下都賀
下都賀郡壬生町
岩手郡雫石町
倉敷市
徳島市
日田市
キノコ一筋60年、生産者と業界を支え世界を見据える広い視野
株式会社北研
キノコ産業の発展に尽くし、日本と世界の食と農業をサポート
経営理念
社是
「栽培者が有るから会社が在る」
一つ、確かな商品を提供する
一つ、確かな技術を提供する
一つ、確かなサービスを提供する
企業理念
「わが社は生産者と消費者の未来を創造し、広く社会に 貢献する。」
経営理念
「世界が感動する商品を提供し、食の豊かさと健康に貢献する。 役職員が生きがいを感じ、喜びを分かち合える職場づくりをする。」
代表者メッセージ
弊社は常に栽培者と共に歩み、社是「栽培者が有るから会社が在る」を軸とした経営を永続的に継承してまいります。これからの日本は国際的で多様な時代を迎えるため、今まで以上に時代の変化を鋭敏にとらえ視野を広げて新たなビジネスチャンスを掴み取ることが必要となります。「常に考え先を創る」このことが社是の真理とも言えます。これからも栽培者の皆様と一緒に将来に向けて強固な関係を維持するために、今ある技術に磨きをかけて、お客さまから信頼され必要とされる会社を目指して、さまざまな改革に取り組んでまいります。
代表取締役社長 白田 卓一
私たちのこだわり
戦後の経済復興と「食」、農家の生活を支えた初代
北研は、キノコの研究を行っていた初代社長の内堀忠利が、1961年に「北研産業株式会社」を立ち上げたのがスタートです。戦後の深刻な食料難を経験し「経済復興は食にある」という実感により創業しました。そのため弊社は創業から、日々の「食」を支える地域の農家に貢献し、農業を通じて国民、そして日本を発展させていきたいという精神を軸にしています。「栽培者が有るから会社が在る」という社是は、創業当初から一貫して変わっていません。弊社の理念に感銘を受けて繋がった取引先も多く、一つの取引先に重点を置くのではなく、農家から消費者までの全体が繁栄する方法を常に探し、実践してきました。
キノコ種菌を専門とする企業は少なく、全国でも10社程度です。弊社は、創業から20年ほどは原木シイタケとナメコ栽培を軸に、数億円の規模で事業を行っていました。原木シイタケを育てるための丸太は水分を多く含んでいるため非常に重く、栽培農家の負担が大きいことが課題でした。
そこで弊社は、40年前の1967年に確立した「菌床なめこ栽培」の技術をベースに「シイタケ菌床栽培」という先進的な技術を確立しました。菌床は、厳選した木材を木くずやチップにして小さく固めた、シイタケ栽培用の資機材です。負担軽減や収穫の効率化、生産施設の省スペースにも繋げることができました。これを機に、弊社の事業もシイタケ菌床栽培用の種菌製造に切り替えが進んでいきました。
「菌床シイタケ」は、農閑期の働き方や生活にも大きな影響を与えました。日本、特に東北エリアの農家では、冬場は作物がとれないため収入も得られず、都市部への出稼ぎを余儀なくされていました。特に戦後は、近代化や機械化により農閑期の収入源であったわら工品や木炭が売れなくなったことで、農家の生活はさらに厳しくなっていました。菌床シイタケが導入されるようになってからは、農閑期もキノコ栽培により収入が得られるようになり、冬に収穫できる作物として浸透していきました。
現在、菌床シイタケは全国約2,000軒の農家やシイタケ工場で利用されており、国内で流通している生シイタケの約50%は弊社の種菌による菌床シイタケです。さらに、キクラゲ・ヒラタケ・マイタケの種菌の販売、エノキタケやエリンギなどの品種開発にも力を入れています。日本の「食」を支える農家の方々の生活を守り、技術を活かそうと尽力した初代の功績が現在まで引き継がれているのだと思います。
生産者による組織を発足し、技術向上を支援した2代目
2代目社長の塩沢は、1987年に菌床シイタケ生産者の組織「サンマッシュ生産協議会」を発足し、北研としてのブランド確立を目指しました。それまで、シイタケを含む農産物は、産地間の競争や市場調整などにより、生産者がまとまることが難しい環境でした。そのような中で2代目は、生産者の技術向上のための研修やセミナーを実施し、相互交流の場をつくることで変化のある中でも生き残れる知識と力を身に付けられるようにしました。この組織は37年経った現在も継続され、国内最大の組織になっています。弊社の規模からすると、生産者の地盤強化にまで携わるのは異例ですが、社是「栽培者が有るから会社が在る」に則した素晴らしい支援の形だと思っています。
5代目としてキノコ生産者の所得向上や6次産業化に挑戦
私は、岡山県の出身です。岡山の商社で営業の仕事をしていた時、北研の岡山営業所にいた先代社長に声をかけられたのが北研との出会いでした。商品を右から左に流通させる商社のビジネスと違い、生産者と家族のような関係でお付き合いしていけることが嬉しく、この会社で働き続けたいと思い入社を決めました。
入社から3年は、当時あった四国出張所に勤務し、近畿地方の営業を担当しました。この担当区域には、キノコの生産量日本一の徳島県があり、弊社の売上利益としても非常に大きな割合を占めていたことから、重要な拠点となっていました。生産者や社内の協力によって売上が伸び、出張所から営業所へと昇格させることができました。
四国営業所では入社から約10年勤務し、その後栃木県壬生町にある本社の営業本部に呼ばれ、新事業開発室で1年間、新規事業の立案に携わることになりました。当時の事業はキノコの種菌や資機材の販売のみであり、キノコの専門業者として事業を継続させていくならば、生産者の方々が適正な利益を受け取れるようになってこそ意義があると考え、生産者の所得分を加味した価格でのシイタケ販売をしようとしました。ところが多くの難題があり、サービス展開を目前にして打ち切りとなってしまいました。
また、生産者の収益に繋げるため6次産業化を検討し、餃子やうどん、つゆの素、カレー、ふりかけなどの加工品、サプリメントなどの企画や開発、販売をしました。あまり売れずこの企画も打ち切りにはなりましたが、それまで手をつけたことのなかった分野への挑戦ができたと思います。
1年後には、研究所のマネージャーを務めることとなりました。さらにその後、取締役として西日本の統括を1年間任され、3年半前の2019年に社長に就任しました。
誰でも社長を目指せる経営体制
入社1、2年頃から経営者候補になる意識はありました。一般企業から入社し、お客様に支えていただいた恩返しをするには、自分自身が成長して貢献できる取り組みを実践できるようになるのがベストだろうと考えたことがきっかけです。私がお客様や先輩から支えてもらったように、後輩社員たちや周りの方にはできる限りのことをしていきたいと思っています。
また、弊社は中小企業としては珍しく、同族経営ではありません。初代社長の内堀は「会社は社員全員のものであり、優秀な人材が代表になって経営に携わるべき」というポリシーの持ち主でした。
そのため、これまでの歴代の社長や経営陣は全て、一般社員から選出されています。誰でもトップを目指し、向上心を持って成長していける環境になっています。
さらに役員定年も設けられており、経営陣だけではなく社長職にも期限があります。自分が社長に就任して分かったことですが、役員定年という制度は、一介のサラリーマンが、ある日突然社長になり、社長としての立ち居振る舞いを求められます。経営者になれるという夢をもてる反面、同族経営の会社とはまた違った苦労や楽しさがあると感じています。
事業の担い手として未来の生産者と消費者を育てていく
弊社のビジネスモデルは62年間一貫しています。弊社の販売する種菌や資機材を使用する生産者の所得向上と、生産を継続できる環境を整えることです。それを踏まえ、私自身が思う弊社の役割は、キノコの元となる種菌の安定供給だけではなく、より良いものを現在の消費者と次世代に届けるために、新品種の開発を続けることです。先代が残した技術をただ引き継ぐだけではなく、その技術を活かして後続のために改良を続けていくことが事業の担い手の使命だと思っています。
菌は生き物です。種菌の原料である木材のチップは東北から仕入れていますが、同じ山から切り出したブナ材であっても、南向き標高300mと西側の標高600mとでは材質が異なり、菌床とした場合にもキノコの菌糸の伸び方が変わります。こういった材質の向き不向きや菌の成長度合いはマニュアル化がしにくい部分です。私たちが歴代社長から受け取ったバトンを後続に引き継いでいくには、机上論ではなく、経験を通じて得た実感を社員に承継していくことが大事だと考えています。事業に価値を見出し、生産者や消費者にとって最も有益な商品やサービスを考え続けていくことが弊社の課題です。
弊社の営業社員は、生産者が安定した利益を上げられるよう、経営状態から生産者の家族まで関われる深いお付き合いを続けています。弊社が生産者の利益や生活まで視野に入れているのは、業界全体が発展していくために、事業の枠組みを越え業界全体の循環にアプローチをする必要があるからです。生産者に負担を強いれば、担い手不足を招き、業界の衰退にも繋がりかねません。だからこそ、弊社のお客様でもあり協力者でもある生産者の支援が大事になっていきます。
弊社では技術面での支援として、生産者のニーズに合わせた開発や、栽培環境に適した品種提案などのコンサルティング事業も行っています。キノコの生育環境の調整は生産者の売上に直結するので、困った時にも相談しやすい関係性を築くことで早期解決に繋げ、生産者の損失がなるべく少なく済むようにしています。
後続のため社内環境と人材育成システムを整える
弊社の社員は120名と、規模は中小企業ですが、組織のシステムと福利厚生は大企業並に整っています。
弊社では3年に1度、事業計画を刷新しており、これに沿って社員育成が進められています。私が社長に着任して1年目の59期には、81期までの事業内容、売上構成、利益率、社員構成について、自社だけではなく協力会社を含めて想定し計画しました。現在は計画に沿って順調に推移し成長を続けています。
今後も人数はそのままに人財育成にも力を入れ、売上を拡大し、盤石な経営体制を敷くのが私の使命だと考えています。まずは2030年までに売上を100億円に伸ばすことが目標です。
そのあかつきには、30歳の主任クラスの社員に年収500万円を支給できるようになることが私の夢です。社員のやりがいやモチベーションは、やはり給与に直結していると考えるからです。働いた対価が戻ってくることを前面に打ち出せる企業となり、課長クラスで1,000万円、部長クラスで2,000万円のような報酬体系にしていければと考えています。人材確保がますます難しくなる今後は、人の集まる、魅力ある会社にしていかなければならないという課題もありますが、働くことで心身ともに豊かな生活を送ってほしいという願いが根本にあります。現在はその前段階として、働く環境と社内制度を整えることに注力しています。
また、社長に就任してからは古い木造の社屋から移転し、新社屋を構えました。会社としての第一印象も大事であり、求職者が会社見学や面接に来た際に、クリーンな良い印象を持ってもらえるようにとの考えから踏み切りました。
加えて、人財育成のシステムも整備しました。弊社が人財育成に本腰を入れるようになったのは8年ほど前で、1対1の面談と年1~2回の全体研修を行ってきました。1年ほど前からは、部門またはチームごとの研修も行うようにしています。研究職、営業、経営陣とでは学ぶものが異なるため、一般社員向けのコーチングや育成、幹部育成、経営者育成と分野や階層ごとの研修を行えるようにして、さらに、中長期的な戦略を立て実行していく社長直轄の選抜チームも組成しました。
私は、社長定年までまだ20年あるのですが、次期社長への承継を視野に入れての計画です。自分にもしものことがあっても、会社が安定した経営を続けられるようにするためです。極端な話ですが、会社を分社化しHDとして経営者が複数名で会社を支えていく方法を試みてもいいのではないかと思っています。
食育分野と海外マーケット開拓を通じて業界を守り支援の手を増やす
キノコは体に良く、美味しい食べ物です。食を通じて全世界の人々に美味しさと健康を提供していきたいと思っています。
しかし、健康な日本人一人当たりが消費しているシイタケの量は、年間700グラム程度です。日本の食文化を大切にしようと言われていますが、国内の農産物の消費率は軒並み低下しており、想像以上に厳しい状況です。少子化により、さらに生産者と消費者が減少すれば、国内の農業全体の維持が難しくなってしまいます。
このような環境の中で、生産者を守り、農業を守るためには、まずは消費につながる活動が必須だと考え、食育分野にも力を入れています。この10年ほど、全国各地の小学校に生産者と赴き、食育のための講演を年間25回ほど行っています。未来の栽培者と未来の消費者を育てる、種まきともいえる活動です。キノコに関する作品を集めたコンテストを行い「キノコアンバサダー」を選び、全国で発表会を行う企画も温めています。
また、栽培と消費の裾野を広げるため、健康志向が高まっている海外マーケットにも進出し、国内での活動と同様、食べて健康になれる食材として周知を続けています。研究者が長年の開発によりできた自慢のシイタケ、キノコを、国内だけでなく世界でも味わってもらいたいと思っています。弊社は、キノコというニッチな分野では日本でトップですが、海外マーケットへ積極的に進出し認知を広げていきたいと考えています。
現在は、パキスタンとオーストラリアに社員を派遣し、新たなマーケットの開拓を模索しているところです。
戦後の経済復興と「食」、農家の生活を支えた初代
北研は、キノコの研究を行っていた初代社長の内堀忠利が、1961年に「北研産業株式会社」を立ち上げたのがスタートです。戦後の深刻な食料難を経験し「経済復興は食にある」という実感により創業しました。そのため弊社は創業から、日々の「食」を支える地域の農家に貢献し、農業を通じて国民、そして日本を発展させていきたいという精神を軸にしています。「栽培者が有るから会社が在る」という社是は、創業当初から一貫して変わっていません。弊社の理念に感銘を受けて繋がった取引先も多く、一つの取引先に重点を置くのではなく、農家から消費者までの全体が繁栄する方法を常に探し、実践してきました。
キノコ種菌を専門とする企業は少なく、全国でも10社程度です。弊社は、創業から20年ほどは原木シイタケとナメコ栽培を軸に、数億円の規模で事業を行っていました。原木シイタケを育てるための丸太は水分を多く含んでいるため非常に重く、栽培農家の負担が大きいことが課題でした。
そこで弊社は、40年前の1967年に確立した「菌床なめこ栽培」の技術をベースに「シイタケ菌床栽培」という先進的な技術を確立しました。菌床は、厳選した木材を木くずやチップにして小さく固めた、シイタケ栽培用の資機材です。負担軽減や収穫の効率化、生産施設の省スペースにも繋げることができました。これを機に、弊社の事業もシイタケ菌床栽培用の種菌製造に切り替えが進んでいきました。
「菌床シイタケ」は、農閑期の働き方や生活にも大きな影響を与えました。日本、特に東北エリアの農家では、冬場は作物がとれないため収入も得られず、都市部への出稼ぎを余儀なくされていました。特に戦後は、近代化や機械化により農閑期の収入源であったわら工品や木炭が売れなくなったことで、農家の生活はさらに厳しくなっていました。菌床シイタケが導入されるようになってからは、農閑期もキノコ栽培により収入が得られるようになり、冬に収穫できる作物として浸透していきました。
現在、菌床シイタケは全国約2,000軒の農家やシイタケ工場で利用されており、国内で流通している生シイタケの約50%は弊社の種菌による菌床シイタケです。さらに、キクラゲ・ヒラタケ・マイタケの種菌の販売、エノキタケやエリンギなどの品種開発にも力を入れています。日本の「食」を支える農家の方々の生活を守り、技術を活かそうと尽力した初代の功績が現在まで引き継がれているのだと思います。
生産者による組織を発足し、技術向上を支援した2代目
2代目社長の塩沢は、1987年に菌床シイタケ生産者の組織「サンマッシュ生産協議会」を発足し、北研としてのブランド確立を目指しました。それまで、シイタケを含む農産物は、産地間の競争や市場調整などにより、生産者がまとまることが難しい環境でした。そのような中で2代目は、生産者の技術向上のための研修やセミナーを実施し、相互交流の場をつくることで変化のある中でも生き残れる知識と力を身に付けられるようにしました。この組織は37年経った現在も継続され、国内最大の組織になっています。弊社の規模からすると、生産者の地盤強化にまで携わるのは異例ですが、社是「栽培者が有るから会社が在る」に則した素晴らしい支援の形だと思っています。
5代目としてキノコ生産者の所得向上や6次産業化に挑戦
私は、岡山県の出身です。岡山の商社で営業の仕事をしていた時、北研の岡山営業所にいた先代社長に声をかけられたのが北研との出会いでした。商品を右から左に流通させる商社のビジネスと違い、生産者と家族のような関係でお付き合いしていけることが嬉しく、この会社で働き続けたいと思い入社を決めました。
入社から3年は、当時あった四国出張所に勤務し、近畿地方の営業を担当しました。この担当区域には、キノコの生産量日本一の徳島県があり、弊社の売上利益としても非常に大きな割合を占めていたことから、重要な拠点となっていました。生産者や社内の協力によって売上が伸び、出張所から営業所へと昇格させることができました。
四国営業所では入社から約10年勤務し、その後栃木県壬生町にある本社の営業本部に呼ばれ、新事業開発室で1年間、新規事業の立案に携わることになりました。当時の事業はキノコの種菌や資機材の販売のみであり、キノコの専門業者として事業を継続させていくならば、生産者の方々が適正な利益を受け取れるようになってこそ意義があると考え、生産者の所得分を加味した価格でのシイタケ販売をしようとしました。ところが多くの難題があり、サービス展開を目前にして打ち切りとなってしまいました。
また、生産者の収益に繋げるため6次産業化を検討し、餃子やうどん、つゆの素、カレー、ふりかけなどの加工品、サプリメントなどの企画や開発、販売をしました。あまり売れずこの企画も打ち切りにはなりましたが、それまで手をつけたことのなかった分野への挑戦ができたと思います。
1年後には、研究所のマネージャーを務めることとなりました。さらにその後、取締役として西日本の統括を1年間任され、3年半前の2019年に社長に就任しました。
誰でも社長を目指せる経営体制
入社1、2年頃から経営者候補になる意識はありました。一般企業から入社し、お客様に支えていただいた恩返しをするには、自分自身が成長して貢献できる取り組みを実践できるようになるのがベストだろうと考えたことがきっかけです。私がお客様や先輩から支えてもらったように、後輩社員たちや周りの方にはできる限りのことをしていきたいと思っています。
また、弊社は中小企業としては珍しく、同族経営ではありません。初代社長の内堀は「会社は社員全員のものであり、優秀な人材が代表になって経営に携わるべき」というポリシーの持ち主でした。
そのため、これまでの歴代の社長や経営陣は全て、一般社員から選出されています。誰でもトップを目指し、向上心を持って成長していける環境になっています。
さらに役員定年も設けられており、経営陣だけではなく社長職にも期限があります。自分が社長に就任して分かったことですが、役員定年という制度は、一介のサラリーマンが、ある日突然社長になり、社長としての立ち居振る舞いを求められます。経営者になれるという夢をもてる反面、同族経営の会社とはまた違った苦労や楽しさがあると感じています。
事業の担い手として未来の生産者と消費者を育てていく
弊社のビジネスモデルは62年間一貫しています。弊社の販売する種菌や資機材を使用する生産者の所得向上と、生産を継続できる環境を整えることです。それを踏まえ、私自身が思う弊社の役割は、キノコの元となる種菌の安定供給だけではなく、より良いものを現在の消費者と次世代に届けるために、新品種の開発を続けることです。先代が残した技術をただ引き継ぐだけではなく、その技術を活かして後続のために改良を続けていくことが事業の担い手の使命だと思っています。
菌は生き物です。種菌の原料である木材のチップは東北から仕入れていますが、同じ山から切り出したブナ材であっても、南向き標高300mと西側の標高600mとでは材質が異なり、菌床とした場合にもキノコの菌糸の伸び方が変わります。こういった材質の向き不向きや菌の成長度合いはマニュアル化がしにくい部分です。私たちが歴代社長から受け取ったバトンを後続に引き継いでいくには、机上論ではなく、経験を通じて得た実感を社員に承継していくことが大事だと考えています。事業に価値を見出し、生産者や消費者にとって最も有益な商品やサービスを考え続けていくことが弊社の課題です。
弊社の営業社員は、生産者が安定した利益を上げられるよう、経営状態から生産者の家族まで関われる深いお付き合いを続けています。弊社が生産者の利益や生活まで視野に入れているのは、業界全体が発展していくために、事業の枠組みを越え業界全体の循環にアプローチをする必要があるからです。生産者に負担を強いれば、担い手不足を招き、業界の衰退にも繋がりかねません。だからこそ、弊社のお客様でもあり協力者でもある生産者の支援が大事になっていきます。
弊社では技術面での支援として、生産者のニーズに合わせた開発や、栽培環境に適した品種提案などのコンサルティング事業も行っています。キノコの生育環境の調整は生産者の売上に直結するので、困った時にも相談しやすい関係性を築くことで早期解決に繋げ、生産者の損失がなるべく少なく済むようにしています。
後続のため社内環境と人材育成システムを整える
弊社の社員は120名と、規模は中小企業ですが、組織のシステムと福利厚生は大企業並に整っています。
弊社では3年に1度、事業計画を刷新しており、これに沿って社員育成が進められています。私が社長に着任して1年目の59期には、81期までの事業内容、売上構成、利益率、社員構成について、自社だけではなく協力会社を含めて想定し計画しました。現在は計画に沿って順調に推移し成長を続けています。
今後も人数はそのままに人財育成にも力を入れ、売上を拡大し、盤石な経営体制を敷くのが私の使命だと考えています。まずは2030年までに売上を100億円に伸ばすことが目標です。
そのあかつきには、30歳の主任クラスの社員に年収500万円を支給できるようになることが私の夢です。社員のやりがいやモチベーションは、やはり給与に直結していると考えるからです。働いた対価が戻ってくることを前面に打ち出せる企業となり、課長クラスで1,000万円、部長クラスで2,000万円のような報酬体系にしていければと考えています。人材確保がますます難しくなる今後は、人の集まる、魅力ある会社にしていかなければならないという課題もありますが、働くことで心身ともに豊かな生活を送ってほしいという願いが根本にあります。現在はその前段階として、働く環境と社内制度を整えることに注力しています。
また、社長に就任してからは古い木造の社屋から移転し、新社屋を構えました。会社としての第一印象も大事であり、求職者が会社見学や面接に来た際に、クリーンな良い印象を持ってもらえるようにとの考えから踏み切りました。
加えて、人財育成のシステムも整備しました。弊社が人財育成に本腰を入れるようになったのは8年ほど前で、1対1の面談と年1~2回の全体研修を行ってきました。1年ほど前からは、部門またはチームごとの研修も行うようにしています。研究職、営業、経営陣とでは学ぶものが異なるため、一般社員向けのコーチングや育成、幹部育成、経営者育成と分野や階層ごとの研修を行えるようにして、さらに、中長期的な戦略を立て実行していく社長直轄の選抜チームも組成しました。
私は、社長定年までまだ20年あるのですが、次期社長への承継を視野に入れての計画です。自分にもしものことがあっても、会社が安定した経営を続けられるようにするためです。極端な話ですが、会社を分社化しHDとして経営者が複数名で会社を支えていく方法を試みてもいいのではないかと思っています。
食育分野と海外マーケット開拓を通じて業界を守り支援の手を増やす
キノコは体に良く、美味しい食べ物です。食を通じて全世界の人々に美味しさと健康を提供していきたいと思っています。
しかし、健康な日本人一人当たりが消費しているシイタケの量は、年間700グラム程度です。日本の食文化を大切にしようと言われていますが、国内の農産物の消費率は軒並み低下しており、想像以上に厳しい状況です。少子化により、さらに生産者と消費者が減少すれば、国内の農業全体の維持が難しくなってしまいます。
このような環境の中で、生産者を守り、農業を守るためには、まずは消費につながる活動が必須だと考え、食育分野にも力を入れています。この10年ほど、全国各地の小学校に生産者と赴き、食育のための講演を年間25回ほど行っています。未来の栽培者と未来の消費者を育てる、種まきともいえる活動です。キノコに関する作品を集めたコンテストを行い「キノコアンバサダー」を選び、全国で発表会を行う企画も温めています。
また、栽培と消費の裾野を広げるため、健康志向が高まっている海外マーケットにも進出し、国内での活動と同様、食べて健康になれる食材として周知を続けています。研究者が長年の開発によりできた自慢のシイタケ、キノコを、国内だけでなく世界でも味わってもらいたいと思っています。弊社は、キノコというニッチな分野では日本でトップですが、海外マーケットへ積極的に進出し認知を広げていきたいと考えています。
現在は、パキスタンとオーストラリアに社員を派遣し、新たなマーケットの開拓を模索しているところです。
ツグナラコンサルタントによる紹介
きのこ種菌と資機材の販売や研究開発、栽培者への技術供与を60年以上にわたって続けてきた企業様です。国産菌床シイタケのシェアは50%と国内トップを誇りますが、社是「栽培者が有るから会社が在る」を軸とした経営で、生産者をとても大切にしていらっしゃいます。海外マーケットへの進出も積極的で、日本だけでなく世界にきのこを広めていきたいとのことです。
会社概要
社名 | 株式会社北研 |
創立年 | 1961年 |
代表者名 | 代表取締役社長 白田 卓一 |
資本金 | 5000万円 |
事業エリア |
東北営業所
020-0535 岩手県岩手郡雫石町小日谷地36-3 |
中央営業所
321-0226 栃木県下都賀郡壬生町中央町13番1号 |
|
西日本営業所
710-0251 岡山県倉敷市玉島長尾2680-2 |
|
四国営業所
770-8074 徳島県徳島市八万町下福万1-1 |
|
九州営業所
877-0024 大分県日田市南元町12-20 |
|
製造部・きのこ種菌工場
321-0221 栃木県下都賀壬生町藤井1024-1 |
|
きのこ生産技術部・馬頭工場
324-0602 栃木県那須郡那珂川町大山田下郷1296-4 |
|
食用菌類研究所
321-0222 栃木県下都賀郡壬生町駅東町7-3 |
|
本社住所 |
321-0226 栃木県下都賀郡壬生町中央町13番1号 0282-82-1100 |
事業内容 | きのこ種菌の製造販売 きのこ菌床の販売 きのこ生産用機器及び資材の販売 きのこ栽培プラントの請負工事 きのこ類の生産販売 |
URL |
https://www.hokken.co.jp/
|
会社沿革
1961年 | 栃木県下都賀郡壬生町(現住所)において創業、内堀忠利初代社長に就任 |
1963年 | 資本金120万円に増資 |
1966年 | 資本金480万円に増資 |
1967年 | 菌床なめこ生産技術を確立し、全国に普及を行う |
1970年 | 全国食用きのこ種菌協会が発足、内堀忠利社長が初代会長に就任 |
1973年 | 栃木税務署優良申告法人表敬状を受賞、以後連続受賞 |
1974年 | 食用菌類研究所研究棟完成 |
1979年 | 内堀忠利社長が黄綬褒章を受章 |
1981年 | 資本金1920万円に増資 |
1982年 | 塩沢弘代表取締役に就任する |
1987年 | 菌床しいたけ生産者の組織「サンマッシュ生産協議会」が発足 |
1988年 | 岩手県雫石町に東北営業所を設置 しいたけ菌床適応品種「北研600号」を品種登録 井上貞行常務が科学技術庁長官賞を受賞 |
1991年 | 社名を「北研産業株式会社」から現在の「株式会社北研」に変更 |
1993年 | 岡山県倉敷市に西日本営業所を設置 |
1996年 | 協議会が「全国サンマッシュ生産協議会」に名称を変更 |
1997年 | 資本金を3840万円に増資 |
1998年 | 塩沢弘社長全菌協会長に就任 |
1999年 | 大分県日田市に九州営業所を開設 |
2000年 | 内堀俊幸代表取締役社長に就任 しいたけ上面栽培の特許を取得 |
2001年 | 地域活性化貢献企業賞を受賞 塩沢弘会長が黄綬褒章を受章 食用菌類研究所が日本きのこ学会技術賞を受賞 徳島県徳島市に四国出張所を開設 |
2004年 | きのこ生産事業部馬頭工場が稼動 |
2005年 | 栃木県壬生町に中央営業所を開設 |
2006年 | 塩沢弘相談役が旭日小綬章を受章 |
2008年 | 四国出張所を四国営業所に改称 鮎澤澄夫常務が農林水産技術情報協会理事長賞を受賞 |
2010年 | 川嶋健市代表取締役社長に就任 "栃木県フロンティア企業"として栃木県に認証される 製造部 きのこ種菌工場を新設移転 |
2011年 | 中央営業所を本社内に移転 |
2015年 | 平成26年度とちぎ産業活力大賞特別賞を受賞 |
2016年 | 資本金を5000万円に増資 平成28年度地域中核企業(ニッチトップ部門)に認定 |
2017年 | 経済産業省から"地域未来牽引企業"に選定される |
2018年 | 川嶋健市社長全菌協会長に就任 |
2019年 | 白田卓一代表取締役社長に就任 |
2021年 | とちぎSDGs推進企業登録制度へ登録 川嶋健市会長が栃木県経済同友会優秀経営者賞を受賞 |
2022年 | 下都賀郡壬生町内で本社を移転 |
株式会社北研の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/07/28
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。