芳賀
芳賀郡益子町
ピンチな時もそうでない時も陽転思考の清水保険事務所をお呼びください
株式会社清水保険事務所
地域に寄り添いお客様のお役に立つ保険コンサルタント
経営理念
~想いを、そして人を大切にしよう~
ミッション
保険コンサルタントとしてプロ意識を持ち、正しい仕事を誠心誠意行い『クオリティの高い安心』と当社ネットワークを最大限に活かし付加価値を創造・提供し続ける。
保険と云う商品を活かし、お客さまにお役に立つことを意識し 誕生・成長・発展・成熟・承継といったそれぞれのライフステージに寄り添い最善最良の選択を提供し続け、常にお客さまと共に歩みを兼ねる事を心がける。
地域・社会を通し一人間であることで、自己の成長と共に関わる全ての人への感謝の思いを持ち、お客さま・取引先・社員またその家族の幸せの増進を図る。
ビジョン
「陽転思考」
「陽転思考」は絶望したり苦しんだりした時に、そこから逃避するのではなく、真正面からその状況を受け止めて陽の方向性に導くというものです。
よく「ピンチはチャンス」といいますが、まさにピンチの時にこそ「陽転思考」は生きるのであり、チャンスに転じることができるのです。苦しみを乗り越えた時、それがその人の人生に鮮やかな光と深みをもたらすのです。
参考:「陽転思考」とは、「人生に起こるあらゆる出来事をあるがままに受け止め、感謝の心を抱きつつ、ベストを尽くして生きる」という考え方
代表者メッセージ
日頃より皆様に御支援賜り誠に感謝申し上げます。
皆さん保険って好きですか? 残念ながら「好きです」と断言される方はあまりいらっしゃらないと思います。
ネット社会とも言われる現在、世の中には情報が溢れかえっています。保険も同じく、ネット契約の保険会社も多数出てきております。
但し、情報選択の判断は個々に委ねられます。
保険には、入口としての『契約』から『給付・支払』という出口までの各段階があります。それらのすべてを自己判断・完結していくことは容易ではないでしょう。ですから保険は何に入るかも大切ですが、どこの誰から入るか、入口の部分が特に大切になります。
『時代はデジタルでも、心はいつまでもアナログ』です。
弊社はお客さまの想いを大切にし、耳を傾けそれぞれのライフスタイルに合った提案をさせていただきます。また弊社の業務ネットワークを最大限に活かし、お客さまの悩みに対し解決へと導く付加価値を提供し続けます。弊社はお客さま・地域密着で皆様に少しでもお役に立てる存在であり続けられるよう努力してまいります。
株式会社 清水保険事務所 代表取締役 清水史紀
会長メッセージ
日常生活や企業活動の中で 「まさか・・」とか「万が一」が起きないことが良いでしょう。
しかしながら、現時点では車社会での思わぬ事故・異常気象等の災害・食生活や生活環境の変化による思わぬ発病・少子高齢化老後生活の不安・・・様々な状況が起因する事例に生損保総合コンサルタントとしてのプロ意識を持ち、すべての個人・企業ご契約者に保険を通じて当社は「安心」をお届けしており、保険を通じてすべてのご契約者に「信頼」を頂けるように努めております。
常にお客さまに寄り添いながら保険商品を活かし「全力サポート」を全社員心掛けており、地域活動や社会貢献活動にも積極的に参加しております。
今、お客さまは「何が心配か・・」「何が必要なのか」「何が最適か・・」を共に悩み・考えて行動することを心掛け、お客さま及び社員が成長できる環境構築に心掛けております。
株式会社 清水保険事務所 取締役会長 清水 益栄
私たちのこだわり
保険代理店の仕事で先代から継承してきたこと
新型コロナウィルス感染もあって、人と接しない形の非対面・オンラインでのコミュニケーションが進んでいます。電話で聞くような範囲のことであれば非対面でもオンラインでも十分ではありますが、デジタル化が進む中でも人の心はアナログ(対面)でないと掴めないと思っており、直接対面することは大切にしています。ただアナログ人間で時代に取り残されるわけにはいきませんので仕事で使用するハードやツールはデジタル化し、お客さんとの信頼関係の構築にデジタルの活用もしています。
それと、私たちの仕事で一番に気を配っていることはお客様が事故、災害にあった時に真っ先に駆けつけることです。先代からもそうですが保険業としてどんな時でも出動できるように心がけています。怪我の状況もふくめお客様の不安や動揺にすぐ寄り添うこと、心境であったり日々の心をアナログで紡いだ中で距離感を大切にしています。2011年の東日本大震災や近年続く異常気象による災害などでは、経験に裏付けされた行動を発信し、お客様が対策を考えて先手で動けるようにと、最近ではSNSも活用しています。LINEを使ってOne to Oneでのコミュニケーションを取ったり、Facebookにて友達承認しているお客様に情報の発信や拡散をおこない、有事の際の対応として停電した時の備えや、どの地域で停電しているのか、復旧した際の対応方法など注意事項などを伝えました。
このような行動は日々お客様に寄り添ってないとできないことでもあり、地震の被害調査は目で見てわかる部分だけでなく、お客様に直接情報を聞いたりして被害状況をしっかりと把握した上で保険手続きの申請をおこないました。電話だけデジタルだけでは難しく、やはり対面が重要です。
お客様も災害や被害に直面した中で必要性を感じていただいたり、こちらも適度な距離感の中でお互いの信頼関係の中から連絡してもらえるようになったことは、これからも一つずつ増やしていきたいと思います。
会社の方針、経営理念について社員への浸透について
押し売りも抑え込みもよくありません。行動の起こし方であったり、積んできた経験もそれぞれで、同じ事象に対して感性や感覚も異なります。そのような状態で、いざという時に一糸乱れぬ行動はできません。私と会長が言葉にしてしっかりと伝えていかなければなりません。時には率先した行動として見せていき、得られた情報を共有しています。一番は、保険を扱う中で事故や災害が起きた次の日は指示待ちの行動ではなく、自主性と自覚をもつように細心の注意を払っています。
経営理念については、今から2007年ころ(12~3年前)から掲げてあります。先代でもある父は私が小学校5年生だった時に転職をしました。当時は子ども達(3人兄弟)と祖父母も暮らしていたので玄関の片隅に机を一つ置いて仕事をしていたのを記憶しています。元々近くのガソリンスタンドで整備士をしており、自動車と接する機会もあったのか保険業に転職しましたが、今の私に近い年齢の時でもあり同じ行動を起こせるか考えると、家族や家庭もある中で勇気のある行動であったと思っています。
事業承継に至るまで
高校を卒業して、都内の学校に進学した時に、初めて家業をどうしたいのか漠然と自問自答をしながらも、自分のやりたいことをやりたいという思いや父の仕事の内容もわかっていない、知ろうとしなかった部分で継ぐ気は薄かったです。ただ、当時はニュースなどで飲酒運転や自動車の暴走事故が多発し、父の仕事に関連していることは何となくは分かっていました。18歳のときだったと思いますが、事業承継について考えていない旨を伝えたときには、父がショックを受けていたのは記憶しています。ただ当時は、自分の未来をしっかりと設計して東京都内でスポーツトレーナーの仕事をしていました。その仕事のために専門学校へ行き、20歳で整骨院で働いて23歳の時に結婚して子どもが生まれ、父も痺れをきらし家業について真剣に話をする中で、27歳の時に保険会社へ研修社員として出向修行へ行きました。継ぐ決意はまだ持ち合わせておらず継ぐことを意識し始めた時期でした。
妻は横浜市の出身で結婚後は都内に住んでいたため、正月・盆暮れで訪れていた田舎へ移住することに慣れるかどうかの心配が強かったというのが本音でした。
研修生では取り敢えず種類や規約など詰め込んで覚えていく、一生懸命にこなす日々でした。正直、ここ7~8年ぐらい前まではずっとこなす日々でした。それが変わったきっかけは売り込むこと、お願いして加入してもらうことから、悩みや相談を聞いて最善のプランを提示できるように変わったことです。このお仕事がどんどん好きになっていきました。
あと、最近考えるようになったことですが、息子には家業を継いでほしいとは思っていません。この保険というお仕事を、息子から憧れる職業として見てもらえるような事業を作りたいと思っています。
社内の意思疎通や独自の制度や風土について
情報を正確に処理して社内外への伝達するスピードが重要になります。スピードについても結果的に口頭やペーパーで情報を共有しているため漏れがあります。それと、仕事の性質上で載せていいものいけないものもあります。今はスピードの最適化と伝達の仕組み化に取り組んでおります。
社内の行事としては、従業員の誕生日をお祝いしています。働いている社員は家族のような感覚もあり、家族と同じようにケーキを食べてお祝いしています。1歳ずつお祝いしていくと息子もないものねだりするのと同じで、毎年進化をしていかないといけないな、と考えています。
社員の家族や子供の生年月日、好きなものは日常の会話から聞いているので自然と把握しています。疲れた顔をして家に帰ってもらっても幸せではありません。子どもや家族との時間は優先してもらって、授業参観や発表会も家族の成長を感じてもらうことで仕事にも相乗効果が出ています。
地域でお仕事をさせてもらっていますので、地域のボランティア活動は率先しておこなっています。会長は益子塾、陶器市の案内役を務めていたり、地域清掃員の活動をおこなっています。私は地域の消防団にこちらへ移住してからなので、13年目です。入団して活動していますが、地域貢献というよりも幼いころから目の当たりにしている習慣です。
地域の皆様の協力や支援もあって開業20周年には感謝祭を開催いたしました。地域の皆様へ感謝を伝えるはずが、我々が一番楽しんでしまいました。社員いわく、イベントそのものより、当日までみんなで作り上げるプロセスが何より楽しかったそうです。やってみて初めて分かる気づきでもあり、違う形でまたこういったイベントを実行してみたいと思います。
地域への感謝は貢献活動だけでは足りませんが、私たちの会社が存続していることも、お客様と地域の皆様、社員の支えがあってのことでもあります。地域活動はこれからも率先して取り組んでいきます。
保険代理店の仕事で先代から継承してきたこと
新型コロナウィルス感染もあって、人と接しない形の非対面・オンラインでのコミュニケーションが進んでいます。電話で聞くような範囲のことであれば非対面でもオンラインでも十分ではありますが、デジタル化が進む中でも人の心はアナログ(対面)でないと掴めないと思っており、直接対面することは大切にしています。ただアナログ人間で時代に取り残されるわけにはいきませんので仕事で使用するハードやツールはデジタル化し、お客さんとの信頼関係の構築にデジタルの活用もしています。
それと、私たちの仕事で一番に気を配っていることはお客様が事故、災害にあった時に真っ先に駆けつけることです。先代からもそうですが保険業としてどんな時でも出動できるように心がけています。怪我の状況もふくめお客様の不安や動揺にすぐ寄り添うこと、心境であったり日々の心をアナログで紡いだ中で距離感を大切にしています。2011年の東日本大震災や近年続く異常気象による災害などでは、経験に裏付けされた行動を発信し、お客様が対策を考えて先手で動けるようにと、最近ではSNSも活用しています。LINEを使ってOne to Oneでのコミュニケーションを取ったり、Facebookにて友達承認しているお客様に情報の発信や拡散をおこない、有事の際の対応として停電した時の備えや、どの地域で停電しているのか、復旧した際の対応方法など注意事項などを伝えました。
このような行動は日々お客様に寄り添ってないとできないことでもあり、地震の被害調査は目で見てわかる部分だけでなく、お客様に直接情報を聞いたりして被害状況をしっかりと把握した上で保険手続きの申請をおこないました。電話だけデジタルだけでは難しく、やはり対面が重要です。
お客様も災害や被害に直面した中で必要性を感じていただいたり、こちらも適度な距離感の中でお互いの信頼関係の中から連絡してもらえるようになったことは、これからも一つずつ増やしていきたいと思います。
会社の方針、経営理念について社員への浸透について
押し売りも抑え込みもよくありません。行動の起こし方であったり、積んできた経験もそれぞれで、同じ事象に対して感性や感覚も異なります。そのような状態で、いざという時に一糸乱れぬ行動はできません。私と会長が言葉にしてしっかりと伝えていかなければなりません。時には率先した行動として見せていき、得られた情報を共有しています。一番は、保険を扱う中で事故や災害が起きた次の日は指示待ちの行動ではなく、自主性と自覚をもつように細心の注意を払っています。
経営理念については、今から2007年ころ(12~3年前)から掲げてあります。先代でもある父は私が小学校5年生だった時に転職をしました。当時は子ども達(3人兄弟)と祖父母も暮らしていたので玄関の片隅に机を一つ置いて仕事をしていたのを記憶しています。元々近くのガソリンスタンドで整備士をしており、自動車と接する機会もあったのか保険業に転職しましたが、今の私に近い年齢の時でもあり同じ行動を起こせるか考えると、家族や家庭もある中で勇気のある行動であったと思っています。
事業承継に至るまで
高校を卒業して、都内の学校に進学した時に、初めて家業をどうしたいのか漠然と自問自答をしながらも、自分のやりたいことをやりたいという思いや父の仕事の内容もわかっていない、知ろうとしなかった部分で継ぐ気は薄かったです。ただ、当時はニュースなどで飲酒運転や自動車の暴走事故が多発し、父の仕事に関連していることは何となくは分かっていました。18歳のときだったと思いますが、事業承継について考えていない旨を伝えたときには、父がショックを受けていたのは記憶しています。ただ当時は、自分の未来をしっかりと設計して東京都内でスポーツトレーナーの仕事をしていました。その仕事のために専門学校へ行き、20歳で整骨院で働いて23歳の時に結婚して子どもが生まれ、父も痺れをきらし家業について真剣に話をする中で、27歳の時に保険会社へ研修社員として出向修行へ行きました。継ぐ決意はまだ持ち合わせておらず継ぐことを意識し始めた時期でした。
妻は横浜市の出身で結婚後は都内に住んでいたため、正月・盆暮れで訪れていた田舎へ移住することに慣れるかどうかの心配が強かったというのが本音でした。
研修生では取り敢えず種類や規約など詰め込んで覚えていく、一生懸命にこなす日々でした。正直、ここ7~8年ぐらい前まではずっとこなす日々でした。それが変わったきっかけは売り込むこと、お願いして加入してもらうことから、悩みや相談を聞いて最善のプランを提示できるように変わったことです。このお仕事がどんどん好きになっていきました。
あと、最近考えるようになったことですが、息子には家業を継いでほしいとは思っていません。この保険というお仕事を、息子から憧れる職業として見てもらえるような事業を作りたいと思っています。
社内の意思疎通や独自の制度や風土について
情報を正確に処理して社内外への伝達するスピードが重要になります。スピードについても結果的に口頭やペーパーで情報を共有しているため漏れがあります。それと、仕事の性質上で載せていいものいけないものもあります。今はスピードの最適化と伝達の仕組み化に取り組んでおります。
社内の行事としては、従業員の誕生日をお祝いしています。働いている社員は家族のような感覚もあり、家族と同じようにケーキを食べてお祝いしています。1歳ずつお祝いしていくと息子もないものねだりするのと同じで、毎年進化をしていかないといけないな、と考えています。
社員の家族や子供の生年月日、好きなものは日常の会話から聞いているので自然と把握しています。疲れた顔をして家に帰ってもらっても幸せではありません。子どもや家族との時間は優先してもらって、授業参観や発表会も家族の成長を感じてもらうことで仕事にも相乗効果が出ています。
地域でお仕事をさせてもらっていますので、地域のボランティア活動は率先しておこなっています。会長は益子塾、陶器市の案内役を務めていたり、地域清掃員の活動をおこなっています。私は地域の消防団にこちらへ移住してからなので、13年目です。入団して活動していますが、地域貢献というよりも幼いころから目の当たりにしている習慣です。
地域の皆様の協力や支援もあって開業20周年には感謝祭を開催いたしました。地域の皆様へ感謝を伝えるはずが、我々が一番楽しんでしまいました。社員いわく、イベントそのものより、当日までみんなで作り上げるプロセスが何より楽しかったそうです。やってみて初めて分かる気づきでもあり、違う形でまたこういったイベントを実行してみたいと思います。
地域への感謝は貢献活動だけでは足りませんが、私たちの会社が存続していることも、お客様と地域の皆様、社員の支えがあってのことでもあります。地域活動はこれからも率先して取り組んでいきます。
ツグナラコンサルタントによる紹介
創業以来の地域密着型営業スタイルは、地元の益子町では知らない人がいないほど浸透しています。先日事業承継もなされ、若手メンバーを中心にさらなる成長が期待できる企業だと思います。
インタビュアーのコメント
会社概要
社名 | 株式会社清水保険事務所 |
創立年 | 1999年 |
代表者名 | 代表取締役 清水 史紀 |
資本金 | 1000万円 |
本社住所 |
321-4105 栃木県芳賀郡益子町北中891-1 Tel 0285-72-8933 宇都宮支店 321-0112 栃木県宇都宮市屋板町656-3 Tel 028-678-6720 |
事業内容 | 損害保険代理業及び生命保険の募集に関する業務 |
URL |
https://shimizu-hoken.co.jp/
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公開日:2021/07/14 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。