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伝統を守り資産価値を高める京都唯一の投資用マンションデベロッパー
日本ホールディングス株式会社
京都の歴史と快適な住環境をデザインする「信頼」の不動産開発
経営理念
日本ホールディングス、それは信頼。
地球的規模で目まぐるしく変化する情報化社会だからこそ、 私達、日本ホールディングスグループは、人と人との確かな信頼関係にこだわり続けています。
価値のある情報も、評価の高い商品も、そこに信頼がともなってこそ活用することができます。
私たちは責任と信頼が必要とされる、不動産という商品を取り扱っています。『信頼』の理念は、きめ細やかなサービスを通じて現れ、多くのお客様から高い評価をいただいています。
お客様の要望を正確に把握し、時代や環境をふまえて、より有効な資産活用を皆様にご提案しながら、その実現に向けて迅速に活動し続けています。
日本ホールディングスは、人から、そして社会から、より信頼される企業体を目指していきます。
社是
現状に満足することなく
日に新たに 創意工夫して
社業の発展と社員の向上をはかり
社会への貢献をはたす
一、誠実
一、協和
一、礼節
一、闘魂
一、感謝
代表者メッセージ
私ども日本ホールディングス株式会社は、創業以来お客様とのつながりを大切にしています。不動産に関連する幅広いニーズに応えるため、ここ京都の地で、創意工夫を重ねて参りました。現在は、都市型分譲マンション「ベラジオシリーズ」を展開しています。
近年は、日本のみならず世界的に厳しい経済状況が長く続くとともに、様々な社会問題が噴出し、 弊社を取り巻く経営環境も大きく変化しています。そんな中で、私たちは変化する企業として、外部環境に適応し、内部環境を最適化しつつ、常に変化を好機と捉える強い企業を目指しています。
私たちはどんな世の中にあっても、核となる日本の伝統精神は変えにいたいと考えています。この社会からお預りした経営資源を使いながら、 事業を通じて社会に有益な価値を提供するからこそ、弊社は存在を認められ、存続を許されると信じています。価値創造とサービスの担い手である当社の社員は皆、「信用から信頼」をモットーに、お客様そして社会に貢献するよう日々真摯に努力していく所存でございます。
京都が育んできた伝統と文化、京都が大切にしてきたおもてなしの心を踏襲しつつ、地域に根ざした誠実な企業として、よりよい明日のために未来志向で事業に邁進して参ります。
今後とも引続きご理解とご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
代表取締役社長 八尾 浩之
私たちのこだわり
京都に根ざすマンション販売会社として創業
弊社は、私の前職である新築マンション販売会社の元上司が1992年に創業しました。私はその元上司から「京都に根ざしたマンション販売を行う会社を一緒に作っていかないか」と誘いを受け、創業から1年後に入社しました。私が入社した当時の社員数は4人ほどでした。
弊社に入社する以前の私は、前職では新築マンション販売会社で、営業としてマンションの購入を提案していました。一軒一軒お宅を周りながら、飛び込みで営業をしていました。飛び込み営業と聞くと強引さを連想する方も多いかと思いますが、私が最も大切にしていたスタンスはお客様との対話です。お客様は、人生観や生活のクオリティ向上のためにマンションの購入を検討されます。そんな気持ちに寄り添うにはどうすべきかと考え、試行錯誤しながら、自然とヒアリング能力や提案力を身に付けていきました。結果、お客様に寄り添うご提案ができるようになり、営業成績を伸ばすことができました。
創業者である元上司には、なぜ私を誘ってくれたのかという理由を聞いたことはありませんでしたが、「主役は販売する側ではなくお客様であるべき」という私の営業観を高く評価していただけたのだろうと思っています。
入社後は、私どもの過去の営業販売実績を知る企業から物件の販売代理の仕事を請負い、主業としていました。徐々に事業を拡大し、1998年ごろからは自社物件の販売を開始しました。
創業から10年目の2002年には、社名を日本ホールディングスに変更しました。「ホールディングス」は、最近よくある持株会社の意味ではありません。「持つ、掴む」という意味のholdからとっており、日本で一番信頼される会社にしようという思いが込められています。社名変更の同時期には、社員は約30名となり、新卒社員の採用も出来るほどの規模になっていました。
創業者の死去により引き継ぎを決意し業績を回復
2007年には、京都の景観条例が厳格化された影響で、新規物件の供給ができない時期が長くありました。景観条例とは、眺望景観を保全していくための決まりで、各地域の風景や特色に合わせたデザインの基準にしたがって京都らしい景観の形成をはかるものです。具体的には屋根瓦などの軒やひさしのデザインや、3階以上の建物は1階の外壁より9㎝以上の間隔をあけるなど、多くの規定が新たに設けられました。基準を満たす物件を供給するにはデザインの見直しやリフォームが必要となり、対応に追われました。また、2008年にはリーマンショックの影響も重なり、苦戦を強いられました。
このような外部環境の変動がある中で2010年に創業者が死去し、創業以来始めての大赤字を経験しました。このままでは会社の存続も危ぶまれると考え、社員を守るためには、自分が会社を立て直さなければと、会社の引き継ぎを決意しました。そして2011年には代表取締役社長に就任しましたが、経営状態の不安定さから、取引先に「この会社は大丈夫なのか?」という目で見られてしまうこともありました。少しずつ社内体制を整え、信頼関係を築くことで商品を供給してもらえるようになり、社員も辞めさせることなく、業績の回復に繋げることができました。
京都らしさにこだわった「ベラジオ雅び」シリーズ
弊社では、2001年ごろから京都市内を中心に都市型投資用分譲マンション「ベラジオシリーズ」を展開してきました。「べラジオ」とは、イタリア語でbell(美しい)、agio(くつろぎ・安心)という意味の言葉を合わせた造語です。都市にありながらも、美しいくつろぎと優雅な安らぎを提供するハイクオリティーマンションを目指してきました。景観条例が厳格化された2007年からは、ベラジオシリーズも和のイメージで展開しています。「べラジオシリーズ」の誕生から約20年の間に、約60棟の実績を積み重ねることができました。この20年の間に乗り越え経験してきたことは、弊社のノウハウとなり財産となっています。
2年ほど前からは、従来のべラジオシリーズを「べラジオ雅び」シリーズとして、大幅にブランドコンセプトを刷新し展開しています。「雅び」シリーズ誕生の背景には、この京都で不動産業を営むものとして、より社会貢献・地域貢献に目を向けていきたいという強い思いがあります。
文化庁の京都移転が決定し、国を挙げて京都の歴史や芸術を世界に発信する取り組みをするようになったことも、弊社が地域に貢献できる企業になろうと決意したきっかけの一つとなっています。SDGs活動が活発になっていく中、弊社としても環境問題や様々な社会問題の解決のために、どんな取り組みが出来るのか、そして京都の地域価値の持続的な維持・向上にどう貢献できるのかと思案していました。
結果、弊社が京都に根ざした唯一の投資用マンションデベロッパーとして、古都の優美さを形にして後世に伝えることが使命であるとの考えに至りました。「世界に誇れる日本へ」という信念を持って、日本の文化や技術、芸術を「ベラジオ雅び」シリーズにて次世代に伝えていきたいと考えています。具体的には、和の意匠外観にこだわり、坪庭の設置、京都の芸術家とコラボレーションした芸術作品の展示など、京都ならではのマンションブランドとして、文化継承を担うことを目指しています。今後も「べラジオ雅び」シリーズを展開し、伝統文化・芸術の継承と発展に貢献していくことで、オーナー様、入居者様、地域の皆様そしてこのマンションの建設や管理に関わる全ての方に、より深化した価値提供を行っていきます。
社員の定着率向上のため、電話営業を廃止し完全週休2日制へ
不動産業界は離職者が多い傾向にあります。おそらく営業の強引な手法に疑問を持つ方が多いからだと思います。弊社では、営業の固定概念としてあった、顧客の新規開拓を目的とした電話営業を廃止しました。その代わりに、全国での不動産投資セミナーの開催や、テレビで不動産宣伝番組の放映、不動産投資についての本の出版を行い、まずは弊社や不動産について知っていただく機会を提供しました。唐突に電話してお客様の考えをヒアリングするのではなく、はじめに我々の不動産業に対する在り方を提示する方がお客様の安心に繋がりますし、社員にとっても自社ビジネスに誇りを持って取り組めるため、愛社精神がグッと高まります。
また、以前は営業成績が悪い場合、休みの日にも出勤して仕事を行う風習がありましたが、休日は必ず休んでもらうようにしました。さらに隔週休から完全週休2日に変更し、年間休日も90日から110日に増やしました。思い切った取り組みでしたが、社員も喜んでくれ、より一層仕事に注力してくれるようになりました。結果的に社員の定着率が上がるだけでなく、売り上げも改革前は年商20億円でしたが、現在は55億円まで上げることができました。
物件を販売した営業担当が購入後も一貫サポート
弊社の理念に「日本ホールディングス、それは信頼」とある通り、創業以来お客様や取引先との信頼関係にこだわり続けています。
マンションを販売することにおいても、信頼に対する特色があります。他社では、営業担当が物件を販売し、販売後は用件ごとに異なる担当者がサポートすることから、お客様との関係性がゼロからの再スタートになってしまいます。そのため、認識の行き違いが生じてトラブルになってしまうことがあります。
弊社では、販売後も営業担当が一貫して不動産オーナーのお客様をサポートします。お客様により満足してもらうために、定期的な連絡はもちろん、お客様の意向に合わせて連絡をとります。私自身も営業担当として販売を行っていたので、当時からご利用いただいているお客様には、今でも私が連絡をしています。私も社員も、永続的にお付き合いするお客様のために、責任感を持って担当しています。お客様と一口に言っても、売却を考える方もいれば新たに物件を増やす方もいて、不動産に関する知識だけでなく、資金計画などの金融や法律に関する知識が必要となります。社員の知識や経験の底上げを図るため、社内では定例会議を開き、情報共有を欠かさないようにすることで、的確な情報をお客様に伝えられるようにしています。私たちを信用して購入いただいたお客様に対して、誠心誠意対応することで、お客様に購入してよかったと満足してもらうことができていると感じています。
スキルやノウハウを自然と共有できる環境で育成を図る
近年は毎年4~5人の新卒採用を行っていますが、採用時は応募者の誠実さを最も重視しています。誠実でさえあれば、先輩社員から可愛がってもらえますし、自然と周りが「この子に育ってもらいたい」と自発的に育てようとしたり、気に掛け合ったりするような社内文化が出来ていきます。弊社では基本的に5人程度のグループ体制をとり、責任者1人、中堅社員2名、若手社員2名という構成にしています。先輩社員や上司が後輩にスキルやノウハウを迅速に共有できるような体制であるため、自然な形で育成を図ることができています。
また、私自身は社員に対して常にコミュニケーションをとることを心掛けています。そのため社長室は必要ないと考え、廃止しました。社員と同じフロアで過ごすことで、意思疎通がスムーズになったように思います。社員との何気ない会話から、現場での課題や改善点を把握することもでき、とても風通しのいい雰囲気です。
弊社の社風や理念に共感してもらえる企業様との出会いに期待
京都はインバウンド需要があることから、海外在住の外国人投資家の方々が弊社の物件に興味を持ち、お問い合わせいただくこともありますが、取引はご遠慮いただいています。言葉や送金の問題のほかに、弊社のマンションは投機的な物件ではなく、京都の歴史や文化を愛し守りたいと思う方にご購入いただきたい、住んでいただきたいという理由からです。
弊社が10年後に目指しているのは、年商100億円企業です。成長に伴って社員数も増員し、現在の70人規模から、100人規模を目指しています。目標とする規模にスケールアップしていく一つの戦略として、M&Aでの事業拡大も視野に入れています。
M&Aは未経験ですが、行動を起こすことでビジネスチャンスも起きるのではと思っています。弊社の社風や理念に共感してもらえる企業様がいれば、ぜひお声掛けいただければと思います。
京都に根ざすマンション販売会社として創業
弊社は、私の前職である新築マンション販売会社の元上司が1992年に創業しました。私はその元上司から「京都に根ざしたマンション販売を行う会社を一緒に作っていかないか」と誘いを受け、創業から1年後に入社しました。私が入社した当時の社員数は4人ほどでした。
弊社に入社する以前の私は、前職では新築マンション販売会社で、営業としてマンションの購入を提案していました。一軒一軒お宅を周りながら、飛び込みで営業をしていました。飛び込み営業と聞くと強引さを連想する方も多いかと思いますが、私が最も大切にしていたスタンスはお客様との対話です。お客様は、人生観や生活のクオリティ向上のためにマンションの購入を検討されます。そんな気持ちに寄り添うにはどうすべきかと考え、試行錯誤しながら、自然とヒアリング能力や提案力を身に付けていきました。結果、お客様に寄り添うご提案ができるようになり、営業成績を伸ばすことができました。
創業者である元上司には、なぜ私を誘ってくれたのかという理由を聞いたことはありませんでしたが、「主役は販売する側ではなくお客様であるべき」という私の営業観を高く評価していただけたのだろうと思っています。
入社後は、私どもの過去の営業販売実績を知る企業から物件の販売代理の仕事を請負い、主業としていました。徐々に事業を拡大し、1998年ごろからは自社物件の販売を開始しました。
創業から10年目の2002年には、社名を日本ホールディングスに変更しました。「ホールディングス」は、最近よくある持株会社の意味ではありません。「持つ、掴む」という意味のholdからとっており、日本で一番信頼される会社にしようという思いが込められています。社名変更の同時期には、社員は約30名となり、新卒社員の採用も出来るほどの規模になっていました。
創業者の死去により引き継ぎを決意し業績を回復
2007年には、京都の景観条例が厳格化された影響で、新規物件の供給ができない時期が長くありました。景観条例とは、眺望景観を保全していくための決まりで、各地域の風景や特色に合わせたデザインの基準にしたがって京都らしい景観の形成をはかるものです。具体的には屋根瓦などの軒やひさしのデザインや、3階以上の建物は1階の外壁より9㎝以上の間隔をあけるなど、多くの規定が新たに設けられました。基準を満たす物件を供給するにはデザインの見直しやリフォームが必要となり、対応に追われました。また、2008年にはリーマンショックの影響も重なり、苦戦を強いられました。
このような外部環境の変動がある中で2010年に創業者が死去し、創業以来始めての大赤字を経験しました。このままでは会社の存続も危ぶまれると考え、社員を守るためには、自分が会社を立て直さなければと、会社の引き継ぎを決意しました。そして2011年には代表取締役社長に就任しましたが、経営状態の不安定さから、取引先に「この会社は大丈夫なのか?」という目で見られてしまうこともありました。少しずつ社内体制を整え、信頼関係を築くことで商品を供給してもらえるようになり、社員も辞めさせることなく、業績の回復に繋げることができました。
京都らしさにこだわった「ベラジオ雅び」シリーズ
弊社では、2001年ごろから京都市内を中心に都市型投資用分譲マンション「ベラジオシリーズ」を展開してきました。「べラジオ」とは、イタリア語でbell(美しい)、agio(くつろぎ・安心)という意味の言葉を合わせた造語です。都市にありながらも、美しいくつろぎと優雅な安らぎを提供するハイクオリティーマンションを目指してきました。景観条例が厳格化された2007年からは、ベラジオシリーズも和のイメージで展開しています。「べラジオシリーズ」の誕生から約20年の間に、約60棟の実績を積み重ねることができました。この20年の間に乗り越え経験してきたことは、弊社のノウハウとなり財産となっています。
2年ほど前からは、従来のべラジオシリーズを「べラジオ雅び」シリーズとして、大幅にブランドコンセプトを刷新し展開しています。「雅び」シリーズ誕生の背景には、この京都で不動産業を営むものとして、より社会貢献・地域貢献に目を向けていきたいという強い思いがあります。
文化庁の京都移転が決定し、国を挙げて京都の歴史や芸術を世界に発信する取り組みをするようになったことも、弊社が地域に貢献できる企業になろうと決意したきっかけの一つとなっています。SDGs活動が活発になっていく中、弊社としても環境問題や様々な社会問題の解決のために、どんな取り組みが出来るのか、そして京都の地域価値の持続的な維持・向上にどう貢献できるのかと思案していました。
結果、弊社が京都に根ざした唯一の投資用マンションデベロッパーとして、古都の優美さを形にして後世に伝えることが使命であるとの考えに至りました。「世界に誇れる日本へ」という信念を持って、日本の文化や技術、芸術を「ベラジオ雅び」シリーズにて次世代に伝えていきたいと考えています。具体的には、和の意匠外観にこだわり、坪庭の設置、京都の芸術家とコラボレーションした芸術作品の展示など、京都ならではのマンションブランドとして、文化継承を担うことを目指しています。今後も「べラジオ雅び」シリーズを展開し、伝統文化・芸術の継承と発展に貢献していくことで、オーナー様、入居者様、地域の皆様そしてこのマンションの建設や管理に関わる全ての方に、より深化した価値提供を行っていきます。
社員の定着率向上のため、電話営業を廃止し完全週休2日制へ
不動産業界は離職者が多い傾向にあります。おそらく営業の強引な手法に疑問を持つ方が多いからだと思います。弊社では、営業の固定概念としてあった、顧客の新規開拓を目的とした電話営業を廃止しました。その代わりに、全国での不動産投資セミナーの開催や、テレビで不動産宣伝番組の放映、不動産投資についての本の出版を行い、まずは弊社や不動産について知っていただく機会を提供しました。唐突に電話してお客様の考えをヒアリングするのではなく、はじめに我々の不動産業に対する在り方を提示する方がお客様の安心に繋がりますし、社員にとっても自社ビジネスに誇りを持って取り組めるため、愛社精神がグッと高まります。
また、以前は営業成績が悪い場合、休みの日にも出勤して仕事を行う風習がありましたが、休日は必ず休んでもらうようにしました。さらに隔週休から完全週休2日に変更し、年間休日も90日から110日に増やしました。思い切った取り組みでしたが、社員も喜んでくれ、より一層仕事に注力してくれるようになりました。結果的に社員の定着率が上がるだけでなく、売り上げも改革前は年商20億円でしたが、現在は55億円まで上げることができました。
物件を販売した営業担当が購入後も一貫サポート
弊社の理念に「日本ホールディングス、それは信頼」とある通り、創業以来お客様や取引先との信頼関係にこだわり続けています。
マンションを販売することにおいても、信頼に対する特色があります。他社では、営業担当が物件を販売し、販売後は用件ごとに異なる担当者がサポートすることから、お客様との関係性がゼロからの再スタートになってしまいます。そのため、認識の行き違いが生じてトラブルになってしまうことがあります。
弊社では、販売後も営業担当が一貫して不動産オーナーのお客様をサポートします。お客様により満足してもらうために、定期的な連絡はもちろん、お客様の意向に合わせて連絡をとります。私自身も営業担当として販売を行っていたので、当時からご利用いただいているお客様には、今でも私が連絡をしています。私も社員も、永続的にお付き合いするお客様のために、責任感を持って担当しています。お客様と一口に言っても、売却を考える方もいれば新たに物件を増やす方もいて、不動産に関する知識だけでなく、資金計画などの金融や法律に関する知識が必要となります。社員の知識や経験の底上げを図るため、社内では定例会議を開き、情報共有を欠かさないようにすることで、的確な情報をお客様に伝えられるようにしています。私たちを信用して購入いただいたお客様に対して、誠心誠意対応することで、お客様に購入してよかったと満足してもらうことができていると感じています。
スキルやノウハウを自然と共有できる環境で育成を図る
近年は毎年4~5人の新卒採用を行っていますが、採用時は応募者の誠実さを最も重視しています。誠実でさえあれば、先輩社員から可愛がってもらえますし、自然と周りが「この子に育ってもらいたい」と自発的に育てようとしたり、気に掛け合ったりするような社内文化が出来ていきます。弊社では基本的に5人程度のグループ体制をとり、責任者1人、中堅社員2名、若手社員2名という構成にしています。先輩社員や上司が後輩にスキルやノウハウを迅速に共有できるような体制であるため、自然な形で育成を図ることができています。
また、私自身は社員に対して常にコミュニケーションをとることを心掛けています。そのため社長室は必要ないと考え、廃止しました。社員と同じフロアで過ごすことで、意思疎通がスムーズになったように思います。社員との何気ない会話から、現場での課題や改善点を把握することもでき、とても風通しのいい雰囲気です。
弊社の社風や理念に共感してもらえる企業様との出会いに期待
京都はインバウンド需要があることから、海外在住の外国人投資家の方々が弊社の物件に興味を持ち、お問い合わせいただくこともありますが、取引はご遠慮いただいています。言葉や送金の問題のほかに、弊社のマンションは投機的な物件ではなく、京都の歴史や文化を愛し守りたいと思う方にご購入いただきたい、住んでいただきたいという理由からです。
弊社が10年後に目指しているのは、年商100億円企業です。成長に伴って社員数も増員し、現在の70人規模から、100人規模を目指しています。目標とする規模にスケールアップしていく一つの戦略として、M&Aでの事業拡大も視野に入れています。
M&Aは未経験ですが、行動を起こすことでビジネスチャンスも起きるのではと思っています。弊社の社風や理念に共感してもらえる企業様がいれば、ぜひお声掛けいただければと思います。
会社概要
社名 | 日本ホールディングス株式会社 |
創立年 | 1992年 |
代表者名 | 代表取締役社長 八尾 浩之 |
資本金 | 9900万円 |
事業エリア |
本社
600-8009 京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町88番地 K.I.四条ビル3階 |
大阪支店
541-0045 大阪市中央区道修町4-4-10 KDX小林道修町ビル3階 |
|
東京支店
103-0022 東京都中央区日本橋室町1-13-7 PMO日本橋室町3階 |
|
本社住所 |
600-8009 京都府京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町88番地 K.I.四条ビル3階 |
事業内容 | 分譲マンション開発・販売業務、分譲マンション販売代理業務、住宅分譲、不動産仲介、建築設計・施工、リフォーム、賃貸事業、賃貸管理業、不動産有効活用の企画・立案・コンサルティング、損害保険代理業 |
URL |
https://www.nihon-holdings.co.jp/
|
会社沿革
1992年 | 京都市下京区麩屋町通高辻下る鍵屋町220番地1にて日経ビルディング創業 |
1994年 | 京都市下京区仏光寺通堀川西入晒屋町635番地に移転 日経ビルディング株式会社設立(資本金1,000万) |
1996年 | UFJ銀行聖護院支店協力指定業者加盟 一般建設業許可登録 二級建築士事務所登録 三井住友銀行四条支店協力指定業者加盟 |
1998年 | 損害保険代理店上級資格取得 |
2000年 | 賃貸・仲介を目的として、日経リーディング有限会社設立 関西アーバン銀行京都支店協力指定業者加盟 |
2001年 | 事業拡充のため、京都・四条烏丸(K.I.四条ビル)に本社移転 同時に、日経ビルディング株式会社 堀川支店を開設 日経リーディング有限会社、四条堀川に本社移転 日経ビルディング株式会社の資本金を1,500万円に増資 |
2002年 | 日経リーディング有限会社、株式会社に組織変更 日経ビルディング株式会社を日本ホールディングス株式会社に、日経リーディング株式会社を日本ベラジスト株式会社に社名変更 マンション管理業者登録 |
2003年 | 日本ホールディングス株式会社の資本金を4,950万円に増資 |
2004年 | 朝日火災海上保険株式会社と保険代理店契約締結 日本ホールディングス株式会社の資本金を9,900万円に増資 |
2006年 | ベラジオ倶楽部発足 日本ベストコミュニティー株式会社設立 大阪支店開設(大阪市中央区船越町1丁目3番6号フレックス大手前ビル1階) 宅地建物取引業免許を大臣免許へ切替 室町店開設 特定建設業許可登録【京都府知事 許可 (特-23)第31104号】 |
2007年 | 創業15周年記念式典開催 一級建築士事務所登録【(24A)第01598号】 |
2008年 | 日本住宅少額短期保険株式会社と保険代理店契約締結 日本コージン株式会社設立 日本ベストコミュニティー株式会社を中京区笹谷町へ本社移転 |
2009年 | 日本ホールディングス個人向社債発行 日本ベラジスト個人向け社債発行 |
2010年 | 業務拡張に伴い建設部を下京区の日本ホールディングス四条烏丸第2ビルへ移転 日本ベラジスト株式会社を下京区の日本ホールディングス四条烏丸第2ビルへ移転 |
2011年 | 大阪支店の事務所を中央区内平野町へ移転 日本ベラジスト株式会社と日本ベストコミュニティー株式会社が合併し、賃貸事業とマンション管理業を一本化 日本ベラジスト株式会社、合併に伴い四条堀川へ本社移転 セーフティージャパン・リスクマネジメント株式会社と保険代理店契約締結 |
2015年 | 大阪支店の事務所を中央区道修町へ移転 |
2017年 | 三井住友海上火災保険株式会社と保険代理店契約締結 創業25周年記念プロジェクト実施 |
2018年 | 日本ベラジスト株式会社をJRE四条烏丸センタービル2階へ移転 |
2023年 | 東京支店開設(東京都中央区日本橋室町1-13-7 PMO日本橋室町3階) |
日本ホールディングス株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
関連リンク
公開日:2023/12/21
※本記事の内容および所属名称は2023年12月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。