大阪市中央
大阪市
港区
神戸市
引継ぎ実績あり
「お客様のニーズに応える」の文化を重視する印刷関連業務全般を扱う会社
株式会社三邦
「三邦フィロソフィー」は経営の羅針盤。予測不能な未来に挑み続ける
経営理念
経営理念
お客様のあらゆる要望に価値あるサービスで応え、満足と信頼を提供します。
一、お客様のお役に立つ企業をめざし、肌理細やかなサービスを追求します。
一、お客様に喜んで頂けるような価値あるサービスを徹底的に追求します。
一、お客様の期待を超えるような満足を追求します。
経営目的
「利益ある成長」
一、皆が幸せになり、すばらしい人生を送れる様、利益ある成長を目指します。
一、生き甲斐や働き甲斐といった人間としての心の豊かさを求め、利益を上げ続ける事によって税を納め、社会に貢献することです。
代表者メッセージ
「お客様に心から満足して頂き、信頼されるサービスを提供する。」
それがいつの時代も変わらない我々の使命です。
弊社は、顧客のニーズを的確にとらえて、思いを実現させ、共に成長したいと考えています。業務の特徴として、ひとつひとつの製品を「オーダーメイド」あるいは「カスタムメイド」しています。顧客の思いをその時々のニーズにより価値あるモノに創り上げていくことが大切だと考えています。
既製品にもそれなりの良さはありますが、既製品にはない価値を求めて日々努力しています。 我々は、主力業務である販促物(SP)の企画提案・デザインのみならず、什器やディスプレイ・プレミアム・POP・電飾看板類やイベントブースの製作、店舗の設計・施工等へと事業領域を拡大しています。これによりトータルにSP全体をカバーすることが可能となりました。
また弊社の強みは、グループ会社および専門性に特化した協力企業と密に連携する事によって、企画提案からデザイン・サンプル製作・資材調達・生産・管理、発送と、一貫したフローで、最も効率の良い方法を選択し、お客様のニーズに最適なサービスを提供できる事です。
しかしながら単に事業領域の拡大や、一貫したサービスフローだけでは、顧客のニーズを満たす事はできません。お客様から「三邦に相談しよう」と言われる存在でありたい。その為に、今まで培ってきたノウハウを生かし、常に新しい技術を追求して様々な新商品の開発を進めていきます。
創業より大切にしているのは「人と人とのつながりに感謝」、お客様に心から満足して頂き、信頼されるサービスを提供する事です。それがいつの時代も変わらない我々の使命です。情勢が目まぐるしく変化するこの時代に、当社の事業基盤を固め、今後さらなる進化・成長を遂げていく為に、企業の根幹である経営理念、経営目的、判断基準を明確にすることが重要であると考えます。
他にも、我々が大切にしているものは、「三邦フィロソフィー」です。これには仕事をしていくうえでの考え方が掲げられており、経営の羅針盤であると考えています。そして、このフィロソフィーは毎朝全社員で唱和し、自分自身そしてお客様・社会に対し確認し合っています。
「三邦に相談すればなんとかなる!」と信頼いただける企業を目指し努力精進しますので、今後ともより一層のご指導とお引き立てを賜りますよう心よりお願いいたします。
代表取締役社長 山本 雅之
私たちのこだわり
三人文殊でお客様のために起業
創業50周年を迎える弊社は1972年(昭和47年)に私の父である初代社長、山本邦夫が設立した「山本印刷紙工」から始まりました。父はそれまで大阪にある印刷会社の営業担当者として勤めていましたが、その会社が廃業することとなり、自身が担当していたお客様には迷惑をかけたくないと、共に働いていた2名と共に新しく会社を設立しました。廃業した前職の会社は印刷用の機械を持っていましたが、父の設立した山本印刷紙工では機械の導入もままならず、設備を持つ会社に依頼し運営していたそうです。翌年には法人化し、社名を「株式会社三邦」に改めました。3人という少人数ではありましたが、お客様の要望に最大限応えるべく、どんな需要があるのかをキャッチすることに注力したそうです。当時、弊社では従前からの仕事を受注し、納品することが自社ができるお客様へのサービスでしたが、お客様のニーズやお困りごとを把握するよう務めた結果、紙の印刷以外にも需要があることがわかるようになってきました。父たちは扱ったことのない商材や技術について勉強し、少しづつ事業領域の幅を拡大していきました。
創業当初は何もない状態からのスタートなので、相当苦労したと思います。時代背景的には高度成長期の最中でしたが、その恩恵を受けられるほど器用に経営できていなかったと聞いています。ただ、お客様のニーズに価値あるサービスでお応えするという会社としての姿勢やビジネスモデルは今でも変わらず弊社に根付いている文化です。
父の急病、2代目社長に託された三邦
私は幼いころから父がお客様のために働く姿を目にしていましたが、会社を承継したいとは全く思っていませんでした。大学卒業後はバイクが好きだったため、大手バイクメーカーに就職し同社の支社長になるという自身の目標に向かって邁進していました。新社会人としていろいろな壁にぶち当たりながらも、好きなバイクに関する仕事ができることに喜びを感じていましたが、ある日、父から「癌を患っており、余命いくばくもない状態だ」と知らされました。そんな父から帰って来いと声を掛けられたのをきっかけに弊社に入社することになりました。好きな道を捨ててこの会社に入りましたが、当時の心情としては「やると決めたらここでやるしかない」と自分を奮い立たせていました。この業界について右も左もわからない状態でしたし、入社してから1年後には父がなくなり正直不安もありました。父は亡くなる前に創業メンバーで当時取締役を務めていた専務へ、「お前が会社を仕切ってくれ、息子らを頼んだ。」と告げ逝去しました。その遺言通り、専務が1991年に2代目社長として就任しました。
2代目社長はまさしく「スーパーマン」という言葉が似合う人で、突出した営業力を持つ才ある人でした。当時の社員は10名程度と決して多くない人数でしたが、売上は7~8億円程度ありました。2代目は社長として全体の統括をしながら売上の約半分を稼いでおり、この「スーパーマン」の存在がいるからこそ会社が回っている状態でした。
私自身は営業マンとして毎日忙しく働きながら仕事を覚えていきました。いずれ会社を継ぐのかもと思うことはありましたが、自社のことや財務管理などを勉強するような余裕もなく、まずは目の前の仕事を1つずつ取り組むことに一生懸命でした。
受け継ぐ想いを「見える化」し利益ある成長へ
2004年、いよいよ3代目社長として就任が決定しました。弊社に入社した時の気持ちと同じで、やると決めたらやるのが私です。2代目社長に相談役として見守ってもらいないながら様々な改革を行っていきました。
まず最初に着手したのは「組織化」です。それまでのやり方では、営業担当者が受注、協力会社への依頼、製作物の梱包から発送まで、全ての流れを1人で行っていました。しかし、たくさんの業務をこなせる2代目社長のような「スーパーマン」は、なかなか現れる人財ではありません。そこで属人的な業務フローをやめて、業務ごとに担当者を設置しました。それぞれの仕事に集中することで、個々人の負担を減らし、より効率的で精度の高い仕事を顧客に提供出来るようにしました。
組織化の実現には、多くの社員が必要となります。雇用の面では苦労もありましたが、協力会社や営業先などの人脈を駆使して、中途採用を中心に拡大していきました。就任直後は30名にも満たなかった従業員数でしたが、現在では65名の仲間と共に働いています。
さらに経営理念、経営目的である「三邦フィロソフィー」の制定を行いました。それまでは言葉になっていなかった「お客様のあらゆる要望に価値あるサービスで応え、満足と信頼を提供する」という創業から受け継がれた文化を言語化し、そのために何をしなければいけないのかを書き出しました。常に父や2代目社長から言われ続けてきたことで、これが当たり前だという理解はしていましたが、企業規模が拡大したことで、全員が同じ方向を向くことが難しくなってきたのです。
加えて、経営目的には「利益ある成長」と定めました。この言葉はただ売り上げを伸ばそうという意味ではありません。目先の利益だけを見るのではなく皆が幸せになり素晴らしい人生を送れるように共に成長を目指すという想いが込められています。言うなれば生きがいや働きがいといった人間としての心の豊かさを求めて、利益を上げ続けることで社会にも貢献していくという決意を記したものです。それは父の代から受け継ぐ想いを目に見える形にしたことで、規模が大きくなっても変わらず三邦らしい仕事を提供出来るようにする為です。
三位一体のものづくり、三邦ホールディングスのグループシナジー
会社の規模が拡大したことで、社長就任から2年後の2006年には三邦ホールディングスを立ち上げ、弊社はその傘下に入りました。三邦ホールディングスの傘下には他に、ディスプレイやPOPなどの加工・組み立てを行う株式会社三邦プロダクツ、グラフィックやWEB、空間のデザインを行う株式会社コムプライムが加わり、3社それぞれの強みを持ち寄って連携しながら、各々独自にビジネスフィールドを開拓し続けることで、1+1+1=3以上の相乗効果を生み出せるよう新組織体制を構築しました。ホールディングス化によって各社の専門性を存分に活かした事業運営に専念でき、経営効率の向上が図れ、各企業価値を最大化できるようになりました。これらのグループシナジーにより、弊社もより一層お客様のニーズに応える最高のサービスと価格を実現しています。
M&Aで他社や事業を引き受けたり、グループ会社を増やしていくことで、利益を分け合いながらスムーズに業務を進めることが出来ます。例えば、デザインから販促物の制作まで出来る印刷会社は業界に少ないため、それだけで大きな強みになります。加えてセット・加工、物流の領域までグループ会社内で完結する弊社ではコスト削減も実現するため顧客、グループ会社の双方にメリットが生まれます。サプライチェーンのどれか1つに特化した企業はたくさん存在しますが、ワンストップで提供できる企業は珍しく、弊社ならではの特徴となっています。
以上の取り組みを通して、デザイン、製作、物流関連のことは全てできるようになりました。この業界は爆発的に伸びる分野ではありませんが、関係する事業を固めたおかげで現在も販促物やノベルティ、店頭に並ぶ什器などの提供で多数の企業とお取引いただいています。
朝礼から始まる三邦のコミュニケーション
社長就任後しばらくして、経営の勉強のために京セラ設立者の稲盛氏が創設した盛和塾へ通いました。盛和塾では経営に関する考え方を中心に学び、今でも私自身の考え方や弊社の方針に生かしています。その一例として、毎朝欠かさず私も参加している朝礼では、塾で学んだ内容が存分に盛り込まれています。具体的には、「これだけは絶対にやる」というポイントを意識することや、「三邦フィロソフィー」の唱和などです。毎日の習慣にすることで、考え方を社員に定着させる工夫をしています。
また、社員と共に開催する社内イベントも充実させています。社員旅行やボウリング大会など、グループ会社の垣根を超えて出来るだけ多くの人とコミュニケーションが取れるような企画をしています。ここ最近はコロナ禍の影響もあり、なかなか全てを実現することは難しいですが、1年のうちに必ず全社員と1回は食事を共にするなど、目配りを欠かさないよう心がけています。
社員同士のコミュニケーションが活発になることで気軽に相談出来る風潮が生まれます。すると、自然と仕事が回りやすくなり、会社のまとまりが良くなっていくのです。三邦らしいものづくりが出来ることを楽しんでくれる社員が多く、一人ひとりを誇りに思っています。
今後は若手の育成をもっと工夫していきたいと思っています。どの企業でもそうだと思いますが、次世代を担う若手人財をどのように集めて教育するか、活躍する場所をどのように創出するかを模索しています。弊社が10年後、20年後、30年後と永続的に本業を通じて社会に貢献できるよう、人財育成には常に時世に合ったやり方を取り入れるべきだと思っています。
大阪から世界へ拡がるご縁
やはり郷土愛でしょうか、大阪で生まれ育った身としては大阪発信で全国に弊社サービスを提供したいと思っていますが、支社や関連会社など他地域に拠点が増えるたびにお世話になる地域も増え、そのエリアに対する関係性も深いものになっていきます。各エリアにて永続的に雇用を創出できる経営体制でいられるようにビジョンを立てることも、一つ弊社の役割だと認識しています。
海外戦略としてはグループ会社の上海康慕商貿有限公司(コムプライム上海)があります。コロナ禍の影響も受けましたが、海外での取り組みは継続的に行っていきたいと考えています。
また、M&Aも前向きに考えています。弊社のグループ会社もM&Aでご縁を紡いだ経験があります。その時は私たちがぜひグループに加わってほしいと望んで叶ったM&Aでした。M&Aでは「売り手と買い手の考え方が共に合う」ことが最も重要だと考えています。同じ方向を向かなければ仲間として共に成長していくことは難しいですし、私も引き受けるからには責任を持ってその企業に入り込んでいきたいと思います。まだまだ印刷業界は発展していく余地があるので、これからどんどん新しいシナジーを生み出していきたいです。
三人文殊でお客様のために起業
創業50周年を迎える弊社は1972年(昭和47年)に私の父である初代社長、山本邦夫が設立した「山本印刷紙工」から始まりました。父はそれまで大阪にある印刷会社の営業担当者として勤めていましたが、その会社が廃業することとなり、自身が担当していたお客様には迷惑をかけたくないと、共に働いていた2名と共に新しく会社を設立しました。廃業した前職の会社は印刷用の機械を持っていましたが、父の設立した山本印刷紙工では機械の導入もままならず、設備を持つ会社に依頼し運営していたそうです。翌年には法人化し、社名を「株式会社三邦」に改めました。3人という少人数ではありましたが、お客様の要望に最大限応えるべく、どんな需要があるのかをキャッチすることに注力したそうです。当時、弊社では従前からの仕事を受注し、納品することが自社ができるお客様へのサービスでしたが、お客様のニーズやお困りごとを把握するよう務めた結果、紙の印刷以外にも需要があることがわかるようになってきました。父たちは扱ったことのない商材や技術について勉強し、少しづつ事業領域の幅を拡大していきました。
創業当初は何もない状態からのスタートなので、相当苦労したと思います。時代背景的には高度成長期の最中でしたが、その恩恵を受けられるほど器用に経営できていなかったと聞いています。ただ、お客様のニーズに価値あるサービスでお応えするという会社としての姿勢やビジネスモデルは今でも変わらず弊社に根付いている文化です。
父の急病、2代目社長に託された三邦
私は幼いころから父がお客様のために働く姿を目にしていましたが、会社を承継したいとは全く思っていませんでした。大学卒業後はバイクが好きだったため、大手バイクメーカーに就職し同社の支社長になるという自身の目標に向かって邁進していました。新社会人としていろいろな壁にぶち当たりながらも、好きなバイクに関する仕事ができることに喜びを感じていましたが、ある日、父から「癌を患っており、余命いくばくもない状態だ」と知らされました。そんな父から帰って来いと声を掛けられたのをきっかけに弊社に入社することになりました。好きな道を捨ててこの会社に入りましたが、当時の心情としては「やると決めたらここでやるしかない」と自分を奮い立たせていました。この業界について右も左もわからない状態でしたし、入社してから1年後には父がなくなり正直不安もありました。父は亡くなる前に創業メンバーで当時取締役を務めていた専務へ、「お前が会社を仕切ってくれ、息子らを頼んだ。」と告げ逝去しました。その遺言通り、専務が1991年に2代目社長として就任しました。
2代目社長はまさしく「スーパーマン」という言葉が似合う人で、突出した営業力を持つ才ある人でした。当時の社員は10名程度と決して多くない人数でしたが、売上は7~8億円程度ありました。2代目は社長として全体の統括をしながら売上の約半分を稼いでおり、この「スーパーマン」の存在がいるからこそ会社が回っている状態でした。
私自身は営業マンとして毎日忙しく働きながら仕事を覚えていきました。いずれ会社を継ぐのかもと思うことはありましたが、自社のことや財務管理などを勉強するような余裕もなく、まずは目の前の仕事を1つずつ取り組むことに一生懸命でした。
受け継ぐ想いを「見える化」し利益ある成長へ
2004年、いよいよ3代目社長として就任が決定しました。弊社に入社した時の気持ちと同じで、やると決めたらやるのが私です。2代目社長に相談役として見守ってもらいないながら様々な改革を行っていきました。
まず最初に着手したのは「組織化」です。それまでのやり方では、営業担当者が受注、協力会社への依頼、製作物の梱包から発送まで、全ての流れを1人で行っていました。しかし、たくさんの業務をこなせる2代目社長のような「スーパーマン」は、なかなか現れる人財ではありません。そこで属人的な業務フローをやめて、業務ごとに担当者を設置しました。それぞれの仕事に集中することで、個々人の負担を減らし、より効率的で精度の高い仕事を顧客に提供出来るようにしました。
組織化の実現には、多くの社員が必要となります。雇用の面では苦労もありましたが、協力会社や営業先などの人脈を駆使して、中途採用を中心に拡大していきました。就任直後は30名にも満たなかった従業員数でしたが、現在では65名の仲間と共に働いています。
さらに経営理念、経営目的である「三邦フィロソフィー」の制定を行いました。それまでは言葉になっていなかった「お客様のあらゆる要望に価値あるサービスで応え、満足と信頼を提供する」という創業から受け継がれた文化を言語化し、そのために何をしなければいけないのかを書き出しました。常に父や2代目社長から言われ続けてきたことで、これが当たり前だという理解はしていましたが、企業規模が拡大したことで、全員が同じ方向を向くことが難しくなってきたのです。
加えて、経営目的には「利益ある成長」と定めました。この言葉はただ売り上げを伸ばそうという意味ではありません。目先の利益だけを見るのではなく皆が幸せになり素晴らしい人生を送れるように共に成長を目指すという想いが込められています。言うなれば生きがいや働きがいといった人間としての心の豊かさを求めて、利益を上げ続けることで社会にも貢献していくという決意を記したものです。それは父の代から受け継ぐ想いを目に見える形にしたことで、規模が大きくなっても変わらず三邦らしい仕事を提供出来るようにする為です。
三位一体のものづくり、三邦ホールディングスのグループシナジー
会社の規模が拡大したことで、社長就任から2年後の2006年には三邦ホールディングスを立ち上げ、弊社はその傘下に入りました。三邦ホールディングスの傘下には他に、ディスプレイやPOPなどの加工・組み立てを行う株式会社三邦プロダクツ、グラフィックやWEB、空間のデザインを行う株式会社コムプライムが加わり、3社それぞれの強みを持ち寄って連携しながら、各々独自にビジネスフィールドを開拓し続けることで、1+1+1=3以上の相乗効果を生み出せるよう新組織体制を構築しました。ホールディングス化によって各社の専門性を存分に活かした事業運営に専念でき、経営効率の向上が図れ、各企業価値を最大化できるようになりました。これらのグループシナジーにより、弊社もより一層お客様のニーズに応える最高のサービスと価格を実現しています。
M&Aで他社や事業を引き受けたり、グループ会社を増やしていくことで、利益を分け合いながらスムーズに業務を進めることが出来ます。例えば、デザインから販促物の制作まで出来る印刷会社は業界に少ないため、それだけで大きな強みになります。加えてセット・加工、物流の領域までグループ会社内で完結する弊社ではコスト削減も実現するため顧客、グループ会社の双方にメリットが生まれます。サプライチェーンのどれか1つに特化した企業はたくさん存在しますが、ワンストップで提供できる企業は珍しく、弊社ならではの特徴となっています。
以上の取り組みを通して、デザイン、製作、物流関連のことは全てできるようになりました。この業界は爆発的に伸びる分野ではありませんが、関係する事業を固めたおかげで現在も販促物やノベルティ、店頭に並ぶ什器などの提供で多数の企業とお取引いただいています。
朝礼から始まる三邦のコミュニケーション
社長就任後しばらくして、経営の勉強のために京セラ設立者の稲盛氏が創設した盛和塾へ通いました。盛和塾では経営に関する考え方を中心に学び、今でも私自身の考え方や弊社の方針に生かしています。その一例として、毎朝欠かさず私も参加している朝礼では、塾で学んだ内容が存分に盛り込まれています。具体的には、「これだけは絶対にやる」というポイントを意識することや、「三邦フィロソフィー」の唱和などです。毎日の習慣にすることで、考え方を社員に定着させる工夫をしています。
また、社員と共に開催する社内イベントも充実させています。社員旅行やボウリング大会など、グループ会社の垣根を超えて出来るだけ多くの人とコミュニケーションが取れるような企画をしています。ここ最近はコロナ禍の影響もあり、なかなか全てを実現することは難しいですが、1年のうちに必ず全社員と1回は食事を共にするなど、目配りを欠かさないよう心がけています。
社員同士のコミュニケーションが活発になることで気軽に相談出来る風潮が生まれます。すると、自然と仕事が回りやすくなり、会社のまとまりが良くなっていくのです。三邦らしいものづくりが出来ることを楽しんでくれる社員が多く、一人ひとりを誇りに思っています。
今後は若手の育成をもっと工夫していきたいと思っています。どの企業でもそうだと思いますが、次世代を担う若手人財をどのように集めて教育するか、活躍する場所をどのように創出するかを模索しています。弊社が10年後、20年後、30年後と永続的に本業を通じて社会に貢献できるよう、人財育成には常に時世に合ったやり方を取り入れるべきだと思っています。
大阪から世界へ拡がるご縁
やはり郷土愛でしょうか、大阪で生まれ育った身としては大阪発信で全国に弊社サービスを提供したいと思っていますが、支社や関連会社など他地域に拠点が増えるたびにお世話になる地域も増え、そのエリアに対する関係性も深いものになっていきます。各エリアにて永続的に雇用を創出できる経営体制でいられるようにビジョンを立てることも、一つ弊社の役割だと認識しています。
海外戦略としてはグループ会社の上海康慕商貿有限公司(コムプライム上海)があります。コロナ禍の影響も受けましたが、海外での取り組みは継続的に行っていきたいと考えています。
また、M&Aも前向きに考えています。弊社のグループ会社もM&Aでご縁を紡いだ経験があります。その時は私たちがぜひグループに加わってほしいと望んで叶ったM&Aでした。M&Aでは「売り手と買い手の考え方が共に合う」ことが最も重要だと考えています。同じ方向を向かなければ仲間として共に成長していくことは難しいですし、私も引き受けるからには責任を持ってその企業に入り込んでいきたいと思います。まだまだ印刷業界は発展していく余地があるので、これからどんどん新しいシナジーを生み出していきたいです。
ツグナラコンサルタントによる紹介
創業50周年を迎える印刷関連業務全般を扱う企業様です。お客様のニーズに応える為事業領域を拡大し、販促物やノベルティ、什器など多数の企業とお取引をされています。また経営理念の明確化・価値あるサービスと利益ある成長を実現されてきました。大阪発信で全国サービスを提供し、関係性を深めつつ永続的な雇用を創出する経営体制を構築し地域への貢献を目指されている、大阪を代表とする企業です。
会社概要
社名 | 株式会社三邦 |
創立年 | 1972年 |
代表者名 | 代表取締役 山本 雅之 |
資本金 | 1000万円 |
事業エリア |
東京支店
108-0075 東京都港区港南1-6-34 品川イースト5F 03-5781-2560 |
神戸営業所
651-0084 兵庫県神戸市中央区磯辺通2-2-10 one knot trades神戸ビル407号室 078-230-1112 |
|
【関連会社】有限会社 三邦ホールディングス
541-0047 大阪府大阪市中央区淡路町1-6-7 06-6226-1266 |
|
【関連会社】株式会社コムプライム
大阪本社 大阪市中央区淡路町1丁目6-7 TEL:06-6223-1724/FAX:06-6223-1734 東京支社 東京都港区港南1-6-34 品川イースト5F TEL:03-5781-2555/FAX:03-5781-2556 上海支社:上海康慕商貿有限公司 上海市长宁区新华路728号 华联发展大厦710室 TEL:+86-21-5256-0998 |
|
【関連会社】株式会社三邦プロダクツ
本社 〒541-0047 大阪市中央区淡路町1丁目6-7 TEL:06-6226-0705/FAX:06-6226-0706 兵庫パックセンター 〒675-2365 兵庫県加西市畑町1461-2 TEL: 0790-43-8100/FAX: 0790-43-8101 岡山パックセンター 〒709-4331 岡山県勝田郡勝央町植月北401 TEL: 0868-38-7730/FAX: 0868-38-7731 大阪物流センター 〒534-0021 大阪市都島区都島本通1-15-4 TEL: 06-6923-7716/FAX: 06-6923-7717 |
|
【関連会社】株式会社プラスワン
541-0047 大阪府大阪市中央区淡路町1丁目6-7 06-6226-1260 |
|
本社住所 |
541-0047 大阪府大阪市中央区淡路町1丁目6-7 06-6226-1156 |
事業内容 | 印刷関連業務全般(印刷関係、什器、ディスプレイ、店頭ツール、プレミアムグッズなど、セールスプロモーションのすべてを、企画から製作までトータルにサポート) |
URL |
https://sunpoh.co.jp
|
会社沿革
1972年 | 1月 創業者である山本邦夫が大阪市天王寺区清水谷に「山本印刷紙工」設立 |
1973年 | 4月 社名を「株式会社 三邦」とし法人化、社屋を大阪市都島区都島本通2丁目に移転 |
1985年 | 1月 業務拡大につき、社屋を大阪市都島区都島南通1丁目に移転 |
1987年 | 1月 「東京事務所」を東京都新宿区市ヶ谷富久町に開設 |
1991年 | 6月 本社社屋を新築、大阪市都島区都島本通1丁目に移転 9月 村木捷也 代表取締役社長就任 |
1993年 | 3月 「六甲アイランド事務所」を兵庫県神戸市向洋町に開設 |
2004年 | 3月 村木捷也 相談役就任・山本雅之 代表取締役社長就任 5月 業務拡大につき、「東京事務所」を東京都新宿区新宿1丁目に移転 |
2005年 | 7月 「倉庫棟」を大阪市都島区都島本通1丁目に新築 |
2006年 | 1月 グループ化により三邦ホールディングスの傘下に入る |
2009年 | 6月 株式会社コムプライムが三邦ホールディングスの傘下に加わる 8月 株式会社プラスワンが三邦ホールディングスの傘下に加わる 9月 営業機能を本社に集中化、「六甲アイランド事務所」を閉鎖 |
2010年 | 3月 「東京事務所」を「東京支店」に名称変更 6月 「岡山パックセンター」を岡山県津山市草加部に開設 |
2011年 | 2月 グループ会社の東京支店集約、業務拡大につき、東京都港区芝大門に移転 |
2012年 | 9月 「岡山パックセンター」院庄工場を岡山県津山市院庄に開設 |
2013年 | 3月 株式会社 三邦の一部を分社し株式会社 三邦プロダクツを設立 5月 「岡山パックセンター」津山工場と院庄工場を集約、勝央町植月北に移転 7月 グループ会社の本社集約、業務拡大につき、大阪市中央区淡路町に移転 |
2016年 | 7月 「神戸営業所」を兵庫県神戸市中央区に開設 |
2017年 | 8月 「東京支店」を業務拡大につき、東京都港区港南に移転 |
株式会社三邦の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/12/19 (2023/07/07修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。