宇都宮
宇都宮市
オンリーワン作業服のデザインから制作まで最適な加工技術で実現
有限会社 ル・フェステ
80年以上も続く中で創意工夫で進化する製造事業者
経営理念
「悦びと感動を与える事を常に想像し実行する」
社員教育の充実した遣り甲斐のある明るい職場を目指し、少しでもお客様に喜んで頂ける様、スタッフ一同努力を続けています。
1931年(昭和6年)に、前身となる「企業組合物井商店」を設立。80年以上に渡り宇都宮市で繊維に係る仕事をしています。当時は宇都宮市八日市場通り(三番町)付近で衣類問屋として営業し、現在は宇都宮市問屋町にて作業服やイベントユニフォームの加工販売に特化した営業をしています。
オンリーワン作業服(既製品+α)の提供、既製品への二次加工(+α)によるオリジナル性の追求
作業性の高い服・汚れても良い服だけでなく、時代の変化と共に企業イメージの向上(宣伝効果)・従業員様の意識改革(連帯感・規律の向上)機能性の追求(安全性・衛生管理)など、作業服の役割に合わせて提案し制作しています。
具体的には、プリント・刺繍加工以外に襟タグ、アウタータグ、ラインテープ加工、反射材加工など様々な二次加工でさらなるコンシューマー・オリジナルブランド作業服を提案しています。企業イメージ向上と意識改革といった効果に加え、静電防止、消臭効果、光触媒、放熱、防水、防寒、反射、抗菌など数えきれない程の機能をニーズに応じて活用し、安全性や衛生面の向上などにも配慮しています。様々な加工技術を内製化している強みを活かし、お客様の職場における問題解決を作業服の面からお手伝いできるよう提案しています。
代表者メッセージ
事業承継のきっかけは、家業の経営危機からの覚悟の決意
先代(父)は、ル・フェステの前身である物井商店を経営していました。私は子供のころから世襲には興味がなく、関わりたくないと思っていました。父はお金で苦労しており、家庭内でもそういう話を聞いていました。母も会社経営をしており、学生服の販売をしていましたので、私は小学校3年生くらいから完全な鍵っ子でしたが裕福に暮らさせてもらっていたと思います。私は20代に飲食事業を営んでいましたが経営は芳しくなく、父に保証人になってもらうなど協力してもらったことがありました。どこかで親が助けてくれるだろうという甘さがありました。
27歳の時、お金の工面で父に相談したところ父の会社も長年にわたり厳しい状況で私のことも助けられそうにないと、逆に頭を下げられてしまいました。ちょうど20年前のことです。この時父から、「この会社を一緒に立て直さないか」と懇願されました。当時は妹二人もまだ学生でもあり、長男として家族を離散させるわけにはいかないという思いが頭をよぎりました。ファミリービジネスですから会社を畳んでしまったら全てが無くなってしまうと考えました。この時が家業を継ぐということ、事業や経営に向き合う大きなターニングポイントになりました。
完済まで80年以上の負債の中での事業承継
27歳で家業に就いたとき、年商を上回るほどの借入金がありました。税理士に「将来は家業を継ごうと思う」と話をした際に、借入金を完済するのに80年以上は掛かるから止めた方が良いとまで言われました。先輩の経営者の方々からも「継ぐもんじゃない、人生棒に振るぞ」って忠告を受けていました。それでも私の中では事業を承継することに迷いはなく、2019年に43歳で事業を承継しました。
ただ、承継もうまく進んだわけではありませんでした。私は三十代半ば頃から、父に「早く代替わりをしてくれ」と伝えましたがそのたび反対されていました。父の世代、取り分け団塊世代の人は様々な苦労を乗り越えてきたこともあって踏ん切りがつかなかったのだと思います。約10年ぐらいは事業承継に関することでたびたび口論になっていました。私が未熟だったため、父の中では「まだまだ息子に託せない」という部分もあったと思っていましたが、「もっと会社の財務や売上状況を回復させてから渡したかった」っていう気持ちあったことは承継後に知りました。
資金繰りに関する意見の相違
私のように世襲で承継するケースの7~8割は、親子の間で問題があると思っています。私たち親子は事業のことで激しくぶつかりました。主に設備の強化や買い替えなど資金の使い途に関する意見の相違でした。父は、銀行から借入に対して資金に余裕ができると直ぐに返済に充てます。手元がゼロになったとしても、「借りたものは返す」という姿勢は一貫していました。金融機関との関係構築のために必要なこととも思えますが、結果的に再度資金が回らなくなり、また借りることになったりもしていまました。私は会社の資本は社員だと考えています。返済が主体になると社員への昇給や賞与としての還元ができなくなります。今でこそ10年以上勤めてくれる方が半数以上になっていますが、当時は定着率が3年に満たなかったと思います。3年という月日は戦力となりお金を稼いでくれる前段階、育成期間です。弊社はニッチな産業なため、経験者の採用は難しく、採用後の育成にも時間が掛かります。採用と退職の繰り返し、研修や訓練の繰り返しでは、会社が次のステップに進めないのです。そういう点で父とはよく揉めました。そんな父も70歳になったら代表から退くとずっと言っていて、実際に70歳になった時、それまでのいざこざが嘘のように、潔く引き継いでくれました。
先代からの学び
承継してから改めて感じたのが、資金に関して父と数え切れないほど意見交換をしたことは決して無駄でなく、貴重な学びを得る機会だったということです。父が物井商店から40年かけてやってきた経験も取り入れなければ会社は回らないのです。例えば「利益」の考え方です。作業服は季節商売でもあり、収益が上がらない閑散期と超繁忙期に分かれているので月次キャッシュが乱高下します。その流れで借入返済のため現金が溜まれば返すという月次残高を残さない方法に私は強く反発をしていましたが、父は自転車操業とも思えるような感覚の中で上手に資金返済がされていたのです。一切メモも取らず頭の中でしたので、超人的・天才的と感じますが、それでも年間を通すと借入と返済が回っていたのです。私はその資金サイクルを理解するのに10年近く掛かりました。
承継前は「場当たり的な資金繰り」だと感じていましたが、実際に引き継いでみて「この感覚を体得しないと会社を回せない」と痛感しました。5年間以上も事業承継の中で継ぎたい息子と継がせたくない父という本気のハレーションがあったからこそ、父の考えも今ではよく理解できます。そのおかげで、父の頭の中を表計算ソフトのExcelで可視化することができ、当たり前の財務諸表も作成できるようになりました。資金繰りも半年先まで可視化できています。父はこれを頭の中でやっていたのかと、感服しています。
社長就任して変革したことは従業員の雇用を守ること
会社の財務を見える化したことで、前年比の上積みがあれば従業員へ還元したい。これが社長に就任して第一に実践したことです。これまで支払えなかった賞与が1か月分だけ出すことができ、翌年には1.5か月分になりました。先代は、資金を頭の中で調整できていましたが、期末になるまで最終決算が不明なため賞与払いの判断ができませんでした。今は、最低でも翌月の半ばには月次試算を出せるようになったことで支給額もどんぶり勘定にならず計画的になりました。ここは先代から大きく変革した部分です。その実現のためには税理士にも代わってもらうなど、経営者として決意して実行しました。
経営指針にも「社員の生活の向上と経営の安定」を掲げました。実現するためには、社員みんなで新規事業にチャレンジし収益性をより高めていくことが必要です。私が20代に飲食業を経営していた頃はそんなことは考えたこともなく、お金が入ると散財していました。金と時間を無駄にしていましたから、そのツケは直ぐに現れ、飲食業は苦境になると同時に、家業も倒産の危機にあって、その二つを同時に経験し、そして再生のために費やした年月は私の人生観を大きく変えました。その想いは言葉にし発信する必要があると考え指針を作り、社員の生活を向上させることで会社を強くしていきたいと思い続けてきました。
その結果として離職者も減り、現在の部長は勤続20年、パートのベテランさんも15年と働いてくれています。社長の想いを言葉にして経営方針として伝えることは、一緒に働く皆さんには心強く重要なことだとあらためて感じています。
関わる人を幸せにする「三方得」の理念
経営理念はまだ策定途中です。一度は掲げてみたものの、抽象的過ぎたことで解釈がバラバラに受けとられてしまい、作り直している最中です。そのため経営者研修にも通い模索しています。理念の文言は一人で考えても埒が明かず、以前に社員数名と酒の席で理念のことを打ち明けてみました。うまく言葉にできずにいると社員から「その想いは専務の時代からずっと考えてくれて話してくれていたので気持ちはよくわかる、非常にいい事だと思う。ただ、会社として分かりやすい表現にして欲しい」と言われました。私の考えは一部には響いているが、全員に届くためにはもっとシンプルで分かりやすい表現が必要だというのは社員レビューでわかりました。今もっとも強く考えているのは「三方得」です。会社も幸せ、社員も幸せ、お客さんも幸せ、このことを突き詰めていきたいと思っています。「みんな幸せ」という理念をどのように体系化していくか、それを今、学んでいます。
働く場としての「ありたい姿」
「みんな幸せ」になるためには、会社としての成長、そのため調和が重要と考えています。成長のためには活発な意見交換が求められますが、自己保身の意見や発言は、報告の仕方や行動に表れますよね。組織の中で各人が調和を保つためには人間的な成長が必要です。個人が成長することで会社が成長し、生活も潤って欲しいですし、将来への不安があったとしても、それを仲間と組織でしっかりと打ち消しあっていけるような会社にしたいと思っています。現在まで皆で取り組んだ結果は報酬という形で一歩ずつですが歩みを進めています。次のステップは、個々の成長を意識してお互いに指摘しあえるような、言われた側が「ありがとう」と言える風土。これが真の成長のための調和であり、私が求めている従業員像でもあります。
私たちのこだわり
別会社だったル・フェステから現業態へ転身した経緯
物井商店は父が経営していた時に、洋服の総合問屋から作業服専門の代理店に業態変化をしていきました。代理店が各県1社あった時期は収益もよかったのですが、代理店の制度が崩れ、競合に参入されると、お客様が価格を指定してくるようになり徐々に苦境に陥りました。当時はバブル期でもあり、先代はゴルフ場との関係を強化しキャディ服をオートクチュール(デザイン・生地・仕立てからオリジナル衣装)していました。栃木県内と近隣だけでも50数社のゴルフ場と取引していたと聞いています。本当にバブリーな状態で、その比率が増え別会社でやろうと立ち上がったのが現在のル・フェステです。フルオーダーのデザインを請け負う事業をル・フェステに移管しましたが、結果として本業の物井商店より売上が良くなってしまいました。物井商店を閉め全てル・フェステにシフトを切り替えた矢先にバブルが崩壊しキャディ服が売れなくなる時期に私は入社しました。
この苦境の中で作業服に付加価値をつけて利益を生む必要がありました。刺繍機はありましたがゴルフ場の名前を刺繍することしかできず、複雑な加工は外注して協力工場に依頼していました。その頃に作業服にプリントする注文が入ってきており、それも外注していましたが「これは自分達の手でやった方が良いのでは」と思って始めてみました。シルクプリント(スクリーンプリント)は手作業でおこなうため綺麗に仕上がらず、機械も購入する資金もなかったので、手作りで機械工作をおこないました。シルクプリントの原理は本を読んで着物生地の技術が応用できると分かり、設備会社で1年半ぐらい働いた経験もあったので溶接技術を駆使し、溶接機はお借りして、ホームセンターでその他の材料を買って作成しました。人間やる気になれば何でもできると思いました。
元手6万円から足掛け10年、機材を揃え生産体制を強化
簡単な注文は内製した機械で制作し、複雑な注文は県外にある付き合いの長い会社に依頼して納品をしていました。設備にお金が掛かってないため、少量の受注でも少しずつ利益が蓄積できました。出入りの材料屋がそんな苦労を見てくれていて、取引先である千葉県にある看板屋さんを紹介してくれました。廃棄になる製版機を譲ってくれるという話で、当時はデジタルプリントに移行していたこともありアナログ製版機は不要になったという有難いお話でした。その機械は既に20年近く稼働してましたが、それから更に18年以上、現在も使っています。昔の機械は構造がシンプルでメンテナンスは私が行います。壊れたら直して使い続けています。苦境の中で新事業の内製化をスタートしましたが、人と人とのご縁やモノを大切にする重要性、利益を生むための苦労や秘訣など大きな発見が続いて、神様が背中を押してくれているような不思議な感覚はありました。入社して2年目、私が29歳の頃の話です。
最初のうちは手作り機械で効率も悪く、プリントも失敗しますし、毎日夜の二時半ぐらいまで一人で作業していました。それが2年半ぐらい続きました。効率の良い機械を買えるようになるまで更に2年半。設備一式と乾燥機まで揃うまでにさらに4年かかりました。一式揃ったことで工場として仕組み化でき、他の人にも任せられるようになりました。現在の最年長パートの方は、当時刺繍の業務からシルクプリントの操作も覚えてもらい、翌年にもう一人専業の方を採用できて、少しずつですが事業として回るようになりました。
内製化を実現したことで競合との差別化と多様なサービスに繋げる
弊社の強みは、外注を使わず全工程を社内のワンストップで完結できることです。プリント加工業界は外注率が高く、特にシルクプリントを内製化しているユニフォーム屋はないため競争力の源泉になっています。弊社は、お客様からの問い合わせからご要望確認、打合せからデザイン起こし、必要な商品の調達からプリント、刺繍加工までの全て自社で実現できます。中間コストの削減だけでなく、管理経費も変わってくるため大きな価格メリットが生まれています。
ただ、事業を始めると3年ぐらいでその強みが薄れていきます。競合が低価格競争を仕掛けてきてくるからです。生き残るための常套手段ではありますが、利益の圧迫は業界の正しい成長を阻害すると考えています。今後の方策を模索している時に、貿易業を営む先輩から「思考を切り替えて海外へ進出しては?」と進言されました。売れ筋商品であるTシャツは、夏の時期だけでなく通年で需要があるため、輸入をして仕入を安くできないかと海外を見て回りました。結果として、仕入値が半分以下になり拡販に成功しました。数年後にデフレが進み、国内仕入の価格と差が縮小しましたが、この時の拡販効果によって売上影響を最小限にできました。プリント業務には「版」と呼ばれる中間生成品が必要で、一度受注した版を保管してリピート受注時の原価を抑えることができお客様のメリットとなります。版には保管期限を設けていますが、通常1年のところ2年に延ばし安定したリピート獲得に繋げたことでTシャツの仕入れ価格の下落に対抗することができました。版の保存期間が過ぎたお客様でも、弊社では版を内製化しているため版代をサービスできる点も有利です。ここでも内製できる強みを発揮することができました。
海外との取り引きは大きなネットワークの開拓にもなり、取引様からの要望にも幅広く対応できるようになったメリットがあります。最たる例が、自治体が展開したゆるキャラです。ブーム初期には明確なルールや制度もなく、収益化の方法も不明確なため製作に関しては業界全体が及び腰でした。そんな時に、栃木県から弊社に相談をいただきました。ぬいぐるみやイベントグッズなどの景品は実績がありませんでしたが、海外の展示会を回り、制作のめどが立ち受注を受けたことで、当時はほぼ全商品を弊社で請負う形となりました。国内ネットワークのみでは対応が難しい商品も、海外に目を向けると実現可能性が高まります。弊社商品構成の拡充によって、お客様のご要望に対し柔軟に対応でき、それまで取引のなかった自治体や学校、また地域の優良企業との出会いにもつながり、海外展開は会社の成長に大きく寄与することとなりました。
官公庁からの依頼殺到は海外製造と人的ネットワークの功績から
官公庁の様々な部署からも相談を受けるようになっていきました。総務省から囚人服のご注文をいただいたのも一例です。囚人用のパジャマや肌着などは仕様が特殊で、ポケットが無い、金属品を付けられないなど、細かく仕様が決まっています。既製品を探してもありませんし、生産したとしても他では売れない代物です。国内の生産ラインでは効率が悪いので、海外の提携工場に入札をかけ製造を押さえたりしました。業態も少しずつ変わっていくきっかけとなる受託でした。
現在の売上比率は、外郭団体(「特殊会社」、「財団法人」、「社団法人」、「独立行政法人」、「法人格のない財団」(いわゆる「任意団体」等)など)も入れると6割が自治体です。新しい企画や商品が出た時に、国内だけでなく海外と連携した形で実現性までみえる商品提案を可能にしているのは、中国、タイ、台湾、インドネシア、各国に仲間がいるお陰です。宇都宮で開催されるサイクルレース「ジャパンカップ」のイベントグッズ類はほとんど弊社に注文いただき、それがきっかけとなり東京のイベント会社からお声掛けいただけたりと、大規模イベント向けの商品の紹介も増えてきました。
新型コロナウィルスの感染拡大もあり、主要なイベントも中止になり今まで好調でもあった受託発注は減っていきました。コロナ後は、二次加工だけでなくメーカーに生まれ変わろうという取り組みを進めています。今まで培ってきた海外との取り引きや人脈、材料を海外調達できる強みがあります。今後は海外の人件費も高騰していき逆に関税が減っていくと予想される中で、生産国別の経費の差は縮まっていきます。日本で生産した「メイドインジャパン」の高品質ユニフォームが、海外で戦える価格帯になる可能性も秘めていると考えています。日本製品への根強い人気は、海外との貿易を20年近く経験したことで分かっているので商機を逃さず、提案していきたいと思っています。
アフターコロナに向けて
これからのターゲットのひとつに個人客があります。SNSを使い、アイデアを起案して販売していくギグワーカー(単発の仕事を請け負う労働者)からの需要が増していきます。現在、3人のインスタグラマーから相談を受けていて、その方が作成したデザインデータを見て、制作に関するヒアリングを行い、具現化するまでをコンサルティングしています。そのうちのお一人は主婦で、服やバッグを製作販売して年商は1000万を超えていらっしゃいます。ハンドメイド部分は内製してその他は外注しています。その一部を弊社が請け負い、販売価格設定やタグ品質などをアドバイスし一緒に構築し進めています。
ギグワーカーとのお付き合いは今までの法人のお客様とのお付き合いとは明確な違いがあります。専門的で難しい内容は伝わる範囲のみにして、悩みを聞くようなフランクな対応と信頼関係の構築が求められます。弊社にとって個人のお客様と接する機会は今までもありましたが、今後はSNS活用や個人の感性や思考を知る機会となっていくと想います。個人と私たちのような企業が連携した取り組みとしてSNSを通じて弊社事例がクチコミとなり拡散される可能性もあります。このような取組みを重視する理由としては、コロナ後もかつてのように大規模イベントが開催されるかは不透明で、以前のような収益回復は望めないだろうと予測しています。イベント用品の大量受注をする時代が終焉を迎えたと思っており、事業の再構築を含め、今は色々と策を考え、社員を守るための会社永続と、そのための事業創出を考えています。
別会社だったル・フェステから現業態へ転身した経緯
物井商店は父が経営していた時に、洋服の総合問屋から作業服専門の代理店に業態変化をしていきました。代理店が各県1社あった時期は収益もよかったのですが、代理店の制度が崩れ、競合に参入されると、お客様が価格を指定してくるようになり徐々に苦境に陥りました。当時はバブル期でもあり、先代はゴルフ場との関係を強化しキャディ服をオートクチュール(デザイン・生地・仕立てからオリジナル衣装)していました。栃木県内と近隣だけでも50数社のゴルフ場と取引していたと聞いています。本当にバブリーな状態で、その比率が増え別会社でやろうと立ち上がったのが現在のル・フェステです。フルオーダーのデザインを請け負う事業をル・フェステに移管しましたが、結果として本業の物井商店より売上が良くなってしまいました。物井商店を閉め全てル・フェステにシフトを切り替えた矢先にバブルが崩壊しキャディ服が売れなくなる時期に私は入社しました。
この苦境の中で作業服に付加価値をつけて利益を生む必要がありました。刺繍機はありましたがゴルフ場の名前を刺繍することしかできず、複雑な加工は外注して協力工場に依頼していました。その頃に作業服にプリントする注文が入ってきており、それも外注していましたが「これは自分達の手でやった方が良いのでは」と思って始めてみました。シルクプリント(スクリーンプリント)は手作業でおこなうため綺麗に仕上がらず、機械も購入する資金もなかったので、手作りで機械工作をおこないました。シルクプリントの原理は本を読んで着物生地の技術が応用できると分かり、設備会社で1年半ぐらい働いた経験もあったので溶接技術を駆使し、溶接機はお借りして、ホームセンターでその他の材料を買って作成しました。人間やる気になれば何でもできると思いました。
元手6万円から足掛け10年、機材を揃え生産体制を強化
簡単な注文は内製した機械で制作し、複雑な注文は県外にある付き合いの長い会社に依頼して納品をしていました。設備にお金が掛かってないため、少量の受注でも少しずつ利益が蓄積できました。出入りの材料屋がそんな苦労を見てくれていて、取引先である千葉県にある看板屋さんを紹介してくれました。廃棄になる製版機を譲ってくれるという話で、当時はデジタルプリントに移行していたこともありアナログ製版機は不要になったという有難いお話でした。その機械は既に20年近く稼働してましたが、それから更に18年以上、現在も使っています。昔の機械は構造がシンプルでメンテナンスは私が行います。壊れたら直して使い続けています。苦境の中で新事業の内製化をスタートしましたが、人と人とのご縁やモノを大切にする重要性、利益を生むための苦労や秘訣など大きな発見が続いて、神様が背中を押してくれているような不思議な感覚はありました。入社して2年目、私が29歳の頃の話です。
最初のうちは手作り機械で効率も悪く、プリントも失敗しますし、毎日夜の二時半ぐらいまで一人で作業していました。それが2年半ぐらい続きました。効率の良い機械を買えるようになるまで更に2年半。設備一式と乾燥機まで揃うまでにさらに4年かかりました。一式揃ったことで工場として仕組み化でき、他の人にも任せられるようになりました。現在の最年長パートの方は、当時刺繍の業務からシルクプリントの操作も覚えてもらい、翌年にもう一人専業の方を採用できて、少しずつですが事業として回るようになりました。
内製化を実現したことで競合との差別化と多様なサービスに繋げる
弊社の強みは、外注を使わず全工程を社内のワンストップで完結できることです。プリント加工業界は外注率が高く、特にシルクプリントを内製化しているユニフォーム屋はないため競争力の源泉になっています。弊社は、お客様からの問い合わせからご要望確認、打合せからデザイン起こし、必要な商品の調達からプリント、刺繍加工までの全て自社で実現できます。中間コストの削減だけでなく、管理経費も変わってくるため大きな価格メリットが生まれています。
ただ、事業を始めると3年ぐらいでその強みが薄れていきます。競合が低価格競争を仕掛けてきてくるからです。生き残るための常套手段ではありますが、利益の圧迫は業界の正しい成長を阻害すると考えています。今後の方策を模索している時に、貿易業を営む先輩から「思考を切り替えて海外へ進出しては?」と進言されました。売れ筋商品であるTシャツは、夏の時期だけでなく通年で需要があるため、輸入をして仕入を安くできないかと海外を見て回りました。結果として、仕入値が半分以下になり拡販に成功しました。数年後にデフレが進み、国内仕入の価格と差が縮小しましたが、この時の拡販効果によって売上影響を最小限にできました。プリント業務には「版」と呼ばれる中間生成品が必要で、一度受注した版を保管してリピート受注時の原価を抑えることができお客様のメリットとなります。版には保管期限を設けていますが、通常1年のところ2年に延ばし安定したリピート獲得に繋げたことでTシャツの仕入れ価格の下落に対抗することができました。版の保存期間が過ぎたお客様でも、弊社では版を内製化しているため版代をサービスできる点も有利です。ここでも内製できる強みを発揮することができました。
海外との取り引きは大きなネットワークの開拓にもなり、取引様からの要望にも幅広く対応できるようになったメリットがあります。最たる例が、自治体が展開したゆるキャラです。ブーム初期には明確なルールや制度もなく、収益化の方法も不明確なため製作に関しては業界全体が及び腰でした。そんな時に、栃木県から弊社に相談をいただきました。ぬいぐるみやイベントグッズなどの景品は実績がありませんでしたが、海外の展示会を回り、制作のめどが立ち受注を受けたことで、当時はほぼ全商品を弊社で請負う形となりました。国内ネットワークのみでは対応が難しい商品も、海外に目を向けると実現可能性が高まります。弊社商品構成の拡充によって、お客様のご要望に対し柔軟に対応でき、それまで取引のなかった自治体や学校、また地域の優良企業との出会いにもつながり、海外展開は会社の成長に大きく寄与することとなりました。
官公庁からの依頼殺到は海外製造と人的ネットワークの功績から
官公庁の様々な部署からも相談を受けるようになっていきました。総務省から囚人服のご注文をいただいたのも一例です。囚人用のパジャマや肌着などは仕様が特殊で、ポケットが無い、金属品を付けられないなど、細かく仕様が決まっています。既製品を探してもありませんし、生産したとしても他では売れない代物です。国内の生産ラインでは効率が悪いので、海外の提携工場に入札をかけ製造を押さえたりしました。業態も少しずつ変わっていくきっかけとなる受託でした。
現在の売上比率は、外郭団体(「特殊会社」、「財団法人」、「社団法人」、「独立行政法人」、「法人格のない財団」(いわゆる「任意団体」等)など)も入れると6割が自治体です。新しい企画や商品が出た時に、国内だけでなく海外と連携した形で実現性までみえる商品提案を可能にしているのは、中国、タイ、台湾、インドネシア、各国に仲間がいるお陰です。宇都宮で開催されるサイクルレース「ジャパンカップ」のイベントグッズ類はほとんど弊社に注文いただき、それがきっかけとなり東京のイベント会社からお声掛けいただけたりと、大規模イベント向けの商品の紹介も増えてきました。
新型コロナウィルスの感染拡大もあり、主要なイベントも中止になり今まで好調でもあった受託発注は減っていきました。コロナ後は、二次加工だけでなくメーカーに生まれ変わろうという取り組みを進めています。今まで培ってきた海外との取り引きや人脈、材料を海外調達できる強みがあります。今後は海外の人件費も高騰していき逆に関税が減っていくと予想される中で、生産国別の経費の差は縮まっていきます。日本で生産した「メイドインジャパン」の高品質ユニフォームが、海外で戦える価格帯になる可能性も秘めていると考えています。日本製品への根強い人気は、海外との貿易を20年近く経験したことで分かっているので商機を逃さず、提案していきたいと思っています。
アフターコロナに向けて
これからのターゲットのひとつに個人客があります。SNSを使い、アイデアを起案して販売していくギグワーカー(単発の仕事を請け負う労働者)からの需要が増していきます。現在、3人のインスタグラマーから相談を受けていて、その方が作成したデザインデータを見て、制作に関するヒアリングを行い、具現化するまでをコンサルティングしています。そのうちのお一人は主婦で、服やバッグを製作販売して年商は1000万を超えていらっしゃいます。ハンドメイド部分は内製してその他は外注しています。その一部を弊社が請け負い、販売価格設定やタグ品質などをアドバイスし一緒に構築し進めています。
ギグワーカーとのお付き合いは今までの法人のお客様とのお付き合いとは明確な違いがあります。専門的で難しい内容は伝わる範囲のみにして、悩みを聞くようなフランクな対応と信頼関係の構築が求められます。弊社にとって個人のお客様と接する機会は今までもありましたが、今後はSNS活用や個人の感性や思考を知る機会となっていくと想います。個人と私たちのような企業が連携した取り組みとしてSNSを通じて弊社事例がクチコミとなり拡散される可能性もあります。このような取組みを重視する理由としては、コロナ後もかつてのように大規模イベントが開催されるかは不透明で、以前のような収益回復は望めないだろうと予測しています。イベント用品の大量受注をする時代が終焉を迎えたと思っており、事業の再構築を含め、今は色々と策を考え、社員を守るための会社永続と、そのための事業創出を考えています。
ツグナラコンサルタントによる紹介
社長とお話をするたびに「今があるのは社員のおかげ」「社員あっての会社」等、社員への感謝の気持ちを感じることができます。社員の賞与をもっと増やしてあげたいなど、社員への還元をモチベーションにされているのは素晴らしいなと感じます。また社長はマーケットの読みが素晴らしく市場の動きをいち早く察知し、今当社が何をしなければならないのかを常に考えていらっしゃり、会うたびに関心させられます。
インタビュアーのコメント
会社概要
社名 | 有限会社 ル・フェステ |
創立年 | 1931年 |
代表者名 | 代表取締役 物井 慶太 |
資本金 | 300万円 |
本社住所 |
321-0911 栃木県宇都宮市問屋町3426-59 |
事業内容 | オリジナル作業服の作成販売 |
URL |
https://rufesute.com/
|
公開日:2021/10/12 (2023/01/25修正)
※本記事の内容および所属名称は2023年1月現在のものです。現在の情報とは異なる場合があります。