板橋
板橋区
鶴ヶ島市
亀田郡七飯町
時代に対応するしなやかさが100年続く秘訣。人々の健康を支え続ける食品製造メーカー
菊池食品工業株式会社
日本の伝統食を次の世代に受け継ぎ、みなさまの健康にお役立ちし続けます
経営理念
100年理念〈健康創造企業〉
美味しさと健康をお届けして100年。私たち菊池食品工業は、〈健康創造企業〉という企業理念を掲げ、培われた独自の開発力と技術力で新時代へ挑戦します。
代表者メッセージ
【ご挨拶】次の世代へのメッセージ
大正3年3月、「真心をこめた美味しさ造り」を社是に、健康応援企業を使命として、お客さまの立場に立った商品造りに徹し、常に美味しさと健康と豊かさをお届けするために、“味の菊一”がスタートいたしました。
煮豆、佃煮、惣菜、おせちと、和の伝統食を守りながら、平成11年には黒豆の煮汁を濃縮した健康飲料「黒豆エキス」を開発いたしました。21世紀は植物栄養素の時代といわれ、黒豆ポリフェノールの高い抗酸化作用が注目され、健康飲料としてロングセラーを続けています。
菊池食品工業株式会社は、平成26年に創業100年を迎えました。これからもお客様の信頼と満足を最優先に考え、食材の美味しさを追求し、高い品質と安心安全を兼ね備えた商品を提供してまいります。
世界のどの国も経験したことのない少子高齢化社会のなかで、和の伝統食にこだわりながら、お客様から賜りました長い信頼と経験を“価値”とし、食を通してお客様の健康自立を応援してまいります。
私たちは、次の一世紀ヘ向け創業の理念を使命とし、常にお客様との“つながり”を大事にしながら、「なくてはならない企業」を目指してまいります。
お客様に喜ばれ、愛される企業を目標に一層の努力をしてまいりますので、これまで同様ご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。
私たちのこだわり
創業の経緯~3代目までの経歴
弊社は、1914年(大正3年)に、創業者である菊池足正彦(たまひこ)が、「のしするめ」を開発したことから創業しました。当初は、風邪の子供に栄養をつけてやりたいという親心からするめをお湯にふやかし、ローラーで柔らかく伸ばしたのがはじまりでした。その後、製造方法はもちろんのこと、品質の良い素材にこだわることで、一大ヒット商品「のしするめ」が誕生しました。この商品を日本橋で販売したことから、「日本橋焼きいか」という商標が冠せられ、百貨店を通して全国に知名度を広げることになりました。
ところが、昭和40年代に入ると、イカの漁獲量は急減し、スルメの値段も高騰しました。安定した収益が見込めないというところから、三代目が主力商品をイカ製品ではなく煮豆や佃煮にしようと業態転換を試みました。イカは加工するにつれて重量が軽くなってしまいますが、煮豆や佃煮は加工するにつれ重量が増えます。また、ご家庭で調理するには手間がかかることもあり、そこに商機を見出し、商品開発を進めていきました。時代の流れもあり、それらの商品が商流に乗ったところで、三代目はイカ製品の生産終了を決断しました。
創業時からの主力商品の生産・販売に幕を引くことに寂しさもありましたが、創業当初から大切にしている素材と味へのこだわり、初代菊池足真彦の卓抜した商品開発力、時代を先見するかのようなチャレンジ精神は、弊社の中に今も脈々と受け継がれ、新たな商品開発につながっています。このように、100年の歴史の中で、時代に合わせて変化していくという柔軟性が、ここまで会社を続けてこられた理由の一つなのかもしれません。
6年間のサラリーマン時代~入社
私は4代目の社長になります。弊社に入社を決めてからは、入社後に役立てることを見越して、食品関係に就職をすることに決めていました。当初は原料を扱う商社に行く予定でしたが、内定者懇親会の際に、商社の「スマートさ」に違和感を感じ、より「泥臭さ」を求めて、内定を取り消してもらい、急遽別の会社に入社させてもらうことに決めました。結果的に、会社と付き合いの長い食品製造メーカーに入社し、営業の基礎を学びました。当時は市場が築地にあったため、毎朝2時や3時から長靴を履いて商品を売り込み、その後仮眠をとってから付き合いのあるスーパーの商談に行くという日々を過ごしました。ハードではありましたが、挫折も含め、営業としていい勉強になりました。
食品製造メーカーで働くうちに、売り手のほうも経験しなければならないと感じ、その後、大手スーパーに入社しました。中でも当時一番勢いのあった企業を選び、再度自分を試すような思いで仕事に邁進していました。青果売り場の野菜担当からスタートし、デイリー売り場の部門を担当した後、本部で広報部門、商品開発部門を担当しました。さまざまな現場を経験したことで、柔軟性や想像力が養われたと感じています。
これらの2つの会社で6年ほど勤め、弊社に入社したのは30代初め頃でした。
中小企業と大企業の両方を見たことで、それぞれの良さや違いを認識することができました。会社づくりの部分においては両方の経験が現在まで活きていると思います。組織づくりの面では、中小企業での経験が印象深かったため、その時の経験が自身の考え方のベースになっていると感じています。
入社後は、システム開発から始まりました。当時はノートパソコンが普及し始めた頃で、直前に大企業で働いていたこともあり、ここを知らないと時代についていけなくなるのではないかという危機感から、積極的に社内で導入を試みました。入社当初は、弊社には大きなデスクトップパソコンと、ノートパソコンが数台あったのみでした。そのような状況から数年かけ、ノートパソコンの導入を進め、社内LANを組み、Windowsやパソコンの基礎的な知識を共有する講座を開きました。システム開発に取り組んだ理由は、とにかく時間短縮のためでした。中小企業での経験から、営業における表計算などの事務作業はもっと効率化し、本来の事業活動に傾注すべきだと感じていました。また、社内での情報共有を円滑にするためにも、ネットワーク化が必要だという考えから導入しました。
当時は社内からの反対もあり、時間もお金もかかりましたが、今ではチャレンジして良かったと感じています。弊社で年配の社員もパソコンがある程度使えるのはこの時に作り上げたベースがあったからではないでしょうか。最初は食わず嫌いで、皆であれこれ言いながらやっていましたが、中小企業の取り組みとしては非常に早かったのではないかと思います。
社長になってから変えたこと
私は2013年(平成25年)に社長に就任しました。入社後、客観的な視点で弊社を見ていく中で、長く続いている会社なのに「菊池食品工業らしさ」が弱いと感じていました。そこで、私が社長になってからは、会社にいる社員がこうあるべきだと感じられるような「らしさ」を作るために、さまざまな変革を行ってきました。
まずは、新卒離職率ゼロをかかげ、新卒社員をコンスタントに募集し、人材教育に注力するようにしました。私が入社したときに中途社員の方が多いことに危機感を感じていたためです。20年近く新卒採用がなかった会社でしたから、右も左もわからず、全て手探りでやってみるところから始まりました。うまくいったものばかりではもちろんありませんし、むしろ失敗したことも多いですが、少しずつ積み上げて、ノウハウらしきものは出来てきたのではないかと思います。
会社説明会では「菊池食品工業を知ってる方挙手!」と必ず学生に聞くのですが、新卒採用を始めてから20年間一度たりとも手が上がったことはありません。名前を知られている会社なんで2%ほどだと知っていますが、まだ手が上がらないことをバネに、会社説明会をスタートしています。
現在でも、必ず私が会社説明会に参加し、直接学生に説明をしています。
採用にあたって、悪いことも良いことも正直に全て伝えることを意識しています。既存の社員に打ち合わせをすることもなく、学生と話してもらい、弊社のコーポレートカラーに合っていると感じるかどうか判断してもらいます。質問にも全て正直に話すように伝えています。飾ることなく、ありのままの弊社を見ていただいたうえで、納得して入社してもらうのが大事だと考えているからです。
その他、「9つの心得」を新たに作りました。外部研修を行うような社員研修も復活させ、社内で交流を深めながら学習する機会を設けました。社内の雰囲気づくりのために定期的にイベントも開催しています。社員の距離も近く、みんなでチームとして仕事をしている会社です。
今後実現できるなら、経営者を育成するセミナーを開催してみたいと考えています。今も昔も、経営者が抱える課題は同じです。採用の仕方、育成の仕方、事業承継をする際に注意すべきことなど、経営者は考えることが山のようにあります。100年以上続いてきた弊社だからこそお役に立てることがあるのであれば、業種問わず経営者の方にお伝えしたいと思っています。
開発力が強み「マネされても、マネするな」
弊社の現在のメイン商品になっているのは煮豆です。開発当時、関東のマーケットでは、黒豆というと、しわしわで甘くて歯ごたえのあるものがスタンダードでした。一方京都では、丹波の黒豆に代表されるように、ふっくらしていてやわらかいものが主流でした。これをなんとか関東のマーケットで広められないかというのがはじまりです。当時レトルト殺菌機という新たな機械が開発されたことから、この機械で豆をつくったらどうなるのかと試行錯誤をしました。結果、柔らかく、しわのないふっくらとした黒豆を開発することに成功しました。なおかつ、シロップ漬けを可能にするパッケージを開発することで、常温でも日持ちし、いつ開けても一番ふっくらした状態で食べられる製品が開発されたのです。そこから、イカ製品をやめられるくらい事業が急成長しました。
また、「栗いっぱい栗きんとん」も代表商品です。割れた栗を使った栗きんとんの販売は、当初は縁起が悪いと批判されました。しかし、実際に店頭に出したら大ヒットしました。その代わり、手に取りやすい価格で販売しました。これは後日談ですが、老人ホームでは栗を一つ食べるというとのどに詰まる可能性があるため、わざわざ割っていたそうです。そのようなお客様の隠れたニーズにも対応できる商品を開発してきたのが弊社の強みでもあります。
このように商品開発のアイデアは、お客様の生の声がきっかけになることも多いです。「おにぎり昆布」はその代表例でした。おにぎりのなかにいれるのにちょうどいいように、細かく刻んだ昆布を開発しましたのです。結果的に、口も服も汚れないと大ヒットし、今では事業の柱になっています。
食品を通じた健康への思い
弊社は「食べ物を通じて、みなさまの健康のお役に立ちたい」というのが一つの大きなテーマとなっています。業界ではいち早く、できるだけ添加物を使わないで商品を作ることに注力してきました。
東日本大震災をきっかけに、弊社の商品の新たな可能性として、保存食という視点が生まれました。震災の時に水の次に配られるのは白米だそうで、白米のみの生活が長く続くそうです。そこで、白米だけでは飽きてしまうということで、弊社に佃煮の注文が多く来たのです。加えて、常温保存で日持ちするという点も重要だったようです。常温で、ご飯のお供になって、栄養も取れる。これらの経験から、弊社の商品は災害食にもなりうるのだと気づきました。業界が徐々に縮小している中でも、今後は、そのような視点からも、日本の伝統食を守ることを使命として、事業を続けていきたいと考えています。
今後の展望
次の5代目、6代目に事業承継していく中で、一番重要なのは人材だと考えています。社長が良ければいいということではなく、社員力のある会社の方が良い会社だと思います。個人の力というよりは、人材力で会社の大きさも決まるでしょう。ずっと進化をしながら、人材確保と人材力を高め、次の世代にバトンタッチしていくことが私の使命だと考えています。事業承継をするということは、良い部分もさることながら、悪い部分も引き継ぐことが多いです。そこを自分の代でどのように打破していくかを常に考えてきました。
時代の流れに合わせていくことも重要です。私が時代感に合わなくなってきたら、当然次の世代に引き継がなければいけません。新入社員を積極的に受け入れているのも、そのような時代感を会社に取り入れるためでもあります。会社は社長のものではなく、従業員のものだと思っています。だから、経営者の責任・使命は、会社をつぶさないこと、これにつきます。
短期的に事業を成功させるのも簡単ではありませんが、継続していくのはさらに難しいことです。それは、会社の新陳代謝があるなかで、組織の在り方、「らしさ」がないから衰退していくのではないでしょうか。これまでの社員が蓄積してきたノウハウを活かしたうえで、統率をとっていくことが、長く会社を続けるうえで欠かせない要素だと思っています。
そのために、今があって、未来を予測しながら、次の世代にバトンタッチしていくものです。その際に、菊池食品工業らしさを皆がわかってくれていれば良いなという風におもいます。それができれば、200年、300年と時代の流れの中をうまく泳いでいけると思います。
これからは単体でビジネスをやっていく時代でもないと考えています。お互いうまく得意な分野で協業しながらビジネスを広げたり、コストダウンするのも一つの可能性です。同業の中だけにいると視野も狭くなるので、ツグナラを通して、さまざまな業種の方が、一緒に業界の非常識をぶつけ合うことで新たなものが生まれるのではないかと期待しています。
創業の経緯~3代目までの経歴
弊社は、1914年(大正3年)に、創業者である菊池足正彦(たまひこ)が、「のしするめ」を開発したことから創業しました。当初は、風邪の子供に栄養をつけてやりたいという親心からするめをお湯にふやかし、ローラーで柔らかく伸ばしたのがはじまりでした。その後、製造方法はもちろんのこと、品質の良い素材にこだわることで、一大ヒット商品「のしするめ」が誕生しました。この商品を日本橋で販売したことから、「日本橋焼きいか」という商標が冠せられ、百貨店を通して全国に知名度を広げることになりました。
ところが、昭和40年代に入ると、イカの漁獲量は急減し、スルメの値段も高騰しました。安定した収益が見込めないというところから、三代目が主力商品をイカ製品ではなく煮豆や佃煮にしようと業態転換を試みました。イカは加工するにつれて重量が軽くなってしまいますが、煮豆や佃煮は加工するにつれ重量が増えます。また、ご家庭で調理するには手間がかかることもあり、そこに商機を見出し、商品開発を進めていきました。時代の流れもあり、それらの商品が商流に乗ったところで、三代目はイカ製品の生産終了を決断しました。
創業時からの主力商品の生産・販売に幕を引くことに寂しさもありましたが、創業当初から大切にしている素材と味へのこだわり、初代菊池足真彦の卓抜した商品開発力、時代を先見するかのようなチャレンジ精神は、弊社の中に今も脈々と受け継がれ、新たな商品開発につながっています。このように、100年の歴史の中で、時代に合わせて変化していくという柔軟性が、ここまで会社を続けてこられた理由の一つなのかもしれません。
6年間のサラリーマン時代~入社
私は4代目の社長になります。弊社に入社を決めてからは、入社後に役立てることを見越して、食品関係に就職をすることに決めていました。当初は原料を扱う商社に行く予定でしたが、内定者懇親会の際に、商社の「スマートさ」に違和感を感じ、より「泥臭さ」を求めて、内定を取り消してもらい、急遽別の会社に入社させてもらうことに決めました。結果的に、会社と付き合いの長い食品製造メーカーに入社し、営業の基礎を学びました。当時は市場が築地にあったため、毎朝2時や3時から長靴を履いて商品を売り込み、その後仮眠をとってから付き合いのあるスーパーの商談に行くという日々を過ごしました。ハードではありましたが、挫折も含め、営業としていい勉強になりました。
食品製造メーカーで働くうちに、売り手のほうも経験しなければならないと感じ、その後、大手スーパーに入社しました。中でも当時一番勢いのあった企業を選び、再度自分を試すような思いで仕事に邁進していました。青果売り場の野菜担当からスタートし、デイリー売り場の部門を担当した後、本部で広報部門、商品開発部門を担当しました。さまざまな現場を経験したことで、柔軟性や想像力が養われたと感じています。
これらの2つの会社で6年ほど勤め、弊社に入社したのは30代初め頃でした。
中小企業と大企業の両方を見たことで、それぞれの良さや違いを認識することができました。会社づくりの部分においては両方の経験が現在まで活きていると思います。組織づくりの面では、中小企業での経験が印象深かったため、その時の経験が自身の考え方のベースになっていると感じています。
入社後は、システム開発から始まりました。当時はノートパソコンが普及し始めた頃で、直前に大企業で働いていたこともあり、ここを知らないと時代についていけなくなるのではないかという危機感から、積極的に社内で導入を試みました。入社当初は、弊社には大きなデスクトップパソコンと、ノートパソコンが数台あったのみでした。そのような状況から数年かけ、ノートパソコンの導入を進め、社内LANを組み、Windowsやパソコンの基礎的な知識を共有する講座を開きました。システム開発に取り組んだ理由は、とにかく時間短縮のためでした。中小企業での経験から、営業における表計算などの事務作業はもっと効率化し、本来の事業活動に傾注すべきだと感じていました。また、社内での情報共有を円滑にするためにも、ネットワーク化が必要だという考えから導入しました。
当時は社内からの反対もあり、時間もお金もかかりましたが、今ではチャレンジして良かったと感じています。弊社で年配の社員もパソコンがある程度使えるのはこの時に作り上げたベースがあったからではないでしょうか。最初は食わず嫌いで、皆であれこれ言いながらやっていましたが、中小企業の取り組みとしては非常に早かったのではないかと思います。
社長になってから変えたこと
私は2013年(平成25年)に社長に就任しました。入社後、客観的な視点で弊社を見ていく中で、長く続いている会社なのに「菊池食品工業らしさ」が弱いと感じていました。そこで、私が社長になってからは、会社にいる社員がこうあるべきだと感じられるような「らしさ」を作るために、さまざまな変革を行ってきました。
まずは、新卒離職率ゼロをかかげ、新卒社員をコンスタントに募集し、人材教育に注力するようにしました。私が入社したときに中途社員の方が多いことに危機感を感じていたためです。20年近く新卒採用がなかった会社でしたから、右も左もわからず、全て手探りでやってみるところから始まりました。うまくいったものばかりではもちろんありませんし、むしろ失敗したことも多いですが、少しずつ積み上げて、ノウハウらしきものは出来てきたのではないかと思います。
会社説明会では「菊池食品工業を知ってる方挙手!」と必ず学生に聞くのですが、新卒採用を始めてから20年間一度たりとも手が上がったことはありません。名前を知られている会社なんで2%ほどだと知っていますが、まだ手が上がらないことをバネに、会社説明会をスタートしています。
現在でも、必ず私が会社説明会に参加し、直接学生に説明をしています。
採用にあたって、悪いことも良いことも正直に全て伝えることを意識しています。既存の社員に打ち合わせをすることもなく、学生と話してもらい、弊社のコーポレートカラーに合っていると感じるかどうか判断してもらいます。質問にも全て正直に話すように伝えています。飾ることなく、ありのままの弊社を見ていただいたうえで、納得して入社してもらうのが大事だと考えているからです。
その他、「9つの心得」を新たに作りました。外部研修を行うような社員研修も復活させ、社内で交流を深めながら学習する機会を設けました。社内の雰囲気づくりのために定期的にイベントも開催しています。社員の距離も近く、みんなでチームとして仕事をしている会社です。
今後実現できるなら、経営者を育成するセミナーを開催してみたいと考えています。今も昔も、経営者が抱える課題は同じです。採用の仕方、育成の仕方、事業承継をする際に注意すべきことなど、経営者は考えることが山のようにあります。100年以上続いてきた弊社だからこそお役に立てることがあるのであれば、業種問わず経営者の方にお伝えしたいと思っています。
開発力が強み「マネされても、マネするな」
弊社の現在のメイン商品になっているのは煮豆です。開発当時、関東のマーケットでは、黒豆というと、しわしわで甘くて歯ごたえのあるものがスタンダードでした。一方京都では、丹波の黒豆に代表されるように、ふっくらしていてやわらかいものが主流でした。これをなんとか関東のマーケットで広められないかというのがはじまりです。当時レトルト殺菌機という新たな機械が開発されたことから、この機械で豆をつくったらどうなるのかと試行錯誤をしました。結果、柔らかく、しわのないふっくらとした黒豆を開発することに成功しました。なおかつ、シロップ漬けを可能にするパッケージを開発することで、常温でも日持ちし、いつ開けても一番ふっくらした状態で食べられる製品が開発されたのです。そこから、イカ製品をやめられるくらい事業が急成長しました。
また、「栗いっぱい栗きんとん」も代表商品です。割れた栗を使った栗きんとんの販売は、当初は縁起が悪いと批判されました。しかし、実際に店頭に出したら大ヒットしました。その代わり、手に取りやすい価格で販売しました。これは後日談ですが、老人ホームでは栗を一つ食べるというとのどに詰まる可能性があるため、わざわざ割っていたそうです。そのようなお客様の隠れたニーズにも対応できる商品を開発してきたのが弊社の強みでもあります。
このように商品開発のアイデアは、お客様の生の声がきっかけになることも多いです。「おにぎり昆布」はその代表例でした。おにぎりのなかにいれるのにちょうどいいように、細かく刻んだ昆布を開発しましたのです。結果的に、口も服も汚れないと大ヒットし、今では事業の柱になっています。
食品を通じた健康への思い
弊社は「食べ物を通じて、みなさまの健康のお役に立ちたい」というのが一つの大きなテーマとなっています。業界ではいち早く、できるだけ添加物を使わないで商品を作ることに注力してきました。
東日本大震災をきっかけに、弊社の商品の新たな可能性として、保存食という視点が生まれました。震災の時に水の次に配られるのは白米だそうで、白米のみの生活が長く続くそうです。そこで、白米だけでは飽きてしまうということで、弊社に佃煮の注文が多く来たのです。加えて、常温保存で日持ちするという点も重要だったようです。常温で、ご飯のお供になって、栄養も取れる。これらの経験から、弊社の商品は災害食にもなりうるのだと気づきました。業界が徐々に縮小している中でも、今後は、そのような視点からも、日本の伝統食を守ることを使命として、事業を続けていきたいと考えています。
今後の展望
次の5代目、6代目に事業承継していく中で、一番重要なのは人材だと考えています。社長が良ければいいということではなく、社員力のある会社の方が良い会社だと思います。個人の力というよりは、人材力で会社の大きさも決まるでしょう。ずっと進化をしながら、人材確保と人材力を高め、次の世代にバトンタッチしていくことが私の使命だと考えています。事業承継をするということは、良い部分もさることながら、悪い部分も引き継ぐことが多いです。そこを自分の代でどのように打破していくかを常に考えてきました。
時代の流れに合わせていくことも重要です。私が時代感に合わなくなってきたら、当然次の世代に引き継がなければいけません。新入社員を積極的に受け入れているのも、そのような時代感を会社に取り入れるためでもあります。会社は社長のものではなく、従業員のものだと思っています。だから、経営者の責任・使命は、会社をつぶさないこと、これにつきます。
短期的に事業を成功させるのも簡単ではありませんが、継続していくのはさらに難しいことです。それは、会社の新陳代謝があるなかで、組織の在り方、「らしさ」がないから衰退していくのではないでしょうか。これまでの社員が蓄積してきたノウハウを活かしたうえで、統率をとっていくことが、長く会社を続けるうえで欠かせない要素だと思っています。
そのために、今があって、未来を予測しながら、次の世代にバトンタッチしていくものです。その際に、菊池食品工業らしさを皆がわかってくれていれば良いなという風におもいます。それができれば、200年、300年と時代の流れの中をうまく泳いでいけると思います。
これからは単体でビジネスをやっていく時代でもないと考えています。お互いうまく得意な分野で協業しながらビジネスを広げたり、コストダウンするのも一つの可能性です。同業の中だけにいると視野も狭くなるので、ツグナラを通して、さまざまな業種の方が、一緒に業界の非常識をぶつけ合うことで新たなものが生まれるのではないかと期待しています。
会社概要
社名 | 菊池食品工業株式会社 |
創立年 | 1914年 |
代表者名 | 代表取締役社長 兼 COO 菊池 光晃 |
資本金 | 5200万円 |
事業エリア |
本社
173-0014 東京都板橋区大山東町9-9 |
埼玉工場
350-2211 埼玉県鶴ヶ島市脚折町5-4-21 |
|
函館工場
041-1104 北海道亀田郡七飯町字上藤城113 |
|
商品センター
337-0004 埼玉県さいたま市見沼区卸町1-17 埼玉県南卸売団地 岩槻物流センター内 |
|
本社住所 |
173-0014 東京都板橋区大山東町9-9 |
事業内容 | 佃煮、煮豆、惣菜、黒豆エキス、おせち料理の製造販売 |
URL |
https://www.kikuchi-shokuhin.co.jp/
|
会社沿革
1914年 | 創業者 菊池足真彦(たまひこ)、珍味「のしするめ」を考案、「日本橋焼いか」の商標で東京三河島にて製造販売を開始 |
1939年 | 個人企業を合名会社菊池商店に変更。戦時中は軍の指定工場として「のしするめ」を携帯食糧とし て納入、珍味の他に「佃煮」「煮豆」の製造を開始 |
1950年 | 合名会社より株式会社に改組 |
1954年 | 菊池食品工業株式会社に商号を変更 菊池幸治が代表取締役社長に就任 |
1982年 | 現会長の菊池 幸が代表取締役社長に就任 |
1983年 | 創業70年 |
1993年 | 創業80年 |
1999年 | 埼玉工場に黒豆煮汁殺菌装置を導入。黒豆の煮汁を濃縮した健康飲料・黒豆エキスを開発し本格生産を行うとともに、通信販売を開始 |
2008年 | 弊社代表取締役社長 菊池 幸が、全国調理食品工業協同組合理事長として、農水産物の加工業振興における長年の功績が評価され、旭日小綬章を受章 |
2013年 | 菊池 幸が代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)に就任 菊池光晃が代表取締役社長兼最高執行責任者(COO)に就任 |
2014年 | 創業100年を迎える |
菊池食品工業株式会社の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/09/09 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。