらず、実際の私の考えとはズレが生じるケースも出てきました。そこで私の考えを伝えるため、さらに2つの新たな取り組みを始めました。
1つが「社長雑談タイム」で、これは業務の手を止めさせてでも、私の雑談に付き合うというものです。雑談といっても私的な話題ではなく、世の中の出来事やニュースに関する話題がメインで、時代や社会の動きに対する感度を高めてほしいという思いから始めました。雑談の中で私の考え方も伝わりますし、最近の若い人はテレビを観ないことも多く、取引先で雑談を振られて困ってしまうという困りごとへの対策という側面もありました。
もう1つは全社員が参加するLINEグループで発信する「社長メッセージ」です。このLINEグループは社長の私だけが文章を投稿します。その内容はその日のニュースの感想であったり、外で学んできたことであったりと多岐にわたりますが、毎日投稿しています。そこで日々考えを伝えているので、朝礼でかしこまってスピーチをすることはほとんど無くなりました。
「社長だから」で社長の意見が通るとは限らないフェアな環境づくり
社長という役職は役割の1つに過ぎないと考えています。仕事において社長にしかできない業務があれば、現場の社員にしかできない業務もあります。その前提を踏まえると、社長である自分の意見がすべて正しいわけではなく、社員全員の声をフラットに聞き入れるべきだと考えています。そのため、弊社では社長である私が出した意見に対しても、現場の社員たちが専門的な視点から、忌憚のない意見をくれる風土ができあがっています。「社長だから」という理由では、意見を通せないのが弊社の特徴です。社長と社員、会社と社員の関係を完全にフェアにすることは現実的に難しいことは分かっていますが、可能な限りフェアな立場でありたいと思っています。
身の丈に合った社会貢献で足立区へ恩返しを
創業以来、足立区への恩返しは常に経営のテーマとして持ち続けています。2008年に足立ブランド「FC ADACHI」認定を取得したのもその一環です。足立ブランドは区内の製品や技術の素晴らしさを全国にPRしていくことを目的とした制度ですが、同時に足立区のイメージアップという目的もあります。特許技術を持ち、業界トップシェアである弊社も地域貢献できればという思いから取得しました。
私はロータリークラブやライオンズクラブを通した社会奉仕活動も行っていますが、同時に弊社だけでも行える身の丈に合った社会貢献を継続的に行っていくことも大事だと考えています。その思いから、2023年には足立区社会福祉協議会に軽トラックを寄贈しました。その他にもコロナ禍におけるアクリルパーテーションの寄贈など、社会福祉協議会との協力による奉仕活動はもう何年も継続して行っています。
社員が自主的に始めた近隣の清掃活動はすでに5年以上続いており、2022年には足立区から表彰されました。こういった活動も含め、自分たちができる範囲のことで恩返しを積み上げていき、今後も継続性を持って地元に貢献していきたいと思います。
会社を新たなステージに引き上げるための30年ビジョン
2012年に社長に就任してからの10年間は、先代がやり残したこと、実現したかったことに主眼を置いて事業を推し進めてきました。ここから先は私自身の考えを実現していくつもりです。プランとしては、最初の10年が土台作り、次の10年が後継者育成、最後の10年は会社を託した後の後方支援という、10年ごとに30年先までのビジョンを描いています。
私の息子は現在17歳で、将来的には彼に会社を任せたいと考えています。その場合、ゼロから創業した父や、経営危機を立て直した私の時代とはまた違った経営能力が求められるでしょう。また私や父のような苦労を経験させたいとも思っていません。そのためには会社組織を大きく変えていく必要もありますし、その土台作りの期間がこれからの10年だと考えています。
そして息子が27歳になったタイミングで、本格的な後継者教育に取り組んでいくのが理想です。その期間もやはり10年ぐらいだと想定しています。やがて息子が37歳になったころには経営を完全に任せたいと思っています。そこからの10年は経営に口を挟まず、少し離れたところから弊社にとっても有益になるような事業に取り組んでいければと考えています。
また、M&Aについては近隣エリアの同業種から経営資源を引き継がせていただくことを希望しています。後継者不在という理由だけでなく財務体質の悪化によって今後の経営が難しくなってしまったという企業様も大歓迎です。事業の見直しや再生は自社を通じて身をもって経験しております。ぜひ、事業を閉じてしまう前に弊社にご相談ください。
ツグナラコンサルタントによる紹介
会社概要
社名 | 株式会社横引シャッター |
創立年 | 1986年 |
代表者名 | 代表取締役 市川 慎次郎 |
資本金 | 1000万円 |
事業エリア |
三郷工場
341-0044 埼玉県三郷市戸ケ崎 |
垳工場
340-0824 埼玉県八潮市垳 |
|
本社住所 |
120-0005 東京都足立区綾瀬6-31-5 |
事業内容 | 横引きシャッター・特殊シャッターなどの設計・部品製作・製造・取り付け・メンテナンス |
URL |
https://www.yokobiki-shutter.co.jp/
|
会社沿革
1970年 | 株式会社中央シャッター 創業 |
1986年 | 株式会社横引シャッター 創業 |
2008年 | FC ADACHI 足立ブランド認定 |
2012年 | 市川慎次郎、2代目社長就任 |
2018年 | 東京都・がん患者と仕事の両立への優良な取組みを行う企業表彰 優良賞 高齢・障害・求職者雇用支援機構 高年齢者雇用開発コンテスト 感謝状 |
株式会社横引シャッターの経営資源引継ぎ募集情報
関連リンク
公開日:2023/07/28
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。