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舗装現場の困りごとをオリジナル商品や最新技術をもって解決に導く
株式会社アイデア・サポート
現場で技術を磨き上げ、地域や世界に還元する「現代の飛騨の匠」
経営理念
- 私たちは「飛騨の職人魂と技」で人をつなぐ世界の道づくりに貢献します
- 私たちは「足もとクリエイター」として心をつなぐ明日のまちづくりに貢献します
- 私たちは「学びと成長」を通して笑顔があふれる人生を築いていきます
代表者メッセージ
人と人をつなぐ道路は、生活上不可欠な大切な社会基盤です。その大切な社会基盤の整備に関わる事を誇りに思います。
モータリーゼーションと共に発展してきた我が国の道路建設業界は、グローバリゼーションの新たな時代を迎えています。道路は「造る・作る」から「創る・守る」の時代へ大きく変遷しており、環境変化と共に企業にも変化が求められています。
先代である父が「舗装工事業」をはじめたことがきっかけで、私自身も長年「舗装」に関わってきました。現場で工事をする際は、いつも「前よりも良い仕事をしたい」「工夫して作業を楽にしたい」と考えていました。
弊社の事業目的は「舗装現場で働く人へのサポート」です。現場目線に立って、現場のために役立つお手伝いをすることです。取扱商品は「道具」などのモノだけではなく、「情報」サービスもあります。それらの源泉になるのが、現場の声である「困り事」であり、それを解決するための「アイデア」でもあります。
「アイデア」は枯渇しない資源です。現場では「困り事」の数だけ「アイデア」が生まれます。
既成概念に囚われることなく、これまで培ってきた経験と人とのつながりを活かし、新しい時代に新しいスタイルで向っていき、地域社会への貢献、舗装業界の発展に繋げていきたいです。
代表取締役 下田 徳彦
私たちのこだわり
家業の成長を見て育ち、修行を経て自らも経営者の道へ
弊社設立のきっかけは、父が家業として営んでいた株式会社シモダ道路(以下、シモダ道路)が大きく影響しています。
1968年に、父は個人事業として下田商店を創業しました。創業当初は土木事業を主業としていましたが、徐々に舗装事業へと移行していきました。事業を拡大する中で、舗装工事では必須の道具であるレーキの開発や販売を開始しました。1993年には「シモダトンボ」という伸縮式のレーキの開発に成功しています。先端の引板の種類が豊富であり、あらゆる工事現場に対応できるため、現在では業界トップシェアを誇る商品となっています。
そして、2000年には株式会社シモダ道路に商号を変更しました。
私自身は長男ということもあり、物心がついた頃から「いずれ会社を継がなければ」という思いをもって過ごしていました。それは次第に思いから義務のように変化し、このまま家業に入っても真の意味でお客さまや社会に正面から向き合って仕事が出来ないのではないかと考えるようになりました。
そのため大学を卒業後、同業界の最大手と言われる会社に就職をしました。広い視野で物事を見て、様々な経験値を積むことで自己成長したいと思ってのことでした。およそ3年間、大規模建設事業に携わった後、岐阜に戻り、次にシモダ道路の元請け企業に転職しました。シモダ道路を育ててくれた会社に勤めることで、地域特性や同エリアでの業界事情についても理解を深めながら、家業を俯瞰で見ることもでき、貴重な経験を積むことが出来ました。
岐阜に戻るきっかけは父が病に罹ってしまい、事業承継に向けた準備も考えてのことでした。業界最大手の会社や地元有力企業に勤めた時間の中で、社会人としての素地や組織づくりについての知見を身に付けることが出来たと思っています。
それまでは、事業承継は義務だと負の気持ちが専攻していましたが、外に出ることで今まで家業を支えてくれた社員や地域の方へ感謝しなければと、深く自省しました。
家業の事業承継は親と子だけの事柄ではなく、関わる全ての人々へ向き合ったものでなければならないのだと気付くことが出来ました。
シモダ道路を引継ぎ後、アイデア・サポートを設立するまで
私が32歳の時に家業であるシモダ道路を事業承継しました。実は、引き継いだ当時のシモダ道路は累積赤字が続く赤字経営の会社でした。更に社長就任3年目に取引先が倒産し、約4000万円の負債を抱えてしまいました。益々負債が大きくなった家業を「自分がここで会社を潰してしまっては・・・」と使命感に駆られるかたちで覚悟を決め、会社を存続させるための策を講じる毎日が続きました。
そうすぐには負債を返済できないため、金融機関から猶予をもらえるよう、何度も必死に頼み込みました。経営改善計画書の提出を求められた際、父親が開発した「シモダトンボ」に焦点を当て、返済計画を策定しました。当時公共工事が毎年大幅に減少し、全国的にも倒産企業が続出し、建設業界が厳しい局面を迎える中、唯一業績が伸びていた商品の可能性にかけたのです。シモダトンボを多くの同業者に販売しようと、日本全土を回りました。地元で道路の舗装工事事業での売り上げを維持しながらも、シモダトンボの販売を少しずつ伸ばしていきました。嬉しいことに、直接販売したことで全国の同業者とのネットワークを構築する事ができました。
シモダ道路の看板商品へと確立していったシモダトンボはリピート率が70%を超えるまでになりました。ホームセンターで販売していないような、ニッチな商品を開発・販売することでもビジネスとして成り立つことを確信しました。
また、自社で道具を開発、販売しているため利益率が高く、本業である舗装工事事業の利益率を上回るようになりました。結果、4年の歳月をかけ、負債を返済することができました。
2009年、地域向けの事業を続けるシモダ道路と分社化し、弊社である株式会社アイデア・サポートを設立しました。アイデア・サポートでは舗装業者向けの新しい商品の開発や、舗装に関する情報サービスを提供しています。社名には、私たちのアイデアをもとに、舗装現場で働く人の「困った」を改善し、サポートしたいという願いが込められています。
工事現場では、天候などの自然を相手にするため常に課題があります。しかし、課題の数だけ解決策があると考えています。解決するためのアイデアや、道具を提供することが弊社の事業目的です。
トップシェアを誇る商品と最新技術ICTの取り組み
舗装業界向けという限られた市場ではありますが、地方の会社でありながら全国規模でサービス提供ができるのは弊社最大の強みです。さらに「シモダトンボ」をはじめトップシェアの商品があることでニッチトップ企業として舗装業界関係者から理解をいただいています。また、2020年ごろからは建設ICTのサポートも開始しました。
建設ICTとは、建設現場の情報をインターネット等の通信技術を活用することで、建設業の生産性を向上させる取り組みです。他業界と同じく、舗装業界でも人手不足が深刻な問題となっています。人手不足の中でも生産性を伸ばすために、弊社ではICT建機を導入しました。この機械は1台で5人から10人分の効率的な施工を行うことができるため、少ない人数の現場でも生産性を向上することが期待できます。弊社ではICT建機をオペレーター付きで派遣するサービスを提供しています。
他にも、これまで販売代理店として取引関係を築いてきた全国の建機メーカーから業界の最新情報を収集することが可能となりました。さらに、シモダトンボ販売時に築いた、全国の舗装会社とのネットワークがあるため、このネットワークを活かし、最新の技術情報が蓄積されていきます。この最新技術を、まずはシモダ道路の舗装工事に活かし、試行を繰り返していくことで、ブラッシュアップして業界に貢献できるビジネスを考えています。
現在、社内では私自身がICTのリーダーとして取り組んでいますが、最近ではサポートしてくれるメンバーが集まってきており、事業を拡大していけると確信しています。
ICTを駆使することで、業界の課題を解決し、最新の情報を提供することに今後も注力していきます。
現代の飛騨の職人を掲げる経営理念
経営理念は、社長就任後に策定しました。仕事を通じて、社員に「ここで働いてよかった」とワクワクしてもらえるような会社づくりをしたいという思いが込められています。
1つ目の経営理念の中で、「飛騨の職人魂と技」とありますが、私たちの目指すところは、まさに現代の飛騨の匠です。
奈良時代の頃、飛騨はとても貧しい町でした。飛騨の匠は税金を払う代わりに当時の都であった奈良や京都で建造物を建てたという歴史があります。そして当時の先端技術を磨いて飛騨に帰り、自分たちの街を創りあげていきました。
現在では、当時建てられた建造物が観光地として飛騨高山を支えています。歴史をたどっていくと、飛騨高山には飛騨の匠の存在が絶対に欠かせない存在でした。
私たちは、道路舗装や舗装道具という分野で、現代の飛騨の匠を目指します。世界の最先端技術を学び、飛騨高山に還元した上で、技術をブラッシュアップしていくことが私たちの使命であると感じています。そして、この地にとって欠かせない存在となりたいです。それに加えて、世界中の舗装工事で使ってもらえるような道具を生み出すことや、東南アジアなどにある未開発の地への展開も考えています。
M&Aでは受け入れ後の体制づくりに注力したい
現在、社員数は10名ほどですが、組織力を活かした経営をするために30名ほどの規模での運営を目指しています。シモダ道路も含め今まで培ってきたノウハウを「もっとこうしたら舗装工事現場が楽になる」という新しい閃きを形にすることに活かして行きたいと考えています。舗装現場の知見があるシモダ道路と、舗装現場で働く人を支援したいとする弊社は切っても切れない関係です。飛騨の匠が手掛けてきたことを現代版として取り組むことで、グローバルな視点でありながらも、明日の地域づくりへと繋げていきたいです。
自社成長をしていく上で、M&Aも視野に入れています。M&Aに関しては、受け入れ後の体制づくりに重点を置きたいと考えています。統合した時、お相手企業の社員の方や関係者に気持ち良く、将来に可能性を感じていただけるような環境だと感じてもらえる会社にまずは成長しなければなりません。
また、これまでと同様に理念経営を大切にしていきたいです。経営理念から逸脱せず、社員全員が納得する方向性を見つけることで、新しい可能性を創造していきたいと思っています。
家業の成長を見て育ち、修行を経て自らも経営者の道へ
弊社設立のきっかけは、父が家業として営んでいた株式会社シモダ道路(以下、シモダ道路)が大きく影響しています。
1968年に、父は個人事業として下田商店を創業しました。創業当初は土木事業を主業としていましたが、徐々に舗装事業へと移行していきました。事業を拡大する中で、舗装工事では必須の道具であるレーキの開発や販売を開始しました。1993年には「シモダトンボ」という伸縮式のレーキの開発に成功しています。先端の引板の種類が豊富であり、あらゆる工事現場に対応できるため、現在では業界トップシェアを誇る商品となっています。
そして、2000年には株式会社シモダ道路に商号を変更しました。
私自身は長男ということもあり、物心がついた頃から「いずれ会社を継がなければ」という思いをもって過ごしていました。それは次第に思いから義務のように変化し、このまま家業に入っても真の意味でお客さまや社会に正面から向き合って仕事が出来ないのではないかと考えるようになりました。
そのため大学を卒業後、同業界の最大手と言われる会社に就職をしました。広い視野で物事を見て、様々な経験値を積むことで自己成長したいと思ってのことでした。およそ3年間、大規模建設事業に携わった後、岐阜に戻り、次にシモダ道路の元請け企業に転職しました。シモダ道路を育ててくれた会社に勤めることで、地域特性や同エリアでの業界事情についても理解を深めながら、家業を俯瞰で見ることもでき、貴重な経験を積むことが出来ました。
岐阜に戻るきっかけは父が病に罹ってしまい、事業承継に向けた準備も考えてのことでした。業界最大手の会社や地元有力企業に勤めた時間の中で、社会人としての素地や組織づくりについての知見を身に付けることが出来たと思っています。
それまでは、事業承継は義務だと負の気持ちが専攻していましたが、外に出ることで今まで家業を支えてくれた社員や地域の方へ感謝しなければと、深く自省しました。
家業の事業承継は親と子だけの事柄ではなく、関わる全ての人々へ向き合ったものでなければならないのだと気付くことが出来ました。
シモダ道路を引継ぎ後、アイデア・サポートを設立するまで
私が32歳の時に家業であるシモダ道路を事業承継しました。実は、引き継いだ当時のシモダ道路は累積赤字が続く赤字経営の会社でした。更に社長就任3年目に取引先が倒産し、約4000万円の負債を抱えてしまいました。益々負債が大きくなった家業を「自分がここで会社を潰してしまっては・・・」と使命感に駆られるかたちで覚悟を決め、会社を存続させるための策を講じる毎日が続きました。
そうすぐには負債を返済できないため、金融機関から猶予をもらえるよう、何度も必死に頼み込みました。経営改善計画書の提出を求められた際、父親が開発した「シモダトンボ」に焦点を当て、返済計画を策定しました。当時公共工事が毎年大幅に減少し、全国的にも倒産企業が続出し、建設業界が厳しい局面を迎える中、唯一業績が伸びていた商品の可能性にかけたのです。シモダトンボを多くの同業者に販売しようと、日本全土を回りました。地元で道路の舗装工事事業での売り上げを維持しながらも、シモダトンボの販売を少しずつ伸ばしていきました。嬉しいことに、直接販売したことで全国の同業者とのネットワークを構築する事ができました。
シモダ道路の看板商品へと確立していったシモダトンボはリピート率が70%を超えるまでになりました。ホームセンターで販売していないような、ニッチな商品を開発・販売することでもビジネスとして成り立つことを確信しました。
また、自社で道具を開発、販売しているため利益率が高く、本業である舗装工事事業の利益率を上回るようになりました。結果、4年の歳月をかけ、負債を返済することができました。
2009年、地域向けの事業を続けるシモダ道路と分社化し、弊社である株式会社アイデア・サポートを設立しました。アイデア・サポートでは舗装業者向けの新しい商品の開発や、舗装に関する情報サービスを提供しています。社名には、私たちのアイデアをもとに、舗装現場で働く人の「困った」を改善し、サポートしたいという願いが込められています。
工事現場では、天候などの自然を相手にするため常に課題があります。しかし、課題の数だけ解決策があると考えています。解決するためのアイデアや、道具を提供することが弊社の事業目的です。
トップシェアを誇る商品と最新技術ICTの取り組み
舗装業界向けという限られた市場ではありますが、地方の会社でありながら全国規模でサービス提供ができるのは弊社最大の強みです。さらに「シモダトンボ」をはじめトップシェアの商品があることでニッチトップ企業として舗装業界関係者から理解をいただいています。また、2020年ごろからは建設ICTのサポートも開始しました。
建設ICTとは、建設現場の情報をインターネット等の通信技術を活用することで、建設業の生産性を向上させる取り組みです。他業界と同じく、舗装業界でも人手不足が深刻な問題となっています。人手不足の中でも生産性を伸ばすために、弊社ではICT建機を導入しました。この機械は1台で5人から10人分の効率的な施工を行うことができるため、少ない人数の現場でも生産性を向上することが期待できます。弊社ではICT建機をオペレーター付きで派遣するサービスを提供しています。
他にも、これまで販売代理店として取引関係を築いてきた全国の建機メーカーから業界の最新情報を収集することが可能となりました。さらに、シモダトンボ販売時に築いた、全国の舗装会社とのネットワークがあるため、このネットワークを活かし、最新の技術情報が蓄積されていきます。この最新技術を、まずはシモダ道路の舗装工事に活かし、試行を繰り返していくことで、ブラッシュアップして業界に貢献できるビジネスを考えています。
現在、社内では私自身がICTのリーダーとして取り組んでいますが、最近ではサポートしてくれるメンバーが集まってきており、事業を拡大していけると確信しています。
ICTを駆使することで、業界の課題を解決し、最新の情報を提供することに今後も注力していきます。
現代の飛騨の職人を掲げる経営理念
経営理念は、社長就任後に策定しました。仕事を通じて、社員に「ここで働いてよかった」とワクワクしてもらえるような会社づくりをしたいという思いが込められています。
1つ目の経営理念の中で、「飛騨の職人魂と技」とありますが、私たちの目指すところは、まさに現代の飛騨の匠です。
奈良時代の頃、飛騨はとても貧しい町でした。飛騨の匠は税金を払う代わりに当時の都であった奈良や京都で建造物を建てたという歴史があります。そして当時の先端技術を磨いて飛騨に帰り、自分たちの街を創りあげていきました。
現在では、当時建てられた建造物が観光地として飛騨高山を支えています。歴史をたどっていくと、飛騨高山には飛騨の匠の存在が絶対に欠かせない存在でした。
私たちは、道路舗装や舗装道具という分野で、現代の飛騨の匠を目指します。世界の最先端技術を学び、飛騨高山に還元した上で、技術をブラッシュアップしていくことが私たちの使命であると感じています。そして、この地にとって欠かせない存在となりたいです。それに加えて、世界中の舗装工事で使ってもらえるような道具を生み出すことや、東南アジアなどにある未開発の地への展開も考えています。
M&Aでは受け入れ後の体制づくりに注力したい
現在、社員数は10名ほどですが、組織力を活かした経営をするために30名ほどの規模での運営を目指しています。シモダ道路も含め今まで培ってきたノウハウを「もっとこうしたら舗装工事現場が楽になる」という新しい閃きを形にすることに活かして行きたいと考えています。舗装現場の知見があるシモダ道路と、舗装現場で働く人を支援したいとする弊社は切っても切れない関係です。飛騨の匠が手掛けてきたことを現代版として取り組むことで、グローバルな視点でありながらも、明日の地域づくりへと繋げていきたいです。
自社成長をしていく上で、M&Aも視野に入れています。M&Aに関しては、受け入れ後の体制づくりに重点を置きたいと考えています。統合した時、お相手企業の社員の方や関係者に気持ち良く、将来に可能性を感じていただけるような環境だと感じてもらえる会社にまずは成長しなければなりません。
また、これまでと同様に理念経営を大切にしていきたいです。経営理念から逸脱せず、社員全員が納得する方向性を見つけることで、新しい可能性を創造していきたいと思っています。
会社概要
社名 | 株式会社アイデア・サポート |
創立年 | 2009年 |
代表者名 | 代表取締役 下田 徳彦 |
資本金 | 600万円 |
事業エリア |
東京営業所
192-0362 東京都⼋王⼦市松⽊14-20 ハイツ・トーン204号 |
本社住所 |
506-0818 岐阜県高山市江名子町3200番地8 |
事業内容 | 舗装道具の開発・製造・販売 駐車場活性化事業 舗装に関する情報サービス |
URL |
https://www.ideasupport.co.jp/
|
会社沿革
1967年 | 下田商店の商号で下田優が個人創業 |
1981年 | 下田重機㈲の商号で法人成立 代表取締役に下田優が就任し、本格的に舗装工事に携わる |
1985年 | 自社製木製レーキを開発、製造、販売 |
1993年 | 多段式レーキ(シモダトンボ)を開発 |
1997年 | 土木工事業を許可業種として申請 |
1998年 | 造園工事業を許可業種として申請 |
2000年 | 資本金を1600万円に増資 株式会社シモダ道路に商号及び組織変更 代表取締役に下田徳彦が就任 |
2004年 | 岐阜県経営革新事業所の認定を受ける |
2009年 | 株式会社シモダ道路より分社化 |
2014年 | 東京営業所 開設 |
2020年 | ICT事業部 発足 |
株式会社アイデア・サポートの経営資源引継ぎ募集情報
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公開日:2024/02/07
※本記事の内容および所属名称は2024年2月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。