品川
品川区
八尾市
引継ぎ実績あり
「再生」をキーワードにした事業展開を行う環境配慮型企業
株式会社永輝商事
リユース事業の根底に根付く永輝商事の「再生して価値を生むチカラ」
経営理念
1 持続可能でクリーンな社会をつくる
電気を使う、モノを使い終えたら捨てる…日常の何気ない行動で、人は環境に負荷をかけてしまっています。私たちはそのような環境負荷を軽減すべく、CO2を排出せずに発電することが出来るクリーンな太陽光や風力を使った再生可能エネルギーの発電事業、廃棄予定のパソコン、太陽電池パネル、その他色々な素材のリユース・リサイクルに取り組んでいます。今ある環境を次世代へ残せるように、持続可能でクリーンな社会を作る、永輝商事だからこそできる取り組みを続けます。
2 視野を広く、グローバルな視点で
日本で不要になったモノでも、世界に目を向けると価値が発揮されるモノ、逆に日本では価値が高いモノでも、別の地域では不要なモノは多くあります。各国の文化や経済状況を的確に把握し、その地域に必要なモノを求められる形で届けることで、モノの価値を最大限に発揮することができるのです。永輝商事が培ってきた独自のネットワークを活用しながら、特定の国と地域に縛られない視野の広さで事業を展開します。
3 社会に貢献するために、一人ひとりが成長を
持続可能な社会を目指して事業を展開していくには、企業そのものが成長し続けなければなりません。そのためには会社の成長を支える社員一人ひとりが成長し続けなくてはなりません。仕事本来の楽しさややりがいを感じられるよう、また、やりたいことにチャレンジできる企業であり続けることで、永輝商事ならではのこれまでの常識に縛られない新たな挑戦を今後も展開し続けます。
代表者メッセージ
「再生」をキーワードにした環境配慮型ビジネスに注力
宇宙から夜の地球を俯瞰した画像をご覧になったことはありますか。私たちが住む日本は、そのカタチがくっきりとわかるほど煌々と光り輝いて見えますが、地球全体を見ていくとまだまだ暗闇に包まれた場所が多いことがわかります。そしてこれほど文明が発達した現代においても、全人口の約20%が無電化地帯に住んでいるといわれています。
今から十数年前に、その写真を見せながら「日本は輝いているけれども、中国など暗いところがある。そこを自分の力で輝かせたい」と言った当時の代表(方 永義 氏)の言葉に共感し、この永輝商事に入社しました。その思いは代表となった今でも忘れることはありません。
この「地球を輝かせていく」という夢をかなえるために、私たちは環境配慮型のビジネスに注力し続けてきました。例えば、海外ネットワーク、特に中国マーケットとの信頼関係を強化しながら、中古パソコンやソーラーパネルのリユース事業をグローバルに展開しています。単なるスローガンではなく、企業活動を通じて実質的な環境貢献、社会貢献を果たしてきたという自負があります。
今や、SDGsやサステナブルなど、持続性のある社会を作っていくことが世界中のキーワードとなっています。その社会要求に応えることができない企業に事業の成長はないという社会風潮さえあります。私たちは、20年前からすでにそこに着目し、地道に経験を積み重ねてきました。この蓄積したノウハウを活かしながら、これからもさらに「地球を輝かせていく」ために歩みを続けていきます。
代表取締役 冨士 靖史
私たちのこだわり
「地球を輝かせていく」という夢に向かっての事業展開
弊社は1998年(平成10年)の10月に現会長の山下健伸と、オーナーであり、グループ会社社長の方 永義が立ち上げました。二人とも中国出身で、帰化する前の名前をお互い一文字ずつ取って名付けたのが永輝商事の由来です。
はじめは中古パソコンを海外に輸出・販売する事業からスタートしました。国内のリース会社や業者から中古のパソコンや壊れたパソコンを買い集め、そのうちの99%を香港の業者に販売するというビジネスモデルです。
私自身、前職が中古パソコンを取り扱う企業に勤めており、取引先として永輝商事を知りました。そして当時の代表である方 永義と関わる中で、「地球を輝かせていく」という夢に感動したことは今でも鮮明に覚えています。前職には20年程勤めていましたが、転職を考えていた時期に夢に共感できる経営者に出会い、大きな決断をしました。妻には心配されましたが、大手企業で決まった仕事を淡々とこなしていくよりも、代表が語る夢にロマンを感じて、14年前に弊社へ飛び込み、今に至ります。
入社当時は社長になるとは全く考えていませんでした。しかし、2010年(平成22年)、当時の代表だった方 永義が事業譲渡をきっかけに弊社を離れることになり、社長の席が空くことになります。そこで方から「社長をしてみないか?」と声をかけてもらったことがきっかけでした。ただ、その当時は社長業について全く知識がなかったため、勉強するための期間を2年間いただく形で、現会長の山下健伸が2代目社長となり、私は2012年に3代目社長として就任しました。
世界でも類を見ない「ソーラーパネルのリユース」
現在、弊社では再生可能エネルギー事業、企業再生事業、リサイクル事業など多岐に渡る事業展開を続けています。元々はパソコンのリユースがメインの事業でしたが、ソーラーパネル製造会社を子会社化したことを契機に、再生可能エネルギー事業も成長してきました。創業時のパソコンのリユース事業から考えれば、大きな転換を遂げているようにも見えますが、一足飛びで今に至っているわけではありません。
きっかけはパソコンの部品である半導体の材料に使われるシリコンです。このシリコンは、日常生活で目にすることはほとんどありませんがあらゆる電子機器に搭載されています。
ことパソコンなどの精密機器においては、高品質なシリコンが使用されます。ここに着目し、パソコンなどのスクラップに含まれる半導体のシリコンを買い取って、中国・台湾のソーラーパネルを取り扱うメーカーにシリコンを原料として販売する事業を始めたのが弊社におけるソーラーパネル関連事業の原型になります。
その当時(2008年頃)は、世界的にシリコンの価格が高騰していたため、会社の規模が大きく成長するきっかけになりました。そして2012年から、太陽光発電所の運営、ソーラーパネルの製造・販売、ソーラーパネルの買取、リユース・リサイクルなど、本格的に再生可能エネルギー事業に参入します。
ソーラーパネル事業をスケールさせた3つの強み
そんな弊社がソーラーパネルのリユースを展開できる理由として、3つの強みがあげられます。
1つ目は、手続きのノウハウがあること。通常、ソーラーパネルを輸出しようとすると、バーゼル条約という有害廃棄物の国境を超える移動に関しての取り決めに違反してしまう場合があります。しかし、弊社では中古のソーラーパネルを商品として輸出する方法を培って来たため、現在はバーゼル条約を遵守した上で、途上国に対してソーラーパネルを販売することができています。
2つ目が代金回収のノウハウがあること。パソコンのリユースからスタートした弊社では、豊富な海外との貿易経験が蓄積されてきました。これらを活用して海外との取引をスムーズに進めることが出来ます。
3つ目は中古のソーラーパネルを検品する能力です。中古の場合、発電に伴って塩を吹いたり、災害を起こす場合もあります。こうした事故が起きないようにするため、検品は最も大事な作業になります。弊社ではグループ会社にソーラーパネルを製造するメーカーもあるため、高いスキルで検品することが出来ます。
このように、主力のソーラーパネルに関する事業以外にも太陽光発電やシリコンリサイクルで様々な地域や企業からご好評いただいています。
熊本への恩返しのために老舗醤油メーカーを引き継ぐ
弊社では企業再生事業に積極的に取り組んでいます。名前の通り日本を支える中小企業の海外展開をサポートし、ものづくり大国日本の素晴らしい技術を広めていくお手伝いをしています。その象徴的な例といえるのが、九州の熊本県に本社を置く老舗醤油メーカー・株式会社フンドーダイの事例です。
同社は、弊社の事業内容とは全く違う業種ですが、そもそものきっかけは2011年の東日本大震災からでした。2010年の12月に宮城県に工場を持つ企業をM&Aしたところ、翌年3月に東日本大震災が起きました。「さあこれから」というときに工場の操業がストップしたため、維持費や人件費など半年間で大変な赤字になり、これ以上続けられないと頭を抱える事態に直面します。そのときに、取引に応じ、支えてくれたのが、とある企業の熊本工場でした。そのおかげで存続できたといっても過言ではなく、そういう意味で、熊本という地には大きな恩を感じていました。
それからしばらくして今度は、2016年に熊本地震が発生します。熊本の企業にとてもお世話になった弊社も何か出来ないかと考えたところ、老舗醤油メーカーである株式会社フンドーダイのM&Aにいたります。その後、2019年に創業150周年を迎え、そのタイミングで発売された透明醤油(無色の醤油)は、「醤油は黒いもの」という概念を覆す商品として大きな話題を呼びました。
それまでのM&Aは、大半が電子部品や、半導体関係のメーカー、もしくは商社のような会社だったため、食料品関係は初の試み。それでも販路の拡大などでシナジーを生み出せて、今に至っているのでとてもいいご縁になったと思っています。
すべての事業に込めた想いは「再生」
弊社が考えているM&Aは「企業の再生」であり、そこで働く人やものも再生していきたいと考えています。せっかく良い商品やサービスを持っていても、世に知られていないために、苦労されている会社も少なくありません。
M&A事業では、そういった企業に、弊社が持つ知識や経験を生かして、日本中、さらに世界に発信していける会社づくりをお手伝いしています。日本の安心安全な技術をしっかり残し、企業規模は小さくても、最先端の技術を持つ企業をしっかりと世間に発信していきたいと考えています。そういう意味では、特定のエリアだけにこだわってはいませんが、東京なら大田区などの中小企業、工場の集積地、大阪なら東大阪などには強い関心を持っています。
例えば、東大阪市には約6,000軒もの町工場があります。ここでは機械部品や金属の加工技術が高く、ものづくりの町として発展を遂げています。これらの工場が結集し、2002年に国の機関から依頼され「まいど一号」という人工衛星を製作しました。2009年に無事打ち上げが成功し、日本の町工場が誇る高い技術力を世界に示した事例となっています。中小企業は日本の源ですから、弊社がご一緒することで、良いサービスや商品を世界に広めていくことが使命だと思っています。
M&Aしたあかつきには、責任を持って黒字にしますし、グループの一員として共に成長を続けていけるサポートも惜しみません。実際、スタート時は赤字の企業でも、弊社の持つ販路と似ていたため、数か月で黒字できたという事例も多数あります。同時に経営者や従業員はそのまま継続してもらい、どんなに時間がかかっても安心して働き続けられる場所を創り出すということも大切にしています。グループ会社の経営陣とも互いに話し合い、言いたいことを言い合える場を設けています。
若手社員のアイデアでスタートした海外でのカレー屋事業
そんな弊社の雰囲気をお伝えすると、和気あいあいとしているのが最大の特徴です。社長といえど1人の人間であり、1人の知識量にはどうしても限界があります。そうしたときに経営陣や若い人たちの意見を聞くことで会社は成長していけるものだと考えています。話し合う場面では、意見をぶつけ合うこともありますが、食事を共にするなど良好な関係を築いています。
言いたいことを言い合えるという面では、若い社員たちがチャレンジできるような環境も大切にしています。中でも象徴的だったのが、弊社の若手が始めたカレー屋の事業です。
ソーラーパネル関連の仕事でバングラデシュに行った際、日本のカレーを現地の方に食べてもらったことがありました。美味しいと喜ぶ姿を見て、若手社員はバングラデシュに日本のカレー屋を作りたいと計画書を提出してきました。資金やリスクの面でも小さく、当たれば面白いだろうと感じ、現在でも事業として存続しています。
会社全体で目指す「日本一の会社」
現在では日本一の会社を目指し、各部門で頑張っています。弊社はすでにソーラーパネル事業や、パソコンのリユース事業では業界でトップに近い位置ですが、あらゆる面で日本一になれるよう努力を続けています。
例えば、社員への対応が日本一丁寧な総務になろう、少数精鋭で仕事ができる日本一の経理になろうといったように定めています。この積み重ねで日本一になれたのならば、社員の待遇日本一の会社にすることを約束しています。
加えて、事業を取り扱う中で得た利益はしっかり社会と従業員に還元しています。従業員の給与ベースアップを実施するなど、従業員を豊かにすることで社会を豊かにしていていく循環を生み出すことが弊社の役割だと考えています。
「再生」を旗印に日本の一助になるような成長を目指して
昨今はコロナ禍の影響やウクライナ情勢、円安などの問題によってエネルギー事情が大きく変化しています。世界的には石油とガスの利用から離れるような取り組みが加速しており、日本では二酸化炭素の排出量を2050年までに0にするという施策があります。電気代の高騰に伴い、企業や家庭のエネルギーの代替として再生可能エネルギーは注目が高まっています。
こうした追い風を受けて、弊社では2025年までにグループ全体の売り上げを1兆円以上にしようという目標を立てました。並大抵の努力では届かない目標ですから、今何をすべきか逆算して1つずづ積み重ねています。現在ある事業を伸ばすのはもちろんですが、新たな領域を広げることも必要不可欠です。したがって、今後もよりM&Aに力をいれ、ご一緒にした企業再生を進めていく中で、日本自体の「再生」に繋がていきたいと思っています。
「地球を輝かせていく」という夢に向かっての事業展開
弊社は1998年(平成10年)の10月に現会長の山下健伸と、オーナーであり、グループ会社社長の方 永義が立ち上げました。二人とも中国出身で、帰化する前の名前をお互い一文字ずつ取って名付けたのが永輝商事の由来です。
はじめは中古パソコンを海外に輸出・販売する事業からスタートしました。国内のリース会社や業者から中古のパソコンや壊れたパソコンを買い集め、そのうちの99%を香港の業者に販売するというビジネスモデルです。
私自身、前職が中古パソコンを取り扱う企業に勤めており、取引先として永輝商事を知りました。そして当時の代表である方 永義と関わる中で、「地球を輝かせていく」という夢に感動したことは今でも鮮明に覚えています。前職には20年程勤めていましたが、転職を考えていた時期に夢に共感できる経営者に出会い、大きな決断をしました。妻には心配されましたが、大手企業で決まった仕事を淡々とこなしていくよりも、代表が語る夢にロマンを感じて、14年前に弊社へ飛び込み、今に至ります。
入社当時は社長になるとは全く考えていませんでした。しかし、2010年(平成22年)、当時の代表だった方 永義が事業譲渡をきっかけに弊社を離れることになり、社長の席が空くことになります。そこで方から「社長をしてみないか?」と声をかけてもらったことがきっかけでした。ただ、その当時は社長業について全く知識がなかったため、勉強するための期間を2年間いただく形で、現会長の山下健伸が2代目社長となり、私は2012年に3代目社長として就任しました。
世界でも類を見ない「ソーラーパネルのリユース」
現在、弊社では再生可能エネルギー事業、企業再生事業、リサイクル事業など多岐に渡る事業展開を続けています。元々はパソコンのリユースがメインの事業でしたが、ソーラーパネル製造会社を子会社化したことを契機に、再生可能エネルギー事業も成長してきました。創業時のパソコンのリユース事業から考えれば、大きな転換を遂げているようにも見えますが、一足飛びで今に至っているわけではありません。
きっかけはパソコンの部品である半導体の材料に使われるシリコンです。このシリコンは、日常生活で目にすることはほとんどありませんがあらゆる電子機器に搭載されています。
ことパソコンなどの精密機器においては、高品質なシリコンが使用されます。ここに着目し、パソコンなどのスクラップに含まれる半導体のシリコンを買い取って、中国・台湾のソーラーパネルを取り扱うメーカーにシリコンを原料として販売する事業を始めたのが弊社におけるソーラーパネル関連事業の原型になります。
その当時(2008年頃)は、世界的にシリコンの価格が高騰していたため、会社の規模が大きく成長するきっかけになりました。そして2012年から、太陽光発電所の運営、ソーラーパネルの製造・販売、ソーラーパネルの買取、リユース・リサイクルなど、本格的に再生可能エネルギー事業に参入します。
ソーラーパネル事業をスケールさせた3つの強み
そんな弊社がソーラーパネルのリユースを展開できる理由として、3つの強みがあげられます。
1つ目は、手続きのノウハウがあること。通常、ソーラーパネルを輸出しようとすると、バーゼル条約という有害廃棄物の国境を超える移動に関しての取り決めに違反してしまう場合があります。しかし、弊社では中古のソーラーパネルを商品として輸出する方法を培って来たため、現在はバーゼル条約を遵守した上で、途上国に対してソーラーパネルを販売することができています。
2つ目が代金回収のノウハウがあること。パソコンのリユースからスタートした弊社では、豊富な海外との貿易経験が蓄積されてきました。これらを活用して海外との取引をスムーズに進めることが出来ます。
3つ目は中古のソーラーパネルを検品する能力です。中古の場合、発電に伴って塩を吹いたり、災害を起こす場合もあります。こうした事故が起きないようにするため、検品は最も大事な作業になります。弊社ではグループ会社にソーラーパネルを製造するメーカーもあるため、高いスキルで検品することが出来ます。
このように、主力のソーラーパネルに関する事業以外にも太陽光発電やシリコンリサイクルで様々な地域や企業からご好評いただいています。
熊本への恩返しのために老舗醤油メーカーを引き継ぐ
弊社では企業再生事業に積極的に取り組んでいます。名前の通り日本を支える中小企業の海外展開をサポートし、ものづくり大国日本の素晴らしい技術を広めていくお手伝いをしています。その象徴的な例といえるのが、九州の熊本県に本社を置く老舗醤油メーカー・株式会社フンドーダイの事例です。
同社は、弊社の事業内容とは全く違う業種ですが、そもそものきっかけは2011年の東日本大震災からでした。2010年の12月に宮城県に工場を持つ企業をM&Aしたところ、翌年3月に東日本大震災が起きました。「さあこれから」というときに工場の操業がストップしたため、維持費や人件費など半年間で大変な赤字になり、これ以上続けられないと頭を抱える事態に直面します。そのときに、取引に応じ、支えてくれたのが、とある企業の熊本工場でした。そのおかげで存続できたといっても過言ではなく、そういう意味で、熊本という地には大きな恩を感じていました。
それからしばらくして今度は、2016年に熊本地震が発生します。熊本の企業にとてもお世話になった弊社も何か出来ないかと考えたところ、老舗醤油メーカーである株式会社フンドーダイのM&Aにいたります。その後、2019年に創業150周年を迎え、そのタイミングで発売された透明醤油(無色の醤油)は、「醤油は黒いもの」という概念を覆す商品として大きな話題を呼びました。
それまでのM&Aは、大半が電子部品や、半導体関係のメーカー、もしくは商社のような会社だったため、食料品関係は初の試み。それでも販路の拡大などでシナジーを生み出せて、今に至っているのでとてもいいご縁になったと思っています。
すべての事業に込めた想いは「再生」
弊社が考えているM&Aは「企業の再生」であり、そこで働く人やものも再生していきたいと考えています。せっかく良い商品やサービスを持っていても、世に知られていないために、苦労されている会社も少なくありません。
M&A事業では、そういった企業に、弊社が持つ知識や経験を生かして、日本中、さらに世界に発信していける会社づくりをお手伝いしています。日本の安心安全な技術をしっかり残し、企業規模は小さくても、最先端の技術を持つ企業をしっかりと世間に発信していきたいと考えています。そういう意味では、特定のエリアだけにこだわってはいませんが、東京なら大田区などの中小企業、工場の集積地、大阪なら東大阪などには強い関心を持っています。
例えば、東大阪市には約6,000軒もの町工場があります。ここでは機械部品や金属の加工技術が高く、ものづくりの町として発展を遂げています。これらの工場が結集し、2002年に国の機関から依頼され「まいど一号」という人工衛星を製作しました。2009年に無事打ち上げが成功し、日本の町工場が誇る高い技術力を世界に示した事例となっています。中小企業は日本の源ですから、弊社がご一緒することで、良いサービスや商品を世界に広めていくことが使命だと思っています。
M&Aしたあかつきには、責任を持って黒字にしますし、グループの一員として共に成長を続けていけるサポートも惜しみません。実際、スタート時は赤字の企業でも、弊社の持つ販路と似ていたため、数か月で黒字できたという事例も多数あります。同時に経営者や従業員はそのまま継続してもらい、どんなに時間がかかっても安心して働き続けられる場所を創り出すということも大切にしています。グループ会社の経営陣とも互いに話し合い、言いたいことを言い合える場を設けています。
若手社員のアイデアでスタートした海外でのカレー屋事業
そんな弊社の雰囲気をお伝えすると、和気あいあいとしているのが最大の特徴です。社長といえど1人の人間であり、1人の知識量にはどうしても限界があります。そうしたときに経営陣や若い人たちの意見を聞くことで会社は成長していけるものだと考えています。話し合う場面では、意見をぶつけ合うこともありますが、食事を共にするなど良好な関係を築いています。
言いたいことを言い合えるという面では、若い社員たちがチャレンジできるような環境も大切にしています。中でも象徴的だったのが、弊社の若手が始めたカレー屋の事業です。
ソーラーパネル関連の仕事でバングラデシュに行った際、日本のカレーを現地の方に食べてもらったことがありました。美味しいと喜ぶ姿を見て、若手社員はバングラデシュに日本のカレー屋を作りたいと計画書を提出してきました。資金やリスクの面でも小さく、当たれば面白いだろうと感じ、現在でも事業として存続しています。
会社全体で目指す「日本一の会社」
現在では日本一の会社を目指し、各部門で頑張っています。弊社はすでにソーラーパネル事業や、パソコンのリユース事業では業界でトップに近い位置ですが、あらゆる面で日本一になれるよう努力を続けています。
例えば、社員への対応が日本一丁寧な総務になろう、少数精鋭で仕事ができる日本一の経理になろうといったように定めています。この積み重ねで日本一になれたのならば、社員の待遇日本一の会社にすることを約束しています。
加えて、事業を取り扱う中で得た利益はしっかり社会と従業員に還元しています。従業員の給与ベースアップを実施するなど、従業員を豊かにすることで社会を豊かにしていていく循環を生み出すことが弊社の役割だと考えています。
「再生」を旗印に日本の一助になるような成長を目指して
昨今はコロナ禍の影響やウクライナ情勢、円安などの問題によってエネルギー事情が大きく変化しています。世界的には石油とガスの利用から離れるような取り組みが加速しており、日本では二酸化炭素の排出量を2050年までに0にするという施策があります。電気代の高騰に伴い、企業や家庭のエネルギーの代替として再生可能エネルギーは注目が高まっています。
こうした追い風を受けて、弊社では2025年までにグループ全体の売り上げを1兆円以上にしようという目標を立てました。並大抵の努力では届かない目標ですから、今何をすべきか逆算して1つずづ積み重ねています。現在ある事業を伸ばすのはもちろんですが、新たな領域を広げることも必要不可欠です。したがって、今後もよりM&Aに力をいれ、ご一緒にした企業再生を進めていく中で、日本自体の「再生」に繋がていきたいと思っています。
会社概要
社名 | 株式会社永輝商事 |
創立年 | 1998年 |
代表者名 | 代表取締役 冨士 靖史 |
事業エリア |
大阪支社
581-0042 大阪府八尾市南木の本2-74-1 |
富士電機(株)川崎工場内
210-0856 神奈川県川崎市川崎区田辺新田1-1 |
|
本社住所 |
140-0014 東京都品川区大井1-23-1 カクタビル7F 03-5746-0531 |
事業内容 | 太陽電池モジュールの販売・買取・リサイクル 太陽光発電導入事業 太陽光発電所の販売・買取・マッチング事業 再生可能エネルギーを利用した電力発電事業 シリコン・新品/中古パソコン・液晶パネル・周辺機器・中古計測器の買取・販売 リサイクル及び輸出入業務、新品/中古医療機器・医療品の販売 資源材料の買取・リサイクル業務 電子部品・半導体センサーの販売 電子機器、家電の受注生産・販売 国際ビジネスマッチング事業(M&A仲介含む) 味噌・醤油・ウイスキー・日本酒をはじめとする調味料・食品の販売 化粧品の製造販売 |
URL |
https://www.eikishoji.co.jp/
|
会社沿革
1998年 | 株式会社永輝商事設立(品川区東大井)PC関連商材のリユース・リサイクル開始 |
2001年 | 本社移転(品川区大井)OA機器の取扱量拡大 |
2005年 | 大阪支社開設 |
2006年 | 資本金4,800万円に増資 本社移転(現在所) 太陽電池等半導体製品のリユース・リサイクル開始、資源循環事業のリユース・リサイクル開始 |
2007年 | 国際標準化機構認証 ISO14001認定取得 |
2008年 | 資本金9,800万円に増資 |
2012年 | 全量買取制度開始に伴い、太陽光発電事業に参入 |
2013年 | 大阪営業所開設 |
2020年 | 大阪支社・大阪営業所統合移転 |
2021年 | ISMS(ISO/IEC 27001:2013)認定取得 |
株式会社永輝商事の経営資源引継ぎ募集情報
公開日:2022/12/15 (2023/06/22修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年6月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。