豊橋
豊橋市
三鷹市
引継ぎ実績あり
「迅速果断」を理念に変化し続けてきたマーケティングリサーチ会社
ルネネットワーク株式会社
変化を恐れない経営スタイルの先にあるフラットな組織の可能性
経営理念
迅速果断
面白そうだと思ったらすぐに取り組み、難しければやめればいい
代表者メッセージ
弊社は、「迅速果断」を経営理念に掲げ、「良いと思ったら、社長の了承を得ずに始めていい」と常々、社員に伝えています。変化のスピードが速まっている現代社会では、そのスピード感がなければビジネスチャンスはつかめないと考えているからです。そして弊社の成り立ちも、軍手・軍足工場をルーツに、衣料品販売、ブティック経営、マーケティングリサーチ事業、飲食業、雑貨店経営と、「迅速果断」を地で行く歴史を歩んでまいりました。今後も変化と挑戦をおそれず、地元である豊橋市と愛知県に活気をもたらし、経済貢献していけるような企業を目指していきます。
代表取締役社長 中山 正貴
私たちのこだわり
軍手・軍足の工場からマーケティングリサーチ業へ
弊社は、私の父が1991年に設立したテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などのメディアに関わる広告の調査、マーケティングリサーチを中心に事業展開している企業ですが、現在のような事業形態に至るまでには、長い歴史と紆余曲折がありました。
弊社の前身となる「中山商店」は、私の祖母と伯父が1960年代に創業した軍手・軍足(軍手の靴下版)の製造を手掛ける工場でした。祖母が生計を立てる手段として創業したと聞いています。当時の豊橋市は紡績関係が盛んだったことや、高度経済成長期の中で土木作業や運送業などのニーズが見込めたことから軍手・軍足を選んだそうです。その後、高校を卒業したばかりの父が中山商店を継ぐことになりました。母が嫁いできた頃には、外国産の安価な軍手が輸入され始めており、「軍手だけでは厳しい」と新たな事業として、店舗を構え、衣料品の販売を始めたそうです。衣料品店の経営が軌道に乗るとともに、軍手・軍足の製造からは完全に撤退します。
私が高校に入学する1987年には、再び業態を転換します。薄利多売の「地域の衣料品店」から、より単価の高い商品を扱ういわゆる「ブティック」の経営を始めました。この業態変更により、店舗運営を母が担うようになると、時間的なゆとりができた父は、友人の仕事の手伝いをきっかけに、新事業としてメディアや広告の効果測定に係わるマーケティングリサーチ事業に取り組みはじめます。そこからマーケティングリサーチ事業は、急速に拡大し、1991年の法人化に至ります。新たな社名に選んだ「ルネネットワーク」は、当時経営していたブティックの名前が「ルネ」だったことと、広告や通信に携わる業種であるという意味合いから「ネットワーク」を組み合わせたのが由来です。
東京で10年間実績を積み、家業を立て直すため愛知に戻る
当時、高校生だった私はアルバイトとして、弊社のリサーチ業務をよく手伝っていました。ただ、私が将来的に継ぎたいと思っていたのは、母が中心となり進めていたアパレル店の方でした。大学進学という考えはなく、専門学校でファッションデザイナーの勉強をするか、高校卒業後すぐに働くかという選択肢から、後者を選び、地元愛知のアパレル企業に就職しました。ただ、諸事情からアパレル企業を3か月程で退職すると、地元の楽器店で店長として4年間働き、「継ぐ」という意志のもとに弊社に入社したのは1996年のことでした。
入社後、配属されたのはマーケティングリサーチ事業でした。私がアルバイトとして関わっていた4年前よりも、リサーチ事業の比重が大きくなっていたからです。さらに弊社が請け負う業務もデータ収集、分析・解析、情報整理など多岐に及んでいました。元請先の社長から「修行に来なさい」と誘われたこともあり、入社して間もなく今度は東京の元請先に出向という形で勤めることになりました。
当初の修業期間は半年から1年程度の予定でしたが、いざ入ってみると学ぶべきことは想像以上に多くありました。さらに重要な仕事を任されたり、スキルが身についていく中で仕事が楽しくなり、気が付けば約10年、その会社でお世話になっていました。戻るきっかけになったのは、父が脳梗塞で倒れ、会社の経営が厳しい状況に置かれたからです。2007年に愛知に戻り、父をサポートする形で弊社の取締役に就任しました。不安定になっていたクライアント企業との関係改善に努め、再び信頼が得られるようになってくると、徐々に業績も上向きになっていきました。
アパレル業から撤退して飲食事業・雑貨販売事業を開始
マーケティングリサーチ事業を立て直し、ひと安心していた2008年に、今度は母が「アパレルの店舗をやめる」といってきました。60歳になった母は、年齢を重ねるなかで、自分が売りたい服とお客様のニーズにずれが生じてしまい、店舗を続けるモチベーションが保てなくなったようでした。借入の返済も終わっていましたし、もともと母の好きなことをビジネスにしている部分もあったので、一区切りつけたかったのでしょう。そこから2年後の2010年、ビジネスをはじめることが大好きな父と母が、物件を購入して、今度はカフェの経営を始めました。カフェ経営は母がやりたいことの一つだったそうです。
そして2016年、父の跡を継いで私が社長に就任しました。2010年に父と母が始めたカフェは、その後、別のオーナーに引き継がれますが、2018年にはカフェの隣にエストニア製の雑貨をメインに取り扱う雑貨店を新たにオープンしました。雑貨店でありつつも、飲食メニューを提供する雑貨カフェというコンセプトです。その雑貨カフェのオープンを契機にフード・リテールビジネス部門を新規事業として立ち上げ、事業多角化を強化しているところです。
部長も課長も廃止したフラットな組織の良し悪し
弊社は現在、愛知県豊橋市・名古屋市・東京都三鷹市にマーケティングリサーチ部門の事務所を構え、さらに豊橋で雑貨カフェを、東京都三鷹市で雑貨店を経営しています。近年の事業拡大により、従業員もパート・アルバイト含めて95名まで増えました。業績の伸びや会社の規模拡大は喜ばしいものの、一方で組織運営という新たな課題も出てきました。
ここ数年は特に部長や課長のようなポジションを置かず、それぞれの部門が独立した形で、各事業所内でフラットに合議するというスタイルで事業を展開してきました。その体制は概ねうまくいっていましたが、一部では指揮系統を明確にピラミッド型にしたほうが良さそうなケースも出てきています。特にその課題が顕在化したのが名古屋の事業所でした。
そこで名古屋の事業所では一人を部長に任命し、その下に課長相当のグループリーダーを置く形に組織を変更しました。そのグループリーダーの一人に、私が社長と兼務で入りました。社長でありながら、その部門に関しては上司がいるという、実験的な組織です。取り組み始めたばかりなので、どうなるかは分かりませんが、他の事業所のように、自分たちでやることを考え、実行していけるチームになっていって欲しいと思っています。
弊社が組織として成熟していくためには、経営理念である「迅速果断」をさらに社内に浸透させていくことも必要だと考えています。面白そうだと思ったらすぐに取り組み、難しければやめればいいという考え方です。変化のスピードが速まっている現代では、それくらいでなければビジネスチャンスはつかめないと考えています。「良いと思ったら、社長の了承を得ずに始めていい」と社員には常々言っています。実際、それを実践しているのが、私の父と母で弊社の歴史の中でも繰り返されてきたからです。
偶然の縁に気付かされた地元と地縁の大切さ
今後の展望として注力していきたいのが、地元・愛知県への回帰です。これまで弊社はマーケットが大きい東京での営業に注力していきましたが、ある二つの出来事をきっかけに、さらに地元に目を向けるべきではないかと考えるようになりました。
1つ目の出来事が、豊橋市の冬の風物詩である「とよはしクリスマスマーケット」への出店です。豊橋市では毎年12月16日~25日にこのイベントを開催しておりますが、弊社が運営する雑貨店は今まで一度も出店したことがありませんでした。そのような折、「参加してみないか」という話がイベント会社経由でもたらされ、出店したところ大きな反響が得られました。おまけに「他であまり見ないような面白い商品を取り扱っている」と、イベント会社に推薦してくれたのが私の同級生だったことが後から判明して、地元の深い縁を感じました。
そして2つ目の出来事が、マーケティングリサーチ事業で豊橋市の入札に初めて参加し、落札したところ、その事業の担当者も私の同級生だと後から判明しました。幸いにも落札した事業で高評価をいただき、多くの経験を積めたことから弊社でも十分できると自信がつき、今まで消極的だった官公庁の入札にも積極的に参加することができるようになりました。私が名古屋の事業所に入ることに決めたのも、愛知県を中心に動いていこうという考えに基づいた判断です。地元・愛知県と接点を増やすことで、地域の活性化や経済貢献し、その先に弊社のさらなる飛躍を実現していきたいと考えています。
軍手・軍足の工場からマーケティングリサーチ業へ
弊社は、私の父が1991年に設立したテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などのメディアに関わる広告の調査、マーケティングリサーチを中心に事業展開している企業ですが、現在のような事業形態に至るまでには、長い歴史と紆余曲折がありました。
弊社の前身となる「中山商店」は、私の祖母と伯父が1960年代に創業した軍手・軍足(軍手の靴下版)の製造を手掛ける工場でした。祖母が生計を立てる手段として創業したと聞いています。当時の豊橋市は紡績関係が盛んだったことや、高度経済成長期の中で土木作業や運送業などのニーズが見込めたことから軍手・軍足を選んだそうです。その後、高校を卒業したばかりの父が中山商店を継ぐことになりました。母が嫁いできた頃には、外国産の安価な軍手が輸入され始めており、「軍手だけでは厳しい」と新たな事業として、店舗を構え、衣料品の販売を始めたそうです。衣料品店の経営が軌道に乗るとともに、軍手・軍足の製造からは完全に撤退します。
私が高校に入学する1987年には、再び業態を転換します。薄利多売の「地域の衣料品店」から、より単価の高い商品を扱ういわゆる「ブティック」の経営を始めました。この業態変更により、店舗運営を母が担うようになると、時間的なゆとりができた父は、友人の仕事の手伝いをきっかけに、新事業としてメディアや広告の効果測定に係わるマーケティングリサーチ事業に取り組みはじめます。そこからマーケティングリサーチ事業は、急速に拡大し、1991年の法人化に至ります。新たな社名に選んだ「ルネネットワーク」は、当時経営していたブティックの名前が「ルネ」だったことと、広告や通信に携わる業種であるという意味合いから「ネットワーク」を組み合わせたのが由来です。
東京で10年間実績を積み、家業を立て直すため愛知に戻る
当時、高校生だった私はアルバイトとして、弊社のリサーチ業務をよく手伝っていました。ただ、私が将来的に継ぎたいと思っていたのは、母が中心となり進めていたアパレル店の方でした。大学進学という考えはなく、専門学校でファッションデザイナーの勉強をするか、高校卒業後すぐに働くかという選択肢から、後者を選び、地元愛知のアパレル企業に就職しました。ただ、諸事情からアパレル企業を3か月程で退職すると、地元の楽器店で店長として4年間働き、「継ぐ」という意志のもとに弊社に入社したのは1996年のことでした。
入社後、配属されたのはマーケティングリサーチ事業でした。私がアルバイトとして関わっていた4年前よりも、リサーチ事業の比重が大きくなっていたからです。さらに弊社が請け負う業務もデータ収集、分析・解析、情報整理など多岐に及んでいました。元請先の社長から「修行に来なさい」と誘われたこともあり、入社して間もなく今度は東京の元請先に出向という形で勤めることになりました。
当初の修業期間は半年から1年程度の予定でしたが、いざ入ってみると学ぶべきことは想像以上に多くありました。さらに重要な仕事を任されたり、スキルが身についていく中で仕事が楽しくなり、気が付けば約10年、その会社でお世話になっていました。戻るきっかけになったのは、父が脳梗塞で倒れ、会社の経営が厳しい状況に置かれたからです。2007年に愛知に戻り、父をサポートする形で弊社の取締役に就任しました。不安定になっていたクライアント企業との関係改善に努め、再び信頼が得られるようになってくると、徐々に業績も上向きになっていきました。
アパレル業から撤退して飲食事業・雑貨販売事業を開始
マーケティングリサーチ事業を立て直し、ひと安心していた2008年に、今度は母が「アパレルの店舗をやめる」といってきました。60歳になった母は、年齢を重ねるなかで、自分が売りたい服とお客様のニーズにずれが生じてしまい、店舗を続けるモチベーションが保てなくなったようでした。借入の返済も終わっていましたし、もともと母の好きなことをビジネスにしている部分もあったので、一区切りつけたかったのでしょう。そこから2年後の2010年、ビジネスをはじめることが大好きな父と母が、物件を購入して、今度はカフェの経営を始めました。カフェ経営は母がやりたいことの一つだったそうです。
そして2016年、父の跡を継いで私が社長に就任しました。2010年に父と母が始めたカフェは、その後、別のオーナーに引き継がれますが、2018年にはカフェの隣にエストニア製の雑貨をメインに取り扱う雑貨店を新たにオープンしました。雑貨店でありつつも、飲食メニューを提供する雑貨カフェというコンセプトです。その雑貨カフェのオープンを契機にフード・リテールビジネス部門を新規事業として立ち上げ、事業多角化を強化しているところです。
部長も課長も廃止したフラットな組織の良し悪し
弊社は現在、愛知県豊橋市・名古屋市・東京都三鷹市にマーケティングリサーチ部門の事務所を構え、さらに豊橋で雑貨カフェを、東京都三鷹市で雑貨店を経営しています。近年の事業拡大により、従業員もパート・アルバイト含めて95名まで増えました。業績の伸びや会社の規模拡大は喜ばしいものの、一方で組織運営という新たな課題も出てきました。
ここ数年は特に部長や課長のようなポジションを置かず、それぞれの部門が独立した形で、各事業所内でフラットに合議するというスタイルで事業を展開してきました。その体制は概ねうまくいっていましたが、一部では指揮系統を明確にピラミッド型にしたほうが良さそうなケースも出てきています。特にその課題が顕在化したのが名古屋の事業所でした。
そこで名古屋の事業所では一人を部長に任命し、その下に課長相当のグループリーダーを置く形に組織を変更しました。そのグループリーダーの一人に、私が社長と兼務で入りました。社長でありながら、その部門に関しては上司がいるという、実験的な組織です。取り組み始めたばかりなので、どうなるかは分かりませんが、他の事業所のように、自分たちでやることを考え、実行していけるチームになっていって欲しいと思っています。
弊社が組織として成熟していくためには、経営理念である「迅速果断」をさらに社内に浸透させていくことも必要だと考えています。面白そうだと思ったらすぐに取り組み、難しければやめればいいという考え方です。変化のスピードが速まっている現代では、それくらいでなければビジネスチャンスはつかめないと考えています。「良いと思ったら、社長の了承を得ずに始めていい」と社員には常々言っています。実際、それを実践しているのが、私の父と母で弊社の歴史の中でも繰り返されてきたからです。
偶然の縁に気付かされた地元と地縁の大切さ
今後の展望として注力していきたいのが、地元・愛知県への回帰です。これまで弊社はマーケットが大きい東京での営業に注力していきましたが、ある二つの出来事をきっかけに、さらに地元に目を向けるべきではないかと考えるようになりました。
1つ目の出来事が、豊橋市の冬の風物詩である「とよはしクリスマスマーケット」への出店です。豊橋市では毎年12月16日~25日にこのイベントを開催しておりますが、弊社が運営する雑貨店は今まで一度も出店したことがありませんでした。そのような折、「参加してみないか」という話がイベント会社経由でもたらされ、出店したところ大きな反響が得られました。おまけに「他であまり見ないような面白い商品を取り扱っている」と、イベント会社に推薦してくれたのが私の同級生だったことが後から判明して、地元の深い縁を感じました。
そして2つ目の出来事が、マーケティングリサーチ事業で豊橋市の入札に初めて参加し、落札したところ、その事業の担当者も私の同級生だと後から判明しました。幸いにも落札した事業で高評価をいただき、多くの経験を積めたことから弊社でも十分できると自信がつき、今まで消極的だった官公庁の入札にも積極的に参加することができるようになりました。私が名古屋の事業所に入ることに決めたのも、愛知県を中心に動いていこうという考えに基づいた判断です。地元・愛知県と接点を増やすことで、地域の活性化や経済貢献し、その先に弊社のさらなる飛躍を実現していきたいと考えています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
マーケティングリサーチを中心に、家業から広がったカフェ経営や雑貨販売も行う企業様です。面白そうだと思ったらすぐに取り組み、難しければやめればいいという「迅速果断」を経営理念に掲げ、挑戦を恐れない社風をお持ちです。スピード感のある経営の元、愛知県の地域活性化や経済への貢献を目指す地域の代表企業です。
会社概要
社名 | ルネネットワーク株式会社 |
創立年 | 1991年 |
代表者名 | 代表取締役社長 中山 正貴 |
資本金 | 500万円 |
事業エリア |
Annexe
440-0851 愛知県豊橋市前田南町2-15-1 |
名古屋 Office
460-0003 愛知県名古屋市中区錦2-4-3 錦パークビル9F |
|
東京 Office
181-0013 東京都三鷹市下連雀3-22-14 三富士ビル1F |
|
本社住所 |
440-0864 愛知県豊橋市向山町字川北5-3 |
事業内容 | マーケティングリサーチ部門 テレビ・ラジオ調査 インターネット広告調査 街頭調査・カウント調査・看板調査 グループインタビュー・ホールテスト・リクルーティング 鉄道関連調査 フード・リテールビジネス部門 雑貨カフェ Cache-Cache(カシュカシュ) エストニア・北欧雑貨 Attachement(アタッシュマン) |
URL |
http://www.lunet.co.jp/
|
会社沿革
1960年 | 「中山商店」創業(軍手・軍足の製造) |
1970年 | 新事業として衣料品販売を開始 |
1987年 | 店舗移転、ブティック「ルネ」をオープン 新事業としてリサーチ事業を開始 |
1991年 | 「ルネネットワーク」に社名変更 |
2010年 | カフェ「Café Copcopine(カフェ コップ コピン)」オープン |
2018年 | 雑貨屋「Cache-Cache(カシュカシュ)」をオープン |
2019年 | エストニア・北欧雑貨「Attachement(アタッシュマン)」オープン |
2021年 | 「Attachement(アタッシュマン)」東京都三鷹市に移転 |
2022年 | カフェ「Café Copcopine」の屋号を他のオーナーに譲渡 |
2022年 | 雑貨屋「Cache-Cache」をカフェと統合し雑貨カフェ「Cache-Cache」をリニューアルオープン |
ルネネットワーク株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2023/03/23 (2023/07/06修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年7月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。